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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2012年03月21日
今朝は朝一番に東京からのお客様でした。午後にお客様を長浜のDENさんにお送りしました。この冬は、DENさんのオーナーの北山さんにいつお会いしてもアイラツイードのジャケットを着ておられトレードマークになっています。アイラツイード、さすがにインパクトがあります。

イギリスのアイラ島で織られるツイードは昔ながらの風合いを感じさせます。日本の着物の世界の感触に似ています。チクチクゴワゴワな生地ですが、そのあたりが織物の特色となって、今も生き残っているものと思います。あんまり進化しすぎていたら消えてしまっていたでしょう。DENさんでは、日本のお客さんに提案するために生地に手を加えて、風合いをオリジナルにしてから洋服にされているとお聞きしました。

今日は、夜には3月末から働き始められる新入社員の方が関東から引越しされてきましたので、ささやかながら近くの食べ放題のお店で、先月から働き始めた親戚の方と合同の歓迎会です。織物の仕事というのは、普通の仕事と違うなあと思うのです。昔の日本の価値観というものが消えてしまった今の時代では、なかなか続かないというのもよくわかるところなのです。

逆にいうとその厳しさが、日本では残っているので、まだ、日本らしい特色のある織物が少しは続いているように思います。日本の織物が不思議なのは、他のアジアなどの国の織物と織機や材料は共通でも、出来上がったものの品質はまったく違ったことです。今も、昔の織機で高品位なものを作り出す技術が日本に健在であるのが日本の織物の織という部分が生き残っている一面だと思います。
2012年03月20日
シャトル織機のクラッチについている皮のベルトが薄くなってしまったような感じで、ハンドルを運転に入れてもしっかりとクラッチがかみ合わないので、織機が動かないという問題が発生です。実際に、問題点を探してみますと、機械側のクラッチの留めてあるボルトが緩んでいたようで、クラッチと動力側の車の間が広くなって噛み合うのが甘くなっていたようです。締めなおしてあげて直りました。

シャトル織機というのは、振動も大きく、締めてあるボルトが緩むというのは日常茶飯事なことですので、ときどき、メンテナンスが必要です。シャトル織機の場合、常にモーターが回っていて、クラッチが噛み合うことで動力が伝わることになります。レピアの場合は、スイッチを動かすことでモーターに電源が入るので、構造上異なります。

今日は、麻組合から、4月21日から5月3日の間、近江上布伝統産業会館「麻々の店」で行われます「湖国の布」の催しの案内が届きました。会期中、近江の観光をされる機会などございましたらお立ち寄りくださいませ。詳細は、http://www.asamama.com/kaikan/ivent/ivent.html にございますのでご確認いただけたらと思います。

午前中には、染工場に糸を投入して急ぎの分を事務所で専務さんにお願いしました。帰ろうとおもったら社長が声を後ろのほうから掛けてくださり、私が休みの日に働いていることをがんばってるなあ、みたいな感じでいってくださいます。だいたい、休みの日に行くと社長が居られて機械の修理など仕事しておられる感じで会社を守っておられる感じがいたします。

午後には染糸が届いてそれをチーズ巻屋さんにもって行きました。チーズ巻屋さんも、おばちゃんが元気に出迎えてくださり、私の母親が元気にしているのか心配くださっています。何十年か昔は女工さんを何人か使っておられたのですが、今はおじさんが70歳を過ぎても仕事を続けておられ、いつ頼んでも仕事があることをありがたく思ってくださり、いつも支えて応援してもらっている気持ちになります。

何十年も一筋にされてきたので、チーズに巻き上げる仕事の腕は一流で、仕事が早く、きれいです。林与の場合、糸をまとめて染めることが多いので、時には何十年も糸を保管していることがあるのですが、10年たった糸のほうが今の糸以上にきれいに見えるのは、そういう職人さんたちの手がしっかりと掛かっているからだと思います。50年ほど昔の着物のころの麻糸のほうが一つ一つ紙に巻かれたりして今も紙を解くと中から昔のまま出てくるのは、作っている人たちが自分たちでその価値を吹き込んで行ったのだと思えます。

仕事を始めたころ、紡績工場から送られてくる箱のなかの糸がひとつひとつ紙に巻いてあることや、糸の端を結んであることが無駄に思えていたのですが、今、現場も人を減らす一方でそういうことをする人がいなくなってみて、材料の価値が落ちただけでなく、仕事の価値自体も落ちてしまい、最終的には、出来上がるものの価値が落ちてしまう結果につながったのだと思います。

