リネン日記
札幌
2021年10月30日
昨日は、朝、セントレアに向かって出発して、途中で手織り機をあま市で1台手に入れて車に積み込み近くの駅の駐車場に車に停めて電車でセントレアに向かう、このパターンは初めて、いつもよりも入念な準備をして早めに出発できたのが幸いで、あま市に向かう途中で8件も電話が掛かって来て、そのたびに車止めて電話対応で、結局、セントレア到着は予定よりもかなり遅れになってしまった。でも、空港に着くと飛行機が30分遅れで、余裕ができて良かった。セキュリティでにぎりバサミを一つ没収になって、工具などを別便でホテルに送ったのは正解であった。ドライバーなどの工具も全部駄目なようである。ホテルに付いたけど、工具が届いていないって?あれ?明日の午前中につくのをまとう。
札幌についたらラーメンを食べるぞと思って、ホテルにチェックインし終わってからホテル近辺をうろうろ、ラーメンじゃないけど札幌海鮮とかいてあるの看板のお店に入ったらまちがいで、1Fは札幌ザンギのお店だった。生のグラスビールも安いしよいか。牡蛎もあるし。と席に座って思った。辛中華そばというのがあったので、札幌ラーメンを食べる代りにそれを頼んだ。結局、そのお店の名物ザンギ4種類セットとその辛中華そば大がボリュームありすぎて、牡蛎を注文するに至らず。北海道に来て脂っこいから揚げを大量に食べるとは思わなかったけど、味も4種類楽しめておいしく、鶏肉も新鮮で正解そのもの。
おいしく食べて、から揚げ食べて胸やけしてるのを、店を出た後の札幌の涼しさが癒してくれ、中和された心地よい無敵モード感でホテルに戻る道のりもずーっと歩いていたいくらいで5分ほどでは歩き足りないくらい、ここ1年2年は足の違和感と疲れが激しくて歩くのが心地よいというのも久しぶりの感覚で、このまま夜中の札幌を疲れるまで歩き続けてみようかと思ったけども、まだ、明日からが作業だからゆっくりとお風呂に入ってとりあえず休む。
泊ったホテルはアパホテル札幌北口AKP、私が興味を示したのは、ホテル名で気になってたAKPってなんなのか?部屋の中に本が置いてあったので、その本を読んだらよくわかった。私が繊維の仕事が続いているのも、AKPというマザーズ上場の代表取締役の河野さんと似たような考え方をもっているからだなあと思う。私自身がいつも社員の子に話をしているのと同じことが本の中に書いてあった。林与の場合は小さいままというよりも、先代のときに良い時代があって、その時の問題が結局、時代が変わればというか流れが変わって成り立たなくなれば切り替えができないといけないのに切り替えができない体質だったこと。
会議よりも実践でやってみて失敗して生み出して行くことが大事で、ビジネスプランよりも情熱が大事とか、考え方はすごく似ているような気がする。ホテル業界は不況のまっただなか、今回のアパホテルも宿泊者がいて空室が埋まっても、札幌駅から歩いて10分ほどで、広いダブルルームが一人1室3800円ほどではマイナスだろうと思う、今の苦境を乗り越えて、あきらめずに成り立たせようと試行錯誤されている。朝食のサービスもなしで2Fのレストランも閉鎖、大浴場も廃止、徹底的に簡素化してお客さんの数が減ったのに応じてスタッフも減らしておられるのだろう。これってカプセルホテルやホステルの値段に近く、コロナ禍の流れに応じての柔軟な変形で、便利で安全に泊まれるという基本の部分、原点に戻ってラグジュアリーな部分は割愛して、お客さんががっかりすることもあるだろうけども、本質の部分が一番大事で柔軟な対応ができるのかできないのかは存続していく上で本当に大事だと思う。
繊維の世界でもコロナ禍の影響で、高級アパレルさんや高級生地問屋さんが苦戦。私としては同じように今の時代の流れに柔軟に対応して乗り切ってほしいと思うけども、高級なものを扱っているというプライドが、柔軟な対応よりも廃業を選ばれるケースもある。贅沢な旅や食べ歩きにお金を使って仕事しているみたいな感覚というのをまず捨てないと、それはバブルのころの宴会やゴルフ三昧の経営者と似ている。仕事のたしなみとしてやってた人たちは残ってるけども、本気でそういうのが好きではまってた人は抜けられなくて。同世代の人たちでも、飲み歩き食べ歩きの贅沢三昧にはまってしまった人たちは自分が働いて稼げず、他の人を食いつぶしにかかってしまって、先輩が後輩を食うとか気持ち悪い中学生レベルの先輩後輩感覚。
