for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3626
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 182 次のページ»
2023年12月29日
日本の繊維業界で丁稚奉公や野麦峠というのは搾取のようにいわれるけども、親が働いても食べ物も満足に食べられない貧農の子供や娘さんに、食事や生活以外に仕事や教育の機会を与えられたのは、国や親以上に、面倒を見る覚悟があった苦労して成功を収めた業者の人たち。今、日本中にあるコンビニというのは、365日24時間の責任、それは独立事業者だからと問題ないが、それは野麦峠を超えている話なのだ。最初に1000万を超えるロイヤリティーを取って24時間365日で、もしものときには寝る時間もない約束をさせられる。

林与の場合は、親がそんな感じで、親は地道な作業も嫌って、すきに自由な人生でそのしわ寄せを子供が解決するのが当たり前に思ってるようなところがあって、子供のころから、あなたを生んだのはお父さんを助けるためとか、一人じゃたりないから弟も生んだとか。親にしてもそんなもので、外の世界の人のほうが、人間味もあって理解もあったりはする。自分たちが働きたくない親がいて、自分たちが生きてゆくのを支えさせるために、田舎だとそういう感覚が蔓延してしまっていて、そういう思想というのは田舎の中で働いても食べていくのも難しいという問題にもつながる。

そういうことを言っている親というのは、嫌なことは全部子供にさせて自分が指図していることが親の役目みたいに思っているが、自分が自分でやらないといけないということを分かっていない。戦争なんかでも、年配者が行けば良いのだけども犠牲になるのは若いものばかりで、戦争を指示している年配者たちというのは安全なところで。国家にしてもそんなもので、地域社会でもそういうことが平気で行われていて、若い世代をそういうものから解放することは大事だろうと思える。昔的な体質というのは本当に駄目で、そういうのに縛って正しく生きているというような感覚だと、自由に好きに生きたいものが指図してアンバランスを生み出してしまう。

女工さんたちはたぶん、田舎の農村で働いても食べるものを満足に食べることも出来ない貧しい暮らしよりも、普通に起きている時間、重労働でもなく単純作業で働けば3年で家が建てられるような待遇というのは憧れだっただろうと思う。でも国とかは、そういう貧しい食べても行けない状況に追い込みながら救いの手も出さずに、救われようとするものが自分たちよりも待遇がよいとかをうらやみ、貧農の娘が公務員である自分たちよりも収入があるのはおかしいという身分社会的な感覚はあっただろうと思う。今もそういうのが続いていて、早くそういう官僚社会的な身分社会制度意識を改めないと駄目だろう。なぜ公務員は支配階級で国民じゃないのかという身分制度問題も大きな問題である。法の下というのをしきりに強調する公務員たち。差別的な法を意図的に作って自分たちが支配階級的にいたいというのがあって、同じ公務員でも国家公務員が一番上で、県職員、町みたいなヒエラルキーを作ってしまって、その下に国民を置こうとしているが、それは江戸時代の身分制度的な感覚。

差別問題に関しても行政がなぜか悪いのは国民の意識であるかのようにいうが、身分制度や差別的な法律を作って強いるのは国民ではなく、そういうヒエラルキー構造で、そういう駄目な意識を行政の中から正して行かないと難しいのだろうが、どの政党を見ても、そういう構造が蔓延していて、まともな若い人たちの考えというのが通らず、分かち合うという精神すらもがなく、一生国会議員でいたいような人の集まりでしかない。能力の高い若い者たちに譲っていくということは大事なことだろうと思う。今は、年金問題にしても、生まれてくる赤ちゃんたちが問題解決する立場かわいそうすぎる。歪んだ法律を生まれた時から正しいことみたいに生きてゆかないといけないこれから生まれてくる世代。少子化問題をなげているくらいなら、自分たちが問題を解決するべきだろう。現代の野麦峠の一部で本当に駄目すぎる話。
2023年12月29日
リネン糸の価格はさらに上昇するだろうという予測があり、糸商さんももうあまり糸を仕入れるのが難しいような状況になりつつあり、来年は、リネン製品が店頭から大幅に減るような林与の予想。林与が25年前に海仕事に就いた時の日本がバブル期のヨーロッパで紡績されていたリネンよりも、今の中国紡績のリネン糸のほうが糸1kgあたりの価格は高かったりする。

アイリッシュリネンというのはもうほぼてにはいらないといわれた私が仕事についた1990年代後半くらいからもうまた四半世紀25年経ってしまって、林与に残っているアイリッシュリネンというのは1970年代のもの。アイリッシュリネンの糸というのは世界でも多分数トンしか残っていないのではないだろうか。在庫が悪のように言われながら、50年以上も糸を使わずに抱えているような麻機屋が世界にどれほどあるだろうか。

日本でも例外なく、優良企業というのは在庫ゼロみたいなスタイルが普通だけども、そういう考えに陥ったから日本のモノづくりだけでなく日本経済が責任逃ればかりの風潮になって、身軽く身軽くで、アンサステイナブル、アンエシカルなことばかりになってしまったと思う。麻業界の中に私もいるけども、普通の感覚とは全く違う感覚でいたりするから意味があるんだろうと思う。

林与がアイリッシュリネンを安売りしないのもそれが本物だからで、本物が残っていた1970年代に北アイルランドで手に入る最高のリネン糸を手に入れたのが、今も使わずに価値を感じて残しているだけのことで、日本の麻業界では有名な当時アイリッシュリネンが実在してたなかでも最高峰と呼ばれたような糸だったりする。当時のリネン糸1kgというのはフェラーリ1kg当たりよりも高いのが普通だったりして、手を出しにくいような世界そのもの。
2023年12月26日
11月に奥田染工の社長が44歳で急遽され、捺染の世界なので分野は違えども、境遇的に似ているようなところがあったりもして、それを感じたテキスタイルツリーの成田さんが、奥田さんのことを教えてくださり、京都でテキスタイルマルシェがあったときに、大阪出張の帰りに五条のひなやさんで最初に出会ったのがきっかけ。その時は近江上布の柄を広幅で再現したいという考えがあったので、それを相談してみるも奥田さんの工場では難しいとの判断でそのままだったのだけども。

そうしているうちにテキスタイルマルシェ参加のお誘いがあって出展し始めると不思議にいろいろとつながりがあるのが、月島でセコリ荘をやっておられた宮浦さんが一緒にいろいろと活動されてたのが奥田さんで、SNS感覚での繊維業界へのアプローチみたいなのは、自分たちが自分たちをプロモートしていくみたいな考え方。

新宿伊勢丹婦人雑貨売り場であったテキスタイルマルシェでは、二宮先生とのお出会いがあって、二宮先生というのは若いころに奥田染工の先代に染色のことを教わられたとのことで、その二宮先生に、近江上布柄を広幅で再現するプロジェクトで、捺染をやらないといけなかった時に、ゴールデンウィークの日に午後からはん4時間ほどで、実践的な捺染の基礎を教えてもらい、染料や助剤などの具体的に必要なものも教えてもらって、近江上布柄の広幅絣プロジェクトは、出来たりもした。

奥田さんとはお仕事では1度依頼をしたことがあって、それは普通はプリントでしかできないような柄で、50mの本生産なのに、まずできるかどうかのテストプリントなどもやってもらって、仕事というよりもデザイナーさんがつくりたい柄だったのでそれを一度やってみるという思いで、そんな手間ばっかりが掛かる仕事だったけど受けてくださった。

八王子の工場の現場に行ったときにも、トタンで囲まれた奥田染工は、入口が分からない。トタンの周りには奥田染工の看板もなにもなく、トタンの中に入って中にたどり着くと、そこに奥田染工の現場があった。昭和の雰囲気でいろんな古いものが残っていて、なかなかこれを少人数で切り盛りしてゆくのは大変だろうなあと思ったが、そのときも若いデザイナーの方がおられ、自分で作業して自分のコレクション用のプリント生地を作り上げているということをやっておられた。

展示会などでも、奥田さんというのはユーモアがある側面、理論派的なところがあったりもするので、普通のビジネスライクな業務的なスタイルじゃないので、林与のところに来てくださってずっとしゃべっているみたいなことも多かった。宮浦さんの糸編主催の合同就職説明会みたいなイベントの時も、文化服飾学園で先生もされていたので、会場に来ていた教え子の女の子で、その女の子をこの子は根性あるよとお薦めしてくださったりで、かなり魅せるタイプの生徒さんだったので地味な現場に合うんやろうかとかざっくばらんにその女の子も一緒にみんなで話をしたり。

他に、八王子で蒸器のでものがあって、それを軽トラで引き取りに行くことにしたのだけど、積み込むのに人手が必要で八王子と言えば奥田さんて、奥田さんに手伝ってもらえるかなあって頼んだら快くスタッフの方も一緒に手伝ってもらったりとかで、謝礼も払うつもりで用意もしてたけど受け取ってもらえずで、ファミレスで好きなものを注文して食べてもらうだけみたいなこともあった。

しっかりとしておられたので私と同じくらいの年齢化と思いきや10歳ほど若かったというのも、やはり若いころに先代が亡くなったことでしっかりと若いころから自分で物事を判断して成り立たせてこられたというあたりが、当たり前の強さみたいなものだったのだろう。

先日、糸編の宮浦さんから電話を久しぶりにもらって、宮浦さんとマブダチ同士みたいな奥田さんが亡くなられたことも気がかりで尋ねると、私もやることだらけで身動きが取れないことが多いけども、何か林与ができることがあればみたいな。奥田染工さんにレピア織機が入ったようなブログ報告があったので、そういうので困られたら助けられるかもですのでスタッフの方に伝えといてくださいと。

いろいろと作業に追われてしまって、プラスアルファのことができていないような、やれるときにやっておくしかないんだろうなあと思って、3月のFABRICa NIPPONのイベントへの出展も今の林与の状況では無理だと思って見送りを考えていたが申し込んで、無料手織り体験を実施することに。主催の方に迷惑は掛けないようにいろいろと私のやろうとしていることもOKの返事いただけ申し込ませていただいた。会場への入場に年齢制限もないとのことで、ご家族ずれでお越しいただいても一般の方も入れるとのこと。

ものが売れる売れないよりも会場に来た人が楽しめて盛り上がるとうれしいなあと思う。これは手織り体験を今まで10数回くらいはやって来て、無料で気軽に超簡単な手織り体験を楽しんでもらおうという試み。自分が織っているところを見てもらうじゃなくて、自分で織ってもらって経験してもらうが大事で、だれでも簡単で楽しいと思うし、織物に興味をもつきっかけになってもらえれば良いなあと思う。

宮浦さんが林与のスタイルが好きだといっていただけるのもなんとなく似ているかもとおもうところで、セコリ荘や奥田染工さんって林与の感覚と似ていてそういうのがいいなあと思っている。小さなお子さんが夢中になって初めての手織りを体験してお母さんがもう終わりにしようといっても、もっと織りたいと思ってくださるとか、感無量。そういうとことんまでやりたい感覚が日本の繊維業界を支えるための本質的なところではないのかと思っていたりする。
2023年12月23日
林与ですが、現在、生産キャパパシティの関係で新規のお客様のお仕事をお受けすることが難しい状況にあり、手持ちの生地を販売するイベントへの出展y予定となりますが、2025SS FABRICa NIPPONというイベントのマーケットゾーンに出展し、麻生地やリネンキッチンクロス、リネンハンカチ、リネンストールなど販売いたします。加えて、現在主催の方とも調整中ですが、手織り織機を1台か2台持ち込んで無料手織り体験を実施したいと考えております。繊維関係の方でも手織りを体験されたことのない方も気軽に体験いただける、かんたん無料手織り体験で、家族連れで来られても子供さんが手織りだけでも楽しんでもらえたらなあと思っています。

(ビジネスゾーンではなくマーケティングゾーンでの出展となり今回は会場での商談などは一切できません。商談や新規の案件の相談をご希望の方は別途、20日の準備日か、21日、22日の夕方以降、あるいは23日でしたら会場以外の場所になりますが、アポイント取っていただけますと対応が可能です。現状、生産が必要な案件に関しましては新規のお話の場合、最低でも具体的な企画が決定後6か月程度のリードタイムが必要な状況です。ご対応いただける業者さんのみとのお取引になります。)

もう一案件ですが今回のイベントを手伝てもらえる方を1名募集しております(2日間)。繊維業界に興味があって自分でいろんな経験を積んでみたい、業界の現実的な話をいろいろと知りたい方には、日本の布の業界を支えておられるような方々との出会いのチャンスだったりはすると思います。興味のあられる方は、お問い合わせフォームからご連絡ください。


■イベント名:2025SS FABRICa NIPPON
■会期:2024年3月21日(木)~22日(金)
■会場:東京都立産業貿易センター 浜松町館 4階北
■主なスタッフ:オーガナイザー  (有)Kラボラトリー/兼巻 豪
コーディネーター  STUDIO WIZ/久山 真弓
2023年11月26日
日本の繊維業界のサステイナブルを考えてゆくときに、日本の繊維業界にありがちな階級制度的な感覚をまず消さないと無理なのだけども、階級社会構造の中に居られる経営者や社員の方だと、うちのやりかたはこうなんでとまさに、階級社会構造で一方的な契約ばかりが普通。エージェントが絡むと余計に一方性が加速するというのが繊維業界の特徴の一つで、海外の展示会でもエージェントの方にモノづくりとはブランドが買うか買わないカモ分からない話なのに、一方的に作る約束を強いるのはそれがまさに階級社会主義的。発注する側が都合よく利用したいだけなのかという問題がサステイナブルの問題で、問題があったらどうするのかというところすらもが議論もない。

ものづくりに問題はありがちなのが分かっていないと、新しいものも作っていくことも難しいのが当り前。都合よく最高の物を手に入れたいみたいなのはそれが本当に無理なのが何十時間とか何百時間を使う世界がうらにはあって、1mいくらとかが必死な世界というのが、寝る時間も普通の半分に追いやるようなことでは駄目ではないのかなあと、日本の繊維業界のモノづくりの調整的なことも、世界的な問題の縮図的なのが実は、日本のグローバル的なサラリーマンの世界を外の世界の犠牲で成り立ってにるのが日本の大手のものづくりにありがち。

先日、糸を紡いでみて感じたのが、これはできるようになったとしても根気の必要な作業だなあと。慣れるまでにどのくらいの時間が掛かるだろうか、たぶん、1週間くらい本格的にやれば手が糸を紡ぐのに慣れて道具になるだろうか。最初の1回がちゃんとできたとは思えなかったけども、最初の1回目で挫折すると次にうまくできるということはあまりないので、早めにクリアするべきだろうと思うが、他のことが手いっぱいで、次のチャンスは1年後とかのイベントのときになってしまうんだろうと思う。ものづくりに基本上手下手はあっても階級的な感覚は必要ないと思う、分業的な感覚というのもなくてもよいとおもう。初めてのでも本気の人というのはとことんさえやれば経験者以上に上手にできることも多く、切っ掛けだけをもらえばあとは自分次第のことだろう。織る作業よりは手紡機で均一な糸をつくるというのは高度だなあと思えた。羊の毛から繊維を取り出す話も聞いたが、国産の羊の毛が手に入ったからと言ってそう簡単に糸になるわけじゃないという裏話を聞いて、普通に絶対に無理に思えてしまうような話だがそういうのをやっている人がおられることがすごいことだなあと思う。
2023年11月23日
21,22日と大阪綿業会館でのビジネスマッチングのイベント、林与の現場が立て込んでい過ぎてまったく準備も出来ないままに、日帰りを2日でイベントに参加、大城戸さんが初日に「明日はおらんで」みたいな感じらしく、そこが空きスペースになるということで2日目には急遽手織り体験イベントができるような形になって、2日目には手織り機をセッティングさせて頂いた。

ESINの伊藤さんによるウールの紡ぎ車の実演に興味を示していただけるような方が多かったりで、林与も初めてウールの紡ぎに挑戦をさせていただいたのだけども、糸が綺麗に紡げるというのは奇跡的なことだなあと思えたりもする。フラックスの手紡ぎようのファイバーも手元にあるので、それが糸になるのをみたいとおもっていたのだけども、それを持って行くのを忘れてしまったりと・・・会社のどこに置いただろうか?

