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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2022年07月23日
日本の織物産業というのも過去がなければかなり楽に考えられる産業だろうとは思ったりもする。過去が無ければ海外展開して日本が培った技術を海外でアプライして、それを消費者市場で展開をすれば国内業者が国内製造にこだわって守ってきた価格を破壊して、安く大量にディスカウントショップ的な展開は可能だろう。

川上川下というような言葉は私は本来好きではないけど、日本の製造業のサステイナブルを考えるときに新たな川の流れが必要だろうとは思っていて、大手SPA型が日本の繊維産業の成功モデルのように思われているけども、それこそが、日本の繊維産業の守って来た価値観みたいなものを安売りしてしまったところがあって、日本国内の繊維の製造業に止めを刺した感じもする。

私自身、日本のSPAの動きもきれいだなあと認めるところはあって、日本の問屋システムや、年配者が仕切る地場産業的なものを切り捨てて、グローバルな視点で、若い世代の人たちが日本の繊維業界を洗い直すみたいなことからやったこと。日本国内は日本的な法律に縛られたりして10倍からの海外価格差を活かして、日本の大手SPAが、1000円、2000円、3000円のアイテムを展開。

そういう時に、国内業者は危機感をもって国内業者らしいそれ以上の世界を作り上げないといけないのだけども、それと同調するような路線のものづくりで、しかも安く追従して産地すらもがあいまいになって、繊維製品でも、産地にしても不確かなものが増えすぎた。産地の謳いよりも販売している業者を信じるというのが昔からの繊維業界の本物を手にする方法。

林与がアイリッシュリネンに警告をならしたのも、今のあさり偽装なようなものを日本の麻業界にもちこまないようなことで、問題化してしまえば熊本のあさりと同じ世界。熊本の偽装あさりが日本の8割を30年とか、日本の偽装アイリッシュリネンが何十年とかを封じて、熊本のアサリにならないように日本の麻業界を誘導。

私がビンテージアイリッシュリネンハンカチを、百貨店での販売が難しかったことがあって、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネン糸は、世界的に残存している量というのは少なく、失われた幻の世界になってしまっている。百貨店の担当の方が私にアイリッシュリネン定義の説明を私にくださる。そのアイリッシュリネンの定義の説明が、成田さんのテキスタイル用語辞典の林与も協力させていたたいたアイリッシュリネンの説明文を読みながら北アイルランドでの紡績というのはもうないとのことですが、林与さんのアイリッシュリネンハンカチは取り扱って大丈夫ですかみたいな心配をされてたりするが、入手の経緯もはっきりしている糸で輸入した当時の箱から出して使った。(詳しくはアイリッシュリネンハンカチプロジェクトの冊子をお読みください。)当時を知っている80歳以上くらいの人に聞くしかないだろう。1995年あたりには、北アイルランドでもアイリッシュリネン紡績はもう失われた世界になってしまっていて、アイリッシュリネン紡績の語り部プロジェクトが発足されている。私自身はスペック的な話よりも、その3種類の糸に共通の特色があって、今のリネンとは違う昔のリネンらしい上品なテイストが好きだったりする。

いろんな百貨店で売られている国産リネンですら、国内で織られたリネン生地なのかという問題なんかもあったりして信用できる業者から買うしかないのである海外産が悪いわけでもないけども、国産を謳いにしながらその謳いが実際に本当なのかという問題は、あさりの偽装問題と似たような話だろうと思う。

インド行った時も、日本人の方が手織りの織物だと言われた織物が、織物を見て縦に目立つ傷があったりして、私からするとどう見ても手織りじゃないのだ、織っているインドの人に直接聞くと、ドロッパーが付いていないシャトル織機で織っているということ。インド人の方が騙すつもりもないのだけども、知識不足で手織りに化けたりする。たぶん、その日本人の方は他の日本人の方にも手織りだという説明で、その業者から買って上げてほしいという感じだろうけども、それが結局手織りの織物という謳いで日本で売られることになるだろうから、手織りというのが一番の謳いになるのだろうけども、それは事実ではないことになる。

結論としては、知識のある正しい業者さんから説明を受けて買うしかないんだろうと思う。知識がないということは悪意が無くても説明が間違っていることなども多い。そこで説明が間違うとそのまま一般消費者の方に間違った説明で伝わってしまうことも多い。百貨店の店頭などでも、どこで作っていますかという話で、自社工場で織っている話をするとそれが一番の説得力がある。別に自分で織っていなくてもしっかりとどこで作っているというようなことくらいは説明できる業者さんでないと正しい情報にたどり着くのは難しいと思う。生地そのものよりも産地など生地の背景を気にされる方が多いなあとは感じ、麻糸に関する質問などに関しても知識も持って適切に答えられるようには心がけています。
2022年07月22日
半年ほど前に生産したシャトル織のキッチンクロスの新しい企画の話をいただくも、もう同じ糸からして半年くらいは入手が難しいような状況。私自身がキッチンクロスをつくるときには、糸をテストしてキッチンクロスに適しているかとか、糸染をキッチンクロス用にどうするかとか、もうひとつやっかいなのは、耳までリネンのキッチンクロスとか。織るだけじゃなく、キッチンクロスというアイテム自体にすごくこだわる。縫製までしてみて自分で使ってみて洗ってみて気になる点がないかどうかとか。そこまでやると普通の検査機関の検査よりも問題があれば見えてくる。

ちょっと前にその糸を別のお客様のために糸商さんのその糸をすべてほしいということで押さえてしまってたので、糸背景が分かってて、つくるとしたらまた別の銘柄の糸に変更になる話。後でいろんな説明を変更するのはやっかいなので、最初にそういうことをお客様にお伝えできるというのはよかった。

林与は、同じものを作るためになるべく同じ銘柄の糸を使おうとする。強いては同じロットの糸をできるかぎり長く使おうとしてはいる。ロットが変わるときには生成りなんかは再度テストなども必要になってくることが多い。お客さんがというよりも、私自身がそういうところ慎重に後で大きな問題が出ないように注意はしている。

普通の織物だったら織れたりもするけども、ギリギリに近いところで織る織物というのは、糸のロットによっては織れないこともあったりもする。また、企画全部の話がみえると、その企画に使う糸を最初に押さえるところから始まる。そうでないとビーカーや試織など進行して、本生産のときに、糸がないとかで銘柄変更とかは、新たな問題を招く可能性もあったりで、実績のある糸で同じものを作り続けるというのが大事。

アパレル生地じゃなくて、小物系のシャトル織のキッチンクロスなんかは、織っていて楽しいところを感じたりもする。4色杼替えなんかはもううまく織れないときもあったりして、シャトルを挟んだりするといつも1枚の同じところで挟んだりするから、1枚1枚が勝負だったり。

今日は、シャトル織機の1台のシャトルを挟む問題を杼箱を取り外して調整もした。シャトルが杼箱で長い間休んでいるときに、振動で杼箱の中でシャトルが前方に移動して、叩かれたときに綺麗に叩かれないで初速が付かず挟まれてしまうという問題を招いていたので、若干、シャトルのお尻側が低くなるように杼箱の傾きを調整。調子よく織れるようになった。

