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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2025年01月10日
仕事で道具が大事な時もあるけども、道具も手軽にどう用意できるかということも大事で、パソコンなんかも、10年以上前に発売されたノートパソコンのシリーズを壊れては中古で手に入れて使い続けている。前の5月に思い切ってスマートフォンは新しい5Gのタイプにすることにしたけども、失わないように600gもある普通の3倍の大きさのスマートフォンで、失いにくいのがよいのと、バッテリーが普通のスマートフォンの5倍くらい長持ちすることで、ノートパソコンでデザリングしても数日使えたりする。

今の新しく買えば業務用のノートパソコンとして30万くらいはするものとスピードやできることというのはほとんど変わらないように、SSD化してメモリも増設してはある。どんな高いノートパソコンを買っても、不具合みたいなことはあるので、その時に自分で高価な30万するものを分解できるかというとリスクは高いが、中古で1万円で手に入るものなら、自分で改造して自由に修理も可能で、データなども修理に出して消えてしまうこともない。コパイロットも、ウェブ版がすごく便利なのでコパイロットPCは必要ないという結論に達した。どう考えてもノートパソコンだと学習能力に差がありすぎて、外の世界の情報を瞬時にウェブから取り込んで学習して答えを答えるというのは難しいだろう。

AIの自動画像生成や動画生成などに興味があるけども、それも、最新の機材を手に入れてというよりも、3年くらい前に10年前のワークステーションを買ったので、それを活用することにしたい。10年前のデスクトップパソコンでも、当時のワークステーションの最高峰レベルだから信頼性も高いし36コア72スレッドなので、今の最新の高性能なCPUとそれほど変わらない処理スピードを持っている。単なるスペックの凄さだけでなく、信頼性というのはすごく大事で、普通の個人用のパソコンというのは1年電源入れなかったら立ち上がらないことが多いけど、さすがに、信頼性の高いパーツを組み合わせてあるので20年とかは使えると思う。使いたいソフトを走らせるためには、グラフィックボードも16G以上のものが必要ということらしいので、それはまた買わないといけないかもしれないが、それも3090あたりが中古で手に入ればよいのかなあと思う。

思うのが、田舎でくらしていて、また繊維業界にいて、今の時代の最先端みたいなものとの接点みたいなものは持ってることは大事だろうと思う。昔子供のころにパソコンでBASICという小学生にでもわかるプログラミング言語があったけども、今は、初心者向けのプログラミング言語がpythonみたいになっていて、基本はBasicににていて簡単だけどもライブラリーみたいなものが多種多様にウェブで公開されているので、それをインストールして、自分のやりたいことをどうプログラミングするか、活用例やプログラミング例を見ながら、実践しながらそれぞれの機能を覚えていく形。小学生や中学生には、コマンドプロンプトとか関数の定義とかモジュールの概念は難しいと思うので、昔の子供以上に今の子供たちというのはプログラミングを勉強するのも大変だと思える。コンピュータは進化しても道具的なままで、人がどうやってそれを活用するかで、活用する人の能力がよりも求められるだろうと思う。今の時代の小学生や中学生は大人がまったく理解できないようなこともこなして行かないといけない恐るべし存在。

今のような、世界共通で無料でいろんなことが誰でもできるようなコンピュータの世界というのは、恵まれない国の人々にもチャンスを与えるだろうし、逆に先進国が働き過ぎは駄目だとかいっていると、海外の人々にどんどんと追い越されてゆくだろうと思う。日本の大手企業が結論として海外企業に買ってもらって倒産を避けるというのも、もう日本の優位性というものはなくなって、30年前でいうイギリスのような国に落ち着き始めているのだろう。

高校で配る性能も高くないタブレットが20万とか笑えるほど、2万円のタブレットでも同じようなことはできるじゃないかと思うし、原価も2万くらいのものなのだろうが、アベノマスクみたいな感じなのだろうか。そういう狭い世界に閉じ込められて子供たちの家庭を苦しめてどうするんだろう。環境をつくること自体が日本の昔の行政的なやり方で遅れすぎている。2万の市販のタブレットでも十分だろうと思うし、それが実践的なパソコン学習。市販だと2万で手に入るものを20万払わせて逆にチャンスを奪ってしまってるあたりが流石、日本の政治家やお役所。
2025年01月10日
オーガニック偽装も品質偽装も産地偽装もそうだけども、それが謳いなのにそれが偽装というのも、日本では現実を超えた厳しい基準のものが流れて売れていて人気でシェアをしめるけども、実際にはそういう謳いが偽装であることが何十年でNO1シェアとかで、偽装の元になっている、厳しい基準こそが偽装しないとクリアできない根源になってしまっていて、日本の大手自動車メーカーもどこも偽装ばかりだし、日本の大手鉄鋼メーカーにしても偽装が何十年で日本でNO1で実はJIS基準はクリアしてるから大丈夫だという。JIS基準のネジやボルト的な鋼材なんてほんと、数回使うと笑って遊びがでるようなもので電動の工具で強く閉めることもできない。

日本は基準が厳しすぎて偽装が横行する、偽装してありえない基準や認証を得ているみたいにみせないと生き残っていけないみたいな、偽装がより高い基準を生んで、より高い基準を求め、偽装が加速するというような、ほんと消費者騙し的な一番駄目なことは行政も主導しているようなところがある。素人な人たちが偽装をしたものがクリアしているからこれが当り前みたいに、それを基準にするとまともに正直にやっているものが、基準もクリアできない駄目なレベルで粗悪品業者になる。でも、産地偽装して安く売る業者や、ブラックボックスな大手のビッグモーター的な消費者に安心を謳って犠牲にするビジネスモデルばかりでは駄目だろうと思う。

基準をクリアしながらも修理ばっかりで消費者は買い替えや費用負担ばかりをメーカーに、買い替えたほうが安いですよみたいな話ばかりの長持ちもしないものが、厳しい基準では溢れまくる。厳しい基準を信じたのに消耗品的に買い替えを促されるような維持ね酢モデルそのものが、実態という情けなさで、まともなものはホワイトな働かない世界では当たり前に難しいという実情もある。ホワイト社会を目指すと自分が働かず、一番ブラックな体質になりがちなのが今の世界的な、ジェノサイドを引き起こさせるような先進国の働かないことをホワイトとして貧しい国の責任に投げやって、何千億もの利益をすごいことみていにホワイトみたいに、世界的には人々を犠牲にして、何千億の利益がなりたつ先進国型のホワイト、それが、世界で働いている人々のブラックな環境との表裏というだけ、これは本当な話で、分かち合う気持ちもない人がホワイト気取りでやるから、何千億もの利益が生まれ、繊維業界でも、たとえばアベノマスクが典型だったこと。

アベノマスクにしても、外国の人た作ったものだけども、残ったとしてもゴミじゃないのにそれがゴミみたいに、ほんとそういうのが、日本のアンエシカルな感覚そのもので、自分さえよければ他を利用して儲けたりできればよいだけのビジネスモデル。アベノマスク配りながら布マスクを否定したりとかほんと、それは人の命を救うことすらも考えていない人が金儲けのために、N95でないとむりだとか、N95マスクは逆に1枚5円で作れ1時間も付けたら呼吸もできないといわれ健康を害するといわれるもの。布マスクの方が昔から人々の命を守ってきたが、医療関係者がそれを否定してどうするの、医療関係者もコロナを抑えるよりも、マスク不要や害悪論を垂れ流して蔓延させるようなことやって、蔓延させてしまったらどうしようもなく、人の命がカネもうけの材料になっては駄目だけども、そういうのも日本の現実だと思う。

人の命を救おうという人ほど金儲け主義に走りすぎて、当たり前のことをご用学者を利用して駄目だと否定する。ほんと人間の命って考えてない人たちが、人々を救うとか言って、金儲けばかりなのが今の先進国日本の実情で、コロナなんて結核と同じで、空気感染もするし、ますくとか、隔離で防ぐしかない当たり前のことなのに、なぜか、医療関係者がそういう当たり前のことも否定して、金儲け的な合成繊維のものだけが人々の命を救うみたいな話。実際には合成繊維のマスクというのも息が据えればコロナは布マスクよりも防げていない可能性も高い。

布マスクは布表面に水分があってコロナウイルスが呼吸もできながらとどまる可能性もある。いくら合成繊維と言えどもコロナにしても人間の自然免疫との兼ね合いて程度問題。布マスクだと救えるけどもフェイスシールドでは救えないことのほうが多いのに、マスクは有害でフェイスシールドは有効みたいな政府見解とか、コロナを逆に広めてしまったどうしようもない話。普通考えたら分かるだろうに、変な糸を持ってフェイスシールドビジネスで一儲けしたいと思うとそういうのやってしまう。
2025年01月09日
田舎にいると外の世界との接点があったとしても特定の人だけでしかなく、やはり不特定多数の人と出会うことも大事で、実際の仕事の中身などは自分自身での情報発信ということが非常に大事だなあと思う。今は工場見学なども行っていないし、展示会なども出ることも少なくなったけども、いろんな方と出会うことで、繊維全般に関しての知識も高まるし、それがあって世間話というのではなく、技術的な話など本当に疑問に思っていたことなどを麻業界とは誓う方から他の繊維について教えてもらうのが役立つことも多い。

そして、自分自身もたとえばプリントをやったり、自分で生地染をしてみたりとか、それの自分の経験も応用して、本職の方に染めてもらうとかすると、本職の方がやるありがたさみたいなものも分かるし、本職の方の説明を聞いても自分の経験と川根合わせることができる。自分で布を縫ったりすることもあるので、ミシンとかに関しても扱えることがものづくりには役立って、なんでも一番器用にできるみたいなのを無理でも目指そうととことんやってみるのは良いことで、最初から自分には無理と諦めるよりも。やるだけやってみて諦めるほうが良いだろう。

