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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年05月27日
8月5日、6日に米原で滋賀県主催のイベントがあり、林与がロビー展示に出展しますので、学生のボランティアを若干名募集いたします。時間は米原集合ですと両日12時から5時くらいまでです。麻織物に興味のあられる方で、繊維業界のプロモーション側に回りたい方おられましたら、林与のホームページのお問い合わせから問い合わせください。(募集締め切り7月20日、結果連絡7月27日、要履歴書) キッチンクロスの配布などのお手伝いを頂きます。あと手織りの無料体験も行いますので、来場者の一般の方や来場くださったお子様方に簡単にできる手織り方法を教える手織りなどを担当したい方がおられましたらご応募ください。(手織りの経験は不問)ご自身で両日、会場の滋賀県文化産業会館までお越しいただけることが必須条件になります。昨年は林与の展示、盛況でした。 業務的にはそれほど難しくないですが、来場者の方とコミュニケーションをとるという積極性が大事なシチュエーションですので、積極的に来場者の方に声を掛けられるような方だと適していると思います、一部販売もいたしますが基本販売目的ではありませんので、地域のイベントを盛り上げる主旨に賛同いただける方だとありがたいです。
2023年05月24日
和紙で作られた糸というのがある。林与もというより、私は昔からそういうのにも興味があったので、細い糸を作る技術が出来た当初にテスト的に試してみたことがあって、糸が手に入ってから織ることは数日で出来た。

でも、その糸を販売している人にしても大事なことは教えてくれないもので、その織りあがった織物を私がテストすると致命的な欠点が見えてしまって、加工にも出さずに断念した経緯がある。帯など特殊な用途には向くだろうけども、一般的な衣料には向かないというあたりがある。

糸を代理店的に販売している人たちもそういう点に関してはまったく知らないで販売をされていることも多く、プロの世界というのは用途は様々なので、話題性だけに飛びついて商品化したりすると一般の消費者が購入して使われたときには大きな問題となることも多い。

林与のストール生地などで洋服を作られたいというデザイナーさんも今まで何十人もお会いしたけども、実際に洋服にしてみると分かることも多い。ストール生地はストール用に作っているというのが林与の考え方で、洋服に使うと失敗することも多い。

また、本麻手もみの100番手などもパンツなどに使うには番手的に強度が足りないと考えていたりするので、60番手くらいの生地が良いだろうと考えている。そういうアドバイスはデザイナーさんがつくるものを想定されて話をされると、ボトムでもスカートならOKでも、しゃがんだ時にお尻に負荷の掛かりやすいパンツは辞めておいた方がよいという話なども多い。

止めてもやってみるとやられる分には、私自身反対もしないし自己責任でやられるというならそれはご自身がテストなども含めて活用方法を考えるという上では良いことだろうと思う。

私も、分解されて自然に返る糸というのを手に入れた。それを織物にしたいなあと思いつつも、100%では織ることが難しいといっておられ、ポリエステルとかと撚糸すればつかえるとの話だけどもそれだと洋服を土に埋めた時にポリエステルが残ってしまうので、100%で織りたいのである。だから、手に入れてそれを100%で織ってみたいと思っている。

麻を織る技術が他の新素材を織る技術に生きることも多かったりする。今のものづくりの現場に足りないのはものづくりへの探求心みたいなところで、大企業にありがちな事務的でビジネスライクな感覚では距離は広がってゆくばかりで、現場志向で物事を考えてゆくとものづくりが広がることが多かったりする。ものづくりへの理解というのは大事で、仕事やってマイナスというのが当たり前というのを理解しないと新しい物事というのは成り立ちえない。それでいて新しい物事を次々にやろうとすると、問題はだれが解決するのかという根本的なモノづくりの問題につながってしまう。

企画というのはトータルな循環が成り立ちえないと難しく、ミクロ的な考えに陥ると一つのボトルネックがすべてを成り立たせなくする要素になる。ボトルネックとなる要素を解決する力が企画にないと駄目だろうとは思うし、誰がやっても無理なものは無理だろう。出来る人がやってできるが限界というのを知らないと、机上の理想を言ってても現実が分かっていないと現実のリスクを吸収できないとものごとは成り立ってゆかない。

今もキッチンクロスの新案件で、企画される方との話し合い。素材の性質から取り扱いや企画の話までデザインだけでなく、製造工程にともなうリスクの説明とか、オリジナルをつくるという意味のリスクの高さなどの理解がないと、普通を超えたオリジナルのものというのは提案も難しかったりするところ。仕事としてやっていても、ビジネスライクになると成り立ちえないことのほうが多かったりもする。

私自身はビジネスライクな方とはご縁を断ることも多かったりで、普通とは違うとよく言われ、ものづくりの本質を守りたいなあと思う気持ちは多かったりする。ものづくりしているといいながら、なぜ、ビジネスライクなことばかりが優先されるのかというようなミスマッチ。

日本のものづくりを守るためには自分が限界まで働いてみる必要があって、自分の限界がものづくりの本当の限界で、それ以上のものを余力をある人たちが仕事で求めても無理だというのも普通の話。理想を求める人ほど、自分の理想を他の人に強いて求めてしまうというのが、仕事やものづくりの世界でもありがちで、普通だとそういう話はご法度だけども、私自身はそういうのをものづくりしている方々やモノづくりを謳う方々と共有したいと考えていたりする。それがモノづくりの価値観を生む本質的なところ。

繊維関係でも大企業ほど意識もせずに優良を謳いながら一番の搾取的になりがちなのが、日本の繊維業界にありがちでそれが世界的な問題にもなっているのが日本の繊維業界の問題あたり。エコノミックアニマル的な感覚でモノづくりのこだわりを謳ってしまうと素人未満や途上国の現場の覚悟未満で意識もなく搾取が当り前のビジネス感覚でエシカルを謳ってしまう日本の儲け優先のいわゆるホワイトな優良企業に陥る話。

