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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年02月06日
今日は午前中、就職を考えられておられる方が会社見学にお見えになられました。午後からは生地の問題があったということで検査所と加工工場に行って問題の原因の調査を行いました。検査所では想定される要因のアドバイスを受け、加工工場などでも工程に問題がなかったなど念のために調べてもらい。原因は凡そですが絞ることができました。

別件で、加工工場さんでは、先日、お渡ししましたキッチンクロスが加工からあがったようでテーブルの上で縫製工場行き待ちの状態になっており、キッチンクロスの色によって長さがかなり違うとのことで、そんな筈は…。シャトルで織ったものですのでテンションの強さ加減で、長めにあがったり短めにあがったりすることも多いのです。反末の引っ張れた状態での比較で、反物のはじめと終わりというのは不安定な場所なのです。

織物の落としや検査試料断片というのは、反物の真ん中を取ることはないので、本来、反物の検査の意味もないことが多いのです。そういう経験から、林与では、検査する断片は、1番目の反物の頭や一番最後の反物のお尻からとるのではなく、一番目と二番目の間で取ったりするように注意しています。

機屋さんなどでも検査の数値が悪くて困られているケースが多いかと思いますが、検査断片を反物の端で取っているからで、あまりに不自然な数値が出たときには、反物の3M中のあたりで取るとよい数値になることが多いものです。

私自身、テキスタイルをつくるときに一番気にするのが、出来上がったときの物性的な面で、そこに注意をしてものづくりされる方というのは非常に少ないものです。特別なものを作ろうとするとテキスタイルというのは無理が生じますので、本来は安定した企画に色柄を乗せてあげるくらいが一番、工業製品的にはよいものになるのです。

一方で、味を求め始めると、いろいろな問題が生じてくるものです。一番顕著な例は、密度の荒いものでスリップすることですし、染色などでも草木染などは堅牢度の問題が常に付きまといます。芸術性に走ると妥協というものが必要な場合が多く、後からの物性を上げるということは非常に難しいものです。

納期、コスト、品質面で厳しいブランドさんでは、安定したカウンターに色柄を載せるようなものづくりにしておかないと何回かはうまくいっても、何回かに1回の失敗というものが命取りになることも多いのです。ヨーロッパからのインポート生地などは、珍しいものが多いですが、物性面で製品になってからフォローが付きまといます。

ヨーロッパのテキスタイルメーカーというのは、イメージ、小ロット生産ではなく大量に生産をしてそれを売り切る形にしていることが多いのです。日本のものづくりとはまったく違うタイプですので、着分もすぐに出てきますが、完売するとそれで終わりということも多いものです。
2012年02月05日
今日は日曜日。昨日までの冷え込みは終わり今日は晴れの暖かめの一日でした。東京からのお客様が、リネンキッチンクロスの卸に関するお話でお越しくださいました。シャトル織機などにも興味をもっていただいていたということで、今日は工場は休みだったので、ちょこっとだけですが動かしているところをみていただきました。

夜、米原の駅までお送りさせていただいたのですが、途中、彦根で食事をいたしました。焼肉屋さんで、近江牛の看板が出ておりまして、以前このお店で近江牛を食べたことがありましたので、近江牛が食べられるのだろうと思っていましたが、店員の方に聞くと今は近江牛は入荷していないということ。残念でしたが、一方で正直だなあと思いました。

テキスタイルツリーの編集長である成田典子さんからご連絡をいただきまして、3月にはテキスタイル用語辞典が完成するとのことで、詳細のほうがウェブにもアップされてきています。http://www.textile-tree.com/dictionary/index.html 当初の予定よりも100P多くなってしまったとのことです。

成田さんは、繊維業界のバイブル的な存在である新ファッションビジネス基礎用語辞典という本を昔編集されておられ、今でも新ファッションビジネス基礎用語辞典をリファレンスに使われている業界のプロの方も多いのではないかと思います。今回のテキスタイル用語辞典は、プロの方だけでなく素材に興味を持たれた一般の方にもビジュアルたっぷりで優しいタイプの辞典ということで、ファッションを勉強されておられます学生さんや素材メーカーやアパレル業界に新しく入られた方にとっては頼りになる1冊となるはずです。
2012年02月04日
今日は、東京からのお客様が今期の商品開発のご相談にお越しくださいました。4月、5月くらいに店頭を目指される商品開発になり具体的な企画として動いておられますのでお話は非常に早いです。

今、いろいろな麻織物の歴史をたどる過程で、この地域でどうして麻織物が盛んだったのかを考えるにあたり、奈良時代以前からこの地域は開発がなされていて、近江愛知荘は元興寺領であったり、東円堂が興福寺領であったり、近隣の田は、東大寺領であったりと、奈良の影響が強く出ています。

東円堂という旧家が200軒ほどの村に4つもお寺があるのもそういう影響であるのかといえます。4つのお寺もそれぞれの分家とかではないので、東円堂においては寺領の争いのようなものが過去にはあったのではと思いますが、4つの宗派の違うお寺が残ったというのもみんなが共同で農業をしていたということもあって宗派は違えどもそれ以上に農業というのが大事だったのではないでしょうか。また、農業の傍ら冬場の仕事として織物が織られていたと考えることは至極自然のことで、近江の地というのは常に奈良、京、大阪などの都のものづくりの拠点として存在していたように思います。

