リネン日記
花火大会
2009年07月18日
今日は、愛知川の河原で、夜、花火大会がありました。お天気のほうもそれほど暑くもなく、河原の土手に座って、次々と打ち上げられる花火を眺めると、今の花火のことよりも小さなころに花火を見に来たことの思い出がいろいろと蘇ってきます。
今回の花火大会は1時間ほどのものでしたが、愛知川という小さな町で、128回を数えるような花火大会が続けられていることはすごいことだと思います。主催者側が持ち出して地元を盛り上げるためにイベントを続けておられる姿勢には、テレビなどでの商ビジネス化したボランティアを超えたものがあります。
子供のころには、年末には中仙道の商店街の大売出しがあったり、地元のお祭り行事というのは、子供のころの特別な思い出となって残っていくものです。大人になってからの自由な気分で見物するより大きなお祭りよりも、子供の頃の地元のお祭りというのは大事なものです。
今は花火を見るだけで十分で、子供時代に夜店で売られているカブトムシやくじ引きに熱くなれたのが過去のこととなり、花火大会への胸躍る気持ちも小さくなってしまったことを自分自身に対して寂しく思います。一方、夜店で買ったおもちゃを自慢げにしている子供たちをみると、まだまだ、日本の活力はまだまだあるぞと感じます。
熱中時代というテレビ番組が昔ありましたが、熱中できることがあることは本当に幸せなことで、熱中できない人たちばかりになってしまえば、職人さんというのがいなくなってしまい、良いものは作れなくなってしまうだろうと考えます。
今回の花火大会は1時間ほどのものでしたが、愛知川という小さな町で、128回を数えるような花火大会が続けられていることはすごいことだと思います。主催者側が持ち出して地元を盛り上げるためにイベントを続けておられる姿勢には、テレビなどでの商ビジネス化したボランティアを超えたものがあります。
子供のころには、年末には中仙道の商店街の大売出しがあったり、地元のお祭り行事というのは、子供のころの特別な思い出となって残っていくものです。大人になってからの自由な気分で見物するより大きなお祭りよりも、子供の頃の地元のお祭りというのは大事なものです。
今は花火を見るだけで十分で、子供時代に夜店で売られているカブトムシやくじ引きに熱くなれたのが過去のこととなり、花火大会への胸躍る気持ちも小さくなってしまったことを自分自身に対して寂しく思います。一方、夜店で買ったおもちゃを自慢げにしている子供たちをみると、まだまだ、日本の活力はまだまだあるぞと感じます。
熱中時代というテレビ番組が昔ありましたが、熱中できることがあることは本当に幸せなことで、熱中できない人たちばかりになってしまえば、職人さんというのがいなくなってしまい、良いものは作れなくなってしまうだろうと考えます。