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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年04月16日
まつりの準備ころから風邪気味だったのが、昨日と今日、熱が上がってふらふらな感じ。風邪特有の頭が痛い感じで、昨日は作業がほとんど無理で、今日は午前中は銀行に行って、ようやく午後から仕事。

先週お客さんから生地が売れたので再生産してほしいと連絡があったので、その生地に使う太番手のリネン糸が国内にあるかどうか調べますということで、月曜日に確認したけども、糸がないということで再生産は難しい話。次から入って来る糸は同じ番手でも製法が変わるという話。そういうのを教えてもらえるのがありがたく、糸商さんも誠実な対応でトラブルを避けようとしてくださっている。糸値の高騰で、林与が扱ってきた太番手系のアイテムというのは、もう糸の入手が難しいものばかりになってしまった。リニフィチオの糸も入手が難しくなって、糸の銘柄指定の特別なものは作りにくいような状況になってしまって、林与だけじゃないだろうけども、高くなりすぎて国内にも糸がないような状況。

物価の上昇が激しくて、特にリネンの糸はコロナ前の2.5倍から3倍とかで、この春夏は店頭でリネンのアイテムは少なく成ってしまっているだろうと思う。ヘンプでリネンを代用する動きもでているようで、店頭はヘンプブームになりそうな予感。林与は、ヘンプは、2008年ころのヘンプブームの時に力入れてやってみたのだが、時期尚早だったようで、その後はあまり力をいれてはいない。まだ、ヘンプ糸の供給が不安定だったころ。
2024年04月14日
地元の神社のお祭りで、昨日は1時間ほどの飾り付け、今日は午後から神輿渡御、夕方5時に終わったけど、お天気も良くて楽しく終わった感じ、今は年配者が混じって神輿を引くような形になって、本来は主役だった30代以下の人というのは少ない、それは林与の住んでいる集落だけでなく他の集落のほうが人が少ないような感じがするほどで、子供神輿は3つ、大人の神輿も3つでたけども、林与の集落の神輿が一番人が多かったかなあ。

神輿渡御も形が変わって2年目で、長く続けられるような無理のない形を目指しておられ、法被着用のドレスコードも緩く、ほとんどの方は色Tシャツでジャージやズボン履いて、その上から法被姿で参加。林与の80過ぎた母親が気にしすぎて、白いおニューのTシャツを買ってきたり、白い短パンを用意したり、林与自身も法被着て参加すれば良いだけなんやから格好はそれほど気にしなくてもよいといっているのに、母親がテンパって過ぎて足袋も用意しているしまあ40年前の世間体の感覚のまま。今は、祭りはシューズでよいし、Tシャツやジャージやジーンズの上に法被でよい、気軽に参加できることが大事でそれが祭りが続くポイントにもなる。

最近まではひと世代前の方々が雅楽会をやってくださっていたが、最近は次の世代が集落の雅楽会を引き継いでやってられて、そういう気のある方がいてくださることはさらに20年30年引き継がれることになる。雅楽会のような役を引き受けることというのはなかなか難しいだろうけども、引き受けてくださているというのはありがたいことで、頭が下がる。

林与は、若い世代の活躍を期待し今の若い人たちの流儀に合わせ、祭りに参加しても出しゃばることなく人手の足りないこと部分を丁寧な対応しながら助けるなど祭りを静かに支える形でいたいなあと思う。若い人の健全な祭り運営は立派だなあと思う。
2024年04月12日
久しぶりにファブリカ村の陽子さんと電話で話たら、半年前に手織り体験で使っていた手織り機をファブリカ村においてもらったらうまく活用もしていただいているようで、それは本当にうれしいお話。幅が狭めなので、2倍の幅のものが良いということで次の整経は2倍くらいの本数にできたらよいなあと思う。なんやかんやいっていてもすぐに夏にはなってしまうだろうけども、もう一台立ち上げておいてもらうも可能なようで、多くの方に手織りを体験してもらいたいなあと思う。

林与自身が、イベントに出展して手織りを体験してもらうというのは、織物を織る、とか、布を作るということが身近ではなくなってしまっていて、布をつくるというようなことが特別なことになってしまった感がある。林与も織物の仕事をしていても、手織りはほとんどしていないので、似たような話かと思いながらも、働きにきてくれる従業員の人たちでも昭和のころから、そういうのを趣味でやったりしている人も少なかったりで、林与のことでなくてもよいので、織物を織るというようなことから、身近に感じてもらいたいなあと思う。

特に、小さな子供さんなどは器用なので夢中になって織ってくださることが多く、子供のうちに一度でも織ることができるというのを体験して楽しんでもらえれば、将来、どこかでまた手織りする機会も増えるのではないだろうかと思えたりする。教室とかに行くとかだと敷居が高いだろうけども、林与の無料手織り体験イベントなどで気軽に最初の体験をしてもらったらと思う。

林与の参加しているイベントなども基本、大人向けのイベントが多く、そういう場所に一緒にこられたお子さんたちが、イベントでなにか楽しめるようなことがあったらという思い、林与にできることというと織物のことなので超かんたん無料手織り体験は、林与も実施させていただきながら、多くの方に体験していただけるのをうれしく思っています。

子供さんで夢中になってくださって親御さんがもう迷惑だからやめときなさいみたいなことをおっしゃってくださるのだけど、林与は親御さんに迷惑でなければ、子供さんの織りたい気持ちというのが本当にうれしくて、次の方がなくて空いているなら時間の許す限り織ってもらって、そういうイベントに来られた思い出の一つにしてもらいたいなあと思うんです。イベントに出ているときも、林与の場合、物販も同時に行っている場合もありお買い上げいただくこともありがたいことではありますが、手織り体験そのものをしていただくことのほうが一つの主目的だったりで、参加するイベントを林与自身も楽しみたいから手織り体験を開催していますので、好きなだけ自由に織ってもらえるのがうれしい気持ちです。

今まで手織り体験で、日本の伝統的な手織りが本業の方などとも多く接させてはいただいておりますがトラブルなどは今のところはまったくありません。和織機の場合強く打ち込むというのが、一般的な着物の世界の良い布の織り方の基本で、織り方の違いなども林与は把握していますし、小型の洋織機の場合には華奢なので強く打ち込むと織前が踊って、整経ビームのギアが外れたり、糸がたわみやすく難しいことも織機の性能として難しい問題も理解しながらですので、手織りのプロの方とも技術的にはそうなんですよね、という話で、織り方の違いに関してもぶつかり合うこともありません。織る布によって織り方が変わってくるのも理解をしながら、一般の方向けのイベントでだれでもが簡単に織れる方法で最初の体験をしてもらえたらと思っています。

林与が展示会などに参加させて頂いて全国のいろんな機屋さんとの交流の中でいろんな技術的なことを教えていただくことも多いですし、今の衰退する傾向にある日本の織物業界の問題も共有もしながらで、林与が自分がやって成り立っているようなケースも参考にしていただくためにお話させて頂くことも多く、林与自身も惑星直列的な幸運が重なったから麻織物を続けていられるようなところがあり、その基本が、成り立とうとするために自分ができる限りのいろんなことをがむしゃらにやってみるという考えです。織物を無心にやることから始まってうまくできるようにならないと成り立つはずもなくで、時間から時間働いたから食べていけるような世界ではなく、憧れで成り立つような世界でもなく、それで食べていくならばいろんな問題を解決してゆくそれなりの努力が必要で、そのいろんな問題というのが、日本の繊維業界では増える一方なので、日本の繊維業界的な特色を残すためには、よほどの努力が必要なのかとも思えたりし、今の日本の働くことを悪いことのようにとらえていてはそれはもう国際競争の中では成り立たないような誘導を自らしてしまっていて、働かずに優雅に暮らすといういわゆるホワイト的な理想そのものが、搾取構造そのものでいわゆる批判されがちなブラック的な概念につながります。国連レベルやSDGsレベルでも、ホワイトを謳っている人ほど、助けろとはいうけど、苦しんでいる人を自分が雇う覚悟もなかったりで、苦しんでいる人の面倒を見て雇っている人を叩くだけとかの階級構造で、そういうところが本当に残念な、国連やSDGsの浅すぎるところで、一番底辺の人たちを自分が雇って法律の重荷を背負う覚悟の無い人たちが、法律ばかりを厳しくして、一番底辺とみなされる人たちの面倒を共感して支えようとしている人たちを法律で縛って、面倒見させて叩いているだけの話で、そういうのが一番駄目なのではないかと思います。法律が法律がと逃げているひとが多すぎるけども法律というのは人の心が大事で、自分が背負う覚悟もない人が自分が出来ないことを他の人に法律だとか規則だとかで強いては駄目で、そういうのが国連レベルやSDGsでも一番駄目に思うところ。掌るものが、覚悟決めて末端を食べさせていく責任を背負わないと駄目だけど、その覚悟もなく、国連レベルのSDGsというのは、まったく本質が見えていないし自分が自分の人生も捨てる覚悟もない人たちがホワイトのようなルールを強いて他人事のように人々を苦しめているだけの連鎖に終わる。本当に一番駄目なのが、国連レベルのSDGsの裏側で、そんなレベルの金儲け主義のSDGsならやめておいた方がよいと思う。





2024年04月10日
全国の田舎では空き家問題がこれからさらに加速してくるとは思うが、空き家問題を解決するためには、後継者がいない場合には、家を相続せずに片付けるようなことが必要で、それを自分が死ぬ前にやらないといけない。すなわち、先祖代々の仏壇やお墓もしまっておかないといけないことになるし、死ぬ時には別のところで死なないといけない話になる。

これが今の空屋問題の根本的な問題。田舎に家を持って都会暮らししているなら、田舎の家を処分するは普通の話だけども、田舎の跡継ぎの無い家が家を処分するは先祖代々の家の歴史を閉じる話で、空家が増えて困るからというだけで、軽く考えられる問題ではなかったりする。

生まれ育った家で死ぬことができてが普通だと思うけど、空き家対策のために、死ぬときは別の場所で死ぬのがきれいな死に方みたいなのでは、本当によいことなのだろうか。都市部だと周りが干渉することもなく、ごく自然にそういう問題も行政が解決をしてゆくような話になるのだけども、田舎だと、行政が対応も出来ずに放置で法定相続人がどんどんと増えて、さらに解決が難しい問題になる。