東円堂は興福寺領だったとのことで、近江湖東麻織物は鎌倉時代にさかのぼるといわれますが、東円堂という地域は、奈良時代に奈良の影響を受け、奈良の麻織物と共通するところがあるのかも知れないと思うところです。奈良の着物向けの織物というのが絶えた背景には昔から近江湖東麻織物が強かったことがあるのかもしれません。私自身、奈良が麻織物で有名なのを知ったのは10年ほど前のことで、なんで奈良で?と思っていたこともあったのですが、地域的なつながりがあることがミソなんだと思います。

この村に住んでいる農業に慣れている、おじいさんたちは本当に器用です。普通サラリーマンの人と比べると、祭り行事などで作業をすると、大人と子供くらいの差がありますので、農業をやっている人というのは基本自分が資本みたいな部分があると思います。今は農業も機械化されてしまっているのでそういう人間の能力の差というのも小さくはなってきています。農業にかかわらず、仕事においては売ることだけでなく、種を植えたり育てるという作る部分こそが大事だなあと思うばかりです。
2012年02月03日
今日は、雪が凍って車がノロノロです。どこの道も基本としてはブルドーザーなどで除雪がされているので、そういう部分は昔と違ってありがたいなあと思いますが、ブルドーザーも道路の表面すれすれまでを除雪できるわけではありませんので、数センチの層が残る傾向にあります。昔は車が走るタイヤ部分は雪がなかったのに、今は、タイヤ部分にも雪が凍っているので、車が滑りまくりなのです。

夜は、ひこねの組合の新年会があるということで、彦根に向かいましたが道路がそんな状況で彦根に行くのに2倍時間がかかりました。今日が節分だと思い出したのは、1次会はもとより、2次会、3次会、たぶん4次会まであったような、どの店でも恵方巻きというか巻寿司がでるのです。

普段は巻き寿司なのでしょうが、節分のときに出ると恵方巻きというのが強いのでしょうか。節分で豆を撒く文化は、今は撒いた豆を拾って食べるなどできそうな時代ではなくなって着ていますので、より手軽かつ経済性のあるものに主役が交代したような気がします。

ものづくりをしていて、恵方巻きのようなものを作るのが商売で成功をする秘訣でしょう。豆のようなものを作っても商売としては簡単すぎて競争も激しく成り立ちにくいということです。これって、地場産業が直面している問題と似ています。

その瞬間に輝くことを考えすぎると形が変わりすぎて、継続している大事なものを失うことも多いものなのです。その瞬間といいましたが、それが10年、20年のことなのかもしれませんので、100年とか200年のスパンのものづくりを考えたときには、10年、20年をしのぐために世代を超えて引き継がれてきたものが消えていくということもありうるものです。

仕事というものが、数年で変わる法律に振り回されてしまっていては、ものづくりというものが趣味としてでなく産業として行われる場合には、根本的な技術を高めていくことは命取りになることが多いのです。付加価値の高いものをということがよく言われますが、付加価値の高いものでも飽きられてしまうと、その根底からして不要物になってしまいます。たとえば、昔のマハラジャブームなどはその最たる例ではないでしょうか。日本から、ディスコというもの自体が消えてしまいました。

これは、始まりあるものは進化し続けることというのはなく、進化の後には終わりがあるということで、哲学的な部分につながります。ロゴをあしらうだけのブランドのファッションアイテムが息が長いのは進化がないからともいえるかと思います。変わらないものほど長続きするもので、新規参入組みというのは改変することで越そうとするのですが、オリジナルの本家までもが改変に力をいれすぎると長続きしないものづくりになります。コカコーラーでも、味をおいしくしようとして味を変えたらもう相手にしてもらえなくなったというような経緯すらあり、長年愛されたものというものはそれの味自体がよい味の手本なのです。
2012年02月02日
林与で現在使っているシャトル織機は、1886年創業の須山式織機製造所というメーカーの織機です。力織機のパイオニアである須山伊賀蔵が起こした会社の織機で、日本の力織機のパイオニア的なメーカーではないかと思います。豊田式や鈴木式が須山式に学んだことも多いのではないかと思うところです。

須山式織機製造所も1971年に廃業で、力織機とともに消えたメーカーだといえます。
現在は東洋精器という会社に移り変わり織機は作っていません。1970年代になってくるとシャトル織機の時代からレピア織機の時代へと移り変わりのころです。私が推測するに弊社に10台あるのは50年ほど昔の織機ではないかと想像をしています。

そんな古い織機ではありますが、36(サブロク、36インチ、91cm)ではなく、44(ヨンヨン、44インチ、112cm)の織物を織り上げることができますので、林与にとってはベストな織機です。時々、複雑なことをしようとすると織機の調整には苦しむこともありますが、そんなに古い織機でありながら、今の織機では織るのが難しい、リネンの超細番手の糸を織りこなせるというのは奇跡的です。