これって自分で織っているから思い切ってオペができるんだけども、他の人に織ってもらっているときには、逆にオペするのが難しいことが多い。一つには、オペする時には、場所が必要で他の織機が動いていると危険だから。他の人が織ってくれているときには、私はなるべくオペはしないようにしたりしている。仕事終わってから、私が夜中に織機を一人で直したりすることは多い。夜中に直すと時間無制限で心行くまで直せるし、また、自分で織り加減を確認もできる。大事なのは、織機が動くときの音で、違和感のある音がしないかどうかが大事だから、静かな夜のほうがよい。朝、来たときにちゃんと織機が動くようになってたら織る人も喜んでくれるだろうと思うのもある。シンデレラじゃないけども、朝までに直さなければと明け方はとくに焦って直すことも多い、ドラキュラか。

私は修理する時にはかならず素手で作業する。手が油で真っ黒になるので途中何度も手を洗いながら、手の微妙な感覚を大事にしながら、ネジを絞めたりも素手でないと微妙な閉め具合は感じにくい。手袋して作業している人というのは力加減ができずにネジの頭を飛ばしたりボルトをぶちきったりと壊さなくてもよいものが壊れやすい。素手で作業するというのは普通の人が汚れるのを気にしてできないことだったりするけども、そういうの割り切ってやれるから自分自身が調整する価値もあるんだろうと思う。
2022年07月20日
今日は、午前中に軽自動車の廃車手続きのため、軽自動車を自動車屋に持って行って、書類をもらってそれに記入して、保険などの解約手続きのための準備など、昼過ぎには、リネンの糸が20ケースほど届いて、それを軽トラに積みかえて移動してとりあえず受け取り。

糸の箱は一つ30kgちょっと、普通の人だと持つのが結構無理な重さと大きさ位なのだけども、織物工場だと普通にこれを一人で運べないと仕事にならない。今は80歳の母親なんか、70歳すぎたときにでも、台風が来ると、それを片手でひょいっとPPバンドをつかんで肩の高さくらいまで積み上げるから恐るべし。私は見た。

林与にも、糸の在庫は糸商さん以上にあったりもするし、生地の在庫は生地屋さんや問屋さん以上、一つ一つがそれなりに重い。生地とか糸ってそれなりに重いから、車と同じくらいの体積なら車と同じくらいの重さにはなる。

今はリネンの糸の値上がりが激しく、この半年くらいに生産する糸などを得意先とも連絡を取りながら先に買って持っておく。値上がりというだけでなく、この秋冬には糸が手に入らなくなる可能性もある。


2022年07月19日
昭和から平成に代わったころですら、産地で麻布を織って成り立たせるというのは難しくなっていたのは事実で、一部の人を除いては、麻布を織るとか作るとかが当り前のことではなくなり面倒なことのようになって、海外の人たちが麻布を生産するようになって当たり前に追い越していった感がある。

それも悪くはないことなんだろうともうのが、先代の昭和のよい時代の経営感覚で、国内での生産が難しくなり、他の大手などが国際化の時代の流れの中で、日本の大手繊維企業がコスト10分の1の海外生産。変わることのできない先代も含む経験者たち。海外の10倍の世界を自分たちが生み出さないと通用しないのだけども、実績に驕りがあると、普通に仕事していれば、そのまま続くみたいな感覚で、自分たちが向かている方向も見えず難破船が地球の果てに向かって最後、地球の端の海の果てから落ちてしまうような状態。

それが見えていたからなんとか私も崖から落ちる寸前まで先代の面倒を見ながら日本のモノづくりが海外のものづくりの10倍凄いを取り戻したい気持ち。経験者たちが簡単な問題も超えられなくなって新しい人たちを見くびっている間に普通のものを一生懸命につくるも出来なくなってしまっては、日本の大手企業が海外生産で日本市場を独占するしかない状態で一生懸命な海外に追い抜かれていくのは当たり前のことで、日本の繊維が国際的な評価もあったのもそういう差が歴然と存在していて、そういう差が考え方の差から生まれるということ。

私も、中国のテキスタイルメーカーから見学に来てほしいという話をいただいて、数社見せてもらったけども、それはもう日本の小さな機屋を普通に超えていて、一つ二つ特別なものが作れるような話ではなく、いろんな種類のものを開発して扱っていつでもつくれるような状態。今の日本の織物企業がそういうことができるのかというと、難しいだろうなあと自分のことと重ねながらも思う。

一つ一つが仕事なのだけどもそれを乗り越える力が日本の現場にあるのかというと、日本の現場が普通の麻布もつくるのが難しいのがあったりして、織物製造の全体的な分業とも絡んだり、日本のアパレル業界の分業的な部分と絡むと、普通のものだけに絞って流すのが無難だったりもして、それは日本の昭和の時代のモノづくりで、今の海外の量産の世界と被ってしまう。

織物の真ん中にループが出来てそれが解決できないとか、途中で糸切れで端まで糸が届かないが解決できないとかが、普通の経験者のレベルだったりして、そういう現場の経験者がもつ基本的な問題をわかって解決してゆかないと仕事をすれば問題だらけで成り立たせるのも難しい話。若いものが解決すると角が立つとか、聞く耳持たないとか、人間関係で仕事やってる経験者は本質が見えずややこしかったりもする。

そういう経験者の方ほど、今の普通が難しく、そういうのを解決できないと成り立たせるのが難しいというのが何十年も前からの日本の麻織物の課題の一つ。何十年もやってきたことが海外でも普通に正しくできるようになったときに、その上のものづくりが当たり前にできるのかどうかのというところ以前に、外の世界との競争みたいなものに危機感があるのかどうかというところ。

できなくて当たり前、わからなくて当たり前、やっといて、では駄目で、できて当たり前、分かって当たり前、自分がやって仕事というような感覚が普通にないと、繊維じゃなくても普通に仕事としては成り立たない話。世界という広い目で見れば、仕事を欲していて注文をもらって仕事をこなしてだから仕事があるみたいな話は普通のことで、海外の展示会などに行くと林与はテキスタイルメーカーなのに、現地の業者の人たちが自分たちは織物がつくれるから作らせてほしいとか、自分たちの生地を買って日本で売ってくれと頼んでくる業者さんは本当に多い。最初自分たちが私の布を買う話から始まっていつの間にか自分たちの布を買ってくれみたいな、変な流れで自分は生地を売る側なので、買うことはしないけど、仕事を欲していて仕事を取って自分がすることに対しての海外の人たちの熱心さは海外に仕事が流れていく原動力だろうと思う。
2022年07月18日
海の日なのらしいけど、海にはいくような余裕もなくて、暑い中、工場の中で織ながら糸を繋ぐ。滋賀県で海といえば海には面していないので、淡海すなわち琵琶湖を指す。近江のオウミという音は、淡海アワウミから来ているのである。