林与自身は自己犠牲の極限でモノづくりの究極を目指しているケースの一つだとは思う。日本の麻業界の一角を覚悟もしているから一人でもそれなりに支える覚悟もあるし、日本の麻業界の誰とでも普通に話もする話だし、ものづくりの感覚がサラリーマンライクに薄くなっては、日本の麻業界の根本すらもが難しい話だったり。

近代麻布研究家の方にも、日本の麻業界を背負う覚悟決めましょうよというのが私で、スポンサーがいないとやめるよと言われるので、日本の麻業界に自分の人生を捨てる覚悟もないならやめておいた方がよいよと普通に助言するのが私だったりもする。それが日本を騒がせるような麻の企画だったりもする裏側でそれじゃダメなんじゃないのかと、覚悟を決めないと難しいんじゃないのというのが林与。毒がありすぎて、誰もが仕事すらも逃げる話、それが林与の日本の麻織物の一角を実際にこなすことで背負っている林与の家の歴史だったりもする。ものづくりというのは自分自身の覚悟がすべて。
2023年05月18日
林与のリネンでウェディングドレスを作ってくださる案件は過去にも何度もいただき、人生の特別なイベントに林与の生地をご指名いただくことはありがたいことである。友人の娘さんが結婚式を挙げられるのでその引き出物にアイリッシュリネンハンカチをお使いいただくことになり、中には林与の可愛い感じの小さなパンタグラフタイプの会社案内をいれさせていただいた。

特別な思い入れのあるアイリッシュリネンハンカチなので、特別なシチュエーションにはよいんではないだろうかと、2000年以降に、アイリッシュリネンを探していて、それがどこにもないということも分かって探していて、それでも会社の倉庫から出てきた。

出てきた糸が、最初はリネンとは思えなかったのはその細さ、糸質も柔らかく光沢感がありベージュがかっている綿か綿麻の糸ではないだろうかという想像、でも、箱は未開封で北アイルランドから輸入された旨が掛かれていて、ラベルにはうっすらと140LEA。先代が生きていた時に昔140番手の糸を買った話を事務所でしていたけども、使っていなかった、そのままのこっていた。

しかし、140番手の糸というのは普通は織ることができない。たまたま、シャトル織機を林与に入れ戻したので、シャトル織機で140番手に挑戦してみた。まあ、普通に織るだけでなく、先染めでも挑戦してみた。現行の150番手の織物も織ったりもしてみた。それが39歳くらいのとき。あれから15年。15年仕事で動き回っているので、まだちょっと前のことのような感覚。深く広く出来る限り。

この糸は、北アイルランドにあったハードマンズサイオンミルの象徴的な糸の一つで最細番手だったようで、白く見えるけどもビンテージっぽい色合いの生成糸、時代を超えたような深みを感じることが出来る。林与の歴史も背負っていて、当時の世界最高の糸を手に入れようと糸商さんに頼んで手に入れたアイリッシュリネン糸のひとつ。
2023年05月13日
今は現場が忙しいので動けないのだけども、今、林与がやりたいことがあって、在庫のいろんな生地をハンカチにしたいなあと、5mmくらいの三巻だとできないこともないのだけども、せっかくなので、2.4mmとか3mmくらいの三巻にしたいなあと思いつつ、ハンカチを縫製するのはすごく難しいので練習しないといけない話。

種を撒くときにはサンプルが必要でそういうのを業者さんに頼んでも負担が掛かりすぎるだけでまた本生産も少量だとまた負担が掛かる。量産は業者さんに任せるとしても、サンプルや小ロット生産は社内でできるほうがよいといつも思っている。糸を選んだりとか試行錯誤もいろいろできるから。そういう試行錯誤を業者さんに頼むのはなかなか難しいのが現実で、サンプルを一つ作りあげて同じ感じで作ってもらえますかというのが一番自分のイメージが伝わりやすい。

ミシンはまだ織機にくらべるとかわいく見えて調整個所も少ないし、でも、やっぱりコツと慣れが必要だろうなあと思う。あともう一つ考えているのがバッグを作ろうかと、エコバックはいろいろと作ったことがあるけども、もっと革のバッグのようなしっかりしたものをリネンで作りたいなあと。それもまた今のいろいろなことが済んでから。試行錯誤して自分で作ってみるのは一番自分の理想に近いものを作れるし、こだわれる。前につくったエコバックも林与のタグをつけたら案外かわいかった。
2023年05月11日
林与ではシャトル織機で麻を織るなどしていてそれ自体が普通と比べるとかなり高度な次元に思え、ふつうの人が現場の作業になじむことすらが難しく、それを毎回毎回乗り越えて織物が織られてゆく。

コロナで織物工場も半減したのではないだろうかと思う。アパレルがコロナ以前に消費税値上げで不況感があり、その後コロナで壊滅状態に陥り、問屋さんの倒産や廃業などもあおりをうけた機屋の資金回収悪化の問題につながった。しかも縦の系列的な要素の強い地場産業系は、問屋さんなどが廃業してしまうと長年の売り先からしてなくなってしまい、将来の受注の見込みすらも立たなくなる。

今年は繊維業界を原料高が襲っていて2年前と比べると2倍に高騰、この何十年かではリネンの25番手などの太番手の糸ではこの過去最高価格を記録中、10年前と比べると3倍くらいだろうか。糸商さんにしても、リネン糸ヘンプ糸は高すぎてリスクが高く、今は仕入れることが難しいというような状況になりつつある。資材系などは、作りたくても価格が見合わないから作れない大きなダメージを受けておられるだろう。
2023年05月10日
林与の工場の中には切れないハサミばかりが転がっていて、他の人に作業を手伝ってもらうと糸を切ることから苦戦されることが多い。私がその糸を切れないハサミで普通に糸を切るので驚かれることがあるけども、私はどんな悪いハサミでも力加減で使いこなせ糸を切ることができる。それほどに糸を切るにしてもコツがある。

糸を通すにしてもコツがあるし、糸をさばくにしてもコツがあるし、筬を通すにしてもコツがあるし、糸を結ぶにしてもコツがあるし、糸を繋ぐにしてもコツがあるし、コツの塊みたいなものだから仕事が苦も無くできるんだろうと思う。

