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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2023年01月06日
仕事していて大事なのは起業的な行動みたいなもので、ものづくりのアイデアとかビジネスプランだけではなく、それを実際にものをつくって売ってみるというのをどうやって毎回毎回形にしてゆくのかということ。織物の仕事というのは毎回毎回がそういう具体的な作業ばかりで、現実的な仕事の繰り返し、織物の仕事に関して言えるのは、地道な仕事なので誰にでもチャンスはあるけども正しく作業が出来ないとやらないほうがましだということ。これも起業的な行動が成り立つのか成り立たないのかというのと似ているなあと思う。

仕事というのはうまく行かないことのほうが多いのかもしれないし、とりあえずそのうまく行かないことに関しては宿題的に将来解決するというような形に保留をしておいて、現実的な出来る仕事をこなして成り立たせてゆかないといけない部分があって、そういうのが現実的な仕事に見える人でないと地道な作業というのは難しかったりもして、ものごとがみえていないとそういう現実的な仕事を単純な作業のようにとらえてしまって、そういう単純な作業をやっても仕事のレベルまでいかないとかもありがち。

織物じゃなくても仕事を現実的にこなされている方というのは、最初の日から織物の作業も坦々と仕事をこなせたりするものでまさにプロだなあと思えたりもする。そういう人だと余力も生まれて、考えておられることなども現実の作業とどう兼ね合うのかなどが理解できるので企画も現実的に進みやすい。どうかんがえても難しいような話で持ち込んで来られる方が多かったりもして、そういうのは現実がみえていない企画で、アイデアがあれば周りがそれを実現してくれるみたいな感覚で自分が食べていくみたいな商売感覚の人というのは、いろんなところをうろうろとされてて形になりにくいことが多かったりするように思う。

繊維の仕事なんて、極論からすれば、ないと困るような話でもなく、自分が成り立たせようとして成り立たせないとそれは仕事としての最初の時点からしても難しかったりするあたり。百貨店でイージーオーダーの元気な会社さんがあるけども、その会社のシャツの縫製の職人は、イージーオーダーで受けて裁断されたシャツを1日に8枚くらい縫い上げるという。それだから食べていけるのであって、そういう人なら他の仕事をしても通用するタイプの人たちだろうなあと思う。超えた世界がないと通用しないのが今の繊維業界で、超えたような現実の世界をどれだけ持てるかというあたりが大事なんだろうなあと思う。

現実問題として日本では普通の麻生地をつくるのももう難しくなってきてしまっているという実情があったりして、つくれたとしても難しいのだが、つくるのすらも難しいという問題があったりもする。日本の繊維世界がどんどんと小さくなっていくのも、どんどんと仕事をこなすこと自体が難しくなってるような現実があるだろうと感じる。コロナで繊維業界をとりまく概況は、コロナの前の何倍も厳しい状況でそういうのがみえていないところから始まると理想論というだけに終わってしまう。現実的な仕事を受け止める割り切りみたいのがあってやってると仕事の意味なども見えてきて新たな方向性もみえてきたりもするのだろうとは思う。
2023年01月05日
今日から仕事始めのところも多く、年明け一番の加工上がりのものを加工工場に取りに行く。家族がコロナの濃厚接触などで休まれ、現場が通常のようには回っていないとおっしゃっておられたが、無理して大急ぎで加工を上げてくださって本当に助かる話である。

林与の手掛けている織物も、熟練の職人でも問題なく織ることが難しいものが多くなってしまっていて、私が織ってもそれなりに注意して織らないといけないことが多く、それなりに、作るのが難しい要素がいろいろと入っている。昭和や平成の時代に織れなかったような織物を織るというのも一つのテーマで、そのためにはその時代の人では難しく、次の世代がそれを超えたモノづくりをしていかないとならない。

普通の織物だと簡単なのに耳までリネンがなぜ難しいのか?高密度織物はなぜ難しいのか?超細番手の織物はなぜ織るのが難しいのか?いろんなチャンネルをもってそれぞれのチャンネルでの解決方法を蓄積して、量産の織物として投げ出さずに織れないと本生産を受けるのは難しいし、そういう難しい織物はどうしても織機の調整に1週間とかの時間が掛かることも多い。

