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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年06月21日
左足を痛めてから左足をかばうために右足に負担の掛かる歩き方になって、なんやら体全体の調子が崩れてしまってやっかいである。風邪を引いたので風邪薬を久しぶりに自分で買うというのをやってみて、どうせ買うのなら一番効きそうなのをと、ツルハドラッグで一番高いのにしたらムチャクちゃ効いて、風邪薬って効くんだなあと思った。左足の痛みも緩和されて、足のつま先までぽかぽかで、この数年の足の違和感まで直るのではないだろうか。血液の流れとリンパの流れも良くなったみたいで、硬かった足の裏もほんと柔らかくなった。足の指先まであったかいこれはうれしいこと。病気でも結局は人間の回復する能力が大事で、体が調子よくなることで回復しやすくなる。

今日も、草刈りの飲み物とつまみを買いに行く件で、母親がテンパっているけども、そんなのは30分もあれば済むことで、一人でも十分すぎる仕事なのに、そういうのをみんなでやるくせのついている母親にとっては、他の人と一緒にやらないと駄目みたいなことを、私に言うが、あなたが草刈りに行くわけでもないのだし、役が当たっているのは私なのだから、もうそろそろ仕切り癖はやめたらどうなのかという話。

今の時代の世代というのは、普通に外で仕事して、買いもの程度のことを大げさに考える必要もない。先代夫婦が、もっと大変な現場の仕事をしないのも私が被ってやってきているのだし、飲み食いのことになると一生懸命だけども別にそれはどうでもよいことで、草刈でも大事なのは草を刈ることができる人がいるかどうかという問題で、力を使うところはそこで、休憩の飲み物やつまみに一生懸命になる必要はない。仕切りたい癖がでて私を仕切ってを考えているのだろうけども、小さなことに一所懸命になりすぎで、自分がやってきたことややらされたことに対して偏狭な精神に陥りすぎて、自分は何もできないといっているくせに、一つ一つ細かく指図しようとするけども、次の世代はそいうできないを背負って今の時代を自分自身を追い込んでまでして成り立たせていて、ひと世代前の目の前の物事から逃げるばかりの感覚はまったくない。もっと大きな先送りしているようなことを背負わされて前線で解決しているのが次の世代で、ものごとの全体を考えれば自分が責任を逃げながら他の人にやらせようとか、責任を背負わせようとする感覚こそが駄目。

他の家の人間にまで指図するなよと思うのは私で、林与の親にも思うのが、自分より若いものは自分のいうことを聞くのが当り前みたいな舅姑根性の田舎根性を辞めないかと思う。他の人に指図するならせめて自分を捨てる覚悟位したらよいのにと思うけども、常に守られて余裕があって生きてきた人たちというのはそういう覚悟すらもなく守ってもらうのが当り前。3日寝ないで立ち仕事して、朝7時にようやくおじさんが来て寝て10時に、おじさん来てるわよ、あなたいつまで寝てるのみたいな母。おじさんを支えているのも母を支えているのも、亡くなった先代の問題を解決しようとしているのも林与で、親の問題に関しては、2歳の時からややこしいなあと思っていたほどに、複雑そのものだが、田舎にありがちな典型で自分が責任を覚悟して背負うこともなく受けようとして自分の子供に背負わせるようなアホ親。もう死ぬ前にほんと辞めとけほんと、そういうのが田舎の自分の子供を英霊にして可哀そうな親の感覚にも通じる。次の世代が命を掛けて毎日動き回らされていて不幸なのは、親がそれを期待して楽したいばかりで欲してるから駄目なんだよ。本当に厳しい話で、あなたが一番駄目とか平気でいうなら死ぬ前に分かってほしいが難しい。だれがすべてを覚悟して支えているの?次の世代なのよ、前の世代の問題を支えさせられるのは、生まれてくる次の世代が、自分可愛さの十分に長生きもした人たちの後かたずけを生まれた時から自分が生きていくのに必要なお金の何十倍も背負わされて働いても無理な奴隷階級を、日本の行政が作り出していて、日本の少子化対策にしても、行政の人間が自分が連帯保証人にもならずに、これから生まれてくる日本国民が質草で、できなければ、犯罪者。やばすぎる日本。甘えすぎた公務員行政というのは、世界最低レベルの日本の政治や公務員の保身的な感覚。まだウクライナ戦争でロシアのトップが前線に立って死亡とかもないのが、日本のA級戦犯の問題そのもので、自分の命を覚悟もないものがおいしい目をしたいだけで、命すらも覚悟した昭和天皇に甘えていた、また今も甘え続けて今の政治を利用しての金儲けの構造で、日本の政治家が食べていけなくなったタレントやスポーツ選手が政党にひらってもらって政党のいうことを聞くだけみたいな国会議員、大臣レベルでも一番駄目だけど、そういう政党のいうことを聞く捨て石大臣レベルが普通になって人間としてまともなことも言えない。今の日本の政治では、人間としてまともなことも言えないのは首相でも同じと思う。食べさせていかないといけないのは巨大化しすぎた政党や宗教団体で、民主主義とはまったく相反する概念そのものなのが今の日本の政治の現状。



2024年06月19日
林与というのはそれなりに個人として強い人たちとのつながりを多くいただいていることもあって、林与の麻織物のスタイルを日本の麻織物の理想の形としてみてくださる方も多い。理想というけどもそれは最底辺くらいはあたりまえに背負うような覚悟で、何かやるときに持ち出すことが当り前で、持ち出してもそんなのそのぶん普通に働いた分で補えないかと思う。

テキスタイルマルシェの初日に宮浦さんが産地の学校の生徒さんといっても業として成り立っておられる方をご紹介くださったのだけども、林与が国産リネンを強いることもないし、リトアニアリネンの特性に関しても背景に関しても、林与がリトアニアリネンに思うあたりで、林与自身もリトアニアリネンも国産のリネンと同じ様な状況にあるのを感じて来て、それが日本の麻業界の普通のことだったりは、日本の麻業界って、リトアニアリネンにしても支えているのは日本の業社さんだったりするかも、世界の希少な世界を支えようとされているのが日本の業者さんであることは多く、そういう本物の努力をささえるなら林与も協力はしたいなあと思うのが、自分が働いて布を作るが当たり前で、それを超える布というのは存在しないと思う。

日本の業者さんというのはそういうのを残そうとされるけども、現場の人たちというのは化かそうとすることも多く、そういうのにたいして、警笛を鳴らすのも、織物のプロとして日本の消費者を騙さないようなことが必要だと思うあたりから、そういう本質を日々経験している人って世界でも数少なくて、契約社会的な時間から時間で結果は別問題という感覚が今の先進国の行政的な感覚。

騒音防止法の霞が関の相談窓口のトップの方に電話して、織機を除外してもらいたいというと、織機が音が出るって初めて聞きました、織機が音が出でるのじゃなく、他の機械が音がでるのでしょ、みたいなことをその方が口にしていて、もうほんと終わっている。騒音防止法の本質的な笑い話で、そういう方が、繊維業界の地場産業として地道に仕事している本質も分からずに、個人の無知そのもので日本の繊維業界を衰退させてしまっているような政治的な問題。無知な人が何千万円も貰いながら仕切ってたらその何千万円の個人の収入のために日本の無力に思われている機屋が悪者にされる。ほんと法をつかさどるなら当たり前のことを理解していないと、国が事実を放置して被害を広げた水俣病のように被害者を攻撃するだけの国の公務員が奴隷制度、日本も科挙制度辞めないと中国でもそんなの悪しき風習で、奴隷制度以下のような行政をもたらす日本の国家公務員制度の末路。ほんと行政の人が、地道なことをやっている人を最底辺に追いやって苦しめているというのが、どこが日本を上げてのSDGsなんやろなあと思う、SDGsが地道な人たちを潰してしまうことも多いのが今の日本の官製SDGsで、結局長く続いて来た物事を学者感覚で否定してさらに薄っぺらいものに移行するような流れ。
2024年06月06日
オレンジジュースも野菜ジュースも果糖が含まれているものが多く、果糖というのはブドウ糖ではないから血糖値は上がらないけども、砂糖と同じ様に体を糖化させてしまう傾向がある。オレンジや野菜を食べるのとは異なる。オレンジをそのままジュースに絞ればそれはまさに健康だけども、果糖は食品添加物じゃないから、表示しなくてよいとかいうルールもあるらしく、果糖と書いていなくても注意は必要。

