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リネンや麻を織る日々をつづっています。

リネン日記

東円堂

2012年02月04日

今日は、東京からのお客様が今期の商品開発のご相談にお越しくださいました。4月、5月くらいに店頭を目指される商品開発になり具体的な企画として動いておられますのでお話は非常に早いです。

今、いろいろな麻織物の歴史をたどる過程で、この地域でどうして麻織物が盛んだったのかを考えるにあたり、奈良時代以前からこの地域は開発がなされていて、近江愛知荘は元興寺領であったり、東円堂が興福寺領であったり、近隣の田は、東大寺領であったりと、奈良の影響が強く出ています。

東円堂という旧家が200軒ほどの村に4つもお寺があるのもそういう影響であるのかといえます。4つのお寺もそれぞれの分家とかではないので、東円堂においては寺領の争いのようなものが過去にはあったのではと思いますが、4つの宗派の違うお寺が残ったというのもみんなが共同で農業をしていたということもあって宗派は違えどもそれ以上に農業というのが大事だったのではないでしょうか。また、農業の傍ら冬場の仕事として織物が織られていたと考えることは至極自然のことで、近江の地というのは常に奈良、京、大阪などの都のものづくりの拠点として存在していたように思います。

東円堂は興福寺領だったとのことで、近江湖東麻織物は鎌倉時代にさかのぼるといわれますが、東円堂という地域は、奈良時代に奈良の影響を受け、奈良の麻織物と共通するところがあるのかも知れないと思うところです。奈良の着物向けの織物というのが絶えた背景には昔から近江湖東麻織物が強かったことがあるのかもしれません。私自身、奈良が麻織物で有名なのを知ったのは10年ほど前のことで、なんで奈良で?と思っていたこともあったのですが、地域的なつながりがあることがミソなんだと思います。

この村に住んでいる農業に慣れている、おじいさんたちは本当に器用です。普通サラリーマンの人と比べると、祭り行事などで作業をすると、大人と子供くらいの差がありますので、農業をやっている人というのは基本自分が資本みたいな部分があると思います。今は農業も機械化されてしまっているのでそういう人間の能力の差というのも小さくはなってきています。農業にかかわらず、仕事においては売ることだけでなく、種を植えたり育てるという作る部分こそが大事だなあと思うばかりです。


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