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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

物事の趣旨

2020年02月06日

物事の趣旨というものが理解できないのか、柔軟に対応してものごとを進めようとされているのに、その柔軟性をなくして勝手に捻じ曲げて難しくする人がいる。成り立つものも成り立たせるのが難しくなるのだが、そういう人というのは全体をまとめたりするのが上手じゃなく、自分がかぶって物事を進めていくとかができないタイプながら、人にかぶらせようとする。私なんかは責任を被ってものごとを進めていかないといけないことが多いので、だれもやらないときにはあえて自分が受けてでもやるようにしているが、全体を成り立たせるということ考えないのか?

ものごとをガチガチに進めるようなルールでは、ものごとはガチガチに考えて進めないといけないし、物事に柔軟に対応すべき場ではものごとは柔軟に対応をしてゆくべきだろう。成り立たせることが大事で問題が起こった時にも責任を被る覚悟があるものがいればよいが、問題が起こった時に責任を被れるものがなければガチガチにものごとを進めるべきである。ルールばっかりの世界というのは物事の責任を被れるものがいないからで、物事の責任を被れるものがいる世界ではルールは必要がない。

人というのは前向きに自分が進められるタイプの人となかなか自分が割り切れないで動けないタイプの人がいる。本来、大人ならしっかりと意見を持って動かないといけないのだろうけども、意見を持たないで様子見の人も多い。ものごとをするときに自分が主役でないと嫌なタイプの人というのはほかの人の下で働こうとしないし、力に弱いタイプの人というのは自分よりも上だと思う人にはこびて下だと思う人には反動が出て偉そうな態度で仕切ろうとする。人を仕切ろうとする人は多いが、自分を殺して人を助けようとする人は少ないもんである。

人が集まって何かものごとをやるときに温度差がありすぎて一つにまとまることが難しいのを感じる。それは若い人にというより、年配の人にも言えて、年配の人というのは年配の人のいうことしか聞かないタイプの人が多く、若いものを仕切りたがるが、ものごとをやってる人間を仕切る人間なんて必要すらないのである。別に失敗しようがそれは経験の一つで、それを乗り越えないとまずそういう仕切り屋の下で物事をやっているうちは大したことはできない。仕切るなら仕切るで上手に物事が進むように仕切れる人ならよいが、面倒なことばかりを押し付けて自分が楽している仕切り屋も多いから、それは仕切り屋が仕切れるタイプの人かどうかの差である。

物事の趣旨にしても責任かぶってやろうとしている人がいるなら同調してその人の趣旨に合わせて行動することが大事だろうと思うが、後のことも考えられないその場しのぎのタイプのおっさんが仕切ってたらそれは同調しては駄目という話になる。器な人と器でない人の差は同じ物事をやっても、結果は正反対に終わることが多い。


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