100%ジュースと書いてあるものでも、砂糖と同じ様な甘さを感じたらそれは砂糖を取っているのと同じで、血糖値はあがらなくても、体に糖分が蓄積されて糖化現象が起こる。砂糖よりも果糖のほうが体にとって悪い可能性も指摘され始めていて、病院の食事などは砂糖じゃなく果糖類が使われていることが多かったがそういうのも今後は見直しされていくだろう。

飲み物としては、やはりお茶が一番健康のようである。すごく運動をしている人にとっては、エネルギー源として糖分も必要なので、スポーツドリンクなども運動した後の影響補給には必要ではあろうと思う。塩分にしてもスポーツ選手にとっては補給が必要なものなので、激しい運動をする子供たちは大人以上に塩分も必要なケースもあるだろうと思う。

エナジードリンクを子供たちが摂る危険性が指摘されているけども、子供たちにそこまで勉強を押し込まなくても良いだろうと思う。勉強をする目的がそもそも自分のためみたいなところ。知識をどう生かすかが大事で、頭の良いことが人を幸せにするでなく、たとえば、秦の始皇帝は偉大な国を築き上げたが、秦の時代の人々は奴隷そのもので不幸中の不幸だったと思う。偉大な国を目指そうとするとどうしても奴隷が必要になってしまうもので、自国の中に奴隷をつくらない良い国は、他国の中に奴隷を作って成り立っているようなところがある。一人一人が自分が働いて他の人を幸せにするようなものやサービスを生み出してこそ意味があって、階級社会的なルールをつくって人々を不幸にすることで、例外的な特別階級だけが得をするようなルールつくっていては、奴隷制度を目指すような思想。多くの人々を幸せにするようなルールでないと意味がない。

今、オーガニックやエシカルで、ルールばかりを作っている感じがして、それが本来のオーガニックの理想でないような金儲け主義の流れそのもので、20年前のオーガニックの概念からすると今のオーガニックの考え方は、否定されるべきような商業主義そのもので、ジュースでも果糖は表記しなくてもよいからどれだけ加えてもOKみたいな話で、抜け穴ばかりつかって、オーガニックを謳いたいみたいなルールメーカーになると、消費者が信じているようなものではなくなってしまう。

インドでは、ポリエステルやナイロンを5%未満までならオーガニックに使えるというような通達がなされ、もはやコットン100%でもないような、オーガニックコットンの世界が、国際レベルで現在進行形。
そこまで落ちるならコットン100%のほうがマシなのちやうの消費者にとっては、また社会にとっても、合成繊維を混ぜて紡績したものというのは産業廃棄物レベルが高くなって、工業レベルでは捨てるのも難しような、プラスチック繊維の概念にカテゴライズされる。そんなものをオーガニックと謳うくらいならやめておいた方がマシだろうと思う。
2024年06月01日
昔から日本でなじみのあるのがシルクと麻で、シルクは高級なイメージがあるのになぜ上布とは呼ばれないかというのは、布という言葉が麻織物を指すからで、シルクのことは織物にしても絹と呼んでいた。だから上布というと上等の麻織物を指す。

着物というのは反物をほとんど使い切るような形で作られる。反物の幅というのは、基本が一尺(37.5cm)程度X10mほどだけども、それは昔の日本人のサイズで、今の時代の日本人の体は昔の人よりも一回り大きいので、幅も広くまた1匹の長さも11mから12mくらいないと足りない感じ。

林与が昔の手織りの高機が倉庫に残っていても活用しないのは、本当にガタイが大きすぎて扱いが大変なのとまた、織幅の問題もあって、加工して巾37cmに仕上がると小柄の人しかその反物を着物として活用することができないという問題がある。着物は耳まで捨てないで使うので仕上がり幅というのはすごく大事。

動画で見たのだけども、昔は、ハリスツイードも着物の巾で手織りで織っていたようで、ジャケットにするのにあの幅で織ったものを使うというのは贅沢な話に思える。日本でも着物の反物から洋服に仕上げておられるブランドさんもあったりして、海外向けには非常に人気のようだ、贅沢な使い方。また、古着の着物を洋服に仕立て直すのも人気で、そういう良い素材をリサイクルして洋服に仕手実用的に使えるというのは、着物のままでしまっておくより、家宝のように大枚はたいて買われ大事に残してこられた着物を、世代を超えてそのお孫さんなどが洋服として着たり、バックとして使ったりができるのは処分してしまうより、よい方法だなあと思う。オーダーメイドで一回勝負で洋服にしあげないといけないからがら洋服を縫製してつくる人の力量が問われる。
2024年05月30日
日本の織物の歴史をたどっていくと、今の日本という国の概念を忘れる必要があって、江戸時代からは鎖国だけども、それ以前は、日本という国の概念はそれほど強いものではなく、全国がバラバラに国として存在していて、たとえば、韓国や中国の地域などもそれと似た感覚。宗教が一つの統率の概念であったりもして、インドとか中国とか韓国とかも含めて、今以上に人の移動もあって、つながっていたみたいなところがあったと思う。

日本語も標準語にまとまってしまったので、逆に、外国との言葉の壁というものがはっきりとしてしまったのかもしれない。聞いたままを真似すればそれが言葉で、本来、日本語も外国語も関係はなかったりする。まあ、二人の人がいれば両方の言葉のちゃんぽんで会話してもよいのだし、それが普通のこと。

日本の織物の歴史をたどるときに、結局は日本人の歴史をたどることになり、日本の歴史をたどることになる。技術というのは独自に開発されたものもあるかもしれないけども、基本世界のどこかで誰かが始めたことが広まっているだけのことも多い。特に昔は特許とかなかったから見よう見まねで真似てやるのが技術。日本の織物の技術にしても、どう考えても日本オリジナルというよりは人が持ち込んだものだろうと思う。
今の時代も、アイホーンが世界中に広まるし同じようなことが昔も普通にあったんだろうと思う。田舎でも誰かが料理が上手だと教えてとなってその作り方がすぐに広まるし。江戸時代の飛脚にしても荷物を持ちながら、東京から京都の500kmを3日ほどというスピード。一日の移動距離150kmほど、すごいスピードで、馬を使うよりも、人が運ぶ方が簡単だと考えてたのだろう。

織物にしても、今の時代に、だれが草を績んで糸をつくってそれを織って服を作ろうとするだろう、でも昔の人というのはそれが普通のことで、昔の人というのは甘い世界に生きていないので、昔の人の能力というのは今の人の何十倍もあっただろうと思う。
2024年05月30日
滋賀県には、野洲川という川があって、その周辺では昔は晒加工が行われていて、林与の近くの愛知川の近辺の加工工場さんの一つも晒加工をされていた方の元は野洲のほうに由来があるという話を聞いたことがあって、愛知川の周辺では織物の加工工場が何社もあらられる。

林与が仕事に入った平成の初めころにおいても野洲川周辺で織物の加工工場を聞いたことがなく、その野洲川に祖先が由来のある愛知川近くに工場を持っておられる晒工場さんも、野洲川では織物加工が難しくなり愛知川に移られたのかなあと、今度お会いできたら尋ねてみようかとも思う。昭和の時代には、芝生でオゾン発生させて晒すみたいなこともやっておられたりと、白絣と呼ばれるマンガン加工も昔はあった。

