リネン日記
気持ち
2024年11月24日
物事というのは気持ちみたいなことがすごく大事だなあとおもったりして、逆に続けてゆくためには特別な気持ちを持った人たちが続けてゆくしかないだろうというような形しかないのじゃないかと思う。ゼロから自分で種を蒔いて成り立たせていくようなとか、マイナスや持ち出しでも社会的な意義があるとおもってやっていくみたいな覚悟とかあると、それなりにも継続できるような地盤みたいな考えにつながるのではないだろうかと思う。
社会的にすごいことをやると言いながらも勢いで飛びついてそれが成り立たなくなると自分が損してまでやってられんわみたいなことを言う人が多いけど、それなら最初からやるなよと。近代麻布の方もスポンサーが抜けたらやめるだけというようなスポンサー探しの話。普通の方にはすごいことをみたいな話だけども、なぜか林与というのは商売の方たちと話すると本音が分かってしまう。まったく違う感覚で持ち出しの気持ちでやってるから、儲からんのに何でやるいみがあるんやみたいな人たちがゴロゴロで、そういう人たちはおいしいところだけを取ってるだけのことで本質がなくものごとを続けていくためには危うい。
本当の素顔を林与には見せてくださるのは騙されているよりもありがたかったりして、ほんと話ができてうれしいことである。見下した感覚で私は紡績会社の凄い方と知り合いだみたいなことをいわれ、林与がお会いしたときも、おたく誰ですかと、一人の社会人として大丈夫なのかなあというような言葉で、仕事レベルの感覚もなく上から目線で、自分と接する人がみんな下だとおもっているような方なんだなあと。一般の方に対してもそういう失礼な言葉というのは発してはアウトだろうと思う。麻織物業界じゃあだれも相手にすることもない、得体もしれない違法大麻所持で逮捕されたようなお若い方を持ち上げてしまってとかにつながる。捕まった人は違法に大麻栽培もやってたらしくそれにも文句をいってられたけども、もちあげて仲良くしてたのだから疑われても仕方あるまい。
大麻布が100年も経てばフィブリル化、藁も同じだけども、100年も経てばフィブリル化して、柔らかくなるのは当たり前のことで、苧麻というのは100年経っても、短繊維である大麻布よりもそうなりにくいという性質がある。だからこそ、苧麻というのは、一生もの以上に代々引き継がれても着ることが出来たりする。また、麻布というのは柔らかいことが大事じゃないという、日本の着物の世界における価値感こそももっておられないのが危うい。今時の感覚で昔の麻布を評価しては駄目だろうと思う。近代マフとして薄くて柔らかいものを最高みたいな麻の価値観をつくりあげられたけども、林与からするとまったくそんな価値観は日本の麻の着物の世界にはなかった。
麻の良いものを着てこられなかったのかと思うくらいに日本の麻布の、パリッとシャリっとした価値観が昭和の時代でも引き継がれていたのに。日本の古来からの麻の世界に置いて、やわらかくてふにゃふにゃのものが最高の麻布みたいなのは、林与としては論外そのもの。うすいものでも緻密におられて、しなやかでありながらハリ感やコシ感があるのが上等な麻の定義みたいなものだった。
社会的にすごいことをやると言いながらも勢いで飛びついてそれが成り立たなくなると自分が損してまでやってられんわみたいなことを言う人が多いけど、それなら最初からやるなよと。近代麻布の方もスポンサーが抜けたらやめるだけというようなスポンサー探しの話。普通の方にはすごいことをみたいな話だけども、なぜか林与というのは商売の方たちと話すると本音が分かってしまう。まったく違う感覚で持ち出しの気持ちでやってるから、儲からんのに何でやるいみがあるんやみたいな人たちがゴロゴロで、そういう人たちはおいしいところだけを取ってるだけのことで本質がなくものごとを続けていくためには危うい。
本当の素顔を林与には見せてくださるのは騙されているよりもありがたかったりして、ほんと話ができてうれしいことである。見下した感覚で私は紡績会社の凄い方と知り合いだみたいなことをいわれ、林与がお会いしたときも、おたく誰ですかと、一人の社会人として大丈夫なのかなあというような言葉で、仕事レベルの感覚もなく上から目線で、自分と接する人がみんな下だとおもっているような方なんだなあと。一般の方に対してもそういう失礼な言葉というのは発してはアウトだろうと思う。麻織物業界じゃあだれも相手にすることもない、得体もしれない違法大麻所持で逮捕されたようなお若い方を持ち上げてしまってとかにつながる。捕まった人は違法に大麻栽培もやってたらしくそれにも文句をいってられたけども、もちあげて仲良くしてたのだから疑われても仕方あるまい。
大麻布が100年も経てばフィブリル化、藁も同じだけども、100年も経てばフィブリル化して、柔らかくなるのは当たり前のことで、苧麻というのは100年経っても、短繊維である大麻布よりもそうなりにくいという性質がある。だからこそ、苧麻というのは、一生もの以上に代々引き継がれても着ることが出来たりする。また、麻布というのは柔らかいことが大事じゃないという、日本の着物の世界における価値感こそももっておられないのが危うい。今時の感覚で昔の麻布を評価しては駄目だろうと思う。近代マフとして薄くて柔らかいものを最高みたいな麻の価値観をつくりあげられたけども、林与からするとまったくそんな価値観は日本の麻の着物の世界にはなかった。
麻の良いものを着てこられなかったのかと思うくらいに日本の麻布の、パリッとシャリっとした価値観が昭和の時代でも引き継がれていたのに。日本の古来からの麻の世界に置いて、やわらかくてふにゃふにゃのものが最高の麻布みたいなのは、林与としては論外そのもの。うすいものでも緻密におられて、しなやかでありながらハリ感やコシ感があるのが上等な麻の定義みたいなものだった。