琵琶湖も昔子供のころは泳いだ記憶があるけども、シジミ取りだっただろうか、新海浜で、20個くらいは取れたような気がする。新海というのも、昔はそこは海じゃなかったから新海で、戦後に琵琶湖が埋めたてられて農地が広がり海岸線に浜が作られた。そこが新海で、昔から別荘地だったのだけども、今は人気の少ない別荘地で、しずかな海水浴場ではある。

琵琶湖も昔はもっと広かったのに、戦後に戦地から帰って来る人たちのためにコメが必要ということで、農地を作る必要があり、琵琶湖周辺には田んぼが広がっているのである。滋賀県が農業県として今も存在しているのもそういう流れで、近江米という名でお米も特産品として有名である。

戦後の農業政策というのは、非常に近代的に行われ、埋め立ての他、農地改良や、圃場整備など国が国策として滋賀県の農業を推進したのである。ダムも農地用水の確保のためにつくられ、今の滋賀県の農業がある感じだろうか。

近江上布のような織物が盛んになった理由も、琵琶湖の湿気がという説があるけども、それよりも、近江上布が盛んだったのは山側だったということもあり、冬場雪に包まれるような場所が、織物には適していたのである。琵琶湖側では、アシやヨシや蚊帳などの荒い織物が多くおられていたと言われている。

琵琶湖周辺というのは、昔は、農業も本来は難しかったりもしたという問題もあって、水を琵琶湖から戻して水利の確保を行ったりもしていた。もともと、漁民的な生活が強く、本来は内湖的な地域で、水上交通が江戸時代から盛んであった。江州と書いてゴウシュウと呼ばれるのも、本来、滋賀県というのは、山か、沼地か湖かという2択のような場所だった、沼地的な場所は沼そのものだったり田んぼだったり、そういう場所が後で埋め垂れられて平野となったのである。

今は周囲が平地にしか見えない安土城も彦根城も自然の琵琶湖という堀に囲まれた山の上に立っていたお城なのである。内湖はほとんどが埋めたてられてしまっているのが今の琵琶湖周辺の状況。能登川と安土の境あたりに昔の名残がのこってはいて、家の裏が船着き場のような家がみられ、メインの交通手段として舟があった時代の名残である。

母親の親元も家の中の台所の一部に用水路が流れていてそこで鯉をなん十匹も飼っていて、正月やお盆の時には鯉汁がメインだったのが記憶にある。あと、愛知川のウロリを取って食べるとか。母親の実家は農家で、自分の家でとれる米と野菜と川魚で昭和の50年ころでも食卓が成り立っていた。

今も集落の多くの家は、兼業農家でお米は自分の田んぼ畑を持っていて野菜は自分で育てている家がほとんどだろう。魚や肉は買うのだけども、野菜はほとんどが自前。滋賀県では麻織物が成り立ちにくいのも、60年もさかのぼれば麻織物を自分で織っている家が多かったから産地にはなりえても消費地にはなり得にくい要素があるのは野菜と同じ。

林与の呉服生地のほとんどは東京とか京都筋の呉服商がお客さんだった、服地になってからも、近江にゆかりのある生地商がメインのお客さんで、この20年くらいで、それもほとんど消えた。国内というのは需要が少なくなる一方で生産コストは逆に上昇して、間に問屋さんが入れるような余地などは難しくなってしまった感がある。
2022年07月17日
独自の技術というのは狙われがちで、もうなくなられた加工工場の社長さんから聞いた話で、新しいお客さんとの仕事が始まったと思っていろいろと工程を教えたら、いきなり中国でその加工をやろうとされたみたいな話とか。気の毒な話だけども、海外で生産している日本企業というのは、普通にそれが普通の商売だったりして、日本でやっていることを海外で安くやらせて、似たようなものを安く売るのが商売だったりするから。

個人の問屋さんなども海外向けをやられているところは、安いものや複合素材は、日本に発注してくるけども高い100%物というのはサンプルを渡しても結局、似たようなものを海外で作られてしまうだけだったりする。何百も資料を渡してしまえば、それだけで、今まで長年掛けて培った技術やデザインの蓄積を無料で海外のメーカーに提供してしまうことになる。私もイタリアで一番有名な老舗のウィーバーに60点以上サンプル請求で送った後は一切連絡なし。送るまでは何度もサンプルが届かない届かない送ってくれと連絡したのに、送ったら一切連絡がなくなる。他の方に聞いてもそのイタリアの老舗ウィーバーはサンプルをたくさん請求して買わなかったという情報。

世界中のブランドが憧れるようなイタリアの老舗ウィーバーにパクられるというのも、それはそれで、林与の作っているのと似たようなものがイタリア発で世界中に広まり、世界のトレンドになる可能性なんかもあったりはするだろうけども、サンプル泥棒的な行為というのはよろしくない話である。まだ、相手が見えているから警戒が出来たりもする。次のとしもその次の年もブースには来られるのだけどもいくら有名な老舗のウィーバーであろうが相手にはできない。イタリアの名門の生地メーカーとして世界中に名の通った会社でもまったく行儀がよくない。
2022年07月16日
夜8時ころに寝て、夜中おきて仕事涼しくて非常によい。仕事というのは張り詰めたものがないとなかなか形にはなりにくいもので、今日も確認の計算ごとなどを何度も行う。まだ、金額などの計算は後でも訂正が可能だけども、仕事の糸量や糸を割るカウントなどの計算というのは計算間違いが大きな失敗につながるので、そういう計算は本当に大事。作業しながらも検算的に正しいかどうかを確認しながら仕事をする。

現場の作業というのは失敗しないように100点で仕事しないといけないのだけども100点を目指して仕事をするというのはなかなかできないことだったりで経営よりも厳しいだろう。逆に経営というのはいろんなやり方があったりもするが成り立てばそれなりに経営。

先日お会いした専門家の方が私と同じような経営観をもっておられて経営というのは続くことが大事だというような考え方。今のご時世にそういう考えを持っている人というのは本当に少ないだろうと思う。そういう考えを持っていると、過去のものづくりなんかを大事にしたりして、過去のレベルよりも上を目指すことから差別化も図れて高いレベルも維持しつつ自分のモノづくりが始まったりする。

それまでに会社で出来ることというのは自分のできることでさらに新しいことをやっていくような部分がないと。新しいことというのは何も新しい手法で新しいものをつくるとかじゃなく、織物の場合だったら、色柄の展開をいろいろと作ったりすることも含まれ、それをどれだけたくさん短時間でつくれるかとかも差別化の一つ。

日本の織物工場で、先染めで麻織物を織れる会社というのは非常に少ない。番手が細くなればなるほど麻の先染めは極端に難しくなってゆくものである。色数が増えれば増えるほどコストやリスクは上昇してゆく。今は、無地ライクな世界が広がりすぎてチェック柄が珍しくなりすぎて、なんとなくチェック柄が新鮮で人気な感じもするけども、無地の後染めと比べるとチェック柄の生地をつくるのは2倍3倍の手間がかかっていたりするのが普通。