それだけでなく、70代、80代の爺さんが、まともな若い世代を食いつぶそうとしてくる感ありありとか、世紀末そのもので、本来なら人生経験の長い70代や80代の人に、人間として、あんた、言ってること人としてまともか?みたいな説教する話は本当に情けない。田舎だとそういうのは一番駄目なことというような認識できていたけど、都市部よりもありえない無礼が人生経験の長いものほどやってしまっている。
今は田舎でも、70代や80代の人が、人間誰でも自分が一番かわいいからと口に出していってしまって恥ずかしさもなく責任逃れで、自分の欲ばかりの世界。何のために若いころからいろんな田舎の行事も引き受けて来たのかとそういう爺さん婆さんに対しては、本当にあほらしくなってきて、それでは人として一番駄目じゃないのか、田舎で他に説教してる人間なら生きてゆく覚悟きめて死ぬまで背負っていかないと利用される次の世代がかわいそうで、ひと世代前の人々に対して本当に厳しいことをいうも多い。
人生経験の長い人たちが人間いうものは誰でも自分が一番かわいいとか、今の学生でも社会性があってそんな恥ずかしいこと言わないことが多いし、それいってしまうと引かれるのは当たり前でも正直で自分本位で生きてるから行ってしまうんだろう。田舎で人間関係が大事といってるいわゆる高齢者の方が、そういう自分の欲が大事なのを口にだして責任逃れでいってると次の世代が困るだけの話。自分たち可愛さに他を犠牲があたりまえでは社会性すらないのではないか。全員が全員というわけではなく、そういうのいうのは本当の一部、田舎社会を背負う覚悟で背負っている人はそんなことは絶対といってよいほど口にしないのだが、案外そういうことを軽く言ってしまう人が増えて来て、人間関係のない都会よりも怖いほどで、それなら田舎であっても自分がかわいい人に他の人が利用されるなら人間関係のないほうがましな話。
田舎背負っていくなら、自分が持ち出しばかりが普通ではないのか。田舎も他の人の面倒見てまで背負っていけない人が多いから、そういうのを背負う覚悟ないと田舎なんて背負ってはいけまい。繊維業界も同じようなところがあって、自分が面倒見てまで背負っていく覚悟持っていなかったら、利用するだけのこと。田舎にしても繊維業界にしても、そういうのが悪いことじゃなく、他の世界にない良さだと思うんだけど、そういうのを食い物にし始めたら終わりだろうと思う。
札幌についたらラーメンを食べるぞと思って、ホテルにチェックインし終わってからホテル近辺をうろうろ、ラーメンじゃないけど札幌海鮮とかいてあるの看板のお店に入ったらまちがいで、1Fは札幌ザンギのお店だった。生のグラスビールも安いしよいか。牡蛎もあるし。と席に座って思った。辛中華そばというのがあったので、札幌ラーメンを食べる代りにそれを頼んだ。結局、そのお店の名物ザンギ4種類セットとその辛中華そば大がボリュームありすぎて、牡蛎を注文するに至らず。北海道に来て脂っこいから揚げを大量に食べるとは思わなかったけど、味も4種類楽しめておいしく、鶏肉も新鮮で正解そのもの。
おいしく食べて、から揚げ食べて胸やけしてるのを、店を出た後の札幌の涼しさが癒してくれ、中和された心地よい無敵モード感でホテルに戻る道のりもずーっと歩いていたいくらいで5分ほどでは歩き足りないくらい、ここ1年2年は足の違和感と疲れが激しくて歩くのが心地よいというのも久しぶりの感覚で、このまま夜中の札幌を疲れるまで歩き続けてみようかと思ったけども、まだ、明日からが作業だからゆっくりとお風呂に入ってとりあえず休む。
泊ったホテルはアパホテル札幌北口AKP、私が興味を示したのは、ホテル名で気になってたAKPってなんなのか?部屋の中に本が置いてあったので、その本を読んだらよくわかった。私が繊維の仕事が続いているのも、AKPというマザーズ上場の代表取締役の河野さんと似たような考え方をもっているからだなあと思う。私自身がいつも社員の子に話をしているのと同じことが本の中に書いてあった。林与の場合は小さいままというよりも、先代のときに良い時代があって、その時の問題が結局、時代が変わればというか流れが変わって成り立たなくなれば切り替えができないといけないのに切り替えができない体質だったこと。