変にコツばかりで出来上がってしまっているので、普通の人とは作業しても合わないことが多かったりする、作業のペースや動くスピードなんかも普通の職人さんの3倍くらいはあるだろうし、働いている時間も無制限に近いし。仕事の範囲も5人分くらいあるだろうし。普通はあきらめることでも諦めないでやってしまうことも多い。

ハサミを使いこなすコツみたいなものが結局全部に共通するような要素何だろうと思え、それで時代遅れの織物工場も成り立っているんだろうと思う。そういうコツを抜きにしてしまうと、今時の工場になるのだろうけども、そうなると織物の仕事自体が難しいと気が付く話になる。

昨日、織機の立ち上げで私が繋いだ後のぐちゃぐちゃの糸をさばいてドロッパーと飾りを通してそれを弟が前で取ってくれる作業。私が弟にそうじゃなくてこうやってというのも、弟はその意味が理解できなくてなんで弟のやっている方法が駄目なのかというのを聞いてくる。その理由というのは私が作業がしやすいかどうかというあたりで、作業しているときに他の糸や飾りなどが揺れ動いたりしないことが大事で、そうでないと私が問題の糸を見つけられないから。いうことを聞いて作業してくれると仕事が何倍も速くスムーズに進められる。弟は理解してくれるのだけども、普通の人というのはそれを理解できずに自分の中で自分のやり方がなぜ間違っているといわれるのだという戦いを始めてしまう。なんで自分はこのほうがやりやすいと思うのに自分のやり方が駄目だといわれるのかというところでパニックになって、従うか従わないか、作業するかやめるかにつながるような問題に発展してしまう。引き下がらないタイプで作業そのものを投げ出す人というのは厄介そのもの。経験者とやっていてもよくありがちな問題で、経験者の陥りがちな問題というのはそのあたりで、応用性や柔軟性が大事だったりするのだけども、固定概念や一つのやり方にとらわれすぎて、できることが限られてしまい、それがモノづくりを難しくしてしまったりする。高いレベルで早く上手に成り立つようにやっていくためには、全体を分かって従える人が大事だったりして、自分の主張を消して他の人のいうことに従える人というのは能力が高い人なんだろうと思う。日本が昔はみんなが集まって高度なものづくりができたのもその辺りだったんじゃないだろうか、それが海外から見ると脅威だったというのもあるだろう。

野球とかでも自分がアウトになるのに犠牲フライとかバントとか。犠牲になって本人はアウトになってもチームが勝つみたいなのを理解しないと、チームとしての勝利は難しい。個人記録のほうが大事なひとよりも犠牲になってもチームを勝たせることを大事に思える人が大事で、他の人のために働ける人というのは一枚も二枚も上だと思う。

才能や才覚で食べていけるような人もいないこともないだろうけども、それは本当の実力主義の世界で将棋の世界や個人スポーツの世界に通じる所で、能力の高い人はそういう生き方もあるだろうけど、それは、何千分の1、何万分の1だから価値があるということ。

コツの話に戻ると、地道に作業を極めることでコツを身につけて、いろんなコツを身につけて他ができない織物ができるとか、ものごとを極めるということはそういうことではないだろうか。コツというのは適応能力とか応用とかの要素で、普段から負荷の高いレベルをこなしていれば応用というのは利きやすい易いと思うけども、技術だけじゃなく市場性のあることに適応してゆかないといけないので、考え方に柔軟性と守備範囲の広さが大事だろうと思う。
2023年05月08日
日本の国というのは2000年ほど前のことがあまりよくわからない国だったりする。日本という国はヤマトコクと古代いわれたけども、山の都から来ていると思われる。今は平野が広がっているけども、2000年前というのは平野がほとんどなくて山か海かというような状況が普通だった。平野といってもそこに定住できるのかというとひとたび川が氾濫すれば押し流されてしまうような山の国だったのである。

山の国の都という意味がヤマトコクなんだろうと想像する。それはヤマタイ(ト)コクと同じ意味で、倭国、和国、尊称としての大和国に通じる。古代の奈良が大和国としての位置づけだけども、西日本を中心に大和国は広がっていたということであろう。

大国荘というのが滋賀県の湖東地域の古代の呼び名だったりもする。それも大国というのも大和国に通じていたと思われ、なぜか、条里制が敷かれていたのが今は田舎でしかない近江の湖東地域。都の条里制とは異なり、田を管理するのための条里制だったのだろうか。

古代の近江国の国としての位置づけが案外上位だったりするのが不思議ではあるが、大津京にしても天智天皇による飛鳥からの遷都で、近江の国も都となるような素養があったのだろう、そのために敷かれた条里制だった可能性は高いとは思うが、それ以外にも、神仏信仰が非常に深い地域が近江湖東地域だともいわれ、大津のほうでは、近江神宮があったり、比叡山延暦寺があったりと、日本の古の文化においては近江というのは短かったかもしれないが最先端だったときがあったのかもと思われる。

伊勢神宮なども小学生の修学旅行で有名だし、伊勢講も残っていたりはするが、江戸時代から講師と呼ばれる宿の業者さんたちが、全国を回って伊勢神宮にお参りするのをPRして回ったことが、いわゆるお伊勢さん参りという風習につながっている。滋賀県にも多賀大社があるけども、お多賀さん参りはあまり聞かないのは、PR活動が少なかったからだろうなあ。お多賀さんはひっそりと佇んでいる感じ。神社や神宮は有名なところでも無料が普通で、お寺は拝観料を取るところが多いなあと思う。赤福餅が全国的に有名で、糸切餅がそれほど有名でないのも、寺社そのものの知名度の他にも、加速させる人という要素があるんだろうなあと思う。
2023年05月07日
弟が手伝っていてくれるけども、何時間も掛けて織ったものがキズが多くて結局没になると、それってすごいマイナスだということも分かってくれていて、自分の能力的なものをすごく感じててはくれてそのあたりが、外の世界でいろいろとものごとを経験している弟だなあと思う。

