リネン日記
紙飛行機
2011年05月07日
今日は、朝から家に飾ってある昔の賞状を撮影しました。外は曇り空で、撮影にはよい感じです。撮影した写真は、「昔の賞状」というページにアップしましたのでご覧くださいませ。組合の展示会や、近江商人が立ち上げた商社さん春夏の展覧会で初代の林与次右衛門は高い評価をいただいていたのが伝わってきます。
賞状の紙だけを撮影しようかと思ったのですが、額も雰囲気があったのでそのまま撮影しました。これらの賞状は、たぶん、70年近く家に飾り続けられているもので、昔は京都や大阪のお客様が見えられたときにはデイと呼ばれるこの部屋が商談の場だったのだと言えます。
これらの賞状をいただいたような和装業界が賑わいを見せた日本にとっては繁栄の時代の後、戦争が始まり、近江上布をはじめとする麻織物はぜいたく品として製造を禁止されました。豊かになり過ぎた日本が数年の間に何もかも失い、日本の和装業界も洋装への転換を迫られたのでした。麻織物の禁止が解かれたのが昭和25年だと聞いています。日本の麻の文化であった本麻と呼ばれる世界は戦争で縮小したのですが、北海道などで栽培されたリネンは軍事用途だったので、それほど繊維長を必要とするものではなかったと思うので、想像ですが、今、北海道で栽培が再開され始めているようなリネンシードを取れるようなタイプのフラックスだったのではないでしょうか。
大正15年にいただいた賞状の額を外したときに額と柱の挟んである紙が落ちたと思っていたのですが、それは、私が子供のころに作って遊んだ紙飛行機です。それが30年近くその賞状の裏に止まっていたままになっていたのです。ホコリで真っ黒なので、ゴミ箱に捨てましたが、なんかもったいないので、ゴミ箱から取り戻して賞状の裏に戻しました。
賞状の紙だけを撮影しようかと思ったのですが、額も雰囲気があったのでそのまま撮影しました。これらの賞状は、たぶん、70年近く家に飾り続けられているもので、昔は京都や大阪のお客様が見えられたときにはデイと呼ばれるこの部屋が商談の場だったのだと言えます。
これらの賞状をいただいたような和装業界が賑わいを見せた日本にとっては繁栄の時代の後、戦争が始まり、近江上布をはじめとする麻織物はぜいたく品として製造を禁止されました。豊かになり過ぎた日本が数年の間に何もかも失い、日本の和装業界も洋装への転換を迫られたのでした。麻織物の禁止が解かれたのが昭和25年だと聞いています。日本の麻の文化であった本麻と呼ばれる世界は戦争で縮小したのですが、北海道などで栽培されたリネンは軍事用途だったので、それほど繊維長を必要とするものではなかったと思うので、想像ですが、今、北海道で栽培が再開され始めているようなリネンシードを取れるようなタイプのフラックスだったのではないでしょうか。
大正15年にいただいた賞状の額を外したときに額と柱の挟んである紙が落ちたと思っていたのですが、それは、私が子供のころに作って遊んだ紙飛行機です。それが30年近くその賞状の裏に止まっていたままになっていたのです。ホコリで真っ黒なので、ゴミ箱に捨てましたが、なんかもったいないので、ゴミ箱から取り戻して賞状の裏に戻しました。