for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

繊維の世界

2021年09月20日

繊維って、なにかというと、布や糸のことと思うかもしれないけども、直接的に繊維という意味は、食物繊維に関して言うとセルローズ繊維のことで、セルローズという物質が細長く連なっているのが目で見える繊維。

そういう繊維を昔は日本だと手で績んでいた。績むのと紡ぐのは異なる糸の作り方で、長い苧を積み重ねて糸を作っていくイメージが績むイメージで、紡ぐは短い繊維に撚りを掛けて糸を作っていくイメージ。

シルクなんかも最初は、打綿して衣としてつかっていた。織物ではなかったのである。打綿した衣を何重にも重ねたものが妙(多重)であったと基本、私は考える。日本には羊がいなかったので賑わった妙(ニギタエ)というのは必然的に繭を打綿して作ったもので、荒い妙(アラタエ)というのは、植物繊維を打面したものであったろう。

織物が発達すると本来の妙を消滅させてしまっただろうと思う。本来妙ではない織物に対してもそのままニギタエとかアラタエとかいう言葉が同じように使われ始めただろう。苧を縫うことから布という言葉が生まれ正絹や苧という世界に置き換わって、それが伝統工芸的な天然繊維の歴史として引き継がれている。綿の紡績は江戸時代からだけど、紡績の絹やシルクは明治以降の産物だろうと私は考えているが、太物としては江戸時代にもあったかもしれないと思う。

シルクや麻をステイプルにして紡ぐという概念が江戸時代にあったのだろうか?残ったどうしようもない部分は手で紡績されてたかもしれないと思ったりする。シルクで織物の方ではないけども、木之本の丸三橋本さんが、日本のシルクの歴史にも詳しく琴の弦の世界で伝承もされている。琴の弦が黄色のはなぜなのか、それはウコンで染めておられるからという話など興味深い。

木之本といえば、DENの北山さんも木之本、田舎の人々のものづくりは人からみたいな基本が残っているんだろうなあと思う。片田舎的な林与よりも木之本行った自分からすると、木之本というだけに山の中のイメージ。そういう田舎のほうがモノづくりは強く、今の日本のうすっぺらい流れになってしまわないほうが、世界中から注目されるようなメイドインジャパン。商売としたら大手のSPA的なモノづくりとは相反するけども、それがあるから日本の大手SPAのものづくりが海外生産とは違って評価され、本当の日本製だったら何万もするのが何千円で日本の繊維の世界を謳えて海外にも通用しているという世界。

林与にしてもそれなりに苦労はしているけど、苦労している人が成り立っていてほしいなあと思う。日本の繊維企業の生産しているものが繊維の世界ではほぼ海外生産といってもよいほどに、実際は生産の実態との乖離があるからそこで利益が生まれているみたいな話。

実際は日本の大手SPAも日本の消費者と同じ、海外生産のお客さんでしかないという現実があって、それが日本の繊維業界の一番心配するところ。真似ものづくりや利益じゃなくて自分で生産基盤をもってしないと、今の大手のMさんあたりだと、安く売るのがかっこいいみたいで、それが裏での問題に結びつく元凶で、ちゃんと自分がお金払ってるということも言えずにサプライヤーがとか、認証機関がとか、逃げてばかりで、今までの謳いがすべて意味がなかった話。日本の繊維の世界というのは儲けようとすればそれが普通。何で何億も利益あげて生産者にそれを分けないのかからして、日本の自動車業界の問題に通じるアンサステイナブルな日本のサステイナブル社会。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内