リネン日記
盆踊
2011年08月13日
今日は、盆踊大会が東円堂で行われました。この盆踊ももう半世紀近くは続いているようなイベントです。戦後の高度成長のときに、小さな村ながらもたくさんの子供がいて村が子ども会のためにいろいろな行事を計画したのが始まりだろうと思います。
当初、企画した皆さんというのももう70歳を超える歳になられており、そういう皆さんというのはやろうとしたことが周りに声を掛けるだけで気軽にできた時代だったのだと思います。今もその世代の方のほうが多く、東円堂に若い世代があるかというと祭りなどにしても、私が若連中の会長をしていた20年昔でも時代的なギャップがあり、成り立てにくいところがありましたので相当難しいところにきているのではないかと思います。
昔の人の考えを今の時代に合わせてもらうのか今の人の考えを昔に合わせてもらうのか、村の行政だけでなく、行事をするのかしないのかも人の気持ちのギャップの存在が常に問題になるところです。
私自身がこの盆踊の準備に参加した大学1年のころ、ひとつ上のやんちゃ者の先輩が若連中の会長をしておられました。やんちゃ者の人だったのですが、手伝いに行くと偉ぶることもなく、仲間はずれをつくらないために来てくれた人、一人一人に声を常に掛け、作業でも自分が一番自分が理解されていて器用にものを作っていかれるのです。その方も数年後に、夜中、居眠りトラックに後ろから追突され亡くなってしまわれたのですが、この盆踊に参加していても、今も、一つ上のその方が皆に優しくされていたのを良い思い出として思い出します。ものごとがうまく行く、行かないも人という要素がすべてなのかもしれないなあと思います。
当初、企画した皆さんというのももう70歳を超える歳になられており、そういう皆さんというのはやろうとしたことが周りに声を掛けるだけで気軽にできた時代だったのだと思います。今もその世代の方のほうが多く、東円堂に若い世代があるかというと祭りなどにしても、私が若連中の会長をしていた20年昔でも時代的なギャップがあり、成り立てにくいところがありましたので相当難しいところにきているのではないかと思います。
昔の人の考えを今の時代に合わせてもらうのか今の人の考えを昔に合わせてもらうのか、村の行政だけでなく、行事をするのかしないのかも人の気持ちのギャップの存在が常に問題になるところです。
私自身がこの盆踊の準備に参加した大学1年のころ、ひとつ上のやんちゃ者の先輩が若連中の会長をしておられました。やんちゃ者の人だったのですが、手伝いに行くと偉ぶることもなく、仲間はずれをつくらないために来てくれた人、一人一人に声を常に掛け、作業でも自分が一番自分が理解されていて器用にものを作っていかれるのです。その方も数年後に、夜中、居眠りトラックに後ろから追突され亡くなってしまわれたのですが、この盆踊に参加していても、今も、一つ上のその方が皆に優しくされていたのを良い思い出として思い出します。ものごとがうまく行く、行かないも人という要素がすべてなのかもしれないなあと思います。