初日に専門学校の学生の方で紡ぎ車をみられて興味深めに眺められているので、ぜひ動いているところを見てもらいたいと伊藤さんに休憩から戻ってきてもらって、手織りとか織物のことに興味があるような方というのは林与と関係があるなしに関わらずにぜひ経験をしてもらいたいなあと思って、明日もおられるなら手織りの体験ができますよと伝えるも、授業があるということで残念ですねということだったのだけども、2日目に学校の許可ももらって手織りと手紡の体験をしに来てくださった。

こういう体験というのはやりたいなあとばくっと思っていてもやれる機会というのはあまりないと思うので、興味だけで終わらせないためにもチャンスがあるときにはぜひ体験をしてもらうのが良いと思う。手織りの機や紡毛機というのは、オブジェとしてもいい感じで、出展者のみなさんも興味を示してくださり、いろんな接点が生まれ、他の素材や他の織物に関してのいろんな話を聞かせていただくことも出来た。

今は、林与もほとんど外に出ることがなくなったので、テキスタイルマルシェグループのみなさんや新しい出展者の皆さんともお話などさせていただけた。このイベントの出展者のみなさんというのは、前向きな方がほとんどで、他では難しいようなことでもやってみようというような企業さんばかりで、ものづくりだけでなく、販路開拓などにも力をいれておられ、いろいろな体験談などもきくことができてものをつくる部分だけでなく、現実的な話や現実の問題を打開するためにどういうことをやってきたのかみたいなあたりの話なども聞けたりもして、やはり、商品開発や小ロット生産においては一貫生産的な流れがないと難しいのかなあとも思えたりもして、多くの企業さんが製品までの一貫生産を社内でやっておられるところが多い。

林与も今は、かつてないほどの原料価格の高騰で非常に身動きすらも取りにくい状況で、林与も麻が主体ではない4産地でフラグシップ的に麻織物に取り組んでおられる機屋さんの方々とは懇意にさせてもらっていて、こういう仕事としてやっても自分が持ち出しながらも業界を存続させていくような苦境局面を背負って乗り越えていけるような機屋さんがあったらどんどんと麻織物を引き受けていただきたいような応援の気持ち.日本の機屋さんに麻織物を普及したいなあと思っていたりは、数年前の麻がデフレで3分の1とかで入ったときにも同じような覚悟。

大手の利益主義な世界が逃げるようなというか、世界規模でも高いものというのは日本が一番くらいに残しているというのが奇跡的な現実で、林与の近い人たちが、麻織物にも興味をもって林与とも関係もなく動かれて、林与と同じ様などうやっていけば成り立つのかの問題にも直面をされているのはよくわかる話。世界的にも日本の繊維業界が評価されるのは損得じゃない日本人の覚悟を見せて嘘や偽りがないみたいな信頼性、でも、日本の大手が本当にそうなのかというと熊本のあさりにつきてしまって、損得ベースで大手が動きながらも日本のイメージで何百億円も動かしながらも昔ながらを守っていくことすらも難しい人たちの努力がイメージになりがちなのが本当に日本の繊維業界の構造的な問題そのもの。

そういう問題というのは本当にブラックボックスで、百貨店とかで売られている国産の語りのものにしても本当に国内産なのかというと、株主とか利益主義とか優良企業を保とうとすると、一番安いところを求めるようなのが普通で、ホワイトというのが業界を食い物にして成り立つような典型で、林与にしても麻織物の業界的には日本で一番というよりも世界的にも本当に珍しい感覚で日本の麻織物の特色を残そうとしていたりもする。それは自分の時間を織れるか織れないかも分からないものに、できるかできないかもわからないものに、使う覚悟があって、日本じゃあそういう感覚がなくなってしまっているから自分だったら注文をいただいたお客さんにもご迷惑を掛けながらも他のだれもが出来ないような、奇跡的な日本の麻織物の世界というのをなんとか、本当に、なんとか残したいなあと思う。それは例えば他で働いてそのお金をつぎ込んでも成り立たせて行ければと思うほどに、でも、今回の展示会にしても出展者の皆さんというのは林与と同じ様な感覚の方ばかりで自分がとことんモノづくりしてお金もつかって環境も整備して、うまく行かないことばかりだけども責任感を背負っておられ鵜方が多くて、革製品を扱われている方ともお話もしてその方というのは本当に自分がどうでもよい覚悟、パートさんレベルじゃなく自分が長い付き合いでそれなりに待遇もしていた人たちが自分が駄目になったときに他の世界に行って心配だと思っておられ、それが本当に日本の繊維業界の経営陣の温かいところだろう胃
dと思う。

部長や課長という肩書すらもがパートさんやアルバイトと同じ様に数字で切られてしまうのが日本のエシカルとかサステイナブルの世界なのかと思う。それは林与自身が寝ないで仕事していても、なんちゃらオーガニック夫ん協会の10年くらいやってた人が一番くらいに、本気に地道な人を、自分が明日は休日だからと寝ないで仕事をしている糸一本一本の自分て繋いで縫って直しての日本の繊維業界の日本の価値観を普通に支えようとしている林与にあなた誰ですかみたいのが、日本の本当に厳しいような日本のエシカルとかサステイナブルが本当に糞レベルの責任逃れ、それて階級主義的な、ラベル主義的な、本当の実際の苦悩を経験もしない人たちが、セミナーで日本のエシカルやサステイナブルのトップというのも日本の地獄絵。日本の織物の世界や、素材の世界でも、林与というのはそういう人と話すると、あなた誰ですかみたいな、日本の繊維業界って本当に素人なのかと思ってもいるし、そういう方々ほど、普通にサラリーマン的な損得で金儲けで、日本の繊維業界に本当に疲れた本当に疲れた、素人みなんな、何百億を日本のものづくりをうたいんがらいやそれは海外の人の生きてゆくのも難しい繊維業界を食いものにして成り立つようなに日本の大手のサラリーマンライクな繊維業界。それでしか生きて行けないというのが、日本の繊維業界なのかなあそれでいきてゆkしかないというのも、どうなのかなあと大手のモノづくりの普通過ぎるものを大げさにエシカルとかサステイナブルというのが本当に日本のサラリーマンライクな日本のビジネスマン的な大手のモノづくりで、消費者騙しで何百億もの利益を上げてホワイト企業気取り熊本のアサリ以上にやばすぎるようなのが日本の繊維業界の儲け主義。

やめたほうが良いと思うような、偽装が横行して分から➁と思って、同じような構造が20年続いているのが日本の繊維業界で、サラリーマン感覚の自分可愛さの大手企業の人たちというのが本当にもの知らずに、消費者騙しになってしまってて、ホワイトというよりも一番くらいにヤバいよような説明すらも出来ない仕事で日本の繊維業界がサステイナブルとかエコとかをくいものにして何百億の利w気をあげるのが風痛になってしまた、一番やばすぎる、麻業界でその話をすればそういうホワイトな人たちほどみんな逃げてしまうような日本の繊維業界では駄目だろう。GOTS,SDGs、金儲けのために規格や基準を作っても、日本の昔ながらの繊維業界の価値観というのはそれをはるかにこえて世界のトップレベルで、世界レベルの金儲けの素人集団が金儲け主義に世界の繊維業界を食い物にしようとしても、地道に一つのキズをなおしたりする世界をわらう人というのは偽物の金儲けしたい人というだけ。

林与の存在というのは、自分がつぶされてもどうでもよいというのがあるけども、日本の一般的な繊維商社や大手が偽装すらもが多くなりすぎて浄化どころか熊本レベルが普通になってしまっていてこの20年以上。林与は個人レベルだけど、大手上場企業の方にでも、消費者騙し的なことはやったら駄目なことはやったら駄目だというタイプで、そこまで分かってる人が業界にいないというのも問題で、近代麻布の研究の専門家の人が私にあってあなただれですかとかというような、現実があったりして、マヨッタエとか、神宮大麻の世界が吸いたい金儲けしたい素人の人たちを集めてしまって、ほんと残念にも思う。

個人的に林与を知っておられる方だと、それなりに意味も感じてもらえるからとは思うけども、あまり話もしたことのない方だと、本当に繊維の世界の話すらも難しく、責任逃れでどうやって楽に生きていくかみたいな話ばかりを豪語されて、サステイナブルやエシカルの日本のトップの方でも林与のような会社は一番クズみたいにいわれることが多い。それが本当日本の繊維業界の闇そのものでそこから直した行かないと、とおもうのが、本当の日本の繊維業界の闇そのもので世界に誇る日本の繊維業界の本質てきな価値観がクズ扱いで、東京ベースの事務方的な現実も分かっておられない日本のトップの繊維業界の方というのはどうなってるのかと思え、立地や資本力を利用するだけのコンビニじゃないんだから儲け主義ばかりでは日本の繊維業界の本質すらもアパレルさんに伝わりもせずに駄目なんじゃないかと。アパレルさんが偽装物を売ってしまったときにはいくら問屋さんや機屋さんが素人だから騙された解いても消費者騙しのからくり層の物で、そういう構造が世界規模なのが日本の繊維業界の地道な気質を利用して謳いを広げて、日本的にはまがいばかりをやって儲けるような日本の大手で良いのかと思う。

それぞれの素材に関して、綿とかシルクは詳しくないけども、麻に関してはそれなりに限界も知ってはいて、日本の大手の麻業界というのが、海外の紡績工場からの情報からとも乖離しすぎて、アイリッシュリネンなんてこの20年以上、買われた人のほとんどが大手の日本の業社と素人的な機屋さんが織る中国紡績の糸だったというだけのことで、日本の麻織物の流通では最高峰に位置づけながらも闇歴史そのもの。大手の上場企業というのは日本の繊維業界の闇歴史を作りがちで林与自身がそういう大手の麻業界の方とも調和を取りながら普通にまともなのも難しくなるような、そういう大手の方のサラリーマンの方にも林与が日本の大手が無茶をされすぎないようにこの10年20年でもそれなりに警告も発してきてそれが無視されて、結局は働く人のために自分たちが立ち上がったみたいな話が、たんなるリソーサーから買ってただけで、自分たちは責任がないと、それはビッグモーターの経営者と店長との関係のような構造で、安くないと意味がないというような考え方には他を淘汰したい気持ちが強すぎて共栄共存という発想すらもなく、

普通のや儲け重視で日本メーカーを語りながら、世界規模のGOTSにしても本質が見えている人が日本にいないのが、世界規模の繊維業界のサステイナブルとかエコの世界、本当の素人の方が、そういうの代表とかされていて本当の世界レベルの麻とか繊維の世界でもない普通以下の合成繊維を混ぜて、サステイナブルとか商業過ぎになってしまっているのが、GOTSレベルで警告を鳴らすのの林与で他には普通に商売じゃなくてまともに消費者の信頼も考えて普通の繊維の世界すらも誰も世界規模でも金儲け主義にまみれておられないのかと思う。

それは日本の繊維業界の一つの麻の世界すらもどんどんと100円ショップ主義的な世界テキスタイルスタンダードで、消費者が気の毒で、国連レベルのサステイナブル認証だけど、それは本当に自分の損得以下の消費者騙しの世界。世界的な認証機関の認証を与える日本の代表的な人にも、それ一番アカン自分可愛さで本当の覚悟もなく組織を守りたいだけで、地道な人を食い物にして成り立ってるオーガニックコットンでは一番やんというのが日本でも駄目なものは駄目と叩いて、日本ラベル協会の方にでも普通にまともなことを日本でやっていきましょうよと、その方に依存されていた日本ラベル協会の方にも、ほんと、残念なのが、自分が食べていくのも難しい方々が日本の繊維業界の重鎮みたいにおられて、林与すらもまったくご存じなくて単にビジネスライクなだけの考え方で、水と油でそんな自分で業界もせおってない覚悟もない人たちが、日本の繊維業界を支え築みたいなことをいっても、そういう代表の方がまったく素人で学生のようなレベルで覚悟もなく人々を支えるでもなく大きなことを謳て、地道に作業してを軽く見てお宅だれですか。それは本当に日本の繊維業界でもありえないのだけどもそういう本当に自分が一生を食べていくために山師的な人たちが軽い気持ちで今の日本の繊維業界。林与というのはいつ滅んでもよいけど、そういういい加減な上場企業の何百億もの儲けが責任逃れ手日本の消費者騙しすぎるのを残念に思う。やらないほうが世界的な繊維業界にとても良いのじゃないかと思う、金儲け主義の日本の大手の無責任なものづくりなら日本の期待して買った消費者騙しに終わるだけが日本では広がりすぎ。日本の上企業の経営者でもそれが普通で残念に思える。サステイナブルとかエコという概念が新しい概念の金儲けに使われ始めると地道に続いて来た物事を続かなくしてしまうだけ。水の少ない虫のいない場所で栽培するようなことが遺伝子組み換えを必要としたり、本来のオーガニックの理想は自然の恵みとしてのオーガニック栽培だろうけども、装置産業的な有機栽培で資本力勝負の低価格競争的なオーガニックへと代わってしまって、以前からやってた人たちはやめて、新しい場所でのビジネスとしてのオーガニックで、価格競争的に落ちて、合成繊維まで混ぜてオーガニックを謳いたいとか、そこまでいくと天然繊維の業界の守ってきた価値感すらも・・・。結局、どんどんとオーガニックも普及するにつれて当初の崇高な理想から普通のものに近づいてきてしまっていて、遺伝子組み換えコットンでもオーガニックコットンのラベルがついていればオーガニックコットンでよいと思う人も増えるだろう。今では、コットン栽培自体が水を使うから悪のように言われてしまう状況。なんか繊維業界の普通の価値観とかもなく、自分たちが自分の手で作業をしない人たちがレギュレーションを決めて階級社会、育んでいる人たちが一番大事みたいなオーガニックの理想に戻ることはないだろう。
2023年11月01日
縫製工場の会長さんが、林与がいつも徹夜で動いたりしているのをご存じなので体のことを心配くださる。年を取ったのかなあと思うのが、暑さ寒さに弱くなったかと思う。それほど寒くもないのに足が冷える感じがしたりとか、そうなってくると健康というものが心配になるのだけども、林与のように一日中動いたりしていると若いころのような食生活でもよいのかなあと思えたり、今日は3か月ぶりくらいだろうか、へとへとくらいにバテてたので、天下一品のこってりスープ大を食べた。

