リネン日記
普通の麻布
2022年07月19日
昭和から平成に代わったころですら、産地で麻布を織って成り立たせるというのは難しくなっていたのは事実で、一部の人を除いては、麻布を織るとか作るとかが当り前のことではなくなり面倒なことのようになって、海外の人たちが麻布を生産するようになって当たり前に追い越していった感がある。
それも悪くはないことなんだろうともうのが、先代の昭和のよい時代の経営感覚で、国内での生産が難しくなり、他の大手などが国際化の時代の流れの中で、日本の大手繊維企業がコスト10分の1の海外生産。変わることのできない先代も含む経験者たち。海外の10倍の世界を自分たちが生み出さないと通用しないのだけども、実績に驕りがあると、普通に仕事していれば、そのまま続くみたいな感覚で、自分たちが向かている方向も見えず難破船が地球の果てに向かって最後、地球の端の海の果てから落ちてしまうような状態。
それが見えていたからなんとか私も崖から落ちる寸前まで先代の面倒を見ながら日本のモノづくりが海外のものづくりの10倍凄いを取り戻したい気持ち。経験者たちが簡単な問題も超えられなくなって新しい人たちを見くびっている間に普通のものを一生懸命につくるも出来なくなってしまっては、日本の大手企業が海外生産で日本市場を独占するしかない状態で一生懸命な海外に追い抜かれていくのは当たり前のことで、日本の繊維が国際的な評価もあったのもそういう差が歴然と存在していて、そういう差が考え方の差から生まれるということ。
私も、中国のテキスタイルメーカーから見学に来てほしいという話をいただいて、数社見せてもらったけども、それはもう日本の小さな機屋を普通に超えていて、一つ二つ特別なものが作れるような話ではなく、いろんな種類のものを開発して扱っていつでもつくれるような状態。今の日本の織物企業がそういうことができるのかというと、難しいだろうなあと自分のことと重ねながらも思う。
一つ一つが仕事なのだけどもそれを乗り越える力が日本の現場にあるのかというと、日本の現場が普通の麻布もつくるのが難しいのがあったりして、織物製造の全体的な分業とも絡んだり、日本のアパレル業界の分業的な部分と絡むと、普通のものだけに絞って流すのが無難だったりもして、それは日本の昭和の時代のモノづくりで、今の海外の量産の世界と被ってしまう。
織物の真ん中にループが出来てそれが解決できないとか、途中で糸切れで端まで糸が届かないが解決できないとかが、普通の経験者のレベルだったりして、そういう現場の経験者がもつ基本的な問題をわかって解決してゆかないと仕事をすれば問題だらけで成り立たせるのも難しい話。若いものが解決すると角が立つとか、聞く耳持たないとか、人間関係で仕事やってる経験者は本質が見えずややこしかったりもする。
そういう経験者の方ほど、今の普通が難しく、そういうのを解決できないと成り立たせるのが難しいというのが何十年も前からの日本の麻織物の課題の一つ。何十年もやってきたことが海外でも普通に正しくできるようになったときに、その上のものづくりが当たり前にできるのかどうかのというところ以前に、外の世界との競争みたいなものに危機感があるのかどうかというところ。
できなくて当たり前、わからなくて当たり前、やっといて、では駄目で、できて当たり前、分かって当たり前、自分がやって仕事というような感覚が普通にないと、繊維じゃなくても普通に仕事としては成り立たない話。世界という広い目で見れば、仕事を欲していて注文をもらって仕事をこなしてだから仕事があるみたいな話は普通のことで、海外の展示会などに行くと林与はテキスタイルメーカーなのに、現地の業者の人たちが自分たちは織物がつくれるから作らせてほしいとか、自分たちの生地を買って日本で売ってくれと頼んでくる業者さんは本当に多い。最初自分たちが私の布を買う話から始まっていつの間にか自分たちの布を買ってくれみたいな、変な流れで自分は生地を売る側なので、買うことはしないけど、仕事を欲していて仕事を取って自分がすることに対しての海外の人たちの熱心さは海外に仕事が流れていく原動力だろうと思う。
