リネン日記
穏やかな春の日に
2012年04月08日
今日は春らしい穏やかなお天気で、18度くらいまで気温が上がっていました。外に出ていると隣のおじさんが孫をつれて散歩されていました。普通の日曜日よりも通りに子供が今日は多いなあと思っていると、豊満神社の春の祭典ということでした。
近江上布の起源は一般には高宮布とされていますが、それ以前の中世に大国の荘と呼ばれていたこの地域は織物が盛んな地域で旗神を祀るとされる豊満神社からしても、高宮布以前から大国庄(豊国地域)では麻織物を織る技術があったと私は想像しています。
私自身は、秦氏というのは一般に渡来人を指すとは思うのですが、やはり、中国の秦に由来する気がしていて、秦の時代に日本に来たという徐福が、日本の織物が飛躍したきっかけではないかと思います。今は国境のようなものがありますが、当時、中国も日本も逆に言うとたどり着けば人との出会いがあるだけというようなものではないでしょうか。土地自体も所有という概念すらなかったといえますので。
中国にしても国の中で今でも言葉が通じないというほどですし、日本国内においても地域ごとに言葉が違っていたので、織物のノウハウにしても血縁関係が広がるにつれて自然と広まったのではないかと思います。春の穏やかな日に古のことを想像してみました。歴史や考古学は文学的であって、人によって捕らえ方が異なり見識が異なってもよいものだと思います。
近江上布の起源は一般には高宮布とされていますが、それ以前の中世に大国の荘と呼ばれていたこの地域は織物が盛んな地域で旗神を祀るとされる豊満神社からしても、高宮布以前から大国庄(豊国地域)では麻織物を織る技術があったと私は想像しています。
私自身は、秦氏というのは一般に渡来人を指すとは思うのですが、やはり、中国の秦に由来する気がしていて、秦の時代に日本に来たという徐福が、日本の織物が飛躍したきっかけではないかと思います。今は国境のようなものがありますが、当時、中国も日本も逆に言うとたどり着けば人との出会いがあるだけというようなものではないでしょうか。土地自体も所有という概念すらなかったといえますので。
中国にしても国の中で今でも言葉が通じないというほどですし、日本国内においても地域ごとに言葉が違っていたので、織物のノウハウにしても血縁関係が広がるにつれて自然と広まったのではないかと思います。春の穏やかな日に古のことを想像してみました。歴史や考古学は文学的であって、人によって捕らえ方が異なり見識が異なってもよいものだと思います。