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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

話がかみ合わない

2024年11月05日

すごく当たり前だと思っていたことが話がかみ合わないというか、言っていることがまったく分からないと言われたことがあって、分からないはずがない本当に分からないのかと思ったりもしてたのだが、その謎が解けた。それがパソコンが使えるか使えないかみたいなあたりが、ものごとの考え方にも強い影響があるのだと気が付いた。

林与は自分で書類を作ったり、みんなの話した結果をまとめたりいろんなことを書類化するのが得意で、検討や指摘や変更や話し合いをするのがものごとをするときの当たり前のプロセスとなっている。けども、昔の会合などをみると書類というのは専門家や事務局が作成して、印刷したものを配って中のことが正しいとか正しくないとか議論をするようなステップというのは当たり前でなかったりする。

話し合いなどが前提でみたいな考え方の場合には、話し合いのための資料を準備したりとか、どうしても変更などがともなうので書類から作り直すようなことが必要で、自分で資料をつくることができたりしないとすなわちパソコンが使えないと、話し合いを前提としたものごとの決定というようなことは言ってることがまったく分からないということにつながるのだろうかなあと、言っていることがまったく分からないと言われてもそれは相手に悪意があるとかじゃなく、私のいっていることが本当に分からないのだというのが、解けた気がする。

パソコンが使えるか使えないかで、ものごとを決めるときに話し合いが必要なのか必要ないのかという考え方の違いみたいなものが生まれてしまうというのも、殺生な話だなあと思える。別にパソコンが使えないというのは悪いことでもない。でもその差が人と人が理解し合えないという別の問題を生んでしまう。私なんかは、印刷された文章を読んで、数字など整合性がないと思ったら普通に指摘して直したほうがよいのではみたいなことを当たり前にいったりしてしまうが、そういう指摘をする人というのは少数派だろうとは思う。そういうのを指摘されるのが当り前の日常だからだと思う。織物なんて言うものは、柄割した計算結果が生地になっているようなものだし、小さな傷でもやはり指摘されるような織物の仕事。やった仕事は基本全部記録に取っておかないと同じものをつくるときに再現性なども難しいし、適当にサンプルをつくるなどはありえず、縦本数、縦の柄、横の柄、打ち込みのギアなど記録を取っておくのは当たり前。百貨店アパレル向けは、さらにそこから検査という段階とかをパスしないといけないので、使った色糸の染料の番号だけでなく、どのロットの糸を使ったのかなども、検査が通らないときには、再度織りなおしたときに検査が通るようにどう染めるかとかにも影響してくる。

アパレルや問屋さんなどにはテキスタイルデザイナーがおられるけども色柄までの方が多く、それプラス、目には見えない品質物性的なテキスタイルデザインの部分をサポートしないと、ブランドさんや販路によっては、織って反物が出来上がっても洋服には使えないと判断される大きなリスクがある。百貨店ブランド向けは、材料と確かな技術の組み合わせにこだわるのも、一つでも甘いと全部駄目になってしまうと思うから。

ものづくりで、利益率を上げろとか、在庫を持つなとかみたいな発想があるけども、そんな浅いところでやってたら大きな失敗を拾ってしまうだけのこと。失敗したときに喧嘩になるようなこともしたくないので、失敗はなるべくしないように石橋をたたくような確認確認のものづくり。間に問屋さんが入るとて抜いて安くやろうとするので問題も起こりやすい。たとえば、糸なんかもサンプル分だけ染めて糊付けてとか、そういうのは失敗のもと。ジャストインタイムな話というのは、実際の生産現場では無駄ばかりというのも現実で、それを強いている側は大きな無駄を相手に強いてドヤ顔してることを気が付いていないだけのことで、必要な時に必要な量だけを生産するというジャストインタイムなものづくりがエコとか無駄がなくて地球にやさしいとかは、林与とは話がかみ合わない。


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