野洲麻と呼ばれる麻の産地が栃木県にあって、滋賀県の野洲とのつながりがあるのかと想像もしたこともあったけども、下野と呼ばれていたのが野州(やしゅう)麻の語源らしい。滋賀県の野洲(やす)の語源は、江戸時代の安の国(ヤスノクニ)に、近代になって野洲という文字が当てられたのだろうと思う。日本の国の地名の原則として、国名は1文字、その下の地名は2文字という原則があって、2文字に変わったときに、草もいっぱい生えている場所で川もあったからそのような漢字が当てられたのだろうと想像する。

小千谷縮でのアカソに関しての返答をいただいて、昔から苧麻の青苧を使うということで、ただし、苧が茶色いものを昔はアカソと呼んで使っていたという糸商さんがいっておられるという情報もいただいたので、昔の小千谷縮で赤苧というと苧麻の織物を指していたと考えて良いんだろうと林与の中では結論に至った。

植物の苧麻と赤苧は、両方ともイラクサ科なので、植物のアカソにはいろんなタイプがあってとにかく枝が赤いものは植物としてはアカソみたいなほどに、なんとかアカソと呼ばれる草や木は多い。苧麻は青苧が基本で、葉の裏が毛が生えていて白いのが白苧と呼ばれる。苧麻の中でも茎が赤ければ苧麻であってもアカソと呼ばれていても不思議ではない。、

宮古上布の方がいっておられた青ブーと赤ブーは両方苧麻でとか、高品質な苧麻を栽培もされている福島県の昭和村のカラムシ織の里の方が言っておられた青苧を基本使うが、地元の方で自生しているカラムシをつかうと赤い繊維がとれて味のあるものを織っておられる方があるというのと、また、近江の産地に伝わるカラムシというのは野生のものをいうという話や、アカソ織物というのは近江湖東産地の特色的な織物というような記載などを見かけるに、どれも不整合な点はなく、上布の世界でいうところの赤苧織物は、苧麻の赤い茎のタイプから取り出した赤い苧を指していて、それが日本の昔の麻織物の上布の世界の定番みたいなアカソだったのだろうと思う。

林与の家の裏にも茎の赤い苧麻が勝手に生えていたりして、茎の青い苧麻もいろんなところに自生はしているけども、苧麻で茎の赤いのも生えているからそれを昔の人が活用しないということはないだろうと言える。林与も子供のころから家で昔に織られた絣の織物が、ご飯の上に掛けてハエを防ぐ布だったんだけども、それのベースが白ではなくてうすい茶赤っぽい色で、そこに茶色の縦横絣で、#みたいな模様だったが、今も記憶に残っていて、そのベースの色が苧麻の赤苧織物の色なんだろうと思う。天然の染が入っているような味のある色。植物の赤苧は、青苧を染めるのに使われているケースもあるとも教えていただいた。
赤苧大絣で丸紅賞をヨジヨモン爺さんが頂いているが、その賞状での赤苧に関してもそれは苧麻織物でベースが赤味がかった絣織物だっとということだろう。戦前と戦後で戦後に再開したラミー織物が激変したとは思えない。

昔の琉球王国で宮殿の役職のドレスコードに上級なものがアカソを着るというような記録もみたこともあって、それはたぶん赤ブーなんだろうなあと、いままでいろいろと疑問に思っていた、日本の麻織物の歴史の中に出てくるアカソという言葉にある程度の結論付けが自分なりにできてうれしい。太布織物のアンギンには植物のアカソを使っていた可能性もあるのかもしれないとも聞いた。

晒とかを考えると青苧からスタートするのがベストだろうとは思うから、雪晒とか天日晒とか、川の水や海水で晒したり産地ごとに特色はあるけども、晒すということが大前提にあるなら、青苧を使うのがベストな選択だろうとはいえる。江戸時代の西回り航路で近江商人が良質の糸を仕入れていたような記録や能登からも苧麻の糸を仕入れて織っていたということなども、江戸時代の近江上布と呼ばれたものが、原料からしても日本で一級の物を使っていたということがうかがえる。近江の産地は田んぼも豊かな土地だったので、苧麻を栽培するというよりは、ある程度織るほうに徹したいた感じがする。林与のどこの家でも南側にあたる前栽の縁側の入り口側が機場という家のつくり。

糸を績む作業というのは織る以上に労力を必要とする作業で、それを稲作などが難しい地域に任せて、商人たちが仕入れた糸を近江で織って藍染にしたり、絣織物にしたりが江戸時代だったのだろう。彦根も昔は彦根城の城下町として小京都のような雰囲気だったろうと思う。ゲストハウス無我さんの場所は、江戸時代の生地商らしく、どんな生地なのかというと金襴織物みたいな織物の資料をみせていただいた。彦根の歴史資料博物館では、シルクの織物ばかりで麻織物は展示されていなかったような気がして、麻生地商の商家の帷子などが最高の麻織物だったんだろうと思う。

昔から京都の祇園祭などの麻布は近江の産地のものだと言われていて、京都大阪の麻布は滋賀県の織物が定番だったんだろうと思う。京都で織られていたのは金襴織物で、絹織物は京都でも北のほうの丹後や与謝野が定番のような感じ。大阪は綿織物だろうか。県ごとに織物の住み分けみたいな特色があってそれはそれで面白い。滋賀県で長浜には浜ちりめんをあり絹織物、高島には綿織物がある。織物というのは雪深い地域が適している、林与の場所も雪国のように子供のころでも70cmくらい積もるのは普通のことで、農家の冬場の作業として身の回りの着物を自分たちで織ってこしらえた。それは日本中の農家の多くがそうだったと思うが、彦根藩が麻織物を藩の特産品として奨励したことが、なんやかんや影響して今も林与が麻織物を織り続けているのにもつながっているのだろうとは思う。林与の母親でも嫁いできた人なのに、7代から8代くらい前、200年くらい前の親戚関係を遡って言い伝えられてできるが、林与は何十回聞いても無理。お昔の家の葬式の時とか6代くらい遡り連絡しないといけなかったからそれはすごく大事なことだったのだろう。
2024年05月28日
今、近江湖東産地の麻織物の歴史をたどっていく流れの中で、赤苧織物というのが引っかかっていて、赤苧というのは苧麻の茎の赤いタイプを指して、植物のアカソではないだろうという結論に達しかけている。近江上布もカラムシを使うと昭和の中頃までは言い伝えられてきた。栽培した苧麻ではなく、苧(カラムシ)とは自生している苧麻のことを指すと昭和の中頃まではいわれてきた。

沖縄の宮古上布も赤ブーと青ブーがあるということらしく、ブーは苧麻のことを意味する。茎が赤いのが赤ブーで、茎が緑なのが青ブー。それは今も自生していてそれらを使って宮古上布は織られていたりもするということを宮古上布の会館の方に教えてもらった。

昭和村の方にも確認をさせていただいて、栽培しているものは茎が緑の青苧が品質面が良いということ、そして、地元の人が今も自生しているカラムシを織っておられるのが赤味がかっていて味があるものをつくっておられるというお話をお聞きした。よく分かる話。それが基本の考え方でそういう苧麻がまさにカラムシの原点で、その品質を高めるためにより細い糸を取れるようにするために栽培が昔から行われていたのが福島県で、江戸時代には近江上布も東北地方の原料を使っているという記録が残っていると聞いたことがある。昭和村は古くから糸の産地だったのだろうと思う。近江上布は能登上布が始まる前は、能登からも苧麻の糸を仕入れていたというのが定説で、その後、能登の人たちが近江の職人に学び能登上布が生まれたというような能登上布の歴史。能登川という地名にしても能登川という川があったからという話もあるがその川の名前も能登とつながりがあるのだろうと思う。

小千谷の方や能登の組合の方にも確認はさせていただいている途中で、日本の麻織物における近江麻布における赤苧の関して林与なりの定義づけをすることが、日本の古来からの麻織物の歴史における赤苧織物の定義にもつながるだろうと思う。日本の上布と呼ばれる、赤苧に使われているのは苧麻なのか、それとも植物の三裂した葉先をもつ赤苧なのかという問題。植物の赤苧の繊維の抽出は行ったけども太布向きで、細い緒を績むために繊維を取りだすことは難しい。