また、チェック柄というのは、色だけでなく、柄の大きさの好き嫌いなんかもあったりして、一つの柄が万人受けするとは限らず、一人一人の好みにはまる確率が低いから流れる量もすくなくなりがちだったりする。そういうのがチェック柄を大量には作りにくいところで、小ロット生産によってチェック柄というのは余計に高コストになりがち、2000年あたりまではチェック柄をつくるなんて林与でも当たり前だったのに、もう今はチェック柄をつくることは難しくなってきてしまっている。

特に百貨店ブランド向けなどは、多色使いの柄は、セクションの色の堅牢度をそれぞれ取ったりしないといけないので、どこか一か所でも堅牢度検査に引っかかると駄目だとか、一生懸命に多色使いのモノをつくればつくるほど商品開発のリスクは高くなる。収縮率なども染めた色などによって異なったりするので濃淡差が大きかったりするとバブリングと呼ばれる現象が起こったりもしやすくなる。先染めの配色というのは、色が違うだけでは済まないが多くなりがち。先染め向けというのは染めたあとの糸の物性なども考慮が必要で、高品位な安定した糸を探して使ったりする必要も出てくる。
2022年07月15日
京都で高校生の時、下宿していて部屋に扇風機が無かったので買ったのが、17000円のナショナルの扇風機。扇風機が17000円というのは当時驚くほどの金額でもなく、バブル時代というのはそのくらいが普通だった。でも、当時の扇風機というのは国産品でそれなりに良いものだったから、バブル時代というのは安い輸入品が溢れていたというよりも国産品ばかりだった。日本が今の中国の役割を果たしていたようなところがある。風量ランダムが付いていて、風が自動で強くなったり弱くなったりとこれは自然の風のようで、体が風になれてしまわないので、涼しく感じる。今だと当たり前の機能だろうけども、当時としては画期的だった。

他の家電製品で人気だったのがソニーのカセットしきのウォークマンで3万円くらいした。ほとんどの学生が1台持っていたんじゃないだろうか、他のメーカーの1万円くらいのとかもあったし。コンビニも出来始めたころで、夜中に行くと涼しかったのを覚えている。当時はサントリーのウーロン茶が人気でたしか1Lで200円だったかなあ。ペットボトルがまだ希少だった頃。

扇風機の話に戻るけども、それをまだ使っている。見た目もまだ良い感じのままで、思35年前のものだとは思えない。家にはもっと古い扇風機があるので、そういうのは私が生まれる前の昭和30年代のとか、母親は、高校の時の扇風機を工場とかで使おうとすると、背の低い60年前の扇風機に交換する。もったいないということなのだろう。母親の使っているラジオも60年以上は前のだろう。新しいのもいらないし、まあ、最後まで使えたらと思うし、捨てることなく残しておきたいくらいである。
2022年07月14日
国内で、最近またコロナの感染者数が増えている。感染しても自然に治るようなレベルのものなら感染をそれほども恐れる必要もそれほどはないのであるのだけども、体力のないお年寄りや免疫力のない病気を患った方などは、コロナで病状が悪化する確率は高いだろう。悲劇が起こりやすいのは、入所型のケアハウスや入院型の病院であったりもして、特にセントラルヒーティング型の建物はいくら人の隔離をしても、空気の管理はしにくく、エアゾル化した空気がすべての部屋に循環してしまう可能性も否めない。看護士などがおられる家庭では、その家族の方なども他の人との接触を抑えないことには、家庭内感染が職場感染につながって、接触を避けることが難しい病院の現場でクラスターが起こる可能性があったりもする。介護士の方々も介護の際に接触などはどうしても必要なってくる職業なので、その家族の方々も行動は家庭内感染を起こさないために慎重にならざる負えないだろう。

一番コロナ感染リスクが高いのにコロナ感染対策を一番しないといけないというのは、大変なことだと思う。病院などでクラスターが起こったりすると病院が叩かれたりするけども、それは安全なところにいる人が無関係だから病院を叩いたりできることであったりもする。武漢でもコロナが悪化した背景には、隔離したのは正しかったが、体育館のような場所でベットを並べて換気もせずに集団隔離をして余計にウィルスの温床になったことが、死亡者数を増やした原因になってしまった。完全個室型でそれぞれの部屋が外気と喚起できるような形でないとコロナ患者の隔離も適切ではない。

人の命というのは案外不安定なものだなあと思うのは、私が、数か月前、群馬県に車を運転していったときに、コンビニのおにぎりがパサパサで、それほど急いで食べたわけでもないのに、のどのあたりに張り付いてしまったか、肺の方に誤飲されたかで、呼吸すらが苦しくなり、たまたまお茶も買ったのでそれを飲んで、なんとか吐き出せたからよかったけども、林与のような普段元気な52歳のおっさんでそんなものだから、高齢者とかだとおにぎり一つでも食べ方が悪ければ死んじゃうのも分からないでもない。たまたま、私ののどのあたりが長時間運転していたので普通とは異なるコンディションのところにパサパサのおにぎり、胃に流れていくことが難しいような状況がたまたま発生したのだろう。まだ、下を向いて吐くことを思いついたので吐いて回避できたけども。お行儀よく車のイスに座ったままじっとしてたら治るかもみたいなことしてたらアウトだったかもしれない。お茶がなかったら完全にやばかっただろう。

コロナでも、亡くなったり回復したりも、微妙なバランスで成り立っていたりするんだろうと思う。亡くなる人にしても、誰かから感染したのだからトランプが要求したように最初の犯人をみつけるかのようなことをやったりしているけども、アメリカでもダイアモンドプリンス号のそうとう以前からコロナが広まっていたというような血液検査だかの結果も出ていた。アメリカでも7万人が1月時点でインフルで死んでいるとか、CDCもコロナの存在を認識しているのに、たんなる風邪だといって、コロナ検査は一切していないとかおかしな事情も感じる。日本の神戸でも武漢の半年前の8月には保存された血液の分析でコロナがみつかったり、イタリアでは1年前くらいからコロナが広まっていたのではないかとする調査結果など、武漢が問題になったのは、アメリカでインフルと思われていたようなものが武漢に持ち込まれてあの隔離方法で結果濃縮されて大量の死者を生み出したのではないかと私は想像したりしている。

あとネズミに一回移ってネズミから人間がもらってみたいなので変異が起こったりしたとか。ハタン熱と似たような、2タイプの症状がみられたりと、ネズミが媒介している可能性はあるのではないだろうか、ニューヨークも地下には下水が通っていてネズミのアジトだったりする。コロナで都市部がやられやすいのは下水が発達してネズミが多いからではないのかと思えたり。都市封鎖すると地下からネズミが大量に食べ物を探しに出てくるとか。実験でラットつかってコロナ感染実験しているので、まあ、ネズミ系は人のコロナに当たり前に感染するだろうし。ニューヨークの場合なんかは、ほぼ全員が感染するまでは収まらないような状況でコロナも収束をしているような気もする。

