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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

文化の違い

2011年08月04日

今朝は彦根での打ち合わせがありました。最近の電子ガジェットらしく期待を裏切らずエクスペリアの調子が悪いんで、電池が充電できなかったりで、私の使い方が雑すぎるのか、昔、アメリカでラップトップパソコンなどが開発されたときに持ち歩いても壊れない一番大事だった丈夫なものという感覚が消え始めているような気がします。日本のノートパソコンなどが小さすぎてちゃちっぽいということで、日本人がものを丁寧に扱うとか、極端なクレームを言わないというのが小型化に貢献してきた一因だったとは思っています。繊細な技術を育むには非常に良い文化です。

麻のものにしても、アメリカではあまり普及しなかったのは、日本では何万円もする麻のシャツというのはドライクリーニング指定されて百貨店で高級品として販売され続けていたのですが、アメリカは他のものと一緒に洗って高温タンブラー乾燥してしまうというリネンにとっては非常に厳しい文化をもっているのです。

アメリカでデニムのジーンズを買うときにお店で自分のサイズに合わせてカットすると大変なのです。アメリカでジーンズを買うときには洗ってタンブラー乾燥すると5cmほど長さが短くなるというのを想定して買わないといけないというのをアメリカ人の友達が教えてくれました。カリフォルニアを中心とする南カリフォルニアの服飾文化がカジュアルであり続けるのも良いものを買ってもメンテが大変だということです。住んでいたアーバインという街では、街並み保存が進歩しすぎていて、電柱の禁止、看板の禁止に加え、洗濯物を屋外に干してはいけないという条例までも存在していたので、全体の総意の結果、リネン文化が栄えるような可能性は低かったといえます。

日本で着物が衰退したのも、国の政策の一環であり、学校に着物を着て行けないような指導から始まっています。そういう刷り込みは、一代で総体としての日本文化が崩壊してしまうのです。善悪よりも、損得勘定で成立させたり運用される法律で縛ってしまって本質を忘れてしまうと、極端な話、日本の独自文化の否定にすらつながっていきます。

普通のものづくりをしていては、普通のものしかできないし、他に頼んでいては、他の人の力量でしかものごとは進まないのです。自分でやるからには普通と違う何かをしないと他と同じ尺度、たとえば高い安いで評価されてしまいます。日本の国にはすでによいところがたくさんあるのにそれを否定要素に変えてしまうかどうかで、その先の方向性なども180度変わって来るのです。


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