リネン日記
暖かくなって
2023年03月17日
3月の後半になって、ようやく春らしい暖かさで、この暖かさというのは春の桜の季節を思わせる。今年の冬は寒すぎた気がした、雪はほとんど積もらず一番少なかったが一番寒かった冬のように思われた。
社会がコロナから解放されようとしている感が出てきた。間接的にはそれは本当に危険なことではあるのだけども、ワクチンよりも感染することで免疫を付けていくような流れになってきている。コロナ禍で、成果勝様式が変わったのを元に戻して行くような動きが出てくるだろう。今までの逆の方向性のことが正しいという風な流れになってゆく、そういうのに対応してゆくこともまた大変なことだったりはする。二つの価値観がぶつかり合って。
コロナで一番くらいに大きな打撃を受けたのが観光と繊維だと言われているが、繊維関係は原材料のかつてない高騰という問題も抱えている。林与の場合もコロナ前からアパレル関係の比率を意図的に極端に落とす方向性で、それまで普通だった展示会受注方式的なアパレルの動きとは離れ、コロナ禍においても現場の仕事は手いっぱいという状況が偶然にも続いて来たのは幸運だった。
普通だと無理だと判断するような織物をどう形にしてゆくのかみたいなあたりも大事で、従来の感覚でものづくりを続けていると問題が多すぎて諦めるような話になるものごとを、お客さんとの話し合いで妥協点を見つけて流していけるように協力をしあうことができたのも、一つの仕事で問題があっても問題が起こったときに解決が難しいような無駄なことに労力を使いすぎない形に移行できたことも、仕事が仕事として成り立ちやすくなったことにつながる。
従来のアパレル業界では正しい物事を求め続けすぎていて、それは正しいことだけどそれをやることがどれだけ無駄な労力を使うことにつながるのかというあたりの問題を、間の問屋さんや生地商社を介さないことで、麻織物の現状的な話を直接生地を使うメーカーの方に知ってもらうことで、問題を解決してゆく糸口を見つけやすくなったような気がする。そのためには、麻織物に関しての従来以上の知識が必要で生地を使われるメーカーの方の理解も必要で、それが特別なものを流していけるような形につながっているのではないだろうか。
林与自身の仕事のスタイルも、通常のものごとが成り立ちにくくなったときにものごとを成り立たせようと進めていけるようなオールインの形そのもので、普通を捨てた仕事観が仕事を生み出しているような部分はあって、昭和の時代の繊維のものづくりではまったく通用しなくなったようなところから抜け出して、知らない分からないであきらめるのではなくて、知って分かってものごとを成り立たせるように進めていくような形だから流していけるようなものを生みだせるみたいな部分。
業務的な感覚やサラリーマン的な感覚ではなくて、限界を持たずにものづくりに思いっきり飛び込んでいくような感覚が、特別な生地を成り立たせていけるようなところにつながる。一方で、普通の限界を超えたあたりだと問題は多くなってくるので、今までは難しかったできるまで待ってもらうようなケースも増えてしまっている。どの仕事も、林与自身だとできるけど他の現場の人には出来ない要素が含まれてしまっていて、その問題は今後も解決できるような形にはならないだろうと思えたりもする。
社会がコロナから解放されようとしている感が出てきた。間接的にはそれは本当に危険なことではあるのだけども、ワクチンよりも感染することで免疫を付けていくような流れになってきている。コロナ禍で、成果勝様式が変わったのを元に戻して行くような動きが出てくるだろう。今までの逆の方向性のことが正しいという風な流れになってゆく、そういうのに対応してゆくこともまた大変なことだったりはする。二つの価値観がぶつかり合って。
コロナで一番くらいに大きな打撃を受けたのが観光と繊維だと言われているが、繊維関係は原材料のかつてない高騰という問題も抱えている。林与の場合もコロナ前からアパレル関係の比率を意図的に極端に落とす方向性で、それまで普通だった展示会受注方式的なアパレルの動きとは離れ、コロナ禍においても現場の仕事は手いっぱいという状況が偶然にも続いて来たのは幸運だった。
普通だと無理だと判断するような織物をどう形にしてゆくのかみたいなあたりも大事で、従来の感覚でものづくりを続けていると問題が多すぎて諦めるような話になるものごとを、お客さんとの話し合いで妥協点を見つけて流していけるように協力をしあうことができたのも、一つの仕事で問題があっても問題が起こったときに解決が難しいような無駄なことに労力を使いすぎない形に移行できたことも、仕事が仕事として成り立ちやすくなったことにつながる。
従来のアパレル業界では正しい物事を求め続けすぎていて、それは正しいことだけどそれをやることがどれだけ無駄な労力を使うことにつながるのかというあたりの問題を、間の問屋さんや生地商社を介さないことで、麻織物の現状的な話を直接生地を使うメーカーの方に知ってもらうことで、問題を解決してゆく糸口を見つけやすくなったような気がする。そのためには、麻織物に関しての従来以上の知識が必要で生地を使われるメーカーの方の理解も必要で、それが特別なものを流していけるような形につながっているのではないだろうか。
林与自身の仕事のスタイルも、通常のものごとが成り立ちにくくなったときにものごとを成り立たせようと進めていけるようなオールインの形そのもので、普通を捨てた仕事観が仕事を生み出しているような部分はあって、昭和の時代の繊維のものづくりではまったく通用しなくなったようなところから抜け出して、知らない分からないであきらめるのではなくて、知って分かってものごとを成り立たせるように進めていくような形だから流していけるようなものを生みだせるみたいな部分。
業務的な感覚やサラリーマン的な感覚ではなくて、限界を持たずにものづくりに思いっきり飛び込んでいくような感覚が、特別な生地を成り立たせていけるようなところにつながる。一方で、普通の限界を超えたあたりだと問題は多くなってくるので、今までは難しかったできるまで待ってもらうようなケースも増えてしまっている。どの仕事も、林与自身だとできるけど他の現場の人には出来ない要素が含まれてしまっていて、その問題は今後も解決できるような形にはならないだろうと思えたりもする。