一つのものを作るときの試作などでも、自分で縫ってみて強度などを試すことも可能だし、よりよいイメージのものに作り上げることも可能だし、量産する時のたたき台を自分自身が、それなりに形にまでできるというのはすごく良いことで、どうやれば無理そうに思えることでも可能になるかとかも考えることができる。

いろいろと広い分野の知識というのは問題解決にも役立つことが多くて、何か商品の企画をしようとするときに、本当にいろんな角度から商品というものを想定しておかないと、一つの弱点みたいなところが、商品そのものを駄目にしてしまうことがよくありがちなこと。ブランドとかを立ち上げたい人にもいうのが、アイデアだけあっても、つくったら怖いことになるから、自分自身で試作までする力があって試して大丈夫なら、企画一つもなんとか成り立つかもしれない。それでも知識もなくものをつくると大きな問題につながることは多いから、布というのは後から解決するというのは本当に難しいことで、それなりに問題点も理解しながら、触って観た感じだけが良い悪いの話じゃないという大事な部分。慎重にやってても見落としがあるかもしれないのに、簡単に思って大丈夫だとやってしまうと大きな問題につながる。

あるアイテムを企画された会社も、生地自体は問題がなかったのだけども他の生地と合わせて使ったりすることで大きな問題になってしまわれて、それぞれの素材の問題点などもよく知っていないと、後から解決しようとしても大きな問題になりすぎる。新しい所品を気軽に企画みたいなのは、問題を拾いやすく、新しい素材を求めるばかりの業社さんも織られたりするけども、一つ一つの素材を製品に仕上げるときに見えてくる問題が当たり前にあったりする。

麻で怖いのはもっと薄く柔らかくとかで、縫い目滑脱とかスリップの問題といわれるもの、収縮率の問題。堅牢度の問題にしても濃色を本当に濃色にすればするほど問題は大きくなる。林与の場合、濃色は濃色にしていることも多く、林与の麻生地が他の会社の麻生地よりもぼやっとしていない、スカッとしていると言われるのもその辺り。微妙なことだけど、そういうのが野暮さにつながってしまうので、安全を求めれば、本当の濃色は避けたほうが良かったりする。タオルカラーとか言われるものがあって、淡い黄色やブルーやピンク、若い系の感じの色だとそういう問題は起こりにくい。色の濃淡の差によって、糸の収縮率の差が生まれ、バブリングする減少なども最近はよく見受けられる。

麻のチェック柄らしい先染めがだんだんと難しくなってしまってきているのもその辺りの問題もあるし、怖いのは織っているときにシャトル織機とかだと、色によってすでに、幅が狭くなったり広くなったりするから。幅がせまく織れたり広く織れたりしててしまう。生地企画というのはたとえば、インチ縦横何本と決めても、それ通りに居りあがるかというと、経糸のテンションが強ければ引っ張れて織れるので、幅が狭く織れ、横糸密度は高く織れる、経糸のテンションが低ければ横糸密度は同じギアでも低く織れる。

普通現場の織っている人がこういうことを考えることは少なくて、織れるか織れないかだけだけども、問題が糸にあったりすることもあって、特に支給の糸の時には、別の対策を講じるということも難しく、苦労することが多い。支給の糸というのは織れればよいけども、色によって糊付けなども差が出て来て濃色は糸も弱いし織れないことが多かったりする。織機の綜絖に糸を通そうとすると隣の糸がぽろぽろときれるとか手で触るだけで伸度がなく切れてしまうケースも多い。
2025年01月09日
昔先代なんかは、会社の車を5台買うにしても、それぞれ別の自動車屋さんに頼んで、付き合いを広めるようなところがあって、今の林与というのはそういうのを整理していかないといけない側で、先代は良いひとみたいに言われるけども、当たり前に思っておられる関係を断って一つにまとめていかないと自動車数台にしても、車検も順番に回って来るし保険もいろいろと回って来る。

広めるのは簡単でも、そういうのを整理してゆくのは本当に難しく、広めた先代が自分で片付けてゆけるかというとやはりそういうのは難しく、亡くなってからしか、いろいろな関係にしても迷惑が掛からないためにも手狭にしていかないといけない。そうでないと、自分自身が動く時間もいろんな関係の人とあって、書類を確認したり判をおしたりだけで取られてしまう。先代のころはそういう業者さんと話をしているのも仕事の付き合いの内だったけども、今、実際に働いて仕事をしないといけない状態では世間話をしているような状況でもない。

やっかいなのは飛び込みの誰かも分からない人が営業で人がきても、使えている電話機の買い替えに150万の話とかもう、そんな16台も電話必要ないだろうし、先代が、毎朝、証券会社の人や、ゴルフ会員権のセールスの人や、土地の人とだらだら話ばかりで、仕事をしている人間からすればそういう電話に作業を中断して出ても、忙しいから掛けてこなくてよいというのも面倒なこと。

時代が変われば変わらないといけないのだけども、そういうの全く無理で、林与が若いころからコンピュータとかに将来性を感じているのに、女々しいとかオタクだとかいってて馬鹿にしてて、今の時代の仕事の連絡すらも難しいし、文章や会計書類なども結局、私のほうが打つだけでなく検算までしないといけない。商売も問屋さんに任せていたから、問屋以外には売ルナみたいなことをいっていたけども、亡くなるまではそれを守っては上げたが、そういう自分自身でいろんなこと動かないと人に任せてばかりいては自分の判断で仕事も難しい。
2025年01月07日
ようやく、3月ころからは新しい原料での糸の紡績が始まることになるのだけども、高値のピークは越えた感じで、1から2割割くらいは糸値も下がり始めるだろうと糸関係の方たちはおっしゃっておられる。糸が高いだけでなく、高値ゆえに輸入自体が止まってしまって、今までやってきた双糸ものや、太番手のものなどが、生産できなくなったりと、コロナ空けてからのリネンの高騰は値段が高いというだけでなく、糸の欠品も多くなった。また、いろんな糸が手に入るようになれば良いなあと思う。

それでも、糸値にしても、まだ昔の値段の2倍を超えてはいる状態が続くのだろう。糸値が高いことは、難度の高いものを織るときにはロス率も高いので、その分がすごくもったいない話で、織ることもより慎重にならざる負えず、去年最後に使ったリネン25番手はいい感じの糸だったので、高いは高いなりに原料も良い原料を使わざる負えなくなったからなのかなあと思える。高いと言われているリネンが、3倍とかになってしまって多くのブランドさんは使うことができない生地値になってしまう。

この1年はアパレル受注をほぼ見送って、もし、9月とかに受注していたとしたら、展示会とかで説明する値段からさらに生地値を上げないといけなく、そういうのって、アパレルさんにしても企画自体が成り立たなくなる要因にもなりかねない。このリネンの高騰というのは、林与自身としては、初めて位の経験で、リネンに対する世界需要も根強いものがあるし、でも、小麦の生産のためにフラックス畑が小麦畑に変わってしまったなど、戦争の影響が大きい。まあ、戦争のことを考えると、リネンの高騰くらいはがまんしないといけないが、トランプが就任する1月20日に戦争や戦闘も終わると良いなあと思う。

一方で、アメリカ経済もハイパーインフレ状態でもうそろそろ限界に来ている感があるが、トランプでまたアメリカイズNO1で、アメリカだけは儲けるだろう。中国経済がかなり減速しているそうで、日本のバブル崩壊と同じような流れになるのだろうか。繊維業界でそれほど明るい話はないけども、世界は今、生成AIブームで、このままAIが進化すると、プログラマーも必要なくなるかのせいも高いし、アニメーターなどの職業も自分で絵を描くことは少なくなるだろう。繊維の世界でもAIがどう影響してくるのかと考えると、まったくわからん。テキスタイルの柄を取り込めば、AIで着せ替えみたいなことができるようになるのだろう。もうひとつ量子コンピュータの件もきになるところで、プロセッサー型のGPUには限界があるので、量子コンピュータがAIの能力も数100倍とかになるだろう。

人間は考えることなく、覚えることなく、AIに答えを聞くのが仕事になってくる時代がくる。実際に仕事でもプログラミングに関してはAIに聞けばプログラムコードを教えてくれ、そのコードをコピペすれば問題なく走る。簡単なプログラムならそこまでは来ていて、30年前にこうういうのあったら、もっとプログラミングも上達できたのにと思う。しかし、AIには問題があって、それは電気の使用量が膨大なことで、電力需要は高まることになる。なんかすごくもったいない話ではある。絵を生成するのに電気を使うくらいならお湯や料理に電力を使ったほうが良いだろう。いま、パソコンにおいても、GPUは電気を使いまくりで、電気ヒーター並みに高性能なGPUだと500Wとか使うこともある。ノートパソコンが30W程度でモニターも含めて動くのに、それは本当いもったいない話。太陽光発電した電力を使う形が良いんだろう、電気自動車にしても。

今はクラウド型のAIが主流で、インターネットを通じてサーバーのすごい処理能力を活用して答えを求められる。そういうのが案外気軽に活用できたりするので良い時代ではある。

2025年01月05日
コロナ前は東京も年に何度かは訪れていたけども、今は年に1度くらいしか行けなくなってしまった。展示会東京の展示会も今は年に一度だけヘルプの人に手伝ってもらってなんとか行けるかどうかで、展示会も一人で2ケース、スーツケースを両手で引っ張って持ち込んだりしていたことが多かったけども、今はその馬力がなくなってしまった。

車で展示会に荷物を持ち込む方が楽なのだけども、車を止める所を探したり、また、会場まで荷物を持ち込むためには車の担当と、会場の担当の二人がどうしても必要になり、一人ではなかなか難しいなあという感じ、東京だと会場に安い駐車場があればよいけども、なければ、ホテル代よりも駐車料金のほうが高いことが多く、空いていない可能性もあったりで、一人で対応というのはいろんな方に迷惑をかける可能性もあり、また、会場の撤収と同時に車に積み込む手配も必要だったりで、一人で会場を片付けるのもそれなりに時間が掛かるし、積み込むとなるとさらに台車の手配など含め不透明なことが多い。