展示会などに行っても、リネンの100番手以上のものを織ったタイプは、日本製の織機は最新式だからだといわれるのですが、そうではないところがミソなのです。最新式の織機というのは、人に優しくなく、昔の織機のほうが、カマチなど人が触る大事な部分は木でできています。さすがです。

これが鉄でできていると手に響いて人が扱いづらいので、織機の感触を体感することが難しく、織機と一体となることは難しいと思います。林与の織機のカマチや杼台は、レストアされてあまり削れていませんが、木製の部分というのは何十年も手で使い込むと、人の手の形を反映して削れてより持ちやすいように変形していきます。使いやすく進化するのです。それが石や鉄だと高速に動いていると人の体が毎回痛みを感じるので逃げてしまい、一体化することはできません。

今日は、大雪な感じで冷え込んで車も雪の上を走るので怖いです。国道沿いのお店に食べに行こうとしてもどこもが、開店なのに、駐車場が雪で埋まってて入れる状態ではなく、お店の中の人というのは、今日は雪が降ってお客様が来ないなあと思っているでしょうが、それは、駐車場の雪のせいです。雪解けをして車が出入りしやすい駐車場のお店はお客様がおられます。飲食店は接客業でありながらも、ほとんどのお店の方が駐車場の雪除けをしないのが不思議でたまりません。
2012年02月01日
メール会員様向けのビンテージリネンハンカチの縫製が終わりました。ハンカチ用の箱を今手配しておりますので、2月8日から9日ころからのご発送になるかと予定いたしております。パリの展示会、出発前にはご発送する予定ですので、大変お待たせしておりますが、予約注文いただきました皆様よろしくお願いいたします。

今後のご注文に関しましては、再度、ハンカチ縫製することになりますので、3月以降のご発送になりそうです。プチ贅沢な世界になりますが、メンズ、レディース兼用の45cmサイズですので、ホワイトデイなどのプレゼントにもよろしいかとは思います。

アンドリュース社のゴールデンアイリッシュリネン80番手使用したハンカチも良い感じにできあがりましたので高価なアイテムにはなりますが、そちらも、発売を計画しております。本業のほうがバタバタとしておりますので、商品はあっても、画像などが準備できず、延び延びになることも多いので気長にお付き合いくださいませ。世界に名をとどろかせたアンドリュース社のアイリッシュリネン象徴的なゴールドの色味の世界も、ハードマンズ社の位置付けとは別で意味のあるものと思います。亜麻色の意味を謎解くことのできる一品です。
2012年01月31日
今日は、朝、JETROの専門家の方がヨーロッパの展示会のアドバイスでお見えくださいました。輸出の事務に関することなども質問させていただいたり、展示会の荷物など手荷物の持込でなんとかなりそうとか、いろいろと疑問に思っている部分を教えていただきました。

パリでも専門家の方や他のプルミエールビジョンやJETROパリでの商談会の出展者の方との交流などにも声を掛けていただけるかもということで、テックスワールド展以外の展示会の情報なども聞けたりしそうです。今回の展示会で、プルミエールビジョンにもぜひ足を運びたいなあと思うような情報もいただいたので楽しみです。

夜は、出荷で追われて、クロネコに7時ぎりぎり、佐川に9時過ぎに大阪行きの荷物を持ち込みました。今日は、1反、織段の多い反物が見つかったので、1反織り直しになり、いろいろと追われている中での優先課題ができました。企業を経営するときに8割の力で動かないといけないというのはよく言われることですが、2割の余力を納期、価格、品質で残せるような形にしておかないといけないということで、それが可能なのかどうかと思うことも多いのです。

たぶん、2割の余力を残すと、すぐにそれが当たり前のレベルになってしまって、2割能力が落ちることになるのだろうと思いますが…。
2012年01月29日
海外向けのEMSを先週送りにいったら郵便局の担当の方が慣れておられない方で、EMSを使うのを慎重になられすぎています。これは田舎だからありうることで東京などのほうが能力のある方が多く、海外発送に関するトラブルも少ないのではないかと思います。たとえば、EMSサイトでEMSも中国から着払いができるという風にホームページなどでは説明がありますが、実際は担当の方も使われた実績がなくどうやってよいのか分からないというあたりで最終的にはできませんという答えが返ってきます。

こうなってくると企業の力というよりも国の力というのが、ものを動かすときに必要となってしまいます。海外の輸送に関してはDHLやFEDEXなどアメリカベースの輸送関連が一番信用があるとされて、日本の行政も絡んだ郵便システムはランク下に位置づけされてしまいます。

本来、信書を取り扱うという業務を担当している部署ですので、その分、独占の利益を得ていますので、一番しっかりとしていないといけないのですが、原発と同じく独占の弊害を感じるところです。民間に見えても民間ほどは厳しくないので海外の民間のサービスに負けてしまっています。日本ではDHLやFEDEXのように信書も扱えるようなサービスが一般の宅配業者ではできなく、日本の国の力が海外の競争力に負けてしまい足りていない状況です。日本も日本のサービスが海外に出て行くときに公のサービスは裏からバックアップしますが、民間のサービスを裏からバックアップするというあたりが弱いように思います。アメリカの郵便であるUSPSも民間に負けないほどの非常に強いもので、日本の郵便システム以上に強いものがあります。
2012年01月28日
挟というのは、繊維業界では必需品であったりするのですが、ことわざにあるように、挟というのは本当に使いようだなあと思うことが多いのです。上手な人は挟も長持ちしますし、上手でない人は挟を大事にしませんので、同じ糸を切っていてもすぐに駄目にしてしまいます。裁ちバサミで反物をまっすぐに切るのも上手な人と上手でない人がいるものです。