昔だと、周囲に住んでいる誰かがそういう物件を買うか、面倒を見る形で解決してきたのだけども、今の時代にそいうのをやれる家というのは少なくなってきてしまっている。自分の住む環境を守るために出ていく人の家を買うというのは覚悟の入る話だけども、昔はそういうのが普通だった。今は家を建て壊す費用も高くなって、建て壊したとしても土地を売ることも期待できないし、固定資産税だけが延々と掛かってきてしまう。

愛知川の商店街もお店は閉じたところが多く、ウナギの寝床のような奥に長い形で、砂利で敷き詰められた空き地がいたるところにできている。立地的に、それほど悪くないような場所でもそんな状態で、新しい人がそういう場所に入って生活をするということは非常に難しいことだろうと思う。

結局、田舎での空き家対策での家じまいは、村じまい、町じまいにつながる形で、過去からの文化や伝統的なことの一切を過去の歴史として葬るころになって、全滅したときにディベロッパーが再開発をするためのロードマップということになる。それも一つの考え方だけども、空き家対策というのは都会よりも田舎のほうが越権行為的に行われるために、村を村じまいに至らせる要因になってしまうだろう。

限界集落と呼ばれる集落が、廃村にならないためには、村の掟みたいなものを無くすことが大事なのだけども、そういうのをなくすことは本当に難しいことで、都会のような感覚になれば、若い人たちも残りやすいだろうと思うけど、田舎ほど人間関係を重んじる人が多く、同じように、繊維業界も人間関係を重んじる人が多く、結局、社会の流れに適応できずに衰退してしまう。林与も先代が古いタイプの人だったので、問屋さん商売を大事にしていたけども、林与と取引のあった京都の問屋さんはこの20年ですべて繊維からは撤退されて不動産業に業種を替えられたりして残っておられるところは残られている。

形を変えることができれば残れる可能性もあるし、そこにいつづけることも出来るのだけども、昔からの形に固執してしまうと終わりは早いもので、外の変化に敏感に対応しながら自分自身の考えで残れるような決断をしてゆくべきだろうと思う。一方で、林与のようなタイプは、古いことを続けるために覚悟を決めて広く深くこなして行くことで、分業でやっていたことを、一人でも全部背負う形で乗り越えてゆくみたいなスタイル。夏の前くらいまでは忙しいのが続きそうだけども、落ち着いたら洋服をつくることも始めようかと思う。1点ものから。
2024年04月07日
10日ほど前から指先が数日パンパンに腫れたのは、へバーテン結節という原因不明の症状らしいけども、林与の場合には生地の修理を集中して行いすぎたがためにへバーテン結節の指先が赤くパンパンに腫れる症状が出たようで、テーピングして指先を守ったのも正しい対処方法のようで良かった。指先を使いすぎると、新しい毛細血管が出き、指先に溜まってしまうようで、結果、指が太くなったり、指の関節の変形などが伴うらしい。

林与も仕事をするときには、ぶっつづけで数日することが普通にあるので、生地の修理の際に、親指と人差し指で糸をつまんで引っ張るような作業が連続したことが、指先の多用ということで、へバーテンの症状が出たようで早期に原因が究明されて良かったなあと思う。女性のほうがへバーテン結節にはなりやすいようで、家庭での家事なども、かなり指先を使うような作業が多く、それが原因ではないだろうか。料理にしても野菜を左手で押さえながら右手で包丁をつかうとか、指先に力が籠る。

林与自身の場合には普通の現場の人の何倍もの量をこなすので、働いている時間も普通の現場の人よりも長いし、へバーテン結節の症状がでることは仕方ないといえば仕方ない。仕事量を半分くらいに減らすと、直るだろうと思う。ロッククライマーなどもへバーテン結節にはなりやすいということらしい。

昔から職人の指は太かったり、にぎりバサミを使っている人の右手の親指は引垂れての親指よりも太かったりするがそれは同じ原理だろうと思う。林与の右手の親指は左手の親指よりも分厚い。
2024年03月24日
土曜日の朝に滋賀県に戻ったのだけども、高速道路で東京から出たとたんに渋滞がずーっと続いて、のろのろ運転モードで、これだったら一度サービスエリアで休んでから夜中出発にしようと、蛯名サービスエリアで休憩してから、滋賀県に戻る。さすがに疲れていて、滋賀県が寒い、寒い。東京に3日もいると滋賀県の寒さがきつくて、体が冷えまくり、とりあえず1日は体を休める。

体力も回復して、体を中から温めるために、ニンニク、ショウガ油、そして肉を食べて、体力も戻して、仕事を再開。4日か5日ほどぶりの作業だけども、なんか、遠い昔のことのように思える。浦島太郎が竜宮城に行って帰ってきたような感覚だろうか。東京は活気があって楽しかったし、5年ぶりくらいに昔から知っている方々にお会いできたことと、林与をネットなどで知ってくださって初めてお会いできた方とのお話も楽しかった。そして、また、現場で一人での作業が始まる。

仕事以外のことを考えるべきではないのだけども、高速道路ってなにもない山の中を巾15mとかの広い道幅で、何百キロも走っている。会社に戻って、思うのが、毎日生活する集落内の道路って、道幅3mで、そういうのが、何十年も変わることがないのが、田舎というものなのだろうなあというギャップ。また、車で混んでいなければ5時間で東京というのに、田舎に住んでいるだけで違う考え方を求められたりもするから、田舎で大きいことをするのは難しいんだろうなあと思う。

林与のやっていることも、田舎の小さな工場での作業に過ぎないけども、自分が作っている麻布をみなさんがすごく評価を下さって、期待も下さって、東京の展示会に行っても、そこがホームグラウンドであるかのように皆さんとお出会いができて、なんか、作っている布がそういうつながりを生み出してくれているんだろうなあと実感する。準備も半日くらいしかできずに飛び出して行ったFABRICa NIPPONでしたが、お会いしたみなさんから元気をもらいまた、作業を地道にやりつつも、余力ができたときには新しいプロジェクトや布を立ち上げたいなあと考えています。

林与自身は、こつこつ地道にというのを大事には思ってはいるものの、業務的な感じがすきじゃなく、普通は無理に思えるようなことやできないとかやらないことにでも挑戦して成し遂げたいなあと思う反面、そういうのって普通の何倍ものリスクと時間が係るので、きたいしてくださるお客様にも迷惑を掛けることが多く、反省することも多く、悩むことも多い。あと10年、ながくて15年くらいかもしれないが、思いっきりのスタイルを変えない形で進んでいこうと思う。

久しぶりに、会社に戻ると80過ぎた母親が、私が徐福に関する本を30冊以上も集めて持っているのを1冊借りて読んでいるらしく、私に徐福のことを説明し始めた。日本の歴史では名前も出てこない徐福だけども、母親が知りはじめたくらいだから、日本の歴史が解き明かされるのも近づいてきているのかもしれない。徐福のことが日本国内で封印されながらも、講師や孟子などの漢文が国語の教科書にも出てきているのに、国や国境という概念はまさに昔の人にとっては何の意味もないくらいに昔ほど国境を越えるにもパスポートも必要なかったようなやったもの勝ちの世界で、あまり小さな世界のルールを気にして押し込めないで、無茶苦茶なトランプよりも、もっと健全な精神をもった人が社会で自由に活躍してゆくべきだろうと思うが、ああいう無茶苦茶でないと、葬ろうとする力があるのが、権威主義的な、村社会に通じる構造で、そういうのを引きずってしまっていては、古い繊維業界や田舎社会もで、本当にやっている人たちが決断をできるようにしないと、覚悟も決めずにやってもいない人たちがいい加減にだらしなく偉そうにしているだけでは次の世代が食い物にされるばかりで可哀そう。

自分可愛さの年配者たちが若いものをいちびって食い物にしながら、自分たちの面倒を見てくれないと困るでは、それは自分が仕事して食べていくの覚悟もなく、何十年の経験者であろうがまじめな学生さん以下な、日本の行政の考えるホワイトで待遇を求めるばかりの公務員的な発想でそれが階級社会的な悪政のメカニズムで、行政が悪政を当たり前に考えて自分が国レベルの責任を背負う覚悟もない人たちが、権威主義で国民生活を食い物にして悪化させて苦しめているのが、一番世界でも駄目に思うような感覚でそういうのから人々は解放されるべきだと思うところ。頑張っている人に責任を負わせて、自分はできない分からない知らんという年配者が、できる限界も超えてやってても説教をされるような、覚悟決めている子供のほうがまともな、歪みすぎた村社会構造。そういうの早くなくなったほうが良いと思う日本から、世界で一番嫌われるような権威主義でアカン構造で、人にはできる限界もあって、求めるものが人の限界を超えすぎて、繊維業界や田舎が美しく見えるためだけに取り繕って、人々を苦しめているだけなら、そういう偽善は捨てないと、それはほんと善意あるものの一生懸命を利用しているだけのことで、守られている人たちが守られていない人たちを食い物にするだけのことに終わる。
2024年03月22日
今日は、2日目最終日、昨日の夜は、うれしい出会いや再開が多すぎて、なんかテンションが高ぶりすぎて眠ることが出来ずに、夜中までCNNみながら、普段現場に縛られた生活とはまったく別環境なので、そういう環境をただ起きているだけだけど楽しんでたのだと思う。朝は、6時ころに起きて、簡単なクロワッサンとブラックコーヒーの朝食をホテルのロビーわきのラウンジスペースで取った後、天気が良いので、海でも見るかと、不当に向かって歩いてい言うと、汽船がでる船乗り場となっていて、そこは、八丈島へ行くフェリー乗り場。青ヶ島に行くには、ここからフェリーに乗れるんだということも確認できた。片道10時間ほど、2等チケットで大人一人1万円。往復で2万円。ホテルに戻って、八丈島の民宿やゲストハウスだと5000円くらいから、5万円あれば、船内泊2泊で、八丈島1泊 青ヶ島1泊の4泊から5泊くらいの1週間の旅が出来そう。

