for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

開業

2023年10月18日

自分のビジネスを始めるというのはかっこよいイメージだけども、やるなら右から左の転売的なものが成功率は高いだろう。ものづくりというのは開業補助金などの対象になりやすいし、地場産業系のものづくりと絡めたプランというのは地域も地域文化存続のために必要としていたりもするけども、林与のやっているような織物の仕事というのは、無店舗物販業の10倍くらいの負荷があるだろうと思う。

物販業においても店舗や人員を抱えるだけで、その負荷は2倍3倍になっていくだろうけども、モノづくりというのは、人(技術)、物(設備)、金(資金)と呼ばれるようなものが揃わないと難しいし、その半年とか掛けて長い道のりで作られた織物を、作ったら買い上げてくれるような業者さんに恵まれていて、定番商品を生産させてもらっているから安定した経営ができるだけのことで、新規の商品アイデア程度のことというのは、たんなる消耗品的なアイデアに過ぎず、どうやってそれを試作して形にして仕上げるのかというプロセスと、どういう形態で流して開発費用などを回収して次の開発の資金を生み出して行くのかというプロセスが成立しないと難しい。

林与というのも不思議だけども、はっきり言って繊維の人間でないから大きな重荷も背負えるところがあって、普通に繊維の世界の感覚だと損得だけに陥って、一回限りの出たとこ勝負的な話になる。実際、それは昔日本が馬鹿にしていた海外のものづくりそのもので、小さいところが損得ベースに落ちてしまったら大きなところの普通の損得ベースと同じ考えでは、難しいだろうなあと思う。おかしな話だけどマイナスも覚悟してとことんなところまでいかないと、繊維業界の10倍の価格差というのはモノを国内で生産して流して行くことは難しい。

生産を海外や国内の一番安いところに移して販売だけだと成り立つ可能性もあるけど、自分で作るようなものづくりが一番意味があって、林与も自分のできないことというのはお客様に迷惑を掛けないように他のところで出来る情報を提供したりして、林与とは関係なくても麻のことで林与を頼ってくださったということに、価格や現実性も考えながら今までも頼ってくださった方が麻関連で成功されることを大事に思って動いてはきた。

滋賀県というのがすべてにおいてどんどんとものづくりが難しくなる事情もありながらも、県の行政機関の方々からも、業者の損得の話じゃない日本の最高レベルの麻織物の世界を作り上げたいような気持で、繊維の人間感覚もない私が取り組んできて、麻業界では新しい感覚で日本の麻の価値観を守ろうとする麻福さんの北村さんも似ているような気もする。それは北村さんが侍ジャイアンツ的に日本の麻織物のルーツに傾倒されているからだろう、東京から伊勢に移られたのには驚いた、商売じゃないんだなあと思えたり。その点は林与が日本の近代以降の麻織物の世界の江戸時代の技法も再現したいと思いながら与一爺さんでも、多分、戦中に麻織物贅沢品禁止令で手放された1トン2トンの手績みの糸をその60年近く使うつもりもなくても守りたいと思って残している。1970年代の幻過ぎる花王のマルセル石鹸を数百キロでそれがなくなるとすべてが終わってしまう感覚で、花王の幻的なマルセル石鹸でも数百キロ単位で買う覚悟で残してくれた。

林与が日本苧麻業界の最高峰の敵視的な、世界のどこに行っても特別すぎるありえない感覚の日本苧麻業界のものづくりを楽しん頂けるのが、一つの家レベルが覚悟を決めて世界で一番くらいの最高峰が残せたら良いだろうというような気持ちで、それは大手のSPAさんの安すぎる10分の1の世界も自分が10ばい覚悟して日本の麻業界の伝統的に培われた価値観を、仕事を始めた最初の地から伝統工芸士さんたちの限界も感じるも日本の200番台の初めのころの伝統工芸士さんというのは働き始めた20代の林与に絶対的に服従だったのがありがたく、一方で指図ばかりで働こうとしない先代がお前は信用がないからとか、日本の繊維業界の縮図というか日本の駄目を家の中で経験した。