今、上海が再度ロックダウンされる可能性もあり、上海の人たちはそのリスクに備えて2か月分くらいの水や食料などを用意する人は多いだろう。食料品などが値上がりする背景にもなっているだろう、命が一番大事なので、準備できるなら多くの人が食べ物は準備しては欲しいなあと思う。中国政府のような力は、弾圧的なようにみえるところがあるけども、そういう力が存在しないと中国でヘンプ産業なんてものは原材料の管理からして無理だったりもして、そういうのにあやかる形で、今、日本でブームになりつつある、ヘンプは糸になり洋服に使われることが出来るのである。日本で本格的な産業大麻栽培を考える時には、国営的なものでないと、認可方式ではいくらでも裏で怪しいことはできるので難しいだろう。熊本のあさりみたいな30年もほとんどが偽物状態の経営に陥るのは必至。

今、中国で河南省で銀行が引き出し不能というような事態も起こりはじめ、恒大のデフォルト問題なども含めて、今までの拡大路線も成り立ちにくくなるだろう。10年ほど昔のことだけど、びっくりしたのは中国の新しく新幹線の開通した駅のまわりは、まだそれほど建物もないのだけどもどこもかしこも銀行だらけ、言建てられている途中の建物もテナントは銀行の看板ばかり。何百もの銀行が、土地バブルの準備段階だった。田舎の駅からも遠い高層マンションの3LDKくらいだろうが9000万円とか、東京以上に中国の田舎のほうがマンションも高くなってしまっていた。日本の不動産バブルは戦後40年ほど、中国は3倍くらいのスピードで不動産バブルを経験しているような感じなんだろう。

日本の田舎の不動産バブルというのは当時は今の50倍も当り前、まだ、その感覚から抜け出せない人も多い。日本の築30年のバブル期のリゾートマンションなんかは今や50万、100万。共益費、修繕費積み立て、建て替え問題で、ババ抜きのババのひかせあいみたいな感じ。そこに本当に住むなら格安だろうけど、軽い気持ちで買うと巨大なマンションを建て壊すだけで、アスベスト問題も絡んで全体で何億円もの費用が掛かるケースもある。本来だと30年後の今頃、買ったときの2倍3倍で売れるはずだったのにみたいな投資物件の破綻を、今日本は解決してゆかないといけない。国も推奨して上場企業の儲け頭となった夢の繊維だったはずのアスベストが健康的被害だけでなく、購入した国民に対しての莫大な経済的被害となっている。そういう処理事業も、PCBやアスベスト生み出した側のビジネスモデルになってたりしていることもあるからエグイ。
2022年07月12日
昨日、専門家の方と話をしていて、林与という会社は小さな会社だけども仕事の種みたいなものというのはそれなりにこの15年ほどでも撒いてきて、仕事していて余力があると種を撒くみたいなところは、やっていきたいなあと思う。種といいながらも私にとっては自分が織物の業界にいて興味のあることを実現したいようなことを麻布という形で実現するような形だったりするので、かなり自分自身の織物に関する疑問みたいなものに答えを探し出してきたようなところがある。どんなことをやりましたか?みたいなことで、20くらいは通常の織物工場とは異なるアプローチで取り組んでそれなりに育った種も多いなあと感じた。

自分が作った織物でも、最初はあんまりかなあと思っていて、そういう試作をそれなりに洗いを掛けたりして残しておくと、しばらくすると自分自身がその布を見る目も変わってくることもあったりする。代替が、無理無理に作った織物で織るのが難しく断念したような試作とか失敗だと思っているようなものが、やっぱり後でこれは面白いみたいな部分を感じたりする。

私がやったプロジェクトでも短いものは2週間くらいで答えが出てきたり、長いものは3年とか5年とか、その時の余力のあるかないかで、プロジェクトの解決速度も変わって来る。一つのプロジェクトをつくるってすごいことのように思えたりもするけども、一つの本生産や依頼される見本とかのほうが現実的にはすべてが正しくないといけないので仕事としては高度であったりする。

だから、私自身は普通にみえるお客さんの求めるものを毎回毎回正しく作れるくらいの力があれば自分で自由にモノをつくっていくことはそう難しくないと感じていたりして、車の両輪のように今ある仕事をこなしながら、それをさらに発展させたような織物や、まったく違って見える織物など作ろうと考えたりで、売れる売れないにかかわらずに技術的な問題にぶつかってみながらそれを解決して織物の形にしていくみたいな。

出来上がったもの以外に、技術的なことへの理解の深まりや、今まで織れなかったものを織れるようにするためにはどうすればよいのかとか、なぜ織れないのかとか、織れる織れないの境界線あたりで時間と体力を使っていろんなことをやってみるというのは経験値を上げる結果になる。器用な人というのは私のやっていることを見て意味を理解して自分も出来るようになるという、ものづくりの一番普通のアプローチに近づく。そのアプローチというのは、布を見た時にどうやってつくってあるとか自分で自然と想像を広げるアプローチにも近く、そういうアプローチが出来る人というのはどんどんと前に進んで行けるタイプではないかと思う。

私自身、織機が正しく動いていたものが正しく動かないときに一番最初に原因となるのが織機自身ではなくて、作業している人が何か変わったことをしてしまった可能性がないかを尋ねる所から始める。変わったことをしていれば、それが原因である可能性が非常に高く、なければ、織機を普通に動かしてみて違和感がないのか、どうか。
2022年07月10日
今年は蚊のいない夏といわれている。このまえ岐阜に納品に行った時には、蚊が何匹か飛んでて、林与の住んでいるところのほうが田舎だけど、田舎に来たみたいな感覚になった。こんなに夏らしいのに蚊がほとんどいない、今日は一匹みただけ。たぶん、蚊にしても、暑すぎるだけでなく、血を吸う動物すらもほとんど見つけることができない状況だろう。犬も猫ももう家の中だし、野生動物もいないことはないけど、たまに、キツネと狸を見かけるくらい。

子供のころに蚊帳があって、昔の緑の蚊帳というのはもうつくれないらしい。染料の関係だろう。蚊帳というのは、本当の昔は麻で作られていた。というのは、碁盤の目に毛羽があるので、蚊が侵入しないから蚊帳には麻が使われたのである。滋賀県では湖岸で蚊帳が織られたという話を聞いたことがある、蚊帳で有名なのは奈良だけども、今は蚊帳の織物の伝統が、粗目の織物ということで、植物の栽培などに使われる合成繊維の寒冷紗を織るのにつかわれているということ。

金鳥の蚊取り線香は、蚊の嫌う菊と鶏のマークだと知ったときに、昔の人というのはセンスがあるなあと思った。それを知ったのが大人になってからで、子供のころは知らないで金の鳥なんだろうと思っていたが、鶏はやっぱり、蚊を食べるんだろうか、または、ボウフラを食べたりするんだろうか。鶏の匂いを嫌うのには遺伝子に刻まれた歴史的な理由があるはず。

