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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年04月09日
今日は、地元の神社のお祭り、神輿の担ぎ手が若手では少なくて、一般に拡大して神輿を担ぐことなく引っ張る形ことに、コロナで5年ぶりということ。5年前も若い人たちは相当苦労しながら祭りを継承してきたんだろうなあと思え、今年はおっさん連中が増えたのは増えたけど、比較的若い人たちが神輿を引っ張ってた。参加者の人たちでも若い人たちが積極的に引いてくれるのはよいことで同級生同士で久しぶりの会話したり自分たちの居場所を持ってもらうことが大事だろう。

年配者が仕切ったりせず黙って見守って若い人たちが中心に動いてくれるのを遠巻きに賑わしにいるような感じ。今の時代に必要がなくなったのが、祭りのあとの打ち上げの飲み会とか、コロナでそういうのがなくなったらしく、そういう負担の掛かることはなくしてゆくような方向で、行事そのものの存続を第一に。

若い人たちというのは年配者以上に健全な感覚、神輿渡御の最中にはお茶とソフトドリンクだけで、スポーツのイベントに近い感じで、酒が入るとどうしても仕切り屋みたいのが出てきたりするので、酒のない祭りというのもこれからのスタイルとしては良いだろうし、酒があったとしても楽しむ程度での形がよいのだろう。

集落の中の同じ区の息子さんで若く見える方でも40歳と最後話してたらいっておられた、話しぶりからしても他に人がいない感が漂って来るような感じで、区の運営も将来はもっと大変だろうなあと思われ、存続のためには若い人たちに負担の掛からないレベルの運営が大事だろう。

出来る範囲にデフォルメして簡略化してゆくことが大事で、引き受けられそうにないようなことを引き継がせてゆくようなことも見直しは必要だろう。その辺りは仕事にも共通したところがあり、意味を感じてやって成り立たせてなんぼで意味を感じているものがいなくなれば終わるような形も一つの物事のありかたではなかろうかと思われる。
2023年04月08日
地球温暖化の傾向で昔よりも冬に雪が降らなくなり、近江湖東産地でも麻を織ることが難しくなり始めている。雪に閉ざされて気温が氷点下というのは、非常に麻織物が織りやすい環境。

1日の中でも、夜気温の下がるときというのは麻織物が織りやすい環境で、一方、太陽が上がって朝から昼にかけて気温の上がるときというのは麻織物が織りにくくなる。五月晴れのようなスカッとした日というのは一番麻織物には適していない。

さらに、今はリネンなどの糸質の問題がシビアになって来ていて、これも地球温暖化がフラックスの作柄に影響を与え、なかなか良い原料が取りにくくなってきているということである。

雪の積もる雪国というのは周りを雪に取り囲まれて気温が上がることがなく、気温が下がったままで乾燥することがないから、麻が織りやすいのである。子供のころに覚えている雪に囲まれた無茶苦茶寒い冬というのは、麻織物を織るのには適しているということであろう。

近江湖東産地の麻織物に関しても、琵琶湖周辺というのは葦やよし、蚊帳のような荒い織物がつくられていて、山側で近江上布のような細番手のものが織られていたとされている。林与の地域も山側に相当して、冬は雪にとざされて村から出ることができなくなるような地域だった。

麻織物というのは本来全国のどこでも織られていたような織物で、なぜ近江湖東産地が麻織物の本場として残りえたかというのは、彦根藩が特産品として生産を奨励し、近江商人たちが全国に広めたということがいえるだろう。

昭和の戦後以降も麻織物の本場としての地位を確保できたのは、他の産地が広幅対応が難しかったのに、近江湖東産地は織機を広幅に変え加工工場も広幅に対応し、アパレル化に成功したということが言えると思う。
2023年04月07日
今、取引のあるいくつかの糸商さんと継続使用しているそれぞれの銘柄の糸に関して値段の動向を訪ねたりしているが、為替は落ち着いたもののフラックス原料がかなり高くなっていて、また、ラミーも価格が上昇しきたということ。

繊維の世界のものづくりサイドから考えると、日本はもうモノづくり国家ではなくなって繊維輸入大国。技術基盤も国内はコロナでさらに疲弊して廃業した、染色工場、加工工場、縫製工場、織物工場は多い。

ブックで色展開されるような生地からアパレルさんも生地を選ぶような時代になり、オリジナル生地を作るというような形は少なくなっていくだろう。物価上昇の背景が、コスト増大という問題で、世界的に人件費、物流コスト、原油高騰など、単に需要が増えたからという理由ではなく、需要が減っているところも成り立たないから価格を上昇するという供給側の事象での物価上昇がある。いわゆる、スタグフレーションと呼ばれる状況に近いのかもしれない。

この4月で、コロナ禍での雇用調整給付金が終了となり、日本の多くの企業が需要減を、半分休みながらk雇用保険の特例制度である雇用調整給付金で、給料を支払いながら雇用を維持してきたが、需要の回復していない業種に関しては、日本の企業の場合、これからがコロナ不況の現実と直面する形。

日本で残りえるのが国内での生産に関わる消費税も還付されて実質払う必要のない輸出型の商社や大企業だけが残るような形になるのか、自動車も将来は携帯電話のように家電化されて3年で使い捨てリサイクルするような形やサブスクの形に変わってゆき、実質車検制度からの縛りも解かれることになるだろう。
2023年04月06日
林与という会社は、昭和の時代に、イタリアでレピア織機で麻が織られているという話を聞いて、日本の麻業界の中では一番くらいにレピア織機を導入して麻を織った会社で、林与で麻が織れたことで産地の他の会社もレピア織機を導入が始まり、それまでは生産性の低く、仕上がり巾も90cm程度だったものが、112cm程度になり、生産性が上がったことで生地単価も下がり、洋服にも使えるような生地が作れるようになった。

レピア織機というのは多色化が可能で、6色から8色程度使えるというのが利点で、シャトル織機のようにシャトルの管に糸を巻く必要が無く交換する必要もないので、生産性は高い。レピア織機というものは、初心者でも最初の日から織物が織れるくらいの織機で、車で例えると運転の簡単なAT車みたいなところがある。

手間暇が省かれて誰でも簡単に織物が織れるようになったことで、織物の価値は落ちてしまったことになる。不思議なことだけども、初心者がシャトル織機を動かすことは案外簡単にできても、レピア織機で慣れた人がシャトル織機に移行することは難しかったりするもので、工場の仕事で織物を織っている人が、普通は自分で手織りをしようと思わないのと似ているところがあるのだろう。

経験者の人でも自分が慣れている機械しか使えない人が多いのだけども、未経験者の人は、最初の日からどの機械でも教えれば使って作業できたりすることが多い。でも、一つの経験だけを積んでしまうと、長年の経験者でもそれ以外のことが逆にできなくなるという問題を抱えている。

林与が現場の仕事を初めてしたときに、織機の調子が悪いときに埃や油まみれの織機の下に段ボール敷いて私のおじさんが潜るのをみて、織機が壊れた時には次からは私が一番にもぐろうと思った。そしてそれが今まで続いている。その時も、どこをどう直せばその問題が直せるのかを理解して次からは自分が直せるように問題解決に立ち会った時間を無駄にしない。他の人がやっているのを一度見れば次からはそれも自分の仕事みたいな感覚。新しいことをやっていくためや問題解決のためには、一度もみなくても自分で仕事で新しいものを生み出していかないといけないのだから、やっているところを見せてもらえるのは次から自分が仕事を同じようにできるチャンス。自分で見て真似てそれをやれる人だけがその仕事を普通にやっていけるようになるというだけのこと。
2023年04月04日
昨日、岡山行った帰りにすき家で牛丼を食べて休憩してから高速乗ってサービスエリアで2時間仮眠した時に眠気覚ましにとBLACKBLACKというガムとかの強力バージョンみたいなタブレットがあって、円筒の筒のタイプを買ってみた。