9時半に展示会場入りして10時に始まって、最初に見かけたお客様が、昨日の夜、成田さんが江国さんにご紹介したい先生という駒沢大学の太田先生で、これは必然的な出会いを感じて、さっそくお二人が出会うことになり、30分くらいはいろいろと話しておられたろうか、老兵はただ去るのみで他の作業。すると、キッチンクロスでお世話字なっている東屋の青山さんが来てくださり。ちょこっと手織り体験してもらって、飲み込みも早い方なのでなんの問題もなく綺麗に手織りをこなされていた。

午後には、PTJでお世話になっていたJFWの井上さんと5年ぶりくらいに出会えた。林与がイタリアでブランドをされていたヨシさんに合えたかどうか聞いてくださって、昨日会えましたと伝えると、よかったと。林与のことは忘れずに今も気にかけてくださってて、いろんな方と出会えるきっかけを作ってくださっている。終わり崖にも、びっくりしたのがロンナーの白髭さんが突如会場に来られて、林与に電話がつながらないと昔の携帯番号にかけてくださってたみたいで、間に入られていた問屋さんがコロナ中に音信不通で、白髭さんとも5年ぶりくらいだろうか、林与が東京の会場にいるのをしって会いに来てくださった。ロンナーさんもコロナ中に解散されて、再編されて新しい形でロンナーブランドが続いているが、それを白髭さんが引き続き担当されているそうで、ほかにも林与が15年前くらいまで取引のあった大阪の会社さんのブランドのものづくりも手掛けておられるそうで、素材的には林与が若いころ時手掛けていたものに再度声が掛かりそうな感じだろうか、でも、いろいろなことを仕切り直さないと状況は依然とはまったく違ったりする。

国内の高級ブランドほど固定客を抱えておられ百貨店店頭での対面販売が大事な要素だったので、コロナでその販売形式がまったくできなくなり、また、スーツやジャケット、ビジネスシャツへの需要も、外出の機会がなくなり激減し、会社を整理されたり、縮小、廃業、再編などがアパレル業界では相次いだ。問屋業も閉じられたところが多く、また、縫製関係も需要は激減した。華やかなアパレル業界も、コロナを経て、サステイナブルなアパレル業界へと変化の流れで、新規でつくるよりも、在庫生地の活用などが一つのトレンドどはなってきている。

2日目も5時に会場が閉まると6時前には会場の撤収もおわり、ハイエースで江国さんをホテルまで送って、滋賀県への帰路に、静岡辺りまでが渋滞が続いて、渋滞がとけるまで蛯名サービスエリアで仮眠して休むことにして、11時ころにまた運転再開。高速乗る前にガゾリンを満タンにしておいてよかった。ガス欠の心配なく暖房付けて仮眠が取れる。

ブログに取り上げた以外にもうれしい出会いがたくさんあって、何よりも初めて開催されるイベントだったので、どのくらいお客さんが来てもらえるか心配もしていたので、ネットのお客様じもたくさんお越しいただいてうれしかったです。土曜日朝に無事滋賀県に戻ることが出来ました。
2024年03月21日
今日はFABRICa NIPPONの初日で、マーケットゾーンに出展させていただきながらも、ワークショップ的に、超かんたん手織り体験のほうがメインな感じで、2台持ち込んだ手織り織機での手織り体験を来場者の方や、出展関係者の方なども含めて体験いただいた。何人かの方はやはり、手織り経験もあり、学生の頃が懐かしいなあ見たいなお話で、生地のイベントを盛り上げるのにも役立ったのかなあと思う。

前日のよるに、ネットショップのメルマガメールで、今回のイベントのことを配信させ頂いたのが、あまりに急すぎてもうしわけありませんでしたが、メールをみてきてくださった方も多く、一般の方もありましたが林与のネットのお客様もブランドを立ち上げておらるプロの方が多く、林与と会えることを楽しみにきてくださった方も何人もいてくださって、一昨日にバタバタの中も散髪にいって10歳以上は若く見えるようにしといてよかったなあと。

終了間際には、テキスタイル業界のバイブル的な、テキスタイル用語辞典のテキスタイルツリーの方々とも、メールなどは交換しながらもお会いできたのは5年ぶりくらいで、一緒に夕食させていただけ、一緒に夕食というのも親しい方とでもなかなかできないことが多くて、エビ料理のお店で、食べながら、夕食の主役は、林与でもなく、30代の江国さんで、なんか日本の繊維業界が次の世代の方につながる感じでうれしいのが私も含めて。、

初日も夕食も、感無量の一日で、ホテルに戻ってもすごく高ぶってしまってて、ほとんど眠れない。30後半から、国内海外で動き始めたころの若かりしころの林与が自分の中にちと舞い戻った1日でした。
2024年03月20日
今日は、朝の8時出発予定が9時過ぎの出発になり、東京の会場に予定よりも1時間遅れで到着。今回は、林与が今後コラボして一緒にやっていく沖縄で縫製をされてる江国さんが先に会場に到着してくれてて、スムーズに準備が完了して、ついてから1時間後の夕方5時には準備が完了して夕食をとって、準備完了。

いつも展示会などに出発する時には展示会の準備などは12時間くらいしか時間の余裕がないので、今回も前日の夜中から、さをり式の手織り機を織れるように立ちあげて、あとキッチンクロスを50枚くらい準備して、反物などをハイエースに積み込んでバタバタでの出発になってしまったが、とりあえず、会場dの準備に間に合って良かった。

会場は、今までの展示会の中では、一番準備がしやすいような至れり尽くせりの感じで、ハイエースにいっぱい積んだ荷物もスムーズに大型のエレベーターで、展示会フロアまで運び入れることができて、最新の東京の展示会場の凄さを感じた。

5年ぶりくらいにJFWでお世話になってた、今回主催の兼巻さん、久山さん、菊池さんにお会いできて、ほんと懐かしいばかり。最後お会いしたのは今思い出すと東京のTN展だっただろうか?林与も田舎の織物工場のおっちゃんなんだけども、昔から展示会などでもハートフルな温かい応援をいただき、なんとか、今まで、織物の仕事を続けてこられたのもそういう方々のサポートのおかげでもあったりで、林与も布の世界を背負ってる覚悟しいるので期待も下さってのことなので、精一杯でいつも動けるだけは動こうと、現場での仕事、また展示会などへの参加などもさせていただき、今回、5年ぶりくらいに皆さんとお会いできて、この5年にしても、動き続けてはいたので、久しぶりにお会いしながらも、そのときのままのつながりで新しく始まる今回の展示会も林与はすごくアットホームなスタート。
2024年03月15日
この1週間ほどシャトル織機を織りすぎて、頻繁にシャトルの管を交換したものだから、指に負荷が掛かりすぎて指先が腫れてしまってパンパンに。シャトルの先って尖っていて、その部分を指で押してシャトルを反対側に飛ばすことがあるので、それを一日に何百回もやると特に両手の人指し指の第一関節のお腹の辺りが痛み、それが他の指の先にまで広がっているような感じで、指先にテープでも撒いて作業をするべきか迷う。指で作業ができないほどになってしまったので、手を休める。

糸を巻いてくれるおじいさんが1年前の年末位にもう仕事を辞めると引退宣言をされていたのだけども、数週間前にすごく電話をくださって、仕事したいのだけど、仕事がないかと電話くださって、たまたま30kgほどの案件があったので、その糸を早速巻いてもらった。80半ばを過ぎられて体を動かす仕事というのはなかなか大変だろうと思うけども、ずーっと体を動かしてきておられた方なので、病院に通いながらでも、体を動かしている方が気が楽だといっておられた。すごく、元気でおられるのでうれしい。お爺さんが引退されるときには、林与がたぶんおじいさんの機械を片付けるのを手伝う話にはなっているけど、できる限り、林与の仕事でなくてもよいので、現役で続けてもらいたいと思う。でも、あまり負荷が掛かると駄目だろうから細い麻糸などは、林与が会社で巻こうと思う。

仕事って、単に作業というだけでなく、人と人とのつながりを生むきっかけになる。麻織物の仕事というのは、仕事としてはかなり負荷レベルは高いだろうと思う。一日中立ち仕事で動いて、出来る限りキズができないように織らないといけないので、動力で動く織機ながらも、経糸切れ、横糸切れで織機が止まったときに目合わせみたいな、ギアを戻して糸をきれいに片付けて再開する作業があるのだけども、それが一般的にはシャトル織機の難しいところだといわれるあたりで、シャトルを使いこなすには10年掛かるとか昔いわれたところ。

林与の場合は、シャトル織機は、1週間もあれば織れるようになるのが普通だと考えているので、最初の日から、シャトル織機を動かしてみるように教えたりすることが多い。そのときに、シャトルを一度も挟むことなく使いこなせるくらいだと、向いている。思い切った覚悟みたいなものが、シャトルの運転を再開する時には必要で、ハンドルを手で押し込む作業の思い切りと、押し込んだ後に手を放すタイミングというのが大事で、それを呑み込める人と、呑み込めない人との差は大きい。織機ごとにその加減というのは異なって、織機ごとの癖を知る必要もある。

今織っているキッチンクロスなどは普通に織ると失敗やキズでのロスが大きすぎるので林与的な工夫で織っているとかだけども、それは、織るというのが単純作業で亡くなるので、普通だと面倒だろう。今織っている生成の横糸なども、シュワイターで管に巻いて使うときに、巻いた管に白い帯などを見つけたら使わないようにして、少しでもキズのロスを減らしているが、そういう作業だけども糸の無駄もでる。何も考えないで織るだけなら簡単な仕事なのだけども、最後、結果がなるべく良いように織ろうとすると、結果を出せる人しか織物の仕事は向かないだろうと思う。

繊細な麻糸を織るときには、織るだけが大事ではなくて、整経の作業や、どこまで正確に繋ぐかなども大事で、経糸が何本か切れた時の糸のさばき方が上手ではないと、糸が交差してしまったり、斜めに走ってしまったりする。同じ織物でも織ることができる人とできない人の差というのがあって、織れば織るほど織機の調子が上がって行く人と、織れば織るほど問題が広がっていく人とあって、織れば織るほど調子が上がって行く人というのは、織機の調整だけではなくて、自分自身が作業する時に注意しないといけないことを守ってるということがすごく大事で、我流が入ってしまっている人というのは、高度な織物にたどり着くことは難しい。高度な織物といっても普通にみえる平の麻織物とかなので、それほど高度ともいえないだろうけども、普通の白い麻の平織が、色が黒になうだけで、織物を織ることは何倍も難しくなる。

