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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

能登地震

2024年01月01日

地震が起こった、揺れでの倒壊のほか、大津波警報が出され、東日本大震災の教訓を生かし、とにかく自分自身の安全を大事に高台に逃げてくださいと、いわゆる避難優先で、火災など起こっていても行政も自警団なども一斉に避難するような形。マスメディアなども取材のために中をあまりうろうろすることもなく、地震で被害者を最小にするために高台への避難という避難対策。

適切に思える住民に対する避難誘導がとられて、あの揺れの規模から津波で多くの命が奪われるのを警戒しとりあえず逃げるマニュアルに縛られないスタイルに変わったのを感じる。報道機関にしても報道優先ではなく立ち入らないようにしながらの報道体制で、取材や記者会見優先ではなく国民の命を守るための報道体制が取られていてるように思う。

九十九湾では船の沈没が確認されているというが、たぶん、津波の影響だろう。だが、船の持ち主も逃げて人々は安全ということなら、人々が船を守るために立ち上がるというような行動には出ないほうがもちろん良いだろう。本当の大きな災害時に、一つの方向性で日本中がまとまっているのがよいあたりで、大きな災害時にはこういう形が自然で一番良いのだろうと思う。

津波が来る可能性があるという大事な情報が伝えられたのもよいことで、昔の日本なら人々をパニックに陥れるということでそういう大事な情報は伝えられなかったりもした。今はそういう情報も行政が報道機関に封じることもなく、あぶないからめいめいが早く逃げろという普通の行動がとれる社会に変わったと言える。こういうのが災害時には大事なことなんだろうと思える。

災害に比べれば人の力の小ささみたいなものは歴然としていてすべてを放棄して逃げることも大事で、現場に人々を放り込んで誘導や対応をさせるとかよりも、諦めて全員が逃げるということが大事だろう。一番自然な無理のない方法で命を救うことが大事で、自分自身がその場の状況を判断できることが災害時には非常に大事。災害時、非常時、緊急時には、ルールや方法よりも結果が大事だから結果優先での判断と行動が大事だろうと思う。

東日本大震災では、防災無線や広報車や消防車が、津波が来るということで高台への避難を呼びかける中で、逃げた子を校庭に呼び戻したり、子供を学校に引き取りに来た親に落ち着いてとか、校庭に40分もそのままで、避難場所にしても川沿いの場所を目指したなど、教師の判断が甘いというよりも、組織として、防災に対するマニュアル的な意識の甘さが出てしまった。犠牲になったのはマニュアルを守らされた側で、マニュアルを作った人たちは想定外だったというありきたりな逃げ。津波がくるまで、防災無線が大津波が来ることを伝え高台に逃げろと言っても、時間が何十分もあってもその意味がわからないというのは現場の教師の責任というのではなく、日本社会の問題。今回の地震では、そういった古い日本的な体質が人命重視に改められたのを感じ、避難ルールに縛られることのなく個々が逃げることが許されるようになった。体制や組織的重視の考え方から、人々の命を守るための現実的な防災意識へと大きく改善したと思う。


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