はみがき粉のように、すーすーする感じで、そのすーすーが、のどのイガイガ感と戦うのか、全身でするような強烈な咳を誘発、喉の奥に溜まっていたものが出た感じで、すごく楽になった。こういうの買うのめずらしいんだけども、使用方法はまちがっているけども当たりやったかなあ。



2023年04月03日
織機のドビーが壊れて、その後、応急的に対応をしたものの、浮きが数センチ出てしまっているような状況が見受けられ、その原因が分からずに、ビームも小さくなってきてシャトルを挟むようになってきたので、縦のテンションが強すぎるのかと、若干緩くしたことが目飛びを誘ったみたいで、経糸の何枚目かが緩んでテンプル間際の部分の糸をすくった感じか。

原因が分からずに、納期が迫っているときというのは本当にピンチで、こういうときほどは落ち着いて、問題があるまま織ってもキズのものを織るだけになるので、原因を考えることは本当に大事だったりする。

理論的には正しいことでも、現実的には見えていない問題があって、正しく織れないということがあったりはありうる。織機の縦糸というのは1列に並んでいるけども、右から左まで同じ条件なのかというとそうでもないのである。

普通の織物だと問題にはならないことでも、ギリギリの状態に持って行って織っている織物では、そういうことも浮き織をつくる原因になり、縦のテンションを強くしてあげることでより経糸全体のテンションが均一になるようにしてあげないといけなかったようで、それが数日で分かっただけでも幸い。

でも、ドビーに応急処置をして、駄目になった1枚を使わない形で後ろに送って織る方法というのがこのような別の問題の可能性を持っているということで、落ち着いた時にはドビーの壊れた1枚の根本的な修理を覚悟しないといけない。これはなかなかやっかいな話だそうで、林与自身がやることになるのだけどもダメもとでやってみるしかなさそうである。

プラスチック部品が割れて壊れてしまうのは、AICHIドビーと呼ばれるドビー特有の問題らしく、1980年代初頭の織機だけにもう40年も経てばプラスチックも劣化してくるのだろう。他の台のドビーでも同じようにプラスチック部品が割れて、1枚動かないが増えてきている。

ドビーよりも複雑なジャガードも、同じようにハリが曲がったりすると浮き織が起こったりして、ジャガードの本体上部をほとんどバラバラにして整備し直したこともある。やってやれないことはないのだけども、日本は織機メーカーが何十年も前から消えてしまったような織物業界、そのあたりも日本の織物の生産が難しくなっている原因の一つである。
2023年04月01日
今朝は朝まで仕事をしていて、2時間仮眠をとってから新幹線で東京に出発。米原の駅に着くと困ったことに駐車場の空きがなく、駐車場探しで20分、30分。予定の新幹線が出てゆく、駐車場を見つけてホームまで行くも、携帯がないのに気が付いて、車に携帯を取りに戻って、また、新幹線を乗り過ごす。ひかりからのぞみへの名古屋での乗り換えでも、望みに乗る前に切符を確認すると無いので、もしやとおもってひかりの開いたドアの床ほうをみると切符らしきものが落ちている、見つけて良かった。

東京につくと11時半で予定よりも1時間以上の遅れ、林与がキッチンクロスを織らせてもらっている東屋さんに初めて伺う、社長のお気遣いで食事しながらということになり食事しながら、仕事のことだけでなく雑談的なこともいろいろと、長く続く定番化するようなモノづくりを考えていてくださる。

企画の方もコロナ前には3日間2人で、林与にこられて東屋さんのキッチンクロスを作る工程を経験してくださった。その3日間というのは、一緒に作業をしていただくためにスピードは落としてはいたものの新しい経験づくめで1日中立って動きっぱなしの仕事で相当ハードだっただろうと思う。経糸の整経を建てるところから始まって、経糸を巻いて整経を巻き取って、巻き取ったビームを織機にセットして経糸を繋いで、織って、織ったものを耳糸を切って生地を縫って修正したり。そうやってキッチンクロスは出来上がってゆく。ご自身たちが織られた織出しの調整の部分のキッチンクロス生地を、林与が縫製して洗いを掛けて、お土産に持って帰っていただいた。

午後からは、ミナペルホネンさんのAWの展示会。展示会場で気が付いたのは、お子さんが多いこと、100人くらいの会場の中で、10人以上はおられるんじゃないだろうか。アパレル展では珍しいけど、来場者の方もお子様連れで商品を眺めておられたり、林与の担当者の方の子供さんも開場で元気に動いておられたり、家族というテーマや次の世代みたいなテーマとも積極的に取り組んでおられるブランドさんで、会社の経営の中にも実践的に取り入れられている。

ミナペルホネンさんというとプリントや刺しゅうなど独特のデザインが特徴だけども、林与の若い女性スタッフがNINOW展で以前お世話になったり、昨年は林与もシャトル織のリネンの先染めのキッチンクロスを織らせてもらっていたりと、日本の織物文化が続くことや意気込みをもった取り組みに温かい思いをもっていてくださっている。担当の方も、風合いや厚みなどでもアイテム展開が広いのでいろいろな使い方が考えられるとおっしゃってられたので、デザインを乗せるベースとなるカウンターはいろいろ見てもらえるだろうと思う。
2023年03月29日
リネンデニムを織っている織機のドビーが壊れて大変なピンチ。リネンデニムが綺麗に織れる織機だったので、その1台をリネンデニム専用機にしたのだが、その機械のドビーがこわえて目飛びがランダムに起こる。まさにパパからもらったクラリネット。パッケラパド、パッケラパド、パオパオパッパッパ。

ドビーを分解して、割れたプラスチック部品を交換する時間が無いので、取り合えず動かなくなった10番目のソウコウ枠を使わない形で、後ろに一枚づつずらして、ドビーカードを作り直して、理論的にはこれで同じものが織れるはず。でも、おっても、なぜか目飛びがランダムに起こって、傷の反物しか織れない。納品も迫って織り続けないといけないのに、原因不明の問題発生。

織物の仕事をしていて、織れないときに原因が分からなかったり、いくら調整しても織れないとかの問題に遭遇すると、それはほんと困った問題。織れると約束して受けた仕事がニッチもサッチも行かなくなり、お客さんにその状況を告げても大抵の場合には、いつにまでにできますかということを聞かれるも、原因が分からなければ直すことも出来ない。

ここ睡眠も仮眠程度しか取っていないけども織機も調子がよかったので織り続ければなんとか間に合うと思っている仕事が暗礁に乗り上げる。この3年ほど調子よくリネンデニムを織ってきた織機で、原因も分からないのに調整をしたくはないのである。こういう時に、自分自身が原因を探す作業をできることは本当に幸せだとは思う。自分が動けばまだなんとか全力で解決に向かえるから。

目飛びがなぜ起こっているのかの理由を3つ推測した。1番目の理由は壊れたドビーのプラスチック部品が干渉して目飛びを起こす。2番目、ドビーカードを新しく作りなおしたのでドビーカードの問題。3番目、ソウコウを後ろにずらしたので、糸が緩んですくって織れる。そして原因を探るために綜絖の動きを検証して規則正しく上がらない綜絖があるのかどうか。綜絖が想定外の動きをしたことによい目飛びが起こっていることが分かり、その原因がドビーカードにあるのではないかと考え、ドビーカードの動きを調べた。すると1枚目穴の中央にハリが落ちていないことが分かり、ドビーカードのシリンダーを微調整して、問題はなくなり、綺麗に織れるようになった。ロスタイム2日程度、まだ傷は浅い、調子のよい織機に調整を掛けずに済んだことが幸い。
2023年03月26日
今日は弟が東京から帰って来てくれた、あまりに忙しいので昼間は在宅ワークしてもらって夜に織物の手伝ってもらう予定。織物の仕事は慣れていないだろうと思うけども、私も最初の時からほとんど教えてもらうということが必要なかったので、弟も同じようにできるんじゃないだろうか、ビーム運んだりとか整経立てたりとか、あともろもろ。