私からするとこんな古いアバウトなシャトル織機でよくこんな細い糸が織れるなあとか、華奢にみえるシャトル織機が高密度の物を織機が我慢して織ってくれているなあとか、最新のモノづくりを求める中で、昔のシャトル織機が活躍しているというのは、シャトル織機には織物の基本があるんだろうなあと思えたりもする。
2023年01月05日
倉庫の敷地内に電柱があって、それを移動できないかどうかを電力会社に立ち会ってもらって相談。出来るそうではあるが、隣の家の蔵の屋根がかなりギリギリまで迫っているので、30cmくらいは余裕を開けておかないと隣の家が困るだろうなあと思える話。そうすると水路の上のコンクリートの橋を車で渡るのが難しくなる。コンクリートの橋を横に広げればよいのだろうけどもそれはそれで厄介な話。

電力会社的には、敷地内で電柱を動かすのは普通のことのようなので、まあ、周囲とも相談をしながら妥協のある範囲で動けば良いかなあと。倉庫の土地にしても解体した後に近所の方が買ってくれると一番よいのだろうけども。蔵の屋根の問題もあるが、昔というのは樋が無かったので、水路の上で屋根と屋根が重なり合うような構造で、雨水が水路に落ちていたようなのが普通だから、今の法律で云々を言っても仕方のない話でもある。慣習というものをそれなりに尊重することも㎡大事で、そういう慣習に従わせるからには同じ権利を与えるのことが必要。

まあ、電柱にしても自分の家も会社も電気を使ってはいるのだから、お互い様みたいなことがあって、自分の敷地には電柱は嫌みたいなことをいうのも、誰が他の人にしわ寄せを被ってもらうような考え方で好きではない。
2023年01月02日
昨日の夜から小雨が朝まで続いて、午後に雨が止んだので、倉庫の壁のツタを取る作業。上から作業ができれば簡単なのにと思っていて、軒の構造が弱そうなので躊躇していたけども、思い切って上に登って上からの作業。上に登ってサンダーでツタをカットしてゆく、カットしてみるとツタは自重で下に落ちてゆく。はがしたツタの重さだけで20kgくらいあるのではないかと思えるくらいの量のツタ。

今月末くらいまでに正面の軒の天井を木を当てたりして補修する作業を行おうと思っている。大工仕事の得意な人を探して手伝ってもらえたらと考えているが、まだまだ寒いのと天候が不安定なので時期的には春まで待つかどうか。とりあえずは、難題の一つだったツタが取れたのでひとまずは、今日の目標は終えた。年末年始に帰ってくる前から、倉庫の話をしておいたので、他に予定も入れずに私の都合に合わせて手伝ってもらえた。

今回は、倉庫の電気はもう来ていないので、ポータブル電源とサンダーが活躍した。鎌とかのこぎりでやってたら数時間では終わらない作業だったろう。角っこに生えていた南天の木も枝が増えすぎて、車を止めるのにも邪魔だったので根元からカットして、すっきりとなった。倉庫の壁の件も、電柱がなければ足場を組めて作業がしやすいかもしれないだろうけども、電柱があるので足場が組めない。

休み明けに電力会社に対応してもらえるのかどうか確認しよう。電柱を動かすとなると大掛かりなので、足場を組んでくれればよいのだけど。
2023年01月01日
2023年の元旦。今年の冬は、雪はちらっと降っただけで積もることもなく、底冷え感はあるものの、のどかな正月。雪かきの必要が無いだけでもありがたく、昨年の正月は、京都から友人が来て雪が積もりまくった中の初詣に行ったのを思い出す。1年前のことなのに遠い昔のことみたいに思える。毎年だと年末年始は仕事なのだけども、12月に盛岡に行ったりしてたので、年内の仕事が遅れ気味ながらも、今年は倉庫の壁の件があったりで、とりあえずそちらを年末年始にある程度の方向性を決めてしまうことを優先。