体が寒く思えたのがなくなって体中がエネルギーに満ちている感じがする。林与の場合、健康的な食事では栄養がやっぱり足りないのだろうと思う。辛子味噌やニンニクの薬味などかなり入れて、健康な食生活をされている方からするとまさに塩分とか濃さとかは毒の塊みたいなものだろう。食べ物で体があたたまると体に違和感を感じないのでたくさん動けるから結局体にとってはたまにはよいんじゃないだろうか。

頭もすっきりと眠気も吹き飛び、体も本当にリセットされたような感じ。頭もすっきりとしていないと、書類関係の作成なども細かいところまで思い出したりすることが必要なことも多く、とくに複雑な作業に関しては一回勝負なので一つの織物を織りあげて出荷するまでに、林与の中だけでも細かく分けると10近い作業工程を一か所も間違うことなくやらないと正しいものは出来上がらない。そこに織機の調整も付きまとう。織機が問題のある時には絶対に織り進んだりはしないのも大事なことで、最終的に問題のない正しいものこそ大事。

林与はへとへとにバテていることも多いので、歳をとってても学生みたいにスタミナ満点みたいな食事のほうが合うんだろうと思う。でも、ラーメン大1杯で、もう限界みたいな状態から、また、このなんでもできそうな充実感への復活は本当にありがたい。
2023年10月30日
いう文字の旧字は、日に麗で「曬」。太陽に当てて綺麗にすること。曬の字が難しすぎるので、西(セイ)の音を取って当てて、晒と書くようになったということで、ようやく、悩みが解決した。なぜ晒すという風に言うのかが今まで理解できなかったから。

蚕の繭の外側の糸にならない部分をほぐしてそれを糸にしたものをキビソと呼ぶのもしっていたが、なぜそう呼ぶのかは漢字が分かって、理解が出来た「生皮苧」。

チュウキとかいわれるのも、漢字で見ると「中希」で、両耳の部分と中とを比べると中のほうが色が薄い現象。

ヒマも、「杼間」で、横糸切れなどで横糸に隙間ができること。

漢字で見ると意味が分かりやすいことが多く、他にも、妙とか布とか、地機、高機とか、蚕の漢字がなんで天の虫なのか。麻と呼ばれるものがなになのかということも、「粗苧(アソ)」というのが和音のアサ転じたのかなあとも思う。麻というのは、しびれるような辛さを表す。山椒のような痺れるような辛さが麻なのである。本居説のヌサが転じて麻というよりも、麻(アサ)が幣(ヌサ)の語源ではと林与は考えたりもする。ヌサは、奴(ナ)左(サ)から来ているとしているが、捧げものであるナサには奴隷なども含まれていたという。

ブーというと、沖縄では苧麻を指すらしいが、中国語の苧麻(チューマ)のチューから来ているだろう。大麻は中国語では(ダーマ)、胡麻は、胡の国の麻ということで、麻というのは粒の実のなる木を指すことばではないのかと思えたりする。大麻の実も油を取るために使われた。実の辛さみたいなものが痺れるような麻の辛さ。麻痺するの病ダレの麻もそもそもは舌が痺れるような麻の辛さに由来していたのだろうと思う。麻婆豆腐にいれるのに華椒よりからい麻椒というものがあるようでそれが麻の辛さを象徴しているんだろうか。ドライフードみたいな
2023年10月20日
今のライフスタイルというのは無駄なものを持たないみたいな生活。30年前でも部屋の中にはテレビだけで、押し入れに布団片付けるとテレビだけしかない部屋で済んでいた人をみて、いつでも引っ越しができるやんと思った。

仕事をしていると物がどんどんと増えて来て、処分しようとしてもこれを自分が手放すと次に手に入れることは難しいだろうと思うものが多い、織機もそうだけども30台近く持っていて、そとには2台スペア部品用においてあったり、倉庫にもは部品の山があったりする。自分自身でものをもっていないと織機も修理も出来ずに誰かがすぐに可能というわけでもなくそこで織機自体が使えないということになる。

今使わないものを自分で将来のために準備して保管しておくということは織物の世界では、ある時にしか手に入らないことが多く後でなくなってから手に入れようとしても難しい。需要の少なくなったものほど手に入れることは難しくなっていて、筬などはまだ作ることは可能だったりもするけども、シャトル織機の部品なんかは出物があったときに手に入れておかないと後では難しいという話になる。

タイイングマシーンも林与には4台あるのは救いで、タイイングマシーンも林与の使っているロングセラーだった型番ももういろんなパーツが手に入りにくくなっているということで、一番調子のよい1台を使いながらも他の3台は予備として持っていないと難しい。無駄に見えるものばかりを抱えているようなことも本当に多いのだけども、昔のシャトル織機の本体にしても本体があるだけではなかなかその維持というのは難しく、いろいろと抱えている必要がある。

工場の維持というのも非常に大変で、もう10年くらい前になるだろうか高圧から低圧にかえ、しかも動力は14kwのブレーカー契約にしたことで30台もの織機を維持できていたりする。電気工事会社をやってる同級生にやってもらえて長年の夢が実現した。もっと早くやっておきたかったのだが、ブレーカー契約などに詳しい業者さんというのも地元には少なく従来会社の電気を頼んでいた方では従来の方法しか難しいようなこともあり、林与がブレーカーを手に入れて、それを電力会社に持ち込んで検査をパスさせて設置してもらうというような流れは通常だと難しいだろうが、同級生の理解も得て違法でもなんでもない正しい手法で、多数のシャトル織機を温存するようなことが可能になって、ようやく理想的な形で高圧電気設備維持の重荷から抜け出せたような感じ。その点では本当に昔からの友達で苦労している人たちというのは企業を背負っておられながらも同じ気持ちで仕事されているので、成り立つ話でそれが長く実現が難しかったのも昔からの関係を大事に思って。

林与もいろいろとやりたいこともあって最優先的に今までの方に頼むことがあるだけども、林与が思っていることが簡単に見積もりも取ってもらう間に外の世界で速く簡単に何分の1の値段で出来てしまうということも多くて、外のそういう人たちの感覚というのが案外林与の感覚にも近いのかなあと思うことも多いのが実情で、国内の従業員などを抱えた製造業が国からの重荷奴隷になりすぎて、奴隷にしながらアベノマスクは隠して騙して海とか、海外マスクの10倍の相場を払ってたりとか。それだと国産マスクでも十分に対応も出来たのに、大手のマスク業者たちと癒着してしまって、そういうのは日本の政治と一部の政治に癒着した繊維業界の闇の部分。そんな癒着構造で多くの国民が未曽有のコロナで苦しんで死ぬのも分かってないから、自分たち利権にしがみついて裏で汚く国民から巻き上げて殺すみたいな、世界でも一番恐ろしいレベルに陥ってしまってる。戦争で人が死ぬ音は大丈夫でも、政治家の愚策で多くの国民の命が犠牲になるというのも同じことでそれが法律では罪でないだけで、日本の政治家というのは国民の命以上に、それよりも自分たち音利権の方が優先されるようなショービジネス。法律もそのように隠して騙してを作り上げてそんな法律のどこが正しいのか、まさに、腐敗した政治社会。
2023年10月19日
今のホワイトなモノづくりというのは無理や競争に追い込まないスタイルなのだけども、お客さんではありえないことだけども、従業員レベルだと朝からあくびばかりしている人の割合が半数以上に増えているのは事実で、そういうのを指摘しても、あくびは緊張感を得るための健全な行為として逆に従業員に説教されるのが経営者。すきなだけあくびしてくださいと思うだけのことで、本当の緊張感がないと話をするきもなくなるだけのこと。

いつもどこでも目線を外すとあくびしてるというのをみられてしまっているのを本人が気が付いていない、得意先の人とかブランドの方が来たときには仕事の時間の中でほとんどそういう緩みはないけども、時間中に気が抜けてあくびしてたりが普通の人の割合というのは多くて、じゃれたきもちで仕事をしているのが、周りの人には分かってしまう。

普通に40時間程度作業して、朝から眠いのにそれでも睡魔と戦っていますみたいな主張なのだろうけども伸びることは難しいのは当たり前でたとえその半分の時間精一杯でも、のこりの半分がそのような状態だったらまともな作業は難しいし、時間が来るのが待ち遠しいだろうと思う。自分なりには頑張ってくれていた方でもあるとき1度今日は覚醒して仕事ができましたみたいなことをいってくれて普段の2倍の普通くらいのスピードで仕事をしてくれた。そういうのが要求される仕事の感覚なのだけども、そこまで行きにくいというのが経験の少なさだったりもして仕事に慣れるまでも難しいようなところ。
2023年10月19日
繊維関係の海外視察で、ある経営者の一人の方が非常にリーダーシップを取ってくださって、経営者たちをまとめてくださっていい雰囲気の視察をできたことがあった。食事会などあって、普通に個々が好きなものを頼んでプライベートな旅行に終わるのじゃなくて、支払いなどは経営者たちで払おうと持って行ってくださって、6人くらいの経営者が30ドル程度の支払いで接待という気持ちもまったくなく、世話になっている主催の方々や他の参加者をもてなす程度。

その旅行に参加した方々というのは次の展示会の時には、ブースにまで会いに来てくださる方も多くて、参加させて頂いていろんな海外の現場のことも知れたし、地場産業じゃない世界レベルのものづくりという現場の現実も知ることができた。その経営者の方も日本の繊維業界をうまく引っ張って行こうと献身的にいてくださるのが伝わってくる。その方も今は社長になられたけども、何百人も従業員を抱えながら、能力もありながら一方で心優しく、林与にも旅行中もいつも声を掛けていてくださった。

次の展示会でもバタバタしてばかりだったけども視察に行った時よりももっとなんかみんなが仲間で連帯感があって、旅行中も世界で一番おいしいカレーとかも誘ってもらって食べておいて思い出の一つになったりもした。経営者ばかりの参加でもなく従業員の方の参加もあったけども、従業員の方とも仲良くなれて、他の繊維の分野の知識というものをいろいろと教えてもらえて、高いレベルのことをやられながらもすごく高いのでなかなか売るのは難しいといっておられ、真似もされやすいのでサンプルリクエストなども注意はしていると行っておられた。

林与も麻織物をやってて幸せだなあと思えたのがその時で、他の会社と比べるとシンプルなのにそれでも仕事が続けて居られること。日本の市場というものが恵まれていると感じたのもその旅行で、日本の消費者の方というのが他の国の消費者以上に日本製の生地なども評価してもらっているのを再認識できて、日本で織物を作っているならもっと出来ることがあるんじゃないかと感じたのもそこで、損得とか考えていたら日本製なんて難しいだろうし、ましてや小さな会社や林与じゃなくても個人レベルが損得を考えてやってても評価なんてされることもないだろう。本業に徹して思いっきりやろうと。

けども、思いっきりやろうとすると、作業でも、準備でも、お客さん対応でも、私にしか出来ないようなことも増えてしまって、織機なども調整が微妙になりがちで、調整にしても私にしかできなくなってしまったりとかも増えて、お客さんの需要というものは増えるのだけども、一つ一つが問題の壁が高くなりすぎて一つの壁を乗り越えられないことが雪崩式に命取りになるようなことも増え始めた。

2008年にリネンデニム生地を林与がそれなりに形にして発表で、今も続いている商品の一つだけども1時間に1mしか織れないような織物。作ろうと思っても簡単に作れないからよいんだろうし、真似をしようとしても同じ苦労があるだろうから、我慢比べかなあと思う。令和の時代の初めのころにレピアで綿のデニムが試しに織ったのだけどもそれほど難しくなく織れたのとくらべて、量産をしながらもリネンデニムは手ごわいなあとつくづく実感。

他の生地の企画などもギリギリのものが増えすぎて、この15年で、リネンの細番手の糸もだんだんと弱くなってきているのも実感で、無糊で100番手くらいならレピアででもアパレルクラスの生地を織っていたのに、それが同じ銘柄の糸を使っても完全に無理になってしまって糊付けもするのだけども、それでも手ごわく量産が難しいとか。林与の現行糸での超細番手企画はちょっと様子見中。

普通の60番手の生成の糸を織るのが難しくなってしまっていて、これも林与周辺の地球環境の変化だろうか、前回も糸のねちこさみたいのはあって、ももけてきれてキズになったりもあったが、オーガニックの原糸を購入してからかなり時間も経っているので、フィブリル化みたいなものが若干進んで桃け度合いが端のほうはどうしても緩みやすい加減で、今回は難しいのかとかで、在庫がなくなったオーガニックリネンソフト仕上げの生成の生産も様子見中。

ビンテージアイリッシュリネンプロジェクトも、一生で一度は経験しておきたいなあみたいなプロジェクトだったし、昔の良い時代のものづくりを現代に復活するようなプロジェクト。他にも世界的にもリネンの広幅絣プロジェクトというのも、近江上布の横絣技法を応用した織物で、林与のシャトル織機の技術を活用したという意味では、応用的な可能性が広がるプロジェクト。それが今、手織りで再現するほうが簡単かと広幅の手織り織機を自作するような計画にも進化。

林与だけの問題じゃないと思える。今手に入るリネンの糸も高値ながら希少になりつつあって、従来の継続番手がどんどんと消えて行ってしまっていて、16/2の糸などは2年分くらい買っておいて本当によかったが、従来やっていた20/2の糸などは久しく手に入らない状況とかで、昔、量産していたものも今は作れなくなってしまってる状況。

今まで麻織物を横糸に扱われていた工場さんでも、どこか安く麻糸が手に入りませんかという相談を受けたりもするけども、国内ではリネン糸自体の入手自体が難しくなりつつあって、糸は過去最高値を更新中。ラミーやヘンプ糸も同様に上がって、企画の話をするときにも、その都度に糸の入手の話からそのときの価格での見積もりが必要な状況がコロナが明けた後から続いている。

受注生産形式のやり方ができたのが、糸の入手すらも難しいとなると無理だし。他に地元の染色工場さんも手いっぱいになられていて、染めるのもがんばってくださっててもキャパ的に難しくなってきている。加工工場さんも昔のようなペースでは仕事が回っていないとおっしゃられていたりで、縫製工場さんがおっしゃっておられるにも生地が上がってくるまでに半年かかるのが普通にとかの状況らしい。

でも、世の中をみわたせば、ウクライナでの問題やパレスチナのような状況が現代でも普通に起こっていたりと、いくら豊かになっても殺し合うことすらもなくならないのが人の世界で、まだ、地道にいろんなことを前向きに考え作業していられるのが幸せで良いことなんだろうと思えたりもする。種を撒いて育むようなことが出来たらなあと思うのがあって、自分で織物を織るような手織り体験をさせていただいていて、手織りをやってみたかったとか、やってみたいと思ってくれるお子さんが多くて、そういう機会すらも今はなかなか難しくて、簡単な織り方だけを最初に1分ほどお教えしてあとは自由に好きなだけ織ってみてと黒子に徹してサポート、そういう場を提供させて頂けるのが一番にありがたいことで喜んでいただけるのが幸せ。自分がやろうとしてできた充実感を味わい楽しみと自信をつけてもらう。教科書みたいなマニュアルもなく、いきなりの実践で見よう見まねでやってみて覚える、とか、そういう学び方もよいんじゃないだろうか。