海外の展示会も2つスーツケースを持ちながら背中にリュックを背負って行ってたりしたけども、そういうのはコロナ前だからできたのだろう、今は空港でのチェックなども厳しくなって、また、中国やイタリアとかでも地下鉄に乗るときやお店に入るときに手荷物検査があったり手荷物をもってお店に入れないことも多いので、トイレなど行くときにも3つの手荷物を引いては気軽に行くことも難しい。

10年くらい前だからできたのだろうと思うし、まだ40代のころにそういうのをやっておけていろんなことを経験もできて、いろんな方と出会えて、日本の繊維全般的なこともやっておられる当人の方々から直接いろいろと聞かせて頂くこともできて知識も増えた。林与は海外にいっても、高級ホテルにはとまらないいことが多いので、ローカルな雰囲気の庶民的なホテルを探すことが多く、展示会場から1時間かかることもあったりするけども、そういうのも特別な経験で、その道中でいろんなハプニングなどもあったりして、また、ローカルなおいしい食べ物に出会うこともできたりと、そういうのが楽しみだった。

中国でももう今は珍しくなった注文すると店の入り口で麺を小麦粉からこねて手で伸ばして細い麺の束にしてそれがラーメンになるみたいなのも、たまたまだけども、ホテルの前にあったラーメン屋で、ラーメン大で6元(100円)くらいのラーメンを注文したときにみることができた、15年くらい前のことだろうと思うが、それ以降、そういう光景には出会うこともなく、同じお店に行ったらラーメン屋だったけど、違うラーメン屋に変わってしまっていた。

人間がラーメンの麺をその場で、手で打って伸ばしてそれを使って1杯のラーメンを食べることができるみたいなことが、普通のお店で行われているというのが奇跡的なことで、すごすぎるなあと思った。ラーメン1杯が出てくるのに10分くらいは掛かったと思うけど、なんか、ありがたかったなあ。そういうのに、日本ではありえない中国の力を感じた。商業化して贅沢になった日本とか中国の都市にしても、結局はそれが続かなくなったときには衰退するしかなく、豊かになると何十年で失ってしまう、それまで何世代、何十世代にも人が持って高めてきた能力みたいなものが失われてしまうのは残念に思える部分はある。

しかたないのだろうしそういうのを大事だと求めても、安くて気軽な、すぐに出てくるラーメンのほうが、それに見慣れた人からすれば、ありがたいということにもなるだろう。昔の光景というだけでそれほど評価が高くはないのである。神戸元町でも、牛刀麺はたべたことがあって、それは手で打って、包丁で麺に切るタイプで、今も店頭でやっているだろうとは思う。
2024年12月28日
年末なので弟がいてくれるので、弟と一緒に周辺の草刈。柿の木は1年ほど前に切ってしまって、南天の木も植えてあったのでそれも切ってしまおうと思って、切った。切った後にしても、その切った木をどこに捨てるのかという問題があるけども、夏くらいにやすいウッドチッパーを手に入れておいたので、南天の木くらい枝も細いので、それで細分化できた。

こういう道具がないとまた、それを家の畑の空き地に捨てたりすると、枝が山積みになったまましばらくはややこしい。ウッドチッパーを買ったものの、初めて使うことになる、1時間弱位掛かっただろうかゴミ袋4袋くらいにかたづいた。それを畑にまくも出来るだろうし、それが肥やしになって草が生えてくるのがいやなら、燃えるごみとして出すことも可能。あの木のままのものというのは、畑に放置しても見た目が悪いので、昔だったら燃やして片付けたのだろうけども、今は木も基本燃やすことができない。

なんか、木の収集ボックス🄬もあるそうだけども損なのに入る量でもないし、それに入れるにしてもウッドチッパーで細分化しないと、回収してもらうだけでも何箱も必要になってくるので、林与の家や昔からある倉庫にも木がたくさん生えていて、だいぶ、切って片付いたけども、今は木すらも植えていると、手入れすればゴミ問題が出てくる。安いウッドチッパーで3cm位までの枝しか駄目だけども、バリバリと吸い込んで、すごくコンパクトに収まった。ウッドチッパーで細分化するだけでも手間だけども、こうやってでも捨てないと方法が難しい。もう昔とは田舎も違って昔よりもゴミの面では住むのは難しい。

火を使うと火事になるとかあるので、火を使わなくなったことで火事が減っているのも事実ではある。人は昔よりもうっかりしていると思うけども、文明の利器がそれを補っていてくれるのを感じる。昔なんか、アンカを使っていたとかいうのは、すごいことだと思う。布団の中に火を使う炭を入れて足を温めていたのだから。今の時代は、部屋全体を温めたりするので、人が時間を過ごすだけでも部屋を暖めるエネルギー消費量というのは自動車並みに必要になってきてしまう。

電熱ウェアを上下着用しながらも、足のつま先やかかとが冷える感じなので分厚いあったかいという靴下を2枚重ねて履いてみると、昨日までの足の冷えてた感じは少なくなった。いつでも工場で作業もできるように、林与自身は電熱ウェアだけで暖房器具は使わずに過ごしている。
2024年12月25日
林与に年末の挨拶に機械屋さんが来てくださって、もう78だといっておられた。全然そんなふうには見えないし今も動き回っておられる。自分自身で一人ででも動いて仕事をこなしていかないといけないというのをずっとやってこられた方で、その一つ前の世代間とは違うものを背負ってこられた。林与とな先代の時からのお付き合いだけども、業種は違えども、一つ前の世代の世界観というのはまったく通用しない次の世代というのは、180度反対の感覚でやっていかないといけないことも多いとは思うし、そういうのができなければ時代の流れにもついてゆけない。

林与も古い仕事をしているけども、個人レベルでは今の学生にも負けてては駄目だなあと思うところがあって、繊維業界においては特に麻織物に関しては現場の現実的な話をするし、働き始めた時から何十年の経験者たちの面倒を見る立場でやってきた。お金の面倒だけでなく、問題があれば、仕事が難しい時には代わりに解決して成り立つように徹夜してでもやってきた。

そういう現場経験を持つ人っていうのは、今の日本の繊維業界では同世代の方でも少なくて、お金儲けうんぬんよりも、一つ一つの仕事がなんとかうまく回ればよいじゃないかと、働いている人というのも、昔から田舎のおっちゃんおばちゃんで、できんわからんやっといてな人が多いのだし、田舎の末路みたいな感じそのものだけども、それが田舎の普通だから、そういうの乗り越えてそういうどうしようもない感覚とは同調せずに、たまたま、林与に仕事を教えてくださった方が、すごく仕事が上手な方で、他の会社を辞められて中途採用の方で、林与の先代が育てた方じゃなく、林与の先代が現場の仕事を頼ってた方。

良い時代の感覚から抜けられないと、厳しい時代になったときには厳しい時代になったことすらも自覚もなく、自分の実力でやってきたという思いばかりの人生観だけども、厳しい時代にはまったくそれが通用がしない。厳しい時代になったら自分も働かんとあかんにゃでということ。自分がつくれば売れるとかだけども、それは昔流行った一つのジャンルでしかなくなったときに、もっと全体像を見て、今のテイストとかも大事。

近代麻布研究家の近江上布を研究されている吉田さんにも、あんまりいいかげんに近代麻布再現とかいってたら駄目だよと、今の技術で近代麻布の再現とかいうことを指摘したのも林与で、スイヨウセイビニロン混の織物使って昔の大麻布の再現とか謳うのあかんやろという、基本的なところからの指摘。昔の技法を再現したみたい当初の謳いはほんとうに駄目で、そういうのに大手百貨店やブランドさんも巻き込まれて、実はハイテク素材的な最先端の麻業界のことだけど、それを古代麻布の再現と謳われて話題になったというだけで、水曜整備持論混の麻のハイテク素材。消費者の方にそういう真実を知ってもらうべきで、なんで、そういう本当のこともいえずに、江戸時代の麻布の再現を謳ったのかすらが疑問そのもの、百貨店にしても消費者にたいするそういうの問題の大きさも分かっておられなかったと思う。ブランドさんを巻き込んで、実は本当のことも言えない。

林与はそういう消費者に真実を伝えないは嫌いだから、500番手、600番手の世界細番手の麻織物をつくっても、それはスイビ混で、ハイテクっぽいやりかたで、今までの純紡の麻糸でもないことは伝えて、卸業者に説明もする。純坊だと140番手くらいが限度だけども、半合繊てきな技術を使って、500番手600番手の麻織物は、織で織りにくいほど細くても工夫すれば、世界に謳えるようなものを作れる。

吉田さんに会ったときに江戸時代の奥家さんの最高の布ななぜか、プリントで遊女のだらしないものを最高だといっておられたけども、それが日本の都の麻織物で、近江上布の厳しさは商家の帷子とかにあったりして、そういうのは、麻商看板とした代々の帷子で、玄関入って、その後ろに家宝的に掲げられていた。

吉田さんが林与にあったときも、吉田さんが林与に、おたく誰ですかと、素人のようにいわれるのが、本当に残念で本当の日本の麻織物の凄さを知ってもらわないと駄目だろうと、林与の近江上布のアーカイブや、吉田さんが全部任せて日本で一番すごい方とやってると言われながらも、林与はその方やその方の一番の上司だったかたも、まどもに日本の麻業界を守っていこうと思って、吉田さんの無茶な素人的な、なんで精麻したヌサという一つの神事の製品から、麻糸が作れると思われたのかは疑問で、同館。