最近は暑すぎて水分を良く取るようにしているけども冷蔵庫に入っているのが麦茶と十六茶で、健康志向なのは分かるのだけども、私としてはもっとパンチの効いた濃いお茶とか、午後のお茶のストレートとか渋みのあるやつのほうが、飲んだ時に水太り感を感じずに気合が入るように思う。自分で買いに行って工場の2Fの冷蔵庫で冷やしておく。
2022年07月06日
今日、京都に住んでいる方と電話で半年ぶり位にお話しして相当に暑いそうである。京都というのは古い都だけども、人は常に入れ替わっていたりして新鮮なところが維持されているようにも思う。私も学生のころに京都に7年住んでいたけども、京都は学生の街なので住みやすいと思う。

外から京都に移り住むものというのは住む場所を選べるのでもともと住んでいる人たちよりも、便利な所に住んで、より華やかな京都らしさみたいなものを味わっている人が多いと思う。私も、小さな京都の事務所は京阪三条の駅前で、部屋の狭さよりも周辺の環境が便利で駅から一番近いからという理由でそこに決めた。

昔お付き合いのあった京都の問屋さんなんかはやっぱり室町界隈が多いが、それはもう昔の話で着倒れといわれた京都でもアパレル生地問屋業というのは非常に難しくなってきている。和装関係の業者さんなどは本場のままお店を構えて残っておられたりしてそれが京都らしいところだなあと思う。近代的なビルの立ち並ぶ烏丸から室町通りに移ると雰囲気が町家っぽい老舗のお店がたくさん見えて、そういうのが変わらない京都らしいところかなあと思える。

市内の中心部にも捺染工場なんかも点在をしていたのだけども、捺染台など作業空間が必要で、やはり固定資産税など難しい問題も多いんだろうと思う。多くが京都市内の中心部から右京や南区など移動された企業さんは多い。商いというのは表は商い、その奥は家みたいなのが普通でだから京都の商売が何十代も続いていたりする。京都の人の商売観というのは家業的な感覚が非常に強いとは思う。自分が生きていくための拠点が代々住んでいる場所でありその家の前の部分が商いの場所。そういう形って昔の商店街のようで今は珍しくなってしまっているけどもそういうのが本当はサステイナブルな形なんじゃないのかとも思えたりもする。
2022年07月05日
低価格ゾーンだった大手SPAも高年齢層化してきて商品単価も上昇中で、数字だけを見ると、客単価は上がって客数が反比例して減るなど従来アパレルの成長期を終えたような路線に近づいてきている。雇用形態も、非正規雇用で若年層を有利に集めて来た形式から、正規雇用に移ったことで、売り場も1年1年高齢化していくような形。ブランド自体が若者層向けの展開が難しくなってゆくようなフェイズに入った。戦後若かった地場産業系の繊維産業が衰退していったのと同じような路線に入ったとは思える。

ディスカウントストアーがつぶれる一つの典型が、とりあえず安くて八百屋のようなものの売り方でバッタ物っぽかったから人を集めていたのに高級化したときに売り場は上品になって百貨店の高級な売り場みたいになったけど、お客さんは以前よりむちゃくちゃ減ってしまったみたいなのはよくありがちでつぶれちゃう。

どこのブランドも同じようにブランドの中で働く人が高齢化してくると、ブランドイメージの年齢層がどんどんと上がって来て、何十年も愛用者がいれば、どこもがシニア向けのブランドになってきてしまう。安いヤングカジュアルで始めたのに、半世紀経てばシニア向けのブランドになっているとか。

日本の大手SPAも2000年あたりからなので、20歳ほど時がたち10歳くらいは年齢層が上がっただろう。正規雇用始めたのでこれからは売り場のスタッフなんかも毎年1歳づつ年を取り始めることになる。無名のときに集まった人たちよりも、有名になってから待遇に憧れて集まった人たちが仕事ができるのかというとそれはまたなかなか難しい話。
2022年07月03日
私自身、チャンスがあればそれなりに動いていきたいなあと常に思っていてそういうのが大事だと思う。みんなすごいことをやりたいと思ってはいても、そのすごいことというのがなぜか目の前のことじゃなかったりして、すごいことをやるときにもやろうとすれば目の前のことだらけなんだからそれができないとすごいことも無理だろうとは思う。

目の前のことは雑用に見えるのだろうけども、全部共通していて。たとえば海外にものを売りたいと思ったときには、結局、インボイス書いたりとか送り状書いたりとかしないと話だけで終わってしまう。そういうのを他の人に頼んでいたら毎回毎回マイナスに終わって続かなくなる。DHLとかFEDEX使うにしても自分で送り状とインボイスを作らないと無理だし、もっと安い方法を考えるときにはその国に特化した安い業者を探すとか、自分が動いてみないと答えは見つからない。そして1回勝負だからリスクを覚悟で毎回毎回やっていく。

展示会のイベントなんかも私自身は続けて参加をしたいタイプなのだけども、イベント参加するときにも毎回毎回準備も必要で、イベントに立つのは簡単でも、そういう準備とあとのフォローも必要になってくる。そしてイベントを仕事につなげて実績みたいなものを作っていくときには仕事をこなして行くような力が必要で、結局一番大事なのが、一つ一つの仕事を自分が前に進めていけるような力みたいなものだったりする。

一つの企業がやるようなのと同じ力を自分が持っていないと駄目みたいなハードルなんかがあって、そういうのを自分一人でもこなせる人が結局チャンスとピンチを毎回毎回乗り越えて実績を積んでるだけだろうとは思う。他の会社さんの例でも、イベントで使う棚を自分で作られたのだけどもそれを運搬する手段が必要ということで自分で投入倉庫まで格安にレンタカーして持ち込みとかで解決されるとか、プロ顔負けのしっかりとした素敵な棚を自分で作れる力もすごいけども多分それが一番簡単な方法で現実的な方法、棚を作ったのは良いけども毎回運送会社に何万円も払って往復していたら成り立たせるのが難しいので自分で持ち込み引き取り手段の確保される。そういうのが出来るから続くっておっしゃってたけど、ほんとそうだと思う、私も自分で持ち込んだりするタイプなので同じような行動派の考えをもっておられるなあと思う。やろうと思ったことを実際に一か八かも恐れず実行され実現されるあたりが本当に力を持っておられるなあと尊敬するし、そういう力が布をつくるときにも生きていて、ジャンルは違うけども意匠性のあるレースなど素敵な布の世界につながっているんだと思う。イベントのチャンスをうまくいかされていると思う。私もイベントにハギレでつくった大小さまざまなキッチンクロスを何百枚も大量投入するなど企画してイベントのチャンスを自分で活かせるようにやってみて正解だった。