断定は難しいのイだけども、高宮の宿での細美というのは、東北で細い糸が取れるように栽培され品質が高く、績まれた糸が彦根近辺で織られたものではなかろうか。今までは赤苧だと考えていたが、それは考えを変えるに至り始めている。赤苧織物は、植物の赤苧ではなく、苧麻の茎が赤いタイプからとった繊維で織りあげられた織物ということで、林与の家や産地に伝わるカラムシの話とも整合はする話。赤苧織物は自生のカラムシ織物で、細美よりはやや太かったかもしれないなあと考え方を改め始めている。

湖東地域で基本米を植えることが基本で農家が、自分の土地を持っていながら苧麻を植えることは難しかっただろうと思う。土地を持っていればそれに応じた年貢を納めないと駄目だし、コメが普通に取れる土地なので、農家が畑で米の代りに苧麻を栽培するような優雅な感覚はなかったと思う。近江湖東地域では戦前は、普通に大麻も苧麻も自生はしていたから。松竹梅やお茶や柿、渋柿と同じで、屋敷に生やしておけば一家の分くらいは時期になれば自生のカラムシなら好きだけとれたのがあたりまえ。品質は別にして。でも当時から栽培するのよりも緒を績むのが難しいからそれなりに評価は苧麻である赤苧が高品質な苧麻以上に高い。いわゆるオーガニック以上の自然農法を江戸時代の人も評価してたのかなあと思ってはいる。

糸を績むという作業は、江戸時代の記録によるとお寺が学校のようなもので苧績みをお寺で教えていたということらしい、それというのは、お寺に績んだ糸を納めるのだろうか。農家は現金収入というのはほとんどなかっただろうし、米や玉綛みたいなものは現金作物みたいなもの。

ムカデがいたら、それをムカデを捕まえても薬にしようとするのが、林与の子供のころで、マムシ酒とかもうほんと、子供のころに何十年も前に漬けられたマムシの入った一升瓶が蔵の中に普通にあるのが田舎の普通。鮒ずしにしても、昭和50年あたりの当時でも、大きな数匹で何万円も払ってつけてもらうのにつかいながら、それはほんと子供からすると吐かれたものを食べるそのもの。日本の寿司の原点がなれ寿司にあるというのも、いくらお金払っても絶対に食べたくないような耐えられない高尚な世界。

江戸前寿司が今の日本の寿司の新たな原点になったのはその場で調理して食べてもらう屋台スタイルから始まったらしい。ファーストフードみたいな感じなのか、塩や酢で締めて魚の生食が始まったのが江戸前寿司で、戦前までは江戸に行かないと江戸前寿司は食べることは難しかった。東京の特産品的な名物は寿司ということだろう。今も東京に行って寿司を食べたい人は多い。

また、麻の話に戻るけども、上布の産地が戦後も残ることができたのは、苧麻を扱っていたからだといえる。大麻織物だけを扱っていた織物産地は戦後原料からして手に入らなくなったことにより、保護されている皇族の儀式や神社の儀式のためにだけしか大麻の生産は許されない、一般の農家にしても戦後は大麻栽培が禁止され、大麻布を織ることが禁じられた。苧麻を戦前から織っていた上布の産地だけしか残れなかったんだと思える。

蚊帳織物や麻織物が盛んだった奈良の地域の織物に関しても、現在、麻を織る会社があまりないのは、戦前は大麻だけを主に織っていたからだろうと思う。奈良は今も麻織物だった蚊帳産業の流れを汲むものとして寒冷紗などの荒い合繊の織物が産業として残っている。元来、蚊帳というのは麻織物で荒い織物なので大麻なのかなんなのか、蚊取り線香のような濃い蚊帳の緑色も、蚊取り線香の成分、元来は、蚊の嫌う菊とかニワトリの糞とかの入ったものなのだろう。今はあの蚊帳の緑の染の技術はどこもやっていないということで禁止されてしまったのだろうか。

戦後の麻という概念は、品質表示法で麻と呼べるのが苧麻と亜麻だけになったことで、戦前の麻という概念からは大きく変わった。戦前は大麻も麻だし、黄麻(ジュート)も麻で、林与が聞いた話では27種類ほどのものが麻と呼ばれていたようで、戦前というのは、特に明治以降はアジア進出など国境がないような状態だったので、世界中からいろんな麻をもっと自由に手に日本が入れていたようなところがある。

元をたどればつる草なども今は河原に行けば生えまくっているけどもつる草からも繊維を取っていたのが戦前のものづくりで、稲の藁からも、いろんなものがつくられて、傘、蓑、草履など、今の人だと絶対にみにつけるのも痛くて難しいような感覚のものでも作業着的な身に着けるものとして使われていた。豊かになると雑草にしか見えないのだけども、麻布もそもそも雑草的なものから繊維を取り出し苧を作り、績むというような工程を経て糸になる。苧麻が苧麻といわれるゆえんは苧を取るための麻ということ。

日本の近代の初期までの製鉄を担ってきた、たたら製鉄という技法も、今は再現が難しく再現されることも限られている。今の鉄よりも不純物のない硬度の高い鉄がつくれるのが特徴で、そういう技法というのは、弥生時代に渡来人(林与が考えるのは徐福一行、のちの皇室)と一緒に秦の時代の最先端の鉄や製鉄技法が日本に持ち込まれ、日本国内でも製鉄が始まった時からの技法。その以前の日本の製鉄というものは隕鉄が原料としての鉄製造法。

鉄の精錬技法と、麻布の精錬技法とが別なのかというと、麻布も砧で叩いて不純物を飛ばして、純度を上げてゆくようなところがある。麻の繊維にはペクチンと呼ばれる膠成分みたいなものがあって、繊維と繊維を繋いでいる。それを石鹸や水分を与えて叩いて取り除くことで、昔の織物の加工となる。昔の技法って鉄の世界も麻の世界も似ているような気がする。
2024年05月26日
今朝は朝早くから、年に一度のゴミ拾いの日。早めに行ってまっていると、たまたま、集合場所の近くをウォーキングされておられる方が林与の80歳くらいの親戚の方で、私を見つけて話をさせてもらう機会があって、私も年配になられたのであまり迷惑になったら駄目だろうと思って、でも、林与のことを思ってくださる方で、まあ、今の時代というのは社会自体が自由な流れなんだから無理やり昔みたいにやろうとしても無理なのが普通というような話をしてくださったが、若い人が多い区ほどそういう柔軟な考え方だから、若い人が残るんだろうと思う。

ゴミ拾い自体は、軽トラで出動して、区の方にゴミ袋をお配りして、ほとんど大きなゴミなどは落ちてなく30分ほどで終了した。お地蔵さんの大きな桜の木を切られたときにその枝が桜の木に引っかかっていたのも片付けようとしたら、それはゴミ収集所でなく、区内で腐らせて自然に片付ける形。まあ、そのほうが小さくカットせずにそのまま似たような枯草や枯れ木のところに積んでおくだけなのでまあ土に変わるには10年くらいは掛かるだろうけども。


2024年05月24日
仕事をしていると思い通りにいかないことが多い、特に、シャトル織機は正直だから織機に問題があると問題のある織物が出来上がってしまう。織機は問題の箇所を直してあげると何事もなかったかのようにちゃんと織物が織りあがる。

織っている織物が問題なのかどうなのかという判断は、麻糸の場合には許容範囲みたいなものが異なると、問題のない織物でも、許容範囲の違いで大騒ぎになることもある。麻織物でも後染めのものを主体に扱っておられるブランドさんだと先染めの織物というのは糸1本のムラが見えるので大騒ぎされることがある。

糸の細い部分重なるとそこが薄く見えることがあったりする。太い部分が重なると濃く見えることがある。今手に入る一番高い糸を使うほどにそんなものである。安い綿麻の混紡糸を使えばそういう問題はなくなるが、生地から漂う高級感みたいなものが消えてしまう。