頭を働かせるのが面倒なタイプの人だと、毎回毎回頭を働かせないといけないというか、適切な判断が必要で、適切な処理が必要な織物というのは苦痛だろうと思う。シャトル織機でのギンガムとかは、ドビーを戻す必要があって、ドビーを2本分戻すのか4本分戻すのか、基本の作業は教えられるけど、基本を理解した上で応用して、正しいギンガムを再現できる人でないと、いくら仕事を頑張っていますと言っても結果が正しくないと駄目みたいな厳しさがある。そういうのからしてOKな人と、論外の人あるだろう。

ドビー織機の機能をフルに使うと多色で綾織などの多彩なものに広がるけども、そういう構造まで現場の人がたどり着けるかどうかというのは、たどり着けない場合が多い。色が4色とかなったときに、どこにどの色を指してよいのか分からない人というのは多くて、何十年も織っている人たちでもそれが普通だったりする。林与は、昔のコンピュータというのは織機で、織りあがった織物が計算の答えみたいな感覚があって、そういうのは誰に教えてもらうこともなく、子供の時からのプログラミングしてたのが生きていて、どういう織物を織りあげるにはどういろいろなことをせっていすればよいのか、また作業すればよいのかというのは、誰に教えてもらう必要のなく、その場で答え普通にあるから織物の技術的な話とかは教えてもらう必要はほとんどなかった。仕事するには向いている素養はあったと思う。あと、子供のころから美術とか図工は得意だった、本当の才能じゃないけど、一般的にいい感じというものを生み出すのは得意で、それも、仕事するには自分を消して多様な相手と対応する向いていただろう。あと人生観みたいなものも、林与のもっている普通じゃない人生観みたいなものは、いろんな方と混じったときでも特別に思ってもらえ、それがものづくりにも生きてはいる。

仕事していて教えてもらことがあまりなく、他の人が作業しているのを見ているだけでなく一緒にやって次からは自分がやるみたいな感じで、自分がやるときにはいろんなやり方の中で一番良い方法でそれをできないかと考える。自分で何十年の経験者の人よりもすべてのことに通じていたりすると、それは良いことばかりでなく、何十年の人たちの仕事に駄目出ししないといけないので嫌われることも多いが、仕事なんだから低いレベルで止まっていても仕方ない。テキスタイルデザイナーの人の話をその場で理解して実際の織物にする側なので、机上の空論的な部分に気が付かないといけないし、規格の問題なども、事前に想定をできないといけない立場。テキスタイルデザイナーの方たちの仕事をサポートするような要素も仕事の一部で、そういうのは過去に実際自分が作業してきた経験と、織物を作り出してきた中で自分が体験した問題などの経験が生きてくる。

今も、指が腫れてみたいな経験をしているけども、今は指が腫れて困っているけども後で仕事の笑い話になる。昔、イタリアの展示会に行く前の日も、展示会のことよりも展示会に行く間に他の人がする仕事の準備が必要で、織機の調整などして織機の上から下に下りた時に右足を愚ねって、たぶん骨折した感。かまぼこ板を足の裏に当ててガムテープでぐるぐる巻きにして、イタリアに行った。他の人の仕事の準備をしてあげないと、自分で仕事の準備ができる人というのも稀なことで、そういうのは一つの仕事でもどこまで分かってやっているかの話につながるのだけども、自分でやっている仕事の全体にたどり着こうとする人とそうでない人との差は大きくて、林与は、仕事始めた最初の日から全部の工程のすべてを理解し、できるようになるつもりでやっていたので、そういう積み重ねというのは大事だろうと思う。

普通じゃないとことんな感覚みたいなものが大事だろうと思う。何人分もの作業を兼ねて一人でやるとかが普通になると、見えてくるものも多いし、できることもさらに増えてくるし、一番は、する仕事がないなんてことはなくなり、自分でいつでも仕事を生み出して行ける。基本は、お客さんの仕事を優先に仕事をして、余力ができたときに、時間の余裕ができたときに、自分のやりたかったようなことを試行錯誤してみるというような感じで、そういうのが新しいものを作るのにつながるし、お客さんの仕事一つ一つの中にも高度な作業が含まれているので、それを実際に量産するというのは、自分のやりたいことをうんぬんよりも、仕事レベルとしては高いレベルではないかと思う。試作するのは簡単でも本生産となるといろいろと問題がみえてくることは多く、そういうのを乗り越えるのが本当の力みたいなところで、リネンストールや、リネンキッチンクロス、リネンハンカチも特色のあるものが多く、林与なりの織物へのこだわりみたいなものがあったりもする。

林与自身が自分で、作業をするとかコツやノウハウを持つことで、他で出来ない生地が生まれてくるというのが、自分自身との戦いの問題であったりして、そういう自分自身との戦いの中で林与のモノづくりが生まれ、それが産地のものづくりにつながり、日本のものづくりの特色につながるみたいな、林与でなくても他の誰でも頑張ってやってられる人がいればそれはその方が日本の麻のパイオニアーであって良いと思う。林与はたまたまそういう家に生まれただけで、恵まれている部分もあると思われるだろうけども、楽をしているというよりは、すごいマイナスを背負ってても、とことんやれば成り立つんじゃないかと思って、偶然の奇跡的なことにも恵まれて今まで続けられてきたと思う。それなりに精一杯やって、それが続くなら続けていけるだろうし、それが無理ならば無理だろうし、お金の損得じゃなく、できることをできるだけ精一杯やっているということは大事だろうと思う。大きくぶれないためにも、また、いろんな可能性を見出す努力にもなる。他の人がやらないことをやれるきっかけにもなる。

スマートな生き方は、苦手で、好きじゃ無かったりする。人々の苦しみとかにも目を向けてそういうのをなくすというよりは評価したいと思う。苦労することを無くす考えだと結局働かず楽して儲けたいみたいな釋種思想につながってしまうから、頑張っている人が報われるようなのが林与なりの理想的な考え。成金とか権威主義的な考え方というのは好きじゃなく、高級素材を生み出しながらも、自分自身の地道な努力の積み重ねで価値のある布を作りたいなあと考えている。展示会などでも、人が詳細を語らなくても布自身がお客さんに語るような布を作りたいなあと思う。
2024年03月10日
林与は常に仕事を抱えているような状況でありがたいのだけども、2008年ごろのデフレの時には、高級な生地は売るのが難しくなって、1000円以下で買える生地を探しておられるところが多かったのだけども、林与は絶対に無理なので、安いものじゃなく、高くても麻100%のものをPRしようと思って、逆にアイリッシュリネンのプロジェクトを立ち上げた。

ちょうどそのころ、ストールブームがあったので、ストールを織ることを本格的に初めて、細番手の糸を使った柔らかいリネンストールを開発した。それまでのリネンストールというとシャリ感のある固いものだったり、ごわごわしたものが多かったが、柔らかいリネンストールを細番手の糸を使って作ろうと、薬剤を取り寄せたりしながら家の中で加工方法を考案した。

ストールブームの時には会社の中はすべてレピア織機だったので、出機さんで織るつもりだったのだけども、最初の見本を追ってもらうことが出来ず、自分で織らないといけないということになり、織機の入れ替えを行ってストールブームの生産に備えた。たまたま、遠州の機屋さんが周りが住宅街になって半年くらい織機が動いていないような話で機料屋さんに話をまとめてもらって、一切合切譲ってもらうことになり、12台のうち10台を工場内に移設できた。

林与の会社は、昔はシャトル織機だったのだけども、昭和51年ころにレピア織機に入れ替えてからは、自社工場の中は全部レピアだったので、林与自身は、その時が自分自身でシャトル織機を動かした最初で39歳のころ。動かしたと言っても、織るのは織り子さんがいてくれたので、織るじゃなく、修理や調整から。

サンプル時に10台のうち9台がまともに動かないトラブルも、奇跡的に量産前に原因を見つかった。もし、原因が見つかっていなかったらその年に量産に穴を開けてしまって、潰れていただろう。移設した織機を職人さんが電気が入る前に調整などしまってテンション管理の棒を抜いてしまったのが原因だったのだけども、10台のうち1台だけ固くてぬけなかったのだろう、その台だけがサンプルを順調に織れた。もし、その棒も抜けてしまっていたら、原因を見つけることはできなかっただろう。

出機さんでのストールの生産にそなえて廃業のあったシャトル織機の工場の職人さんにきてもらったのだけども、普段は太い糸を織られていたので、テンション管理の棒は、鉄と鉄が強く押し合うので摩耗するから外して使われていなかったから、不要だと判断され外されたのだろう。

ほとんど寝ずに2週間で、60縦を織りあげることができたのは、すごく器用なスタッフに恵まれたからで、まともに動いた、1台の織機で2シフトで、1日3縦、各5枚づつストールを繋いで織りあげるをこなしてくれた。一番最後のサンプルが、展示会にぎりぎり間に合う感じで喜んでいたら、突然、動かなくなって、2週間働き続けてても必死に原因を見つけようとしたのだけども、分からない。諦め、「みんなありがとう、最後の一つだけは諦め、お客さんにできなかったという」といったあとに、織ってくれていたスタッフの女の子が織機の下にもぐって、ここのネジが緩いからおかしいみたいなことを言う、林与はそんな簡単じゃないぞというものの、その緩んだネジを締めたら、なんとまたその織機が動き出して。

林与もシャトル織機はまだ2週間の素人だったけど、スタッフの女の子の自分が織機が動かない原因を探そうとしてくれただけでなく、原因まで見つけてくれたことには本当に驚いた。経験の長さじゃなく本気さが大事で、林与が2週間ほとんど寝ずにはたらいてヘトヘトだったので、代わりに織機の下にもぐって試行錯誤してくれた。若い人から学ぶことが多く、たとえ若くても一生懸命の人というのは、織物に関しては、数か月で何十年の経験者を越えてゆくというのをすごく感じた。