日本の繊維業界の価値観を損得度外視で考えるような方たちとだけ、押し売りもしないし。利益率ゼロでお受けて、その方たちにビジネスでといわれたら、日本の製造業界すらも将来はない。あるかたが林与が24時間うごいて世界的には自由を奪われて最低と思われている人以上に、一生懸命に動いてしるものを馬鹿にしないで見下しもしないでいてくださるのが心の救いで、日本政府がこのような状況では、世界で一番くらいに頑張ってる人たちが、軽い日本政府がモノがして消費者騙しの日本のものづくりの浸透。自分が働く覚悟や人生を捨てる覚悟を国内では食いつぶしているようなあ、まさに国内がジェノサイドそのもののの状態。

田舎の80代の近い人が、隣の家が燃えても自治会に入っていなければ消すなとかで、普通の人間の困った人を助けるよう心すらもがなく思え、そういうのに反論できるようなのが林与だけというのも末路で、その時の自治会長ですらも外の世界でいったら一番駄目なようなことを、有力者と相談してきめるとかで住民には隠して騙してばかり、70代、80代のひとのどうしようもない。末期状態を指摘する話で、過疎化も当たり前だろうなあと思うし、そういう村社会的な有力者市思想を自治会長が見せたら終わりのもわからないと駄目で、自分が生まれてそれなりに責任も被って頭下げて役も受けて来たのに、田舎で自治会長でもしらんわからんぜんぶまかせてあるというような、外の普通の世界からみたら笑えてしまうような状況がなぜ自分が生まれた場所の現実なのだろうか。

普通の議論を公のばですると一言も言えないのに、裏では権威主義で70近い自治会長が自分の利益可愛さに隠して汚いというのが、田舎の末路過ぎて、そういうの若いものを軽く見すぎてそういうのほんとやめようよと思う。若い人たちは苦しみながら田舎でしらんわからんでいきている年配者を支えているのに、それを食いつぶそうとするような年配者や村社会構造というのは日本社会のどうしようもない縮図そのもの。厳しい話だけど、ほんと食いつぶして生きてゆくとうのが田舎の末路で、育んで育てていくような人の芽を摘んでいく。林与にしても50過ぎていてもっと若い人たちに力をもって譲っていかないといけないと思っているけど、70,80代の人たちが力を握って譲ろうとしないような組織というのもいつまでそんなことをやってるんだろうと思う。任せられたという外の業者が一切手を引く話で来たが同世代で可哀そう、集落のいい加減な年配者が自分のことなのに知らん分からん業者にまかせてあると責任から逃げているのにそういう裏で隠して汚いことやってる責任被って窓口やらされて、林与じゃなく普通の若い人だとそういう汚いことやる連中につぶされちゃうんだろうと想像すると、集落という組織も一度リセットして綺麗に再スタートが必要で、表で和の精神とか隣近所とかいって他の家の若い者に説教してるようでは最悪で自分の家のものは好き勝手のわがまま放題させてたりとか。

林与もなにかをやろうとするときに、助ける力も持っておられる方がいてくださってその方が無理になっても、明日は難しいと言われながらも林与をサポートくださった別の方とか、ほんと1円のお金も考えずに林与が動いて特別なことにいるのも理解いただいて、お話をしていてもすごく温かい人生観みたいなものがつたわってきて、田舎にありがちな駆け引きや下衆な脅しで仕切ろう見たいなのは一切なくて、価値観の一致みたいなところでのすべて分かってくれている人たちが林与を支えてくれてたりで、感謝でしかなく。

林与が、展示会に出るときなども林与というのは展示会傘下の中では一番くらいに小さな会社なのだけどもそういうのを支えようとして動いてくださる主催の方の温かいお気持ちでいろんな展示会にも出展させていただけたし、そういう方々というのはサラリーマン的じゃなく、苦労して夢を育もうとされている方々で、そういうのに本当に支えられてきたから、そのときまでは接点の少なかったある方がおっしゃってくださってたのだけども、林与は特別あつかいが不思議だと。その方に頼って海外の展示会での通訳の方を探しているので助けてほしいと頼むとその方のお友達の繊維業界にも精通した最強レベルの方で、その翌年にその方がスケジュール的に無理なので他の方をご紹介いただいてもその方にしても本当に良い方で、その次の方も良い方でみたいな連鎖。ほんと林与は恵まれていると思った。

