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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

希少性

2024年01月04日

2000年にもなるともうアイリッシュリネンの糸が世界中探しても全く手に入らなくなったように、また、国内でも麻の先染め織物というのは本当に希少に近い世界になっていたりもするけども、そういう実体というのはなかなか伝わらないことも多く、普通の麻生地の2倍とか3倍高いだけでも高いと思う方というのは多かったりで、日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産地でも、産地で特色のある先染めの麻布を織ることは本当に難しくなっている。

林与が、すべての作業を一人でもこなせるというのは、本当に珍しいケースで。そういう形でないとモノづくりの現場を残していくということは難しいだろうと思う。71歳で廃業された小幅織物を得意とされていた工場の社長も最後一人ですべてのことを行われていた。白生地が多く、縦はほとんど限定的で、定番の物ばかりだったのが、林与とは異なる部分だけども、その方をみていて大変だろうなあと自分と被ったりもした。

林与も今、50過ぎて細番手の黒い糸の織物を織るのが、糸の強度、糊付けなどとの関係もあって糸切れが多くてこずることが多くなってきた。普通の職人さんの5倍くらいは縦切れを直すのでは早いだろうけど、縦が黒い色の織物というのは、縦が白の織物よりも何倍も手間が掛かっていたりする。林与の麻織物の特色の一つは、濃い黒、濃紺で、黒や紺は色が深いことが、着た時の涼しさだけでなく、見た時の涼しさにも影響をする。そして高級感にも影響をする。ただ、麻100%の黒とか紺というだけでなく、麻生地の手本となるような布を生み出したいなあと。本場の産地産というだけでなく日本の高級麻織物の高級なテイストが、林与の四代に渡るものづくり。

私自身が社長になった15年前からは、麻織物により特化して、麻100%の生産が生産のほとんどになった。高級なものがうれないといわれた2000年以降のデフレでも、特色を薄めるのではなく、失われた高級な麻の世界をもとめようと、アイリッシュリネンプロジェクトや、超細番手リネンプロジェクト、超太番手プロジェクト、リネンデニムプロジェクト、シャトル織リネンプロジェクト、リネンキッチンクロス、リネンハンカチ、リネンストール、高密度リネン織物、近江上布柄プリントプロジェクト、リネン藍染プロジェクト、リネンハニカムプロジェクト、しが応援ファンド事業、オーガニックリネンプロジェクト、ネットショップ、海外展示会出展、テキスタイルマルシェ参加など、まだ40歳手前で、先代が亡くなったことで、封印していた自分の理想的な麻織物のものづくりと販路の開拓。古い考えを引きずりすぎた昭和の良い時代の考えじゃなく、自分でやりたいことをとことんやっていくみたいなスタイル。もちろんそのためには既存のお客さんの仕事もこなすことで、やりたいことのための余力を生み出し、新しいことをやっていく。それまで先代がいたことで先代スタイルでやりたくでもできなかったことの、8割くらいは実現できたのではないかと思うし、麻織物の世界というものをとことんに経験することができたことは良かったと思う。単に企画したというだけでなく、自分自身が作業の多くをこなして問題を解決してお金と時間と体を使ってたどり着いた。

普段の仕事でも普通の人が逃げるような作業もおおいけども、プロジェクトを成し遂げて実際に販売できるような生地を生み出すということは、なかなかハードなことだけど、とりあえずいろいろと覚悟決めて動いてみることが大事で、普通のサラリーマンの時間から時間の感覚というのが全くなくなるし、いろんなことが自分がやろうと思えばできる。ものづくりメインでやってはいるけども、多くのそれぞれの分野のプロの方とつながることもできて、疑問に思っていたことなど、一番詳しい方から直接話を聞くことも出来る。とことんやれば3年くらいで普通のサラリーマン職人さんが一生に経験する10倍くらいの経験は可能だと思う。現場の職人さんが織機を直せなければ、自分が代わりに直すしかないし。織れないと判断が出た時には織れるように調整をやってみるしかない。そういうのやったことで、普通だとそれ以上前に進まないものごとが前に進んで、特別な織物の世界が広がる。

若い人たちが、織物の世界に飛び込んでも、なかなか難しいのは仕事に対する覚悟の問題だろうと思う。一番キツイこと、難しいことを自分が率先してやるのが当り前みたいな繰り返し。楽に生きたい、何も考えず幸せに生きたいと思う人が増えれば増えるほど、それを支えるための人が必要になるが、そこを考えない見ないだけみたいな。お金を必要とする宗教や政治じゃなくて、お金を必要としない宗教や政治が必要で。そういうお金を宗教や政治のえらいさんについていって楽になりたい人が増えれば増えるほど、世の中は、荒んで、カルト的や村社会的な感覚に陥って、外の世界が敵になり従わないものは滅んでしまえみたいな。

日本の補助金もなぜ、道義的に意味があるかより収益率重視な指標で判断して、日本の補助金の母体を支えるためのような存在なんだろうか。税金使うなら利益を度外視で意義のあることに使わないと意味がないのになぜか収益率重視で、金儲けばかりに走る企業がさらに補助金で金儲けに加速、政治がモラルがないのは分かるが、ボランティアを美しいとしながら、なぜ、あなたはボランティアをしていますかが加点で、全く真逆な、収益が重視の補助金とか。行政の国民が奴隷で捧げることを求めるようなことしてては駄目やとおもうよ、税金集めてそんなことしてたら、でもそういう感覚というのは普通に多い。

小さな組織なんて現場主義でいいじゃないかと思う。とくにエコとかエシカルとかいう概念では、それがなぜかお金が裏で動くようなルールばっかり。吸い上げたいだけの本質的な問題が日本には多すぎて、自分の命を守るために自由に逃げることができるようになっただけでも、震災のころの感覚とは変わったと思って良かったなあと思う。JALの乗務員たちに従う理由は一番最後に逃げる覚悟のある人たちだから、今回も機長と交信ができないCAの判断でドアが開けられ、機長の指示をまっていると。そういうのも想定して訓練もされていて訓練の範囲内だったのだろうとは思う。

でもそういうマニュアルを作る人が責任転嫁して人の命よりもマニュアルの方が大事でマニュアルをまもらなかったからで責任追及して責任逃れでは一番駄目なやろうと思う。日本の税制がそのていどの吸い上げで、政党や政治家たちが裏金ばかりで正しい税務申告もしいていない。批判しているロシアや北朝鮮と同じ構造を日本の政治家たちが当たり前に思って政治で、日本の政党や政治家もロシアも北朝鮮も同じ構造そのものではないのか。民主主義の根底を日本の政治家が法治国家で法律を無視しながら奴隷階級の国民には手間が掛かりすぎことを強いる。林与は株式会社で消費税は今も納税しているのでそれほど手間が増えることはないけども、内職とかの人が適正納税事業者となったときには、内職仕事よりも納税処理のほうが難しすぎて仕事を辞めるかたも出てくるだろう。ルール作っているのにそのルールが生み出す問題を解決しようとせずに、そのルールができたことであらたな問題が生まれそれをルールを強いられる人が解決しないといけない。


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