林与の場合はすなおに感心するけども、林与というのは働き始めた日から本気だったから経験者の人たちというのは抜かれていく恐怖みたいなものがあっただろうと思う。自分の会社で一番できない人間みたいに扱われていたのが林与だったのだけども、最初の日からもう超えてしまっているのが普通で、田舎のおっちゃんおばちゃんというのは先代も含めて、生きてきた世界が狭くて競争にさらされていないから、年を取るほどできなくなってしまっているのに、驕りだけが高くなり、年配の人たちが出来ないということも若い人がやれば出来たりするのが普通だし、できることだからやってもらうように用意して頼むのだけど、やる前から、できないと断る人は多く、その程度の壁をいつも乗り越えずにできないという判断では、働き始めた林与に面倒を見てもらわないと困ると言われても、経験のない学生ができることでも、何十年の経験者たちがやろうとせずできようとしないのが多いのは、仕事がいっぱいあっても頼めることが少ないし、普通以上だと思うことが頼めないような歯がゆさが、若いころの林与にはいたるところであった。自分でやれば、そういう高度なものづくりも出来たりするので、林与の中にシャトル織機を入れ戻したことは、自分自身の経験の成長につながったけども、仕事の世界では誰かが答えを教えてくれることもたまにはあるけど、ほとんどの場合自分で答えを見つけ出さないと、そこで仕事が終わってしまう。

そうやって、仕事を生み出そうと生み出してきた林与だから、普通のサラリーマン的だと、一つの仕事に集中して頑張ればよいだけで幸せに思えてしまうが、時間から時間のなかでどれだけ楽をしようかみたいな、できないといえば、自分しかできないと思っているけども、素人でもできることを頼んでもできないという経験者も多く、そういうのが昔の先代が育んでしまった甘さで、そこまで仕事を軽く考えていたら潰れるのも当たり前だろうと思う。全員が全員ではないけども、年配の世代というのは若いころの3分の1のスピードで、しかも正しくないものが出来上がってきて、それを本業じゃない人が直して問題解決みたいなのが普通のこと。

糸を巻いてくれるおじいさんは、林与のことを「にいちゃn」と呼んでくれて悪い気もしていないのいだけども、おばちゃんが、「社長さん」よと、別にどっちでもよい。出機さんの仕事が難しくなってきっていて助けるために連れて行って、スタッフが私御ことを社長と呼んだ時に、出機のおじいさんが大笑いしてたのだけど、70過ぎて人間として成長もしてないし、仕事もできなくなってるのも驕りから。若いできない人と同じ様な結果しか頼んでもないけども、丁寧に接していると田舎のおっちゃんおばちゃんというのは、ほんとどこまでも軽く考えてだらしない態度を見せてくることが多く、丁寧に対応していると、年配者がそういう横柄な素の考えをみせてもらえるのはわるいことではないと思う。ブレない人はブレないから。たとえば、子供のころに私にそれなりに厳しく剣道を教えてくださった先生方というのは、こちらが世話になったのに、大人になってからはすごく丁寧な言葉づかいで社会人として認めててくださる感じがするけども、それはその先生方が人格者であるという証だが、若い私に対してすごく丁寧に話してくださる。こちらが世話になっているのに、そういうのできる方というのは凄いなあと思う。
2024年03月09日
林与の工場の中には30台くらいの織機があるけども、それぞれの織機の機の規格は異なる。それが、小ロット多品種を機の載せ替えをせずにこなすための手法の一つ。たくさん織機があるとどうしても、電力容量の関係で高圧の契約が必要なのだけども、数年前にブレーカー契約にして低圧に変更して、毎月の保安点検も必要なくなり、トータルの維持費も下がり、すごく、電気設備の管理が楽になった。

ブレーカー契約に変更をするのも田舎だと詳しい方が少ないのだけども、同級生の友人が電気工事の会社を経営しているのでブレーカー契約にしたいと頼んだところ、林与が中古で安く手に入れた電子ブレーカーを電力会社の検定らい、もしかしたら電子ブレーカーがそろそろ寿命なのかとも思ったり、雨が降ったから外の電気メーターのあたりが漏電したんじゃないかとか心配したが、単にインバーターの遊んでいたアースの問題だったみたいで、今はブレーカーが落ちることもなく、問題の無い状態。

そういう大きな変更というのはやってみないとうまくいくかどうかわからないところがあるのだけど、たとえば、電子ブレーカーの容量が小さすぎたらブレーカーは落ちまくるだろうし、容量が大きすぎたら基本料金が必要以上に毎月支払うことになる。大体整経機、チーズワインダー、シュワイター、シャトル織機5台くらいレピア3台くらいを同時に動かす想定で、このくらいだったらぎりぎり大丈夫だろうと思った容量がうまくブレーカーも落ちずに使えていて正解な感じで、電気代も高圧の時よりも抑えることができて、もっと早くやっとけばよかったなあと感じた。

インバーターなども今は非常に手に入れることが難しくなってはいるけれども、これも7年とか前くらいに10数個、中古で状態のよいものを買っておいたので、そういう先行投資が役立っていて、安心して織機を動かすことができる。織機も固定資産に入るので、固定資産税の対象であるが、まあ、それは仕方ないこと。フルですべての織機が動くかすのが当り前なら、高圧のディマンド契約でよいのかもしれないが、働く人が限られていて手間のかかる織物の場合には動かせたとしても同時に10台も動かせないだろう。同時に5台から7台くらいが動いていれば林与的には大満足な手間な世界。

エアジェットをいれられている会社で仕事が少ない時には、1か月まるまる仕事をしないで、電気使用量をゼロにして基本料を半額ですませるみたいなことをやられてる話を聞くほどに、織物に掛かる電気代というのは馬鹿にできない金額であったりする。蛍光灯も工場の中についているだけでも500本近くになるだろうから、全部つけたりすると織機以上に照明のほうが電気を食う話で、普通所家の何十件分の蛍光灯の数。LED化をしたのと、それと、人感センサー付きのLEDをチーズワインダーのところには使うなど、作業する時だけ電気がつくようにして節電。

LED化も7年ほど前に、スタッフのお父さんが電気工事士の方で、蛍光灯の中の安定器を取り外してLEDが使えるようにしてもらったのが生きていて、依然と見違えるほどに作業が明るくしやすくなって、黒い糸も筬を通しやすくなった。この5年でもあのときにLED化しておかなかったら織るのに何倍も苦戦をしてしまっていた織物が多かっただろうと思う。あのときに、やってもらって本当によかったと感謝している。

同じタイプの織機を多く持っていることは、たとえ1台が壊れてもその1台を部品取り用にすれば他の何台もの織機が生き延びられる可能性がある。また、シャトルを含めた消耗品も、なるべく、今後20年分くらいはもつように買いだめをして、林与が織りつづけられる間は部品で困らないようにと考えている。シャトルはもう一回30丁くらい作っておく必要があるだろうか、それだけでも50万円くらいはするだろうから、心づもりは必要だったりする。高いシャトルはそれなりに丈夫な木でつくられているので長持ちはする。

林与のシャトル織機の問題は、織る経糸が麻なので経糸切れ時にシャトルが飛び出しやすく、飛び出したシャトルが織機に挟まれたりするとシャトルが壊れたり、あと、片四と呼ばれる、片側4丁杼なので、前後運動だけでなく日箱の上下運動があるので、日箱に挟まれやすく、その理由でも壊れやすく、デニムなどのオートチェンジや単丁のシャトルよりもシャトルが壊れやすく、予備のシャトルをたくさん持っている必要がある。

今、機料屋さんが貴重になっているというものにタイイングマシーンがあって、日本中で40年前のタイイングマシーンが今も現役で使われているのだけども、中古のタイイングマシーンの出物が少なく、タイイングマシーンを修理するための中古部品が手に入りにくいという問題があるそうで、ほんと、いろんなものを使わなくても残しておかないと壊れた時に部品が手に入らないという問題がある。

昨年はシャトル織機のドビーを修理したけども、ドビーの中のプラスチック部品も経年劣化で壊れやすく、入手することが難しいようで、自分で3Dプリンターかプラスチックの板を熱で溶かして代用品を作るかしないといけないだろうなあと思ったりしている。

たとえばシャトル織機が1台あっても、その織機の価値というのは、その織機の維持のことを考えると部品が手に入らないと動かせなくなる可能性は高いだろう。でも、何台か同じ織機を持っていて保守部品もそれなりに準備しているなら活用はしやすいし、例えば、1台の織機のために何かの部品を最低男十個つくらないといけないとかなると迷うが、何台もある織機のためなら新規にシャトルでも30丁つくろうとかは考えやすいと思う。

林与にとっては仕上がり44インチの織物が織れる織機が一番便利で、それより狭い幅だとアパレル向けには難しく、出物があっても手をださないだろう。小幅のシャトル織機も、おじさんの家の倉庫に10台以上あるだろうと思うけども、何十年も動いていないままで、その織機もいつか林与の工場の中に移設しないといけない話。

いろいろと織機の話も書いたけども、一番不足しているのはそれを動かすことができる人という問題で、織機の構造を分かっているだけでなく、地道な織物の作業をてきぱきとこなせるような人で、林与の織機はそういう人たちに出会い、活躍し続けることができるのだろうかというあたりが一番の問題ではないだろうか。

織機を昭和のひと世代見守ってこられた方々が引退される今のタイミング、日本の織物工場も廃業のラッシュ、ひと世代守ってこられたものを引き継ぐということはたやすいことではなくて、新品でもない部品もなかなか手に入らないものを自分自身がメンテしてゆかないとならない。今の時代は、織物の現場には答えを見つけてくれる人も教えてくれる人もなく、自分自身が自分自身で問題の答えを見つけて解決して行けないと、織物をつくることはできないような厳しさがある。今の若い人たちにそういうのを求めるのは酷な話だなあと思うのは思うし、織物が織れたところでよほど器用でなければ、織物で食べていくのは難しいだろうと思う。林与も織物だけじゃなく、少しはミシンを踏んだりもできるので半端な生地などからでも小物をつくったりできたり。試作までは自分でやって規格を決定してあとは業者さんにつくってもらったりもできるけど、布はつくれども売れなければゼロではなくてマイナスだし、マイナスも経験してそれを乗り越えて続けてプラスになるまで試行錯誤できないと残っていくのは難しいという厳しさは普通にあるだろうなあと思う。

