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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

あるブランドさんに行ったときに

2023年10月13日

問屋さん経由で仕事をしていたときに、あるブランドさんにいったときに、ブランドの人と問屋さんの若い人が仲良く話をしていて、問題が機屋の問題だみたいな結論が出来上がっているようなのが伝わってくる。その問屋さんの若い人も業界の大手で経験を持っておられ仕事の感覚がボケ過ぎててやはり2年ほどで去られていったのだけど、そのブランドの方も緊張感がないのは、私のほうが若かったのでまさか社長とは思っておられなかったのだろう、林与の麻生地がそのブランドの基準には満たないということですねとおっしゃられて、その問屋の人とそれで問題が解決すると思っておられる感じ。後で私が社長だったのに気が付かれたかで、神妙な電話をされてくるけども、あの軽い乗りでオリジナル生地が簡単にできると思っておられると高品位な糸というのは綺麗であるがゆえにわずかな糸のフシでも目立つ、光沢感などなくなるが安いボコボコの糸を使えばそういうの目立ちにくく、林与も成り立ちやすいが、それは安物をつくる世界で糸を下げて他を産地の一級のとかもったいない話で、4分の1とか5分の1の値段で手に入る綿麻の糸に置き換えればできないことはないけども、出来上がった布をみて、それを喜ぶ最終のお客さんがどれだけいるのかという話で、業者的にはそれに満足しても、目の肥えた高級ブランドのお客さんの目というのは普通のありきたりの生地ではシビアな結果になるだろう。

ほんとサラリーマンな世界が広がっていて、自分が生地のことを分かろうともしていないのが広がりすぎている空気でやってるんだろうなあと感じ、私はそうですか、そうですかと反論もしない。議論もしないと分かってもらえないというのは残念で、議論もしたくない。その問屋の人にも電話で噛み合わないので、一つの着分サンプルつくるのに10万くらいはコスト掛かってますよと普通の話をすると、20年やってて初めて知ったとかいわれて、それでも1円でももらったら仕事は仕事だとか、その人が偉そうに言ってるからこりゃあもう相手にしたら全く駄目な人。

でもそういう人がぐるぐると繊維業界を転々としているというのが普通で、自分が自分のお金を使う覚悟もなく、問屋だから機屋よりも偉いのが当り前みたいな感覚で、その問屋の大手商社との仕事も林与が大手に相談されてその問屋を間に挟みたくないからといわれるのを、その大手商社に口座が作れるように調整するのも、何代もいろんな商社が着物を扱っていた時からとかの付き合いのある機屋の役割だったりもする。

問屋さんにも間に入ってもらうのは人の情けみたいなところで成り立っていて、ブランドのものづくりを資金面で支えるのも問屋ではなく機屋の仕事。問屋さんが自分で生地を買えれば別だけども、何百億もの生地商社でも何年も買い取りもせずに、引き取らないのですかと尋ねると、ハイみたいな答えで、それじゃあ自分で売りますからと売ると今度は、その人が半年後位になんで売ったんですかとか、ボロボロのボロボロが年商何百億円の生地商社。それでそのあと林与がその会社との取引をしないことに決めてるのに、次は絶対に買取も約束しますからと言って100万円くらいの仕事だったけど、つくったら結局、担当も変わって引き取らない話に、2年経って、部長クラスが電話してきて海外のプロジェクトで特別なものをみせたいからみたいな話だけども、御社との取引は問題がありすぎるのでと断る話で、その100万円くらいの生地もその部長が自分の倉庫に入れる形で解決。田舎の機屋のほうが何百億円の生地商社よりもものづくりを背負っている話で、その生地にしても世界に日本のものづくりを発信する有名なブランドの注文なのだけども、裏は日本のものづくりをどこまでも苦しめてしまってそういう日本のこだわりのブランドが成り立っているだけのこと。ブランドの人も問屋と付き合う時には、そういうの分かってないと、問屋さんにお金のことも考えずに気軽に宿題出されると本当に迷惑で。

林与と関係のない問屋さんが、林与がそのブランドのものづくりに関係していることを知って、そのブランドから宿題をもらったのだがわからないから、ものづくりを教えてほしいと。えって、なる話で、自分が、できない、わからないなら受けたら駄目だよ。でも、問屋さんというのはその程度で、自分がサンプルを作る費用も考えずに受けてしまって来る。生地の世界は、ゼロからのものを作ろうとすれば100万くらいは試作や叩き直しに使うこともあるのが普通で、それを無料で機屋が頼めばやってくれるとか考えていたりが個人の消費者未満の感覚で商売したい問屋さん。

その方にも、林与の織物の世界じゃない話だけども、林与もそれなりにその世界も1度やってみようと業者とも話を煮詰めたこともあったので、そういう知識をその人に教えてあげるけども、何十万も試作に用意できるのかというあたり、宿題貰った問屋レベルではやはりブランドさんの求める答えを出すというのは、経験も資金面でも無理な話で、ブランドのものづくりは末端だと思われてる機屋とかが技術面資金面で支えないと無理な話が普通。

私にある方が、会社で決済が難しい案件で自分が20万とかのお金を建て替えてまでやってるんだよみたいな話されるけど、それ聞いてその会社だとすごいのかもしれないけど、自分で会社や仕事している者だったら普通にやってることだよという。スポンサーが逃げたら私もやめると言っておられた徐福をまったくご存じの無い研究家の方にも、もっととことんの覚悟しないと駄目じゃないんですかという。すごく気になったのが、徐福の名前を聞いたこともないというのが本当に不思議すぎて、ある大学の服飾の歴史の先生は徐福知ってますかと聞いたときに秦の始皇帝の時代の中国の人だともちろん知っておられた。

私が織物の歴史をたどったときにそれが日本人の歴史にたどり着いて、徐福が神武天皇で皇室の始まりだろうとする説を私は支持している。そうでないと日本の弥生時代や弥生文化がどこから来たのかとか説明がつきにくい。日本の神道にしてもなぜ大麻なのかも説明がつきにくく、そこにはインドに7年留学した徐福の存在があると考える。その時代はアショカ王の仏教がインドで広まった時代で、その影響を受けて後の平安時代の仏教とも非常に整合性のよい日本神道の形で、仏像や寺院の建立や皇族の出家など昔の皇族は仏教信仰の側面があり、仏教というのは家の代々の先祖を大事にし、神道では地域社会の先祖を地域が大事にする違い。土着の弥生時代以前の宗教や山の神さま、海の神様で、自然の木をご神木としたり、石を積んだものを社とするなど先祖崇拝的ではなかったろうと思われる。弥生時代にもちろん漢字はあっただろうがそのほとんどが記録として残っていないのも、秦の始皇帝の追手から逃れるために末代に徐姓を名乗るなと言い伝えただけでなく、痕跡を隠すために文字による記録を取らせなかったかあるいは焚書的なことを行ったのだろう。
動物化や化け物化した日本の昔話などもあれは人々を苦しめる支配的な存在に対して、庶民は善良で正しく生きていればいつか報われると諭したのだろうと思われる。


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