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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

テキスタイルマルシェ

2023年06月09日

テキスタイルマルシェというグループで百貨店でのイベントなどに出展させていただいているのだけども、このテキスタイルマルシェという活動は、行動派そのものな人たちの集まりで、その場でどうやったら自分たちの作ったものが売れるだろうかとか、売るため努力に対しても自由度が高い。

林与が、阪急梅田本店でのテキスタイルマルシェに参加したときに、生地を売るだけでなく、リネンのはぎれキッチンクロスをワゴンで売ろうと思いたった。林与の一般のお客様のイメージがリネンキッチンクロスだったりするのもそういう機会をいただけたりするからのところもある。林与の正規のキッチンクロスというのは大きさも決めていて私なりに難のない一級品で、その一方では、糸ムラや生成りの色ムラなどをはじくとはぎれがたくさんできるけども、それを自分自身でどう活用するか、しかも、それは自分の参加するイベントが盛り上がるような楽しみ。

イベントに参加するときに自分自身が考えていることをできるかぎりやってみようと思う人でないとイベントへの参加も業務的に終わってしまう。それが本当に残念なことで、業務的な感覚というのを超えたあたりにお客様の評価があったりもするから、私が思うに、商業的な日本の繊維業界よりも、日本の繊維業界を盛り上げるためのイベントとして、普通では手に入らないレベルの高い物や面白いものを自分たちで提案してゆくというのが、自分が日本でモノづくりしている意義ではないのかと思う。

損得ベースで良ければ、より安くつくれるところを探してそれを仕入れて売るとか、でも、そればかりじゃないのを経験したのが、ストールの件で、海外だと1枚200円でリネンのストールが手に入ったときに、それはたしかにリネン100%のストールだけども、そのストールを見ても、リネン100%のストールという世界。

私自身はリネンストールについて考えてみたい所から始まる。リネンストールとはどんなものが求められるのか理想なのか、私自身、何千メートル以上の生地を自分で加工してみて、たどり着いたのが柔らかリネンストール。それは、海外のリネンストールがすごいということでリネンじゃなく、たぶんポリエステルなストールを見せてもらったことに始まる。リネン100%のタグが付いていても、これは明らかにリネンじゃないと糸ムラすらもないこと、糸をほぐすとふわっと綺麗に繊維が分解、普通考えたらポリエステルなんじゃないですかみたいな。でも、そこでとまらずにリネン100%でそれ以上に柔らかで高級感のある実際にお金の掛かった正直な日本のものづくりでリネン100%のストールを作ろうと動いて、林与のリネンストールというのは一つの世界レベル的なくらいに海外でも評価が高かった。

展示会に出展されている海外の繊維業界の方が展示会のお土産に林与のリネンストールを自分や自分のお土産に買ってくださる。林与のブースに来られた海外のデザイナーの方も、ドキッと驚かれるのがその世界で、日本の繊維業界が繊維の世界で一番っぽいものを作っていないと、繊維業界が成熟した日本市場では成り立ちえない。一般的な商業感覚になればつくるものががらりと変わって普通を追って終わるだけの話。

近代麻布研究家の方も、スポンサーが降りたら、大麻の企画も辞めるだけとか私にいわれるけど、もっと覚悟決めて気持ちもってやらないと麻織物の世界というのは世代を超えた、人々の生活を支えるようなところから来ていて、地道な作業で生み出してきたようなものごと。実際に自分でやっているとものごとが見えてくることが多く、普通のものと良いものの差もものをみる目という要素。

国産の麻織物の200番手を超えるといわれるラミハラのハンカチ1枚をその専門家の方にもプレゼントしたけど、60番手くらいの大麻織物が最高級といわれているのが日本の麻織物の専門家のかた、でも本当に難しい話。それは本当に今の商業的な100番クラスの麻織物のほうが高級な世界。麻織物に対する覚悟の違いで、麻織物というのは世界的には、100番超えていたのが手織りの世界で200番超えすらもあったのが事実。

なぜ麻織物の歴史的な解釈をゆがめるのかすらも疑問すぎるようなところ。なんで60番手クラスの今の時代にどこでもつくれるようなものが江戸時代の最高級の麻織物なのだろうか。昔、地元の組合に展示されていた商家の帷子のほうが、濃紺で絣におられ見た瞬間に超えたクラスの物と分かるものだった。昔の良い麻という感覚は柔らかいとかじゃなくて、最後糊をうってパリっと仕上げるのが大事だったりした。今の時代の感覚で、柔らかい麻が心地よいというのはすごく現代的な解釈で、着物の世界の寸胴的な美をつくるためには硬さやハリが大事だったのである。帷子にしても100年以上の時代を超えて芯のあるようなしっかりとした繊維というのが大事な要素で、それが代々伝わるような布。今の時代だと制服なんかにも昔の人の感覚の名残があって、学生服が軍服的で首の部分にカラーという部分があったりとか。明治の軍人的な流れの名残なのだろう。

昔、麻に求められたのはハリ感やシャリ感だったりして、綿ライクなやわらかいものというのは安物という今の時代の感覚とは逆だったりした。その背景には、普段身に着けるものが藁草履とか、蓑とか、もう、藁ですらも衣類な世界。昔の人というのは肌の強さとかがまったく違った。麻のものが洗濯やくたびれて柔らかくなってきたときには、仕上げ糊を打ってしっかりとさせるのが昔の上等の感覚。



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