昔、私がある会社に行って裁ちバサミを滑らせるように使って切ったときに、その会社の番頭さんが、「裁ちバサミをサクサクみたいに刃を開きながら布を裁断されました。そしておっしゃったのが、こうやって切ると刃の一箇所で切らないのではさみが長持ちする」と。一生を布で暮らしてこられた方の知恵であり、挟みを思いやる優しい言葉ではありますが、そこには仕事に対する厳しさを感じました。

私自身、糸の結び目をはさみで切るときも、長さがなるべく短くなるように切ります。そうすると糸の結び目が目立ちにくいからです。私の経験上、年配の人ほど結び目を切るときに長く切る傾向があります。5mmくらい残して切る感じです。それは手先が器用でなくなったからというのではなく、昔から長めに切っておられたのだと思います。

今の時代だと、もっと短く切るように指導が入るのでしょうが、年季の入った方がそんな風に作られたものというのは、それはそれで、味わいのあるものだと思ったりいたします。私が、仕事に戻ったときに、73歳の勘一じいさんと一緒に仕事をしていました。老眼鏡を掛けながら糸を固めたり割ったりして、下準備の仕事をしてくださっていたのですが、はさみもずーっと同じものを大事に使っておられました。
2012年01月27日
織物で、ギシャと呼ばれる組織があります。6枚ギシャとか8枚ギシャが代表的なものです。今、6枚ギシャの組織を含む織物を織っているのですが、なぜか、5本飛んで、平織りになったり?ドビーが壊れているのか、ペックの頭が削れてしまってドビーが働いていないのか?ソウコウの動きを確認しました。

機械は正直だなあと思います。誰かがソウコウ枠を段違いに調節して、上に上がっても十分に糸が上に上がりきっていないような状態だったので、3本飛びのはずが5本飛びになったりしているのです。しかし、誰がこんな調整をするのか分かりませんが、闇雲な調整で、想像もできないことをやってしまうのが新しい人たちで、教えないといけないことは多いなあと思います。

職人さんたちが1週間時間が掛かっても織機を直せないときに、私の出番がくることが多いのです。私自身も普段は機械織ることは急ぎのときくらいになってしまっていますので、何が不具合なのかを聞いて、機械全体を夜中に調べることになることが多く、いろいろな調整の問題をひとつひとつ直すことになります。私の頭の中では、織れるも織れないも織る人の努力次第ということがあって、織れないなら織れないでその正しい原因を分かっていないとプロとしては力不足です。



2012年01月26日
1月の終わりに近づき、すごく冷え込んで雪が降りました。一面が銀世界で、この寒さ本物です。明日の朝までに加工に出さないといけない急ぎの仕事が何とか間に合いそうです。技術的にだけでなく、今は納期的に普通だとできないことをすることや見本というステップをクリアできることで、仕事というものが生まれてくることも多いものです。

今日はジャガード織機にグリスを注しました。織機部分だけでなく、ジャガードの部分にもグリスは必要で、100kgを超えるジャガードが上下にドッシン、ドッシンと動くため、その振動というものは、それを吸収するための仕組みをもって設置しないと、工場中が振動で揺れてしまうというようなレベルです。今となっては紋紙を使うジャガードというのは古風な部類に入りますがそれもまた良しです。微調整ができない部分がありますが、デザインなどでもそういですが、直感的な感覚で作り上げたイメージというものが案外揺らぎもあって個性的で良かったりするものです。

2012年01月25日
三方善についても諸説あると思うのですが、最近は、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」となっています。私が小さなころから聞いてきたのは、「売り手よし」「買い手よし」「作り手よし」の三方よしだったのです。近江湖東地方でも場所によって、あるいは家によって伝わりは違うようです。

日本のものづくりの特色を守るためには、日本的なものづくりを守るような文化が不可欠だと思います。アメリカにいたときにビジネススクールのマネージメントの授業で、職人たちが集まってパイプオルガンを6ヶ月間かけて、ボランティアでつくるビデオを見ました。完成したときにそれに携わった職人たちは満足げにしていましたが、ビデオを見たアメリカの学生の反応はお金も貰えないのに冗談じゃないわ、みたいなコメントが多く、そういうコメントが正しいのか正しくないのか、今の日本でもかなり似たようなコメントになりそうで…。

文化に関して、資本主義のアメリカと、共産主義だといわれた中国の価値観というものが個人主義的で似通っているのも以前は不思議に思いましたが、それは個人の価値観の問題ではなく、国の制度的な問題だと思います。ひとつの制度が集団的な価値観を変えてしまいます。いろいろな個人の問題といわれることも法律や制度の不備から来ていることがほとんどだったりもいたします。