4月9日に久しぶりに神社の神輿を引く役が当たったようで、新調された法被を渡された。人が少ないので手伝うことは問題ないことだが、私が若いころでもすでに古いことをやっているなあというイメージと若いものが溶け込めるような世界でもないので、形式的にでも続けていくということだけに集中して昔のように盛り上げようとか考えないほうが良いだろうと思う。つづけていくためにはもりあがりよりも健全な形の祭りにもていくことが大事だろう。子供神輿があるんだから、子供たちはそれを楽しめればよいだろう。

昔、私が若いときにも担がずに台車に乗せて引くということだったんだけども、やっぱり、煽ったりする人がいて、結局、台車ごと神輿を担げということになり、神輿も担ぐ人が足りないのに、その足りない人数で神輿+台車を担ぐというのやったけども、無理難題に近く、おなじようなことは絶対にやめておいた方がいいと記憶がよみがえった。
2023年03月23日
コロナを風邪扱いとする流れになると空港での検査などもなくなる形になり、飛行機の便なども増便されることになり物流なども元に戻るだろう。海運にしても、船便の値段が高騰しさらに遅延するなどが生じていたけどもそういうのが完全にコロナ以前に戻る可能性は高い。日本という国は、中国との結びつきが強く、原材料や製品を上海港から船便で行うというのが一般的で、上海での2か月にも及ぶロックダウンは、上海の都市機能や人々の生活を止まらせ、日本にまったくものが届かないような状況を招いた。

日本が輸入するヨーロッパからの商品なども中国で作られているものも多いし、材料などは中国だから高騰したということもあるだろう。中国という国も、1度はコロナから回復をして国内市場から活況感を増していたのに上海のロックダウンで市民の経済活動などがほぼ停止してしまったところがある、生活も自宅から外にでることができないような厳しい対応。

日本ではあのような対応は難しいだろうけども、そこまでやらないと自主規制的なものではコロナを封じることは難しいという事情があるだろう。世界的にコロナが風邪扱いとなることで、コロナでの死者数は実質あってもないことになるだろう。コロナが広がることで大衆免疫ができてワクチンは必要なくなるという可能性もあるだろう。

しかし、たった一人の香港からの旅行者がダイヤモンドプリンセス号に乗船したことで一つの国が怖れるような状況に陥るというのは、今後もコロナの変異で同じようなことが起こる可能性もあるだろう。でも、もう緊急事態体制は取られることもなく、弱者は病院でコロナを患って亡くなっていくというのが普通で、コロナは普通に医療の現場で蔓延することになるだろ。また、今後はコロナを治療しようとするとそれなりの費用が掛かるために、放置されることも多くなるだろう。

もう、コロナを封鎖できるような状況でもなく、ワクチンも変異には追いつかないような状況で、健康な若い人でもワクチンもコロナと同じ高熱をもたらす等副作用的なものも大きい。基本、ノーガードな姿勢でのコロナ対応が進むことになるだろうけども、基礎疾患をお持ちの方は重症化しないように自己での対策を継続するのがよいのだろう。それ以外に対策はなかろう。このゴールデンウィークあたりから加速してコロナは広がるだろう。
2023年03月20日
林与に仕事を下さるお客様で、林与の語る現実的な部分に本物を感じてくださることが多い、繊維業界というのは一番の謳いが偽装でなりたっているような熊本のアサリに近いような状況。それは日本の繊維業界の大手でも同じレベル。真実を語ると高く売れないから高く売れるような謳いを語ってほかではありえないものに化かす。

たとえば、自社プロジェクトの5000エーカーのオーガニックコットン農園の話も問題が発覚すれば、単にリソーサーから仕入れてただけということを社長がバラしちゃったり。あれれ、ハンドピックされたコットンという謳いも、リソーサーから仕入れて検査機関によるオーガニック認証ではハンドピックとされたかどうかなんてことは検査項目にないはず。すべてオーガニックコットンを謳った5000エーカーの農園開発プロジェクトですら、Мはやりますみたいな働く人のための農園開発ですらあの10年以上PRしてたことはなんだったのという話で、そういうプロジェクト自体の記録すらもがウェブからも一切消えてしまうような話。日本の大手が生み出した偽装だったということだろう。

アイリッシュリネンも同じくで、林与ですら1990年代はもうアイリッシュリネン糸の入手が難しくなり始めていて、北アイルランドでも1990年には昔アイリッシュリネン産業に携わっていた人たちの語り部プロジェクトが始まっている。2000年ともなるともう糸を探しても見つからないような状況、でも、日本国内では、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネンが普通に出回っていた。でもそれは調べたら中国紡績の糸だったりして、北アイルランドで紡績されたものでもない。すべてアイリッシュリネンというイギリスのそれほど高くないブランドの方も2000年過ぎに林与にこられてアイリッシュリネンありますかといわれて、アイリッシュリネンは流通もしておらずもう手に入らないから、ありませんと答えている。そのブランドの方もアイリッシュリネンがもう手に入らないことを知らないという現実。林与の付き合いのある昔からの麻関係の糸商社の人たちは正直で、もう探してもないというのが共通の認識だった2000年。ネットなんかでもアイリッシュリネン糸を探しに北アイルランドに向かわれた人が手に入らなかったという話で、すべて整合していたのだけど、日本では大手メーカーが生み出すアイリッシュリネン幻想が独り歩きして、消費者はそれを信じていた。一部の機屋もそれを信じていて、それを一番の売りにしていただろう。ブランドなども一番にそれがアイリッシュリネンであることを謳いにしてそれを信じていた。

糸商の人でも昔からやってない人たちは消費者レベルの知識で商売をされていることが多く、また、知っていても売るのに食べていくのに苦しんで一度手を染めてしまうと引き下がれなくなっての世界もあったりで、アイリッシュリネンと謳うことで簡単に売れることに味をしめてしまう業者さんも多い。南アフリカで紡績されたものが、イギリス経由で、イギリスでの出荷証明を使ってアイリッシュリネンの証明に使われたとかいう話も聞いたりで、高級ブランドもなにをやっているんだという話も聞いた。

ベルギーリネン糸も太番手はベルギーで作っていて、そこはもともと中国エジプトにフラックス工場を持ってやってきた会社、そこに日本の商社が入ってベルギーリネンをPRすると、ベルギーのリネンに化ける。太めの味のある系の紬糸などはベルギーで今も作っておられるが、高品位な糸は中国糸で、それがベルギーに輸入されて、ベルギーから日本に販売される。そうするとベルギーリネンの糸という日本で神話が生まれる。ベルギーで生地は織られていてリベコが有名。

オーガニックコットンに関しても、もうインドでは、遺伝子組み換えの種しか入手が難しくなっている。でも、オーガニックコットンでは遺伝子組み換え種子を使っていないということが謳いであったりするので、認証機関自体が正しい情報に努めないといけないのだけども、成り立ちにくくなって指摘があると、繊維レベルで判別する方法はないから大丈夫というような素人が考えてもおかしな説明を、学者たちが集まってしているが、プルトニウムを飲んでも大丈夫とか、農薬を飲んでも大丈夫とか学者たちはいうので、学者のいう安全性とはその程度のもの。

正直に、中国紡績糸では高く売れないというイメージがあるけども、林与の場合には産地偽装はしないように心がけているから、中国紡績の糸は中国紡績の糸ということで、原料のフラックスはヨーロッパとか、私の知りえる限りで正しい情報を業者の方にも伝えるようにしている。そして、それが消費者騙しにつながらなければよいなあと思う。