林与からすると、高級感を保ちながらキズの無いものをつくるためには、織物工場だけでなく、裁断や縫製がどこまでこだわれるかで1着の服としてスキのないものになるかどうかというあたりもあって、インドの縫製工場の裁断工程を見学したり、中国や韓国のアパレルメーカーに生地を納品したときとか、布を使うことに対して最大限の努力みたいんものを感じた。

インドの縫製工場では30枚ほど重ねて裁断された一つ一つのパーツに、レイヤーごとに1から30までの小さなシールを貼って、3mの生地の中で一つの洋服が出来上がるようにしていたり、韓国のブランドの縫製工場では、送った反物を裁断前に、徹底的に検反でマーキングしてどのように糸のフシなどを避けながら裁断をするかを検討してから裁断したり、中国のアパレルは航空便で麻荷物が到着すると午後には生地の物性検査などを終えられてとか、林与が気にしているような生地のことをご自身の中に持ってやられているようなところがある。問題をなるべく解決できるような手段を手間を惜しまずに自分たちが解決しようとする姿勢があって、日本の場合には完璧なものを求めるばかりで、解決能力もなくなり難しくなりすぎているような気がする。

林与自身も麻布を作る側だけども、分業とかじゃなくトータルなソリューションとも呼べるようなモノづくりが自分の中に必要に思う。製造工程でできるロス生地などにしても自分で裁断を工夫したりすれば小物づくりに活用は可能だし、一般的な時間でしばられた商業生産では解決が難しい問題を、解決してゆくという部分が布を作るのと同じくらい、織った布を無駄にしないためには大事で、そういうのできることが本質的に良い材料をつかったものを扱えることにつながるのではないかと思っている。

量産できないような特別な麻生地を提案するのは生地のままでは難しく、自分自身で最終製品にまで仕上げることも特別な布のものづくりを提案できることにつながるだろうと思う。生地の裁断も自分の目で見極めて一番良いところをうまくつかうみたいなモノづくり。また、海外の展示会に戻ることができるようになれば、そういうものを日本のものづくりとして多くのデザイナーさんたちにもみてもらいたい。シンプルながらも高級感や力や、揺らぎの調和でぬくもりなどいい感じに思えるような麻の商品開発。
2024年05月21日




2024年05月15日
仕事で使う材料の残ったものだけが産業廃棄物ではなくて、例えば、事務所の水銀を使っている蛍光灯も産業廃棄物だから、家庭のごみとして捨ててはダメで、そういうのも今はインターネットで情報があるから法律も分かるけども、インターネットでのアクセスができないとそういう情報は得にくい。

産業廃棄物となるとマニフェストが必要となり、大げさなことになるのかと思いきや。1kg300円の処理費用ということで、それほど大げさではなく良かった。蛍光灯は多くの企業が関わる産業廃棄物なので処理費用が低く抑えられているようなところがある。天然繊維系の糸や布のゴミは1立方Mで、1万円から2万円くらいが相場。糸が30kg入っている段ボール箱一つが、0.4MX0.5MX0.6Mなので、0.12立方M。ということは、8個で1立方M相当になる。ということは、240kgで1万円の処理費用ならそれほど高くないのかもしれない。でも、1立方Mの200kgとかの袋を運ぶというのは人力では無理で、それ自体が大げさな話になる。糸の段ボールの箱8個で1立米計算してもらえればありがたいのだが、そういう計算もありなのかどうか産業廃棄物処理業者さんに詳しく尋ねる必要がある。

林与の工場というのは縫製工場ほどはゴミもでないのだけども、縫製工場の場合には、裁断くずは一般ごみで産業廃棄物でなかったりして、縫製工場というのは全国にたくさんあるのでそういう扱いなのだろう。織物工場というのは本当に少なくなってしまっているので、織物工場の糸くずなどはそのような扱いなのだろう。基本、ハギレなどもほとんど残して小物にしたり、使えそうにない部分は、油を拭いたりするのに活用したり、作業中に必要な紐につかったり、機械を修理する時の機械の下を拭いたりするのに使ったりといろいろと活用方法はある。それほどたくさんの廃棄物が出るわけでもないけども、生産途中で残った糸やハギレなどを活用していく必要があり、糸などはロットごとに残しておいて活用したりもしている。

たとえば、リネンガーゼオフ白の縦は、まとまった白い新品のL66番手の糸を使うことが多いけども、横糸はアパレル向けの都度の生産で出る残糸を固めると3kgとか4kgになるので、それを使って生産する。残糸といっても新品の糸を使った残りなので、新品の糸と同じなので品質は保証でき、使い切ったところで一巻の終わりとしてカットするので、一巻の横糸の中に違うロットが混在することもない。今はリネン糸もコロナ前の2.5倍とかになってしまっているけども、リネンガーゼオフ白も2割ほど値上げさせて頂いたが、もともとそういうコンセプトでリネンガーゼのオフ白は定番商品として企画したもので、他の生地よりは価格は控え目にはさせていただいていて、多くの作家さんたちが草木染のベース生地としてお使いくださっている。それなりにこだわっていて、耳もなるべく綺麗に織りたいなあと、シャトル織機の中でも一番耳が綺麗に織れる1台を専用に割り当ててそれで織っている。シャトルは1回挟むだけで段が出来てしまうので綺麗におるのは苦戦をすることも多く、シャトル織機もガーゼストールはそれなりに横糸切れのときには、正確な機械の操作手順が必要で織れる人と織れない人に分かれるが、シャトル織機の織物でも、横4色とか、そこに組織が入るとかすると、パンチカードの意味が理解できていないとパンチカードをうまく戻すことができず、そのあたりになると練習したからできるようになるとかではなくて、説明を聞いた最初の日から説明を聞いて理解しようとして理解してできるまでやった人だけがつづけていけるような仕事なのかなあと思う。

林与もシャトル織機は最初の日から構造がほとんど理解できたからなんとか使いこなせていて、問題があって他の人が原因がわからずに解決できないときにも、案外、林与はその場ですぐに問題の原因を見つけることができたりすることがほとんどで、原因が分からないとか使いこなせなければ、大きなスクラップと化してしまう。また、この先、部品の供給が途絶えても、生きているうちくらいの20年くらいは仕事ができるように、予備のパーツをなるべく集めているというのも大事なことで、パーツがないときには自分で代替部品を作ることなどもできないと難しい話。とくにシャトル織機のシャトルは値段も高くなりすぎて、杼替えのある織物をおるとどうしても壊れやすいという問題がある。将来は、パーツとかもAIつかって、3Dプリンターでつくるとかの時代になるだろうと思う。今はコストも合わないから織物の世界ではあまり現実的ではなく、中古で流通しているものなどを手に入れようとするけども、将来はそれ以外に方法がなくなるのではないだろうか。
2024年05月08日
ブラジルでオレンジ不足で、日本の店頭からもオレンジジュースが消えたり高騰しているという話らしい。昔のジュースの定義は100%果汁だったけども、今は95%で残り5%までの加糖が許されるようなことになっているらしい。これが、海外のジュースを飲むと砂糖の甘さを感じる所以だろう。すごく甘い。

国ごとに国際基準というのがあって、農産物に関しても国際的な統一基準というのはなく、国ごとにばらばらな基準というのが実情ではある。日本のジュースというのは非常に厳しいルールが適用されていて、まだ、100%を守っているメーカーもあるだろう。

中国にいったときには、オレンジジュースに砂糖が普通に入っていて表記もされていたので、ある意味正直といえば正直だろうと思った、体にとっては変わらない。

繊維の世界オーガニックテキスタイル標準なんてものも存在せず、各国ごとにばらばらなでオーガニック基準が定められているのが実情で、日本ではオーガニックテキスタイルの原料を生産するのが難しいが、大量生産国のオーガニックコットンなどは日本でいう普通のコットンであることも裏の実情であったりして、もう遺伝子組み換え種子を使うことは努力目標でしかないし、手に入れることすら難しいと言われている。