三方善が難しいのも、今の日本の制度自体が三方善の精神とはかけ離れてしまっていて、損得勘定がいろいろな制度の中で優先されがちになってしまっているのを感じます。
2012年01月24日
織物の起源に関する秦氏(はたうじ)に関しては諸説ありますが、私自身は歴史は苦手なタイプですが、一番最初の大陸からの技術の伝播は、中国の秦の始皇帝と関係しているほうの説が近いんじゃあないかと思っています。そこに徐福という人物が現れてきます。

昔の国の概念というのは、ヨーロッパの新大陸発見もそうですが、中国にしても日本は新大陸のような概念で送り込めばそこを領土の一部と考えているような感じだと思います。弥生時代に急速に織物が発達したとされるのも、中国の織物技術が入ってきたからではないでしょうか。秦氏というのは、秦の始皇帝の使節団というようなところからきているんじゃあないかと思います。皮肉にも徐は秦ではありませんが…。

もちろん、日本以外にも朝鮮半島にも進出して、朝鮮半島から日本にくるほうが簡単ですので、後の織物技術の伝播の経路は朝鮮半島経由になったのではないかと思います。大陸から日本に何千人規模でくるほどの技術をもっているとするなら、何千人が力を合わせてひとつの目的を達成するということは今の時代にはないことで、当時の中国の織物技術にしても今の時代以上のものが存在しても当たり前だと思うのです。

徐福は実在した人物だとされているので、それが秦の国から来たということで、秦氏と呼ばれたと考えるのがいい感じな気がします。日本の織物の歴史も、徐福伝説で成り立っているところが多いですので、私自身は朝鮮半島からの影響よりも以前に中国が先人として技術をもたらし、そのあと、朝鮮半島からの伝播に変わったのだと想像をしています。

そういう徐福伝説の前に、日本に布がなかったのかというと、だれもが考える地機という方法で、縦糸を何本も平行に張って、織り筬の代わりに平べったい棒で横糸を編むように一本一本縫って、そこに横糸を通して、棒で横糸を詰めて織るような方法もあったかとは思います。別に杼を使う必要もありません。そういうのが古来のテキスタイルの形だと思います。腰機なんかは、杼を使いビームもついていて、人の動作でテンション管理ができるのである程度進化したモデルです。また、アンギンと呼ばれる縦糸を絡ませながら編むような織物は縄文時代の織物だとされています。大きいものは作りにくいですが。農作業の藁を工作するような延長にそういう作業があったと思います。

昔の織物が見つかっても織機が見つからないことがあるかも知れませんが、昔の織物というのはたぶん織機が必要なかった可能性も高いのではないかと思います。
2012年01月23日
最近も日本古来の麻について聞かれることが多いものです。それが本当は何だったのかということですが、草の茎から取れる繊維を一般的に麻と読んでいたと思うので、漁師さんが魚を取るのと似ていたと思います。その地方地方で魚の呼び方も違ったみたいな感じです。着物にできる繊維が取れて糸がつくれるならそれは良い麻だったのです。出来上がった布次第で、使う用途が決まったと思います。

品質表示義務がなかった昔ですし、見た目の良し悪しだけで判断していたでしょう。私が思うのに、今は麻といえば、苧麻というと、一般的に青苧ということになっていますが、より細い繊細なものというのは赤苧ではなかったのかと思います。今も、近江湖東地域では、青苧よりも赤苧のほうが自生率が何十倍も高いように思います。

麻の葉の紋様に関しては、桐麻紋様とも呼ばれます。これは、青苧よりも、赤苧の葉に似ていますし、赤苧が桐麻と呼ばれることからも、日本の麻のイメージというのは、赤苧だったのかもしれません。(実際には大麻の葉のほうが、麻の葉の文様には似ているとは思いますが、大麻の手績み糸が使われるケースというのは着物だと裃とか、座布団とか、ごわごわしたゾーンだと思います。生活雑貨のような生平と呼ばれるタイプものは硬さ加減からして大麻っぽい気がします。大麻をイメージした文様ながらも、今は桐麻紋様というように混同されて呼ばれている可能性もなきにしもあらずです。桐麻なら片側3葉っぽくみえ、大麻なら6葉っぽいイメージです。青苧だと葉っぱのとんがった感じは少なくコブラの頭のような片側がとんがったような楕円っぽいイメージです。)

昔というのは、マムシであれ、ムカデであれ、薬にしたような時代です。藁も草履や蓑、蓑傘になったり、その延長で織物があったわけですから、繊維が上手に取れてよい着物が出来ればそれが売れるのだと思います。特に、赤苧のものは特殊とされていましたので、ある意味上布らしいものとして差別化できたのではないかと想像をするところです。また、苧績糸は新聞紙にくるんで保管するのが基本です。普通だと糸の保管は湿気を嫌うのでしょうが手績の麻糸というのは乾燥するとささくれて使えなくなくなります。

私自身、文化財の保護方法に関しても、修復しないほうが本物ではないのかと思うところがあります。本物を触ってしまうと本物ではなくなるので、本物は本物のまま残して、別に当時を再現したレプリカを作ればよいのではないかと思うのです。トキが絶滅してしまった問題にしてもそうで根本的な要因が解決しなければ無理やり保護しても絶滅を加速するだけです。地球温暖化も新しいものを作るのに力を使いすぎて、今ある資源を捨て、新しいものに変えようとして、余計に加速してしまっている気すらいたします。