林与が覚悟をきめていて外の人が全力で助けてくれていても林与の内の人がそういうのを理解できていないと、そういう方との力の違いすらも理解が出来て居なかったりで若い人をそういう展示会に連れて行くことも難しいのも、若い人が思っているのが自分のことで、そういう外の力のある人たちというのは自分のことじゃなく他の人を助けようと日本の繊維業界を盛り上げようと全力の気持ちの方たち。自分のために動いている人の価値観というのは強すぎて他の人を支えようとして動いている人を攻撃までしてしまうところがあって怖いのも現実で、能力のギャップの大きさ、覚悟のギャップの大きさ、答えが出せるか出せないかのギャップの大きさ、価値観のギャップの大きさ、というのは埋まることのほうが珍しく、最初から出来る人は教えたとおりにやろうとするし出来ることが多いし、いつまでも出来ない人は教えてくれたらやるというけどやり方がわかってもそのやり方をやらないというようなはっきりとした違いがあったりする。

若い人たちにとって気の毒なのは、今の繊維業界は昔と違って昔以上に激戦区で、誰もが働けるような場所ではなくなっていて、何十年の経験者でも通用することが難しく、そいう人たちを軽く抜いてゆけないと携わることは難しい、それは私自身も感じてきたことで、実際にやってできないと駄目だし、仕事の厳しさみたいものに普通に耐えられないと地道な作業だから難しいが、好きなことをやりたいとかいう感覚だと逆に最初から無理で余力作って好きなことをやるみたいな感覚でないと仕事としてはやらないほうがましのことが多い。繊維の現場というのは軽く見られがちだけどもすごく負荷が高く、高い能力が要求されるのが現実で、麻織物においては、縦横先染めで麻織物をつくれるところというのは日本では本当に限られていて、普通に見える麻織物でも国内でつくるのが難しくなっているのは現状。

それは技術的な問題じゃなく、千メートルの生産というのがなくなったから。いわゆる小ロット多品種化的ジャストインタイム的な妄想があるけども、それは、数メートルをつくるのでも100mを作るのでも変わらない手間が必要で、多工程にわたるものづくりでは難しく、たとえば、電気や自動車のような組み立て産業だとまだ仕入れ先に在庫を持たせて成り立つだろうけども、生地のようなどこかで失敗が起こると全没になりやすく、ショートもしやすく、全部やり直しになる世界では難しい。1kgの重さの織る前の染糸にしても、フェラーリと同じくらいのkgコストだし。普通のリネンのバルク買いする糸でも、ハイエースとkg単価は同じくらい。染代も糸代と同じくらいは掛かるから。一番安い糸でそのあたり。

日本のものづくりをどんどんと難しくしていった。国内で問屋経由で大きな相手の仕事があるかのように見せてサンプルや試作だけ作らせて、データをすべて提供させて海外で本生産をするような業者さんも大手では多かったりもするし、海外で本生産で失敗すると国内に本生産が仕方なしに戻って来るみたいな話は織物業界では腐るほど聞く話。

ある産地の方が産地の振興を思い、熱い思いをもって1000点とかのサンプルを海外の商社さんに送られた、天然繊維100%のものは発注がなく、複合繊維のものだけが発注が入ったと正直な話。100%のものは糸も同じ色に染めてまた柄も同じようにおって、海外で複製して量産が作られてしまっているんじゃあないだろうか。その窓口の商社がしなくても、その商社のお客さんがいいなとおもえばサンプルを欲しいとサンプルを手にされて、従来の系列で作られていることも多いだろうとは思う。創意工夫してつくったものがすぐに真似して流れることも多く、特殊な染の糸なども林与が生地を作って売れるとなると、それを聞きつけた他の産地の商社から糸を売ってほしいといわれ糸を売るのだが、そのあとは地元の工場を調べて林与の完成したものを日本の他産地ですら真似ようとして来られるから、自分が仕事を生み出そうとしても生み出しても、開発費も使わずに真似をする業者さんのほうが安く作れる。


ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内