コロナの話はさかのぼること、もう4年前になるのだろうか、それから林与の仕事もガラッと変わった感じで、それまではアパレル素材が中心だったのが、キッチンクロスや雑貨系のリネン素材の生産が中心に。また、ファッション業界のトレンドもファッショナブルとかエレガントの路線から、エシカルやエコがキーワードに。エシカルとかエコとかなってくると、林与のやっているような麻織物の分野というのは注目の分野ではあったりもして、なかなか成り立ちにくいことながらもエシカルやエコの考えで接してくださるお客様がほとんどで、できる限界でやっているのを見守ってくださって成り立っているところがある。

協力工場さんも従業員の方の家族の濃厚接触者ということで休まれることもあったりで現場が動きにくくなっているとかもあって、近くでのコロナ感染も日常の問題的に受け止められつつあるものの、対応で、仕事があっても通常のようには現場が回っていないという話をよく聞くようになったが、優先順位というものがあってそれは仕方ないことと受け止めて、受け止めたうえでの対応を考えていかねばなるまい。




2022年12月31日
この年末年始を使って、倉庫にしている古い家の外装を修理。今日は、帰省している弟と一緒に軽トラに道具を積んでいって、サンダーで不要な木を切ったり、壁に貼りついたツタを切ったり2時間くらいの作業。はがれてきている外壁材などをめくってみて中の構造を確認して、どうやって修理していくかを考えた。はがしてみると中の構造は意外と簡単で、家の前の部分の軒下は全部はがしてしまって、化粧板を打ち直すで大丈夫そう。

側面の壁は上の方に張っているツタを正月明けに再度行って、全部サンダーで切り落として、上部のバルコニーみたいな部分のコンクリート板を落としてしまうことが、とりあえずの目標。弟も正月休みで家に帰っては来てくれているものの、1月中に、前面の下の部分を補修するのに、林与と一緒に大工仕事を手伝ってくれる人を探している。

もう一つの倉庫も屋根の修理が必要なのでそちらも年始に一度屋根に上がって状況の確認が必要。古い建物というのはいろいろとメンテが大変で、その建物というのがメンテを考えていない建物だと、作業するための足場を組んだりするのすらも厄介な仕事で、オリジナルでつくってあるものというのはそういうのまったく考えていないので、メンテ自体も厄介なのである。

大工的な仕事というのは織物の仕事と比べるとまだ考えればできることも多いので、古いものを直すのは自分でやってしまわないと難しい当たりがある。まあ、仕事の延長みたいな部分で有ったりもする。


2022年12月17日
昨日の夜に滋賀県を出発で、盛岡の機械の引き取りの最終回。盛岡は雪が降ったり路面が凍っている場合があるということで、今回のレンタカーは、スタッドレスタイヤ仕様の2トン平ボディー。彦根の駅前のトヨタレンタカーで借りた。ルートも、前回の日本海側ルートではなく、今回は東名、東北道を使う太平洋側ルート。今回はスタッドレスタイヤなので燃費が悪く、リッター8.5kmくらい。前回は10kmを超えていたのになあ。

盛岡には朝の10時ころには到着をしてみちのくあかね会さんに到着するとちょうど手織りの織機を他の方が引き取りに来られ軽トラに積み込んでおられるところ。手織りの機なのだけどもかなりしっかりとしたものなので大きくて重かった。そのあとすぐに、林与もばらしてあった機械のパーツを積み込み始めるのだけども、2時間くらいで終わるかと思っていたけども4時間くらい掛かってしまった。トラックの荷台にどう納めるかが難しい。

雪も残っているので、トラックも建物いっぱいに付けようとするとタイヤがスリップしたりで、前回よりもやはり雪の分、苦戦した。それでも、作業中はお天気にも恵まれて晴れて居たので良かった。作業の後、近くの蕎麦屋さんで食事。盛岡でも作業がメインで時間的な余裕がなく、名物みたいなものを食べたことがなかったので、出発の最後になって、鬼そばのお店で食事した。鬼そばとうのは冷たい蕎麦だそうで、暖かいほうが良かったので、私は、地獄ラーメンを注文した。

