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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

場所

2023年06月25日

商売するのには、場所というのはすごく大事だったりする。何もしなくても人通りの多いところでは商品やサービスが人の目につくが、奥まったところだと人の目に着きにくく、売り上げをつくることは難しい。若いころ展示会に出て、人の流れの少ないところが当たったときに、場所が良くなくて、新しいお客さんとの出会いが少なかったことがあって、もっと良い場所に割り振ってほしいなあと思ったことがあった。その考え方が本当に愚かだと悟ったのは後のことで、主催に近い出展者は、大きなブースで費用負担も大きいけど敢えて奥まったような場所を意図的に自分たちに割り振ってられるようなことを知った。その理由が、奥までの動線を作るためのような全体を盛り上げるためにあえて自分たちに悪い場所を割り振るみたいな考えの方がおられるのを知って、ほんと自分自身は浅いなあと思ったことがあった。

ものを売るだけの商売なら、販売のチャンスにものが売れないと難しいことになるけども、林与の場合は、織物をつくるという大事な部分があって、展示会に出ながらも、そこに一番の力を注ぐべきだろうと思うようになった。売り方にしても商社的な会社の売り方を真似るではなくて、自分自身が作っている立場の人間として、これは良いものですよと伝えるような売り方がよいんじゃないだろうかと。たとえば、それが他社の生地でも私自身がみて感動したならそれは良いものとして、お客さんにどこどこの業者さんがすごい生地をもってられるみたいな話をするとか。手ごろな価格帯の生地を探しておられるお客さんには、他の業者さんの情報を紹介することもある。出来上がった生地がいくらというよりも、製造するのに掛かる手間やコスト、リスクが結局のところ私にとっては生地の値段。林与の問題というよりもお客さんの求める生地の作り方次第でコストは大きく違ってくる。

他の会社のカラーブックで、数メーターから買える生地に慣れておられる業者さんにとっては、生地というのはいつでも手に入ると思われるかもしれないが、ブランドの色とかもうちょっと薄い生地を敢えてそのお客さんだけにつくるとかなると、お客さんがしっかりとした生地を買い上げる企画をもっておられないと話からして難しい。自分が頭でほしい生地を、30cmだけ作って見せてみたいな話をされるお客さんが多いけども、それほんとそれを頼むことの意味を分かっておられないと、次は1着分だけほしいとか、10m20mのサンプル作っても30cmだけ送ってとか、自分がオリジナル生地の企画をするのに売れたら買いますみたいな話とか。林与が自分自身でオリジナル生地を作るときにでも普通に100mとか200mはつくって売る自信があるし、作った生地は在庫として持って販売する努力を売り切るまで努力しつづけるけども、そういう自信のない人の企画というのはアイデアだけの使い捨て企画が多い。

もう10年ほど前の話になるけども、年商何百億円の大手の生地商社が、生地をつくらせて小出しばかりさせて、3年経ってもまだ買取らないので、買取るつもりないんですかときくと、わからないという。買い取るつもりがないなら私が自分で売って片付けますよというと、どうぞといわれる。それで売ったんだけども、また半年ほどしてへっちゃらに出荷してほしいとか言ってくるけど、もう売ってないですよと返事。なんで売ったんですかとか、あわててるけども、その大手の問屋のどうしようもなさ。そういうことがあったので、もう作らないと決めていたけども、絶対にあんなことにはならないから、もう一度作ってほしいと言われて、担当も変わったけども、結局また2年経っても新たに注文して作らせた300mほどもまったく引き取らないから、それが日本の大手の生地商社の中の人の商売感覚。最後また別件でより上のほうの方から電話貰って、その方個人で引き取りはしてもらったが、今後の取引はお断りする話で、そこまでどうしようもなくなっているのが日本の大手生地商社レベルで、日本の繊維業界も元気に見える所が末期状態でリセットが必要ではないのかなあ。その生地を使っているのも、日本のものづくりにこだわる海外でも日本のものづくりを謳う知名度の高いブランドさんだったんだけどもう関わりたくなくなった。

金儲けやものづくりへのこだわりよりも、地道なことを支え合うような精神を大事にしたいなあと思う。今の世の中というのは法律自体がもうボタンの掛け違えで作られすぎて、今の若い世代の人たちはかわいそうに思える。若い人たちほど搾取される立場で、生まれてくる赤ちゃんたちに今の日本のだらしない行政の問題を背負わせてしまうような頽落状態の行政。自分たちの問題を背負わせたいがために次の世代が必要みたいな、どうしようもない感覚で少子化問題議論。生まれてくる子供たちが今の大人たちの問題解決を背負わせる奴隷では可哀そう。少子化問題も対策の機振りしている人たちが少子化問題の元凶だったりもするのが、日本の少子化問題の根の深さ。それは過疎化問題と同じで、自分を譲れない人たちがいつまでものさばってしまっているから、世代交代すらもできずに、ワシの目の黒いうちは牛耳ろうみたいな人ばかりではお話にもならない。牛耳ろうとするのではなく問題解決を自分がやる先頭に立て底辺を覚悟して実践すればよいだけ。偉そうなだけの政治家たちに価値はないどころか、社会問題の元凶そのもの。


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