認定機関にしても、ワタで検査する方法がないからセーフだというような愚かな見解で、まったくそのあたり本物か偽物か判別が出来ない状態で、遺伝子組み換え不使用を謳ってしまっているような認証。ベターコットンはそのあたり、遺伝子組み換えを使用していることを認めているので、正直といえば正直なところがあったりする。

化学肥料不使用という文言も、インドではCPKに関しては、ノンリストリクティッドというだけでなく、自然配合を壊さない範囲での使用みたいな注釈があって、オーガニックコットンを規制しているのも国で、オーガニックコットン大国ほど、遺伝子組み換えコットン大国で、同じ国の農産省が真逆の概念の物を推進しているというのを考えると、それが日本人の期待しているオーガニック産品につながるのかというと心配すべきところだろうと思う。

今は、オーガニックを謳いながら合成繊維5%まだOKみたいなルールに成り下がって、コットン100%でもないものがオーガニックだったりして、大量に流そうとすると結局概念のほうが崩れてしまって、オーガニックのラベルがついているだけで、インドの国の規定でも、5%までならポリエステル、ナイロンなどを混ぜることができるとオーガニック規定にもあって、積極的に綿以外の混ぜ物をしようとしているように感じる。結局、そういうものが日本では、オーガニックのラベルがついて、殺虫剤、化学費用、3年間不使用とか、謳われて販売され、日本の消費者がそういうのを信じて大丈夫なのかと心配になる。

熊本のあさり問題があったけども、あれと同じで、現実的には無理なほどに大量に広がりすぎたオーガニックビジネスは、もはや混合繊維と呼ばれる世界に突入で、日本の繊維業界の厳しい基準の中で、消費者に対しての正しい情報を伝えたい立場としては、天然繊維に合成繊維を5%混ぜたら別物で、天然繊維100%とも呼べなくなるが、それをオーガニックと呼ぶのはいかがなものかなあと切実に感じる。しかも合成繊維を混ぜることを前提としてそれをオーガニックと呼ぼうとしているのが今の世界のオーガニックの流れ。どんどんと薄まって最初の形から崩れて、もう、天然繊維でもないものが入っていてもオーガニック。砂糖の入ったオレンジジュースのような、オーガニックが普通になってきてしまった。
2024年04月29日
生きていく以外のお金を全部ほどに仕事に費やす覚悟で仕事をしているようなタイプで、そういうのがえぐぎるような感覚で、宮浦さんとかも林与のことを評価を下さって、日本のものづくりのがむしゃらすぎるような形の一番くらいに思ってくださってて、林与の考え方というのは超えすぎていて、今の日本では受け入れにくいけども工業的な生産においてもそういうのがあってもよいのかなあと思ったりもする。

働いている人がそれぞれにベストを尽くせば、日本で世界の最高峰のものが作れるのではないかと思うし、本気の人たちが集まれば時間とか関係もなくモノづくりの話もできて、世界が驚くようなものを作れるのではないかと思うのは、時間に縛られずに働いている林与の考え方。

林与の尊敬する方にも、野瀬精機さんのご夫妻がおられて、半田付けでは日本でもトップの方で、その社長さんは仕事の時間以外はプライベートな方でそういうのほんと才能があられて奥様も同じように能力があられて、でも、林与というのは才能がないから努力するしかなくてと思う。

でも、そういう林与の努力の積み重ねで、世界に評価されるようなアイリッシュリネンプロジェクトや、リネンキッチンクロスL25HD、リネンデニム、リネンストール。日本の麻織物の産地発でそういう世界に通実ような麻生地が生まれていくのが、それは林与自身じゃなくてもよいのかとおもうし、覚悟決めた人たちが日本の麻織物を担っていけば、それは世界的な麻織物のトップクラスに通じるとは思うけども、自分がとことんやる気が必要でそれは時間から時間の感覚とかはダメで、林与が働き始めた日から親じゃなく日本の麻織物を当たり前に背負う覚悟で、そういうのって、本当に個人レベルでも覚悟が必要で、日本の上場の大手企業には難しい。でも、大手企業の方たちが林与志雄の存在というか考え方と行動力を日本の繊維業界じゃありえないとか世界規模でもありえないと考えてくださているから、林与がファミリーオリエンティッドで成り立って行く覚悟で、覚悟は決めて世界に通じるような麻生地を全力出して動けるような方々と取り組みたい。
2024年04月29日
林与もこの業界にいて、日本の布の価値観というのが失われていくのを感じることが多くて、自分たち自身がその覚悟がないと難しくて、日本の繊維業界も日本の機械技術に支えられてきたけどももう日本の機械技術も海外のほうが簡単にできてたりしてというのが本当に難しい話で、日本が誇るような世界最高の機械技術が日本の繊維業界を支えることが難しければ日本の繊維業界も難しい話で世界的には生き残れないというような運命。

損得じゃない世界があってもいいとは思うのが林与の繊維業界と接してきたような人生で、そういうのに共感をしてくださる方が多いのが日本の繊維業界だったりしてそういうのに救われる話で林与というような存在も日本で残っていたりもするところがある。

日本の麻業界だけじゃなくて天然繊維の価値観みたいなものを守りたいなあとおもうのは、海外の展示会にいってもブランドの方々が素材へのこだわりが高級ブランドの方ほどなかったりして、1m1000円で買えるもを欲しがられる世界的に有名な高級ブランドの若い方たち、でもそういう若い方たちを林与に送り込まれた高級ブランドの古参の方たちは世界的にも失われた世界を林与のハンガーサンプルをみて気が付かれ・・・。世界規模のインターナショナルなブランドでももう失ってしまったような世界が日本にのこってたりして、それは、林与個人の人生観そのもので、尖りすぎて入るけども、日本の麻織物が世界レベルで最高だと思ってもらいたいというのを、伝えたいし、国内の方たちも林与じゃなくてもすごいことをやってもらいたいと思うが、素人騙しの偽装は日本の繊維業界に昔からあった悪しき慣習で、消費者騙しが金儲けの悪しき日本の慣習そのもの。日本の繊維業界で日本の大手もそういうのほんとやめといてと思う。
2024年04月23日
今日ある会の代表の方と話をできた機会があって、オーガニックの国際認証の大きな問題の本質を認めて、世界統一の基準があるのではなくて、各国ごとに異なる各国のオーガニック基準に従うしかないという問題が、国際認証にはあるのも駄目だけどそれしかできないみたいな話で、正直にそういうのを認めてくださっての話なので、日本で、化学肥料不使用とか、遺伝子組み換え不使用とか謳うのも輸入される原料を使った糸に関しては多くの割合で難しい状況になっている。国際認証機関でもコントロールするのが難しいというような、昔から天然繊維やっているものからするとそういうのが一番ラベルだけで一番の謳いが怪しい要素というのを認めておられる方なので、逆にそういう現状を認めないでカネ取るだけの認証機関的なタイプの方よりは何倍もマシに思えた。

認証機関も認証が取り消せされるなど特に認証の緩い国では国家基準が怪しくなりすぎている特にGMOコットン大国といわれる国ほどオーガニックコットン大国なので、GMOコットンを推進してきた国のオーガニック国家認証というのはそれほど厳しくなく、日本のオーガニック基準は非常に厳しくて、それを適用すれば、海外のオーガニックコットンの多分9割以上がオーガニックじゃなくなる話じゃないのか。そういうのは、熊本のアサリに似ていて海外でオーガニックラベルを付けて、日本に持ち込めばオーガニックとして売れるという、もしかしたら消費者の期待とはまったく反対のことになってしまっているのではないのかと国際認証に思えるような問題。

まだ、林与の林も普通に理解が出来て、当たり前ですが、GOTSも国の中には入っていけないので、各国バラバラで緩い国の認証もオーガニックと認めないといけないというのも認められて、一般的に流れている化学肥料不使用、遺伝子組み換え不使用が現実的には不可能になっているようなオーガニックコットン大国もあって、そういう原料を使った製品が日本のオーガニックコットン製品の市場の半分以上というのが現実。