考えや価値観が違うもの同士が交わるということは非常に難しく、他のものに頼みたいじゃなく、他のものを支配したいような考えをもつものがいるかぎりは難しいことで、お互いを認め合うような精神が大事で、林与の中では、人が階級的な意識を持つというのは一番駄目なことだろうと思う。上の立場の意識を持つならそれはそれなりに責任を背負うべきで、逆に面倒を見てもらいたいならいうことを聞かないといけないのも仕方ないことというのもバランスとしてはあるだろう。無責任な逃げてばかりの政治家みたいなのは一番駄目な典型で、そういうのを見逃したり正当化するような法律も駄目で、みんなが同じような条件で成り立たないと民主的な基本すらもが揺らいでしまう。最悪なのは美しいことを言って選ばれたのにそれを裏切って選んだものの責任だとかいう政治家とか、そこまで落ちてしまうと詐欺と同じレベルで駄目すぎるとおもうけども今の日本はそういうのが普通になってしまっているような気がする。
2023年10月18日
今日、友人の娘さんが午前中仕事を手伝いにきてくれておめでたとのことで、林与なんかは去りゆくものでよいけども、次の世代の人がその次の世代を育めるということは日本ではだんだんと難しくなってきているだけになによりも素晴らしいことだろうと思う。今の若い人たちというのは共働きが多くて、そこに訳の分からないベビーシッター制度とかよりも、保育園に普通に入れるようにしてあげればよいだけのことなのに、それも行政が拒んでいるところが多い。子供たちが親にだけ育てられるよりも、保育園のような場所で他の子供たちと一緒に遊ぶみたいのが大事で、なぜ政府はそんなことも許さないのか不思議。

仕事のない母親は子供を自分で育てろみたいな話につながるのだけども、仕事を持つためには子供を保育園に入れないと仕事ももてない。無理とそういうの作って真面目な人たちを苦しめて居たりもして、普通に子供を持っていても働けるような環境を国が提供しないといけないのだけども、無職の母親が子供を保育園に入れることは難しく、働いている人しか子供を保育園に預かってもらえないような状況では、貧困層を増やして生まれてきた子供たちも階級社会の中では食べても行くのが難しく国家の奴隷要員。

無職で苦しんでいる人たちでも怒らないといけないのが、労働基準書の監督官に、あなたが一日中外でタバコ吸っていたら労働基準監督局を訴えますかとk架空の質問という想定で尋ねると「訴える」という答え、そういう人に無職の苦しみもわからないだろうし、働く人を受け入れて責任を受け入れて働かせる大変さも分からないだろう。国レベルでもう階級社会が形成されてしまっていて、働く人を受け入れたらそれだけで国のバラモン階級の役人たちに支配されて吸い尽くされてしまう。そういう国の役人がどれだけまともに働く人をつぶして働こうという人を受け入れた企業をつぶして自分の立場を無責任に偉そうに自分の利用して生きているんだろうか。

労働基準監督官でも1日中さぼってても給料をもらうのが当り前だと思っていて、そういう感覚で企業を指導しようとするから、これはまさに階級社会そのもので、日本もどうしようもないようなレベルに落ちてしまっている。それが日本の労働監督署の指導だというのも、日本社会が階級社会を目指し、奴隷社会につながるような状況で、1日中外でタバコ吸っててもそれが労働基準監督官みたいなのが当り前みたいな人が、日本の労働行政を指導していたりで、ボロボロな日本、末期なのも当たり前、そういう問題から解決してゆかないと支配階級意識で奴隷階級から吸い上げるだけの日本。

林与の親友と呼べる方たちにも県職員レベルの方は何人かいるし、滋賀県の県職員の方も多く知っているし、また他府県の職員の方も知っている。県職員の方たちというのは、実際に民間の人たちとの接点が多いので、親身な対応をしてくださってることが多い、国からの問題を解決するのが都道府県という立場だからだろうと思う。国と都道府県や市町村というのも階級社会の典型ではあり、日本の場合には社会主義国にみられるような構造があったりして、無駄な締め付け政策や利権との癒着構造など不透明な部分も大きくなりすぎている。次の世代やその次の次の世代をそういうものから解放してあげないと、ボタンの掛け違えのような悪法をつくってそれが正しいと信じ込ませての連鎖では、健全に育つとかいうことすらも難しいだろう。

親と子供が家庭の中で過ごせる時間というのも短くて、高校くらいまでだろう。高校くらいまでの親と子供は地域の行事よりも家庭に専念できるように、親も子供もレクレーション的な行事以外からは解放してあげるとかが大事ではないのかと思える。PTAなども不要論が出ていて存在していることが逆に問題を生んでしまう場合も多い。家庭の中で、親と子供が週末のひと時でも一緒に過ごせるような環境が大事だろうと思え、また成人したときには、親が子供から離れまた、子供が親から自立していくのが当り前のような、次の世代に力と自由を譲っていくようなことが大事だろうと思える。年配者がいつまでも社会を牛耳っているような構造では、次の世代、また次の次の世代が自分たちで考えて生きてゆくような当たり前のことも実現は不可能だろう。

宗教にまつわる不幸な問題なども日本ではあったりだが、本来は国がしっかりと意図的に見逃さずに対応をしていればと思うような、宗教的な階級社会とも政治が融合してしまって、それで何十年とかの日本の政治の裏側。普通の良心的な話すらも通じないような大人たちが国を牛耳っているようでは、優秀な自分たちの信者を育てるのが国の役割ではないのだから。

文化や伝統を重んじるというようなことが美しく謳われるけども、文化や伝統を守るためにも、その何倍もの新しいことは必要で、世界で活躍できるような次の世代や、世界にでなくとも自分の考えをしっかりと持った人たちが大事なんだろうと思う。日本の同調圧的なものに弱いのは、悪徳宗教などにも弱く、洗脳されやすいことを生み出すとか、風見鶏的な人を生み出す。日本のテレビ業界の華やかな裏では、子供たちが権力者になびかないと活躍の場もなく、芽もつぶされてしまうみたいな構造も明るみに出たが、次の世代の人たちには権力にすがらなくても普通に生きてゆけるような社会を残していくことのほうが大事だろう。

権力者構造に陥った組織や社会というのはそれを守ろうとしておかしなことを法律にして正当化してゆくもので、そういう体質を変えていくことは非常に難しいこと。大人というのは権力になびいてしまうものみたいなのが、村社会的な普通のことで、そこで生まれ育ったものでも逃げ出してしまうような状況で、新しい外の人を頼みもそれは本当に難しいことだろう。日本では国レベルが村社会的な状況で、日本の少子化と、若い外国人に来て日本社会を支えてもらわないと成り立たないような状況。次の世代を食いつぶして成り立つような構造を改めないと、若い人たちというのは働きながらも本当に質素でつつましくささやかでギリギリの生活の人が多い。
2023年10月18日
自分のビジネスを始めるというのはかっこよいイメージだけども、やるなら右から左の転売的なものが成功率は高いだろう。ものづくりというのは開業補助金などの対象になりやすいし、地場産業系のものづくりと絡めたプランというのは地域も地域文化存続のために必要としていたりもするけども、林与のやっているような織物の仕事というのは、無店舗物販業の10倍くらいの負荷があるだろうと思う。

物販業においても店舗や人員を抱えるだけで、その負荷は2倍3倍になっていくだろうけども、モノづくりというのは、人(技術)、物(設備)、金(資金)と呼ばれるようなものが揃わないと難しいし、その半年とか掛けて長い道のりで作られた織物を、作ったら買い上げてくれるような業者さんに恵まれていて、定番商品を生産させてもらっているから安定した経営ができるだけのことで、新規の商品アイデア程度のことというのは、たんなる消耗品的なアイデアに過ぎず、どうやってそれを試作して形にして仕上げるのかというプロセスと、どういう形態で流して開発費用などを回収して次の開発の資金を生み出して行くのかというプロセスが成立しないと難しい。

林与というのも不思議だけども、はっきり言って繊維の人間でないから大きな重荷も背負えるところがあって、普通に繊維の世界の感覚だと損得だけに陥って、一回限りの出たとこ勝負的な話になる。実際、それは昔日本が馬鹿にしていた海外のものづくりそのもので、小さいところが損得ベースに落ちてしまったら大きなところの普通の損得ベースと同じ考えでは、難しいだろうなあと思う。おかしな話だけどマイナスも覚悟してとことんなところまでいかないと、繊維業界の10倍の価格差というのはモノを国内で生産して流して行くことは難しい。

生産を海外や国内の一番安いところに移して販売だけだと成り立つ可能性もあるけど、自分で作るようなものづくりが一番意味があって、林与も自分のできないことというのはお客様に迷惑を掛けないように他のところで出来る情報を提供したりして、林与とは関係なくても麻のことで林与を頼ってくださったということに、価格や現実性も考えながら今までも頼ってくださった方が麻関連で成功されることを大事に思って動いてはきた。

滋賀県というのがすべてにおいてどんどんとものづくりが難しくなる事情もありながらも、県の行政機関の方々からも、業者の損得の話じゃない日本の最高レベルの麻織物の世界を作り上げたいような気持で、繊維の人間感覚もない私が取り組んできて、麻業界では新しい感覚で日本の麻の価値観を守ろうとする麻福さんの北村さんも似ているような気もする。それは北村さんが侍ジャイアンツ的に日本の麻織物のルーツに傾倒されているからだろう、東京から伊勢に移られたのには驚いた、商売じゃないんだなあと思えたり。その点は林与が日本の近代以降の麻織物の世界の江戸時代の技法も再現したいと思いながら与一爺さんでも、多分、戦中に麻織物贅沢品禁止令で手放された1トン2トンの手績みの糸をその60年近く使うつもりもなくても守りたいと思って残している。1970年代の幻過ぎる花王のマルセル石鹸を数百キロでそれがなくなるとすべてが終わってしまう感覚で、花王の幻的なマルセル石鹸でも数百キロ単位で買う覚悟で残してくれた。

林与が日本苧麻業界の最高峰の敵視的な、世界のどこに行っても特別すぎるありえない感覚の日本苧麻業界のものづくりを楽しん頂けるのが、一つの家レベルが覚悟を決めて世界で一番くらいの最高峰が残せたら良いだろうというような気持ちで、それは大手のSPAさんの安すぎる10分の1の世界も自分が10ばい覚悟して日本の麻業界の伝統的に培われた価値観を、仕事を始めた最初の地から伝統工芸士さんたちの限界も感じるも日本の200番台の初めのころの伝統工芸士さんというのは働き始めた20代の林与に絶対的に服従だったのがありがたく、一方で指図ばかりで働こうとしない先代がお前は信用がないからとか、日本の繊維業界の縮図というか日本の駄目を家の中で経験した。

日本の繊維業界の価値観を損得度外視で考えるような方たちとだけ、押し売りもしないし。利益率ゼロでお受けて、その方たちにビジネスでといわれたら、日本の製造業界すらも将来はない。あるかたが林与が24時間うごいて世界的には自由を奪われて最低と思われている人以上に、一生懸命に動いてしるものを馬鹿にしないで見下しもしないでいてくださるのが心の救いで、日本政府がこのような状況では、世界で一番くらいに頑張ってる人たちが、軽い日本政府がモノがして消費者騙しの日本のものづくりの浸透。自分が働く覚悟や人生を捨てる覚悟を国内では食いつぶしているようなあ、まさに国内がジェノサイドそのもののの状態。

田舎の80代の近い人が、隣の家が燃えても自治会に入っていなければ消すなとかで、普通の人間の困った人を助けるよう心すらもがなく思え、そういうのに反論できるようなのが林与だけというのも末路で、その時の自治会長ですらも外の世界でいったら一番駄目なようなことを、有力者と相談してきめるとかで住民には隠して騙してばかり、70代、80代のひとのどうしようもない。末期状態を指摘する話で、過疎化も当たり前だろうなあと思うし、そういう村社会的な有力者市思想を自治会長が見せたら終わりのもわからないと駄目で、自分が生まれてそれなりに責任も被って頭下げて役も受けて来たのに、田舎で自治会長でもしらんわからんぜんぶまかせてあるというような、外の普通の世界からみたら笑えてしまうような状況がなぜ自分が生まれた場所の現実なのだろうか。

普通の議論を公のばですると一言も言えないのに、裏では権威主義で70近い自治会長が自分の利益可愛さに隠して汚いというのが、田舎の末路過ぎて、そういうの若いものを軽く見すぎてそういうのほんとやめようよと思う。若い人たちは苦しみながら田舎でしらんわからんでいきている年配者を支えているのに、それを食いつぶそうとするような年配者や村社会構造というのは日本社会のどうしようもない縮図そのもの。厳しい話だけど、ほんと食いつぶして生きてゆくとうのが田舎の末路で、育んで育てていくような人の芽を摘んでいく。林与にしても50過ぎていてもっと若い人たちに力をもって譲っていかないといけないと思っているけど、70,80代の人たちが力を握って譲ろうとしないような組織というのもいつまでそんなことをやってるんだろうと思う。任せられたという外の業者が一切手を引く話で来たが同世代で可哀そう、集落のいい加減な年配者が自分のことなのに知らん分からん業者にまかせてあると責任から逃げているのにそういう裏で隠して汚いことやってる責任被って窓口やらされて、林与じゃなく普通の若い人だとそういう汚いことやる連中につぶされちゃうんだろうと想像すると、集落という組織も一度リセットして綺麗に再スタートが必要で、表で和の精神とか隣近所とかいって他の家の若い者に説教してるようでは最悪で自分の家のものは好き勝手のわがまま放題させてたりとか。

林与もなにかをやろうとするときに、助ける力も持っておられる方がいてくださってその方が無理になっても、明日は難しいと言われながらも林与をサポートくださった別の方とか、ほんと1円のお金も考えずに林与が動いて特別なことにいるのも理解いただいて、お話をしていてもすごく温かい人生観みたいなものがつたわってきて、田舎にありがちな駆け引きや下衆な脅しで仕切ろう見たいなのは一切なくて、価値観の一致みたいなところでのすべて分かってくれている人たちが林与を支えてくれてたりで、感謝でしかなく。

林与が、展示会に出るときなども林与というのは展示会傘下の中では一番くらいに小さな会社なのだけどもそういうのを支えようとして動いてくださる主催の方の温かいお気持ちでいろんな展示会にも出展させていただけたし、そういう方々というのはサラリーマン的じゃなく、苦労して夢を育もうとされている方々で、そういうのに本当に支えられてきたから、そのときまでは接点の少なかったある方がおっしゃってくださってたのだけども、林与は特別あつかいが不思議だと。その方に頼って海外の展示会での通訳の方を探しているので助けてほしいと頼むとその方のお友達の繊維業界にも精通した最強レベルの方で、その翌年にその方がスケジュール的に無理なので他の方をご紹介いただいてもその方にしても本当に良い方で、その次の方も良い方でみたいな連鎖。ほんと林与は恵まれていると思った。

林与が覚悟をきめていて外の人が全力で助けてくれていても林与の内の人がそういうのを理解できていないと、そういう方との力の違いすらも理解が出来て居なかったりで若い人をそういう展示会に連れて行くことも難しいのも、若い人が思っているのが自分のことで、そういう外の力のある人たちというのは自分のことじゃなく他の人を助けようと日本の繊維業界を盛り上げようと全力の気持ちの方たち。自分のために動いている人の価値観というのは強すぎて他の人を支えようとして動いている人を攻撃までしてしまうところがあって怖いのも現実で、能力のギャップの大きさ、覚悟のギャップの大きさ、答えが出せるか出せないかのギャップの大きさ、価値観のギャップの大きさ、というのは埋まることのほうが珍しく、最初から出来る人は教えたとおりにやろうとするし出来ることが多いし、いつまでも出来ない人は教えてくれたらやるというけどやり方がわかってもそのやり方をやらないというようなはっきりとした違いがあったりする。

