for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

善意を煽って利用するだけじゃなく

2023年06月21日

国連のSDGSの動きにしても、善意を利用して金集めに思えるのが残念で、繊維の底辺の覚悟もない環境家とかもトランプさんと同じ儲けレベルにしか思えない。地球を救うためにとか自分が何をやっているのかというのが大事で、扇動家よりも、実際に地道に底辺を覚悟で働いている人のほうが地球環境に役立つのは当たり前。

ある会合で、心配されていたのがドレスコード、林与を誘った人が林与がドレスコードを守るかどうか、別にドレスコードなんて大事じゃないんですというおのが林与の考え方で、ドレスコードにこだわっている時点で、人間としては浅い。服飾の世界にいながらも服飾の世界を支えるためにはドレスコードなんてこだわってたら、江戸時代レベル。

ドレスコードに自分自身がまったくこだわらない林与が、麻織物の世界の最高峰を生み出したいと思っているのが現実で、そういうのが超えた世界だと思う。ほんと人という要素が一番大事で、人という要素を無視して華やかなだけの世界というのはラベルだけで憧れるだけの世界。私自身は、本質志向で、表面的なものには憧れは感じなく、人の内面的なものに魅力を感じ、それがアーティスト感覚だろうし超えたような世界に通じる。人生観や物事に対する価値観が異なれば混じらないほうが良いことも多く混じって薄まってしまうようなことになると面白くないだろうと思える。

普段のビジネス感覚とはまったく違う感覚があるから、特別なものが作れるというのもあったりして、それがなかなか難しくなっているのも今時の話だけども、普通のビジネス感覚に陥りがち。星野新一という作家がいて、恐竜の話が合って、子供たちが恐竜に憧れて近寄るも恐竜は恐竜で子供たちを襲う話。林与が麻織物の専門家たちをそれ本当なのと襲うことも多い。オーガニックやエシカルな人を襲うことも多い。違いは私が本当に作業もしていて限界にしてもすべてわかっているから見たいなところ。オーガニックやエシカル思想っが、階級社会的になるとそれはミイラ取りがミイラになったような状態で、人々の面倒を見たくもない人たちが実際に地道な作業している人たちを仕切ろうとしてボタンの掛け違えが始まる。さらなる重荷が現場には増えて、コットンにポリエステル混ぜたものをオーガニックとか謳い始めたらもう繊維の基本の価値感すらも壊してしまって、どこがサステイナブルなんだろう。

20代の仕事経験1年2年で織物のアドバイザーの人にであったけども、j実際に仕事しているから、その方よりも当たり前に織物の知識があったりもして、その人ができないことでも難しいことでも私が普通に実践して麻布の特別な世界をつくりあげていたというだけのこと。織物アドバイザーとか専門家のレベルでは普通に仕事もまったく難しい話が、日本の繊維業界の難しさにもつながる。

何よりも地力みたいなものが必要で、ひと世代前の昭和の時代の人でも今の時代に繊維の業界は難しい、今の人が日本の繊維業界で動いていこうとすれば、その時代の人を超えた力がないと難しいだろう。サステイナブルの世界にしても、本質的なものを失って右往左往しているような状態で、今ではデニムが水を使うということで駄目なもののように言われるけどもまだ自然に返るだけましだろうと思う。サステイナブルの扇動家たちは結論として、再生ポリエステルは再生ポリエステルとして服を作ればよいだろうと思う。綿100%なら産業廃棄もまだ簡単だが、再生ポリエステルを綿に混ぜた糸を作るだけで、それはもうややこしい産業廃棄物扱いになる。服にしても同じことなのである。

TCと呼ばれるコットンポリエステルは、機能的には悪くない。でもオーガニックだと謳いたいような人がいるというのが不思議で、オーガニックを謳い始めた最初の考え方すらも商業主義にながされて消えてしまっているのが今のオーガニックの専門家たちの世界だったりして、ポリエステルの相手のオーガニックコットンもどこまでオーガニックなのかも今は努力目標的で実際は敵対している遺伝子組み換えコットンである可能性も高くなってしまっている。ラベルが独り歩きし始めているようなビジネスとなって、オーガニックの中での価格競争とか、オーガニックの実態もだんだんと熊本のあさりに近づいてきてしまっている。オーガニックの理想を求める消費者が、オーガニックの謳いの嘘に騙されないことも大事な局面になってくると、オーガニックよりも普通のコットンやたとえ遺伝子組み換えであろうが正直で、オーガニックやエシカルや既存の繊維業界の概念に則しているのではないかと思えたりもする。ドイツであったクリーンディーゼル偽装とオーガニックの行く末が被るようなところがある。オーガニックコットンでは、敵対していたモサント社も、今はバイエルン傘下、オーガニックの世界もあれほど遺伝子組み換えにはNOだったのに、もうNOとは言えなくなってしまうんではないだろうか。

オーガニックにしても自然農法に近い概念だったはずが、もはや自然農法とはかけ離れて、有機肥料使用でとか、殺虫剤不使用、枯葉剤不使用とか、レギュレーションに縛られて、虫のいるような地域ではオーガニックが難しくなり、砂漠地でスプリンクラーや点滴給水とか、栽培そのものの環境すら虫のいないような環境に持ち込まれて、別の無理やりな技術で、資本主義そのものだが、そういうものが自然農法的な小規模のハンドピックされる本来のオーガニックコットンを淘汰してゆくことになる。

まだ、ハンドピックしていた人たちが、トラクターに乗って産業が近代化するみたいなモデルだとまだサステイナブル的で良いのかもしれないが、別の地域で新しい産業としてお金のある人たちが金儲けのためのビジネスとしてそういうレギュレーションだよりにやってしまうと、カネのある人たちのためのオーガニックビジネスと成り果てる。アイロニーちっくな話だが、地球温暖化で地球全体が砂漠化すれば、雨も降らず、虫もいなく、水を止めれば枯れてしまうから、全世界でコットンのオーガニック栽培がしやすくなるのかもしれない。旧来の人たちの生業を守ることこそが大事だったはずなのに、なぜかオーガニックやエシカルを謳いながら、過当競争まで引き起こして自分たちは立ち上がりますと謳いながら販売をしていても、問題が起こればリソーサーから仕入れいているだけとかが販売している人の現実話で、衣料販売が不振になれば商品企画チームの3分の2を入れ替えとか、どこがエシカル?サステイナブルの考えがあるのか?大企業にありがちなカネ至上主義でオーガニックやエシカル、サステイナブルは語ってほしくないが、そういうのがこの10年ほど日本で流れるオーガニック製品のシェアの多くを占めて来た。

一方、オーガニックやっておられる方で、オーガニックは過酷だというのを認識されている方がおられる。ほんとそういう人というのは末端の人の気持ち分かって無理しないとオーガニックの概念は支えられないということを知っておられる。繊維の普通の仕事も同じことで、それを手を抜いて楽にしていこうとすると、もう繊維の仕事自体を続けていくこと自体が難しい話になる。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内