毎回毎回横糸切れなど苦戦していることを、私が簡単にやってしまうのをみて職人だというけど、普段からいかに早く無駄なく正しく処理するかみたいなのを心掛けていて、そのおかげで余力もできて他のより複雑なことをこなしていけているような感じ。

今までも、現場の人たちが解決できない問題をいきなり問題と直面して限られた時間の中で解決するのが私の仕事だったこともあり、常に問題の解決とぶつかっているような感じで、織れないときや問題にぶつかったときには賽の河原の石積みのような作業を繰り返しながら最善の方法を考える。

私のいうとおりに動いてくれる人だと問題にしてもあまり起こらないし、起こったとしても原因の推測が簡単だったりする。いろんなやり方があっても意味が分からなくても私のやり方をやってもらわないと困るのはそのあたりで、我流でやっちゃう人というのは多いけどもそれで結果がうまくいけばよいけども遅いままだったり正しくなかったりで、少し面倒でも真似してやってるうちにその意味も見えてくるかもしれないとは期待する。

どこの現場もなかなか難しいんだろうなあと思うのは、織れない正しく織機を織れるようにすることで、3つ4つの要素をうまくバランスとらないといけないのだけども、一つ二つのところに固執してしまうと、そこから先に行くことは難しい。仕事も同じだろうと思うところがあったりして、普通の考えで難しいで終わるのか、乗り越えてその先に行くのかの選択はあるだろうなあと思う。一つの基準は基準なのだけどもそれで割り切ってしまうとできることは本当に限られてきてしまう。
2023年05月06日
今日朝に織れない問題をお客さんに報告すると、すごいなあと思ったのが、私が織機の説明をしてなにが問題なのかを話するとその意味をよく理解してくださってることで、そういうのが分かるというのがすごいなあと思う。同じような機場でのトラブルの経験をいろいろとお持ちなんだろうと思う。

過去にも実績のある生地で、それが織れないという問題。普通だと1日15mくらいは織れるだろう織物が1mも織れないが続くのだけども、その状況を話して理解をしてもらえたのがありがたい。

染糸と生成りの糸に若干のテンション差がみられるが、それほど大きなものではないように思える。柄が端のほうが生成りなので緩みやすい傾向にはある。テンションを上げると余計に織幅が狭くなるので、端のほうは通し幅よりも織幅が狭いことで糸が緩みその緩んだ糸をシャトルが内側に持って行こうとするので、さらに織幅は狭くなる。

解決方法に関して、耳を補強する案、耳を補強すると吊りが生じるのでその現象が起こるのとそれを解決することも知っておられてそれだと、耳を補強するということも一つの方法として可能。再度、テンションの調整も掛けてみようとは思うが、解決するのだろうか。

こういう時におり進んではキズをつくるだけのことなので、確実に織れるようになってから織ったほうがよいというのも、一致した意見でありがたい。
2023年05月05日
食事と寝ている時間以外は仕事をしていることが多いけども、立ち仕事をずーっとしていると足が疲れる。特に寝ないで仕事していると足首のあたりから疲れる。機械の修理や調整、糸を繋いだり、織機が直らないときや織機の立ち上げの時というのは相当の集中力を使うので、疲れた状態だと成果が上がらないことが多い。

成果を上げるのが仕事なのだけども、この3日働いても振出しに戻るばかりで1mもきれいに織れないものを調整し続けている。織機の左端の糸がももけて切れやすく、すべて調整で考えられることはやってみたけども、それでも織れない。原糸が弱く、糸の糊付けが甘いのか。若干左側に筬が通されているので、その筬の中央に糸を通し直す、6時間とか8時間のロスだけども、1mもきれいに織れないときには、整経した縦糸を救うためにはいろいろとやってみないと。

整経は正しくできているから問題があるとしたら糸の問題の可能性は高く、普通よりも弱いということだろうか。今の糸値は値上がりしているものの、糸の原料は品薄といわれていて、リネン100番も、60番も40番も、以前と比べると本当に織りにくくなっている。

なんとか織機がまともに動くようになってほしいと願いながら調整を続ける。すったもんだするというのは大事なことで、それをやっていると最後答えにたどり着けていることがほとんど。今回も、乗り越えたい。

2023年05月04日
弟も50過ぎてると思って、50過ぎやろと聞いたら51やっていってた、私はもうすぐ54になるんだろうなあ。

仕事しているといろいろとうまく行かなく大変なことも多いけども、働けるうちに働けるだけ働いておこうと思うし、動けるうちに動いて出来るうちに出来るだけやっておこうと思う。手間とか面倒とかあまり考えずに、自分が時間使えば出来そうなことはいろいろとやってみておこうと思う。

外の普通の感覚に合わせるとできなくなることも多いし、自分の考え方持って、他の人がやらないこと出来ないことをなるべくやっておこうと思う。出来る限りのことをやっても難しいことも多いだろうし、それでもなるべく全力でやってみておこうと思う。

弟も実質1週間ちょっとの初めての織物の現場作業だけども、シャトル織機を3台は動かしていてくれるようになった。やっぱ、出来るように理解しようと覚えてやってくれて偉いもんだなあと思う。
2023年05月02日
弟に手伝ってもらっているけども、弟が織れるようになろうとしてくれているデニムの織機でシャトルが飛ぶトラブル。今までそのトラブルは1度も起こらなかったので、想定外のトラブルで、私自身がその問題の起こった現場に立ち会っていないので原因の推測から。

朝になるまでに、原因が筬が外れて筬は元に戻したのだけども、光感フィーラーの受光部分までシャトルを挟んだときに奥のほうに落ち込んでしまっていてそれが問題だったみたいで、それを前に押し戻したらシャトルの飛ぶ問題はなくなった。

何十年のベテランの人たちでも筬の一つを通すのが難しいのが織物の世界で、織物の世界で60歳70歳の人たちというのはみんな牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けて仕事みたいなイメージがあって、ベテランが若い人たちよりも作業が早く上手にできるのかというと経験して慣れた仕事は進めていけるけども、手間の掛かる細かい作業や慣れていない仕事は若い人たちのほうが上手ということも多い。

