リネン日記
BTコットン
2023年07月01日
遺伝子組み換えのBTコットンではないかとオーガニックコットンが疑われている事例への、国際的認証機関の返答が、綿花レベルで遺伝子組み換えか否かを見分ける技術は現在のところないので問題ないという返答。それって国際的な認証機関が、オーガニックで遺伝子組み換えを禁止していると消費者には謳いながら、実際には、インドなどでは遺伝子組み換えでないコットンの種子は入手が難しくなって努力目標でしかなくなっているのが実情。
何がいいたいのかというと国際的な認証機関自体が、消費者に謳っていること自体がもはや現実味すらなっているということ。今に始まった話ではなく、2008年のピークから次の年に半減したのは、認証機関が適正な検査をしていなかったということで、2009年2010年にはインドの綿花の栽培量が半減した。オーガニックコットンの意味を否定するわけではないけども、国際的な認証機関の認証もうのみにせずに、消費者目線で警笛をならさないといけないというのが実情なのである。
特に、日本で一番大きなオーガニックコットン系の組織で、数年前まで、理事長やってた人は本当に無茶苦茶なことを電話で言っててびっくりした。私がコットンじゃない合成繊維交じりのものにもオーガニックコットンのラベルがついていますよね(当時はオーガニックコットン100%でないと駄目なとき)、というと、その理事長は、それは企業が勝手にやってるだけだから私の責任ではないと。それが国際認証機関の日本の認定委員も兼ねているから、結局、その程度の認証なのである。ほかにも、エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語を聞いていると眠くなってくるんですとか、私があなたが一番オーガニックのなかでやばいですよ、早く理事長を止めた方がよいですよ、というと、辞めたいけど他にやる人がいないからやっているだけだという答え。そういう方が日本のオーガニックを謳って、セミナーとかで講演をしていたというだけのこと。一番感じたのは権威主義的で階級思想的な考えをもっておられ、そんなボロボロなことを言いながら、オーガニックの代表では駄目だろうと思うが、それが一つの日本のオーガニックのお粗末すぎる実情。その当時の副理事長だったかたにこういう話をするとびっくりされていたが、副理事長の方ですらも、理事長がそんな人だとは思ってもおられず、一緒にオーガニックの啓蒙活動をされてたみたい。その方を取り巻いておられた他の方ともお話するとびっくりされているけど、取り巻いておられる方々にしても、そういう本質も見抜けずに一緒によくやっておられたなあと思う。
オーガニックコットンに憧れる業者の方というのは、それまで普通のコットンを扱ったことのない方が多かったりする。同じように普通のリネンを扱ったことのない方々が、オーガニックリネンを求められて商売にしようとされていたりも多い。そういうのって繊維の世界からするとアプローチが違って、繊維の基本知識もない方がイメージから入ってこられるみたいなあたりで、消費者に正しい知識が伝わるのかとかも心配だったりするところ。
国産と謳われると安心するというイメージがあって、それが海外でつくられたものであっても、国産しか謳わないからどこがどう国産なのかというあたり、百貨店レベルでも危ない橋を渡っておられる業者さんがあったりもして、販売店員の女の子と話しているとすべて国産ですと言われるが、その裏の話をしっているから、販売店員さんにその会社は海外本社の業界では有名な輸入生地業者さんだということを教えてあげる。熊本のアサリのようなことは繊維業界でも普通にあって安い生地にはやっぱり訳がある。別に安くて悪いわけじゃないけども、高く売りたいからすべて国産とか謳ってしまう。
生地の産地にはいろいろな産地が絡んでいる、原料の産地、紡績の産地、染の産地、織の産地、加工の産地などなど、生地の産地要件としては、基本織の産地が、生地の産地となる原則があって、後染めやプリントの場合には、織の産地+プリントの産地とか、林与の場合は、織の産地主義に基づいているから、産地主義を貫いている。林与のように自分自身で仕事を受けて織っている会社からすると、今すでに麻を他の会社に頼まれて作っておられるなら、その織物工場とのお付き合いを大事にされるのがよいのではないかと思ったりする。
機屋というのは日本では絶滅危惧産業で、林与のようによいお客様やチャンスにも恵まれながら、いろいろとものを作って動き回っていても、実際の作業量が多すぎてなかなか成り立たせるは難しい。でも、普通に憧れて本質を見失なってしまえば私が織物をやっている意味も無くなるだろうと思う。ある方が、林与に尋ねられたことに林与さんの特徴はなんですか?と、自分で織物を織っていることかなあとお答え、尋ねられたかたはその当たり前に思われる答えにポカーンとされたのだけども。たぶん、どこどこの糸を使っていますとか、すべて何とかリネンですとかのようなところを求めておられたのかなあと。麻の知識に関する認識が違いすぎる時には、整合することはないだろうから言わないほうがよいのか迷うことも多い。言わないときには林与との仕事としての接点は生まれないほうがよく、接点が生まれると生地に対する情報がその方に正しく伝わるか、また、その方から消費者に正しく伝わるかどうかが重要なポイントとなる。