やってると本当に疲れ切って限界を超えそうになることも多いけども、成果がないともっと疲れてしまうので、成果が出そうなときには全力で成果を出しに行くことで答えが全然変わってくる。同じイベントでもやり方によって全然答えが変わってくるだろうと思う。
2022年07月02日
物価の上昇が著しく、日本大手SPAの中国製品も5割価格改定されるなど普通に990円で買える時代ではなくなってきた。今後は、中国国内と同じく3000円とか5000円くらいでの流通が普通になってゆくのだろう。ヨーロッパや中国など海外で原材料をつくっている原材料の価格上昇も著しい。

リネンの場合フラックスが不作ということや円安もあって、5年前と比べると糸値も2倍くらいの価格になってしまっていて、受けている受注の分に関してはなるべく卸値を上げないようには努力はしているが、受注を受けることが非常に難しいような状況になってくる。

林与の場合、国内では高級アパレルが苦戦の状況だったから逆にまだ着分サンプルや本生産の価格などを約束しているケースが少なかったから良かったものの、進行してしまった企画を2割3割、原料高の影響で生地の卸値を価格訂正しないといけないのは、進んでしまった企画をどうするのかという問題につながってしまう。バルク物などをやっておられるところは回復気味だということだけどもサンプルなどを受けてしまった後に本生産での原料コストの何割もの上昇を理由に何割もの値上げをお願いするは難しい話だろうと思うが、そういう話が多くなりそういうのを想定し始めると仕事が受けられないような状況もある。

織物を作るだけでなくそういう外的な要因を理解していないと大きな落とし穴にはまってしまうことになる、地道な仕事なのに、生産を守ろうとすると、投機的な要素を必要とし無駄に資金を使ったような結果に終わる可能性も高くなる。外的な要因で、特に製造業は原料高騰でどこもがさらに難しい状況に陥りそうである。



2022年07月01日
くら寿司とかで好きだったのが、オニオンサーモン、サーモンというのは本来は寿司にはなかったようであるが、ノルウェイとかチリの養殖物がアニキサスのような寄生虫がいないということで寿司に使われているということ。その裏の話としては抗生物質たっぷりで育てるので寄生虫がいないということで、抗生物質サーモンということではある。寄生虫よりは抗生物質のほうがマシと思う人も多いだろう。

ノルウェイ産やチリ産が、特別にすごいとかいうよりも抗生物質を混ぜた餌で育てるというのが産業となって定着しているのである。たとえば、鶏なんかも養鶏ものは同じことで、抗生物質と成長ホルモンを混ぜた餌で育てられる。結局は、そういうのが人の口から入って、アジアでも女の子たち西洋型のグラマーな体形になりつつあり、鶏肉の成長ホルモンが人の体に入って成長を促しているのだろうと考えられている。

もう危険信号とか意味すらもなくそれが普通の今の食文化なので、外食を食べている限りはそれを受け入れて抗生物質が入っていて安全な食品だという認識で行くしかないんだろう。安全にするためには、よほどの量が与えられているとしか考えられないが、寄生虫がいない安全なサーモンなのである。

日本でも、ウナギを大きく育てるのに植物性エストロゲンが使われ、ウナギをふっくらとおおきくするそうなのだけども、そういうのを食べることが、結局、人に女性ホルモンを与えるのと同じような効果につながる可能性はあるのだけども、そういうのを進めている人たちは、専門分野じゃないで済む話だろう。実験で育てたものを、もう食べちゃったりしているから日本で出回る養殖ウナギもそういう育てられ方になっていくんだろう。

直接人間が摂ることを躊躇うようなものを間接的に食べ物から接取する話。人間も養殖されるサーモンや、成長ホルモンで育つ鶏のように、良いとされるような体つきになり理想的に見える部分もあったりするんじゃないだろうかと思えたりもして、問題が起こったとしてもその要因を特定することも難しいだろうし、食の拡大に伴い、低コストに抗生物質を与えられて育ったものに置き換わる流れは変わらないだろう。

2018年から大手のハンバーガーチェーンも鶏肉だけでなく、牛肉への抗生物質の制限に取り組むと表明をし始めたけども簡単ではない問題らしいから、それまでは、ハンバーグに使われる牛肉に関しては病気になりにくい抗生物質漬けの飼育が当たり前だったろう。データもまったくないという。肥育ホルモン剤とよばれるものも使われていて、EUでは禁止を始めている。

間接的に成長ホルモン剤や肥育ホルモン剤を取ることになるので、小さなころからファストフードハンバーガーショップで毎週とか子供連れで食べると、子供の体つきはやわになるんじゃなくてりっぱに良くなるだろうと思う。良いことなのかどうかは判断は分かれるだろうけど、それがファストフードハンバーガーショップの一つの効果だと思う。高カロリーや、脂肪酸問題以外にもより、成長に左右するような問題。

知ってて食べるのと知らないで食べるのはまったく別の話だろうと思うから、知って安全なのかどうかは自分が判断して食べるようにするべきだろう。
2022年06月30日
月末というのは支払いや納品など行わねばならず、織る作業よりも事務作業に近いことの調整ごとのほうが1日忙しい。リネンの糸の価格が上昇するということで得意先には連絡して発注予定などを考慮して糸を押さえるかどうかの判断などをしていただく。

正直、物価はどんどんと上昇しているけども、市況というのはコロナ前まで戻っているのかというとそういうわけでもないのに、コロナ前と比較すると中番手から太番手の糸値は2倍近く、使う糸の重さを考えると細番手の高級ゾーンよりも高くなってしまうものも出てくるくらい。

昨年の作柄の悪さや輸送費の上昇や円安なども大きく絡んで今までにないほどの糸の値上がりを経験している。地球温暖化というのはフラックスの栽培に関してもマイナスの影響ではあり、従来栽培されていた地域での栽培が気温上昇によって難しくなってきていたりもする。

しかしながら、麻という素材はエコ素材の筆頭に挙げられるほどに脚光を浴びていて注目度は高い。リネンなんかは特に不安定な要素が絡んでいるので、世界の需要を満たすようなことにはならないとは思うし、年々、織るのが難しくなってきているような気がするのである。一般的には連作障害があるといわれ、7年に一度とかいわれているけども、そういうこともなく同じ場所に植えられているのが普通であったりもして、日本でいうところの豊作不作が繰り返す柿みたいなものかなあと思ったりもする。

今日は、夕方岐阜に納品に行くと、綿をやっておられる方なのだけども麻の話になった。麻素材の中でも大麻に注目されている方というのは多いけども、例えば中国で大麻が栽培できるのも軍の管轄下にあったりするからで民間管理だと無理な話、日本で栽培するということは中国のようには統制を取ることは難しいであろうと思え、日本で栽培を許可すると裏で違法栽培だらけになる可能性は高く、特別許可の出た鳥取の大麻で町おこしでも違法栽培が摘発された。そんなものである。