朝から、ヘルプスタッフがオーバーロックミシンで巻きロックで、キッチンクロスを作る作業。初めてのオーバーロックミシンだけども、糸通しなども教えて覚えてもらって3時間ほどで何枚かのテストサンプルを作り上げる。私も1週間ほど前に始めてのテストして試作的に巻ロックやってみたけども同じように短時間で普通にその日からものづくり。

色や形だけでなく、ロックミシンの糸のチョイスやオーバーロックの耐性みたいなものが大事だったりもして、ガーゼ素材をかがった場合などには、洗ってパンクしないかなどのテストなども大事なこと。洗った後のサイズなども大事で、そのあたりが私の考えるものづくりの現実的ながら大事なところ、そこを欠いては、色や形は台無しで、逆に言えば、色や形はあとで好きに選んでもらえることであったりもする。

興味深かったのは、ガーゼ素材では巻ロックは荒め、高密度な織物では巻ロックはしっかり目に出来上がること。巻ロックのダイヤルの目の数値だけでなく実際に縫って作業をしてみると見えてくることもある。似たような型番のロックミシンを2台手に入れてみたけども、それぞれの縫いの粗さに違いが見えたりもして、型番によるミシンの縫い目のクオリティの差というものもあるのだなあと思った。数時間でも実際に作業してみると見えてくることは多く、頭の中で考えていても想定にもなかったこと。カーブ縫いなどは縫い目を細かくしてもやはり太めの糸のガーゼ素材では洗うとパンクしやすいというあたりは想定通りの結果。試作してくれたものを洗って使ってもらって変化などもみて、実用的にどれほど耐えうるのかというあたりを検証してもらう。

商品開発というのは机上で行われることが多くなり、実績のある生地でも濃色などは湿摩擦堅牢度が悪いという検査結果が出たりするのだけども、濃くしっかりとした真夏に来ても冷たさや清涼感を感じるスカッと染まった色というのはそれなりに大事だったりするだろうし、染料を変えるとまた別の問題が起こりがちになったり、色を薄くして湿摩擦堅牢度数値を通すのかというあたりとか、それとも素材の見た目の清涼感を大事にしてデメリット表示などで対応するのかとか対応方法にも販路の基準との兼ね合いでいろいろと流せるようにするのか流せないようにするのか。
2023年04月27日
今、5月に近づいて5月というと五月晴れでカラッとしたお天気の季節なのだけども、それが本当に麻を織るのには厄介で、もう7年くらい前になるだろうか、織ろうとしてもキズになって5cmも織進めることが無理だったり。

キズで良いなら織ってしまうも可能なのだけども、どうしても切れた糸がももけてしまって周りの糸にまとわりついてドロッパーが正しく反応しない。あの時は、3台の織機に掛けたのだけども3台とも同じ現象が起こって織機の問題ではないかった。

麻織物を織るときに、気温が低いことが大事で、雪国のような環境が麻織物には適しているのである。気温が下がる夕方から夜中に掛けては織りやすく、朝方から昼にかけては織りにくくなる。気温が下がって麻糸が水分を吸収すると織りやすくなって、気温が上がって麻糸の水分が放出されると織りにくくなるのである。

今は、火災などの心配もあって工場の中で火を使うことはしないけども、昔はストーブを何台も使って工場内を温めていた。上にやかんを乗せて。また、夏場も水冷式のエアコンで工場内を低温に保っていた。働く人も少なくなり、全部の織機以上に電気と水を大量に使うので水冷式のエアコンも今は使わなくなった。そういうのも湿度には影響をしているのだろう、昔のほうが人も多くてしかも麻を織るにもよい条件で織ることが出来たりしたけども、今の時代というのは少人数で昔よりも恵まれない条件で織らないといけないというのが、普通の現場の話である。

林与だけじゃなく、糸を巻いてくれるおじいさんにしても工場の中で灯油ストーブを1台使って、1日仕事していたら灯油代で半分くらいは工賃が消えてしまうだろう。それほどに灯油も何倍にもなってしまって、おじいさんのいうように工賃は25年前のままなのだけども、織物の価格は20年前よりも下がってしまっているので25年前の一番良い時の価格を守るのが精一杯のところだったりする。

工場の中で灯油ストーブを焚いても動ける人だとよいのだけども、動けない人だと灯油ストーブにあたっていたりで、寒さにも立ち向かえる人でないと織物の現場は難しく、子供のころから寒い中でも暑い中でも厳しくスポーツをやってたような人がやはり精神的にも身体的にも耐性があるように思える。世の中が恵まれていくと、日常生活ではそういう耐性みたいなものが必要なくなってきて、結局、織物の現場作業というのは難しくなっていくのだろう。

加工工場さんなんかでも、もうなくなられた社長と話をしてると、今の若いものは1日仕事すると疲れてばててしまうということを言われていた。冬場も水仕事なのでとか。繊維産業の製造現場自体が今のオフィスワークのような現状とは、かけ離れているのは、やはり、繊維産業が国際競争にさらされてしまっていて、放置されて消えゆくような位置づけに国としてはあるのだろう。

繊維産業って日本の問題を凝縮したようなところがあるから、たとえば半導体不足なんかも日本の自動車産業が海外でつくられる安価なものをなくしては成り立たないというような現状で、それを税金を投入して国内生産に切り替えようとしているけども、たぶん、半導体不足が解決したときにはまた成り立たなくなって、国内生産は海外生産に切り替わってゆくだろう。

日本の職人さんと呼ばれる人たちでも、つくれば売れたバブル以降はもうなかなか通用しにくい状況になってしまっていて、物事をわかって新しいものごとも吸収して前に進めていけるような人は本当に少なく、することはいろいろあっても人がいてもできないというようなことが多くなりすぎた。海外は仕事を得ようと旺盛的にいるのに、国内は仕事が嫌だみたいな風潮が蔓延していて、国内では仕事ができないことが多くなって難しくなっていくばかり。新しい物事をどんどん吸収してレベルの高い物をつぎつぎと生み出していくような力がなければ、過去よりもどんどんと落ちて行ってしまうだけ。