何がいいたいのかというと国際的な認証機関自体が、消費者に謳っていること自体がもはや現実味すらなっているということ。今に始まった話ではなく、2008年のピークから次の年に半減したのは、認証機関が適正な検査をしていなかったということで、2009年2010年にはインドの綿花の栽培量が半減した。オーガニックコットンの意味を否定するわけではないけども、国際的な認証機関の認証もうのみにせずに、消費者目線で警笛をならさないといけないというのが実情なのである。
特に、日本で一番大きなオーガニックコットン系の組織で、数年前まで、理事長やってた人は本当に無茶苦茶なことを電話で言っててびっくりした。私がコットンじゃない合成繊維交じりのものにもオーガニックコットンのラベルがついていますよね(当時はオーガニックコットン100%でないと駄目なとき)、というと、その理事長は、それは企業が勝手にやってるだけだから私の責任ではないと。それが国際認証機関の日本の認定委員も兼ねているから、結局、その程度の認証なのである。ほかにも、エシカルなことが面倒だとか、国際会議でなまった英語を聞いていると眠くなってくるんですとか、私があなたが一番オーガニックのなかでやばいですよ、早く理事長を止めた方がよいですよ、というと、辞めたいけど他にやる人がいないからやっているだけだという答え。そういう方が日本のオーガニックを謳って、セミナーとかで講演をしていたというだけのこと。一番感じたのは権威主義的で階級思想的な考えをもっておられ、そんなボロボロなことを言いながら、オーガニックの代表では駄目だろうと思うが、それが一つの日本のオーガニックのお粗末すぎる実情。その当時の副理事長だったかたにこういう話をするとびっくりされていたが、副理事長の方ですらも、理事長がそんな人だとは思ってもおられず、一緒にオーガニックの啓蒙活動をされてたみたい。その方を取り巻いておられた他の方ともお話するとびっくりされているけど、取り巻いておられる方々にしても、そういう本質も見抜けずに一緒によくやっておられたなあと思う。
オーガニックコットンに憧れる業者の方というのは、それまで普通のコットンを扱ったことのない方が多かったりする。同じように普通のリネンを扱ったことのない方々が、オーガニックリネンを求められて商売にしようとされていたりも多い。そういうのって繊維の世界からするとアプローチが違って、繊維の基本知識もない方がイメージから入ってこられるみたいなあたりで、消費者に正しい知識が伝わるのかとかも心配だったりするところ。
国産と謳われると安心するというイメージがあって、それが海外でつくられたものであっても、国産しか謳わないからどこがどう国産なのかというあたり、百貨店レベルでも危ない橋を渡っておられる業者さんがあったりもして、販売店員の女の子と話しているとすべて国産ですと言われるが、その裏の話をしっているから、販売店員さんにその会社は海外本社の業界では有名な輸入生地業者さんだということを教えてあげる。熊本のアサリのようなことは繊維業界でも普通にあって安い生地にはやっぱり訳がある。別に安くて悪いわけじゃないけども、高く売りたいからすべて国産とか謳ってしまう。
生地の産地にはいろいろな産地が絡んでいる、原料の産地、紡績の産地、染の産地、織の産地、加工の産地などなど、生地の産地要件としては、基本織の産地が、生地の産地となる原則があって、後染めやプリントの場合には、織の産地+プリントの産地とか、林与の場合は、織の産地主義に基づいているから、産地主義を貫いている。林与のように自分自身で仕事を受けて織っている会社からすると、今すでに麻を他の会社に頼まれて作っておられるなら、その織物工場とのお付き合いを大事にされるのがよいのではないかと思ったりする。
機屋というのは日本では絶滅危惧産業で、林与のようによいお客様やチャンスにも恵まれながら、いろいろとものを作って動き回っていても、実際の作業量が多すぎてなかなか成り立たせるは難しい。でも、普通に憧れて本質を見失なってしまえば私が織物をやっている意味も無くなるだろうと思う。ある方が、林与に尋ねられたことに林与さんの特徴はなんですか?と、自分で織物を織っていることかなあとお答え、尋ねられたかたはその当たり前に思われる答えにポカーンとされたのだけども。たぶん、どこどこの糸を使っていますとか、すべて何とかリネンですとかのようなところを求めておられたのかなあと。麻の知識に関する認識が違いすぎる時には、整合することはないだろうから言わないほうがよいのか迷うことも多い。言わないときには林与との仕事としての接点は生まれないほうがよく、接点が生まれると生地に対する情報がその方に正しく伝わるか、また、その方から消費者に正しく伝わるかどうかが重要なポイントとなる。