地獄ラーメンというのは、うま辛のスープなのだけども、辛さが選べて、私は一番辛い30丁目というのを注文。昨日からサービスエリアでおにぎり2個を食べた以外は何も食べていなかったので、大にした。みるからに辛そうなラーメンがやって来て、一口食べるのも辛いけども、食べると体が温まって汗が出てきた。とりあえず、麺だけはほぼ完食できた。他のお二人はマーボー丼を食べておられた。それも辛かったそうである。岩手のイメージの一つが鬼の手形で、岩に手の模様が残ったのが岩手の名の由来な三ツ石神社があるので、鬼のイメージが名物に生きている。

午後3時くらいに盛岡を出発し始めたら、帰りは先代まではかなり強い雪見舞われて高速道路ながらも慎重な運転が必要で、時間が掛かった。今回の同行の友人にはお疲れ様で、午後5時頃の滋賀県帰宅。盛岡往復1日半の旅だった。とりあえず、無事に戻れてよかった。
2022年12月15日
林与の麻織物の仕事というのは、成り立たないことはないけども、成り立ちにくい仕事だなあと思う。普通の考えで普通にやっていてはたぶん受け入れにくい仕事であって、特別な考え方で考えて成り立たせようとして成り立つような仕事。それはたぶんエコとかエシカルに近いような考え方なのかもしれないのだけど、エコとかエシカルのように努力目標的なものではなくて、仕事というのは受けるからには義務的な責任部分も大きく発生するので、その重荷みたいなものに耐えられるのかどうかというところ。

耐えられないと思えば、難しいことは辞めて簡単なできることに絞っていこうということになって、流してやるような仕事か受け身的な仕事になるだろう。私自身のやっていることは、私がやるからできているみたいなところが大きくて、他の人がやってもできないことが多かったりする。たとえば、リネンデニムの立ち上げとか、他の人でも1週間とか立ち上げられなことはないだろうけど、それを1日で繋いで織れるところまで確実にもっていくとか、問題が深くて織れなくなったときに、そこから織れるように持って行けるかどうかとか。

林与の場合にも、もちろんできないこともあるけども。それでも、動くときには、出来るだろうと思ってとりあえず、問題を解決しようと全力で動くので、やっているうちにできることが多い。まったく織れないと思えるようなものが最後何事もなかったように織れだすことが多く、丸一日とかぶっつづけでやった結果が実るようなことは多い。

今の仕事は、普通の先染めの仕事ではないことが多く、糸加減の微妙なバランスで織れたり織れなかったりすることが多かったり、企画を2割から3割上げた織機の織れるギリギリのところで織っている織物が多いので、織れないことが多かったり、キズが多く出たりする。キズが多く出る織物をきれいに織るにはこれもまた普段の仕事の正確な処理が大事で、糸切れを毎回直しながらキズにならないように織っていくという作業が確実にできないと、ボロボロの布が織りあがるだけ。

時には、1m織るのに10回くらい止まる織物もあるけども、そういう織物でも最後商品となって流れていくように極力キズが許容範囲に収まるように織るとか。そういうのは、織っていてもすごく大変だったりするけども、そういうのを当たり前に受け止めて普通に乗り越える作業の安定性と精神の安定性みたいなものが大事だったりする。自分との戦いみたいなところがあって、毎回毎回の糸切れ処理で、正しく織機を自分が思い通りに動かせないと駄目だったり。

新しい人たちや、経験者でも慣れで考えずにやっている人たちには、毎回毎回それを理解しようとして乗り越えられるかみたいなものが問われるので、目の前に仕事があったときに、出来ないで終わるのか、やってできたで終わるのかの大きな違いがあって、最初の1回目からの話があとあともずっと続く。出来る人は最初から出来るし、出来ない人はいつまでもできないみたいな、毎回、毎回、結果を出せるか出せないかの違いみたいなものがある。結果を出せれば高度なところで仕事が続いてゆくけども、結果が出せなければ初歩的なところで仕事が続いてゆく。