織機の調整なんかも織れるところまでもっていくのが難しかったりするのだけども、織れる織機を渡しても織るのが嫌だとかいう話だと、一番簡単な仕事のところでもう無理なあたりだったり、それは今に始まった問題じゃなくて昔から年配者も同じ話で、織機をうまく調整したり問題を解決したり自分で仕事を進めていけるような一人前の人というのは何十年やっていようが現場では本当に少ない。
2023年04月21日
昨日は、朝からドビーに詳しい人に来てもらって織機1台のドビーを分解して朝から修理。ドビーの中の部品が壊れてしまっていて使えないソウコウ枠があるので、後ろのほうの使っていないソウコウ枠のパーツを外して前のほうと交換する作業。交換部品が手に入らないので、このような方法でしか解決方法がないそうだ。

久しぶりの大修理になった、次に壊れた時にはドビーの載せ替えなどを検討してゆかないといけないだろう。ドビーの載せ替えとなると200kgほどあるものを、上げ下げしないといけないのでそれなりに大事ではある。

いずれかは何台かあるうちの1台を部品取り用にして他の5台とかを長続きさせる方向に持っていく必要があったりするんだろうけども、プラスチック部品の上に金属の小さな板がついていてその片側の下からプラスチックにひびが入っているような現象がみられ、金属やプラスチックが伸びたり縮んだりすることで収縮差からそういう問題を抱えているんだろうなあと思う。ドビーを作った人も想定をしてはいなかった問題だろう、というか1983年製のドビーなので40年動いてきたことになるから、老化として受け止めるしかないだろうけど。自動車で40年は、ほとんど珍しすぎるけど織機で40年というのは林与では工場の中では一番新しいタイプだったりする。

このシャトル織機も国内では最終型に近いくらいのもので、レピア織機ですら国内で製造していた最後のメーカーも作るのをやめたそうで、国内ではより高速で大型のエアジェットとかが作られている。織機メーカーが消えると食物連鎖じゃないけども、機屋が生きて行けなくなるという結果につながっては行くだろう。織機メーカーのある中国では繊維産業は基軸産業である。同じことが半導体でもいわれて、自動車や機械メーカーが半導体不足で苦戦している。材料も同じで、国内で原材料や糸がつくられなくなり、海外に移転してしまうと、結局最後にはその国での最終製品の製造も難しくなっていくという流れにつながる。一番人をたくさん必要とするような産業の部分が残っているということが大事だということなんだろう。パラドックスパラドックス。

林与の中には30台くらいの織機があるけども、どの織機も一つの規格の織物に特化させていることが多く、その形でいつものお客さんの仕事がいつでも受けやすいように、また、機の載せ替えなどをなるべく少なくして、働く人の少ない今の時代に対応をしている。贅沢な織機の使い方ではあるけども、林与のような小さな会社が大きな会社よりもいろんな織物を生み出せるからくりの一つであったりする。
2023年04月19日
繊維業界には伝統産業系の流れを組む古い体質が残ってはいるものの、女性の進出というものは目覚ましく、またエシカルなことなども女性は特に敏感に動かれる方が多いので、繊維業界というのは時代のトレンドに敏感というよりも、トレンドを作っていくような業界であったりする。

ファッションというのは、洋服でも使う言葉だし。文化的なことでも使う言葉だし。あるスタイルが流行ることをファッションと呼ぶのだろう。

林与取引先の担当の方も、7割以上が女性だったりする。10年前までは7割以上の担当が男性だっただろうと思う。海外に行くと女性の社長や窓口の人が多かったりするから、国際化の流れでもあったりするとは思う。

仕事においては仕事ができれば男性であろうが女性であろうが関係はなく、繊維業界も同じことで、ほとんどの業務をどちらが担当してもこなせる能力さえあれば問題ないだろう。でも、百貨店の売り場なんかは女性服コーナーの担当とかはやはり女性店員が適切であることも多かったりして、一部例外はあるだろう。

林与にしても50過ぎたおっさんそのものだし、若い人の活躍を期待はしていて、あまり私が外との関係でもう前に出るべきではなかろうと思うところがある。展示会もなるべく若い人が中心になって全部準備して私は留守番しているくらいが良いのではないかと思っていたり、いろんな企画も若い人が補助金などのことも理解してプレゼン資料つくりや報告などもすべてできるようになってくれればよいだろうと思ったり。

でも、仕事って結果がすごく重要で、構想や途中がよくてがんばったとしても結果が駄目ならマイナスというのが現実。そのマイナスが自覚できる人だけが残れて、プラスの結果を生み出して、プラスの結果を繋いで成り立たせて続いていけるという、もちろんうまく行かないこともあるけども逃げ出すのかとことんまでやってみるのか、とことんまでやってみる経験を積むと、自分で10のやり方をやってみてうまく行く一つの方法が見つかったりすると正しい方法が見えてくるのではないだろうか。単に仕事というだけなら、正しい方法を教えてもらって、なぜその方法が正しいかもわからないまま与えられた時間の間作業して時間が経てば仕事はこなせていると感じてしまうだろう。

また、仕事や作業を誰がするのかという問題が、付きまとう。自分が実際にやって、問題にぶつかれば問題を乗り越えてやっていくのが仕事で、それを他の人に期待しても仕方ないのである。企画をしたいひとが企画がうまくいかない理由の一つが、サンプルをつくったり、量産したり、在庫を抱えお金を寝かせたりの想定がなく、それを誰かに言えば自分の思い通り動いて解決してくれるというのを求めてしまっていたりするから、そういう実際に時間やお金の掛かる部分を自分が解決できるのかどうかが企画のあたりだろう。
2023年04月18日
岡山に行ったときにサービスエリアのコンビニに入るとなぜか食品関係が2割から5割ほど高くなっている感じ。100円くらいで買えたパンが150円くらいになっていたり。食品を中心に原料高からの物価高が勢いを増しているようである。

