リネン日記
両極
2021年12月18日
外のお話を聞いたり見たりしていると、このコロナで仕事がいろいろあるところと、激減してしまったところの両極に分かれているように思う。仕事のあるところというのは仕事を作り出していくような体質のところで、激減してしまっているところは仕事を待っているような体質のところなんだろうと思う。仕事を作り出して行くのはすごくお金の掛かることだし、やったことが当たるとも限らないから、いろんなことをお金と時間を使ってやっているような感じだろう。そして、そのやってることの一つ二つが後々の仕事につながっていく。
林与も今はレピア織機の稼働率が良くない、アパレル向けの生産が減少しているから。それをみて想像するに、アパレル向けに特化しているところというのは厳しいだろうなあと思うし、また、レピア織機の織物工場というのは仕事が減っているだろうなあと思う。半年ほど前に、一宮で駐車したらたまたま隣が織物工場で、織物工場のおっちゃんも、産元の賃機屋さんなのだろう、レピアを1台か2台、動かしておられて仕事していてもお金にはならんといってられた。一宮はウールの産地なのだけども、麻も横にときどき織るといっておられた。私よりも20歳くらい上の感じで忙しい時代も経験をされてはいるだろう。今は、仕事されていて一生の内で一番の底のような状況だろうと思う。
工場によっては、1台2台を動かすくらいなら動かさないほうがましという判断もあるだろう。特に従業員を雇用されているようなところだと、工場を休めて今の休業補償をもらうという形。2010年ころに、動けるスタッフ5名ほどいてくれて、ストールの爆発的なブームの終わった後、仕事に余裕がある時があって、その時には、じっくりと研究的なことを1年やった。アイリッシュリネンのプロジェクトもそのときで、リネンの超細番手にチャレンジするというプロジェクトも並行してやって、織るのも難しくすごく大変だったけども本当に良い経験になった。同時に、超太番手のプロジェクトもやって、リネン5番手とか織ってみた。これもなかなか手ごわいところがあったが、同じ織機で、5番手から150番手まで織れるということには感心した。そして同じ織機で織るにしても細い番手と太い番手では織機の調整が異なることもよく理解が出来た。
そのときあたりからだろうか、全国の機屋さんとの出会いなども増えて技術的なことの話を交換するというよりも、どうやったら新しいスタイルでテキスタイルメーカーが存在していけるだろうかというあたりの実践みたいなものを考えるようになった。私自身がネットショップを本格的にはじめたのもそのあたり、ネットショップをやっているといろんな麻に関する情報を持っておられる方がアプローチくださって、私の知らない麻布の世界も見せてもらったりしたことも多く、そこに私の推測みたいなものも掛け合わせてその布というものがどんな材料でどうやってつくられたのかとか、自分の織物とは少し違った分野の麻織物のことも考えるようになった。
いろいろとフルに携わっていると、その時に解決が難しい問題でもあるときに突然これが解決方法だったんだなあと感じることもあって、問題というのはそのときに頭に刻み込んでおけばよく、必ずしも解決までにたどり着くひつようはない。ひらめいたときにテストしたいなあと思うと、会社に在庫でころがっている生機数メートルが急に価値がでてくることもある。ちょっとやってみるとそれが解決方法だったかどうかが分かったりもする。検証するためにときどき機材から考案してやってみることもある。そういう頭だけでなく行動的な部分が自分の中では大事。回りくどく書いたけど、少し仕事が少なくなったときにやってみたいなあと思うことをやってみることが大事だと思う。
織物の仕事というのは無限に時間が掛かることが多いので、普段でも仕事を一つの仕事をしようとするときには織る時間だけでなく、織る以外の前後の準備の時間は織るのと同じくらいに掛かっていることも多い、サンプルなんかでは、本生産に向けてのテスト的な意味もあるので、その一つのサンプルで作業する時間がむちゃくちゃ長くなる。織物というのは仕事を待つのではなく生み出して行けるようなあたりがあって、また、小さな会社で一人一人が分業じゃなく、最初から最後までの広い作業範囲をこなせるようになっていることで、人の作業を前に進めていく。人の力が、結局布みたいなものだと思う。
皆が集まって布をつくるみたいなオムニバス的なものづくりというのは見せるテーマとしてはよいのだけども、現実的には強みを逆に薄くしてしまうような要素もあって、産地にも、いろんなものがあるというのが特色でだからやってれれる話だったりする。産地の一般的なイメージ以上に、個々の企業の特色的なものづくりみたいなものの方が強かったりするもので、そういう強みみたいなものが面白いんじゃないだろうかと思う。そういう強みを活かすテイストみたいなものは最終商品に結び付けてゆくためには必要だろうけども、そういう強みにあったテイストを2個イチにするんじゃなくて、強みを活かすような色付け柄付けをしてが、調和のとれた布を生み出すことになるんだろうと思う。