日本の麻業界でも普通の話をしたいし、そういうのほんとうに迷惑だったから林与も関わらなかっただけのことで、お会いしたときに、林与におたく誰ですかと言われ、その後会社に来てもらいながら、近江上布の歴史も説明して、トスコのラミハラの75周年の未開封のハンカチも開封して3枚のうち1枚さしあげて、日本の紡績の麻レベルだとこのレベルが本当の良いものですよと。なんで、60番手クラスの甘いプリントのチャラチャラした布が近代マフの最高峰と、日本の麻織物の本場で日本屈指の麻の研究家がいわれるのか。

そして、林与がたずねた徐福ってしてますかというと、それは林与的には日本の皇族の歴史につながるはなしなのだけど、全く知識もあられないのか、そんなことはしらんけど、文献にもないことを言ってもらっても駄目だと言われるけど、中国の正史や卑弥呼も伝えられる疑似倭人伝にもある程度の歴史家なら知ってるはずの知識、で日本の現場背負って調べただけの林与が文献の話の人物もするのに、まったくご存じないのが怖いし、そのあと尾坂大学副学長をやっておられたかたに、徐福を聞いたことあられますかと聞くと、当たり前に中国の清の始皇帝の時代の方ですよねと、その大阪大学の副学長の方も日本の服飾史のトップの権威をもっておられるかたでご存じで安心というか、林与が吉田さんにあなたがいいかげんなこといってるみたいにあしらわれる吉田さんが普通なのかという問題。

富士吉田の宮下さんでもこの問題は日本の麻織物の伝来と深くかかわっておられて背負っておられ、それが日本の正史とぶつかるところもあって、逆に偽物だみたいにいわれてそれでも我慢しながら、今の日本の皇族伝来の歴史の真実があやふやになっていて、まがい物たちが皇族の力を利用して食い物にしたいだけだと、皇族虫の軍部的な第二次世界大戦みたいな悲劇が起る。皇族にしても軍部の暴走すらも自分の責任として背負おうとしても、軍部的な権威主義の州官官理想だと、責任逃ればっかりで、日本国民に玉砕を美徳としながら自分たちは一切指示してないとか、一番駄目な安全なところにいて指図して国民に玉砕を美徳としてとく愛古k無的な軍部レベル。

皇族すらもが今もそういう軍部の自分が命捨てる気もなく階級的にというのを、日本の官僚や国会議員レベルの辞職したら終わりみたいな、国民の犠牲を広げるばかりの、それだと皇族や戸、区民が利用されて本当に食われるばかりな、一番無責任な他の人に責任背負わせてばかりで戦争。ほんとそういうどうしようもない日本のだらしなさは名作そのもので、他のん人の人生を犠牲にするなら自分が背金人を追わないといけないし、その責任感もないなら他のj人に背負わせて食い物にするべきじゃないという基本。

伊勢丹研究所の代表をやっておられた方でも、伊勢丹の麻のすべてを任せたいと言われながら、あのプロジェクトやエシカルなことに疑問も感じながら日本の繊維業界の消費者に対するまともがなになのかを考えて、エシカルなことが難しくなってて誰もすくえないといわれ、林与の麻関連の人脈使ってその代表が助けたい方をお金も貰わずに救おうとしても、救おうとした方からできないなら最初から言わないでくださいと言わて、多分高田さんはそのことも知っておられるだろう、展示会に行っても一番最初のお客さんとして来てくださって、関係を求められるけども、代表の高田さんが窓口するならできるような話で、部下を窓口にされたから一切サンプルも送らなかった。部下の方というのは代表レベルの必死さもなく、代表の方が求められても、部下の方というのは林与にサンプルすらもでは、サラリーマンレベルで伊勢丹研究所も消費者に対するというか、正しい知識を消費者に伝えるくらいの覚悟がないと存在すらもだけど、代表の打加田さんは難度も林与にアプローチくださってもサラリーマン感覚だと難しい。同じことが麻関連の協会のトップの方が林与に頼まれてもその社員の方が林与さんんも参加するんでしょ見たいな確認されて、いちどその会社が会社の中で交通整理されないと、サラリーマン感覚の方に日本の麻業界振興を会員でもない林与に求められて賛同してやってるのに、その会長レベルの会社の社員の方から、林与さんもでるんでしょみたいな話で、林与が日本の麻業界の振興を支える気持ちでいてもそれを聞いたら抜ける話。

ホント日本の繊維業界の謳いすらもが消費者騙しが基本になりすぎて、働いている人たちすらもが基本で、林与みたいなのは、そういう企業レベルのサラリーマンからすると全部言うこと聞くのが当り前みたいな一番下みたいな存在でしかない。そういうのが日本の繊維業界の末路そのもので、自分の消費者に対して謳ってることの真実も分からずに、百貨店の代表ですらも林与が本物だというけど、林与が距離をおくのは、林与がその百貨店でも解決できない問題を、林与がボランティアで自分の仕事全部捨てても全部解決しようとしても、林与が逆に、できないなら最初から言わないでください見たいな話で、そういうのほんと日本の百貨店ビジネスやエシカルやエコ、サステイナブルの末路。解決する力もなく林与のお金と能力と林与もそういう無理を頼まれると困られるからほんと頼むも気を使って払うものは払ってできるだけで協力してほしいとお願いするしかなく、その仕事を受けてくださったところも日本では無二で、林与も日本のエシカルを救う気持ちで百貨店が助けてあげてほしいからと林与に頼またから、できるかぎりで受けて、逆にお金を請求されるような怖さというのは、ほんと善意のボランティアとしても、ボランティアで費用まで負担して問題があれば、とことん責任を追及されるから、最初から、まったく関わらないほうが良い。それが日本の繊維業界の結論そのもので、頼んだ高田さんはそういうのにたいして本当に申し訳なかったと思っておられるだろうけど、その程度なんですよ、日本の繊維業界の軽さは。そういうのって、商売どころか人間関係の基本すらもがない階級社会構造そのもので、お金儲けるのが当り前で、エシカルとかエコ、サステナブル人というのは他の関わる業者や消費者を犠牲があたりまえで本当に怖く、世界でも珍しいような経験。

これほんと、良いことをしようとして伊勢丹研究所も動いてくださったのだろうと思うけど、業者は選ばないとすごい謳いを成り立たせるのがその助けようとした業者さんではなくてそういうのに賛同してお金も貰わずに動いた人たちが単に犠牲になるような、百貨店ビジネスモデルでは駄目でそういう緊張感を百貨店にも伝える人が居ないと駄目で、日本の百貨店ビジネスもそれで成り立っているようなら、消費者からも謳いでお金を取りながらも、覚悟もなく、利益率の高い当たり前の費用すらも負担する覚悟がない人たちの金儲けビジネスで、善意で関わったものを叩いて金儲けでは関わらないほうが良い。百貨店って利益率とかじゃなくて正しく良いものをとかだけど、百貨店もラベルビジネス的に林与のような会社に自分たちが解決もできない問題をなげられるけど、解決しようとしてまったく林与が無理をいって頼んだ業者さんも本当に他の仕事を押しのけて無理してでもそういう無理をさせると当たり前に問題もおこるし、でも、百貨店でも誰もそうういう責任を被れる人もいないし、頼んで助けてほしいという人でも逆に林与に責任を求められて、できないなら最初からいわないでほしいとか、日本って本当に怖い。とくに繊維業界、消費者に対してすごいことを謳ってる人ほどえぐすぎて、自分が負担する覚悟もなく関わるものを追いつめてばかりで、そういうのは昔の繊維業界にはなかったけど、今の繊維業界だとホワイトの当たり前。
2024年12月10日
その感覚で海外を食い物にしてサステイナブルとかエシカルとかほんと、日本の繊維業界も日本の地道に働いている人たちだけでなく、海外の地道に働いている人たちも、自分自身の損得勘定な、日本の繊維企業ではありえないほどに金儲け主義なエシカルとかサステイナブルを、世界樹の末端の人々から吸い上げるような日本のホワイトで逃げるだけの、エシカルとかエコとかサステイナブルな、かつてないほどに金儲け主義になりすぎた日本の繊維業界のホワイトモデルで、世界中から、世界の末端を救うと言いながら一番儲けてるのは大手なのに、日本の大手繊維業界の世界戦略が金儲け主義なホワイト企業感覚で一番駄目なのかもしれない。食うだけで成り立とうとして何億の利益で優良企業とか、一番食いつぶしてるのも分からんような、日本の大手の繊維業界のホワイト企業、社員の給料とか待遇とかじゃなく、社員すらもが給料も待遇とかも投げ捨てて、世界の末端を支えるべきではないのかなあ?どれだけの人々が救われる話になるんだろうと思う。ホワイトで好待遇を謳ってるようなホワイト企業が実際にはブラックな国際的な繊維業界が叩かれるような理由のをつくりだしてしまって無責任に叩いているだけのような、ほんとまともにはたいて支えてる林与や途上国の一個人すらも軽い感覚で、あんた誰みたいな日本の大手の繊維業界の自分が追いつめるだけのブラックそのものなホワイト感覚。日本が一番厳しいと思うよ、責任背負って覚悟を決めているものにどこまでも追いやる国とかは、批判もしている共産主義国以下で、林与なんて日本の国が見た時に日本の繊維業界からしたら、一番駄目な会社そのもので、それが日本の行政のブラックすぎるような奴隷感覚そのもので、人々をまともに支えて成り立たせようとしているのに、自分が階級社会的に人々が成り立って行くようなものごとを考えもせずにそういうのが日本の身分社会制度そのものが今も行政の当たり前な感覚で、法律がというけど、法律なんてもっとちゃんと考えて作る必要がるのだけど、責任のがれして今もまさに士農工商エタヒミンを今もやってるのが日本の行政の人たち。