若い人たちにとって気の毒なのは、今の繊維業界は昔と違って昔以上に激戦区で、誰もが働けるような場所ではなくなっていて、何十年の経験者でも通用することが難しく、そいう人たちを軽く抜いてゆけないと携わることは難しい、それは私自身も感じてきたことで、実際にやってできないと駄目だし、仕事の厳しさみたいものに普通に耐えられないと地道な作業だから難しいが、好きなことをやりたいとかいう感覚だと逆に最初から無理で余力作って好きなことをやるみたいな感覚でないと仕事としてはやらないほうがましのことが多い。繊維の現場というのは軽く見られがちだけどもすごく負荷が高く、高い能力が要求されるのが現実で、麻織物においては、縦横先染めで麻織物をつくれるところというのは日本では本当に限られていて、普通に見える麻織物でも国内でつくるのが難しくなっているのは現状。

それは技術的な問題じゃなく、千メートルの生産というのがなくなったから。いわゆる小ロット多品種化的ジャストインタイム的な妄想があるけども、それは、数メートルをつくるのでも100mを作るのでも変わらない手間が必要で、多工程にわたるものづくりでは難しく、たとえば、電気や自動車のような組み立て産業だとまだ仕入れ先に在庫を持たせて成り立つだろうけども、生地のようなどこかで失敗が起こると全没になりやすく、ショートもしやすく、全部やり直しになる世界では難しい。1kgの重さの織る前の染糸にしても、フェラーリと同じくらいのkgコストだし。普通のリネンのバルク買いする糸でも、ハイエースとkg単価は同じくらい。染代も糸代と同じくらいは掛かるから。一番安い糸でそのあたり。

日本のものづくりをどんどんと難しくしていった。国内で問屋経由で大きな相手の仕事があるかのように見せてサンプルや試作だけ作らせて、データをすべて提供させて海外で本生産をするような業者さんも大手では多かったりもするし、海外で本生産で失敗すると国内に本生産が仕方なしに戻って来るみたいな話は織物業界では腐るほど聞く話。

ある産地の方が産地の振興を思い、熱い思いをもって1000点とかのサンプルを海外の商社さんに送られた、天然繊維100%のものは発注がなく、複合繊維のものだけが発注が入ったと正直な話。100%のものは糸も同じ色に染めてまた柄も同じようにおって、海外で複製して量産が作られてしまっているんじゃあないだろうか。その窓口の商社がしなくても、その商社のお客さんがいいなとおもえばサンプルを欲しいとサンプルを手にされて、従来の系列で作られていることも多いだろうとは思う。創意工夫してつくったものがすぐに真似して流れることも多く、特殊な染の糸なども林与が生地を作って売れるとなると、それを聞きつけた他の産地の商社から糸を売ってほしいといわれ糸を売るのだが、そのあとは地元の工場を調べて林与の完成したものを日本の他産地ですら真似ようとして来られるから、自分が仕事を生み出そうとしても生み出しても、開発費も使わずに真似をする業者さんのほうが安く作れる。
2023年10月16日
20代の後半に会社に入ったときに、とにかく目の前の仕事は自分の全力を出して精一杯やろうと考えていた。まだ、大手SPAのものづくりが旧来のアパレル業界からは笑われていたころの話で、働いている人たちというのも気楽な気分が漂っていた。仕事は普通にあるものというような雰囲気で、値段も通る世界がまだあったりもした。

その背景にはやはり土地バブルというものがあって、昭和の時代の年功序列型賃金制、終身雇用制度というようなものを支え、さらには、高級ブランド志向を支えていたところがあった。バブルの世代をしっているものは、今の10倍の値段の洋服を普通に買い物していて、その時の価値感が今も残っているようなところがあるから、洋服にもお金を使うのだけども2000年以降のデフレの時代というのは安いものがファッション化した時代で、若年層を中心に国内生産ではなく、海外生産の安価な洋服を買うことがファッションとして定着して、私はテレビを見ないのでよくわからないが、昔は高級ブランドのテレビCMばかりだったが、テレビCMもそういう大手SPAのCMが流れるようになったのではなかろうか。逆転するのは早いもので、それは、同時に日本が中国に追い抜かれてゆくのと似ていて、2000年ころの東京と上海では、上海のほうが未来化して2004年にはリニアが開通し実用化された。

中国の繊維関係工場というのも多くの人を抱えていたために競争してでも仕事を取りたいような状況で、働く人たちも仕事を転々としながら、能力が高ければ高い給料、能力が低ければ低い給料で、働くことでより高い給料を得ることを目指し、失敗した仕事は休み時間に直したり居残って直すような形で、できるものは休み時間や残業して工賃仕事をこなして経験と収入を上げていった。そういうものづくりが日本の大手SPAの裏側のものづくりで、日本がサラリーマン化して失ってしまった部分を補ったのである。中国の工場が独自のブランドを作らずに海外向けはOEMに徹したというのも下働きな地道な部分で、そういう下働き的な地道な部分を10年覚悟してこなせば、世界中のブランドから製造を依頼されるようにもなって、さらに経験も品質も上がった。一方日本国内では、高い労働者の能力とより多くの手間と時間を必要とするような小ロット多品種ジャストインタイム的な生き残りを目指せというようなことを経営理想とする半面、働くことは悪いことだ見たいな風潮をつくりあげ、多くの企業はつぶれて行き、上場企業ですらも行きついた日本の厳しい基準に縛られて偽装せずには成り立たない状況が蔓延をしてしまって、デフレ以降の日本では厳しい日本の品質基準を謳いながらも、手抜き工事や強度偽装品質偽装などが横行して、5年後には残らないような、太陽光、地デジ、LED、など政府の補助金ビジネスばかりが時のビジネスとしてタケノコのように生えて来ては消えて行った、同時に日本の家電メーカーも消えて行った。

日本の大手SPAのものづくりはものづくりだけに終わらなかったから、新興であったために国内では正社員でない若い非正規の従業員を大量に使うことができた。百貨店販売ではなく路面店形式をとった、製造も日本の硬直化した繊維製造システムではなく世界規模での製品の企画と製造、仕入れ。旧来の業界のもつ重荷から解放された自由なものづくり、そしてその裏の素材品質は日本の大手の繊維素材メーカーに支えられ、新興国が日本の繊維業界の大手の製造技術を引き継いだ形。色にこだわらない原色的な5レンジャーカラー、もう一つが、白黒ベージュのカラーテイスト、どちらも一番モノづくりを安くつくれる色、世界中で共通の色、色で悩むことはない。ジャストインタイムと言われたモノづくりではなく低価格を目指した大量生産型。すべて日本国内の旧来の高級ブランドの展示会受注型とは逆の思想で、社内に年配者たちも抱えない自由で新しい繊維業界の形のスタート。国内では重くなりすぎた製造じゃなく、企画と販売だけに特化した、新しいことに挑戦ができるスタイル。日本のSPAが世界規模で広がったのも、ほかの海外SPAとの違いは、日本の大手素材メーカーの存在が大きかったんじゃあないだろうか。日本の素材に近いものを海外で生産するだけでなく、製品企画にも精通はしている。新興国の普段着市場を持ったことも旧来の日本のアパレル業界とは異なるところで、原色カラーが売れるような海外テイスト。

国内の旧来の繊維業界においても仕事というのはやろうとおもえばいろいろとあるのだが、人がいてもそれをこなせる人がいないという問題がどこの現場でもあって、目の前にあるものごとを仕事と請けいれてそれを初めてでもやろうとしてできるかどうかだけなのだけども、長年の経験者ほど経験がなければ慣れた仕事以外はやろうとしないし、説明した新しい方法ではやろうとしないことも多く、初心者の人と同じ様な問題を抱えていることが多く、国内というのは高度な新しいものを生むこともできなくなって、どんどんと通用する市場はなくなり生産量も落ちていった。日本人は昔は器用だったというのが事実だが、今はもう海外の新興国の人のほうが実際に働く時間も長く大量の物を扱っていて器用だろうと思う。国内でほしいものをモノ作りするよりも世界中から欲しい製品を探してくる時代になったのは事実だろう。

時計、カメラ、計算機、コンピューター、システム手帳、財布なども今はスマフォの中にまとまり、アップルとサムソンという2強が世界シェアの多くを占めていて、日本市場ですらも、日本の家電メーカーの市場での割合は小さい。低価格スマホは中国メーカーのものが多い。2019年あたりまでは、アップルもサムソンも生産拠点は中国というのが基本で、中国のものづくり一強時代が、繊維だけでなく、スマホや家電でも続いてはきた。世界の生産拠点となった中国は不動産バブルで、日本の経済成長の3倍くらいのスピードで経済大国化した。今は中国に行くのも難しくコロナ以降行っていないが、もう物価は、日本よりも中国のほうが高いだろう。最後6年くらい前に行ったときにも簡単なお昼の弁当でも10元=200円するって言ってた。中国でも普通に自動車が普及するようになり、日本の最賃程度の時給が普通になってきた。中国の発展モデルというんは日本の経済発展モデルを濃くしたような感じに思える。自動車も車検制度があったりと他国が参入しても自国基準で自国のものづくりを守ることができるようなモデル。

繊維の世界にもそういうモデルがあって、ケアラベルなども日本式が当り前で、ケアラベル一つでも日本メーカーは厳しく締め付けられていたのに、海外メーカーの圧力には弱くて、ISO式に変更。なんだったのだろう今までの日本の国の国内メーカーに対する国の締め付けは、赤と黒の2色をつかったものでないと、塩素×も認められないとかやってたのに、今は、海外に合わせて1色がOKとか。国レベルで製造業者を苦しめてたのに、今は海外のコインランドリー洗濯方式ケアラベルに合わせろという指導。国内メーカーというのは国のだらしないのに振り回されすぎる。消費税の表示方法の変更などにしても迂闊すぎるし、今回のインボイス制度も迂闊すぎる。この普遍性の無さみたいなのが、小売店舗なら、レジなども含めてすべてを買い直さないといけない変更になるとか、ほんとどこがサステイナブルなんだろうと思う。自社形式の請求書のつづりとかも大量に作ったところは気の毒だし。仕入れ消費税を被る負担よりもそういう部分の負担も伴い、仕入れ先が適格業者化どうかによる会計処理の複雑化とか、馬鹿×3乗みたいな話。
2023年10月16日
仕事というのは当たり前に目の前のことをこなして行けばなんとかなることが多く、できないことはあったとしてもそれなりに全力でやってみるとかができる人だと何をやってもそれなりにこなせることは多い。何かやろうとするときに、たとえば一つの物をつくるときにも、自分がつくりたいものをつくるだけではなくて作ったときに売れないといけないという問題がある。

いろいろな方からのご紹介とかでこれからこんなことをしたいと考えておられる若い方々にお会いすることは多いのだけども、作る問題を抱えておられる方たちは多い。いっしょいっしょとおもう、林与でも作ろうとしたら糸を買って染めて整経して繋いで織って加工に出して上がってきた生地を売るまでのことをやっているから簡単じゃない。もし、それで製品をつくろうとしてもそれを作ってくれる縫製工場を探さないといけない。

試作品を作るのに生地が欲しいと探されても、その時に言われるのがいつでも好きなだけ買える生地が欲しいと言われるだけで、普通の小売りのお店にいかれたほうが、いろんな生地が大量に生産されていて安く手に入るからそういう生地を使われた方がリスクも少なくてよいのじゃないかと思ったりもする。試作品まではそういう生地でつくられてみたらどうかなあと思うけども、試作品までいかずに生地探しと構想がぐるぐる回ってられたりもする。卵が先かオムレツが先か、スーパーの卵ででもおいしいオムレツを作る力があって、おいしい卵を探したほうが良いと思う。

高いものを扱いたいと言われる方にも、高いものを売るのは難しいですよと正直に話をする。というのも、百貨店で何十店舗も展開されているブランドでも、数万円のシャツとか10万のジャケットとかなるとお客さんもそれなりに満足のいくものでないと買われない。百貨店の中でもロケーションみたいなものは大事で、良いロケーションでないと置いても売るのは難しいだろうし、何よりもバイヤーさんが数字を付けてくれないと商品を置くことができなかったりする。

高いものは高いものが売れる場所でないとお客さんのニーズとも合わず売れにくいということもあって、高いものを作りたいと思って出来上がったとしてもそれを流していくような販路があるのかという問題になることが多い。大手でサラリーマンをやっておられた方とかが独立されても一つ一つを売っていくのが大事なのだけども、大手の商品企画の方だと大手の会社にいたからできていたことが独立すると同じことはまったく難しいというのを実感するだろうと思う。

海外の大手生地商社の部長が飛ぶ鳥を落とす勢いで高級な生地を仕入れて販売されていたけども、その方も勢いがあるときに独立を選ばれた。リストラじゃなく良い形での独立ではあったのだけども、それでも3年もすると扱われている生地が高級ゾーンからノーマルゾーンへとシフトして、普通の価格帯の問屋さんになられた。

別の話では、国内でも糸商さんから独立されたかたが自分で糸商を始められたのだけども、会社じゃなく自分は個人だから前金でお願いしますとか何十年も仕事でやってこられた方でも、独立したときに素人の個人都合感覚が出てしまっておられて、商売は難しいんじゃないかと年配の方だったが感じ、やはり数年で自分での商売はやめられた。その糸商さんともその方がおられなくなっても取引させて頂いているが、正直に情報がつたわってくるし、糸商の神髄に徹しておられる。

駄目な糸商の例は、在庫があっても在庫がないと嘘をつくような糸商で、そういう人とは関わらないほうがマシで、一番質の悪いタイプ。別のルートから動くと簡単に糸の在庫もあって手に入るだけのこと、関わらないほうがよい。別のケースでは、商社からの生地の発注を林与が国内にその紡績工場の糸がない理由で正直な理由で断っていたのだが、その商社が林与と取引のない糸商にその銘柄の糸があるという話でそれを使って生地を生産してほしいということ、いや絶対にないと思う、林与もストールの生産で糸が必要で海外の紡績工場にも次はいつ手に入るのかずっと確認していて、良い原料が手に入らないから紡績できないとの返答で、ここしばらく作っていないと、日本にも輸出していないと。糸商からファックスが送って来て、番手は同じだが白じゃなくて生成とか。国内にその糸の在庫があるのがおかしいと疑ってたから気が付いたけど、そういうミスというのは気が付いていなければ生地の生産も引き受けてしまうことになる。直接、糸加工の工場に送ってしまっていたら気が付くのは納期間際に違う糸が糸加工済みで、返品すらやっかいだろう。ものづくりは怖く、慎重にやらないと、正しく仕事が回ることはない。

他のオフ白の生地の案件でも、縫製工場に数年前の反物の残っている生地があったかで、縫製工場が企画されている方にそれも一緒に使うか尋ねたら、企画の方が大丈夫だろうとおもって返事されて、ロット別の着取りもせずに、腕のところが黄色っぽく胴体の部分が白っぽいのができてしまったと。大丈夫だと進められてしまった企画の方は大弱りだが、一回見てくれと、いったいいくつの判断の失敗が重なるとそういうものが出来るのだろうと思う。ほんとものをつくるのやめておいた方がよいと思う。ロット違いの生地を1着に一緒に使う基本的なミスとかあり得ないし。縫製工場もロットごとに着取りしないのが問題。色味の確認もせずに大丈夫だと判断するのも問題。縫製工場も縫製していて色味の違いに違和感がないのも問題。最後商品になってしまって大騒ぎでは問題が起こるのは必然に近い。

