リネン日記
損切できないタイプ
2020年03月20日
安倍さんが株式に目を付けて株高値を上げるために年金マネーを注ぎ込んで国内だけでなく海外の株価も底上げしてきた調子のよい時代、それがはじけてしまったのが今の状態だけども、損切すらもできないようなどうしようもない状態。なんだか先代の時代を思い出してしまうのである。
本業でもない部分で金満に潤ってしまって、才覚があるかのように振舞ってしまう人は多い。そのしわ寄せ的なものは、繊維業界だと次の世代に圧し掛かって羽振りの良かった人たちが一番仕事のできない人に変わっていってしまい、新しい人たちが小降りに地道に支えるような再生。
金満な考え方を捨てれば立ち直りもはやいのだけども抜け出せなければそういう人々が完全に抜けてしまうまでは立ち直りというものは難しい。大きく国の財政をこかしてしまってそれを立ち直らせるのはこれから生まれてくる世代の仕事では、安倍首相を筆頭とする年寄りたちがあつまって何をやっているのかという話。ボタンの掛け違えが直せなければ再生というものは何倍も時間が掛かり難しくなる。あぶく銭で国を成り立たせるような考えは必要ないのである。
実体経済が良くない状態で好景気を創出してきたこの10年以上だが、そんな良くない状態の需要がさらに半減するとかの可能性も高いのである。繊維関連というのは国の保護を受けない業種なので特に露骨なバロメーターで、景気変動とは無縁に近く本来地道に働くものが支えてゆかないと成り立ちもしないのである。
繊維業界の者がキャピタルゲイン的なものに手を出して他の産業の好景気と連動したところで、不景気に転落すればすべてを失うというケースも多いものである。昔、繊維業界の景気が良かったひと昔前のオリンピック景気のころ、どこの産地でも交遊に励みスナックやバーにお金を落としたのが繊維だけでなく地盤産業的な業界。
それで今も回っている人たちもいるけど、回らなくなったときに抜け出すことができるのかというと、そういう体質になってしまうと、ゼロから物事を考えるとかすらもできなくなる。そこで日本的な固定観念から抜け出しゼロからものごとを考えたところが繊維業界を掌握してしまったのが国際的に動いた大手SPAの台頭なのであろう。経験が長くなるとゼロから物事を考えるような素直さがなくなり、人間の変われないが影響して大きな軌道修正なども行いにくいものである。
大きなものとか長いものにまかれよとかではなくて、ものづくりしていてつくりたいものもつくれなくなればお手上げだろうという問題があったりするものである。そのものづくりの基本が自分が作業して自分が生み出せるような人の存在だろうと思う。覚悟を決めて自分で時間使って自分でこんなものだと売れると信じてつくって売ってゆけるような人や考え方が必要なのである。ババ抜きのババをあえて引くような覚悟しているものが場を作れるものだったりするものである。
先進国で繊維の仕事は難しいなあと思えるのが、一つの作業、経糸を一本一本繋ぐ仕事。途上国の人ならできて先進国の人ができないのが作業なのである。耐性もなく高度なものづくりを目指しても仕事するたびに問題が付きまとう。高度なものを作ろうとするときには、その問題を解決する能力が必要なのだが、そういうのを面倒がって問題があっても問題ありませんが今の先進国のものづくりで、同じお客さんの同じ仕事すらも同じにできないが多く。2000年頃の海外の不安定な笑っていたモノづくりに近いところにある。骨を抜かれたようなものづくりでは骨のあるところのものづくりには敵わないだろう。私自身、骨を持っていたいと思う。
本業でもない部分で金満に潤ってしまって、才覚があるかのように振舞ってしまう人は多い。そのしわ寄せ的なものは、繊維業界だと次の世代に圧し掛かって羽振りの良かった人たちが一番仕事のできない人に変わっていってしまい、新しい人たちが小降りに地道に支えるような再生。
金満な考え方を捨てれば立ち直りもはやいのだけども抜け出せなければそういう人々が完全に抜けてしまうまでは立ち直りというものは難しい。大きく国の財政をこかしてしまってそれを立ち直らせるのはこれから生まれてくる世代の仕事では、安倍首相を筆頭とする年寄りたちがあつまって何をやっているのかという話。ボタンの掛け違えが直せなければ再生というものは何倍も時間が掛かり難しくなる。あぶく銭で国を成り立たせるような考えは必要ないのである。
実体経済が良くない状態で好景気を創出してきたこの10年以上だが、そんな良くない状態の需要がさらに半減するとかの可能性も高いのである。繊維関連というのは国の保護を受けない業種なので特に露骨なバロメーターで、景気変動とは無縁に近く本来地道に働くものが支えてゆかないと成り立ちもしないのである。
繊維業界の者がキャピタルゲイン的なものに手を出して他の産業の好景気と連動したところで、不景気に転落すればすべてを失うというケースも多いものである。昔、繊維業界の景気が良かったひと昔前のオリンピック景気のころ、どこの産地でも交遊に励みスナックやバーにお金を落としたのが繊維だけでなく地盤産業的な業界。
それで今も回っている人たちもいるけど、回らなくなったときに抜け出すことができるのかというと、そういう体質になってしまうと、ゼロから物事を考えるとかすらもできなくなる。そこで日本的な固定観念から抜け出しゼロからものごとを考えたところが繊維業界を掌握してしまったのが国際的に動いた大手SPAの台頭なのであろう。経験が長くなるとゼロから物事を考えるような素直さがなくなり、人間の変われないが影響して大きな軌道修正なども行いにくいものである。
大きなものとか長いものにまかれよとかではなくて、ものづくりしていてつくりたいものもつくれなくなればお手上げだろうという問題があったりするものである。そのものづくりの基本が自分が作業して自分が生み出せるような人の存在だろうと思う。覚悟を決めて自分で時間使って自分でこんなものだと売れると信じてつくって売ってゆけるような人や考え方が必要なのである。ババ抜きのババをあえて引くような覚悟しているものが場を作れるものだったりするものである。
先進国で繊維の仕事は難しいなあと思えるのが、一つの作業、経糸を一本一本繋ぐ仕事。途上国の人ならできて先進国の人ができないのが作業なのである。耐性もなく高度なものづくりを目指しても仕事するたびに問題が付きまとう。高度なものを作ろうとするときには、その問題を解決する能力が必要なのだが、そういうのを面倒がって問題があっても問題ありませんが今の先進国のものづくりで、同じお客さんの同じ仕事すらも同じにできないが多く。2000年頃の海外の不安定な笑っていたモノづくりに近いところにある。骨を抜かれたようなものづくりでは骨のあるところのものづくりには敵わないだろう。私自身、骨を持っていたいと思う。