林与も今はレピア織機の稼働率が良くない、アパレル向けの生産が減少しているから。それをみて想像するに、アパレル向けに特化しているところというのは厳しいだろうなあと思うし、また、レピア織機の織物工場というのは仕事が減っているだろうなあと思う。半年ほど前に、一宮で駐車したらたまたま隣が織物工場で、織物工場のおっちゃんも、産元の賃機屋さんなのだろう、レピアを1台か2台、動かしておられて仕事していてもお金にはならんといってられた。一宮はウールの産地なのだけども、麻も横にときどき織るといっておられた。私よりも20歳くらい上の感じで忙しい時代も経験をされてはいるだろう。今は、仕事されていて一生の内で一番の底のような状況だろうと思う。
工場によっては、1台2台を動かすくらいなら動かさないほうがましという判断もあるだろう。特に従業員を雇用されているようなところだと、工場を休めて今の休業補償をもらうという形。2010年ころに、動けるスタッフ5名ほどいてくれて、ストールの爆発的なブームの終わった後、仕事に余裕がある時があって、その時には、じっくりと研究的なことを1年やった。アイリッシュリネンのプロジェクトもそのときで、リネンの超細番手にチャレンジするというプロジェクトも並行してやって、織るのも難しくすごく大変だったけども本当に良い経験になった。同時に、超太番手のプロジェクトもやって、リネン5番手とか織ってみた。これもなかなか手ごわいところがあったが、同じ織機で、5番手から150番手まで織れるということには感心した。そして同じ織機で織るにしても細い番手と太い番手では織機の調整が異なることもよく理解が出来た。
そのときあたりからだろうか、全国の機屋さんとの出会いなども増えて技術的なことの話を交換するというよりも、どうやったら新しいスタイルでテキスタイルメーカーが存在していけるだろうかというあたりの実践みたいなものを考えるようになった。私自身がネットショップを本格的にはじめたのもそのあたり、ネットショップをやっているといろんな麻に関する情報を持っておられる方がアプローチくださって、私の知らない麻布の世界も見せてもらったりしたことも多く、そこに私の推測みたいなものも掛け合わせてその布というものがどんな材料でどうやってつくられたのかとか、自分の織物とは少し違った分野の麻織物のことも考えるようになった。
いろいろとフルに携わっていると、その時に解決が難しい問題でもあるときに突然これが解決方法だったんだなあと感じることもあって、問題というのはそのときに頭に刻み込んでおけばよく、必ずしも解決までにたどり着くひつようはない。ひらめいたときにテストしたいなあと思うと、会社に在庫でころがっている生機数メートルが急に価値がでてくることもある。ちょっとやってみるとそれが解決方法だったかどうかが分かったりもする。検証するためにときどき機材から考案してやってみることもある。そういう頭だけでなく行動的な部分が自分の中では大事。回りくどく書いたけど、少し仕事が少なくなったときにやってみたいなあと思うことをやってみることが大事だと思う。
織物の仕事というのは無限に時間が掛かることが多いので、普段でも仕事を一つの仕事をしようとするときには織る時間だけでなく、織る以外の前後の準備の時間は織るのと同じくらいに掛かっていることも多い、サンプルなんかでは、本生産に向けてのテスト的な意味もあるので、その一つのサンプルで作業する時間がむちゃくちゃ長くなる。織物というのは仕事を待つのではなく生み出して行けるようなあたりがあって、また、小さな会社で一人一人が分業じゃなく、最初から最後までの広い作業範囲をこなせるようになっていることで、人の作業を前に進めていく。人の力が、結局布みたいなものだと思う。
皆が集まって布をつくるみたいなオムニバス的なものづくりというのは見せるテーマとしてはよいのだけども、現実的には強みを逆に薄くしてしまうような要素もあって、産地にも、いろんなものがあるというのが特色でだからやってれれる話だったりする。産地の一般的なイメージ以上に、個々の企業の特色的なものづくりみたいなものの方が強かったりするもので、そういう強みみたいなものが面白いんじゃないだろうかと思う。そういう強みを活かすテイストみたいなものは最終商品に結び付けてゆくためには必要だろうけども、そういう強みにあったテイストを2個イチにするんじゃなくて、強みを活かすような色付け柄付けをしてが、調和のとれた布を生み出すことになるんだろうと思う。