リネン日記
運転免許
2022年06月12日
運転免許の期限が6月14日までだったので、13日、14日と予定があり、今日午前中に運転免許の更新に行った。視力検査してビデオを見るだけ感じなのだが、更新している人というのは若い人が多いなあという印象、なんで何だろう。もう車を運転するということ自体が仕事みたいなものなのか、厳しくしすぎたものが、免許センターも今は逆に車を運転してくださいみたいな感じになり始めているような気もしている。
車っていうのは、世界観を広げるとか、手段が広がるとか、自立するという意味とか、自分が他の人の面倒をみるとかにもつながっていくので、スタッフたちにはいつでも車を自由に運転できるようになってもらいたいなあと思っていたりする。特に田舎に住んでいると車がないと買い物に行くのも難しいし、駅に行くのも大変だし、何かをしようとすると車は必須に近い。
車を自分で普段から運転している人というのは、自分が他の人の面倒をみるというのも当たり前に自ずとやっていることが多い、一緒にどこどこ行こうとかいう話になっても、車を持ってない人というのはガソリン代や高速代、駐車場代なんて気にしたこともないだろうし、保険代や車検代などの月々の費用なんかも気にせずに、無料で乗せて行ってもらって楽しかったねえで終わるのが普通だったりする。多くの裏の部分がみえていなかったりして、自分が自分で車を持ったり面倒をみているということはある意味、環境つくるための犠牲をいつも普通に負担している。なんか仕事にも通じるようなところがあって、何かをしようとするときに普段からそういう負担をしている人というのは、ギブアンドテイク的なバランス感ももっていたりする。また、免許の更新なんかは大したことはないけども、車の保守費用なんかは手続き事なのでそういう手続き事などもこなしていることになる。
若いヤンキーやってた人たちが社会人になってからは仕事ができたりするのも、車に憧れていたりしてそういうハードルを若いころから越えていたりすることもあるんじゃないのかと、案外自分の理想を形にしようとすればお金が掛かるのを若いころからやってたから、あと上下関係や人付き合いみたいなものも社会人になってからは上手にできている人が多い。底辺と思われやすい体使ったり力使ったりの世の中を裏で支えるような仕事を普通にこなして実際に世の中に貢献をしているような人が多い。高学歴とか理想系の人は、なんか楽して稼げるようなものを追い求めてしまって自分のためを一生懸命に考えていたりで、学歴社会こそが階級社会形成の諸悪の根源だなあと思えたりもする。
エシカルなことを偉そうに会議でいっている人よりも、地道にオーガニックコットンを育てている人のほうが当たり前にオーガニックコットンの世界では上なのだけども、そういう世界を仕切りたい権威主義の連中というのは、そういうのも見えなくなって評価できなくなってしまったら、自分たちの存在すらもどれほど逆に無駄なのかということも分からないといけない。学者たちからすれば、オーガニックコットンで生計を立てている貧しい人というのは駄目みたいな感覚があるからその子供たちは学校教育を受けてまともにしてあげようみたいな、自分たちがオーガニックコットンの基本すら自分で毎日のこととして馬鹿らしくてやる気もないだろう。サステイナブル、サステイナブルと言いながらも、何百年も続いて来た価値観を変えてしまって、本来のオーガニックコットンの世界をアンサステイナブルなものにしてしまう。コットン栽培も階級社会的だったり奴隷制度的なものだったり、資本主義的なものだったりして、オーガニックコットンの世界というのは本来底辺の人たちを一番上のすばらしいことをやっている人たちとしてみるようなものなんだけども、仕切る人たちが学者や役人たちに替わっただけみたいな、自分がそういうやってる人たちを見下しながら利用しているだけではなんも本質は変わっていない。やっていることがお金を生まないから駄目とか商売にならないから駄目みたいな感覚で、安くオーガニックコットンを仕入れられないと儲からないから、安く作ろうとして安い労働力や生産コストを求めて、従来のやり方を淘汰して従来やってた人を路頭に迷わせ、そういうものを横取りしてしまうから普通の大手のやり方で、実はGMコットンで利益を上げていた大手がGMコットンが叩かれ始めてたのでビジネスチャンス的にオーガニックコットンに鞍替えし始めたというだけのことで、単に売りやすそうなものを安く仕入れようとするだけの普通の世界。