林与が、それほど大きな規模えない量産をするときにもいろんな問題があって、大手の何千メートルが普通のところだと検査引っかかったりしたらどうしているんだろうと思うことも多いが、ある方が、検査なんて通ることはほとんどないから書き換えているといわれて、大きくやっておられるところは、そうなんだろうなあと。そうでないと2か月での生産で検査も取って納期厳守とかは難しい話。林与なんかは、再加工してもらう交渉で、加工工場にも手間を掛けるし再加工しても通らないときには再々加工とか。だから、もうアパレルの納期のシビアな仕事は受けないようにしている。

カシミヤ偽装の問題なんかも、百貨店の素人バイヤーさんが海外に行って、カシミヤと書いてあって1000円のものが海外だとあふれているのだけど、それを信じて仕入れて10倍20倍で売ったりで、実際はカシミヤが使われていないが発覚して、痛い目にあわれた。それからは、業界ではカシミヤの品質件背が非常に厳しくなったと聞いている。昔の日本のオレンジジュースが粉ジュースだったのと同じで、海外ではそれほど悪気もなく、しかも手ごろな値段でうられているのだが、それを日本人は10倍、20倍に化かそうとするから、日本でのカシミヤ偽装が生まれるのである。偽ブランド物が海外では安く売られているけど、それを安く買って、百貨店で売るのとカシミヤ偽装問題は同じ問題なのである。

着物の時代から偽物をつかまされることが多いので、着物の時代というのは信用できる仕入れ先から仕入れるということが非常に大事だった。今の証人というのは、地元の物を全国に行商して回ったので、自分の足であるといて反物を届け信用を築いていった。相手も話を聞けば、その反物は親戚が織ったものでとか、単なるラベルじゃなくて、ホントの話が大事だった。

織物は商品かもしれないけども、生地開発の話や、それを作るときの苦労話などは現実的だったりする。国内で、普通に本物がありふれているように思えるけども、本物というのは案外手に入れることは難しいこともあって、日本の麻織物の本場といわれる近江湖東産麻布も織っているのは林与のほか数軒で、産地の特色といわれる細番手先染め織物となると、林与が産地では一番織っているとは思うけどもそれでもすごく量は知れている。

繊維業界では、大手ほどブラックボックス的にありえない謳いで売ることが多い、蓋をあけてみると実態がないものだったり。狂牛病のときには、大手の牛丼屋の入り口のドアに、その牛丼屋はその牛丼店専用牧場で育てた牛肉を使っているというポスターが張られたけども、それすらも嘘で単なるアメリカのショートプレートだったりもした。熊本のアサリも実質輸入アサリを代用するような形で30年も日本の8割の市場を占めて来た。

大手製鉄会社も、何十年も強度偽装で大工センターで売られているJIS1級程度の強度のものを、要求される特注の何倍も強度のあるものだと多くの意自動車メーカーや建築メーカーに販売し偽装続けた。一番の売りの強度が偽装。汎用品を強度を満たす特注品であるとできるはずもないことをいって商売していた。

石油業界も各ブランドのスタンドが、ブランド独自の名前でハイオクを売ってブランドごとの特別な性能をもったものだと売っていたが、どのスタンドのものも汎用ハイオクで一緒だったりような偽装表示を何十年もやっていた。

もうどこの業界の中の人でも真相を知らない人ばかりになった感じのする30年。バブルの時はまだ、高いなりに本当に価値のあるものが流れていたが、自分で作らなくなり、在庫も持たなくなり、一番安く手に入るものを安く引っ張ってくるというのが日本のビジネスモデルの標準なのである。アメリカでマクドナルドのハンバーガーのビジネスモデルが、世界で一番安い材料を探してきて安く売ることだみたいなのを授業で学んだけど、日本ではそれほど安くなかったので不思議に思っていたけど、その後2002年に日本で59円とかでハンバーガーが売られるようになり、安く市場を支配するビジネスモデルというのは本当だったんだと感じた。

バブル後は、サラリーマンもアルバイトのようなもので、大手では経営者ですらころころと代わる。利益重視で、数字だけしか見ていない経営というのがものづくりを失わせ、在庫を持つことを悪とするだけでなく、消費者を騙すことを招いて、まともに普通に真実を語って売ると相手にされないような日本市場。一番のうたい文句で消費者を騙すことが商売というのが日本の店頭、まだ100円ショップのほうが安くて正直で良心的という結論になるんだろうか。
2023年03月19日
スウェーデンのグリモクラという手織り機を組み立てるのだが、大阪の手織りをやっておられるESINの美和さんが組み立てを手伝いに来てくれて、このグリモクラも中古で手に入れてから1年以上経ってしまっているけも、組み立てる時間もなかった。1年くらいバラバラのままだったのを、組み立てることに。お昼過ぎから会社の寮の一つの部屋で組み立て、1時間ほどで基本的な部分が組みあがって、今日はそこまでで目的完了。

あとは、林与がグリモクラを一般的なソウコウ枠とワイヤーヘルドが使えるように改造して、手織りでいろんなものが織れるようにする予定。中古の多分、1980年代頃のグリモクラなので、木材の材質もよくしっかりとしていて悪くないんじゃないかな。グリモクラは手織り機としては、一番くらいにしっかりとしている手織り機なのだけども、普段、シャトル織機を使ったりしているので、木製の手織り機というのはいい感じの意家具みたいに思えてしまう。

ESINの美和さんは、今朝、林与に来られたのだけども、午前中は、シャトル織機に初挑戦で、キッチンクロスの本生産やってる織機を動かしてもらう。かなり、織りやすく調整を掛けてい有る織機で、速度も1分に80回転くらいに落としてある織機なので、織りやすいとは思う。シャトル織機のハンドルと框の操作が普通だとみんな安定しないのだけど、美和さんはかなり安定したスタートで、一度も失敗することなく、何十回となくなった横糸の交換。

それと、縦繋ぎを経験してもらう。初めての縦繋ぎということで、手織りをされていても縦繋ぎをする機会は少ないようで、岩手のみちのくあかね会さんも機替えの時には、縦繋ぎじゃなくて、経通しで新しい縦に交換するということがあるんだろう。織物関係の大学や専門学校では手織りなのだけども、学校の織物の先生でも機結びや縦繋ぎできる人というのはほとんどいないだろうと思うこともある。

林与の場合は、糸を繋ぐのはタイイングマシーンという機械で繋ぐこともある。太い麻糸や、綿の経糸はタイイングマシーンのほうがよいけども、切れやすい細い麻糸の場合には、タイイングマシーンの場合、間違いやすいことが多いので、糸の順番が変わってはいけないものやタイイングマシーンでは繋ぎにくいものは、手で繋ぐことも多い。それと、織り終わった後に織前で布をカットした場合に、繋ぎ布を使って織出しをするんだけども、その繋ぎ布を繋ぐのも縦繋ぎと同じ結び方で繋ぐ。

縦繋ぎも、もう日本の織物業界では必要がなくなってしまっている技術にはなりかけているだろう。でも、手織りなんかでも縦繋ぎ知っていると便利だと思うケースはあるだろう、結んだ後に糸がぴーんとはって緩んでいないから。素抜けした糸などを片方は機結びしてからもう片方は、縦繋ぎするとかが実用的な使い方。縦繋ぎの技術にしても日本から消えないように、伝統工芸系を中心に技術の継承はあるだろうけど、織物文化の中で縦繋ぎというのは基本技術の一つだろうと思え活用できる局面は多いだろうと思う。

2023年03月18日
集落の中での住宅地開発で、田んぼで土地の低い場所に対策もしないで家を建てようとしているので、それを指摘するとハザードマップ渡しますから大丈夫ですみたいな答え、その数か月後、15分のとてつもないバケツをひっくり返したような大雨が降って、その場所にはプールの何十杯分の水が流れ込んで田んぼが1週間沼になった。

