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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

田舎の難しさ

2024年07月12日

滋賀県で交通税なるものが検討されていて、滋賀県の人のほとんどというと日常の交通インフラは自前的で、自転車やバイクや自動車が必須。バスや電車というのは、利用者も少なく便数も1時間に1本あるか程度。公共インフラというと、JRが高いと言われることがあるけども、田舎の鉄道というのはその倍以上したりして、それでも利用客が少ないものを存続のために成り立たせようとするよりは、別の交通手段を検討してゆくべきではないだろうか。

なぜ、田舎でバスや電車のアクセスすらもそもそも悪いのに、さらに交通税が掛かるとかは、無理なことを無理してやりすぎで、ボタンの掛け違えが正せないという問題に通じる。田舎の山奥の学生でも、高校に通えるなどを考えると、電動自転車での通学を許可するなど、今の時代の流れに沿った改善も田舎だと必要だろうと思う。

時代の移り変わりに個レベルが対応できるように行政も個に対してもっと自由をみとめればよいのに、昔からの成り立たせるのも難しくなって何十年のことをこの先も何十年負担を掛けて続けてゆくのか?田舎だと車は必須で、車がないと買い物に行くなどにしても社会的な生活はほぼ難しい。電車があっても、電車に乗るまでに、別の交通手段が必要で、林与にしても、車で能登川まで行って駐車場に駐車して、そこからJRでとか、新幹線に乗るときにも米原まで車で行って注射してそこから新幹線とかで、別の選択肢としては、自分自身で車で東京や大阪にいくのと同じくらいのイメージ。

これは国内だけでなく国内移動のほうが海外出張よりんもお金が掛かるというのも普通のことで、中国に飛行機乗っていくにしても国内費用のほうが高いこともありがちで、国内というのは本当にボタンの掛け違えの連鎖そのものがづついていて、より苦しくなるような法律をつくるのに議論や審議で生活はどんどんと苦しくなってしまうだけのこと。交通税をとるなら逆にワンコイン化か無料にすれば良いやんと思うが、利用者にも都市部以上の負担を強いて、裏でそれを支えるために税金を取って、それが田舎の居合わせにつながるのかというと苦しむだけの田舎社会がさらに苦しくなるだけのこと。

田舎の人が我慢体質なのを行政も利用してはダメで、行政の人間がうすっぺらい国の都会的な基準だと、そのしわ寄せというのは田舎の不利な人たちが被ることになるだけで、この交通税なるものは、田舎をより苦しくするようなボタンの掛け違えの連鎖。インフラも十分じゃない滋賀県が成り立たないからインフラ税を強いているようなもので、それはまともな感覚なのかと思う。他力本願と、県民負担での搾取で成り立たないようなものを法制化して続けよう見たいなだらしない感覚では駄目だろうと思う。田舎行政が本当の覚悟魅せないと駄目なのだけど、田舎行政を謳いながら中の人たちは都会感覚では駄目で、田舎の人たちが欺かれるだけの話。


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