たぶん、日本の大阪にある綿業会館の人々のほうが、綿100%にこだわっていて繊維の世界からすればまともだけど、ポリエステル混ぜてオーガニックのこの何十年かのオーガニックコットンの世界は浅すぎてモサントと変わらないような世界、もう昔からの繊維の地道で正直な価値感すらも淘汰してしまうような裸の王様たちが偉そうに国際会議している世界。繊維の仕事を地道にやっている人間なら分かるだろうと思うことも分かってないから怖い。今の国際会議レベルのオーガニックな繊維の世界が、自動車産業の自動運転と同じようなものを求めて利益を上げる感覚、それは本来の繊維の世界の価値感すらも淘汰してしまうようなテクニカルな学者たちが言葉巧みに作り上げる新たな支配制度。もうオーガニックコットンが実際は、敵対していたGMコットンだとしても認証機関自体が、自分たちには現状それを見分ける技術はないから、問題はないみたいな責任逃れを公式にやってしまっているから、今は手広く認証した認証機関が自分の認証の責任逃ればかりばかりで、まだ国際会議やってるのかね。VWのクリーンディーゼルも、環境問題を謳って世界シェアNO1になったけど、テストモードでテスト時だけは排ガス出さないで、購入者が買って普通に走行時には排ガスを20年以上普通に垂れ流していただけのこと。プロたちがユーザーや世界中の人たちを騙してなんぼの構造で、消費者の環境意識を利用して今の車が悪いように言って、無駄に車高く買い替えさせてやってることは昔よりも悪質な業界が消費者を騙すような損得勘定ばかりの詐欺行為。繊維業界が同じことにならないように地道にやってきた人間が注意しないと、にわかに沸いてしまったサステイナブルビジネスはクリーンディーゼルと同じ様にしか思えない。地道にやっている底辺の人を見下して仕切ろうとしている人たちが仕切ってしまっては構想自体が消費者騙しそのもの。モサントの遺伝子組み換えが、オーガニックコットンと名を変えて普及されてしまっても、オーガニックコットンで大丈夫というようなビジネスモデルが世界オーガニックの標準基準じゃあ、地球環境を守る謳いのオーガニックコットン自体が、環境破壊だと敵対していた遺伝子組み換えコットンとどこまで違うのか? 実態がもはや、クリーンディーゼル化してしまっていないか。
有機栽培されたコットンの種を使うのは、インドなんかでは、努力目標レベルまで落ちてしまっていて、遺伝子組み換えコットンがオーガニックコットンと称されて出回ってしまっても、認証機関すらもが判別できないから問題ないと逃げてしまっているようなのが、現実だけど信じて買っている消費者は知らない。インドじゃあ2010年あたりには、認証機関が正しく認証していないとオーガニックコットンの生産量が半減したのだが、輸出された海外の消費者はほとんど知らない。2008年に日本でもオーガニックコットンフィーバーが起こっていたが、2009年、2010年あたりには多くの消費者がブームとして刈っていた。でも、そういう原産国インドの実情を知る消費者は少ない。
車っていうのは、世界観を広げるとか、手段が広がるとか、自立するという意味とか、自分が他の人の面倒をみるとかにもつながっていくので、スタッフたちにはいつでも車を自由に運転できるようになってもらいたいなあと思っていたりする。特に田舎に住んでいると車がないと買い物に行くのも難しいし、駅に行くのも大変だし、何かをしようとすると車は必須に近い。
車を自分で普段から運転している人というのは、自分が他の人の面倒をみるというのも当たり前に自ずとやっていることが多い、一緒にどこどこ行こうとかいう話になっても、車を持ってない人というのはガソリン代や高速代、駐車場代なんて気にしたこともないだろうし、保険代や車検代などの月々の費用なんかも気にせずに、無料で乗せて行ってもらって楽しかったねえで終わるのが普通だったりする。多くの裏の部分がみえていなかったりして、自分が自分で車を持ったり面倒をみているということはある意味、環境つくるための犠牲をいつも普通に負担している。なんか仕事にも通じるようなところがあって、何かをしようとするときに普段からそういう負担をしている人というのは、ギブアンドテイク的なバランス感ももっていたりする。また、免許の更新なんかは大したことはないけども、車の保守費用なんかは手続き事なのでそういう手続き事などもこなしていることになる。
若いヤンキーやってた人たちが社会人になってからは仕事ができたりするのも、車に憧れていたりしてそういうハードルを若いころから越えていたりすることもあるんじゃないのかと、案外自分の理想を形にしようとすればお金が掛かるのを若いころからやってたから、あと上下関係や人付き合いみたいなものも社会人になってからは上手にできている人が多い。底辺と思われやすい体使ったり力使ったりの世の中を裏で支えるような仕事を普通にこなして実際に世の中に貢献をしているような人が多い。高学歴とか理想系の人は、なんか楽して稼げるようなものを追い求めてしまって自分のためを一生懸命に考えていたりで、学歴社会こそが階級社会形成の諸悪の根源だなあと思えたりもする。
