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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

イタリア

2020年02月23日

インターテキスタイル上海が中止になったのだが、今度はイタリアで感染が広がっていて、北部イタリアの州では都市封鎖的なことも始まった。クルーズ船の問題がイタリアにもあったようで、イタリアも日本以上の厳戒態勢を取っている。それは良いことだと思う、このウィルスは武漢を見る限り軽く考えてはならない。

武漢を他山の石として、このウィルスの危険性をしっかりと認識しないといけない。日本はどちらかというとその場しのぎで後で解決できない問題を山積みにするタイプの国。たぶん、オリンピックは行われるだろうけど、その後のことをしっかりと対策しておかないとならないだろう。湿度の高い夏になると新型コロナウィルスも消えるだろうという楽観は禁物で、消えない想定で対策をしておかないと、日本では広がらないだろうで、当たり前だが、今や日本はコントロールできなくなっている。検査すら体制が不十分。

まずは、検査体制を充実させることが大事で、検査体制がないから検査できないから感染者が少なく見えているだけのこと。早くしないと小さな子供たちが感染し始め、武漢のように子供たちも苦しんで死んでゆくことになる。このウィルスというのは一人の感染者であっても、一つの地域や国をつぶしてしまうくらいの破壊力がある。無謀な一人がいたらいくら予防していても無駄、馬鹿な役人や専門家が一人いたらいくらみんなが感染に注意していても無駄なのである。このウィルスに対しては中国並みに厳しく取り締まるくらいのことが必要、でないと収拾はつかないだろう。

日本の専門家や厚生労働省が、中国武漢の悲劇を見ながらも楽観視して様子見で手を打たず、もう遅いかもしれない状況。あとは自分が掛からないことを祈るとか、治療薬ができるのを待つしかないような、私も普段は病院には行かない人間だが、この新型コロナウィルスは掛からないように気を付け、怪しいと思ったときには病院に行こうと考えている。免疫を不全にするという要素があるので、体力の衰えたお年寄りで他に疾患を抱えられている人というのは他の疾患が重症化しやすいとかもあるようで、余計に厄介なのである。戦争ではないけど、有事的な気持ちで、普段のことはあまりぴりぴりせずに、第一優先としてこの新型コロナウィルスに注意みたいなところ。今、会社もまだまだやることは一杯だけど、なるべく定時で切り上げるなど無理をしないようにしている。

話は変わるが社会問題として田舎の高齢者の老後というのはなかなか難しくなっているなあと実感することがある。60歳とか過ぎると働く能力も落ちて、体も悪くなって病院に行ったりで、仕事もできなくなり生きてゆくことすらが難しくなる。私はまだ50歳なので20歳の学生には負けたくないくらいの気持ちでものごと取り組んでるけど、できそうなことは今のうちにやっておかないとちょっとでも体を悪くするとそこから急に考え方も変わってすべてができなくなるんだろうなあと思う。特に、何かしようと体を動かしてもものごとをするということが億劫になってしまい、それが癖となるともう何もできなくなるものだ。

私が好きじゃない考え方なのは、画一化した考え方で、70定年とか。50でも仕事できない人はいるし、80過ぎてもできる人はいるのに、安易に定年を決めるとかおかしいんじゃないかと思うが、行政のゆきあたりばったりの失敗がそういう定年問題とも絡んで、ボタンの掛け違えで法律をどんどんと作っているようなもので、ボタンの掛け違えが正しい法律みたいな話。みんなが社会に依存するような要素が濃くなり、本当に普通に正しいことができなくなってしまうのである。

新型コロナウィルスというのは特別枠の有事として考えていくべきで誰もが我慢しないといけない要素もあるだろう。日本じゃなかなか難しい考え方になってしまったのかもしれないけど、患者の命を救うために医者が命を投げ出す覚悟みたいなところが中国ではあったりする。あの中国の亡くなった新型コロナウィルスを告発した医者をみても、日本の専門家たちや官僚が、新型コロナウィルスが大したことないというのは、行き方や人生観がまったく逆なんだろう。それを封じ込めようとした中国でも初動のミスとして方向転換しているのに、そのあとでも日本は初動のミスをした中国のような対応。人生観が権威主義的になりすぎて、自分は特別で、国民の命なんてどうでもよいものが指揮をとっているようなのが見えすぎる。あの医師の動画を見て、新型ウィルスから人々を守ろうとする本物、ありがとうなあと思う。


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