リネン日記
山の神様
2010年08月01日
皆さんのお住まいの地区に「山の神様」はありますか?今日は、山の神様の日でした。朝から、荒れ果てた感じの雑草を刈って、石を積み上げて作られた小さな祠におまいりしました。この山の神様の由来をやっている誰もが語れないのが不思議ですが、自然に大して参る形なので宗教としては人間が介在しないので純粋なものに感じます。
山の神様みたいな宗教こそが、非常に純粋な気もします。誰かが神様だと思えば神様で御神木であり、他の人からすれば関係のない石と木です。その土地の所有というものも個人の土地であったりとおおらかなところがあり、個人の家にあるお地蔵さんに似ています。林与の前栽にもお地蔵さんのような形の石があり、それをお地蔵さんとして普通の石とは別扱いにしています。
ひとついえるのは誰もがわからないほど長く続いたものであるということです。50年とか60年に1回当番が当たるという類のもので、今年は私の家が当番が当たりました。もしかすると、この素朴さは、有史以前のものかも知れません。
石を積み重ねたところに木が生えているというご本山には、自然のものに神々しさを感じる本質が貫かれている思いがしました。こういう素朴な信仰というものは、途中で人間のしがらみみたいなものが働くことなく、素朴なままに続いていけばよいと思います。
山の神様みたいな宗教こそが、非常に純粋な気もします。誰かが神様だと思えば神様で御神木であり、他の人からすれば関係のない石と木です。その土地の所有というものも個人の土地であったりとおおらかなところがあり、個人の家にあるお地蔵さんに似ています。林与の前栽にもお地蔵さんのような形の石があり、それをお地蔵さんとして普通の石とは別扱いにしています。
ひとついえるのは誰もがわからないほど長く続いたものであるということです。50年とか60年に1回当番が当たるという類のもので、今年は私の家が当番が当たりました。もしかすると、この素朴さは、有史以前のものかも知れません。
石を積み重ねたところに木が生えているというご本山には、自然のものに神々しさを感じる本質が貫かれている思いがしました。こういう素朴な信仰というものは、途中で人間のしがらみみたいなものが働くことなく、素朴なままに続いていけばよいと思います。