強烈なのは自分たちが自分たちが法の下の平等とか言ってるような輩で、それって四民制度エタヒミン制度の法の下の平等の肯定でしかないというのも、分かってもいない日本の行政の個人の人権すらもないのを、皇族制度とエタヒミン制度というのは、日本のどうしようもない輩たちが食うために依存しているだけで、皇族にして外交能力は世界レベルだし、国民の思う気持ちもあるのに、それを食いものにしたような人たちが巣くってるような日本の伝統をレベルで、雅子さまにしても、世界のトプレベル以上なのにそれを叩いていたのが、日本の皇族をともとん食ってた人たち。日本は戦後100年さんをたとうが、高って食いつぶしたいだけで、皇族も食いつぶされてよいのかなあと思う。日本という国のことを考えると、食いつぶしたい人さん皇太子だった 今の天皇や雅子さんをどこまでも追いやって、そういうのが日本の一番駄目な覚悟も決めていない人たち。ほんとそういいうどうしようもない輩が今の雅子さんを追いやって苦しめて、皇族や公式典範すらも私欲的な湯堂で、それだと国は亡ぶだけ。まあ、那須の御用邸も皇室の任された公務員の給料も貰って自由な性交の場、一番厳しいはずの担当の人たちあ国のご要所で、日本政府としてはありえないほどの業して篆刻で、そういのホント、世界に通じるような日本の皇族を貶めるよう案愚弄その残念過ぎる。

天皇陛下にしも皇后陛下にしても国民んかⅯ供御というのは一番の天皇制が成り立つ話なのだが、それを食い物にしたい覚悟もない人たちが多すぎて、そういうので日本の価値感すらも、日本人総体として保身んで日本の末端を自分が覚悟して背負う覚悟もなく食い物にしたいだけの人ばかりなのかと悩んでおられるのかと思う。
2024年12月03日
この仕事というのは、織物が綺麗に織れないときや、織物を織れるように準備するまではタダ働きみたいなものなので、機織という作業は内職みたいな作業そのものだと思う。何十時間働いても、まともなものが出来なければそれはよいり多くの問題を作っているだけのことなので、それが分かっている人だけしか、織物の現場で織物を織るということは難しいだろうと思う。

そういうのってすべての仕事に共通するようなことなので、働いたからと言って結果が悪ければ最初からやらなかった方がましという現実的な話にもつながる。林与もそれを毎日現実的に受け止めて作業はしていて、たとえば、織れたらそれでよいといわれるお客さんも多いけども、織れてキズが数か所あると困るんですよねという話になるのが普通で、さらなる問題を生んでしまう結果になる。そういうの本当によくわかっているから、喧嘩もしたくないし、自分が働けるだけ働いて解決したいなあと思ってはいる。

今の日本の繊維業界というのは普通にまともに普通の麻生地をつくってもそれが成り立つのが難しい問題があって、アパレルさんでも、すごい生地が欲しいと言われるほどだけど、それが普通の値段の世界になってしまっていて、なんか熊本のアサリビジネスに近い。オーガニックもサステイナブルも蓋を開けてみれば海外のあやふやなものを日本国内で化かして売るようなことになってしまっては駄目だろうと思う。

認証機関の人が現場を知らないという大きな問題があって、認証ビジネスそのものになってしまっているのが、エコやサステイナブルの世界で、現場を支えている人たちをどう食うかが、エコやサステイナブルのモデルになっているというのが世界的な現象で、自分自身が末端を支える気もない人たちが、ブラックだと叩いているのはなんなんだろう、それこそブラックそのものな自分が末端の人を支えることもない、給料を払うこともなく、そういう人たちも支えようとする人たちを追い込んでは、世界や日本の繊維業界が繰り返してきた階級社会そのもので、せめて、日本オーガニックコットン協会の森さんにしても、エシカルな話が面倒なんですよとかばかりでサラリーマン以下で。麻関係の吉田さんもスポンサーが抜けたらやめるだけですよとか。

ほんと日本の繊維協会というのは妄想が激しくてそれですごいことやってるとかはキツイ、ブラックすぎて、自分が覚悟もきめてない逃げるだけの方たちが、国際会議とかやめてほしい、ほんと。日本人の凄い人たちの感覚すらも自分が一人の人も支える気もなく地道に働く気もなく日本の繊維業界を食いものにしてては気楽すぎて、日本の繊維業界が衰退するのもその辺りの問題で、そういうの自分が覚悟して支えているような機屋レベルなら、サラリーマン以下の世界で、日本の繊維業界を食い物にしてしまっていて、エシカルやエコや、日本の織物を自己犠牲で支えてきた人たちやそれを支えようとしている消費者の思いすらも食い物にしてしまっている。

林与が接して感じたのはそういう感想で、そういうのに巻き込まれるのは実際にやってきたものからすると一番キツイ。熊本のあさり問題に近い問題があるのもそういう人たちが、林与のいうこともまったく意味がわからないといわれるようなことばかりいわれてて、なんで日本オーガニックコットン協会がエシカルやエコを謳いながら創立から10年以上も理事長をされたかたが、エシカルが面倒そのものなんですよ、化学的におなじやったら、オーガニックコットンも普通のコットンも同じ、それを会員が認めないんですよ。

森さん、オーガニックコットンを作ろうとするときの本質すらも会員にも伝えられない話では、駄目なんだえすよ。会員がラベルだけあればよいとか、さらに日本オーガニックコットン協会が講習でお金儲けて、本質がないようなブクブクになってしまうと、森さんにしても実際に林与が日本の織物業界を笹ていても、明日は休日だから、9時から5時で対応をお願いしますとかの、サラリーマン感覚な人たちが、人を支えるとか無理でしょ。くいもののそのものほんと日本の中に食い物そのものが日本のオーガニックとか世界のオーガニックな、なまった英語を聞くのが面倒なんですよとかいう森さん。

お前が一番駄目なんちゃうのとか、林与はいうのが、まともなエシカルな感覚で、ほんと日本初のなんちゃってオーガニックが広がりすぎて、9時から5時の人たちが、自分も9時から5地で、働いている人たちをささえようともしていない。日本の繊維業界のまつろそのもので、それは、大手の金儲けだけの繊維業界のビジネスモデルそのもので、合成繊維の普通のビジネスモデル世界そのもの。

日本の繊維業界の闇歴史として消えてもらいたいと思える。金儲けや権威主義で、やったら、日本の繊維業界が本当に支えてきたのをサラリーマン感覚や先生感覚の人たちが、自分が働く人たちを支えている人間をおたく誰ですかみたいな感覚すらもがプンプン。それは、ほんと、林与が働いていても全く認めない、森さんや吉田さんの働かない人の感覚そのものな権威主義で、それが怖すぎる。まさに、日本の繊維業界の今までにありえないほどの末路、大手にしてもそのくらいに陥ってしまっていて、とことん日本の繊維業界を食ってみたいなくらいに、に日本の世界規模な大手SPA的な感覚。

森さんと吉田さんは、林与とはまったく逆の人で、林与とは水と油なのは、話すると林与も馬鹿にされてて、地道に働いている人を支えようとする気持ちすらないのが伝わって来る。日本の繊維業界が終わってると思うのもそのあたり。日本が世界でも一番厳しいなあと思う、どこまで、林与のいってることまったくわからなすぎで、日本の繊維業界のものづくりの価値観を守るのは難しいと判断でしてしまう。

もうちょっと権威主義ばかりでなく、普通の会話もできんと、一方で、森さんは企業が勝手にやってるだけだから私は関係ないとか、責任を逃げてばかりで、自分がやって認証をされていることでも、一つの話も逃げてばかりで、そういうところから消費者の感覚の正しくよいものを手にしたいが大事じゃないですかと、日本のオーガニックコットンの看板だった森さんに、お前が一番駄目なこと覚悟決めずに広げてたらあかんし、覚悟もなく、日本オーガニックコットン協会では消費者騙しそのものな権威主義、ボランティアでやってるからまったく責任ないとかいうのやめてほしい。日本で林与も覚悟決めてやってきた繊維業界がここまで落ちたのかと思える。日本の消費者騙したらあかんし、まさに、熊本のアサリ以下の感覚やん。森さんもほんと自分が食べていくためのネタにしてほしくない。吉田さんもスポンサーが逃げたら辞めるだけやといわれるような日本の繊維業界を自分の金儲け感覚は聞きたくない。

そういう日本の高齢の人たちが自分が食べていくためだけど、一つも説明も出来ないようなそれは組織ではだめ、日本の政府も世界のSDGsにしtも同じような、地道に日本の繊維業界を支えていこうとしているものが全くお前がえらそうなこというなで、そういうのは日本の自己犠牲で成り立たせてきた繊維業界の末路そのもの。どこまで、食いたいのかと思う。

林与というのは、自分自身が金儲け考えてなく、自分が森さんとか吉田さんよりがいわれる、めんどうな話を解決してやってきた人間で、それって、企業の従業員として働くのも地道なことお㎡面倒とかいってて、日本の繊維業界を裏切る話になりませんかということ。ラベル協会にも文句もいってて、そんなラベルビジネスやめた方が、日本の繊維業界のためですよと。

一番駄目な働きたくない人たちが、日本の繊維業界を責任逃れしながら牛耳ろうとしてたら、日本の繊維業界はやばすぎる。日本の繊維業界で林与を知っておられる方なら同じ思いが普通じゃないから、四六時中働いて従業員を支えたり、そういう四六時中働いている人をまったく知らずに、9時から5時のサラリーマン感覚の方たちが先生業では日本の繊維業界の闇歴史でしかない。いわれることもほんと、だらしない人の覚悟もない話ばかりで、その感覚なら信じた消費者騙しになるからやめた方がよいよということ。日本の繊維業界の末路そのものな日本の繊維業界の現状。
2024年11月27日
林与の仕事も機械関係のものづくりの会社の方がみられたら単純な仕事に思えるだろうけども、扱う人という要素が重要なので、器用さみたいなものが必要であったりする。麻糸というのは切れやすかったりするので、そのあたりが非常にやっかいだし、シャトル織機も壊れるほどに調整の幅が大きいので、機械の調整や修理にも器用さが必要だったりする。その分、似たようなもので代用もできたりするのだけど。