会議よりも実践でやってみて失敗して生み出して行くことが大事で、ビジネスプランよりも情熱が大事とか、考え方はすごく似ているような気がする。ホテル業界は不況のまっただなか、今回のアパホテルも宿泊者がいて空室が埋まっても、札幌駅から歩いて10分ほどで、広いダブルルームが一人1室3800円ほどではマイナスだろうと思う、今の苦境を乗り越えて、あきらめずに成り立たせようと試行錯誤されている。朝食のサービスもなしで2Fのレストランも閉鎖、大浴場も廃止、徹底的に簡素化してお客さんの数が減ったのに応じてスタッフも減らしておられるのだろう。これってカプセルホテルやホステルの値段に近く、コロナ禍の流れに応じての柔軟な変形で、便利で安全に泊まれるという基本の部分、原点に戻ってラグジュアリーな部分は割愛して、お客さんががっかりすることもあるだろうけども、本質の部分が一番大事で柔軟な対応ができるのかできないのかは存続していく上で本当に大事だと思う。
繊維の世界でもコロナ禍の影響で、高級アパレルさんや高級生地問屋さんが苦戦。私としては同じように今の時代の流れに柔軟に対応して乗り切ってほしいと思うけども、高級なものを扱っているというプライドが、柔軟な対応よりも廃業を選ばれるケースもある。贅沢な旅や食べ歩きにお金を使って仕事しているみたいな感覚というのをまず捨てないと、それはバブルのころの宴会やゴルフ三昧の経営者と似ている。仕事のたしなみとしてやってた人たちは残ってるけども、本気でそういうのが好きではまってた人は抜けられなくて。同世代の人たちでも、飲み歩き食べ歩きの贅沢三昧にはまってしまった人たちは自分が働いて稼げず、他の人を食いつぶしにかかってしまって、先輩が後輩を食うとか気持ち悪い中学生レベルの先輩後輩感覚。
それだけでなく、70代、80代の爺さんが、まともな若い世代を食いつぶそうとしてくる感ありありとか、世紀末そのもので、本来なら人生経験の長い70代や80代の人に、人間として、あんた、言ってること人としてまともか?みたいな説教する話は本当に情けない。田舎だとそういうのは一番駄目なことというような認識できていたけど、都市部よりもありえない無礼が人生経験の長いものほどやってしまっている。
今は田舎でも、70代や80代の人が、人間誰でも自分が一番かわいいからと口に出していってしまって恥ずかしさもなく責任逃れで、自分の欲ばかりの世界。何のために若いころからいろんな田舎の行事も引き受けて来たのかとそういう爺さん婆さんに対しては、本当にあほらしくなってきて、それでは人として一番駄目じゃないのか、田舎で他に説教してる人間なら生きてゆく覚悟きめて死ぬまで背負っていかないと利用される次の世代がかわいそうで、ひと世代前の人々に対して本当に厳しいことをいうも多い。
人生経験の長い人たちが人間いうものは誰でも自分が一番かわいいとか、今の学生でも社会性があってそんな恥ずかしいこと言わないことが多いし、それいってしまうと引かれるのは当たり前でも正直で自分本位で生きてるから行ってしまうんだろう。田舎で人間関係が大事といってるいわゆる高齢者の方が、そういう自分の欲が大事なのを口にだして責任逃れでいってると次の世代が困るだけの話。自分たち可愛さに他を犠牲があたりまえでは社会性すらないのではないか。全員が全員というわけではなく、そういうのいうのは本当の一部、田舎社会を背負う覚悟で背負っている人はそんなことは絶対といってよいほど口にしないのだが、案外そういうことを軽く言ってしまう人が増えて来て、人間関係のない都会よりも怖いほどで、それなら田舎であっても自分がかわいい人に他の人が利用されるなら人間関係のないほうがましな話。
田舎背負っていくなら、自分が持ち出しばかりが普通ではないのか。田舎も他の人の面倒見てまで背負っていけない人が多いから、そういうのを背負う覚悟ないと田舎なんて背負ってはいけまい。繊維業界も同じようなところがあって、自分が面倒見てまで背負っていく覚悟持っていなかったら、利用するだけのこと。田舎にしても繊維業界にしても、そういうのが悪いことじゃなく、他の世界にない良さだと思うんだけど、そういうのを食い物にし始めたら終わりだろうと思う。