生地をつくるときにでも、チェック柄とかでもなければ糸のロットをまぜるなんてしないしチェック柄につかうときも注意をして使う。生地を織っていても同じロットでもケースによって色味が若干異なる可能性もあるので、整経でも箱ごとの糸を全体にランダムに散るようにつかうようにしている、さらに、織るときにも色味の違和感がないかなども確認しながら生地は作っている。百貨店で販売されるようなものだったらしいが、企画の方と縫製工場ももっと注意して使われないと当たり前に起こるというか、問題が起こらないほうが逆に珍しい問題で、林与では、糸のロットだけでなく加工のロットも別ロットとして反物は区別しているほどなのに。一番良いのは近いところ取りでの着分取りなのだけども、そこまでは無理だろうから、せめて同ロットの生地で一着をつくることくらいは基本としてほしい。一回の失敗が大きな失敗になるのだから、ものを作るときには慎重に作業が必要で現場で最終商品として駄目なことをやってるなあと思ったらブレーキを掛ける能力も必要。

林与も指図されて絶対に駄目だとか違うといっていることでも、乗り越えてやらせようとしたり駄目な結果を見るまでやらせようとするけども、それに掛かる無駄な労力というのはその方の勉強代だからやってもよいけども、軽く考えていると全損になってしまうし、失敗の結果をみたときに大慌てされても、だから何度も駄目だといったのにという話になる。そのときに頼んだのと違うじゃないですかみたいにいわれることも多くて、プロなんだから任せてあるというようなことをいわれたりするけども、糸や密度の選択、風合いの選択などは、分かっている人でないと、難しいし、実績のあるカウンターサンプルを見てもらいながら説明をするようにはしている。

この件とは別だが同じ反物の中でも後染め生地の場合などはチュウキと呼ばれる現象が起こることがあり、端のほうは濃く染まり、中のほうは色が薄いこともある。林与は後染め生地というのはほとんど扱ってはいないが、1反の中でも色の濃いところと薄いところができてしまう問題などにも注意は必要で、近いところ取りだけでなく、手裁断で、生地をなぜ真ん中で折って裁断するみたいなのが普通なのかの理由も裁断の効率だけでなく、生地の問題をなるべくなく生地をつかうためじゃあないのかと縫製の専門でもないけども想像をしてたりもする。生地を使う時のパターンのパーツの配置も基本左右対称のほうがよいんだろうとは思う。

問屋の社長がシルク麻の生地をもっと柔らかくしてくれというが、そのためには密度を下げるとか柔軟を打つとかになってくる。密度を下げても滑りやすいシルク麻は目ズレを起こしやすいし、樹脂を打たないで強い柔軟を掛けるともっと滑るようになる、そういうのを指摘しても、滑ってもいいからといわれて、薄く柔らかいシルク麻生地を作って服にされるとやはり問題が出て来て問屋の方が生地が問題だと指摘される。検査も取っていないのですかと言われるが、検査取らなくても滑るのは誰が見ても当たり前で、林与が何度も滑るからと止めているのにそれでよいかろといってその結果で、自分自身が必然的にそのような生地を求められた結果。そういう馬鹿なことをやると問題が起こって仕事もなくなるし、下手するとアパレルさんでは林与の生地の問題なってるだろうけども、問屋さんが数年かけて完成された生地を崩してしまうことも多い。
2023年10月15日
林与は外の世界に出てたことが良かったと思う、高校大学時代の京都の生活やカリフォルニアでの生活は、レベルの高さの一方で普通の人の心の温かさみたいなものをすごく感じた。他の人と競い合うことのなく面識のなかったものどうしが仲間意識で全力で支え合う気持ちを持っての人が多かった、日本に戻ったときにはカルチャーショックで、近い人間同士でのいがみ合いみたいなことが基本になって林与の家の中ですらもそんな感じ。

自分が動いてやっていかなければ物事というのは難しいし、他人任せばかりの状況ではよくなるはずというのはないのだが、他人任せの人が多すぎて、それは仕事をしたことのない人と接するときにそれだとやらないほうがマシだよと思うのと同じ気持ち。そんなに都合よく人が自分のやりたいことのために協力してくれるなんてないし、せっかくのいろいろな偶然からの仕事のチャンスでも駆け引きが始まると、もうやらないほうがマシで受けたら林与が支えようとしている人たちから逆につぶされそうになるほどのことも多い。私自身それなりに覚悟はしているので何とか成り立てばよいとおもっているだけのことだけども、一つ一つの仕事においても、場を作ると人間模様の駆け引きで、自分のいうこと聞かないとやってあげないぞみたいな感覚で、それはまさに支配階級意識と同じで、恐ろしいことになることも多い。そういうのが一度イベントの後の打ち上げで議論になったけども、外の世界の普通に仕事の感覚の方たちだとなんでそんな人に仕事頼んでるんですかみたいな話になるけども。田舎の狭い世界だとそういうのが普通の話普通でありがちだったりする。

年配の人たちも若いころは3倍仕事ができたという話が多く、嘘じゃないと思う。量質共に3倍だったと思う。50も過ぎるとみんな仕事が出来なくなってしまっていて、普通に3倍くらいできないと成り立たないというのが当り前の状況。仕事はいろいろあっても、本当に単純な作業以外は、出来る人というのが本当に少なくなっていて、しらん、わからん、できんみたいな、そんな状態で失敗されると困るから、細かくなんども説明するけども、違うことやってしまわれて、一人一つのできることや方法しかないみたいなことも多い。

人間同士が殺し合いにまでなるのも、とことんまでそういう世界がひろがってしまうからだろうし、自分のためなら人が死ぬこともへっちゃらな人もいたりして、普段からうちのものを買っていないやつが災害時にこまっても一滴も売らんとか聞くにもわびしすぎる80代の人とか。自治会入っていなかったら隣の家が燃えても消さないというような感覚で、それを若い者に引き継がそうとしても、そこまで若い人たちというのは心が荒んでいない。次の世代を何と思っているのだろうか子分? 田舎の空しすぎるような現実が長く続きすぎたのを感じるし、繊維業界ももうちょっとまともな感覚にならないととは、林与の先代をみていてもおもうが、今の若い人で吸収力のある人というのは、何十年の経験者を1か月で超えてゆく、それを経験者というのは喜ぼうとするのではないのが、狭い世界の現実で、自分たちの面倒を見させようとする経験者たち、先代もそのタイプだったから、外の世界と関わると自分中心で仕切りたくまともな外の世界を調子よい話で泥臭く濁して行くタイプで、甲斐性をばらまきながらも一番自分が働くも難しい人やった。

そとの世界をしらずにカモ状態になってて、おだてられると気持ち悪く思わず、すごくうれしくなってしまって、ありえない面倒まで見すぎてでも自分がやらないからという間柄。亡くなる前に自分が一番駄目だと気付いたけども、そういう風潮をバラまいて周りも毒してしまったのが自分だけの問題では終わらない問題で、地元の繊維業界を支えてこられたような方に、お前が一番どうしようもなく駄目な奴やったと説教までされ、それは当たり前一時の勢いで舞い上がってそのあとは引き下がれずに変われずに、地道に働くもしない自分のスタイルをバラまいて、林与とは水と油の先代。自分の中に高い能力を持たないと駄目で、頭としても今の時代では普通以下というのも分からないと難しい。落ちぶれた時にも自分が働かないとうのは、1日のアルバイトの人の自覚もなく商売を語るも難しい。

滋賀県の明暗としては、たねやあんと林与みたいなところがあって、たねやさんは金融機関的には一番くらいの優良企業だけども、林与というのは金融機関的には一番駄目な企業。その先代の二人が八幡商業高校の一番の親友同士で二人だけの写真部で、そのころ滋賀県では一番くらいに地場産業で勢いのあった近江上布の世界を裏で支えていたのも林与だったりして、野捨さんの保証人や組合の理事長の会社の保証人にもなって、近江上布絣の世界を別れだった前田商店とも一緒に作ってきた。全部裏側も支える気持ちで技術も提供していたのが与一爺さんで、それは小千谷にも林与の技法が伝わって、小千谷が残ったというストーリーにもつながる。日本の国の最高レベルの麻布の世界というのは、今の田舎のしらんわからんできんでは当たり前に無理で、そういう問題も背負って解決してゆくような覚悟で残して行けたらなあと思っているが、薄くなるなら消えたほうがましだろうとおもうような林与の考え。

2000年以降のアイリッシュリネン問題にもとりくみ、それはまさにアサリ偽装やカシミヤ偽装問題そのもので、1990年代には北アイルランドではアイリッシュリネン紡績も終焉しもう失われた語り部プロジェクト。それでも日本ではどこから出て来たかもわからないけど、2000年代以降も北アイルランドでのアイリッシュリネンが謳われ、それは日本の麻業界の闇歴史で、そういうアイリッシュリネン糸を流しておられた会社の糸を販売されている方がそれは本当ですかと驚かれてるような話で、消費者の人からすると謎が解けたと思う人は多いし、林与も2000年以降にアイリッシュリネン糸も手に入れることも難しい状況で、日本の大手の業者さんが素人な人を騙して中国紡績の糸がアイリッシュリネン糸をつかていると流れていただけのこと。

その中国の紡績工場の方も林与のアイリッシュリネンの展示をみて、アイリッシュリネンなんてないよといわれるけども、これは本物で40年以上前の北アイルランドで紡績された糸というのを聞かれて、たぶん、中国の会社にしても自分が紡績した糸が日本でアイリッシュリネンとして出回っているなんても思ってもいないだろうけど。そういうのが大手のビジネスモデルだったりで、品質も悪くないんだから北アイルランドで紡績しているとか嘘は必要ないんじゃないので、林与は普通に中国紡績糸という正しいことが消費者に伝わるように、中国で糸を紡績している人の覚悟やプライドも林与と同じじゃないと思っている。イタリアの糸もチュニジア紡績という最適な説明をするのも林与で、それは関西の麻業界の基本だったというのが、林与の本物志向のスタイル。

百貨店で販売されて国産と言われているものも????、どこの産地ですかと他の人がたずねてくれると、代替が国産と仕入れた商社から聞いていますというよう話だったとか。縦横を先染めとかでリネンを織るというのも、経糸に糊付けが出来ないと行けなかったりで、できるところも限られてはいる。スイビ巻きという技法もあるけども、それなりに麻の場合には考慮も必要なところ。林与が従来の糊付け技術で超細番手を織ろうとするのかというのも昔からつづく安全な技術をステップアップできたらと思う拘りで、それを織の苦労ででどこまで成り立たせられるか。
2023年10月14日
昨日は、夕方6時30分から集落のボーリング、だれもが10年ぶりくらいのボーリングだったそう。結局、綺麗に各区8人づつくらい参加者があったので声かけて調整もあったのだろうか、でも、気軽に参加ができるイベントなので頼みやすいとは思える。運動会からこういう軽いイベントに変わることで高齢の方でも参加がしやすいと思える。2区も80近い方も参加くださっていたし昔のボーリングブームを若いころに経験されているので上手だった。

ボーリングは15年ぶりくらいだったけども、結構流行っているようで、スタートの7時までも子供たちのグループがレーンを埋めていたし、スタートして貸し切っていたレーン以外の部分も他のグループがプレイされていて、貸し切ってた15レーンが終わった後も次のグループがイベントをされていたので、今はボーリングもかなりブームなのかなあ。来年は借りることができない可能性もあると言われていたりする。

若いころの思い出で思い出すのが、昔は、夏祭りも大学入った年とその次の年の二学年が担当をして準備していたが、1年目の祭りで一年上だった高校を卒業して農業やってたやんちゃだった人が、大学に行ってた私なんかよりも人をまとめるのが上手で大人社会のハーモニーを重視して、仲間外れや仲間割れになるようなことは一切くちにもせずに、毎回出て来てくれなくてもたまに1回でも出て来てくれた人に、ようきくれたありがとうとあいさつして迎え、誰でもが違和感なく一緒にものごとをできるように配慮されていたこと。あと他の人ができないことを裏で一人で動かれて解決されていた、次の年に祭りが引き継げるように私に託しておられたのだろう、すべての準備の細部を細かく私に説明して、その方が親が車を買ってくれないから自分で15万でセリカを買った話や、ガソリンが買えないので家の他の車から頂戴してとかのやんちゃなところの話とか気取らない大人の雰囲気があって現実社会に生きておられるのを感じた。学生のような後輩気分で命令して年下の者を使い走りさせず、大人が大人に頼むように礼儀をもって私にも物事を頼まれていたのが印象的であった。その2年くらい後に、夜中に居眠り運転のトラックに追突されて交通事故で亡くなられた。

2年目の夏祭りでなぜか、林与の先代の親たちが盛り上がりすぎて自分たちが主役であるかのような仕切りを見せたのが、林与の先代の一番あほな昔から村社会のボンで育った人。前年の祭りで親が口出しすることなどなかったのに、林与の先代のようなものがいると他の親も仕切られて裏での親たちの懇親が大事な行事になってしまう。あのへんな村社会的な雰囲気は林与先代の独特で、結局そいうのが自由にものを言えない、物事も出来ない社会を作り上げてしまう。夏祭りと親は関係がない行事で、ただ夏祭りのやぐらを建てるのに重機が必要だったりするのを手伝うだけのこと、でもそういう夏祭りを始めたのが先代の世代で彼らたちは好きにやってきたのに、いつまでも自分たちが主役気分が抜けなくて、ものごとのわきまえもなく若い者をお前らは駄目だみたいに仕切って来る。廃れるのも必然。

お調子者でボンだった先代が、作れば売れる時代に、ある業者の若い人におまえは1日10万稼げとか偉そうに言って、1日仕事に来れば10万小遣い上げる気分。それをその業者さんはヨシオ君先代は凄いんだよ僕に1日10万稼げっていったんだよと。先代というのは調子のよいときに浮かれすぎて豪語して説教までしているから引き下がれない状態で、先代自体が落ち目になってもまだその偉そうな感覚は抜けられないから典型的なよい時代の昭和の繊維業界の世界から抜けられなかったタイプで、50代でも現場作業の簡単な一つが何十年もやってないからまともにできなし、それ以前にやろうとしないのが先代、これやってくれあれやってくれと全部やってたから、私が一人でも織物工場みたいな状態で、先代の酒飲みの迎えに行って迎えにいくと遅いと説教したりするほどの末期は手が付けられないほどのどうしようもない人間になってしまっていて、最初からタクシーで帰って来ればよいのに、自分が他の人に声を掛けて息子に迎えに来させるとか、酒飲んでもまだ別の繊維業界の有力な人に私を関係させようとしていたりで、村社会的な有力者感覚の愚かさを林与の家の中で感じている。その方にも亡くなる前のある場所の正月の挨拶まわりで一緒になったときに、お前は若いころから酒ばっかり飲んで手どうしようもない一番駄目な奴やったと説教されたが、もっと若い時に説教をしてあげといてほしかったと思う。先代はずっとその方に認められていると勘違いして生きて来てたのにそれは厳しかっただろう。