普通のコットンを叩いて、結果、GMOコットンがほとんどになってしまっているとか、権威主義の怖さで、そういう事実も普通に話ができないと駄目だろうなあと思うが、そういう話をできる人というのは、生産者や消費者保護の気持ちがある方だろうと思う。林与も自分でできないものを、他の誰かができそうならその方にどこどこの方がやっておられるからやられたらどうですかと提案することも多い、でも、林与で織ってつくれるものをみたいな方もいてくださって、本場の産地産として作れる布の量も限られているけどそれが当り前の現実だったりする。
2024年04月23日
仕事の力というのは人生観やそれまでの経験そのもので、会社の中で働いてもらって教えたからと言ってできる人とできない人の差みたいのは埋まらないことが多い。できる人というのは最初からとことんやろうとするけども、できない人というのはとことんまでやろうとしていない。余裕があるというか目の前の作業をすることじゃなくて、そこまでできないわみたいな別のことを大事にしている感じが漂う。

作業をしてもらったからといって正しくできても上手にできてもそれでトントンというのが仕事のプロの世界なのに、やればできることをもったいぶっていては、仕事というのは本当に難しい気がする。やっても難しいことをやろうとするくらいでないと、仕事で食べていくのは難しいが、一つ一つの作業はコツの積み重ねみたいな部分があって、大事なのは作業することじゃなくて、作業の結果、みんなが仕事として成り立つことだと思う。仕事は好き嫌いじゃなくてみんなが嫌がる作業ほど意味のある作業だったりする。

先代が言っていたことの一つに最後に残れば大丈夫みたいな感覚があったけども、先代自体が時代が替わるとまったく残ることも難しく通用もしなくなってしまった。良い時代の感覚は、人間関係があれば食べてゆけるような感覚で、目の前の仕事にありがたさすらもなくなり、きびしい時代には生き残れない。

上下関係とか意味すらもなく、どこまで自分が答えを出すためにやれるかが大事で、他の人をいちびって仕事みたいなのが一番すきじゃない。昔ながらの繊維業界にはありがちで、ホワイトな繊維業界にもありがちな体質そのもの、国連レベルの驕りがちな地道な人たちを見下したSDGsにもありがちな体質そのもの。本当に覚悟決めてやっている人たちを支えないなら意味すらもない。

林与が地道な方たちを評価するのはそのあたりで、別に無名でも本気の方というのは、すごいものを作っておられ、北海道の亜麻音工房の小野田さんは、日本で世界一くらいな凄いリネンの世界をおひとりで実践されていたりする。お会いしたときに、すごく静かな方で、でも林与が小野田さんが織られた布をみせていただいたときに、林与が小野田さんがやってられるすべてのことが理解ができた。これってすごく大変でしょっていうと、大変なんですとニッコリされていた。作業的に、大変なことを乗り越えておられるだけでなく、織られた布がまさにありえないほどの別格でゴールドでまさに亜麻色でしなやかで美しすぎた。ありえないほどの最高の日本産のリネンを自分が働くことで、フラックスから育てられて、手紡ぎで、手織りで作られていて、そういうのは規模は小さくても、世界的にもまれだと思う。
2024年04月22日
今日もいろいろやらないといけないことがありすぎて、夜中に請求書などを作成して、午前中は金融機関、午後は梱包と納品。帰って来てから、また、夜の出荷作業。織っているリネンガーゼの片耳がよく切れるので、本腰で夜中に調整をしようと思う。織り進めると耳が汚くなるので、しっかりと直してから織らないと思う。

先週の頭は風邪でボロボロだったけども、先週の後半からは元気に戻って体調も良くなってきた。左手の中指と人差し指の第二関節がシャトル織機を動かすときに框を握りしめてソウコウ枠に当たるので、ダメージ中。林与も十分に中年を超えた感じだけども学生以上にまだ動いているような感じで、いろんなことに動けることはうれしいことに思う。

林与自身は、何でもやればできるんじゃないかという自信を持っていろんなことをやっているのだけども、それをやろうとするとすごくたくさんの試行錯誤と成り立たせるための努力が必要で、他の人と一緒にやっていると他の人が限界を超えすぎていて気の毒に思うことがある。小学生や中学生だと乗り越えられそうなことでも大人だと難しいことが多い、経験者ほど新しいこととか深くすることが難しいことも多く、経験というのは時間の長さじゃなくて広さや深さが大事に思えたりする。逆にそんなことやってるとすることだらけになってしまって、無限にやることができてしまうから、自分の限界を納期の兼ね合いで品質をどの程度で妥協して安定させるかというあたり。

林与の自信がどこから来るのかというと、人のできる限界を知っているから、それをはるかに超えてやっていれば、失敗が多くあったとしてもそういう失敗は高度なレベルの失敗でケアレスミスみたいなものじゃなくて、ケアレスミスを最大限に取り除きながらそれでも難しい問題とにらめっこ。

林与が本気で麻業界の方と話すときには本気の話で、そこまでやれば普通に成り立って当たり前なのじゃないのかと思えたりもする話で、そこまで行くか行かないかじゃないのかと思ったりもする。覚悟決めることができるかできないか、損得で終るのかそれ以上所余裕をもって商売を営むのか、余裕というのはプラスじゃなくマイナスをそれなりに背負ってそれを自分が余力を生み出しながら解決するという本当の厳しさがあると思う。

林与のお客さんもその覚悟の方が多くいてくださって、林与も成り立っていると思っています。林与的なドンキホーテーの問題を、業界では珍しいと思って受け入れてくださってる方々に感謝し、林与なりの自分の限界も支えられていたりしているのを感じることが多くて、日本的なサステイナブルの気持ちには答えたいとおもいながらも、正直、自分自身が自分の限界でやってるのを、笑う人がいたら似非、ラベルでごまかそうとする人がいたら地道な仕事で成り立つ繊維業界を食い物にしているだけ。

日本も戦後のサラリーマンの時間から時間の感覚から抜け出さないと、海外にも軽く追い抜かれてしまう。海外の人たちが自分の人生ではなくて、自分の家族を支えるために必死に働いているのを、海外だからと言って先進国の驕りで笑ってたらそういうのに支えられて先進国の繊維業界が成り立っているだけ、日本でやるんだからとことんなことやりたいなあと思う。
2024年04月21日
物事を深く経験しておくことは仕事では大事だなあと思う。広幅絣プロジェクトをやったときに、東京に行って二宮先生に3時間ほど型紙捺染の基本と材料などの具体的な購入場所や商品名などを教えていただいた。そこからはすぐに自分で実践で、自分で広幅絣用の機材を作ったりして、時間のできた年末から正月に掛けて本格的に捺染に入った。

染料の特性なども失敗するうちにいろいろと分かり始め、林与の昭和の27年から38年頃までの近江上布アーカイブの10点ほどを再現した。型紙を自分で掘るところから始めてみて見えてきたこともあったり。横糸の種を作ることも試行錯誤。横糸をシャトルの管に巻き返すのも一苦労。織るのもシャトル織機を使ったので1回のミスも許されない。シャトル織機で1本1本織るというのは本当に難しいなあと実感して、これなら広幅で手織りしたほうが楽だと悟った。

シャトル織機を使う利点は、精密なギアで経糸を送ることができることで、ストールなどガーゼのものはピッチが狂うことなく織ることができる。着物の織物というのは基本、和織機で力強く打ち込むことが大事で、目が詰まっている織物が昔の良い織物の定義の一つで、ち密なものを織ろうとすると細い糸が必要で、ゆえに細番手の織物ほど高価であるという公式があった。

絣の着物というのは一生ものなので、昭和の林与の近江上布の捺染も今の染以上にしっかりとしていて、アーカイブは、去年作ったものかと思うくらいに70年ほどまえのものでも、色も生地もしっかりとしている。麻布の一張羅そのものの感じで、林与の近江上布のアーカイブは海外の展示会でも目からうろこのようにデザイナーの方たちが驚かれる。再現できればなあとおもって、再現してみたのが林与の広幅絣プロジェクト。

