リネン日記
そばの種撒き
2010年08月25日
今日は、朝5時半起きで6時半のラジオ体操に参加してその後、自治会の青少年育成会の役員として子供会のそばの種撒きを手伝いました。そばの種というのは赤黒く三角形の形をしています。そばといえば、長野のそば道場を思い出します。
そば道場で自分でそばを打てば、美味しいそばが食べられるというのが売りの教室なのですが… 私は極太麺が美味しいだろうと考えて最後、蕎麦を2倍くらいの太さに切りました。ぶっかけそばのような感じで食べたのですが、お互いに美味しいねえとお互いのグループのそばを試食したときに、だれもが無言になるような、美味しくないものだったのです。材料が同じでも、味がまったくほど異なるということの発見です。これはリネンの布つくりにも共通しています。織り方や加工方法で、さまざまな表情にリネンが変わります。
そばの種を撒きその成長を見るだけでなく収穫し、最後には、子供たちのためにそば粉を挽き蕎麦を打ち、種から食べるまでを眺めるので、ものづくりに接する絶好のチャンスなのですが、全てが用意されすぎていて、子供たちは簡単だなあと思うに違いありません。こういう行事というのは主催している大人や高齢の皆さんのためにある行事なのではないかと思うところも大きいですが、子供たちの自主性を尊重することが必要で、子供たちには、物事の本質的なことを教えないと逆に駄目だろうなあと個人的には感じるところもあります。
そば道場で自分でそばを打てば、美味しいそばが食べられるというのが売りの教室なのですが… 私は極太麺が美味しいだろうと考えて最後、蕎麦を2倍くらいの太さに切りました。ぶっかけそばのような感じで食べたのですが、お互いに美味しいねえとお互いのグループのそばを試食したときに、だれもが無言になるような、美味しくないものだったのです。材料が同じでも、味がまったくほど異なるということの発見です。これはリネンの布つくりにも共通しています。織り方や加工方法で、さまざまな表情にリネンが変わります。
そばの種を撒きその成長を見るだけでなく収穫し、最後には、子供たちのためにそば粉を挽き蕎麦を打ち、種から食べるまでを眺めるので、ものづくりに接する絶好のチャンスなのですが、全てが用意されすぎていて、子供たちは簡単だなあと思うに違いありません。こういう行事というのは主催している大人や高齢の皆さんのためにある行事なのではないかと思うところも大きいですが、子供たちの自主性を尊重することが必要で、子供たちには、物事の本質的なことを教えないと逆に駄目だろうなあと個人的には感じるところもあります。