今の時代は、電化製品が壊れても、基盤ごと取り替えたりすると思う。一つのコンデンサーとかを交換して修理のほうが珍しいことであったりする。まだ、そういう交換ができるのが組み立て的な機械の世界で、織物は出来上がった布という製品でも、一本の糸を入れ替えるということは非常に困難だったりする。

こういう仕事というのはスピード感、手先の器用さや根気みたいなものが重要で、スピード感、器用さ、根気をもってやってても、難度の高いものだと1時間1mとか2m織れるかどうかみたいな仕事だったりして、成り立たせてゆくのは難しいなあと思える作業。目の良さも非常に大事なので高齢になると仕事も難しくなるので、経験者でも50歳くらいまでが生産性ももって普通に作業ができる。50歳を超えると何十年の経験者でも仕事としては難しくなってくるのが普通。20代から30代前半が作業のできるピークだろう。

林与にしても最初から難しいとは思わなかったからやれているんだろうと思う。ただ最初に思ったのは時間を捨てるような仕事だなあという印象。ただ単に一つの仕事をしていたらそんな感じでたいした仕事もできなかっただろうけども、できることをいろいろやろうと時間のなかフルに動いて仕事をしたので、やらされている感もなく、ものごとも分かって仕事を最初のころからやってきた。

今は、1か月追っても200mほどしか織れない織物も多くなってきている。ときには、1か月で50mしか作れない織物もあったりで、140番手のアイリッシュリネンハンカチ生地は織るだけでも1か月に一人の人間が付きっ切りで50mくらいしか織れていない、それでも綺麗にキズなく段なく織れれば成果。難度の高い織物というのは成り立たせることは難しいなあと思えたりする。将来、時間ができたらまたチャレンジしようとは思うが、その前に、綛をチーズアップする作業もあるし、整経作業も糸の節をとりのぞきながらで半年ほど一台の整経機が専用になった。糸が特殊なだけでなく、それを生かすためには織の現場でも特別な作業が必要だったりする。
2024年11月25日
雅楽会が新しい世代に変わって若手の女性の方も笙を吹かれているのだが、子供のころにお祭りで雅楽会を見て、笙が吹けるようになりたいと思われ、大学でも本格的にやってられたらしい。なんかすごいしっかりとした方がメンバーに加わられたのだなあと驚き。たぶん、そうやって女性が加わって演奏をされているのを今の子供たちが見て、私も将来やりたいと思う人も出てくるだろう。

豊満神社のお祭りでは、中学生による巫女の舞なども行われるが、そのために、何度も何度もの練習を積まれてきたのだろうともう。小学生がそれをみて憧れて中学になったらやってみたいと思う子供が増え、自然に楽しみに思って参加してくれる人が増えるとよいのになあと思う。子供たちが楽しみ、良い思い出が大人になって次の世代に引き継いでもらえると一番良いことだろうと思う。

集落の消防車も展示されていたけども、子供たちが乗ったりして身近に感じてもらって、将来、自分もやってみたいなあと思ってもらえる子供が増えればよいなあと。小学生の子供に消防車にのるなら、自動車はオートマちごて、マニュアル免許取らんとあかんよと、車の免許とるときは注意やでと覚えてもらう。あっという間に10年くらい経ってしまって車の免許も取られる時期がくるだろう。

昨日は、子供たちとサッカーボール遊び30分以上して、一回思いっきり転んで朝から心臓のあたりの肋骨が痛む。シャトルの管を交換する時も結構体がつらい感じ。脚の筋力も衰え始めているので、もう走るとかも苦手になって来たのを感じる。まあ、動けるうちに動いておこうとは思う。今の体力だと、単独でスーツ2個もってみたいな海外の展示会はもう難しい。まだ動ける40歳くらいのころから、海外の展示会に出展しつづけてたこともすごく良い思い出で、行けるときに行っておいてよかったなあと実感する。円安ということもあって、また海外の物価も高くなって、今はもう海外も敷居が高い。

やりたいなあとおもったことは、無理してでもやっておいたことがやはり後で後悔しない、よい経験として残る。なるべく若いうちに経験はいろいろとつんで、それゆえに失敗もいろいろ経験しておけたのがよかったと思う。麻の仕事も若いころにはいろいろなものが忙しく、それなりに作ったので、それはそれでよい経験をしてある。今はもう仕事自体が普通の仕事がなくなって難度の高い仕事になりすぎて、初めての人には難しかったりするから、経験をできる機会も少なくなってしまっている。
2024年11月25日
今日は、文化祭で子供と一緒にサッカーボールで遊んだ。本気モードじゃなく、3回くらい転んでやっぱり子供たちは遊びでも本気で、楽しそうに遊んでいる。クレープ屋さんが来てくれていて、子供たちはクレープ食べたそうだった、でもお金がないみたいな感じで、軽トラ車にあった400円で2個かえるからみんなで分けて食べたらと渡したが、いいですと遠慮していて返してくれたのだけど。結局、残って大人が買って食べるよりも、食べたい子供たちが食べられた方が意味があるのにとおもえる。

子供らは動き回ってばかりの1日で、お腹も減るしクレープ食べたいだろうに。来年も役が当たるので来た子供には無料のクレープ券1枚を提案しようとは思う。子供たちが賑やかに遊んでくれていたのがやっぱり一番よいことでボール遊びもほんとなら駄目かもしれないけど、子供というのはそれなりにコントロールしながら無茶しないようにボールも蹴っているので、さすがだなあと思う。

子供たちでも珍しいのは大人と遊びたいというような感覚があることで、林与が遊んでもらっていたのだろうけどとおもえるほど、大人相手に手加減もしてくれて、下手糞な大人なのに褒めたりもして場も作ってくれてたり、子供というのはやっぱり何もないところから楽しみを見つけることができるようで、小学生8人くらいで皆が楽しそうにボール遊びや鬼ごっこなどいろんなことを仲良くやっていた。大人以上に10分が1時間くらいに長いだろうと思う。子供にとっては1時間が何時間もの体験なんだろうと、子供のころを思い起こすと、小さな子供がサッカーボールを器用に操っているのや、射撃などもすごく上手だし子供のレベルは大人以上だなあと思えた。

林与も普段、仕事と言えどもなんか気持ちだけでやっているようなところがあるので、子供たちがボール遊びのようなことに一生懸命になれる姿というのは、そういうのに近い感覚。今日は、10時から2時までが文化祭だったけども、ほんと貴重なほどの長い時間に思えた。子供たちは大人の3倍とか5倍動いているなあと思える。のびしろの塊みたいなところがあって大人とは違う。ボールが建物のガラスなどにぶつからずに大惨事にならんですんだ、そもそもボール遊びのリスクも考えてある程度コントロールしておかないと壁にぶつけたりガラスが壊れたりあるかもしれないとおもって、一緒にやって危なそうなときにはコントロールできるようにしておかないととおもって一緒に遊び始めたのだが、子供たちもボールを高く蹴り上げてしたりもしていたが力加減も上手できてた。
2024年11月24日
物事というのは気持ちみたいなことがすごく大事だなあとおもったりして、逆に続けてゆくためには特別な気持ちを持った人たちが続けてゆくしかないだろうというような形しかないのじゃないかと思う。ゼロから自分で種を蒔いて成り立たせていくようなとか、マイナスや持ち出しでも社会的な意義があるとおもってやっていくみたいな覚悟とかあると、それなりにも継続できるような地盤みたいな考えにつながるのではないだろうかと思う。

社会的にすごいことをやると言いながらも勢いで飛びついてそれが成り立たなくなると自分が損してまでやってられんわみたいなことを言う人が多いけど、それなら最初からやるなよと。近代麻布の方もスポンサーが抜けたらやめるだけというようなスポンサー探しの話。普通の方にはすごいことをみたいな話だけども、なぜか林与というのは商売の方たちと話すると本音が分かってしまう。まったく違う感覚で持ち出しの気持ちでやってるから、儲からんのに何でやるいみがあるんやみたいな人たちがゴロゴロで、そういう人たちはおいしいところだけを取ってるだけのことで本質がなくものごとを続けていくためには危うい。

本当の素顔を林与には見せてくださるのは騙されているよりもありがたかったりして、ほんと話ができてうれしいことである。見下した感覚で私は紡績会社の凄い方と知り合いだみたいなことをいわれ、林与がお会いしたときも、おたく誰ですかと、一人の社会人として大丈夫なのかなあというような言葉で、仕事レベルの感覚もなく上から目線で、自分と接する人がみんな下だとおもっているような方なんだなあと。一般の方に対してもそういう失礼な言葉というのは発してはアウトだろうと思う。麻織物業界じゃあだれも相手にすることもない、得体もしれない違法大麻所持で逮捕されたようなお若い方を持ち上げてしまってとかにつながる。捕まった人は違法に大麻栽培もやってたらしくそれにも文句をいってられたけども、もちあげて仲良くしてたのだから疑われても仕方あるまい。

大麻布が100年も経てばフィブリル化、藁も同じだけども、100年も経てばフィブリル化して、柔らかくなるのは当たり前のことで、苧麻というのは100年経っても、短繊維である大麻布よりもそうなりにくいという性質がある。だからこそ、苧麻というのは、一生もの以上に代々引き継がれても着ることが出来たりする。また、麻布というのは柔らかいことが大事じゃないという、日本の着物の世界における価値感こそももっておられないのが危うい。今時の感覚で昔の麻布を評価しては駄目だろうと思う。近代マフとして薄くて柔らかいものを最高みたいな麻の価値観をつくりあげられたけども、林与からするとまったくそんな価値観は日本の麻の着物の世界にはなかった。