しっかりとした仕事がなかなかできない時代になっているので、昔の人の完璧な作業で残されたものをみると本当に少しの量のものを大事に仕事をしていたことがわかります。これって、機械で自動化して綺麗に見せるのとはまったく違う世界で、たとえば手績みの糸が新聞紙に巻かれていても、何十グラムを一つ一つ新聞にくるんで箱にしっかりと詰めて宝物のように大事にしているのが伝わってくるのです。
2012年03月19日
今日は奈良からお客様でした。つないだあと送るときに縦糸がたくさん切れるトラブルが発生してしまい、思った以上に見本をお見せするのに時間が必要となってしまいました。新しいものを作るときには特に思ったとおりに行かないことなど多いので試行錯誤などが多く特別のことではありません。これから継続していくオリジナルな定番ということですので慎重に動いておくことが必要だと思っています。織りあがった糸の感じなどは予想いていたものに近く、色やピッチの修正だけということで規格が固まりました。

織りあがった見本を見て触っているとさらにものづくりのヒントが見えてきました。たぶん、このヒントの部分を使った商品というものを、新商品として生み出していけるのではないかと思っています。以前から見本自体は人気だったものですが物性などの面でマイナス部分を抱えていた規格の問題を解決ができそうです。

夜には、織機の調整を行いました。ひとつ非常に織りにくい規格があって、前回は上手に糊がついていたのですが、今回の糊の感じが非常に甘く思えて織りにくいのです。作業するときに感じるのは、材料である糸に対してもそうですが、道具などに対しても丁寧さと力加減というものが非常に大事です。織機の部品というのは基本何十年と使えるものなのですが雑な人が扱うと1回で駄目になってしまいます。ネジひとつの締め方の力加減などできる人とできない人とでは雲泥の差です。

ここが大事なところでものづくりに大きな差が出てくるところなのです。人という要素が絡んでくるので、道具の使い方だけでなく糸の扱い方や機械の調整に影響をしてくるので、この人だと作れる、この人だと作れないという差が生まれてきます。理論的にはできることでも経験値というのが大事なのもそのあたりです。

林与の織機が古いというのも麻を織るには別に悪いことではありません。新しい織機というのは誰でも使えるようにできているのでそれが逆に人がものづくりをするという要素を減らしてしまうのです。そうなると、そういう織機を使っている人というのは複雑なことを考える必要がありませんので、作業する人の能力を磨くことができないのです。

実際に、昔のシャトル織機が万能であるといわれるのは、調整箇所がたくさんあるだけでなく調整幅が大きいので一回で織機を台無しにしてしまうような調整も可能なのです。時々思うのに、木彫りのものを手で彫るようなものづくりだなあと思うこともあります。その分、部品が減っても、新しいものと交換するのではなく、調整で部品を使い切るようなことも可能です。
2012年03月18日
彦根の運送会社に持ち込む荷物が合ったので、夕方、久しぶりに、彦根の四番町スクエアのボックスギャラリーに行きました。林与のボックス一個分の小さなギャラリーですが、キッチンクロスなど買っていただいて、次に行くときには在庫の補充をしないとなあと思っています。ここの売り上げはボックスギャラリーに支払う手数料を除いた林与が受け取る全額を東日本大震災の被災者のために、日本赤十字社を通じて寄付をいたします(ボックスギャラリーの1年契約満了の2012年5月末分までの分は寄付させていただきます)。

私自身、ボックスギャラリーの雰囲気がお店らしくなくて好きなのです。フリーマーケットのような品揃えで、売ることや買うことを意識してというよりも、ひとつひとつのボックスが個性があって、ボックスギャラリーに行かれた方にとっては、それが彦根の観光に来たときに出会える特別なスポットとして写るに違いありません。普通の観光地のお店よりも見ていて面白い気がします。彦根を盛り上げたい気分の人たちが運営し出展しているんじゃあないでしょうか。

今日、ギャラリーの留守番をされていた方が、新しくギャラリーのボックスの2つ目借りたい場合に二つ目がどこでも500円引きになるとかの情報をくださいました。林与の場所もそんなに悪くない場所で、良すぎる場所ではありませんので、取り合いの競争にさらされることもなく定住させていただけるのではないかと思っております。また、棚の上部スペースも借りられるそうで在庫をストックするために借りようかと考えております。

四番町スクエアは、まだ、春の桜の時期ではないので、夕暮れで人通りも日曜日としては少なかったですが、プチリッチな空間だなあと感じます。お店なんかもお洒落なお店が多いので流行ってしかるべきなのですが、食べ物屋さんにしても観光客の人たちにとっては夢京橋の通りのほうがやはり入りやすいようで、四番町スクエアはちょっと地元の方向けで学生さんたちのコンパや地元の方たちに活用されていることが多いようです。