そのほか、糸の在庫なども細番手のラミーやリネンの糸などはある程度在庫をもっていたりするし、幻といわれるアイリッシュリネンの糸も手績み糸もそれぞれ1トン近くはあるだろう、また、近江本麻上布の昔の絣の反物も100匹くらいは残っているだろう。通常の番手の糸に関しては高騰はしているものの国内在庫はまだ糸商さんに残っているし、世界NO1,NO2といわれるリネン紡績工場がなくならない限りは、将来に渡って通常の番手は手に入れることが可能であろう。

今は構えないモノづくりが流行ってはいるけども、やはり20年先くらいまでは考えて、外的要因にはなるべく左右されないように、織物を生産を維持してゆけるような柔軟性すらもが必要ではないかと考える。そのためには、設備、原材料なども、在庫を持つことが悪いようにいわれる今の時代ではあるけども、備えておく必要はあるだろうと言える。
2024年03月08日
3月も半ばに近くなっては来ているけどもここ数日体が冷える。今年は近江湖東地域は雪も少なかったのでありがたかった。雪が少ないと麻織物が織りにくいという問題があって、冷え込んだ環境だと麻織物は糸が水を含んで織りやすい。気温の下がる、夕方から夜中にかけては織りやすく、明け方から昼にかけては非常に織りにくいというのが1日の麻織物のパターン。

麻織物というのが雪国で織られたとか、山側で細い番手が織られるとかは、全国的な傾向だろうと言える。宮古上布に関しては、沖縄でなぜ麻織物や芭蕉布が発達したのか、いつか訪ねる機会があったら考えてみようとは思うが、江戸時代というのは沖縄は今よりも寒かったと言われるものの、沖縄という場所は年中温かくて、麻を着ることが快適であったという需要的な要因から、麻織物の技術は進歩し、また、衰退にしてもしにくかったのだろうと思う。現代においても、沖縄での麻織物の需要は通年的で、県を挙げてかりよしウェアのプロモーションが行われていると詳しい方から聞いた。

沖縄も滋賀県と比べるとどちらが田舎かとなると、観光客も少なく多分滋賀県のほうが田舎だろう。昔きいた話だけども、沖縄では手織りは盛んだけども、動力織機での生地の生産というのはあまり聞かないが、その理由が海が近いので、鉄製のj部品などはサビてしまうからということを聞いたことがある。
2024年03月07日
昔の生地の加工してある生地に関して分からないことがあって、その件で業界の方何人かに問い合わせをして、今の加工だとどのような加工に相当するのかを加工工場の方に尋ねにいった。その生地というのがリネンなのに非常に柔らかくしなやかに上品に仕上がっていて、ちょっと綺麗すぎるかなあと思うほどに、リネンに見えない仕上がり。昔のリネンというのはそれほどにきれいなリネンが多かったのだけども、その加工ももうその加工設備を持った加工工場が廃業となり、同じ加工はもうできないので、今の加工方法の中で近い加工を試してみる所から。

単に加工方法だけでなく糸のチョイスなども林与なりに考えて、ちょうど定番のソフト仕上げをつくるタイミングで、ソフト仕上げとは異なる皺になりにくいやわらかなリネンのシリーズを作れないかと思うところがある。海外展開を積極的にやっていたときに、求められていたようなきれいなリネンのテイスト。高密度の平織のタイプと綾織の2タイプで展開をしてみようかなあと、半年後とか時間が出来た時につくろうかと思う企画。

今の現場の仕事も林与以外ではできない作業が多くなりすぎて、そういう作業は人が育てばできるような仕事でもないような気もする。麻の整経にしても、今の整経は、必要量の糸を柄に合わせてカウントして、ぎりぎり使い切るような計算が必要で、一回勝負で失敗が許されないところがあって、エクセル使って必要総メーターなどから何カウントかを計算して、木管に巻く。そういう作業ですらも林与の会社では、林与だけしかできなかった仕事だったりで、私も仕事をし始めた最初からそういう計算をやって、そのやり方で最適な糸の使い方を常に考えたりしてきた。

そうすることで複雑な先染めの仕事でも、10回やって9回10回は整経がうまくいくようにデータなども記録したりして、毎回毎回そのデータをつかって簡単に再現できるようにもしてきた。作業的にも整経時の糸のテンションの管理などにも気を付け、同じ番手の糸でも色糸はおもりを多くして、白の糸はおもりを減らすなどして糸のテンションが均一になるようにしたりとか、普通だと逆にそういう匙加減をすると問題も起こりやすくなるのでやらないような調整まで自分の手が糸から感じるテンションを判断して調整を加えるとか。

また、荒巻ドラムにまくよりも、荒巻ドラムからビームに巻き取る作業で、巻き取り幅の決定はミリ単位でのシビアな調整が必要で、失敗して巻き始めてもある程度は糸を移動させながらビームに均一に巻くという作業も、毎回毎回のことで、そういうのも林与が整経の巻き取りを最初おしえてもらった人以外はやろうとしない作業。麻織物において、自分自身で整経ができることで、先染めの麻織物を自由につくれるし、特殊な織物でも小ロットでの試行錯誤的な生産が可能。

また、経糸は綛染めにすることが多いのだけども、外のチーズアップでは対応できないような、100番手を超えるリネンのチーズアップなどは自分でチーズアップしたりすることで、生産を可能にしたり、150番手リネンを織ることができるのも、自分で糊のついた糸をチーズアップしているから出来たりする。

林与の工場では、タイイングマシーンで糸を繋ぐこともあるけども、手で経糸を繋ぎ変えることも普通にするので、タイイングマシーンでは繋ぐのが難しい100番手を超えるリネンや、超太番手の5番手8番手のリネンなども織ったりもでき、手で糸を繋ぎ変えられるだけで、ものづくりの可能性が広がるので、ぜひ、織物工場の機場で作業をされている方々は縦繋ぎを習得されているほうが良いのじゃないかと思う。

縦繋ぎも何千本の糸を1時間に300本くらいのペースで繋いでいくのだが、肩が凝るとか肩が詰まるとか、慣れるまでは地獄だろうと思う。そういうのを他の織機を動かしながら当たり前にできるようになると、林与的には、織り手さんとしては3か月から半年での目標のあたり。できる人だと1年目くらいで、経糸のテンション管理や、積極送り出しの調整とか、2年目くらいでドビーの開口の調整とか、ドビーの開閉のタイミングの調整とか、3年目くらいになると、機づくりとか、ドビーカードのパンチングとか、できるだけ早いタイミングでいろんな作業ができるようになった方がよいだろう。早く自分で作業ができるようになるほど、活用する回数も多いので、当たり前にいろんな作業ができるようになる。

林与も整経作業ができることで、その経験が織りにも生きていて、織機の調整に関しても織機の調整のコツを理解できているから、問題なども見つけやすい。他に調整が必要なことが多いのが、レピアのヘッドの調整とかだろうか。一度一緒に作業をしたら次からは自分一人でやるくらいの覚悟がないと、物事の上達にも時間が掛かるだろう。

林与もまだ、筬通しなどできたりするけども、黒い糸などの筬通しができなくなれば、高度な先染め織物は正しく織れなくなる。白い生地と比べると黒い細番手の生地は、3倍くらい織るのが難しい。麻の先染め織物を手掛けられる機屋が日本でも少ないのもそのあたりで、もうそういう作業をこなせる人というのが織物業界でも非常にまれな存在になっている。先染め織物というのはそれだけの手間を費やしながら何倍も高く買ってもらえるということもないから、消えゆくのは自然の流れなのかなあとも思える。

林与がなぜ織物全般をこなすのかというと、織物作業全般をこなしたいという思いがあるからだろうと思う。他の人がやってもできないことを自分がやればうまくできることも案外あったりして、他の人に頼んでもうまくいかないときには、自分が解決してきたことも多い。それって大したことはない話にも思えるかもしれないけども、新たに移設したシャトル織機がまともにうごかないときにも、職人さんに任せても駄目な時には、自分が解決しないとそれはタダの鉄くずに終わってしまう話で、そういう問題の原因に案外短時間でたどり着けることが多いので、まだ、織物工場を経営していられるのだろうと思う。

最初の日から、油にまみれた織機の下にもぐって織機の問題を直したりすることなども覚悟して積み重ねてきたからできることで、普通の人だと織機の下にもぐって修理をしようなんて気持ちにもなれないだろうけども、林与のおじさんが機械に問題があったときに、それをやっているのをみて、次からは機械が壊れたら自分が潜って解決しようと最初に見た時から覚悟決めて実践してきたので、目の前に問題があればそれを解決するのが林与の仕事みたいな感覚で、他の人が解決できない問題を報告受けても10のうち9はすぐに答えが見つかる話、とくに織機の問題というよりも作業している人のうっかりとか、正しくない作業が問題の原因になっていることが多かったりするので、織機だけでなく、働いている人の作業手順の説明を受けて、その手順に間違いがないかどうか確認することが多い。いったことと違うやり方をやって問題が起っているというケースが多かったり、原因を見つけるのができないのが、不規則な作業手順だったりして、問題の原因を見つけるためにも作業手順というのは、問絶対に守ってもらわないと駄目だったりするが、それを守れない人というのは多い。一呼吸で、ドロッパーに糸を通して飾りに糸を通すとかも疲れないための作業手順で、間にもう一呼吸入るとすごく疲れるだろうし、遅くなる。結論として、仕事が大変なままか、仕事を挫折することにつながる。
2024年03月07日
仕切ってもらって困るのは、うまくいかないときに、仕切り役の方が状況を理解して受け入れてもらえると成り立つことは多いのだけども、特殊なものが増えている流れの中で出来ないことも多いし、トラブルも多い。例えば、自動車にしてもジャストインタイムと言いながらも、顧客が注文しても、2か月3か月半年待ちは当たり前だったりする。普通に量産しているようなものでもオプションを付けるだけで2か月とか半年待ちとかがジャストインタイム。

なぜ生地が半年1年で新しいものが作れるみたいな素人企画が多いのかという問題で、それでまともなものが出来ずにこけるのも当たり前の覚悟ならよいのだけども、林与が問屋さん関係との話が不透明なことが多すぎて受けないのはそのあたりで、覚悟もって抱えることができる相手だけとの話にしている。一番困るのが、一つのキズの話の責任だけどもキズなんて∞にあるのが麻織物の世界で、そのスープのクリームの部分だけを出していても、まだ、一つのキズも許さないみたいなギャップだと、裏では何倍もの生地が死んでいたりするから、損得じゃない世界やってても、理解もしても貰えないと続かない。