麻の良いものを着てこられなかったのかと思うくらいに日本の麻布の、パリッとシャリっとした価値観が昭和の時代でも引き継がれていたのに。日本の古来からの麻の世界に置いて、やわらかくてふにゃふにゃのものが最高の麻布みたいなのは、林与としては論外そのもの。うすいものでも緻密におられて、しなやかでありながらハリ感やコシ感があるのが上等な麻の定義みたいなものだった。
2024年11月23日
昨日は午後から1時間半ほど集落の文化祭のパーティションを運び入れる作業、今日は朝から組み立て作業で午後から展示の作業。結構、パーティションの上のほうに展示をしようとすると、男手が必要だったりして、また、展示物の量に合わせて内容の割り付けを行うと、展示物のいくつかをもう一度配置換えしないといけないことも多く、展示品を持ち込まれる方がこられるごとに頭も使う作業内容。

せっかく、展示物を持ってきてもらったのだから、なるべく良い感じで見てもらえるように、考えての展示。子供の作品というのはそれなりに味わいがあって興味深い。子供が子供らしい絵を今も描くのだなあと思うと、林与は小学生のころから結構写実的に描いていたので、子供が漫画っぽいデフォルメした絵を描こうとするのは普通なんだなあと思える。書道の作品が多く展示されていたけども、消防署長されてた方の書は達筆な感じがした、表彰状などを書いておられたので長けてられる。

太った感じのおっちゃんでいつも町長推薦で消防署に入ったと言われてたものの、あいさつなども何も見ずに長い挨拶をされてたりするので、頭が良い方だなあと思っていたけども、話しているといつもニコニコしておられるので、そんな感じがしなかったので、でもやっぱり、いろんな知識的なことにも長けておられるのを感じる。

古い集落の写真があって、そのなかに縄編み機があった縄編み機は9月に福島に取りに行ったものなのだが、東円堂の集落の中でも、女性の方も子供のころにやったと言われていた。縄編み機は倉庫に林与が生きている間は残しておこうと思う。持って帰るときも、高速道をのSAで軽トラに積んであるのを売店のおじいさんがみられ、子供のころにやってたということを言われててなんかお年寄りの方にとっては大事なものなんだなあと思えたりする。引退された年配の方たちはグランドゴフルだけでなく、集落の中でいろんな会を作って結構いろんな作品づくりみたいなことをされているのだなあということを知った。パッチワークを作っておられる方もあってそれが一番大きな作品で、ベッドカバーだろうか。

林与は展示会場の準備だったが、別の会場では、射的やポップコーン、休憩場所のようなものが儲けられていた。他に野菜の格安の即売なども行われる、明日が片付けなどあるので雨が降らないと良いが・・・文化祭も文化祭担当の委員として2年続きで当たるので、来年は2年目として委員なので、それなりに参加して作業して全部の工程を知っておかないといけないなあと思ってはいる。あと12月頭の行事が終われば、今年度の行事は基本終了みたいな感じとなる。
2024年11月22日
EVというのは、太陽光発電したものを充電すると最大のコストパフォーマンスを提供することができて、メガソーラーとかの近くにEV充電の充電設備ができればよいんじゃないのかなあと思えたりする。

日産のサクラというEVがすごい人気で1年ほど前に売り出されたのだけども、すごく早い結果で、使えないんじゃないかというレポートが多く、特に500km走るとかなると初回の家での給電もいれて17000円充電したとかで、普通に軽自動車なら30km近く走るので、6000円くらいのガソリン代だろうと思う。驚いたのが、レポートでどこもEV給電所はだれも充電していないことで、それはそれでよいのだけども、それほどゲスト充電するようなことは稀ということで、設置してもすごく割高な充電料金になりそうだということである。

充電スポットでの急速充電が相当安くならないと普及は難しいのではなかろうかと思われる。街乗りで、1日10kmものらないお家の方が家で普通充電する分にはEVは良いのかもしれない。

サクラにしても車自体に問題があるのかというと150kmしか走れないEVでも、充電設備さえガソリンスタンドのようにあればよいはずで、それにすごくお金が掛かるという問題があるだろう。ガソリンスタンドのように人が常駐している必要がないから、コストは下げられるはずだろうけども、電力会社から電気を買っているような充電設備だと充電コストは高くなる。遠出をしないということを守れば普段のりには良いのかもしれない。

よって現状は、どこにでもあるガソリンスタンドで給油できるハイブリッドが良いという選択になってしまうのだろうか。林与の場合には遠出することがたまにあるので、EVは使いにくいだろうなあと思える。

普通のガソリン車でも年間5000キロも走らないならそして10年以内に買い替えるなら、車にもろもろ500万円つかったなら、5万kmで乗り切ったことになる。車両購入費維持費燃料費含めて、1km100円掛かっていることになる。タクシーよりも高いということになる。高齢者の運転免許返却の流れは、タクシーやライドシェアの活用という方法しかないのかなあと思えたりする。自動運転はたぶん、50年、100年、実用の結果、無理な感じも見えて来たりで、なかには自動運転だと思って自動で運転していると、自動運転じゃなく遠隔運転されているようなケースもあるという。自動運転が判断してセンターにここは無理だから助けてとセンターへ自動で連絡するんだろうか。5Gではそういう機能が使えるみたいなのがたしかトヨタにもあったような気がする。それをメーカーによっては自動でやってるみたいな、ゲームセンターのサーキットゲームのようなものにのってセンターの人が液晶画面を見ながら運転って怖くないかという問題と、無人自動車などでは、海外では事故も起こってしまっているようである。ゲーム感覚の金儲けビジネスにつながっていてそれが自動運転の限界なのかもしれないと思える。センターのオペレイターのために遠隔運転自動車免許みたいなものも必要な時代なのかもしれない。
2024年11月21日
シャトルの管を交換する時に、管を取り出して、糸を手で引きちぎるような作業があるのだけども、今回のリネン糸は同じ番手の同じ銘柄でも最高価格のあたりで購入したもので、すごく強くて丈夫。また色ムラも少ない。あたり、である。こういうあたりの糸に出会えるとリネンの値段も高くなっても良いのかなあと価格が上がるとともに最近は生成りも色ムラは少なくなってきている。高い時ほど糸がが良くないというのが一般的な話なので、まあ、よくよく考えると、最初は安い原材料から使い始めて、徐々に安い原材料がなくなって来て、原材料も値段の上昇とともに上がってきたかんじなのか。普通考えると良い材料から使い始めて、最後に悪い材料になるのが普通じゃないのかなあと思うけども、利益が優先される海外は違うのかもしれない。

リネン価格もピークを越えたといわれてはいて、来年の3月くらいからはあたらしい作柄の糸に変わるだろうけども、今の過去最高値のあたりよりは、価格は下がるだろうと言われている。高く売れるとなるとフラックスの栽培も増えるだろう。ウクライナという国の偉大さがわかったりするのが、ウクライナ戦争が起こって、日本の小麦粉の値段も倍になったということ。小麦が以前から安いなあと思っていたけども、それが2倍になったくらいは許容範囲にも思える。国内の価格と輸入小麦価格は並んでいるあたりだろう。
2024年11月08日
林与も昔は数学が得意だったけども、今は、織物の仕事でも四則演算くらいしか使わないので、小学校くらいの算数ができたら日常生活や織物の世界では大体のことはやって行けるのかなあと思ったりする。昔のそろばんが計算機へ、さらにコンピュータに変わっただけのことに思う。

でも、プログラミングが出来ると、複雑な計算なんかは自動化できるので便利で、自分で戻り値のある関数を定義したりとか、サブルーチンを作ったりとか、また、結果を数値で表したり以外にも、グラフに表したりとかできるので、便利に思える。

糸量の計算なんかも、エクセルとかで自動計算するようにしておけば簡単だし、WHATIFアナラシスと呼ばれるように、数値を一か所変更すると結果がどうなるかなども、いろいろ試せたりするので、既存のエクセルのようなアプリケーションを利用するのも一つの方法で、エクセルにしても一つのプログラミング言語みたいな活用が可能。

コンピュータが使えることで、織物の仕事にもすごく役立っていて、計算機だと画面も小さいので、四則演算にしても複雑な計算などは間違いも起こりやすいけども、コンピュータでやると、全体を見ながら作業ができるし、間違ったところだけを後で修正して、正しい計算結果を求めたりもできる。コンピュータを使えることが織物にすごく役立っている。

コンピュータも今はノートパソコンだけども、若いころには、自作PCみたいなことをやってたので、そういうのをやっておいたことも役立っていて、ノートパソコンでも、踏んづけたりして液晶が壊れたら液晶を交換したりとか、ハードディスクをSSDに交換したりとかも、修理にだすと一般的には、初期化されてしまうことが多いので、自分で修理できるということは自由度が広がる。

今も、10年以上前に発売されたノートパソコンがメインのパソコンで同じタイプの機種を壊れたら買い替えて、そこにWINDOWS11を入れて使っている。CPUの処理速度的には10倍くらい今の最新型と比べると遅いとは思うけども、実質的な体感速度的には、今のノートパソコンとそれほど変わらないくらいに思える。

大事なのは、キーボードのキータッチとか、キーボードにどれだけ慣れているとかで、話すスピードと同じくらいに日本語をタイピングしてもついてこられるようなノートパソコンなので不自由はない。安い中国のパソコンは最新のでも、キーボードの感触も悪いし、新しくてもスピードは遅かったりするので、慣れた10年前の日本製のパソコンのほうが快適である。

中古のノートパソコンも2万円くらいで、バッテリーの持ちも5時間くらい使えるような状態で、手に入るので良い時代になったものだと思う。ディスプレイもタッチパネルタイプだともっと便利なのだろうけども、タッチパッドでもそれほど困ることはないのでその辺りは欲張らない。

たぶん、10年くらい前のノートパソコンなので、周りの人が使っているノートパソコンのほうが、林与のよりも新しいタイプであることが普通だけども、できることというのはそれほど変わらないので、十分である。ノートパソコンでは、AIが進化しても、バッテリーの関係で、十分な速度のGPUは使えないだろうから、満足なレベルのAIはネット接続のない状態ではノートパソコンでは得られないだろうから、まだ、5年くらいはこのままの環境かもしれない。9月に、パソコンが起動しなくなって焦ったが、2週間ほど掛けて、新しく移植が完了して今は快適。

