リネン日記
材料
2011年04月27日
ものづくりするときに、材料や工程をどうするかがすごく大事に思います。その辺りが職人の気質です。アイデアというのは、材料グレードを落とすとか工程を減らすとか、本来の職人の気質とは逆の方向に動くことも多いのです。自分の中で工程を複雑に変えるアイデアは実行しやすいですが、工場の中の何十年のベテラン職人ですらもがなかなか面倒がってしまう悪い癖があるので、外部の人にそれを頼むのは今の時代本当に難しいことです。
微妙な違いがどんどんと見えなくなって来ます。作り手が良し悪しを区別できなくなってしまうと安いものほどよく売れて良いという価値観になってきます。ビンテージアイリッシュリネンのストールと、現行の糸で織ったストールとの微妙な違いあるのですが、その価値の差は非常に大きく感じます。
需要がなければというより、買い手が見つからなければ手を出さないというスタイルの商いはリスクは無いのですが、買い手が見つかって手を出してもらったとしても買い手や作り手のほうが困ることが多いのです。日ごろから全体での商品開発が流れていてその流れの中で新しい商品を作り上げていくようなスタイルこそが品質を保つ上では大事ではないかと思います。
今の時代というのは縦のラインがなくなり少しでも安いところを探してつくるのが主流になってきたといえます。それとは別の発想で品質重視でのライン形成を行い、より高いものを生み出すのも、本来のものづくりの基本ではないでしょうか。国際的な展示会に行くと普通の生地であっても、円高もあって同じリネン生地が1mあたりの価格が10倍以上も違うような価格のギャップを乗り越えないといけません。
展示会などに行きましても、ボタン一つ注文しようとすると、セールス専門の方が販売されているので質問すると工場の担当者に問い合わせるというようなケースがほとんどです。ボタンの場合には、ボタンの材質を訊いて、会場で、販売の担当者が頼りなく上司に確認して本物の貝ボタンだと説明を受けましたが天然物には見えんなあと思っていましたが、サンプルを送ってきたときには高品位なポリエステルボタンを製造するのが売りの会社だという話になっていました。貝でもポリエステルでもボタンなんてどっちでも変わらないんだからみたいな。デザイナーさんはデザイナーさんで単独、作る人は作る人で分かれて、販売する人は販売する人、経営者は経営者みたいな。それってお客さんよりも売ってる人のほうが売っているもののことほとんど知らないみたいな状態で、ものが生まれてきているのです。
10数年昔働いた大きな半導体工場で基盤を安定させるために焼くベーキングという作業があったのですが、そのベーキング作業は基盤を安定させるものだとみんなが信じ込んでいるのです。基盤が、すごくすごく薄い場合、同じ時間ベーキングすると基盤が収縮して変形してしまうのです。パン屋さんならベーキングの加減を時間や温度で調節する職人がいないと駄目なのでしょうが、半導体工場ではそのことに気がつく人すらおらず、同じ時間ベーキングするというのが規則になってしまっていました。型番が違っても同時にベーキングされるので、作業員がその品番だけベーキングの時間を調整することなどできず(これはやると収拾が付かなくなるので上のほうがそのことに気がついて作業工程を分離しないと駄目なのです)、その工程の不良率の改善に目を向けられることはありませんでした。
また、自分の部署での改善というのは自分に負担が掛かるので、問題が起こっても自分の部署では工程を変えてまで問題の解決をしたがらないものです。
これは、織物の世界でもいえることかもしれないなあと感じます。改善する方法があっても、手間が掛かるので変えたがらない、結局、普通のものが流れているのと同じ工程でしかものづくりができないので、特殊なものを作ろうとすれば度重なるテストや職人的な技術が毎回必要なのですがアイデアはあってもそれが実現できるかどうかは別問題で、昔の糸、染、織、加工などの技術を再現しようとしても今の時代では難しいのを感じます。でも、逆にそんな時代だからこそ、職人的な人的要素を駆使すれば、普通よりも努力するだけで違う顔のものが作れるという、努力が報われるような時代になってきたのかもしれません。
微妙な違いがどんどんと見えなくなって来ます。作り手が良し悪しを区別できなくなってしまうと安いものほどよく売れて良いという価値観になってきます。ビンテージアイリッシュリネンのストールと、現行の糸で織ったストールとの微妙な違いあるのですが、その価値の差は非常に大きく感じます。
需要がなければというより、買い手が見つからなければ手を出さないというスタイルの商いはリスクは無いのですが、買い手が見つかって手を出してもらったとしても買い手や作り手のほうが困ることが多いのです。日ごろから全体での商品開発が流れていてその流れの中で新しい商品を作り上げていくようなスタイルこそが品質を保つ上では大事ではないかと思います。
今の時代というのは縦のラインがなくなり少しでも安いところを探してつくるのが主流になってきたといえます。それとは別の発想で品質重視でのライン形成を行い、より高いものを生み出すのも、本来のものづくりの基本ではないでしょうか。国際的な展示会に行くと普通の生地であっても、円高もあって同じリネン生地が1mあたりの価格が10倍以上も違うような価格のギャップを乗り越えないといけません。
展示会などに行きましても、ボタン一つ注文しようとすると、セールス専門の方が販売されているので質問すると工場の担当者に問い合わせるというようなケースがほとんどです。ボタンの場合には、ボタンの材質を訊いて、会場で、販売の担当者が頼りなく上司に確認して本物の貝ボタンだと説明を受けましたが天然物には見えんなあと思っていましたが、サンプルを送ってきたときには高品位なポリエステルボタンを製造するのが売りの会社だという話になっていました。貝でもポリエステルでもボタンなんてどっちでも変わらないんだからみたいな。デザイナーさんはデザイナーさんで単独、作る人は作る人で分かれて、販売する人は販売する人、経営者は経営者みたいな。それってお客さんよりも売ってる人のほうが売っているもののことほとんど知らないみたいな状態で、ものが生まれてきているのです。
10数年昔働いた大きな半導体工場で基盤を安定させるために焼くベーキングという作業があったのですが、そのベーキング作業は基盤を安定させるものだとみんなが信じ込んでいるのです。基盤が、すごくすごく薄い場合、同じ時間ベーキングすると基盤が収縮して変形してしまうのです。パン屋さんならベーキングの加減を時間や温度で調節する職人がいないと駄目なのでしょうが、半導体工場ではそのことに気がつく人すらおらず、同じ時間ベーキングするというのが規則になってしまっていました。型番が違っても同時にベーキングされるので、作業員がその品番だけベーキングの時間を調整することなどできず(これはやると収拾が付かなくなるので上のほうがそのことに気がついて作業工程を分離しないと駄目なのです)、その工程の不良率の改善に目を向けられることはありませんでした。
また、自分の部署での改善というのは自分に負担が掛かるので、問題が起こっても自分の部署では工程を変えてまで問題の解決をしたがらないものです。
これは、織物の世界でもいえることかもしれないなあと感じます。改善する方法があっても、手間が掛かるので変えたがらない、結局、普通のものが流れているのと同じ工程でしかものづくりができないので、特殊なものを作ろうとすれば度重なるテストや職人的な技術が毎回必要なのですがアイデアはあってもそれが実現できるかどうかは別問題で、昔の糸、染、織、加工などの技術を再現しようとしても今の時代では難しいのを感じます。でも、逆にそんな時代だからこそ、職人的な人的要素を駆使すれば、普通よりも努力するだけで違う顔のものが作れるという、努力が報われるような時代になってきたのかもしれません。