災害が起こると業者の問われたりするけども業者は地元が許可したとかいう答えで逃げるだけが多い。農業用水が流れ込む構造になっている場所なのでなんらかの対策をすれば良いだけなのだが、それも聞く耳すら持たずハザードマップ配りますから大丈夫ですとか。その程度の業者が集落で宅地開発をしていると、あとでこの前の大雨のような15分でプール何十杯分もの水が流れ込むとかをどう対応するんだろ。

ハザードマップ配ったのに、それを承知で家を買った住人の責任だろうか。これからつくるような宅地なのに、そういうのも業者がまったく災害を防ぐような対応をせずに宅地化しようとしているとか、集落の防災意識も高いはずなのだけど、農業関係者もあんな場所に家を建てたら水に浸かるぞと何人もの人が私に話をした、でも、それをチェックして業者に対策を取らせるものがいない。

これだと大雨で水害が起こるのは当たり前のことなのだとは思う。でも、そんな感じが普通だから、全国で災害が起こって家が浸水したりは当然起こることと考えないと、家を買う時にはハザードマップだけでは見えない要素もあって、まわりの農業関係者が危険だという場所でも、開発する業者は対策もしないでハザードマップ配りますで、真面目な話も相手にしないで、なんの対策もせず住宅地化しようとしていた。

また、住民の同意もすでに得ているというが、開発業者が開発計画はまだ一切ないと言ってるの開発に対する住民の同意は得たとか、アホすぎるけどほんとにそんな業者が存在するのがびっくり、事前申請、本申請、農転に必要である同意書にも近隣住民の同意として、1度も私がサインした覚えもない。住民は一度も今回の計画の内容を聞いたことないんだよ、それなのに開発の同意は得たと考えている。町に申請や許可が必要な話で、ここまで駄目な話ってあるのか、みたいでびっくり。業者も仕事としてやりたいなら当たり前の考えを持って、当たり前のことをちゃんとしなさいと言うが、表でもちゃんと話ができるようにものごとを進めないと、よくありがちな裏の汚い手口の連中たちと関わるのは嫌な話。
2023年03月17日
3月の後半になって、ようやく春らしい暖かさで、この暖かさというのは春の桜の季節を思わせる。今年の冬は寒すぎた気がした、雪はほとんど積もらず一番少なかったが一番寒かった冬のように思われた。

社会がコロナから解放されようとしている感が出てきた。間接的にはそれは本当に危険なことではあるのだけども、ワクチンよりも感染することで免疫を付けていくような流れになってきている。コロナ禍で、成果勝様式が変わったのを元に戻して行くような動きが出てくるだろう。今までの逆の方向性のことが正しいという風な流れになってゆく、そういうのに対応してゆくこともまた大変なことだったりはする。二つの価値観がぶつかり合って。

コロナで一番くらいに大きな打撃を受けたのが観光と繊維だと言われているが、繊維関係は原材料のかつてない高騰という問題も抱えている。林与の場合もコロナ前からアパレル関係の比率を意図的に極端に落とす方向性で、それまで普通だった展示会受注方式的なアパレルの動きとは離れ、コロナ禍においても現場の仕事は手いっぱいという状況が偶然にも続いて来たのは幸運だった。

普通だと無理だと判断するような織物をどう形にしてゆくのかみたいなあたりも大事で、従来の感覚でものづくりを続けていると問題が多すぎて諦めるような話になるものごとを、お客さんとの話し合いで妥協点を見つけて流していけるように協力をしあうことができたのも、一つの仕事で問題があっても問題が起こったときに解決が難しいような無駄なことに労力を使いすぎない形に移行できたことも、仕事が仕事として成り立ちやすくなったことにつながる。

従来のアパレル業界では正しい物事を求め続けすぎていて、それは正しいことだけどそれをやることがどれだけ無駄な労力を使うことにつながるのかというあたりの問題を、間の問屋さんや生地商社を介さないことで、麻織物の現状的な話を直接生地を使うメーカーの方に知ってもらうことで、問題を解決してゆく糸口を見つけやすくなったような気がする。そのためには、麻織物に関しての従来以上の知識が必要で生地を使われるメーカーの方の理解も必要で、それが特別なものを流していけるような形につながっているのではないだろうか。

林与自身の仕事のスタイルも、通常のものごとが成り立ちにくくなったときにものごとを成り立たせようと進めていけるようなオールインの形そのもので、普通を捨てた仕事観が仕事を生み出しているような部分はあって、昭和の時代の繊維のものづくりではまったく通用しなくなったようなところから抜け出して、知らない分からないであきらめるのではなくて、知って分かってものごとを成り立たせるように進めていくような形だから流していけるようなものを生みだせるみたいな部分。

業務的な感覚やサラリーマン的な感覚ではなくて、限界を持たずにものづくりに思いっきり飛び込んでいくような感覚が、特別な生地を成り立たせていけるようなところにつながる。一方で、普通の限界を超えたあたりだと問題は多くなってくるので、今までは難しかったできるまで待ってもらうようなケースも増えてしまっている。どの仕事も、林与自身だとできるけど他の現場の人には出来ない要素が含まれてしまっていて、その問題は今後も解決できるような形にはならないだろうと思えたりもする。
2023年03月16日
昨日から岐阜からもどって1時間寝て休んでからぶっ通しで、整経を仕上げて繋いで織って縫製して加工してキッチンクロスサンプルの出荷。並行しながら織らないといけないものを織るのだけども、この一連の濃すぎる作業密度というのは他の誰にもまねの出来ないほどの作業密度。ほんとだと何人もが働いて1週間かかるようなことをまるまる24時間で一人ですべてやるとか。どの作業工程も普通の現場の職人レベルの3倍くらいの速さと正確さで直線的にこなして行く、並行しながら織らないといけない仕事もおりつつ。

新しい商品の開発の話があって、心配に思うことがあるので、その心配点を検証してからでないと、企画の話だけが進んでも現実的でない部分や、問題点などが見えないままに進んでも、後でその問題をやり直したりとか見積もりを出すとかも難しいので、他の仕事に追われながらもギリギリのギリギリで、新しい企画の仕事のサンプルつくりを濃く濃く仕上げる。何よりも、本生産に向けた問題のたたき出しという部分があって、今回の作業で思っているキッチンクロスを作ろうとするとどんな問題があるのかが見えてきて、本当に意味のあった24時間。

こういうのをできる能力がものづくりの現場にないといけないのだけども、あまりにも要素が絡みすぎていて、現場で分業での作業ではサンプルづくりでさえ問題に遭遇したときにどう対応するかという総合的な判断も必要で、本当に本生産が出来るのかどうかというあたりも、この24時間で見極めないといけない。染めた糸が織っているときに切れやすいという問題が見えて来て、また、加工時の問題なども見えて来た。問題があると、問題があるというだけでなく、その解決方法を考えるのも林与の仕事の部分であったりもして、どのあたりまでのものづくりを目指すのかの見極めみたいなものも大事で、たとえば、一番安全なところまでのものづくりに持っていくのか、多少の問題は仕方ないで妥協するのか、問題が多すぎるからこの企画は辞めておいた方がよいとアドバイスするのかあたりの判断などをするために、頭で想定するだけでなく実際にやってみてどうしますかの提案。これが本当なら一番、正しい提案方法なのだけどもとことんな仕事力が必要。