今も、原材料費の高騰は続いていて、糸の海外からの仕入れをストップしないといけないほどの危険領域。国内の繊維需要はそれほどの回復を見せておらず、2倍とかに高騰する原材料を仕入れてうまく回せていけるのか否かというと難しいという判断が業界の中ではあったりする。

高級ブランドも、輸入物価の高騰で国内生産には向いては来ているだろうけど、国内においても、糸を中心とした原材料費の高騰で半年後の本生産の値段が提示しにくいような状況になってしまっている。流れる量というのは限られているのではないだろうか。

今も直接購入いただく先様とは価格の話なども比較的しやすくて、この半年先や1年先の弊社の生地価格などをお伝えしやすい。基本、サンプル時に量産価格を約束してしまうとその後に糸が値上がった場合など、本生産の発注を受ければ仕事しても利益が出ない可能性も高かったりもする。作りたくても、サンプルに使用した銘柄のリネンの糸の国内在庫がないというケースも十分にありうるだろう。

今から半年以上後のことを考えて糸の準備をしておかないとなかなか半年後の仕事というものが現実的でないとか、糸の銘柄変更で風合いや表情が変わるとか、糸の染まり具合なども変わってくるとか、ある。

低価格のボリュームゾーンを取り扱っておられたところほど大変だろうなあとは思う。価格変動のリスクが高すぎて流れる量も多いので、企画すらも進められないのじゃないだろうか。ここ何十年となかったことだけど、遠い昔のオイルショック前のようなアパレルの売り場に商品を揃えにくいくいような状況が生じてくるかもしれない。

過去三年ほど国内アパレルは超不況状態にあって、体力も温存できていない状況で、問屋業なども廃業されたところも多い。一般的にこの3年間というのは、繊維関連企業の多くが仕事が少なくなって雇用調整補助金などを活用されてきたところが多く、それもなくなってゆく局面で雇用の維持すらもが難しくなられるところも多いのではなかろうか。

3年間ほど半分くらいとか半分以下の仕事で回っていたところの仕事がコロナが明けたからと言って、2倍になって元に戻る可能性があるのかというと、もうそのくらいまでブランドさんなども淘汰やブランドさんの売り場の淘汰が進んで、需要の回復には新しく元気なブランドが出てくるとか、売り場数などが元に戻るまでには、時間が掛かるだろうと思われる。

国内の生活様式も変わって、リモートワークでオフィスに出社する必要もない生活になれてしまって、ビジネスユースの高級アパレルというものはコロナが明けたからと言っても元に戻ることはないだろう。トラベルやイベント向けの回復はあるだろうと思う。
2023年04月18日
弟が手の足りないときに作業を手伝ってくれているが、織物の作業はほとんど未経験者。
糸を結ぶとかが一番の難関の一つのようで、自動車の運転なんかも年配者が免許を取ろうとしても運転するという感覚になれるには時間が掛かるのと同じで、体や手足を動かす作業というのは若いうちに慣れておかないと難しいのだろうとは思う。

コンピュータ関係の仕事に携わっているので、織物の織機の構造なんかはそれほど難しくはないだろうと思っていたけども、糸を筬のどこに通したらよいのかなども周りの糸の状況を見てパターン的に判断するということは難しいようで、迷ってしまうことが多いようで、自分の頭で理解するのにはそれなりに時間が必要みたいである。

コンピュータというのは電気信号の世界で、レピア織機は電気部品が多かったりするのでデジタル的で分かりやすかったりするのだろう。シャトル織機というのは、アナログ的で機械式、機械の構造をたどることで動きを理解出来たりする。それを理解するには機械の動きを見て理解する必要がある。それを見て理解する時間が足りないということだろう。物理系も得意な弟なので、一度構造を理解したときには私よりも理解度は深いだろう。

私の場合にはその場でその時に動きを見て機械の動きを復習して、機械の動きを捉えたりする。マニュアルを作ればよいのだろうけども、実際に説明してもその説明方法が読む人にとって理解しやすくなければマニュアルの意味もない。

レピア織機のマニュアルもあったりはするけども、最初の設定というものがすでにずれてしまっている可能性が高く、伸度の少ない麻糸のテンション管理の問題は非常に複雑で、単にビームの送り出しのテンションを調整しただけでは難しかったりする。テンション管理の機構がうまく働く範囲に開口を調整したり、開口による糸の張りを吸収するためにバックレストを調整したり、また、ビームの残りの量を読んで動くレギュレーターと呼ばれるものの動きをどの程度送り出しに伝えるかなどとか、それぞれの部位の説明は最初の想定が守られているなら、説明書通りの調整で機能するだろうとは思うけども、最初の想定からして、正しい位置にどこもがなければ、一つの場所を動かしてもそれが糸のテンションにまで働きかけることが難しかったりもするし、働きかけたところで無理な働きかけだとまともに織れない。

ボタンの掛け違えを他のところを調整して直そうとするといろんなところの調整が無理無理でなんとか織れるというような状態になってしまって、普通の規格の織物すらも織るのに苦戦するようなことになる。怖いのは材料であるはずの糸もテンションを伝える部品のようなもので、それの伸度や強度が十分でなかったりとか、毛羽が多いと、壊れた部品を織機に付けてしまうようなあたり。

2年前のフラックスの作柄が最悪だったと糸商のある方が言っておられ、糸も高いが問題も多かったりする。コロナで糸をあまり動いていなかったこともあって、大きな糸トラブルはなかったけど。近年の糸が10年前の糸と比べてもかなり強度なども落ちてしまってきている。

50年前の140番手のアイリッシュリネン糸なんかは経年で若干のいとが呆けてくるというかフィブリル化も進んでいるはずだけど、今の100番手の糸よりも強かったりする。10年前の100番手は最終糊を付けずにかなり密度のアパレル向けをレピアで織っていたことも多かった。今では絶対に難しい話。7年まえだったか、60番手クラスが織れない年があったり糸が外れだったのだろう。