夜は、奈良のミルツルさん用の生地の作成に取り掛かっていて、うまく織れそうな自身はありながらも、明日、形になるのかどうかが心配です。他にも、現物で納期のものや、新規の企画のお話などを並行してサンプル作りしています。海外向けのダブルガーゼなども試し織りを重ねています。糸が染まりあがってくると来月ものの納期のものの染めに入ります。
2012年03月17日
今朝は大阪からのお客様でした。お話を聞いていると今年は冬物が何年かぶりに好調に動いたようなムードが漂っているというのはどこもが共通した認識のようです。弊社とは関係はほとんどなくても、そういう明るい話題がないと業界というものは全体としても持たないものです。

朝一番には、仕事関係での知り合いの方からご紹介の電話を頂き、新たな取り組みが他の企業さんと進みそうです。何かをやろうとするときに、何かしらのリスクは伴うことがほとんどですので、そのリスクを逃げてはものは動いていきません。企画というのもボタンの掛け違えでスタートすると、そのボタンの掛け違えの部分を最後の最後になって、最初から直していかないといけないことも多いものです。

リネン日記の最初のころに書いたことがあるのですが、近江商人の代表格である伊藤忠兵は、都に向かう峠である逢坂山がもっと高かったらよいのになあとつぶやいたということです。近江商人なら誰もが成功を収めたわけではなく、質実勤勉だといわれた近江商人の中にも競争があって競争に生き残るためには、自らがリスクを背負って商売をしたところに成功がついてきたのだと思います。

この部分というのは、近江商人の成功を語るときの三方善以外の部分で大事なところだと林与自身は考えています。最近は、三方善の精神が成功のマニュアルのように言われることが多いですが、今の時代はエゲツない商売が多くなって合法なら何でもありみたいな時代だからこそ、経営者の間で免罪符のように三方善がもてはやされる時代になってしまったと思います。経営者がありがたがってそれを目指すものではなく、経営者が丁稚に基本を教えるときに使うのが三方善の精神で、読み書き算盤と同じあたりのものであったはずです。

自分自身で失敗を積み重ねて苦労や損をしながら経験をつんでいくことが大事だと思うのです。そういう意味では、農家の人が自然と闘いながら農作物を自分の手で育てるようなところがどの商売にとっても大事だと思うのです。他の人にゆだねることが多くなればそれだけ自分の仕事ではなくなります。また、他の人の仕事を代わって、自分がすると自分のためにはなっても、他の人のためにならないことも多いものです。経験こそが仕事そのものです。
2012年03月16日
朝は、機能遅くまで織機の動作の不具合を考えていたので、十分に寝られておらず、また、その問題も解決をしておらず、結局、1台で織ることにしようかという結論を出しました。
急いでもらっていたサンプルの反物の加工も今日上がってきて中を確認しながらひとまずそこそこの仕上がりでそれなりに高級感もあるので安心をしました。

昼一番で、染色工場に行って色確認などをして、ひとつの案件を前に進めました。また、L40番手のリネン糸のカラーが大事ということで、ロットのカラーサンプルを取り寄せたりしています。色というのは少し違うとイメージが変わることが多いので、なるべく色を近づけようとするのですが、色が違うと作り上げても最終の製品になったときのイメージすらも変わってしまうので、その糸を使うか使わないか迷うことは非常に多いものです。

色味にしても濃さに関しては許容できることが多いのですが、色の系統が変わると、すなわち、色が赤味にぶれたり、青味にぶれたり、黄味にぶれたりすると、二つの色の差というものは横同士に並べるとはっきりと違う色として見えてくるものです。

途中、新しくひとつの柱にしようと考えている案件の相談の電話をその道の専門の方に入れて、サンプルを見てもらってどうなのだろうかと思いましたが、少し、判断が出るまでには時間がかかるといっておられました。

午後からは大阪から百貨店のバイヤーさんがお越しくださり、小物に関しての件でお話がありました。漠然としたお話ではなく具体的なお話でしたので、比較的、最終的な形が想像しやすく、比較的短時間ではありましたが、なにができるできないということを詰める濃い検討にはなったと思います。

夜は彦根で理事会がありました。
2012年03月15日
今年の糸を見比べると、やはり、昨年の糸よりはだいぶ糸の感じが悪く思えます。本来は一様でないといけない色味ですが、それが一様ではなく、一般的な手芸店においてあるリネンの表情に近づきかねない危惧を感じます。また、硬さもやはり出てきており、昨年取れた原料というものに関しての質の悪さというものを感じます。

昔のリネンがしなやかな時代をしっているので今のリネンとの差というものを感じているだけに、今のリネンと今年のリネンの差というものも同じくらいな差として感じてしまいます。一部のものに関しては、この一年を乗り越えるためには、前年度に買った在庫の糸を使うなどして対応を考えていかないとならないなあと思っています。