先代も自分で作り上げた村社会の中で心地よく偉そうに生きて本人自体が普通もできないようでは問題は広がるばかりで、亡くなる2週間前には気が付いて仕事の話などは一切しなくなって、偉そうなことも一切いわなくなったが、ほんとせっかく普通の人間関係があっても、それを自分が中心の親分子分をつくりあげようとするから、そんな気持ち悪い人間関係で先代と結ばれている相手とは、そんなつもりで仕事も人間関係もする気もない。

仕事始めた初めのころに、働くのを面倒がりながら自分たちの面倒見てくれな困るという50代の従業員たちとかもその感覚すらもが昭和の時代の末期の繊維業界を感じさせる。致し方のないところもあるのだろうとおもうのは、糸の在庫をおじさんとおばさんに計ってもらったときにも、木管1本が50gで箱は1kgで、総重量から、木管の重さと箱の重さを引いた、正味の糸の重量を帳面に描いてほしいと頼んで、木管が例えば10本なら計った重さから1.5kg引いてその正味の糸の重量を帳面にかいてほしいと3回ほど繰り返し説明しわかったことは・・・ でも、後で監査の時に計ると箱ごとはかりに乗せた総重量しか書いていない。若いから軽く考えられているというよりも、その計算ができないという現実がひと世代前の田舎の人たちで、その計算を一度も正しくできずに何十年も仕事をしてきただけだから面倒をみる人がいないと困るという村社会の現実で、人間関係だけに頼っての世界。昭和の時代でも、その程度の計算が出来ないとやはり仕事は難しいとは思う。伝統工芸士だった勘一爺さんでも糸をグラム単位に換算してアバウトには整経の糸割が成り立っていたが、正確にカウントで必要メーターを割るのを当たり前に最初の日からやりはじめたのが林与で、そういうの出来る人が現場で生まれないのも日本の繊維業界の難しさ。ドビーのパンチカードをつくるのも私の仕事だったし、ちょっと高度なことが他の人では難しい、田舎だと先代レベルの計算機で計算できるというのがすごいということになる。

打ち込みのギアの比率表がなくてもギア比の組み合わせで打ち込みを割り出すとか、糸の番手から糸量の計算をするとか、そういうのが当たり前に最初の日からできるかやろうとする人でないとなかなか一つの仕事すらも受けてこなすことは難しいだろうと思う。林与も中学生レベル位の数学は当たり前にできるのでそのあたりの計算ができるのが繊維の仕事に携わっている人の中では特殊に思われる一人だと思う。半日でもかけて教えようとしてもそれを実践で使える人というのは稀で、林与が仕事をできるのは基礎能力があるからで、また実際の仕事も目の前の仕事を計算しながら無数にこなしてきているから。昔米原のロビー展示で、林与の布の世界を見られて、ある年配の方があなたのような方がなぜこのような繊維の仕事をされているのか不思議だといわれるが、その方というのはトヨタの海外の工場長などやってられたような方らしい。私がどの仕事も同じような要素あると思う、コンピュータのプログラミングにしてもデバックは、生地のキズを直すのと同じような要素だし。織物のジャガード織機とかも、機械式計算機やコンピュータの原型になっていたりする。自動車産業や機械産業の前身も織機メーカーだったり。商いの部分にしても、糸を買うのも商社から買うことも出来るし、海外の紡績メーカーから直接買うような貿易商的なことも可能、また海外に生地を売るも可能だし、やろうと思えば、織物工場だけども、自分の生地を売るために商社的な仕事も自分の中では可能で、やるかやらないかだけのこと。

強みはやはり麻織物の本場で今も自分で織り続けていることでそれはほんと一番の強みで自分で麻織物を織り続けることが産地の本場産の麻織物を形成している部分は大きく、産地の麻織物の特色的な先染め、細番手などは林与が一番得意とするところで、こだわりの部分として出来る限り残して行きたいとは自分がそういうものを作ることで残せて行けたらなあと思う。なかなかブランドさんでもバリバリの細番手先染めは一般に流れる麻生地の何倍も高価なゆえに手が出しにくいということはあるだろうから、普通の採算を成り立たせるための仕事というよりも、高級ブランドさんに謳いが必要な時や余裕のあるときの贅沢で良いじゃないかと思う。日本のライセンス系の高級ブランドも総崩れ状態というのが実情でより量産型のところが受け皿になって名前が残る形が多く、高い素材というのは扱うのが難しい市況でさらには糸値の高騰もあって、作っている林与自身、本場のガチなものづくりを守るというのは余裕や余力がないと無理に思えたりする。コストが非常に掛かってしまう展示会受注形式のサンプルから必要なオリジナル生地などのものづくりというのが難しくなっているのも事実でそういうのには在庫の範囲で対応させて頂いていることも多くなってきて、あるいは、林与のベストを尽くした一発での量産のでたところでサンプル分と量産分をその範囲で100m、200mとかのスタイル。量産が100mで終るとかの場合、その前にサンプルがあると林与が成り立たないだけでなく染色工場さんや加工工場さんも成り立つことも難しく、川下にジャストインタイムを求められると、川上はジャストインタイムすればするほど成り立たなくなるような状況。

特別な生地を作れないこともないけども、相談を持ち掛けられるお客さんというのがそのリスクを覚悟してくださっていたらのことで、試作がうまくいかないときにもお金が払えるのかとか。P下をそのまま使うなんてだれが考えても無理ですよと忠告するのに問屋さんやっておられる方が大丈夫だからP下10mつくってと、それで林与が加工工場の社長と話すると当たり前にP下のまま使うなんて無理ですよ素人すぎるんちゃう林与さんみたいに言われるが、自分で加工指図もしながらP下の意味が分かっていない問屋さんに駄目なの見せてわかってもらわないといといけないから、林与がお金払うのでお願いしますと無駄を承知で頼み込んで、急いでP下を10m上げて、30cmだけ送ってとかもうほんと仕事の感覚が軽すぎて駄目、そのP下見て、駄目で使えないから残りを急いで再加工してとか。ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃ。あとP下物性の悪さの危なさとかも分かってないやろうし、問屋さんというのは自分でお金使って解決した経験が無さ過ぎるから困る話で、そういう方というのもわかっていて取引の前に問屋さんというのは厄介なことが多いのでの話をしたときに、林与さんは問屋を軽く考えてますねみたいなことをいわれるけどもその通りの問屋さんで、自分が10mの生地すらも出荷もさせず、荷受けもできないならやめておいた方がよいと思う。指図通り作らせて30cmだけ送って駄目出しして残りを買わないという問屋は多すぎるから、そういう自分が買わない問屋商売の方とは取引はしないようにしている。

繊維業界の闇という問題では、平成の時代にビッグモーター的な繊維業界で飛ぶ鳥を落とす勢いの独り勝ち、繊維商社ビジネスの裏側というのが、利益の3分の1は会社、3分の1は株主、3分の1は営業マンという大手の生地商社、年収1億円営業マンを目指せとか。なにが起こってたかというと、営業マンが何千メートルの契約させて値段を下げさせて作らせて、機屋から買わない問題。機屋の何百万の資金が寝る話。契約違反で買取らずに売れただけ仕入れる話に変更するとか。そうやって機屋の資金を枯らせながら牛耳るやり口。何百万の仕事のつもりでその業界では急成長の超優良企業とされているその会社と取引すると、つくっても出荷させないので何百万もの資金が寝てしまって、売れたとしても値段も落とされている生地なので利益もほとんどない。契約と違うというと契約書を目の前で書き換えてこれで文句ないでしょうとか、もあったらしく、日本の繊維業界で一番、利益率も高くホワイトな経営に見えているところの裏側がそんな状態だったそうで。下請け保護の法律ができる切っ掛けにもなったそう。おそろしやおそろしやの日本の優良ホワイト企業。林与は取引関係一切なかったので良かったが、別の大手の商社とやって何百万かの作らせた生地を買わないはあって上場クラスというのも繊維業界はヤバいところが多い。大手の生地商社と仕事する時には気を付けないといけないという問題で、平成の時代に、日本の繊維業界の表面的な業績が優秀な優良企業というのはそういう裏面を持っていたりするところも多い。

一番の謳いが嘘であるということも多くて、熊本産あさりのような問題も繊維業界ではいつの時代人も常に付きまとう問題。着物の業者の人は、外国で作った着物の工房の銘の入った部分を切り取れば国産とは区別つかないと自慢げにいっておられたけども、それで国産として売って何倍にも化かすような商売が存在していたというのも事実だろう。京都の一番高いくらいの着物の呉服商が麻生地を探すときに産地に来て1000mとか以上でないと手織り出来ないと言われたそうで、呉服商なら老舗でなくても気がつかないと、それが手織りだとしたらそれはまさに海外もの、国内では手織りの麻の織り手すらも当時産地にいるかいないほど、そんなものを京都一の呉服商を名乗るお店が国産の手織りとして大量に売ってしまっていたらやばすぎるだろう。勘違いや間違いは誰にでもあるから正直な訂正は必要だろう。国内の着物の生地商のレベルもその程度だと本物か偽物か分からないものがほとんどで取引されてしまっているのだろうと思う。

インドにいったときも、ある組合の人が手織りのインドの綿のスカーフだと言って見せてもらったが、どうみても手織りには思えない。経糸切れでボロボロのまま織っているから、そのあと会場でインドの織物業者の人と直接英語で話すと正直にドロッパーの無いセミオートのシャトル織機で織っているという話、普通にプロがみればおかしいなあと思うところに気が付いて確認をしないと、貿易組合いの方の話だけを信じてしまって、手織りのスカーフとして日本で安く売ってしまうようなことがあるなら偽装になる。その話をある組合の人に話すと全然気にもしておられないから、同じようにそういうものが日本国内で、インドの手織りスカーフで流通してしまっているケースは多いだろうと思う。日本人は高く売れればそれほど説明がいい加減でも気にしない傾向があって、日本で繊維に深くかかわっている人というのはもう少ないから、特に、売買で関わっている人というのは単にサラリーマンのことも多く、ノルマがあって、仕事として働いているだけだから働く時間も短く知識もアバウトなことが多く、安く買って高く売るのが問屋の商売の技術だと言われていた問屋さんもいて、そういう人は偽物をつかみやすい。取引はないけども方だったが、カシミヤてかいてあるとストールが高く売れるわといって、海外で1000円くらいで買ったものをネットで1万円くらいで売っておられた、それ偽物だよとヤバいよ伝えたが、カシミヤの意味もあまりわかっておられないだろうし悪気もないだろうしそれでも取り扱っておられる業者さんは多く、大手のネットショッピングモールに流れるお手頃なカシミヤの大部分がカシミヤライクである可能性は高い。

地場産業にしても、もう全力を出せるような環境すらがなくなってしまっていて、雇用していても時間に縛られ1週間40時間のプロでは、よほど出来る人でもそう深くまでの理解は無理だろう、ましてやとことんやったことの少ない人が週40時間だと分からないままがずーっと続いてしまう。仕事で失敗すると挽回できるようなチャンスがあるのかというと、その失敗をまず自分が解決することが大事なのだけども、織物の仕事での失敗となると結構大事で、たとえば、シャトル織機でシャトルを挟んで何百本もきれたとなると林与はそれでも普通に直すけども、それが坦々とできて、普通に織れるように戻してやっと仕事ができると思えるくらいでないと難しいだろう。

機を一から作るとかも最初のころから当たり前の作業の一つで、教えられなくてもそのくらいは普通のことに思っている人でないと難しいと思う。昼夜、2重織、刺し子など、当たり前に見るだけで理屈が分かるくらいで、なかなか上手にやってるやんくらいに思えないと自分がそういう技法を生かして行くは無理だろう。技法を知っていても自分が自分の手元にある糸でその技法を活用して織物を作り上げるのは別の話で、実際に織物を作り上げて、完成度が低いなら、さらに上の完成度を目指して作り上げるようなことが大事で完成までもっていって、売れる状態にまでもっていくことが大事。

一宮のある廃業された問屋さんが、おじさんが番頭さんとして仕事の面倒を見ておられた。しっかりとされた方で、ハサミの使い方も一か所ばかりを使っていると切れ味が悪くなるというあたりまでも気にして道具もつかわれていた。そういう方だとそれなりに失敗しても大きな失敗にはつながらないしアホなことも言わないから、その問屋の社長がたとえば、着分と本生産はまったく同じでないといけないとかいうが、具体的に色味が若干ブレているときでも現実な話もできたりで、経験豊富な人らしい解決の仕方をされていた。着分などは3mほどの生地を1kgの糸染めから着分用にやって再現性を持たせる。だが、染色においても欲比の問題もあるし微妙な色ブレの問題も生じるのが普通のことで、さらに加工でサンプルの時にいくつかの配色を3.5mづつつなげて加工すると色落ちの色などは布にほとんどつかない、あるいは色が混じって仕上がるが、反数の多い量産では色落ちした色が再度生地に付着する可能性は否めず、より鮮明に色が出やすい。とか、さまざまの避けられない要因で、色ブレというのはベストを尽くしても出てくる。また、織機の経糸のテンションの違いでも出てくるし、ビームの積極送りの大きさがビームが大きな時と小さな時では異なって来て、途中で送りのテンションを加減したりもするのだけども、そういうのも微妙な色味の違いに影響してくるし、反物も反末を本生産のサンプルとすることが多く、反末というのは加工でも一番揉まれすぎたりで一番色味も安定していない部分。まず色味がズバリになるほうが奇跡に近いのだけども、林与はそれなりに許容範囲に持って行いくをやってはいたけども、そういう努力を理解していない人というのはズバリじゃないのがおかしいとかで、それなら最初に量産を入れてそこから着分を取る方法しかないのだけども、海外はその方法。売れ残ったら他に転売。海外の場合プリント物なども何千メートルと最初に量産してそれを売る形だからオリジナルの物を色を変えて作ろうとしてもそれは一切受け付けてくれない。もちろん版権の問題もあるだろうけども、最初から色を変える想定なんてなく数千メートルの効率の良い生産。日本のブランドさんというのは細かい注文で贅沢をいうというのが特徴で、量産が50m100mしか見込めないのにそれに対して着分サンプルが欲しいとかいわれても、多分足りるだろう100mくらいを着分時に林与がリスク仕手作ってしまうしかない話で、高級ブランドの高級な生地というのは高いがゆえに生産量も想定が少ないので、生地の面倒まで林与がみてブランドのオリジナルなものづくりを助けていたことも多い。ブランドさんで知らない方が林与に直接取引にこられると、今年はどこの問屋さんんも同じ柄の生地を提案してくると不思議がられているが、問屋さんごとに林与の新しいマス見本のなかから色を振り分けてバッティングしないようにしていたりもする。生地の出所は同じだったりして、日本のハイシニア
高級メンズというのは凄く狭い世界だったりもした。

不思議なもので、高級シルク糸の出所の長谷川さんも、林与というのは麻だったのでご縁が無かったのだけども、シルクのモール糸をアクセントに使うことが始まりでお客さんの立場だったのがハーベスト展では同じ出展者として親しくさせていただいて、今は廃業されてしまったが工業的な草木染では有名だった村田染工さんも草木染の件で相談にいったことがあり、のちにハーベスト展で出展され親しくさせていただいたりと、全国のそれぞれの分野でも有名な会社さんとも商売でのつながりはそれほど大きくないものの仲間意識でいろんなことを教えていただけたりとか。普段は田舎の工場にこもっている林与ではあるけども、展示会などでいろんな産地の皆さんと親しくさせていただいて、いろんな知識をまさにその方がその技術のトップみたいな方から雑談の中で教えてもらうことも多く、麻織物だけでなく、他の素材に関しても技法などに関しても、自分がネットなどで調べてもいまいち分かりにくいことなどがあったときには、そういう機会に雑談的にお尋ねして教えてもらうことも多い。