商品開発時に分業だと本当に難しくなってしまっているのがありがちなスタイルで、これだけの検証をすると1つのサンプルに通常だと何人もが1週間の力を使ってしまう。委託での小物関係などの仕事ではサンプルをつくるというのやってたけども、問題があったときには本生産が入ってこないので、どんどんと体力は消耗してしまうような結果だったりもした。正しいモノづくりではあるのだけども、この形というのは成り立ちにくいようなモノづくりの形。そしてさらに厄介なのが、本生産の時に糸がないとかいろんな問題があったり、サンプルでは検証が難しい、支給の糸に問題があって織れないことで苦しむとかも多かった。本生産のロス率なども見えないことも多いので、そういうのもロスが出た時には機屋の責任になりがち。

糸支給で企画される仕事は原則受けないことが吉だったりするのが、問題がおこれば仕事するものがまるかぶりみたいな結果になることが多く、本来だと、糸が駄目だから織れないで終わる話を、織れるまで要求されたりもする。2割足りなければ、その2割を作り直しとかどこまでもマイナスが広がってゆくから、織物の仕事というのはそういうマイナスも想定したうえでやらないと怖い話である。新規企画の問題を洗い出すためのサンプルをつくるためにも本生産と同じ以上の労力が必要だったりすることが多い。委託での仕事を辞めたのはそのあたりで、問屋さん経由の話もやめたのはそのあたり、問題が起こると見本倒れとか、丸かぶりになりやすいケースが多すぎる。

以前やっていた小物関係の仕事や問屋さん経由の仕事の問題は、お客さんのお客さんの仕事を受けるというところ。問題が起こったときに鬼の首を取ったように、困るんだよねみたいな話のところが多かったりで、支給の糸なんかは問題を抱えていることも多い、特に麻糸の場合には、林与のようにすべてがっちりと安全に作っている定番からぶれないような商品開発でも問題は起こるのだから、他の人が糸のことなどに関わると問題は起こって当然も普通。支給の糸の不安定さというのは、無茶苦茶だったりする。

あと、企画書とサンプルスワッチで、本番だけ頼まれる形とかも、織れないものを回されてくることがあったりする。林与が織ってもどうしても織れないので、サンプルどうやって作ったのかと尋ねると、手織りしたとか。最悪のパターン。量産も考えずに手織りでサンプル作って、量産の注文受けてとかは、素人のものづくりの世界そのもの。無理やりシャトル織機に貼りついて織り続けたけども、素人すぎる世界のものづくりは後の問題を解決してあげるのが大変すぎる。あとで、手織りでそのサンプル織ったと聞いて唖然とした、それ聞いて死にそうになった、どこまで素人レベルなんだ。それも、量産依頼するときに言わないで依頼してたりとか、問屋さん経由だったので、巻き込まれてしまったけど、アカン世界そのもの。林与も他で織れるのに自分が織れないのはおかしいと思って、まともな織機を調整しまくるとまともな織機も崩れてくる、ほんと駄目な話。
2023年03月12日
富士吉田から便りが届きました。いろんなイベントが今年計画されているようです。ハタオリマチなので、行くと楽しいですよ。富士山も見えて、吉田のうどんというのがあって、吉田のうどんも、お店によって味が異なるし、6年前には一杯が300円でした、今もたぶん安いままだと思います。私は1回3杯くらい食べたほどで、おいしかったです。

昭和の飲み屋街がゴーストタウン化していますが、そのまま残っている区画があってそこも素敵でした。無理と残すようにみんなが協力して立ち退いたのかと思いましたが、富士山があるがゆえにらしいです。でも、一部のお店は若者向けのバーになるなど、その風情が残っていれば観光地としては昭和にトリップしたみたいな感覚になるので良いと思います。

その飲み屋街も、昔富士吉田が、ガチャマン時代に反映した名残で、当時の機屋の旦那たちは毎晩そこで飲んでいたのでしょう。機業のひと世代前というのは、酒の付き合いみたいなものが仕事のうちで、お客さんと飲んだり、同業者同士でも集まって飲んだりと、今の後継者とはまったく違う職業観だったと言えます。普通に働けばお金が儲かるような時代が昭和の機業で、戦後、自動車産業が花形産業になる前は、繊維産業が日本の花形産業でした。

富士吉田の織物の特徴としましては日本の絹織物の歴史と深く関係していて、伝統産業系の織物としてはシルクの織物があります。富士吉田は徐福伝説ともかかわりの深い街ですが、私が富士吉田にいったときには徐福像などはPRされていませんでした。徐福伝説は、伝説だと言われていますが、徐福というのは神武天皇だったといわれている説があり、弥生人がどこから渡来してきたかを説明するのに整合性があると私は思います。

あと、大麻も徐福が持ち込んだ可能性があり、当時の大麻というのは織物としておられたのではなく、妙として使われアタタエと呼ばれました。シルクはニギタエです。それが織物としておられるようになって、布が出来たのです。妙の語源は多重で、ワタの状態に打綿して、身にまとったと言えます。滋賀県には、近江真綿というのがありますが、真綿というのは、コットンではないんです。シルクなんですよ。シルクの繭を引き延ばして面にしてゆくのです。それを重ね合わせて妙が作られます。今も、真綿布団はその技術でつくられていて、滋賀県にはその技術が継承されていますが、風前の灯と聞いています。

日本の神道では、大麻が神事に使われます。日本の古代の洗濯というのは、砧を使って汚れを落としたので大麻は、繊維長が短いのでどうしても打綿状態になって、柔らかくなってしまって長持ちしないので、服に向いたのは苧麻と呼ばれるラミーでした。魏志倭人伝でもラミーが植えられているという記載があり、苧を取って、緒を縫って最初は、布が作られていたから縫う苧で布という言葉が生まれたという説があり、織物は苧を折るということから来ていると言われます。

カラムシというのは、麻のなかでも苧麻のことを一般的には指しますが、それは殻を蒸して苧を取り出すからという説が有力です。現代の洋服の世界では柔らかいものが高級とされますが、古代の織物というのはしっかりとしたものが良い織物とされ、太い糸を使ったガサガサなものは安物とされました。細い糸をしっかりと目をつめて織った織物が最高級品とされ、日本の神宮大麻が中国に献上されたことから奴佐(ヌサ)と中国で呼ばれたことで、麻という言葉の語源になっていると言われています。中国からは金印や絹の織物、苧麻の織物が賜られたというような感じだったのでしょう。神社の神事で使う幣の語源も、現代では紙が使われることが多いですが、古代には大麻が使われたことから来ているということです。

林与の持論で一般的にはいわれてませんが、神道は、ヒンズー教やインド仏教の影響を受けているのではないかと思っております。ちょうど徐福がインドに7年留学する前には、アショカ王の時代があり、インドで仏教が盛んな時代でした。大麻が神事に使われるのも、ヒンズー教と大麻のかかわりが深く、インドでは、ガンジス川は神の川で、大麻はガンシャと呼ばれ神の草という意味です。神社の鳥居がどこから来たのかということに関しても、インドの寺院には鳥居に似たものが建てられており、それを徐福が日本の神道に持ち込んだのではなかろうかと思っております。仏教の伝来に関しては、6世紀の半ばに百済からという説が定説になっているようですが、日本神道は、仏教の亜種的な位置づけでもあり、日本の歴史の中に置いては、神社とお寺が合併したような歴史もあって、整合性する部分は多いと言えます。

日本のもっと昔からの神様というと、山の神様や海の神様、川の神様などがあります。林与の集落には山の神様は、6か所残っているということで、林与もその一つの集まりにありましたが、いつ始まったのかもわからず、石が積んであるだけの社です。そしてご神体は別の集落にあるのですが、そのご神体は三つ又の木で、それは女性を想像させる部分があって、子孫繁栄につながる思想です。山の神様は、60年間に一回宿が回って来るとからしく、60軒で組織されていたからかなあと思いますが、3世代に1回くらい当番が回って来て、世話役を担当するような形の神主さんなどいない形の宗教です。