中古で手に入れたA3カラー複合機も、まあ4年くらい互換トナー使って、カラーコピーやスキャナで活用ができていて、ありがたやありがたや。この複合機が無かったら、請求書の添付なども一苦労していただろうと思う。スキャンした画像をPDFファイルとして保存できるのはありがたい。業務用の複合機なのでスキャン速度も速く、画質はクリアで非常に良い。

電気機械関係の会社もこれだけ中古で安く、無料みたいな値段で、使えるモノが手に入るようになると商売あがったりだと思う。自動車なんかも中古車でも問題ない新品みたいなものが多いが安く手に入る。日本の国で、モノづくりの商売は難しいなあと思える。中古の私の1.5kgのノートパソコン本体よりも、箱から出しただけの比較的安い太い番手のL25番手のリネン糸1.6kgの1個の糸や、焼肉とかの食べ放題一人分のほうが高いというのも怖すぎる。

今日は、エジプトのリネン糸70kgほどが届いた。今後の入荷も当面ないだろうという糸で、今後入荷されてもすごく値段が上がるだろうと思うので手に入れることができてうれしい。今は他の仕事が詰まっていて、使うとしても相当後のことになるだろうけども、あるときに手に入れておかないと手に入らなくなる可能性は高い糸。最後の在庫の残りということだが、手に入れることができて本当にうれしい。また、当面使わない糸を衝動買いではあるけど。ラミーの80番の糸も、機屋さんが廃業されるというので100kgほど買われた8割の値段で引き取ったりもしたが、今もその糸は使っていなかったりで、普段使っているラミー100番手よりも太いので、着尺系の若干しっかり目の布に使えるだろうと思って引き受けたのだけども、もう10年近く経っている。廃業された機屋さんも昔の糸だと言ってられたので、もう15数年くらい前の糸になるだろう、昔の麻糸は貴重。

現場では別の織物を織って見ているが、経糸切ればかりでキズがほんと多くており進むことができない。すごく強く太い糸なのに糸が切れてしまう問題で、織機の調整もずーっと続けているが、1mが綺麗に織れないのでは織り進むことは中断中。蒸気を使うのも一つの手だけども、あまり強くかけると別の問題が起るので、蒸気はなるべく使いたくない。整経も失敗をしていないし、糸のロットの問題だろうか、おもりの加減だろうか、幅の狭いタイプはそれなりに同じ織機で織れていたのになぜなんだろう。きっと原因はあるとおもうのだが。
2024年11月08日
ロシアに生まれた若者たちは、苦しいだろうと思う。戦いたくない戦争の戦地で、正当性もなく昔だったらソビエト連邦の同国のチェルノブイリのあるウクライナの人たちを殺すような立場。チェルノブイリの原発事故にしても、ウクライナの消防の人たちが命を投げ出してソビエト連邦の問題を解決した。それでもまったく評価もなくというのは、下民としての見下しの態度で下民はウクライナに命を投げ出せと多数派が苦しめていたような実情があるだろう。

ベラルーシにしても、独立国家でありながらも・・・。ロシアの言いなりでしかなく、ベラルーシの大統領ですらも国民が人質のような立場で気の毒としか言いようがない。このようなしょうもない問題すらも国連の常任理事国が話し合っても解決できずに、エコとかエシカルとかSDGsというのは、本当に馬鹿らしく、まともな人間を食い物にしてモラルを求めながら、権威主義そのものの一番駄目な国連レベルの現実。

人間としてまともな感覚もなく、人の命すらも守ることも二の次になって戦争を正当化して意味があるのか?戦争が起こっても、死ぬのは下民だという国家主義、それは一番駄目で自分が前線で戦うのが当たり前の覚悟がないと国家元首としてもダブルスタンダードで、愛国心すらもない卑怯者の極み。でも、そういうのが国連レベルで、世界中で人が多くなくなっていく。国連もまともな感覚にならないと世界中が集まってSDGsとかは、国連自体が一番駄目な組織でしかなくなる。

アメリカの大統領選なんてものは、平和すぎてどうしようもないほどに思えるが、その平和さが戦争を必要とする原因でもあったりするようにも思える。選挙にしても勝ったとか巻けたとか、そんな感覚でしかとらえられないのがどうしようもない気がする。負けた相手も勝ったものたちが幸せにするのが政治であるはずに思うが、敵と味方の区別でしかないのか。違う価値観の存在を尊重し分かり合うことはできないのか。それでも、アメリカは、共和党と民主党が政権を入れ替わることで、バランスが保たれているようなところがあるのを感じたりもする。

独裁政権みたいな状態こそが一番危なくて、多数派が政治を捻じ曲げないためには、裁判所の独立性が非常に大事だと思う。アメリカの場合には陪審員制度があることでそれが保たれているようにも思える。アメリカにおいては、権力が腐敗したり乱用されたりするということを当たり前に想定もしていて、法の下には誰もが平等の精神という概念がそこにある。ただし、アメリカ国民同士においての話で、国同士においては、アメリカはNO1でないといけないみたいなのが不思議に思うところ。中国に中華思想というものがあるが、それと同じような思想でアメリカも運営されていて、アメリカのNO1を脅かす国というのは悪とみなされる。一方で、アメリカという国は移民で成り立つ国で、さまざまな人種の人たちが集まっていて、そういう思想を形成しているので、多様性のなかでの全体としてのNO1意識なので、まだ安全なのかもしれない。個人の思想の自由を重んじ、全体主義を否定しているところが、一方の考えに傾き始めたとしても、ブレーキが効くことにもつながる。ベトナム戦争なども失敗だったという判断に至っているあたりなども理性的な部分を保ち続けているように思える。

ロシアにおいても、ゴルバチョフのような存在が否定され、プーチンが再びロシアを強く戻したということでロシア国内では人気は高いとはいえる。ゴルバチョフによるソ連の解体によって、どんどんと弱体化が進んで経済的には貧しい国になってしまって、明らかに中国のほうが力を持つようになった。親和派のゴルバチョフがロシアを弱らせたという結論に至っているのがロシアの年配の方たちの一般的な考え方とされる。

自国のことや、権力者を馬鹿にすると捕まるような国というのは、非常に危険で、その点ではアメリカというのは、自由の国アメリカらしいと思える。例えば、国民がトランプを馬鹿にしてもつかまって投獄されるようなことはないだろう。全体主義国家だとそういうことは許されない。今回のウクライナ侵攻においても、ロシアの若者たちが反対を表明するだけで、警察に犯罪者としてつかまるという問題が露呈した。自分自身の考えを表明することすらも許されない国というのは、民主主義的な社会では当たり前の人権という概念すらも保証がないことになる。
2024年11月06日
今日、夕方、地域の年配の方と話す機会があったので、農業関係のこととかいろいろと分からないことを尋ねてみた。聞いたこと全部詳しく教えてくださって、お墓のことなども分からないことがあったので聞いてみると、永代供養というのは墓地を使い始めるときに支払うものらしいということで認識はあっていた。一般的には永代供養という言葉は、それを払うとあとはずっと管理してもらえるみたいな意味なので、そのあたりをはっきりとしておきたかった。というのも、親が区長をやったときにも、前の区長さんが永代供養を払った家からは毎年の利用料をもらってなかって、もらえていなかったので貰いに回ったらしい話をして私に永代供養の意味を聞いたので最初に払う頭金やろうと思う、お墓のある家は毎年利用料を別に払っているから、という認識をしていたがそれで間違いはなかって良かった。

その話をすると、いろんな規定なども時代とともに墓地の区画整理などともともに変わってきた話なども教えてもらった。区画整理でそのままの家もあるけども、下は触らずに区画整理してお墓を均等に並べ直してあるので、昔のように墓石の真下に先祖が眠っているわけではないというような話や、まあ、今は土葬もしないので、お墓の下には地域の方々が眠っていると理解すればよいのではなかろうということになっているらしい。共同墓地みたいな概念も今はなくて、年額の利用料が一定の間払われていなければ無縁仏とよばれる墓地の隅のほうに墓の下は触らないまま墓は移動されるそう。そういう話を聞けるうちに知っておられる方から聞くことができておいてよかった。

過疎化の流れの中で、若い人たちも少なく成っていて、こういうことを同世代の方でも知っている人というのは少ないだろうし、どういう風に考えるのが正解なのかを知っていることは、自分じゃなくても誰かが困られたときにも、知らないとか分からとかとか答えるよりも、今はこのようにやっているらしいと一つの実績のある方法を答えることができる。

除雪のことなども集落の一部の方が担当をして雪が降れば朝早くからやっててくださるが、そういう仕組みについても詳しく聞けてそういうのも集落の方の多くもあまり知っておられないだろうと思うのと、他にも草刈や河川の清掃などもどのような仕組みになっているのかを教えてもらえて、そういうのも知らずにやっているよりは知ってやっているほうがやっている意味も分かって良いだろうと思う。本当にものごとの意味を伝えるのが上手な方だなあと思う。

ものごとの背景や意味合いなどをはっきりと説明してくださる方にも出会えなかったので、今日は思い切っていろいろと尋ねてどういうものなのかというのが理解ができて良かった。やってくださってる方は分かっているのだろうけども、やってないものには分からないことが多いので、やっていなくてもそういうのも分かったほうが良いだろうと思うし、知ろうと思ったときに正しく説明ができることが大事だろうと思ったりする。

長年の多くの謎が解けたような気もする。今までは尋ねてもはっきりとした答えをもらえないことも多かったりしたけども、役を当たって協力を求める側の立場で、その意味合いをよく分からずに説明も出来ずに協力をお願いしているというのは、すこし、心もとない話なので、やっている理由がはっきりと分かったことは良いことである。
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