エシカルなことを偉そうに会議でいっている人よりも、地道にオーガニックコットンを育てている人のほうが当たり前にオーガニックコットンの世界では上なのだけども、そういう世界を仕切りたい権威主義の連中というのは、そういうのも見えなくなって評価できなくなってしまったら、自分たちの存在すらもどれほど逆に無駄なのかということも分からないといけない。学者たちからすれば、オーガニックコットンで生計を立てている貧しい人というのは駄目みたいな感覚があるからその子供たちは学校教育を受けてまともにしてあげようみたいな、自分たちがオーガニックコットンの基本すら自分で毎日のこととして馬鹿らしくてやる気もないだろう。サステイナブル、サステイナブルと言いながらも、何百年も続いて来た価値観を変えてしまって、本来のオーガニックコットンの世界をアンサステイナブルなものにしてしまう。コットン栽培も階級社会的だったり奴隷制度的なものだったり、資本主義的なものだったりして、オーガニックコットンの世界というのは本来底辺の人たちを一番上のすばらしいことをやっている人たちとしてみるようなものなんだけども、仕切る人たちが学者や役人たちに替わっただけみたいな、自分がそういうやってる人たちを見下しながら利用しているだけではなんも本質は変わっていない。やっていることがお金を生まないから駄目とか商売にならないから駄目みたいな感覚で、安くオーガニックコットンを仕入れられないと儲からないから、安く作ろうとして安い労働力や生産コストを求めて、従来のやり方を淘汰して従来やってた人を路頭に迷わせ、そういうものを横取りしてしまうから普通の大手のやり方で、実はGMコットンで利益を上げていた大手がGMコットンが叩かれ始めてたのでビジネスチャンス的にオーガニックコットンに鞍替えし始めたというだけのことで、単に売りやすそうなものを安く仕入れようとするだけの普通の世界。
たぶん、日本の大阪にある綿業会館の人々のほうが、綿100%にこだわっていて繊維の世界からすればまともだけど、ポリエステル混ぜてオーガニックのこの何十年かのオーガニックコットンの世界は浅すぎてモサントと変わらないような世界、もう昔からの繊維の地道で正直な価値感すらも淘汰してしまうような裸の王様たちが偉そうに国際会議している世界。繊維の仕事を地道にやっている人間なら分かるだろうと思うことも分かってないから怖い。今の国際会議レベルのオーガニックな繊維の世界が、自動車産業の自動運転と同じようなものを求めて利益を上げる感覚、それは本来の繊維の世界の価値感すらも淘汰してしまうようなテクニカルな学者たちが言葉巧みに作り上げる新たな支配制度。もうオーガニックコットンが実際は、敵対していたGMコットンだとしても認証機関自体が、自分たちには現状それを見分ける技術はないから、問題はないみたいな責任逃れを公式にやってしまっているから、今は手広く認証した認証機関が自分の認証の責任逃ればかりばかりで、まだ国際会議やってるのかね。VWのクリーンディーゼルも、環境問題を謳って世界シェアNO1になったけど、テストモードでテスト時だけは排ガス出さないで、購入者が買って普通に走行時には排ガスを20年以上普通に垂れ流していただけのこと。プロたちがユーザーや世界中の人たちを騙してなんぼの構造で、消費者の環境意識を利用して今の車が悪いように言って、無駄に車高く買い替えさせてやってることは昔よりも悪質な業界が消費者を騙すような損得勘定ばかりの詐欺行為。繊維業界が同じことにならないように地道にやってきた人間が注意しないと、にわかに沸いてしまったサステイナブルビジネスはクリーンディーゼルと同じ様にしか思えない。地道にやっている底辺の人を見下して仕切ろうとしている人たちが仕切ってしまっては構想自体が消費者騙しそのもの。モサントの遺伝子組み換えが、オーガニックコットンと名を変えて普及されてしまっても、オーガニックコットンで大丈夫というようなビジネスモデルが世界オーガニックの標準基準じゃあ、地球環境を守る謳いのオーガニックコットン自体が、環境破壊だと敵対していた遺伝子組み換えコットンとどこまで違うのか? 実態がもはや、クリーンディーゼル化してしまっていないか。
有機栽培されたコットンの種を使うのは、インドなんかでは、努力目標レベルまで落ちてしまっていて、遺伝子組み換えコットンがオーガニックコットンと称されて出回ってしまっても、認証機関すらもが判別できないから問題ないと逃げてしまっているようなのが、現実だけど信じて買っている消費者は知らない。インドじゃあ2010年あたりには、認証機関が正しく認証していないとオーガニックコットンの生産量が半減したのだが、輸出された海外の消費者はほとんど知らない。2008年に日本でもオーガニックコットンフィーバーが起こっていたが、2009年、2010年あたりには多くの消費者がブームとして刈っていた。でも、そういう原産国インドの実情を知る消費者は少ない。