縄文時代以前からの宗教というのが、山の神様だったのではなかろうかと思います。縄文人にしても、地球がアイスボールだったといわれる1万年くらいまえ、それが解け始めて、南方の国から日本の西日本に人々がたどり着いたのだろうと言われています。船なのか、氷が解ける前に氷の上を歩いて来たのか、北の方からも、大陸から北海道にはアイヌ民族が定住し、それはアメリカ大陸のアメリカンインディアンと同じだろうという説を、アメリカにいた時にホストファザーが教えてくれました。アラスカがロシア領だったのもうなずけることで、カナダやアメリカでは先住民であるインディアンの種を根絶するような時代や歴史もありました。日本でも、蝦夷とか北海道の開拓の歴史はそれに近いものがあり、日本は一般に単一民族であると言われますが、正式にはそうでない部分もあります。それは逆に、アイヌの子孫を共生の部分が多少なりともあってアイヌ民族の子孫の方々が残っておられるということで、縄文時代と弥生時代にある、縄文人と弥生人が共生して今も主たる日本人の祖先であるのと似ている構造ではないでしょうか。

弥生人が、童男童女3000人と職工500人の徐福一行だとすれば、当時の秦の始皇帝時代の最先端の中国が日本にもたらされたということになり、日本には、青銅器時代よりも鉄器のほうが先に持ち込まれたというあたりも整合する部分で、たたら製鉄の技法なども、きわめて現代でも再現が難しいほどの純度の高い古代からの日本刀の鋼に使われるような鋼鉄は、徐福ともに日本にもたらされていた可能性があります。神社の御神体になりがちな隕鉄なども、隕鉄を集めてヤマタノオロチ伝説時代の鉄が取られた可能性は高いですが、その後の弥生時代にはタタラ製鉄技法での製鉄技術と移行したのでしょう。中国でも失われてしまったような技術が日本で徐福経由で日本で継承された可能性はあるんじゃないでしょうか。

日本独自に、高度な織物技法を生み出すことや、製鉄技法を生み出すことを考える前に、それを生み出す日本人がいったいどこから来たのかという問題を考えると、高い技術水準を持ち込んだというだけでなく、下衆な話になりますが、当時の中国の呉の国の良家の頭の良い子供たちを集めて教育して弥生時代が生まれたのではないかと考えます。七夕伝説や鬼ヶ島伝説も、徐福伝説に被るところがあり興味深い話だとは思いませんか。
2023年03月11日
今日は、多くの犠牲者を出した、東日本大震災から12年。私の考えからすると、災害の時に保身で国や行政が隠し事したり、甘く考えていると。避難できるものも避難できないし、あの原発事故はたまたま、本来は壊れないとされていた格納庫が壊れて地下水から放射能が漏れだしたから助かっただけで、メルトダウンしてチェルノブイリ級の石棺化が必要な問題になってた可能性は高い。

また、津波の件も、津波が押し寄せてきているのに非難を、通常の非難と同じような形でマニュアル的にやらせたことが、多くの命を奪う結果になったのは事実で、災害の時には、集合なんてして待機せず、逃げられるものから一緒になって逃げろというのが大事なことで、訓練みたいなことでは多くの命を失う。

平常を想定して避難訓練をしていたら駄目で、また、平常を想定してマニュアル的にバッテリーの予算を本社に申請しているようでは駄目で、非常時には、バッテリーくらい、本社に稟議していないで、所長権限で買うくらいのこと出来ないと駄目だろう。避難時をマニュアルでカバーして、責任逃れしたいのは分かるけど、それよりも人の命とか、出来ることを出来るものが早急にやらないと。

真面目にマニュアルに従ってた人が多く死にすぎてて、自由に避難したものが助かっているという普通のこと。自由に避難してもよいとしておかないと人の命よりもルールが大事とかは、権力者の驕り。電力会社の役員や社員が原発推進しながらその片づけは底辺の人たちが何重もの補助金の搾取を受けながら、安全性も確保されずに知らされずに、投入されているのが日本の原発行政の現実。自分の金儲けのために死んでよい命があるというのは、まさか日本とおもうけど、まさかが起こるのが日本。ボランティア募りながら自分たちはボランティアもせず指図してる電力会社の役員と原発行政を進めてきた行政の懲りない人の命が自分たちの失敗の片付けには消耗品的なのも当たり前な日本。

自衛隊員が放射能漏れの情報をしってかフルアーマーな完全防御なのに、なんの説明もなく住民たちは普通の滑降で、自警団は柔道着レベル。放射能漏れの情報を握られて、国民は無防備に家畜レベル。公務員は情報を知って万全の放射能対策で、自分たちを守る。逆や無いのかなあ、国民を守るために公務員がいるんやで。

自分たちを守るための公務員というのは、たとえば、戦争あっても公務員が戦争に行かずに一般市民が徴兵されて戦争の全線で死んでいくみたいな感覚と同じ。そして死んだ一般市民はそれでおわりで、官僚社会がなりたつというのでは、世界的にも一番アカンようなモデル。

オリンピックなんかも最初は楽しみだったけど、あまりに、組織が金儲けのためにえぐいことやりすぎて関係したくもなくなった。オリンピックは日本だと金儲けの人たちに利用されるための祭典でしかない。まともな政治家がいないのかとおもうけど、ほんとそこだと思う。何十年も政治家をやってきた人たちが、今、日本の子供たちをくいつぶすような感覚が当り前で生きている。

そういう政治家たちは災害時にも、国民の命なんて二の次で、マニュアル的にやって責任逃れで安泰というレベル、そこをかえていかないと本当の安全すらもが、一番駄目な輩たちに逆に抑えられ多くの犠牲を生み出す。ほんとあの地震での被害がないのは、原子炉の強度的な設計ミスがあったからというだけのこと。強度が完璧ならチェルノブイリ級の被害が今も続いていて、周辺何十キロが立ち入り禁止区域。福島県がもう難しい話。

半年も放射能を隠しての半年後の放射能レーダーが放射能漏れを3月11日からとられていた発表で、行政のもつ実際に本当のベクレル数が発表されているのかどうかすらも・・・50年くらいしてから被害者が原因不明になくなった肝炎被害のように対応をするのだろうけど日本の政治体質そのもので、信じたものが騙されてでは空しいレベル。カネミ油症や薬害エイズ、B型肝炎、アスベスト、そして原発被害も被害者の訴えを聞き入れずに被害はないと2次被害まで生み出して救済もせずに、当時の責任者や加害者たちが引退してから国が被害者たちを苦しめた責任を何十年もあとに認める。
2023年03月10日
私も変なところがあって、とくに若い人には苦労を経験させることが大事みたいなことが相手のためになると思うことが多い、特に夢を持っていながらなかなかそれができないとか、業界にいながら分からないことだらけの人とか、自分でやってみるのが一番大事だということをいうだけでなく、それを面倒をみてでもやってもらおうとするあたりがあるから、嫌われるというか引かれることが多い。

でも、ものごとやって成り立たせようとすると全部やってみないと分からないことも多いので、なるべく広く深くやってみるのが大事だと、若いころにあまりできなかっただけに思う。温い社会だとそういう苦労の経験をさせないようにみんなが動いて温くなってしまう。集まってみんなでやればとかそういう感覚でやっていると難しくなることは多いと思う。

普通じゃないことやらないと普通じゃない感覚をもっていないと、展示会に出たり売り場にもものを並べることは出来ないと思うのは、大きな会社じゃないからだろうか。小さな会社で林与のような考えの会社というのは少ないだろうけども、一番大事な専門的な部分を広く深くやってみることが、物事を成り立たせる一番の近道でしかも本質的な部分だろう。