今作るものというのは、数年しか持たないものです。過去に作ったテレビなんかは10年20年大丈夫でしたが、今のテレビは数年が寿命で、次から次へと新しいものに使い捨てるのを推奨するようなリサイクルシステムまで出来上がってしまって、自然の草からも糸をつくり布を織ることを考えれば、今あるものを大事にすることこそ資源を有効に使うエコロジーの基本の形ではないかと思います。
2012年01月22日
今、ラミーのものというのは需要は非常に限られてきています。一般に、勘違いされているケースも多いのですが、実際にはラミーの世界のもののほうがリネンの世界よりも高いケースが多いのです。ラミーをそれなりに味を持たせるには糸だけでなく、織るまでの処理、仕上げなど、非常にコストが掛かります。

ラミーの世界も昔はシャトルで織っていたので細い番手が出回っていました。120番手とか140番手とかが日本でも高級ゾーンの流れている番手として出回っていたのです。贅沢をできた着物の時代の糸というのはそんなものです。さらに特別な番手としては200番手を超えるクラスも原料して別格でその準備工程も入念な時代にはあったと聞いています。

今は、水溶性ビニロンなどを用いて後で溶かす方法で番手を上げる手法が取られ、細い糸を実現していますが、昔は、原材料の良さと技術水準の高さでより細い番手を実現していたのです。繊維関連の方というのは、昔のもののほうが良いものが多かったというのは実感され、高級なものが売れるかというと、高級なものというのはこの何十年の時代の流れからして、それほど評価されるものではないというのを実感されていると思います。

今の時代1着分の生地に10万円を使える人というのは少ないと思いますが、昔の日本の着物の世界では、一着分が10万円を超えるというのもよくあった話です。着物の場合、仕立てというのがそれほど価格のウェイトを占めませんので、布の価値こそが着物の価値そのものに近かったといえます。

動物性繊維のシルクやウールなどに比べて麻布というのは、繊維の特性からして、ご家庭で保存されていても昔の生地がそのままに近い形で保存されて残るケースが多いのはまこと幸運なことではあるかとは思います。同じセルローズ系繊維の綿と比べても、繊維が強いなあと思うのは、水に対してです。綿のものは水分が多い状態で放置しておくとカビが生えて気安いですが、麻布はカビなどは生えにくいという衛生面での特性があります。また、天日で干すことである程度晒すことができますので漂白剤など使用は繊維を傷めマイナスです。

林与自身、高校生のときに着たリネンシャツや麻シャツをいまも、まだ着たりしているので、麻シャツというのはメモリアル的なシチュエーションでのプレゼントには最適ではないかと思います。着ている人がプレゼントでいただいたことを何度も実感できるだけでなく、その服を着ているときにいろいろな思い出がその服に詰まって行きます。使っているときの思い出がものに詰まって行くのは、キッチンクロスなんかでも同じではあると思いますが…。
2012年01月21日
作り手というのは良いものをつくりたいと考えていますし、最終的なお客様というのはよい物や本物を欲しがっておられるのですが、途中の方というのはどうしても安く買って高く売ろうとされる傾向がありますので、間に入られる方の考え方というものはものづくりをする上で非常に大事です。ものづくりを理解されないかたが間に入られますと、まず良いものというのはまず作れなくなります。そういう方というのは他と比較したり他で安く作って利益を上げようといつも考えられているのでお話していてもいつも厄介です。

以前もアパレルの方がこられて商談をしていて、アパレルの方は弊社に注文を出したと思われているのに、問屋さんは弊社の見本を使って他で安くつくられていて、商道徳に反するとアパレルの方に説教をされて恥をかかれて気の毒に思うこともありましたが、弊社のデザインをコピーしただけではなく産地偽装にすらつながります。百貨店でリネンシャツが1枚が4万円程度で販売されいた製品だけに、間に入られる方の損得勘定一つで作り手も買い手も騙されて、看板を背負っているブランドや百貨店で売られている商品の謳い文句すらもが嘘になってしまうというのは厳しい話です。林与とはものづくりや商売に関しての考え方がことなりますのでそういう方との関係が切れていくのは自然なことかもしれません。

お客様にとって製造の現場というのは見えませんので百貨店での売り文句がすべてとなってしまいます。かつても、非常に有名な京都の老舗の呉服屋さんが弊社に見えられたとき手織の近江上布の話をされたときにすごい量がないとできないといわれたといっておられ、この産地の人だと輸入物だとすぐに連想する話なのですが、良いものをわざわざ本場の産地に探しにこられた京都の老舗の呉服屋さんの方ですらそのことはご存じなく、近江産の手織ということで信じて買われて販売されてしまったのはどうかなあと思います。