林与自身繊維業界にいるのもそういう星の下に生まれたからというだけで、損得ではない感覚が強すぎて、でもそれが世界中の方とのつながりが生まれたりするきっかけになっている。今の林与の力じゃないけども、与一爺さんのころのものづくりの力が世界ではありえないようなものとして注目され期待されているのがわかる。

東円堂という村は林与の親戚の塊みたいなもので、他の田舎の農村の集落も同じようなものだっただろう。それぞれの集落で母屋があって、明治の四民制度の崩壊で、農家が織物産業を日本の最先端の産業として働くということで最高の物をつくり、田舎でも中学校卒業でも大卒以上の工賃を手にすることができ、日本でもそれなりに一番くらいに恵まれていたような村だけど、そういう意味が分かっていないと仕事もおろそかになりがちで、先代がいつ口にしていたのは食べさせてたる、そういう先代の驕りが働く人の驕りにつながってそういうのを背負うのは誰もいなくて次の世代が解決で、林与が林与を背負う覚悟。

できない分からないしらないとかは仕事するには厳しすぎるのだけども、他のそういう人たちが頼っている先代でもおなじようなところがあって、戦争に行った勘一じいさんは伝統工芸士でも生きてゆくありがたさとかを分かっておられ、組織というものも分かっておられ、清水のお婆さんも同じで、先代の甘さをわかっておられ、与一爺さんの世界最高に迫るような麻織物の世界、それがあるから、地場のモノづくりの意味もあるのではないかと思う。世界最高の物を作る気持ちもなく打算的だと、先進国での最高級が難しい。

林与が中国の世界インターナショナルテキスタイルコンテストで世界の何千社が集まるテキスタイル点で海外企業としては一番の第三位を得たのを分かってもらいたい。世界が求めているのもそういうもづくりで、日本国内も打算が勝ちすぎて謳いだけが多くてその裏も知ってる林与だからいえることで、勝美社騙しビジネスというのは一番駄目なラベルビジネス。ラベルじゃなくて実際にやってる人を支えましょうよ。何も繊維のことを知らないラベルの人たちが実際にやってる人を下に見てラベルだけで定義づけて上から目線で奴隷みたいな感覚は、日本の今の繊維業界の日本の背負う覚悟もなく、仕切って食いつぶして金儲けしたいという気持ちの悪さ。ほんとやめてほしいわ、一番駄目、日本のありがちなラベルビジネス社会。
2024年04月18日
昔、夏場になって仕事が少なくなってくると林与に電話を掛けてこられて、何か仕事をもらえないかという電話をいただくことが度々あった。会社を経営されていて仕事がないというのは会社を回していくことが難しく従業員たちを養っていくことが難しいというところで、仕事というのは結局のところ自分たちが食べていくための手段なのである。

間口の狭い仕事観だと自分の仕事はこれだとなってしまうけども、他の人のやっていることなら自分もできるんじゃないかと思って、自分ができる仕事の範囲を広げておけば仕事というのは他の人のやっていることも仕事になる。極端に言えば、自分の会社の中の仕事だけでなく、他の会社の中の仕事も自分の仕事となる。たとえば、自分でパンフレットをつくるのも仕事だったりするし、生地を販売するのも仕事だったりする。

織物の世界というのも一応、ファッションとかデザインの世界なので、単に技術畑ではないというあたりが、林与には案外あっているのかもしれない。先染めの柄なんかも、柄をどこから始めるかだけで、布としてのイメージが変わって来るので、林与はそういうのも考えて布を整経したりするのを最初の時からやっていて、左右対称にみえるように違和感ないように配置する。そういうのできる人って少ないと思う。それやるだけで計算がすごく面倒で、実際に作業するとなると作業もすごく面倒になる。でも、毎回、そういうのをちゃんとやるといい布が作れ、布として残っても価値がある。

布を作るときに、そういうのできる人って業界でも少ないと思う。林与が計算してやってもらおうとしてもその説明を理解してもらうだけでも理解してもらえないことが多い。なんで、もっと簡単に、柄の始まりから整経しないんだみたいなことを思う人も多いが、縦の本数というのは決まっているので、それに当てはめる必要があって、柄をリピートしたときに最後どこで終るかが綺麗かどうかの問題。またそれが、裁断する時に柄を使いやすいように配置することにもつながることが多い。生地の裁断というのは左右対称に取ることが多いから。

一つの仕事をするときにも、無駄に思えるかもしれないけども、それなりにベストなものを作るということに徹していると、高度なモノづくりにつなげることができて、そういうのを理解できるチームで動いていると良いものが作れる。そういうのを頭の中で当たり前に組み立てることができるタイプなのでこの仕事には向いているだろう。
2024年04月18日
昔から仕事していて思うのが、繊維業界というのは人の力が重要な要素だなあと思える。作業スピード、正確さ、責任感など、地道な作業を成り立たせていくために重要な要素で、できる人は当たり前に働いている間、全力で作業することを心掛けていて、他の人の何倍もの仕事をてきぱきとこなしていくことができる。そんな方に林与も仕事のはじめを教えていただいて、作業する時にはその気持ちでいたいなあと思う。

日本の繊維業界というのはかなり厳しいなあと思うのが、昔だったら人が集まってやっていればものが売れて成り立ったのだけども、そういうのが海外で安く作れる形になっただけでなく、海外でも高品質なものが当たり前につくられるようになってしまって、日本国内の昔のスタイルが追い抜かれてしまったという現実があって、日本国内で集まって作っているだけでは難しいというあたりで、高コストな日本ではよほど意欲をもって、仕事を自分でこなしていくような姿勢がないと難しい。海外との競争とかが普通にあるのを理解していないと自分が普通にしている程度では駄目で、スピードと正確さと責任感が求められるのが今の日本。

昭和の良い時代の現場の感覚がまったく通用しなくなったのが今の時代で、令和の時代に今の林与的な感覚がすごく批判もされたりもしたが、それが結局、業界で成り立たせてゆくためには当たり前なことで、高度なものづくりをどれだけ高めてゆくかということ。今作っているもののほとんどが、シャトル織機での生産で、定番の曽部と仕上げを除いては、普通のものはほとんどなかったりもする。

現場で機会任せに普通に織れるものというのは、あったとしても、それを普通に織れるようにしないといけないのが現場の人の仕事で、織る力が必要になってしまったのが今の時代で、一昔の工場をまかされているレベルでも今の時代の織物というのは厳しすぎるのが現実で、そういう甘い感覚がまったくないのが今の繊維業界。普通にいろんなことを自分が見えていないとほかの人が全部準備してくれるが当り前で片付けてくれるような海外の大量生産の現場の感覚では難しい。

林与も、働き始めてすぐに、おじさんに自分たちの面倒をみてもらわないとこまるみたいな話をされて、それが普通に田舎の感覚なのだけども、今の時代の若者がそんなのを頼まれても困る話で、とことんだらしなく年配の方たちが若いものに甘すぎるものを求められても困る話で、そういう方々が先代に頼って先代が驕ってしまっての昭和の時代の感覚で、もうまったくそういう人に頼れば甘えればなんとかなるみたいな感覚が通用もしていないというのに気が付かないと難しい。

そういう方たちが頼ってきた先代でも、次の世代からするとまったく、食べていくのが難しいというのが現実で最初の日から仕事はしていて、先代の驕った感覚と先代に頼って面倒を見てもらう感覚というのが、ほんと、驕って食わせてたるみたいな感覚と頼って食べさせて感覚で成り立つはずもなく、普通に繊維業界の厳しさを認識して日本の高度なモノづくりを実践できる人でないと無理だと思うし、先代のような典型的な驕りが昭和の時代にも通用していたのかというと、単に人のよいカモでしかなかったのかと思うほどで、普通に世間の当たり前が分からないとそこで離れる覚悟はないといけないが、そういうのがないできないと今の繊維業界の厳しさを乗り越えていく覚悟があるのかないのかという辺りは本当に難しい。
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