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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

ロシア

2024年11月08日

ロシアに生まれた若者たちは、苦しいだろうと思う。戦いたくない戦争の戦地で、正当性もなく昔だったらソビエト連邦の同国のチェルノブイリのあるウクライナの人たちを殺すような立場。チェルノブイリの原発事故にしても、ウクライナの消防の人たちが命を投げ出してソビエト連邦の問題を解決した。それでもまったく評価もなくというのは、下民としての見下しの態度で下民はウクライナに命を投げ出せと多数派が苦しめていたような実情があるだろう。

ベラルーシにしても、独立国家でありながらも・・・。ロシアの言いなりでしかなく、ベラルーシの大統領ですらも国民が人質のような立場で気の毒としか言いようがない。このようなしょうもない問題すらも国連の常任理事国が話し合っても解決できずに、エコとかエシカルとかSDGsというのは、本当に馬鹿らしく、まともな人間を食い物にしてモラルを求めながら、権威主義そのものの一番駄目な国連レベルの現実。

人間としてまともな感覚もなく、人の命すらも守ることも二の次になって戦争を正当化して意味があるのか?戦争が起こっても、死ぬのは下民だという国家主義、それは一番駄目で自分が前線で戦うのが当たり前の覚悟がないと国家元首としてもダブルスタンダードで、愛国心すらもない卑怯者の極み。でも、そういうのが国連レベルで、世界中で人が多くなくなっていく。国連もまともな感覚にならないと世界中が集まってSDGsとかは、国連自体が一番駄目な組織でしかなくなる。

アメリカの大統領選なんてものは、平和すぎてどうしようもないほどに思えるが、その平和さが戦争を必要とする原因でもあったりするようにも思える。選挙にしても勝ったとか巻けたとか、そんな感覚でしかとらえられないのがどうしようもない気がする。負けた相手も勝ったものたちが幸せにするのが政治であるはずに思うが、敵と味方の区別でしかないのか。違う価値観の存在を尊重し分かり合うことはできないのか。それでも、アメリカは、共和党と民主党が政権を入れ替わることで、バランスが保たれているようなところがあるのを感じたりもする。

独裁政権みたいな状態こそが一番危なくて、多数派が政治を捻じ曲げないためには、裁判所の独立性が非常に大事だと思う。アメリカの場合には陪審員制度があることでそれが保たれているようにも思える。アメリカにおいては、権力が腐敗したり乱用されたりするということを当たり前に想定もしていて、法の下には誰もが平等の精神という概念がそこにある。ただし、アメリカ国民同士においての話で、国同士においては、アメリカはNO1でないといけないみたいなのが不思議に思うところ。中国に中華思想というものがあるが、それと同じような思想でアメリカも運営されていて、アメリカのNO1を脅かす国というのは悪とみなされる。一方で、アメリカという国は移民で成り立つ国で、さまざまな人種の人たちが集まっていて、そういう思想を形成しているので、多様性のなかでの全体としてのNO1意識なので、まだ安全なのかもしれない。個人の思想の自由を重んじ、全体主義を否定しているところが、一方の考えに傾き始めたとしても、ブレーキが効くことにもつながる。ベトナム戦争なども失敗だったという判断に至っているあたりなども理性的な部分を保ち続けているように思える。

ロシアにおいても、ゴルバチョフのような存在が否定され、プーチンが再びロシアを強く戻したということでロシア国内では人気は高いとはいえる。ゴルバチョフによるソ連の解体によって、どんどんと弱体化が進んで経済的には貧しい国になってしまって、明らかに中国のほうが力を持つようになった。親和派のゴルバチョフがロシアを弱らせたという結論に至っているのがロシアの年配の方たちの一般的な考え方とされる。

自国のことや、権力者を馬鹿にすると捕まるような国というのは、非常に危険で、その点ではアメリカというのは、自由の国アメリカらしいと思える。例えば、国民がトランプを馬鹿にしてもつかまって投獄されるようなことはないだろう。全体主義国家だとそういうことは許されない。今回のウクライナ侵攻においても、ロシアの若者たちが反対を表明するだけで、警察に犯罪者としてつかまるという問題が露呈した。自分自身の考えを表明することすらも許されない国というのは、民主主義的な社会では当たり前の人権という概念すらも保証がないことになる。


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