生地の世界ではこれが特別なことではなく、何年か昔、アイリッシュリネンしか使いませんと謳っておられる大手のブランドの担当の方が弊社に来られたときに、アイリッシュリネンはないですかと聞かれたことがありましたが、リネン業界ではアイリッシュリネンが完全に手に入らなくなり弊社も何年も北アイルランドで紡績されている現行のアイリッシュリネンの糸を少しでも手に入らないか捜していた時期ですので、当たり前ながらありませんと答えました。お客様は自分がアイリッシュリネンをずーっと扱っていると思っておられたので、逆に私の返答にびっくりされたことと思います。年商何百億のブランドさんでも本当のあたりはご存じないことも多いのが普通で真実を知られるのが遅ければ遅いほど気の毒な結果になります。

北アイルランドでフラックスが栽培され、紡績が行われているような幻想だけが一人歩きして、ブランドが原料を謳い文句としている商品すらもがどこまで本当か疑わしい状況で、信用を重んじる百貨店でお客様に販売されてしまっていたのは厳しい現実のひとつです。別の話でも数年前の話ですが、聞いた話に素材にこだわることである高級なブランドが、幻となったアイリッシュリネンを謳い文句に製品を販売されたのですが、南アフリカで紡績された糸をイギリスに持ち込んで船積証明をとってアイリッシュリネンを謳ったとか。そんな話が裏で流れてしまっていて、高級なブランドさんのイメージそのものが台無しで、間に入られた方の一時の得のために飛びつかれたのでしょうが、やられたことの話題性が業界でも大きいだけに、騙された側のブランドさんのイメージが笑い話のように何年も後でも業界の中で語られるのは忍びない話です。
2012年01月20日
今、テックスワールドというパリで行われます展示会の飛行機の手配とホテルの手配を行いました。自分で一人旅を計画するのですが、テックスワールド展は始めての経験ですので、会場のイメージとその周辺のイメージが分かりません。ここ数日は、会場周辺でのホテルが便利かと考え探してみましたがどうも歩いても遠いようで、毎日タクシーで会場にアクセスも考えましたが、それなら、展示会場にはPER(高速鉄道)駅があるので、近くの大きな駅の周辺のホテルを探すのもよいかと考えました。

結局選んだのが、飛行機は、手荷物が多いので、エールフランス系列のオランダ航空にして、プラス1万円払えばで23kgまでの預け入れ荷物が2個まで可能です。ホテルは、会場から鉄道で10分の北駅から50mというホテルでシングル6泊で、パリで動く分を含めてもトータルの旅費が20万円程度で、一人旅で1週間ヨーロッパに行くことを考えると非常に安いなあと思います。これで最低限のパリへの準備ができましたので、あとは基本、自分の身の回りのことは身一つで行く気持ちで、ハンガーを作ったり展示会そのものの準備です。

日程は、2月11日出発の2月19日朝帰国予定で、展示会は、12日が準備、13日から16日が開催という予定で、展示会だけのための旅行ですが、ホテルを市内の便利なところにしたので、毎日、展示会が終わってからはホテルの周辺を中心にパリの街を散策して分転換もできるのではないかと思います。

今回のテックスワールドも申し込みが過ぎているにもかかわらず、ジェトロの専門家のお力をお借りして、展示会の代表の方の特別の計らいでベストなリネンのセクションに出展させていただけることになりました。やりたいなあと思ったことが実現する、本当に幸運をいただいております。ヨーロッパのリネン関連の企業さんが扱われているもののイメージが分かりますので勉強になることも多いのではないかと市場調査としては最高です。私自身も林与のリネンや本麻の世界をヨーロッパの方に知っていただくために自分の世界をPRできればと楽しみにしております。

今回、会期的にはテックスワールドはプルミエールビジョンと同時期ですので、プルミエールビジョンにお越しのアパレル関連の皆様も林与がテックスワールドに出ておりますので時間がありましたら小さなブースではございますが林与ブースにもお立ち寄りくださいませ。
2012年01月19日
展示会ごとにカラーのディクテイションあります。これは、企画としての展示会の全体的な統一性をもたせるためには大事なことです。一方で、林与には、自社の色のテイストというものがあります。それというのは、画家が絵を描くときに使う独自の色の好みに似ています。自由度を高めるとそれは作風を消すことになります。林与の場合には、絵の具は基本リネンやラミーの麻の染め糸なのです。

海外の展示会などではリネンの先染で色のついた世界があったりするのですが、色の感じがまったく違うのです。ヨーロッパのリネンにしてもアジアのリネンにしても日本のほかのリネンにしても、林与のリネン糸やラミー糸というのは色味が独自で色数も多いながらも色をいつでも再現できるように色ぶれの少ない形で色を残し続けています。逆にいうと、一回限りの色というのを作るのを嫌う傾向もあるのは事実です。それをすると林与の麻の世界の色の統一性というものがブレてしまうからです。

アパレルのデザイナーさんがシュミレーション下さることもあって、それに近いものを機の上で再現するケースもあるのですが、それぞれの色糸を一番近い色を選べば一番よい感じのものができるのかというと、全体の色の強弱のコントロールというものは非常に難しいものです。敢えて、デザイナーさんの作られたいイメージを尊重しながら、色を触って全体の色の統一性を持たせることをすることがあります。実際に絵を描くのが林与的なところで、そこに林与でつくるものづくりの力の差が出るのではないかと思います。仕上がりを見て色を校正するようなものですが、通常、着分を作った後に色を変えられないので、着分をつくるときにできる限り色調をよいイメージに調整するのです。