それも悪くはないことなんだろうともうのが、先代の昭和のよい時代の経営感覚で、国内での生産が難しくなり、他の大手などが国際化の時代の流れの中で、日本の大手繊維企業がコスト10分の1の海外生産。変わることのできない先代も含む経験者たち。海外の10倍の世界を自分たちが生み出さないと通用しないのだけども、実績に驕りがあると、普通に仕事していれば、そのまま続くみたいな感覚で、自分たちが向かている方向も見えず難破船が地球の果てに向かって最後、地球の端の海の果てから落ちてしまうような状態。
それが見えていたからなんとか私も崖から落ちる寸前まで先代の面倒を見ながら日本のモノづくりが海外のものづくりの10倍凄いを取り戻したい気持ち。経験者たちが簡単な問題も超えられなくなって新しい人たちを見くびっている間に普通のものを一生懸命につくるも出来なくなってしまっては、日本の大手企業が海外生産で日本市場を独占するしかない状態で一生懸命な海外に追い抜かれていくのは当たり前のことで、日本の繊維が国際的な評価もあったのもそういう差が歴然と存在していて、そういう差が考え方の差から生まれるということ。
私も、中国のテキスタイルメーカーから見学に来てほしいという話をいただいて、数社見せてもらったけども、それはもう日本の小さな機屋を普通に超えていて、一つ二つ特別なものが作れるような話ではなく、いろんな種類のものを開発して扱っていつでもつくれるような状態。今の日本の織物企業がそういうことができるのかというと、難しいだろうなあと自分のことと重ねながらも思う。
一つ一つが仕事なのだけどもそれを乗り越える力が日本の現場にあるのかというと、日本の現場が普通の麻布もつくるのが難しいのがあったりして、織物製造の全体的な分業とも絡んだり、日本のアパレル業界の分業的な部分と絡むと、普通のものだけに絞って流すのが無難だったりもして、それは日本の昭和の時代のモノづくりで、今の海外の量産の世界と被ってしまう。
織物の真ん中にループが出来てそれが解決できないとか、途中で糸切れで端まで糸が届かないが解決できないとかが、普通の経験者のレベルだったりして、そういう現場の経験者がもつ基本的な問題をわかって解決してゆかないと仕事をすれば問題だらけで成り立たせるのも難しい話。若いものが解決すると角が立つとか、聞く耳持たないとか、人間関係で仕事やってる経験者は本質が見えずややこしかったりもする。
そういう経験者の方ほど、今の普通が難しく、そういうのを解決できないと成り立たせるのが難しいというのが何十年も前からの日本の麻織物の課題の一つ。何十年もやってきたことが海外でも普通に正しくできるようになったときに、その上のものづくりが当たり前にできるのかどうかのというところ以前に、外の世界との競争みたいなものに危機感があるのかどうかというところ。
できなくて当たり前、わからなくて当たり前、やっといて、では駄目で、できて当たり前、分かって当たり前、自分がやって仕事というような感覚が普通にないと、繊維じゃなくても普通に仕事としては成り立たない話。世界という広い目で見れば、仕事を欲していて注文をもらって仕事をこなしてだから仕事があるみたいな話は普通のことで、海外の展示会などに行くと林与はテキスタイルメーカーなのに、現地の業者の人たちが自分たちは織物がつくれるから作らせてほしいとか、自分たちの生地を買って日本で売ってくれと頼んでくる業者さんは本当に多い。最初自分たちが私の布を買う話から始まっていつの間にか自分たちの布を買ってくれみたいな、変な流れで自分は生地を売る側なので、買うことはしないけど、仕事を欲していて仕事を取って自分がすることに対しての海外の人たちの熱心さは海外に仕事が流れていく原動力だろうと思う。