今もオーガニックの66番手クラスの糸をレピアで織るのが難しい問題があって、オーガニック特有の問題を抱えているのだろうと思えたりもする。リネンの場合、3年間無農薬の規定とかは連作障害を避けるためには難しいだろうなあと思えたりする。北海道で自前の畑でリネンを育てて糸を紡いで手織りされている方が、毎年織るのが難しくなっていると言っておられ、連作障害の問題が起こってしまっているのではなかろうかと。

オーガニックリネンを育てるために、他のものをオーガニックで育ててとかまでは現実的に、何農家なのの話で、オーガニック農家がオーガニックリネンを育てているような状況を想定しないと難しく…。結局それが、連作を招いて、どんどんとオーガニック系の糸の弱体化をもたらす。オーガニックラミーも当初の糸よりもかなり織りにくくなった、規定を正直に守っておられるからだろうと思う。

糸商さんも言っておられたがリネンやヘンプの100番手とかの糸は日本に持ってきても使える機屋が非常に少ないという問題。麻機屋自体が日本には少なくて、通常は縦に綿糸などで横に麻糸を織ったりするケースがほとんど。林与が昔、超細番手の糸を直接海外から仕入れ始めた理由もそのあたりで、継続性などが不明で織れるか織れないかのリスクも覚悟して自分で抱える必要があったから。紡績工場でもリネンの100番手を超えるクラスは、手織り用とかで、縦に織る想定はあまりなかったりされる糸。


2023年04月18日
先週に一番心配していたことが起こってしまって、この数年リネンデニムに特化させて一番調子が良く動いていた織機が壊れてしまって、今までの小さな一つの部品が壊れたようなトラブルなら1時間、2時間もあれば直せることが多いけども、今回のトラブルは林与自身が今まで見たことない現象で相当時間が掛かりそうなトラブル。消耗品が壊れたとかではなく、鋳物部品が見えないところで折れたとか基幹的な部分が多分壊れた感。織機のシャトルを挟んだ時の限界を超えてしまった感が漂う。

急ぎの仕事の途中で織機を大手術するのは覚悟がいることなので躊躇ったが、お客様にも事情を説明してなんとか今の仕事は対応してもらえることになり、落ち着いて修理モードに入れるようにしてもらえたので、他の急ぎの案件を進めながらなぜ正しく動かなくなったのかの原因をまず考えたい。

今までシャトルを挟んだ経験は何万回とあるだろうけども、でもこの壊れ方は初めての感じ、最後に作ったシャトルがかなり丈夫で挟んでも壊れないほどでそれが結局、織機に勝ってしまって織機のほうが壊れた感じがする。何か、織機の逃げる機構が働いて無理の限界を避けるための機能をリセットすれば良いだけ、それを見逃してしまっているだけ、知らないだけなら救われるのだけど。

大型の鋳物の部品が折れてしまったとかだと交換修理は大掛かりになる。まだ問題個所は不明。
2023年04月17日
中島みゆきさんの糸という歌がある。すごい人気の曲なので、林与がテレビをみない私でも知っていて、逆になぜ、糸という歌がそれほどまでに人気なのかが理解が難しい。みんな糸も使っていないだろうし、織物も織っていないだろうけど。

私が聞いたりすると、普段織物を織っているので曲が伝えたいことは分かる気がする、普段糸や織物を触っていなくても、多くの日本人のDNA的なものか文化的なものがやっぱりあって、通じるものがあるのだろうか。

不思議な出会いのある人生、人を糸に例え、そしてその糸が交わることで織物が織り上がることを人生に例えた。それが人々の心に響く、織物を作っている立場からすれば、糸や織物を人生のように感じることに共感のある人が多いのは、中島みゆきさんの影響力なのだろうけども、うれしかったりする。

歌はポップ、歌はバラード的なのだけども、内容は津軽海峡冬景色と同じ演歌的だなあと思う。あれも着てももらえぬセーターで繊維の手間の世界を頭によぎらせることで人が人を思う温かさみたいなものを。

ぜんぜんつまらないはずの糸をタイトルにしたところがすごくって、そのタイトルの歌がヒットしたのがまたすごい。仕合せという言葉がでてくるけど、それは糸合わせかもしれない。糸が合わさって出来上がることが布であるのと同じく、人が合わさって人生のめぐりあわせという意味なんだろうなあ。なんか、映画、HOW TO MAKE AN AMERICAN QUILTの中の、人生をキルトに例えたフレーズを思い出した。
2023年04月10日
昨日は、神社のお祭りだったけどももう葉桜。法被の下は短パンだったので、晴れてはいたけども寒いくらいの午後だった。50過ぎたおっさんの参加の意味は自分が楽しむためでなく、地道で健全な精神を持っているのに成り立たせるのが難しい物事が人集めに悩まずにうまく物事が進んでいけば良いのになあと思う気持ちで、20年前でも人を集めるのに苦労して一つの行事をするためだけにそういう苦労は必要なかろう。

地元の小さなお祭りでもそれを楽しみにたくさんの子供たちが意味も分からないかもしれないけども、中学生の女の子たちが巫女さんに扮して舞うのをみていたりとそういうのを目標に持てるようなら、どんな世界にでも通じるようなあたりで、私が中学生が一生懸命に今日の一日のためにすべてを覚え、初めてだけども完璧に近くそれは大人のレベルでは絶対に無理な世界。

小中学生や高校生の無欲な覚悟というのは、日本の善意の塊でそれを食いつぶすのが大人社会だったりするのが日本の社会だったりして、大人がもっとしっかりとしないと感じたりもして、小さな問題は小さな問題だけどそれを大げさに言って、大きな問題を見逃して解決していかないといけないのが、だらしのない日本の大人社会の大きな問題だろうなあと思う。

年配者の参加も多かったけど、主役は若い人たちで神輿の周りは若い人だらけ、祭りが滞りなく進んだというのは非常に良いことで、若い人たちが気軽に参加しやすいスタイルに思い切った変更だなあと思った。若い人が増えれば年配者は必要ないからくらいで良いと思う。私は祭りに参加させていただいただけの立場だけど、多くの人の良い思い出になったと思う。



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