生成なんかでも、リネンの色が変わるだけでなく、仕上がった風合いというものが変わってきてしまうのは、天然の原料のものなので作柄なので仕方がないといえば仕方のないことなのですが、こういう年に限って良い原料不足でリネンの価格なども高騰するものです。

気をつけないとならないのが、レモン市場ではありませんが、問題のある糸がぐるぐるとたらいまわしにされることです。リネン糸が高騰すると、糸商さんなんかも安い糸を求めて、スポットで出るものをつかまれたりするとすごく縮みの出る品質の悪いものだったりして、物性の問題などで加工工場やアパレルさんも巻き込んでのトラブルに見舞われることもありがちです。
2012年03月14日
今日は、急いでいる仕事の分を2台に増やして作業をすることで納期を詰めようと準備が整いましたが、職人さんが織機を調節しておりますが、どうも、予定しているのとは違う問題がランダムに発生します。設定はまったく同じでも、こちらの台ではうまく機能して、別の台では機能しない。

単なる間違い探しをすればよいだけのことですが、シャトル織機の問題ですので部品のわずかな消耗や調整がこの問題を引き起こしている可能性は高く、良いところを触ってしまうと、今度はそこのバランスが狂ってしまって、本来の問題を直してもうまく織れないということになりかねませんので、頭を抱えて考えているばかりでそれでは仕事としては駄目な状態です。

仕事というのは、考えているだけとかが一番駄目で、考えたら考えたなりに答えにたどり着くか、何か作業に結びつかないと、少しも問題は解決しないのです。また、織ろうとしているだけで、実際に織れなければ仕事をしていないのと同じで、また、仕事をしても予定通りの問題のないものが織れなければ仕事をすればするほど問題は大きくなります。

こういう時には、昼間仕事をしていても駄目なので仕事が終わってからじっくりと夜に織機を見ます。明日までに直さないと駄目な気持ちで織機の設定を一つづつ確認していくのです。たぶん、これが原因だとわかっても織機の大掛かりな分解を必要とする場合には、思い切ってできないことも時間との兼ね合いであったりします。麻織物を皆さんが止めていかれる背景には、糸に張力がなく、ムラがあるので、糸切れが起こりやすく、織りにくいだけでなく、織機のスィートスポットの管理が、綿の糸と比べるととても難しいのです。特に細い番手を縦に使う場合や無理な規格を進行するときには生産の効率が5分の1から何十分の1に落ちます。

昔から品質を守る上では一番安全な方法をとってものづくりをすることが大事だと考えてきましたが、案外、そういう部分に普通の何倍もコストがかかることを理解してもらえるケースというものは少ないものです。海外の展示会にいっても布が違って見えるのは、少しの違いを生み出すために手間を掛けるということが大事なことなんだと実感します。高くて売りにくくても同じになってしまうよりは、残り続けて織り続けている意味を大事にしていけるのではないかと思います。
2012年03月13日
エコであるということがクローズアップされてきたのは、何年も前からですが、ここに来て本格的になったのを感じます。ブランドがエコであることを理由にセレクトされるケースが次々に見られてきました。リネン自体、昔からある環境に優しいカーボンニュートラルでサステイナブルな素材で土に返ることもでき、一方で、非常に丈夫で、長く愛用することができ、夏場には涼しいということで、夏のエコを考えるときに、昔からの自然の夏の涼を求めるスタイルにはぴったりです。

昔ながらの布つくりのスタイルでは、製造工程も非常にエコではあるのです。高品位なものをつくらないといけない時に色の再現性などの面で、ロット管理は非常に重要ではあるのですが、余った糸はロットごとに残しておき柄物などを作るときに上手に割り振って、できるかぎり使い切ることを常に考えています。

リネンや麻の反物だけでなく、糸も非常に丈夫ですので、保管の管理さえしっかりしていれば捨てることはほとんど無く、非常に長持ちするものです。林与の糸の使い方なども普通とは違って、ファーストインファーストアウトではなく、再現性を重視するためにラストインファーストアウトなことも多かったのが昔の糸がたくさん残る幸運な結果になりました。糸であっても価値を詰め込んだもので、贅沢ながらもその中に大事にする精神があってエコではないでしょうか。
2012年03月12日
今日はほんと寒いです。雪もまた降りました。今日は、新しいマス見本を作ろうとジャガードの紋紙を探していました。ジャガード織機の上はジャガードの機械がついているのですがそこが部屋になっていて、紋紙がたぶん400柄分くらいあります。至るところに平置きにしてある感じで、一応は10番ごとに積み重ねてある感じなのですが、これをなんとかしようと、ビニールの袋に1つ1つ入れてみました。