以前、刺繍関係の問い合わせが業者の方から合ってメーカーから宿題をもらって尋ねてこられたけども、宿題をもらうのは簡単だけど、それを解決して、試作一つを魅せるためには時間とお金と労力が掛かる。それを実際にやって答えを出すのが実力で、誰かほかの人にやってもらおうとしていてもそれはその方がお客さんというだけのことで、お金を準備しないといけない立場。メーカーから刺繍の宿題をもらったから自分は知識もないから、たとえば50万は予算渡すので、それで試作してくれないかとかなら受けられるけども、刺繍業者さんに試作してもらうお金も考えておらずに、宿題をもらって自分の仕事にしたいでは企画は難しいだろう。

メーカーさんと問屋さんが全国を回っておられるときにそういうケースは多く、無料で試作してくれるところを探しておられたりするけども、それは本当に無駄な力を使うことになる。そして困るのは、本番で何千メートルの話が50mとか100mだけの話になるとかがよくあって、メーカーさんと問屋さんの間の自分たちがお金を使わない話はでたらめが多くなりすぎて、ダメージが実際に動いているものが被ることになる。

メーカーや問屋さんにしても、生地を実際に料理されるならわかるけど料理もしないままに話だけして食べ歩きしてられるところだと、関わらないほうがましだなあと思える。まあ、日本の繊維業界の昔も金儲けとどんちゃん騒ぎするのが仕事みたいな人が多かったけど、実際に技術とか設備とかそういうのに目を向けて地道に商品開発や生産をするとかが大事で、安くアウトソーシング先さがしてできるだろうみたいな他人事でお金儲けのスタイルは結局業界全体としてもマイナスで、日本の産業界の実態がなくなりつつあるのもそういう考え方が根本にあるからに思える。アメリカ社会、アメリカビジネス的な理想系に近くなりすぎた、でも、日本の場合は高く売るために語りを求めたり謳ったりするからややこしいんだろうなあ。
2023年03月07日
仕事していて一つの物を作るときにも汎用的な知識が必要なことは多い、いろんな要因があって、総合的な判断が必要で、一つの要素だけで物事を進めても他がうまく行かないときには妥協して解決も必要だったりは普通のこと。世の中に売られているものが、いろんな形で妥協されて世の中に出ているというようなことも多い。

熊本県のアサリの産地偽装問題も、実際にアサリが捕れなくなった有明海で漁師たちがどうやって食べていくのかというあたり、妥協すれば残りやすくなって成り立ちやすくなるというのはある。海外産でも国産と表記できるようにすればそれで解決みたいな考えで、本質からはやればやるほど離れてゆく。今はメイドインジャパンがなくなってしまってきて、海外製品が日本の大手の家電製品も含めほとんど。

今、日本人が作っても海外よりも良いものが作れるのかという問題があるんだろうと思う。海外の人のほうが働き始めているのは事実で、一つの仕事じゃなく、ぶたつ仕事をしても将来の夢に向かってみたいな人も多い。繊維業界も衰退の一方な気はしているけども、自分自身でできることを増やしていくということが一番大事だろうなあと思っている。そのときに、ないものを求めるんじゃなくて、今の環境で今あるものを使って、なにができるのかみたいなことが大事で、タラレバの話や、場所探ししているよりも、目の前にあるものごとをこなしながら、新しいことをどうやったらできるかを考えてゆく。

他力本願的な大きなことは考えないほうが良いだろうと思う、自分たちの力みたいなものを発揮してできる範囲のことでも、相当なことはできたりするとは思うから。普通にあると思うものが、もう普通にはなくなってしまっていて、モノづくりの地道な部分は馬鹿にされやすいけども、地道な部分を地道にやろうとしないと超えたものは出来なかったりする。

ロケットの問題で、1980年代にスペースシャトルが宇宙に行って帰って来た。今、同じ技術が宇宙、宇宙といいながらあるのかというと、昔の方がその技術があったのではなかろうかと思うのは、織機などをみていても思う。構造的に本当によくできているのだ。そしてそれを使いこなす技術も同じこと。今の織機というのは素人でも扱えるようにオンオフの世界、だがそれだと、大したことはできなくなってしまう。

捺染にしても、昔は版を作って重ね合わせて一つのプリント柄に仕上げたが今は、コンピュータのお絵描きで印刷する感覚で、布へのプリントが可能になった。技術は進化したけども、アーティストの絵心みたいなものは低下したように思える。私もフリーハンドで自由に絵を描ける様な才能はまったくないけども、コツコツと努力派で織物をつくっていたりするので、コツコツと積み重ねてゆくしかないし、積み重ねるも本当に上に積み重ねていく感じで、知識と知識の積み重ね、経験と経験の積み重ね、作業と作業の積み重ねで新しいものが作れないかと考えている。
2023年02月26日
今日から3日、篠山ターターンの整経で、ササタン工房の渋谷さんが林与で作業。今の時代にリネンの総先染めのチェックはゴージャス、麻織物の本場の綛染めの本格派リネン。糸を巻くおじいさんが引退なので、林与の中で綛からチーズにアップしたのをカウントで割って順番に立てていく。今日から3日で大柄3配色、中柄2配色小柄1配色の6縦を整経。

林与の知る限り、チェック柄の最大のブームは、昔チェッカーズというグループが一世を風靡した1980年代。テレビで人気の芸能人たちがチェック柄を着ていると、どうしてもファンの人たちがチェック柄を求める。他に有名なチェック柄では、バーバーリーチェック、安室奈美恵さんが身にまとったことで、若い女性たちの間で一大ブームが巻き起こった。他にも、AKB48もスカートはチェック柄が多かった。

先染め織物というのは、普通の織物の中でも手間がかかり高価な部類に入るので、デフレの2000年あたりからは無地ライクな流れが続いている。しかも麻業界では、晒、生成、黒といったナチュラル系の一番シンプルでコストを抑えた織物が主流となった。今は、チェック柄の生産というのは生産に手間がかかる。篠山タータンの場合には、ひと柄に、縦5色から6色、ヨコも5色から6色使う。多色使いの大柄にすることで普通のリネン織よりも何倍も難度の高いのが篠山タータン。

渋谷さんも今回で4回目の林与での生産作業のヘルプ入り。デザイナーさん自身が、自分の作る布をデザインするだけでなく生産に携わるというのは、林与にとっては色柄の確認なども間違いが少なくなりよいことなのだけども、私自身、デザイナーさん自身が作るという部分により深く立ち入ることは、アーティストらしいものづくりのスタイルではないのかと考えたりしていて、こういう形のものづくりも珍しく、普通だと織物工場は嫌がられたりすることも多いのだけども、林与の場合にはデザインするだけでなく自分で作ってみませんかみたいな提案もさせていただくこともある。お客様に布の話をされるときにもご自身が作業して作られた部分がより価値を高め、林与でおつくりはさせていただいているけども渋谷さんが先染め織物で一番大変な整経の準備作業の部分を担当されて生まれてくるという裏のストーリーが隠されている。

デザイナーというとクリエイティブなところに特化したいという考えもあるだろうけど、デザイナーが自分がデザインするものごとの苦労の部分を覚悟できなければ、ものづくりの価値がどこから生まれてくるのかの理解すらもできているのだろうかという話になってくる。作業の部分を馬鹿にしてたら駄目で、ち密にデザインされた色柄を織物の規格に落とし込んで厳密に再現しようとすると、色柄をデザインする以上に、頭も使うし、1本1本の糸を染色ロットなども含めて区別して使う先染め織物の大変さだと分かり、そういう知識と経験がデザイナーがデザイナーたることにも生きてくる。問屋さんの現場経験のないだけでなく、嫌がられているレベルのテキスタイルデザイナーさんたちが良い時代にしか生き残れなかったのも色柄しか組むところで止まってしまって深い部分までのテキスタイルの経験がたりなかった辺りではなかろうかと思う。
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