展示会場にいると麻のことを知りたい方や使いたい方が来られるけども、まず相手がどんなことをされていてどのようなことに麻布を使われたいのかというのを知るために相手の仕事の内容をおたずねして分からないことなど異業種のことであっても理解をしようとするので私自身の全然知らなかった業界のことでもいろいろと説明して教えていただけることが多い。麻のことはそれなりに十分に知識もあるので他の分野のことをいろいろと学ぶのも麻織物を応用しようとするときには参考になるし、私が自分が麻織物を使って製品までやろうとしていたことをその分野の方がやりたいと相談されるケースも多かったりで、応用の場のチャンスなのかなあと思うことも多く、同じような相談をいろんな方から受けることも多かったりもする。そうするとある程度その分野に関する知識も高まっているので、自分自身で試作やテストもしやすく、商品としての問題点なども自分で克服してお客さんに提案出来たりもする。

物性検査などに関しても収縮率や、引き裂き強度などは実用面で自分でテストしたりとかが、普段からしているので、アパレルさんなどにも検査数値ばかりでなく、実際にミシンで布を合わせて縫ってみて試して見られたらどのくらい大丈夫なのか分かりますよと説明をすることも多い。湿摩擦堅牢度などにしても検査数値以上に実際はどうなのかが大事で、自分で試してみることも大事。藍染やインディゴ染めのストールなんかもよいかんじだけども、念のために白いシャツやTシャツで汗をかくと色移りする可能性はあるというお話はさせていただいて提案する。反応染料のものを選ぶのか、こだわった藍染やインディゴ染めのものを選ぶのかの選択はお客様次第だと思っている。白いシャツやTシャツに藍染やインディゴ染めのストールってかっこいいとは思う。藍染やインディゴ染めのブルーの持つ化学染料にはない雰囲気が好きだったりもする。
2023年10月13日
パレスチナ情勢が緊迫しているがそういう人がお互いに殺し合い死ぬか生きるかみたいな状況ではもうサステイナブルとかエコとかエシカルとかは意味のない話。どちらが正しいとしても戦うだけで人が殺されてしまう結果になる。過去を忘れて、ノーサイドみたいにその後は関わり合わないというようなルールで、お互いが隣同士でも一切関与せず新しい復興に向けて動き出すとかしないと無理だろうが、そういう戦い合うのが当り前みたいな状況においては、片方の側の中でもそういうのを受け入れられる人と受け入れられない人との差というものは大きく、片方の側の中でもパワーゲームが繰り広げられていて味方として戦わなければお前は敵だみたいな風潮もあるだろう。

よく企業が莫大な利益を上げたりするけどもそれが本当に良い結果なのかというところもあって、その裏側をみることも必要で、その利益が多くの人の損で成り立っていたとしたら、そして力をもった企業が利益が上がる構造を固定するために法律を牛耳りだしたら、もう、貧富の差は広がり、結論として多くの人たちが食べていけなくなる。資本奴隷のような状況に陥り、国も成り立たなくなり、結局、生きているだけで税金が課せられるような、払えないものは犯罪者でということで利益を上げられないものは国から見れば犯罪者ということになってしまう。だから、経済成長とかそういうのを目指すのは良くなくて、国が浪費すればするほど税金を取らなければならず。立場の弱い者たちは常に不利なルールの下、抜け出すことは難しい状況が続く。

立場の強いものに有利なルールで、立場の弱いものに不利なルールというのも、よくありがちなルールで経済というのは平等なルールでは回ってはいない。例えば新電電という電力の再販システムがあるが、これらの業者が非常に胡散臭く、kwあたり1円程度の値引きをしながら、燃料調整費用で4円とか5円とかとってたりで、その部分が電力会社よりも高かったりして、逆転現象が起こったりもする。

新電電の電力会社の本社も、電気業金に関して説明ができるものは2人しかいないとおいう。えっ、契約者はその契約内容を理解しないといけないのに、新電電の会社の社員でも2人しか料金の詳しい説明が無理とか、それどうやって契約するの? 営業の人たちは電気料金が安くなるからといって契約させているのに、具体的な数字を聞いてもサービスを提供する側が自分の約定も理解せず、利用者である顧客がその約定をすべて理解して契約しないといけないというのもおかしな話だけど、実質新電電問題などは、燃料調整費のせいで電気料金が2倍に跳ね上がったとかいうようなところもあるようで、騙すのが目的だったのではないのかと思うような、社員ですらも約定すらも理解していない状態でのからくりのある約定で消費者に不利なものを押し付けて自分たちが間に入って中抜きするだけのビジネスというのが当初からありがちなスタイル。法改正もそのためにされたのではないかと思うようなところがあり、電力会社が面倒な個々の契約から解放されしかも燃料費の高騰を新電電に背負わせることが可能だったりで、結局それは消費者が損をする話。国がそのように法律を改正して誘導したようなもので騙された人も多い。

大手の保険契約というのも、生命保険にしろ最初の契約だとすごく有利なのに途中で新しいプランに変わったからそちらの方が有利だと解約させられて新しいプランに移行すると損をするというのがほとんどで、セールスマンすらも理解ができないほどの複雑な約定契約で、最初の契約よりもどんどんと不利な生命保険契約に変更させられて、日本の年金と同じような問題が民間の生命保険にもある。そういうのを国が許して誘導しているから駄目なんだけど。破綻した生命保険会社ほど儲けて逃げているという実体があって、何千億もの保険会社破綻に備えて積み立てられたお金が一つの保険会社の破綻でなくなるとかもあって、生命保険屋や損害保険というものは、保険会社の破綻こそが儲けのビジネスモデルというからくりがある。保険会社にしても天下った人も多いし、そういう人たちが甘い汁を吸いながら責任を取るつもりもなく運営されている。破綻した保険会社が集まったみたいなのが今問題を起こした損保ジャパンで、保険業界の会長の会社が再度えぐい損害保険ビジネスつづけてやって成長とか。

でも国からすればそういうところが優良企業で資金を積めて利益も上げて急成長で、成功モデルというのが日本の今のホワイト企業モデル。裏側はBMと同じく消費者騙しの手口が横行でそれで利益が上がっているだけのホワイトな優良企業。そういうところが、結局地道な昔からのものを儲からない駄目なことやっているように見せてしまい淘汰してしまって、まともなことをやっているところほど、よくて普通の利益程度しか取らないし親身に顧客を騙しもしないし押し売りもしない。
2023年10月13日
京都で学生時代に体育の授業で一人親しく友達になろうとしてくれた人がいて、今度遊びに行くということで来てもらったら、もう一人訳の分からない先輩みたいな人もいて、これから先生がこの近くにいるから会いに行きましょうという。私が、偉い先生かもしれないけども人を騙してそういうことやってたら、自分ら一番アカンやんと、私が説教するとその二人は何も言えない。

私の言っていることよりも先生の指示のほうが大事のように見えて、私を引っ張り出してそこへ連れて行かないとその人たちの使命が果たせないというような状況。マルチビジネスとか英会話勧誘とか似非宗教に耐性のない人だと、押しに負けてついていってしまってるだろう。騙されたことに対する怒りというのは大きすぎてその二人のやってることは許せない。

怖いのは、18くらいの優しそうに見える人がなぜか人を平気で騙してそいうことを企てる一味になってしまっていることで、家系がそういう家系で生まれながらにそれが普通になってしまっているのだろうか。嘘で騙すのがへっちゃらな宗教というのも、嘘をつくのがうまい奴ほど出世して幹部で、人を騙して階級社会に取り込んで食い物にするプロフェッショナル。政治も宗教も似たようなところがあって儲けるからくりが悪徳な青竹売りよりも一桁二桁さらにエグイ。力のない不幸な人ほどそういうのにすがるものでそれを食い物にして成り立つ組織というのもないほうが良いと思う。

不幸な子供をもった親が息子を救おうとそういう宗教に掛かると、息子の不幸は親が財産を大事にしているからとかでなぜか寄付させて、その家族をもっと不幸にする。それが実話の物語で、障碍者のお兄さんをもった弟が自殺して自分の保険金で兄が幸せに生きて行ければと願うほどに、日本の社会も世界で一番に悪徳が広がりすぎた政治的にも宗教的にも社会的に末路な状況。
2023年10月13日
手織り体験で、初めての子供たちが1本織る度に上手になる。最初に織りたいと興味を示したときにやってみることが大事で、その1回目が失敗に終わらないように誘導することは大事だと思っている。あと手織り体験のような経験は手織りを体験するというだけでなく、初めてのことでもやってみるという体験の場でもあるから、そういう初めてのことでもチャレンジするような経験を積んで、次の他のことのチャレンジにもつながる可能性がある。

織物の仕事をしていて、仕事の説明というのは最初の1分とか2分程度で長くても5分以内のことがほとんど、やってられるのを実際に見て真似てするしかないし、その時に次からは自分ができるようになっておくのが非常に大事で、やった仕事はすべて吸収してというのが基本、次からは自分でやるのだからまれに失敗なんかもあってすごく時間かけて復旧することもあるけども、そういうのが当り前だと、調子よい時だけでなく問題の起こったときに立て直す力も備わる。

アンダーモーションとかも全部バラバラにして、ジャガードの装置なども全部バラバラにして掃除をしたり悪いところを直したりも、根気よくやれば出来ないこともないし、若いころに最初から本番で自分でやって1日とかで完全にマスター出来たりもする。次にやるときには慣れて素早くする方法も見についているからスピードも速く、アンダーモーション何台分も1日に分解掃除が出来たりする。もうそれでアンダーモーションメンテのプロになれる。

林与は考え方が特殊で、工場で働いていたおじさんが織機のトラブルを直すために狭い織機の下に体をくねらせて潜ってアンダーモーションが外れたのを直すのを見て引くのではなく、昔から知っているおじさんでもやってるんだから織機の問題があったら自分が一番最初に直そうとしようと決めて、織機トラブルの時には率先して織機の下にも潜るようにしていた。

そういうのはどこで身についたのかというと、アメリカにいた時に自動車を自分でいろいろとメンテしていたことが練習にはなっていたと思う。自動車の構造も織機の構造もタイヤがついているかいないかの違いで機械的な動きは似ているところがある。また、20代のころに自作PCブームというのがあったので、PCをばらしては組み立て、今もレッツノートを何台も持っているが、部品が壊れれば、液晶でもキーボードでも自分で交換してみようとなる。それで普通に直るから、ノートパソコンなんかは修理に出すとハードディスクも初期化されてしまうというのが普通だったので、データを失わないためには自分で修理し、復旧するしかなかったというのがきっかけではあるが、最初の1回目を乗り切れば次のときにはやればできるの分かっているので。新しいノートパソコンよりもそういう古い分解でき修理が自分でできるノートパソコンのほうが良いと思っている。

10万円以上もするものを失敗したら終わりという覚悟で、いろいろと情報を調べるだけ調べてから、慎重には作業を進める。ほとんどの場合にはうまく行くが、10回に1回くらいは初めてやったときには失敗することもある。そういう失敗には授業料を払ったと思えば、他の10回に9回の成功で授業料も帰って来る。仕事も同じ考え方で、10回に1回くらいの失敗は他の9回の成功で取り戻せると思っているが、それ以外に、問題のあるときには自分の時間をフルに使って解決できるまでとことんやってみるというのが、自分が頭で考えた解決方法をすべて試してみるのにつながっていて、経験が長くなれば問題のほとんどと物事の限界みたいなことも普通以上に深いレベルで見えてきたりする。

手織り織機のラチェットギアを真鍮で自作した経験にしても、長年、手織り織機の構造は簡単だけども、ラチェットギアだけは自分では無理だろうとおもってたのを克服できた。一生のうちにそれができたことは部品や材料のほか、切断工具など10万円以上は使っているけども、会社の整経機を使って手織りの織機用の自作ビームに巻き取り、さおり式や東京手織織機に関してはビーム交換式が実現したことは、こんなことができたらよいのにと思うのを自分自身で解決ができて手織り織機の価値が増す。グリモクラのビームも交換は難しいのだが、同様に新たなビームを取り付けられるやり方を使えば機草を使わずに50mでも100mでも交換式で整経が取り付けられるだろう。

自分で手織り織機をつくることだけでなく、そのための金属加工までを考えるようになって、シャトル織機の部品なども最悪は自作する目途もたっては来たというのがもう一つの利点で、林与は今54歳だけども若いころにもっとこういうことを出来る環境があれば面白かっただろうなあと思う。先代は織る以外は外の専門の人に頼んでやってもらうのが主体で、私はまったく反対の考えだから今もやっていけているんだろうと思うが、この考え方というのは近江上布絣の数々の技法を生み出したヨジヨモン爺さんと与一爺さんの精神。モノが手に入りにくい時代に、近江上布絣柄というものを数千も生み出した。それは単なる技法と品質にはとどまらず、デザイン性においてもヨーロッパの高級ブランドに通じるようなモダンで絵画を身にまとうようなオシャレ。

笑える話だけども、20代の若いころに20枚ほどの近江上布のハギレがたまたま、家のどこかに置いてあって、私がそれをみて、すごすぎるこんな印象派の絵画のような布をどこの誰が作ったんだろう、日本の生地ってすごい世界があるんだなあと思ったのだが、あとで知ったがそれが門外不出的なものが家のなかで20枚ほど箱から出されて出てしまってた。その20枚にしても今の時代にはありえない世界だが、先代は、できないものは見せるなのタイプだったので私も封印しておいた。

それをプリントとしてデザイン面で再現しようとしたのが、林与の近江上布柄プリントプロジェクト、それはイタリアや中国の展示会で注目されるけども、布の世界の目の肥えている世界の高級ブランドの方々というのはオリジナルのアーカイブの絣のものほうが欲しいと言われるケースが多く、それを広幅で再現しようとしたのが広幅絣プロジェクト。近江上布の技法をさらに発展させ、一人ですべての工程を行い、アパレル用の広幅で再現するというプロジェクト。技法は確立できたものの、林与は常に目の前の現場の仕事に追われているので、世界最高峰的なものづくりとういうのは時間のできたときに趣味的に行えればと思う。

シャトル織機で一本一本何千本もミスなく柄を合わせながら織るのは肩が抜けるほど疲れるから、やっぱり広幅絣も手織りにしようかと思ってて、手織り体験にもつながったし広幅の手織り織機を自分でつくるところとかまで広がってしまっている。すべてが連動して相乗効果的なものを生んで、それは何十もの普通を超えたマジックの組み合わせ。布そのものがマジックのように人を惹き付ければよいと思うし、やぼな種明かしは必要ないだろうと思う。林与の思う力のある布とか力を感じる布の世界。布をみたときにそれを作った人の強さみたいなものが伝わってくるとか、人生観の儚さや無常さみたいなものが伝わって来るとか、そういうのに人々が共感するみたいなのが布が人々に語り掛ける世界なのだろうと思う。
«前のページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | ... 182 次のページ»