今までは、紙がばらばらとずれて動かすのなど紋紙を傷めないように気を使っていたのですが、大きなビニール袋に入れたことで番号も識別しやすくなり、紋紙を置いている場所以外のところを整理もしやすくなりました。今までは、棚を作って紋紙を整理したらどうだろうかとか考えていたのですが、ビニール袋に入れる方法が正解のような気がします。

来年の春に向けて新しい紋紙もいくつかは作っていこうと考えています。パリに1週間いたときにも手の開いた時間に柄をいくつか考えてみました。自分で自由に柄組ができる電子ジャガードがほしいなあと思うこともあるのですが、紙の紋紙というのもどうしてこんなのがうまく働くのだろうかと思うところが案外織物らしい味のあってよいものです。

ジャガード織機の利点というのは、大きな柄が作れるだけではありません。ジャガード織機とドビー織機を比較すると、ドビー織機というのは案外癖が出やすいものです。平織りなどでも生機の状態でみますと、4枚ドビーの場合は4本、12枚なら12枚ごとに癖が出るのが普通です。この癖というのは織物加工するとたいてい消えるので問題ないことが多いですが、ドビー織機のもつ開口時に掛かるテンションさによる問題のひとつです。

ジャガード織機というのは、1本1本をコントロールしますので1本1本テンションが違ったりして案外その問題がおきにくいのです。ジャガード織機は、ドビー織機よりもいろいろなことができると思われがちですが、ジャガード織機で平織りを織ることはよろしくありません。原理的には平組織の紋紙を作れば織れないことはありませんが、目飛びなどの問題が起こりやすいので、平織りのものはタペットやドビーに掛けて織るのがよいのです。

ジャガード織機のほかの欠点は、織機の規格を変更しにくいということです。1台の織機の縦の本数を変更することが容易ではありませんので、縦の本数ごとに織機が必要となってきます。吊りを変える作業などは大仕事ですので、通常はひとつの織物を織るために吊りを変えるようなことはしないのが普通です。
2012年03月11日
震災の影響などはほとんど無く幸運な立場ですごしながらも、一年というのが本当に長いなあと思えた一年でした。日本の昔ながらの繊維業界の流れで行くと、この一年の状況というものはより厳しくなっているのではないでしょうか。震災と原発の爆発の影響で、間接的な負担が増えて、日本国内での昔ながらの産業の維持というのは余計に難しくなってしまったと思います。

東北地域には繊維関連の産業が多いので、地震が東北地域の繊維産業を苦しめたと思います。荷物が東北まで届かないとかなると、今の1年の仕事ができないだけでなく、次の1年の仕事が他の地域に振り分けられてしまいます。一度振り分けられた仕事というのは戻りにくいものです。

林与も少しはお役に立とうと上島佳代子先生が企画されましたチャリティーセールの素材を提供したり、ギャラリーボックスの売り上げを義捐金として日本赤十字に寄付するなど、微力ながらも自主的な支援を行いました。



2012年03月10日
ある商売を経営されている方が話をしておられました。普段から自分のところで買っている人にしか災害時には売らないというようなことをいわれていて、普段から自分のところで買うことを薦めておられるのですが、普段の商売に、非常災害を利用されているあたり世間から見るとどうなんだろうかと。

昔、同じようなことを糸を自分から買ってほしいばかりにある糸商さんがいわれていました。糸が手に入りにくくなったときに普段から買っていれば手配するということを言われていたのです。でも、実際に普段でも糸の在庫が切れることが多く実際に危機を煽って自分のものを買わせる商売で、逆にいざというときにはございませんで終わりです。

今の時代、国内の商売の規模というものが小さくなりすぎて大手数社が独占で非常時に対応する能力がないのです。大手企業なんかをみると危機管理しているというものの一番そのもろさが伝わってきます。効率化されたラインを作ったりジャストインタイムで部品調達したり、日本製だと信じていたのにいつのまにやら海外での調達で、海外の洪水の影響で品物が入ってこないという話だったりと。

昨年のフランドル地方のリネンの草の作柄というものも相当悪いと聞いておりまして、昨年の原材料を使って作られる今年の糸に関してはかなり心配をしているところではありますが、心配をしても始まらないのです。自分で使ってみてどうなのか判断して、駄目なら自分で探すなりの解決をしていかないと。
2012年03月09日
今日は海外から新しい原材料が到着しました。これを使って新しい商品の開発を考えています。来年に向けてのいくつかあるうちの一つの商品開発の柱になりそうで最終的に商品にならなくても、その途中の工程での経験というものは他の商品開発などにも役立つものと思います。

今日は夜L40番手のビーカーが上がってきました。3色を新たに色出ししたのですが、小ロットで生産をするためにコスト面なども考えて逆に先染にして対応を考えました。小ロットであることが一番のネックで小ロットで高品位なものをつくるというのは非常に高コストです。