今、空飛ぶタクシー構想とかあったりするけども、日本じゃあ無理なのも、交通規則にしても縛りすぎているのに空飛ぶタクシーなんて、投機筋の話なのかなあと思えたり。整合性のまったくないものというか、規制を厳しくしているものに、すごいチャンスを夢見させるようなところ。出前ビジネスも労働法規を見逃して独立事業者という扱いで、脱法的な要素だから成り立つような、厳しい日本の法律を逸脱したことをやればそれがニュービジネス的なのは、忖度な世界そのもので、派遣業にしてもそうだけども無責任においしいところ取りでやりすぎでまともに働く人を雇用していることがアホなレベルになってくる。
2022年06月29日
また機屋さんがそろそろ引退の時期を迎えられておられるようなお話を聞いた、そういう方のお仕事を私が引きついでみたいなことはありがたいことではあるのだけども、私自身がそれなりに今受けている仕事で手一杯だったりもする。仕事は受ければそれなりに時間も労力も使うから順調に織れて1台で1時間に1mから2mとか、その前後の同じくらいに時間の掛かる作業なども考えると気軽に受けることは難しいのは、やってこられた方も同じ気持ちだろうと思う。

何十年もやってこられた仕事というのはそれなりに高度な完成形を持っておられたりするので、同じレベルのモノを手が足りないからと言って人を増やせば作れるのかというと、それは難しい話で甘さが募るともう仕事を受ければまともにものができない可能性のほうが高くなる。

古い織機なんかも別のところに移設されたりはするけどもそれを動くようにするまでには、それなりに力が必要で、移設したとしても動かないとなるとそれは今までの仕事すらが難しくなる流れ。織機があれば織れるのじゃなくて、織機を正しく動かす力が必要で、またその織機で織れる仕事が回って続いていないと、仕事としては成り立たせることは難しい。

機を自分で準備して動かして仕事として成り立たせる能力というものがあれば、普通の仕事の作業からすると何十倍の負荷の掛かるような内容。そういうのを仕事としてやっておられるというのは私自身の普段と被ることも多いので、大変なことだろうなあと思う。

織物の仕事というのは正しくできる限りは定年みたいのはないんだけども、目が見えなくなったり、動くことが難しくなったり、重いものが運べなくなったり、細かい作業が出来なくなるような体力的な問題と、仕事が面倒だとか、仕事に対する責任感がないとか、考え方の問題、正しく同じものを再現できないとか、糸のロット管理ができないなど管理能力の問題などが出てくるとそこが引き際のタイミングで、経験の長さではなくて、初めての人も経験者も同じ土俵の上に立っているんだと思う。私が教えて来た中では、初めての人のほうが経験者よりも早く作業できるケースも多かったり織物に対する理解度も高かったりする。

今回の引退される方も最初からずっと当たり前に作業を受け入れたやってこられて、十分に働いてまっとうされ引退なのでそれはそれですごく理想的で幸せなことだとは思える。そのように人生を終えることができる方たちというのは対人関係にしても、小さく地道でもすごく人ができているんだと思う。
2022年06月27日
4年前に、廃車にするのがもったいないということで、中古で格安で譲り受けた軽自動車が、とうとうエンジン不調で廃車に。次の車検も11月なのでまあ良いタイミングで手続きもできそうな感じ、5月末に岐阜に行ったときにオイルマークが出ていたけども、そんな状態で焼津に行ったのが駄目だったんだろう。今日整備工場にもっていったらカタカタ音のする原因はエンジンが叩いているということで、廃車。

まあ、新しいスタッフやインターンの子たちがペーパードライバーだったりで、運転の練習用にちょうど良いだろうと自由に使ってもらっていた。いろんなところが擦り傷出来たりと最初の練習用の車にはちょうどよかっただろう。会社の仕事よりも将来一生役に立つ技術は車の運転だろうからちょうど今はスタッフの子たちもいない状況なので廃車にするには良いタイミング。でも、軽自動車というのは本当に燃費もよくって小回りが利いて田舎の集落の細い道でも楽々。4年で3万キロくらいは走っただろうから十分に活躍はしてくれた。お疲れ様である。

車を運転するということは、単に運転するということだけでなく、乗っている人の面倒を暗黙のうちに見ることになるので、子供から大人にみたいなところがある。運転して他の人の移動を助けるだけでなく、ガソリンは誰が払うのかとか駐車場代は誰が払うのかとか、自動車を運転したことのない人だと自分が払うなんて想定もないだろうけども、自動車を持っている人というのはそういうの普通に負担して周りの面倒をみたりすることになる。車検や保険とかも考えると月に何万も自分が負担して周囲の車のない人の移動を支えたりとか普通にできるようになれれば、面倒をみてもらう側から面倒をみる側にもなりやすい。

あとドアの締め方なども、車を持っていない人はドアを思いっきり閉めるとかよくありがちだけども、車を自分で持っている人というのは優しく締めることができたりもして、それは日常生活でのドアの締め方や日常生活にも共通することで、加減というものを常に意識したりにもつながる。
2022年06月26日
今日は朝から堤防の草刈り、集落の行事なのだけども、多くの方が70歳以上。草刈り機で草を刈るのだけども、今日は朝から暑くて、姿勢を維持しにくい斜面の草だらけのなかで1時間作業するとかなり疲労。長袖長ズボン長靴というような服装で、もう体中の力と共に水分も抜けきって、途中の休憩。かなり疲れていたが水分補給して少し回復してまた30分ほど刈って9時には終了。下に防寒カルゴパンツを履いたのが大バテして原因か、汗かいて無茶苦茶重くなって歩くのも大変で。全然関係ないけど、このズボンで川に入ったら溺れるわと思ったくらい、草刈り中も溺れているような苦しさ。

たぶん堤防の草刈りの目的は愛知川の7月の花火のときに、近くの工場の駐車場に駐車して、花火を観る人たちが、堤防の土手を歩いて移動できるようにとう考えがあるのだろう。たぶん138回を迎える愛知川の花火という伝統行事を裏で支えているみたいなところがあるのを知っているとやりがいも増す。今年はコロナで花火大会中止のようだけど。1年間が開くとと、竹や蔓なんかはもう硬くなってしまって切るのが難しくなるので生え始めた時に刈っておかないと切るのはそうとう難しくなる。

こういう行事も作業自体が世間一般の普通の仕事よりも重労働だろうし、他の行事と同じで親しい者ばかりの空間なので次の世代の人とかが新しく参加するのにはかなり覚悟が必要だったりするだろうし、10年経てばときにはさらに10年高齢化が進むだろう、ほとんど参加メンバーは変わっていないんだろうなあと思えたりする。みんな歓迎はするものの、次の世代の若い人たちが参加するというのはなかなか覚悟のいることだろうなあと思うし、世代を超えてだれとでも話せるようなタイプの人でないと他の人が声を掛けたときに、うまく受け応えできないとそれがまたプレッシャーというか苦手意識になるとかも普通にあるだろうなあとは思う。

帰りには、竹藪の出口付近で出たばかりのタケノコを一本見つけてみやげに持って帰った。ひと月ふた月遅いだろうか、なかなか食べられそうなのは今はない。今年はつる草の大群で土手では青苧はほとんど見かけなかった数本本くらいか。場所にもよるんだろうけども去年の場所のほうが青苧は多かった。
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