林与のような覚悟も決めて限界超えてやっているのを、サラリーマン感覚の人たちが集まって決めようとしても無理な話で、覚悟決めた人たちが覚悟決めてやっていくのが、日本の繊維業業界のハイレベルなものを残していくのには大事なことで、サラリーマン感覚だと時間から時間で週末の対応も難しく、週末も当たり前に動いている感覚とはあまりにも違いすぎて、そういうサラリーマンを支え守るにはサラリーマンじゃない経営者レベルの感覚がないと駄目だろうとは思う。

林与にしても平日はサラリーマンの方々との対応で、週末や休日、夜間に経営者の方々との対応。サラリーマンの方々のスタイルも守りつつ、経営者や自衛の方々とはそれを超えた日本のものづくりをしようという世界。対応できる方だけが対応してくださればそれでよいだけと思っているし、対応が出来なければそれを上回るような美しいビジネスモデルが筆よ湯だろうとは思うけど、日本の大手が1m1000円でも難しいからもっと安く、日本製のこだわりの麻の生地をみたいなの、ほんとやめてほしいけど、それが日本の大手のサステイナブルな現実だったりする。1m100円、200円の粗利も許さない日本の大手のビジネスモデルというあたりのどこがサステイナブルなのだろうか。日本の繊維業界の大手のサステイナブルの世界がそういうのが普通で、日本のこだわりを謳いながら、100円、200円の粗利も認めないみたいな世界だったりする。YさんやMさんの利益が、そういう裏のえぐい話から何千億もの利益構造で、ホワイトとはいかに?

日本のホワイト経営な繊維企業が日本のものづくりを潰す話、そういうのが日本の繊維企業を名乗りながら、そういう企業の中の人でも林与に優しくもしていただいていても、林与が自分可愛さで日本の繊維業界を謳いだけでサラリーマン感覚で食い物にしたら日本の繊維業界を追い込むだけでダメだよと思う話で、そういう企業の代表的な方にでも、林与個人が毒を刺す話。そういう企業を代表されている方々でも、地道な世界の覚悟があるのかないのかがよく分からないレベルに思え、日本の繊維業界が地道にサラリーマン以上の覚悟で週末もなく、年末年始もなく当たり前に働いているのに、ホワイト企業を謳いながら自社のことばかりで外に強いて成り立っていては、本末転倒で日本の語りやこだわりを謳ってもらいたくもなく、いつでも動けるような人たちが日本の繊維業界を支えてロールモデルを示していかないと。もちろん、例外はあるけど、基本、個人の作家レベルの覚悟もなければ、日本の繊維業界を支えていくは無理でと思うし、それで食べていくはどうなのかなあ。自社のサラリーマンを守りたければ経営者レベルが覚悟決めないと無理な話で、そういうのに対応をいただける会社だけとのお取引にさせていただいているような現状で、驕っているとかじゃなく、それがキズ一つ一つを自分で直すのに時間も使う林与だから本当の話。それを世間一般の普通だと日本のこだわりも難しく、世界最高の日本製とかも難しく、日本のものづくりがどんどんと薄っぺらくなっていくだけの話につながる。

林与が麻織物の世界では、日本だけでなくて、世界的にも特殊な日本の麻織物の世界を利益度外視で残してきたというようなこともあって、日本の麻業界の重鎮の方々とも林与が厳しい話になるのもそのあたりで、そういう存在も必要ではないのかと働き始めた日から先代の浮かれた軽い商売感覚から正すべきだと思って30年くらい経つ。それに付いてる人たちというのが本当に本質がなくて、過去を食いつぶすばかりで、日本の麻業界に将来がなく、林与も麻業界の新任の若い人たちと育ってほしいと思いながら自分の大事な仕事も失敗も覚悟で接するけども、なんで、単に窓口なのに、なんで私が分からないといけないんですかとか。世界で一番とか、日本で一番とか、覚悟決めてやらないと難しいなあと歯がゆいけど、それがサラリーマンの世界。でも、そういうのも担当者次第で、同じ会社でも担当者が個人的に責任感がある人なら全然対応が違って、今は本当にまともな対応で、また、日本一とか世界一の麻織物も目指せるのかなあと。

サラリーマン感覚でやっておられると、会社が更生法に引っかかっても、仕入れ代金踏みつぶしても大丈夫な感覚で、それがサラリーマンの普通の感覚で商売の窓口だったりする。その程度が今の繊維業界の飛んだら勝ちみたいな風潮で、恥すらもないのが営業マンレベルで、済んだことをいうなとか偉そうにいって、商売を続けてるとかは異常で、他が被っているだけというのもわかってないような、一番アホな何十年選手。ほんとなら偉そうにいうならあんたがその責任を一生被らんとあかん話やで、見逃したるけど。サラリーマンだといつでも逃げられて残れる話、わかりやほんと仕事してマイナス被った仕入れ先のことくらい、それを他の関係ないその被った会社の取引先から値上げで補填してもらってその被った企業が成り立ってたりする。ゾンビするなら業界にお返しくらいはせんと業界全体を食いつぶすだけ、その会社の方々でもそういうの分かってる人も多いとは思う。経営者は自分が儲けたいばかりのアホばかりじゃないから。企業が潰れても裏ではまともな世界があるのを林与も感じていたりして、そういうのを失えば、ゾンビしないほうが日本の繊維業界にとってはマシだろうと思うが、そこも日本の特別な世界を保たれていて林与もすごく評価する企業で林与よりも日本で残ってもらいたいと思っている。
2024年03月04日
今日は集落での近所での集まりの日、日本酒が1本引き継がれて余っているということで、林与が日本酒は飲まないけども砂糖の多いみりん代わりに料理に使えばよいかと思っていただいて持ち帰る。もう、日本酒も飲まな田舎社会になってしまっていて、林与も若い時から何十杯の盃が目の前にあっても、死ぬ覚悟で飲んできた一人だから、もうそういうアホはやめたらええと思うし、飲まして殺して潰していうこと聞かせたいような、一般的にいうと苛め的な構造が、林与先代そのものだったりして、高齢になってガンで酒はお断りは笑える話で、どこまで、他の者の健康や精神を概して強いて来て林与の家だけでなく、集落まで害しているのかをしてきててもお前はクズだといわれてきたけど、20代のころから集落の会計の書類や監査も、そういう人たちがやてても間違いにも気が付かないままに書類作ってほしいとかで受け入れて、数字の監査までしながら問題を指摘するだけでなく、問題も見つけてが、林与の学生レベルの若いころ。

あまりに、低すぎるような親が子供にしいたいような、問題を逃げて背負わせたいようなどうしようもない話で、まあ、そういうの分かっている人だと分かっている話で、林与が小学校のころに10対一の喧嘩投げかけられても、林与の母親が謝りにいってしかたなかったとかで、相手の親が林与という小学生に対して困る話で、林与の母親は自分の子供が10人にいじめられても謝りに行くような、自分のメンツが正義を覚悟して大事なアホやってた、それはいじめっ子の問題じゃなく、林与の親の問題の方が厳しくて、どこまでも自分たちが舞い上がって、自分たちは出来ひん分からん、お前はできるからええけどといいながら、すべて責任を逃げてきて、何億どころじゃない問題も自分が引き受けて私に背負わせてきたのが、気持ち悪るすぎて、でも日本の高齢化社会の縮図そのもので、自分が大物と言いながら10億の話を受けながら、そのすべてを覚悟もしていないでゃらんぽらんな先代世代の生きざま。

先代も自分が働く覚悟位しとけよとおもうが、それはもう1日のアルバイトも無理な話で、投げ出している人だからいい加減にだらしなく何億とかの問題も引き受ける話で、そういうのは田舎にありがちなどうしようもない世界で、普通にまともにしていかないと、それでなりたっているような田舎社会だと、アホほどなりあがって食い物にされてアホを求めるような田舎社会に終わる。経験者や年配者がアホをいつまでもつづけていたら駄目という単純すぎる話で、そういう話も通じないなら、アホのアホやった責任を次の世代が当たり前に被っていくのやめないといけない。でもアホやってきた人蓼には重すぎる覚悟で、まあ、そういうアホが人の命を奪うことにもつながるのも分からんと駄目だけど、名誉欲とか禁欲とか、世間一般の政治レベルだとそういう人の弱みを食いつぶして命を犠牲に冴えて難しいのが、世界的にもおぞましいような日本の政治や行政でまともがなく、次の世代も食い物にして、悪者にしてたりと、どこまでアホをやるのや、この国レベルは?
2024年03月03日
FABRICa Nippon というイベントに参加いたします、林与の出展内容は、ビジネスゾーンでの商談形式のモノではなく、マーケットゾーンでの販売イベントへの出展です。同時に、「無料超簡単手織り体験」も実施いたしますので、簡単な手織りを体験してみたい方もお越しください。お子様から年配の方まで誰でもが簡単に手織りを体験できるイベントです。マーケットゾーンでの出展になりますので、林与とは商談は出来ませんので、無料手織り体験、物品の購入目的でお越しください。林与と商談をご希望の方は、20日の夕方以降か、21日の終了後に、近くの林与の宿泊するホテルのロビーやレストランなどですと商談可能ですので、事前に問い合わせから予約をお入れください。

会場で、販売する商品は、麻生地(本麻、リネン生地、綿麻生地)、リネンキッチンクロス、リネンストール、リネンハンカチ、ハギレなどです。リネン価格の高騰で、数年前と比べるとリネン生地もなかなか手に入りにくくなっている状況で、林与の麻生地をお求めになられたい方はぜひお越しくださいませ。3月も終わりに近いので温かく、お天気がよいと良いですね。
 

【開催概要】
■開催日時
<準備日> 2024 年3 月20 日(水・祝) 1313:0000~1717:00
<会期> 2024 年3 月21 日(木) 1010:0000~1818:0000(99:10 より出展者は入場可能)
2024 年3 月22 日(金) 1010:0000~1717:0000(99:10 より出展者は入場可能)
■会場
東京都立産業貿易センター 浜松町館
〒105 7501 東京都港区海岸1 7 1 東京ポートシティ竹芝オフィスタワー「4階北」
《アクセス》
・J R 山手線・京浜東北線/浜松町駅(北口)から徒歩5 分
・東京モノレール/浜松町駅から徒歩5 分
・都営浅草線・大江戸線/大門駅B 2 出口から徒歩7 分
・ゆりかもめ/竹芝駅から徒歩2 分
2024年02月24日
夜中仕事をしているけども、5度なのに暖かく感じるくらい体調がよく頭もすっきりとしている。