4月の後半くらいまではいくつもの案件が並行して動いており手一杯な状態が続きそうです。海外からの2013年の企画のお話もいただき始めました。ここ5年くらいで作り上げた特殊な表情のものを中心に興味をいただいており、今の時代トレンドに沿ったところではないかと思います。プルミエールビジョンの素材傾向などにもそれは出ているように思いました。

生地を高品質に仕上げるためには人の手が欠かせないといえます。昔は日本でもそれができていたのですが、今はそういう作業工程を途中で入れることはなかなか難しいと思います。昔のものづくりでは、すべての工程においてそういう気配りみたいなものがあったのですが、今は、そういう気配りをする余裕すらも企画の段階で他との比較で必然的に排除されてしまうものです。
2012年03月08日
今日電話で注文をいただきましたお客様とお話していると、国産の生地を探しておられて、国内で作った生地を見つけるのが難しいといっておられ、林与にたどり着いてくださったとのことでした。このことは、自分でものづくりを続けている林与自身も自分自身でつくることの難しさを感じているところではありますので、他のところが自分で織っておられると聞くと難しい時代にがんばっておられるなあと思ってしまいます。

今日は、織れないということでそのままになっていた織機の問題の解決を手がけました。結局、筬を反対に通していたとか予想外の初歩的なミスで、こういう失敗をしてしまう人というのはなかなか自分一人で仕事ができるようになるまでには遠いものです。マニュアル的にするなら表とか裏の表示をするべきなのでしょうが、そういうのはプロのものづくりとは遠い世界です。筬なんていうものは裏と表の区別だけでなく、筬羽に問題がないかなど使えるかどうかを判断できないと付けて作業してもやり直しです。

また、筬羽がゆがんでいれば自分自身で直せるなら直してみたりするのも仕事のうちで、筬を傷つけないような丁寧な扱いが原則ですが、筬羽が傷ついたら新しいものをというような考え方では筬を大事に扱うことすらも身につきません。
2012年03月07日
今日は夕方の出荷に向けて反物の検査など行う工程がありました。最後に巻き上げた段階で反物の裏表表示をつけます。通常、平織の反物というのは、両面ほとんど同じ加工工程を通るので見極めをつけることができず、最終の検反面をもって表とすることが、裏表の判断基準だったりします。

厳密には、織物を織っているときの表面が表ということで表示して加工に投入されるので、それを信用すれば巻き上がりというものは常に一定になっているはずなのですが、作業員の勘違いなどで裏と表が混同してしまったときなどには、最終の検反面を表表示するのです。

裏表がよく議論されるのですが、裏表だけでなく、生地には上下左右というものがあります。ハンドメイド皆様ですと、通常のリネンに関しては裏表上下左右を気にしていただく必要がほとんどない場合が多いものです。林与の生地に関しましては両面毛焼など裏と表の差が少ないのできれいに見えるほうを表に使っていただければよろしいかと思います。

生地一般の話になると、片面起毛などの処理が施されている場合、裏表が重要になってきますが、基本、再現性に縛られないハンドメイドですと起毛面を表に使っても裏に使っても自由は自由です。起毛などの場合は、毛羽方向が生じますので上下の問題が出てきますので、統一した方向で生地を使うことは重要だと思います。

実は生地だけでなく、糸にも紡績の方向というものがあるのです。紡績の順方向と逆方向です。特にモールの意図などではそれが顕著だったりして、巻き返しの際に注意をしたりいたします。リネンやラミーの糸の場合も順方向で織機に掛かるとスムーズに織れるという想定ができますが、糸自体が不規則なもので、そこまで厳密にする必要はないというのが経験上の結論です。途中の工程で工夫が必要かとは思います。

強撚の糸を使う際には、糸の順方向、逆方向だけでなく、チーズを扱うときの右巻、左巻も撚り回数を左右するので甘撚のものを扱うときには特に重要です。チーズの巻きも大きいときと小さいときでは、チーズから出てくるときに解撚や追撚が掛かってしまう回数が同じ1mでも違ってきます。そういうのもセンシティブなものづくりをするときには注意しておかないと整経の最初と最後で布のイメージが変わることもありえます。ほとんど気づかないケースが多いですが、布の右側と左側では厳密には糸の撚り回数が違っているのです。縦糸に扁平糸などを使うときには注意しないといけない点かもしれません。

木管なども片側にカラーのペイントが施してあったりして、木管の左右が区別できることで、取り扱うときに同じ方向で糸を扱ってあげることができるようになっています。途中の人がそれを意識できていないと後工程の人が一生懸命やっても駄目で、一貫生産というものは重要だなあと思います。ひとつの工場の中でも作業工程が増え、ものづくりに多くの人が介在すると一貫生産が成り立ちえなくなります。
2012年03月06日
ここ数日、冬の底冷えするような寒さを感じなくなり、ようやく、春のぬくもりに包まれているような毎日に変わってきているのを感じます。本格的な春らしさです。