林与の色というのは、何十年も使い続ける色がほとんどですので色ぶれというものを気にします。何十年もその色の系統というものは保たれて先染の織物が作られます。これは、日本のテキスタイルのカラーとしては生き残った色たちで、日本の多くのラグジャリーなブランドさんの高級なイメージを支えてきた春夏の色味であって、麻の色のクオリティです。強いて言えば色にしても日本らしいテイストというだけではなく日本のクオリティというものがあるのではないかと思います。アパレルさま向けの自社提案柄では、原色をほとんど使わないところもありきたりにはならないことのひとつです。

そのあたりが、イギリスやスウェーデンのプリント柄の色調と違うところで、林与の色のテイストは麻の世界の流れを汲んでいるので和のテイストあるいは草木の色を思わせるようなワビサビの世界の色なのです。今の時代に、衣食住が変わっても、変わらない日本の自然の中の日本人が愛してきた色味というものが今も生き続けているとは思います。色を守るというのも芸術的なセンスだけでなく、どこまで自分の作風をもって布を作るのかというところがあるかと思います。一方で、完全なOEM的なご依頼もお受けしてはおりますので、製造業として他の方のものづくりを支える部分も大事ではあると、使命というものはいくつもあるものだと分かった上で自分の味を残しています。
2012年01月18日
今朝は、紡績会社に電話を入れてリネン糸の在庫確認などを行いました。ファンド事業の認定を受けているアイリッシュリネン140番手は手持ちの糸の在庫がなくなれば本当の幻となってしまう世界です。その世界をより身近に楽しんでいただこうとすると、フランス、ベルギー産のフラックス原料を使用した現行の糸を使うというチョイスになるのではないかと思います。

現行の糸でどこまで、ビンテージの糸の風合いに迫ることができるのかというのは、その時々のロットの加減にもよりますし、また、今年は不作の年であったと聞いておりますので、昨年の良質な原料が残っているのかにも仕上がり具合はかかってくると思います。不作の年ほど、繊維が細く、実質番手が細いというような話も遠い昔に聞いたこともありますが、実際に糸を手にして織り上げて自分で評価をしてみるしか方法はないのかとも思います。

お昼前に、新卒採用の件に関しまして地元の高校の就職担当の方がお見えになられまして1時間ほどお話をさせていただきました。今の時代、就職が困難ということではありますが、職業や職種にかかわらず目の前にある仕事を前向きにできるかどうかというあたりになってくるかとは思うのです。前向きに続けていると差が出てくるもので、力のある人でも前向きに動いていないと、分からないままにほっておくことが増えて、それが後から分かるようになるということはほぼ不可能です。

お昼には、2本ビームを出機さんにもっていき織りつけや納期の確認などをして、織りあがった反物を持ち帰りました。午後からは、業界新聞紙の方からの原稿の入稿のお話と百貨店からお電話をいただきました。仕事関連の出荷も今日は5件ほどあって夕方には出荷をすませました。リネンなどのビーカーがあがってきてそれを染工場の方が会社に持ってきてくださいました。夜には会社で織っているストール関連の織機の配分計画などを練り直しました。調子よくは織れているのでキズなども少なく安心しています。本生産の最中ですので手一杯になってしまっていますが、本生産の時期が終わってからも広がりそうな部分も多い気がしますし、ハンカチに使う林与の紙箱のお話もうまくいきそうで、良いこともたくさんあった一日です。
2012年01月17日
今日は、今年で一番よい天気で、空気が澄み渡って空も青空、いい感じです。午前中に、大阪の問屋さん、東京のアパレルさん、百貨店のバイヤーさんがある企画の件で弊社に起こしになられるということで、朝一番に出機さん用に糸を準備して、駅に迎えに上がりました。

バイヤーさんが求めてくださっているものは、特に林与の市場性を求める部分ではない趣味的というか道楽というかみたいなものづくりの部分と、方向性とすごく似通っている部分があるなあとは思うのです。そう思うと、昔の百貨店に置いてあるものというのは、百貨店にしかなかったような気がします。話を広げていくと、商店街のお店にあって、スーパーにはない世界があったのです。それは、日本の商売の専門性です。文房具屋さんには、売れないようなものでもしっかりと店頭に昔はいつでも在庫として置いてあったのです。しかしながら、今の時代は、ノーインベントリー。回転の遅い売れないものは店頭においてもらえない時代で、専門的なお店というものが少なくなりすぎ、どこでも同じようなものしか並んでいません。お店においてないので、お店の人ですらもそれが実際何なのか実際お客さんのもとめていることができるのかわからない状態で、お客様と接することになってしまいます。

また、開発したら売れるようなものでも、だれもが売れることが分からないと作らない時代です。昔あったワープロのようなプリンタ一体型のノートパソコンを作れば、簡単に何万台と売れるでしょうが、売れるのが分かると1年以内に大手が参入して価格競争になり商品サイクルはすごく短いのです。昔あった技術でも今再現することができない一例です。
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