日本の行政はもう駄目だなあと国会の答弁の動画を見ていても、「政治家の不祥事に対しては、個別の案件にはお答えできません」というようなコメントで政治家の問題を放置している。問題を調べようともせずに適正に処理されているものと確信しておりますとか、が通るなら、何でもありだろう。どんどんと日本の政治や行政は腐敗。20年、30年前よりも、政治や行政のお金の流れが不透明になっている。まともに国民に説明もできない政治資金や税金の使い道、疑われても仕方ない。ここまでひどい状態というのは国会の答弁の返答を聞いていてよく分かる。

インボイス制度なども、林与は株式会社だからまだ仕入れ先のインボイス番号を管理することくらいが増えるくらいだけども、個人事業主の方とかは経理面が大変だろうなあと思う。繊維関係のブランドを立ち上げたりしておられる方々も個人事業主の方が多く、また、下請けさんにしても個人事業主である場合があったりする。高齢の年商何十万円の人たちにしても対応を迫られ、対応できないと、取引先がその分の消費税を2重で負担することになるとか、完全に法律の矛盾を意図的に行政が手抜きで生み出している。ちゃんとやろうとすればできるものを自分たちに対応責任が生まれるから意図的にやろうとしない。支配階級的なやり方だけども、そういうのって現代なのかと思う。行政が行政として機能しておらず対応が出来ていない。これからますます行政は対応が出来なくなっていくだろう。






2024年02月23日
野菜などのオーガニック基準には95%ルールがある。なぜ100%じゃないのかというと、混入する可能性は否めないからということだろう。製造プロセスで、オーガニックポテトを謳って、5%未満でもニンジンが入ったら駄目だろうけども、ましてやプラスチックが入るとアウトだろう。オーガニックというのはサステイナブルという意味とは全く別で、有機栽培されたものがオーガニックということ。

ジュースという言葉一つでも日本の規定は非常に厳しくて香料以外は例えばオレンジ100%でないといけないとか。でも、海外は違って、たとえば中国に行くとオレンジジュースで砂糖が入っていないほうが珍しい。お茶にも砂糖が入っているくらいだから。それが国際的な基準の違い。アメリカでは多分砂糖ありだろう、アメリカブランドのジュースも甘すぎる。濃縮還元というだけでなく砂糖と同等といわれる果糖ブドウ糖液を加えているんじゃあないだろうか。

日本のメーカーのジュースはそこまで甘くないので、オレンジ100%が守られているとは思うjけど、果糖ブドウ糖液は砂糖と同じといわれながらも、添加物とはされていない法の抜け穴があって、100%ジュースだから体に良いとか思っていると角砂糖10個分くらい、おいしいとたくさんオレンジジュースを飲むということもあり、それは本当に危険だけど、果糖を添加物としないのは輸入製品に対する忖度的な意図的な操作でしかないだろうと思う。

海外基準というか国際基準というのは特に輸出商品に関しては安全性に対して甘くて、厳しい基準の100%ものを愛する日本ほどターゲットになりやすい。オーガニックを謳われながら、ポリエステルや、ナイロン、アセテート、再生繊維とか、腎臓の物を混ぜてオーガニックを謳うような基準が流行ってしまっていて、これは本当にオーガニックを謳いながら天然繊維とか繊維業界の当たり前のモラルもない人たちが、金儲け主義的にラベルとか規定で消費者が信じるものと違うようなものを身に付けさせようとする意図があるのが、世界基準を謳うような偽装につながるラベル商売。

そこまで日本の繊維業界が落ちたら駄目で、日本の繊維業界というのは天然繊維とか合成繊維とか、知識もしっかりもってくべつしてたけど、オーガニックの人たちというのはそういう区別もなく、ごっちゃまぜの素人の人たちというか、繊維業界の価値観を潰してしまうような飛び付きのサステイナブル。自分可愛さにラベル商売では偽装ばかりになる。

楽して消費者騙しで儲けたいからラベルビジネスをオーガニックの世界や繊維の世界に持ち込まないでいただきたい。日本のオーガニックを指導しようとされている方が、世界のオーガニックが消費者騙しにならないように警告しているのに、あなた誰ですかみたいな方が多く、なんちゃらコットン協会の理事長が、「エシカルなこと面倒なんですよ」とか、「国際会議でなまった英語効いていると眠いんですよ」とか、「だれも理事長成る人いないから、やってるだけで、やめたいんですよ」、「偽装があっても、業者の責任で私の責任じゃない」というような、だらしなさと逃げる気力が役満レベルの立ち上げから10年以上の前理事長から私が聞いた言葉、Ⅿさん、日本の繊維業界の本気の人からそんな言葉人生で一度も聞いたことありません。一番オーガニック、サステイナブル、エコ、エシカルの世界でアカンやん。食い物にしたいだけの権威主義でその方の謳っていることと林与に言った本音のギャップが怖い。日本のエシカル、サステイナブル、エコが、本音でしょう、エシカルとかとが面倒なんですよねとはっきり電話で林与に言われました。

全国で講演会もしながらサステナブルを広めるように見せながら、その方が、エシカルが面倒とか、わかります。その方がいわれたのが最後の製品が同じなら化学的になにも問題ないというのが私の考えですと。これはほんと、日本というか世界のサステイナブルが危なすぎる裏の話で、そういうのを逃げればよいと思っている人が、消費者騙しのサステイナブルで金儲けでは、悪徳ビジネス商法ではないのかと思うのが林与で、現状その辺りなのが、世界基準を謳う、今の日本の大きく広げたいサステイナブルな人たちの状況です。悪徳サステイナブルビジネスに嵌らないでください、コットン100%をどうでもよいと考えている素人の人たちが、軽い気持ちでビジネス展開しているだけで、日本の政治家レベルの謳いです。奴隷制度が責任逃ればかりではそういう人たちが生み出します。オーガニックを謳って責任逃れが日本企業とか日本の組織の特徴意で、国際基準なんてないのも分からないと、各国基準に従ているだけで、インドでの前理事長が電話でインドはヤバいんですよと言いながら、その謳るグローバル基準がオーガニック要件を満たさないからペンデイングされてたりとの報道で、ちゃんと対応しないと、日本の消費者を食い物にするだけの日本の繊維業界の基準すらも貶めることになる。
2024年02月20日
昔の繊維業界というのは生産車が産地と結びついていて素材に特化していたことがあり、麻、綿、絹の3大天然繊維においては、100%であることが一番の謳いであったりもした。日本の繊維基準というのは非常に厳しくて、量産型のオーガニックコットンが事実上、遺伝子組み換えでなりたっていることもあり、インドにおいては遺伝子組み換え種子をつかってもオーガニックを謳えたりするような努力目標というだけになっていたりする。

それでも国際認証のラベルがついて、遺伝子組み換え種子不使用とかを大々的に謳っているけども、認証機関が敵対している遺伝子組み換え種子かどうかも判別もせずに、綿レベルでは見分ける技術は現在ないから問題はないというような表明までしてしまっていたりする。謳いを信じて騙されるのは消費者でそれば一番駄目なことなのだけども、遺伝子組み換えに反対する人がオーガニック認証を信じて買っても遺伝子組み換えコットンが広がるだけみたいな状況では駄目だろう。

モサントをバイエルンが買収したことによって、ヨーロッパで遺伝子組み換え種子に対する批判は一気に冷めた感じがする。ドイツというのはエコやサステイナビリティのロールモデル的な国だったが、フォルクスワーゲン社が、クリーンディーゼル偽装を20年もやって消費者に自動車を買い替えさせて実際にはその自動車が排ガスを垂れ流しまくっていたというような金儲けのための偽装にエコやサステイナブルが利用された。

オーガニックに関しても、ドイツという国は先進国的なところがあるけども、認証自体がもはや怪しくなりすぎて、地球環境を守るための謳いだったはずの、インドや中国、アメリカなどのGMコットン先進国においては、遺伝子組み換え不使用も無理だといわれていて怪しい。あろうことが100%でオーガニックだったのがなぜか95%でオーガニックを謳うとか、オーガニック偽装まで始まった。

もう消費者むけの謳いのオーガニックという表現すらもが、嘘で認証のラベルがついてしまっているような状態。繊維業界からすると化学繊維と混ぜてしまったりしたら、その素材の産業廃棄物レベルは一気に高まる。天然素材100%なら廃棄も簡単だけども、産業廃棄物の難度の高いものを製造現場が生み出すことにつながり、環境負荷は高まるような流れをどうしてやってしまうのか。それでエコやサステイナブルを謳うとか、どんどんと落ちながら。基準と言いながらもどんどんと落ちていくだけの基準で、消費者への謳いだけが最初のままとか。

繊維業界の業者も日本ではプライドがあって、本物と謳えるようなものをつくることに掛けていたが、今は、お金が儲かればどうでもよいようなビジネス感覚でオーガニックやエコを信じる消費者騙しになってしまっては駄目だろう。コットン100%の普通のもののほうが当たり前に95%コットンのものよりも価値は上ですよ。なぜ、100%でもないものにオーガニックという言葉をつかいたがるのか?混率を正確に明記したがらないのか。5%でもポリエステルが入っていたらTCというのが正しい表現ですよ、日本では。

林与が5%ポリエステル入れたリネン糸を使うとしたら、それをリネンとは謳いません。ある安く買って高く売りたい問屋の方が、麻なんて5%でも10%でも入っていれば、綿麻が謳えるからみたいな話をされてて、まあ、国際レベルで、そういうのに似た商売にどんどんとなってきたようなエコやサステイナブル業界。繊維業界の基準というのは揺るがないけど、認証機関の基準というのは揺らぎまくってどんどん落ちているのも、基準からしてサステイナビリティがないような気もする。消費者がオーガニック信じるような謳い通りの元の基準に戻ってもらいたいなあと思う。
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