本当はすずめなんかが飛んでいてもよいはずなのですが、もう、その気配を感じることがないのが日本の自然破壊が進んでいる証拠ではないでしょうか。同じ農業に見えても昔とはまったく違う部分が多くなりすぎて、虫もつかない環境で作り上げられるきれいな野菜。

最近は空中防除というものも行われなくなりましたが、昔は、空から防虫剤をまいていた時代というのもあったので、害虫とされる以外のすべての虫などが絶滅してしまい、食物連鎖も成り立たない環境を作り出してしまいます。

自然の力というのは偉大だなあと思うことがあります。小さな樹脂製の部品を外に1年置いておくとぼろぼろになってしまっているのです。これが自然の力で、生命を育む一方で、生命の宿っていないものを朽ちさせ自然に戻す力を持っているのです。
2012年03月04日
今日は、朝から仕事をしていたのですが隣組の宿(宿といっても寝泊りするわけではなく懇談と食事会の場です)というのが当たっていて、3時半からは懇談会、5時から出荷に動いて6時半からは食事でした。食事の時にも村らしい話が出ていました。昔からの講と呼ばれる社もある活動の話がでるのですが、昔の人というのは何か事業をするためにみんなで集まって土地を買ったりしたようで、村の中にもいろいろな名前の講が存在していますが、今は年に一度食事をするような会になっています。

もともとどういういきさつで始まったのかというのもわからない部分もあったりするのですが、今の人はみんな逆に抜けたい人も多いとは思うものの、話を聞いていると昔はそういうのに所属することが村の中のつながりを広げる上でも大事だったようです。昔は、頼んで入れてもらったような組織が今は人集めに苦労しているというのは良く聞く話です。

隣組も7件が集まっても私が一番若いくらいなのですが、次の世代の人がこういうのに馴染んで行けるのかということは、自然に考えると難しいことだろうなあというのは、15年ほど昔でもというより、30年ほど昔の中学生のころから感じていたことです。神社の祭り行事なども人を集めるのが難しいというのも、全国的な問題ではあるかと思いますが、そのときに必要があってできた行事がどこかで引き継げなくなっていくというのは普通のことなのではないかと思います。

やる気がないならやらなければ良いだけで、それを無理やり続けようとすると本来の良い精神すらもがゆがんでしまうことも多いものです。そういうのを楽にできる時代もあって、一方でそういうのを楽にできない時代が来るのもその反動であったりするところで、状況を見極めて小さく長く続けていくような形を模索するのが大事ではないかと感じます。
2012年03月03日
今日は午前中に染色の打ち合わせを2回行って4月の生産に備えます。予定をしているご注文を予定通りに入れていただいた形で、全体的な4月末くらいまでの生産のスケジュールはほとんど埋まってしまった感じです。4月の中過ぎからは、来年の春夏に向けての見本つくりを本格的に行います。

今年どんなものを作るかというのは、半分くらいは頭の中にありますが、まだ未定なものも多いのですが、リネン100%で、10くらいの新しい取り組みをベースに色柄を含めて何十かの新しいハンガー見本を生み出すことになります。トータルな見た目の仕上がりの違いやエレガントさみたいなものがでればと思っています。

ものづくりというのは技術や技法的な部分が大事に思われるかもしれませんが、その部分というのは基本といえば基本で、大事なのは感性やテイストをしっかりもっているかだと思います。感性やテイストがあるから技術や技法的なものが必要になってくるのだと思います。

たとえば、織機を触りながらのさじ加減が必要だとは思います。色を打ってみて良い感じ悪い感じ、キバタを触ってもうちょっと厚くしようとか薄くしようとか、糸を触っても今回の糸は良いなあとか悪いなあとか、自分が一番良いなあと思うスタイルを積み重ねていくこと大事で、そうやって作り上げたものは、後から見ても他にはない自分らしい良いものに見えることが多いものです。

林与の場合は、オリジナルな生地をつくるという要素を持っていますので珍しいケースではあります。賃機屋さんと呼ばれるところは規格や材料を与えられてそれを織るのが仕事で、同じ機屋であってもものづくりのスタイルというものはまったく違います。ジャストインタイムな時代になり賃端屋さんや下請けか工業の方が廃業されていくケースが増え、インスタントでできるものづくりだけが生き残る時代ではあります。

先日も、全国チェーンの飲食店に行きますと、レトルトパックを電子レンジで加熱して器にもるという調理方法、生温いチゲ鍋だったので、もっと熱くしてほしいというと、電子レンジで再加熱、お熱いので注意してくださいといわれるものの、鍋すら30度もないほどまだまだ生ぬるい。迷うのは再度加熱してほしいと頼むかどうか。大手らしい素人でも電子レンジ一つで同じ味を作れる世界なのが空しいところです。
2012年03月02日
今日は、レピア織機の調整を新しい方に教えました。会社が人を増やすということは働く人が必要だからなのですが、人が増えると教える負担が増えるので余計に思い通りに物事が進まなくなるものです。でも、会社もそれを乗り越えることが大事で、その意味を教えてもらっている新しい人も理解しながら前向きに物事を吸収して早く一人前にならないと、というところです。

今、繊維業界では新たな人を育てることが難しくなっているのを感じます。新しい人を位置から育てることを考える以上に、世界で一番安く作れる場所を探したほうが手っ取り早いのです。日本の繊維産業の本質的な衰退の原因はそこにあるのだろうと思います。

新しい人を育てるためには失敗という要素が必要です。今の時代は失敗を嫌いますので、人が育たないといえるのです。一回の失敗というのは10回の仕事で取り返さないとならないことが多いもので、これは、完全に失敗といえなくても、ものづくりのセンスがなく売れないものを作ってしまった場合には、いくら仕事を正しくしていても基本失敗と同じ扱いで、10倍の仕事をしてその失敗をカバーする気持ちがないと駄目なのです。

私が仕事を始めたときに、サンプルをつくると「糸がもったいない」といわれました。がんばっていても挫かれるものですが、結果が伴わなければ当たり前のことです。今見ても結構面白いものが多いのですが、自分はそれなりに売れるものをつくるつもりが、なかなか簡単には売れるものがつくれません。そこで甘くされていても、負けていても駄目で、その失敗分をカバーするだけの通常の仕事を何倍もこなすことで取り戻せばよいのです。

毎日何倍かの仕事をこなせば一つの失敗分くらいは1週間で取り戻せますし、毎日何倍かの経験をすれば、たとえ数年であったとしても一生仕事を普通にした人以上のものが見えてきます。
2012年03月01日
今日は朝、出機さんから電話をいただいて、織機の修理で手を挟んでということでした。織機というのは本当に気をつけて動かさないと一回の失敗が取り返しのつかないことになります。

これは別のケースになりますが、特に危ないのが通常の仕事で1台の機械を二人で動かすことで、一人が糸切れを直して一人が動かすといのが一番危ないのです。初心者の人がやりがちなミスでそうやって仕事をすると楽しいのですが、一番危ないので、機械というのは一人で動かすのが原則です。

昔ながらの機織が危険かというと、今の織物は織機が大型化、高速化してより危険だったりします。不織布などの場合機械が爆発したなくなられたとかというような怖い話も聞くので、大手の工場さんの事故は原発もそうですが人が何人か亡くなっていても行政すらも普通に立ち入れないことも多いものです。

全自動化された工場ほど人の亡くなる確立は高くなってしまうのは当然のことです。JR西の脱線事故でも、技術者が130kmで安全に曲がれると言い切っていたのには驚きのことで、130kmであのカーブに突入したら脱線することすら考えないトップ、しかもATSがあれば大丈夫ということ自体、責任逃れで、大惨事は原発のように起こります。人の命をなくしておいて置石のせいにしたりと雪印以上のいい加減さ、国も絡んだ話なので命が軽んじられるのは解決法にしてもATSの設置に逃げて一般の国民からすれば心外なことだと思います。

原発の事故現場の収拾にしても安全だといわれて多くの日雇いの労働者が投入されていますが、国の絡んだ人命に関わる問題ですので、危ないなら危ないとしっかりと告知して人を集めていただきたいと思います。メルトダウンにしても、国、東電、さらには保安院で隠していたといわれて当然の失態、原発爆発直後の数値の異常なども隠され、メルトダウンしていないといっていたこと、人命すらも責任逃れのために軽んじられるのでは、チェルノブイリ以下の悪質な情報隠しだといわれても当然のことかと思います。

国が人の命の責任逃れの手本を出してしまっては駄目なのは、国や行政の絡んだ1企業のために国の人の命や健康に関する安全基準が10倍以上も変更されるというような恥ずかしいことで、普段きびしく指導している担当の責任逃れのために世界で一番安全基準のゆるい国であることを証明してしまったようなものです。

東電に勤めておられる方の身内の方からの又聞きではありますが、今回の東電の事故で、一流企業に勤めたはずの自分の人生が台無しになったというような信じられない言葉も飛び出していて、自分の会社が、たくさんの方に迷惑を掛けている被災者を思う気持ちすらないのも感じます。
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