高度なところで仕事が続いていると余力が生まれてくるのだけども、初歩的なところで躓いてばかりいると余力もできなく問題にぶつかってばかりになってくる。私自身が仕事をしていても、織機を使って正しく織物をつくるのには、ここまで理解していないと正しく織れないのかと思うことも多い。正しく織れなくなったときにどうやって正しく織れるように戻すのかというあたりは、ほかの誰かが解決してくれるのではなくて自分自身で解決できないとそれは自分が仕事していることにはならない。ここまで書くと厳しすぎて、たぶん普通の職人と呼ばれる人たちでも無理な世界に近いのだけども、普通に機場にいる人たちでは今の仕事がやっていても難しいのはそういう壁を乗り越えないあたりで仕事をしているのが普通だからなんだろうと思う。

普通に安全な範囲でものづくりをしていればこういう問題もないのだけども、日本がまだ発展途中だったころはそういうモノづくりでもよかったのだけども、日本の繊維業界が成熟して海外からでも普通に良いものが安く手に入る時代になってしまうと、日本でモノづくりして残っていくためには特別なものをつくれるような高いレベルでの仕事が必要で、壁を乗り越えた向こう側の世界でのものづくりが大事なんだろうと思う。普通だったら諦めるようなことを普通にこなして行くような。この仕事の成り立ちにくいのは、そういう割り切りがあるのかないのかというあたり、そういう割り切りのある人たちとなら超えられない壁も最初の1回から超えていけるだろうし、経験の積み重ねも何倍にも増えてゆく。でも、今の仕事の普通の感覚だと、本当に成り立ちにくいあたりなんだろうと思えるけど、安くて良いものがありふれている時代の中では10人がやって10人ができるようなことをやっていても駄目で、10人がやって1人か2人しかできないようなことをやっているようでないと仕事としてなりたたせてゆくのも難しいんだろうと思う。
2022年12月10日
1000円とか2000円のアイテムが主流だった、大手SPAの商品が、2000円、4000円と中流ブランド化してきて、売り上げは伸びているものの、売り上げアイテム数はかなり下がっているのではないかと思える。そうなると計画生産の場合には大量の在庫が生まれてしまうのだろうけども、売り上げを微増と読んで生産量を減らしていればそれほどの在庫はでないだろう。

低価格SPAブランドも、社内体制も非正規だったのが正規雇用形態になり、昭和の時代のアパレル企業と似たようなビジネスモデルに移り始めてきている。下方硬直性的な要素が働いて、値段を下げていくことは難しくなるだろう。実質のアイテム価格が、スーパーの服飾売り場と同じ程度の、3000円から8000円くらいで平場ブランドの価格帯に落ち着くとすれば、今の品質レベルを維持することが大事だろうと思える。

低価格SPAブランドも、品質的には悪くないあたりがあったが、価格を上げながらもだんだんと悪くなって落ちてきてしまっているあたりがある。フリースのパーカーも昔のものほど分厚くて暖かだったのに、今は薄く粗悪になってしまって、最初のころのこれがなんでセールで990円みたいな10倍の1万円でもよいんじゃないかという驚きがなくなって来ていて、値段相応なものにしか見えなくなってきている。

品質がおちることこそがものづくりの世界では一番駄目なところなのだけども、利益を上げようとすると安い素材に手を出して安く作るために規格を落としていく、より安く作れるリソーサーを探して、本物の安物づくりに落ち着いて値段だけが上昇していくというようなのは、高級ブランドでもよくある話。高級ブランドがなぜか天然繊維の高級な素材を扱えなくなっているのも、高級ブランドも高級ブランドのラベルついていれば高く売れるというような商売に下がって来て、安いものを高く化かすようなビジネスモデルに落ちつつある。

イタリアの最高級のライセンスブランドのものづくりを生地商社経由で受けて、その間にもう一つアパレル商社が入って、イタリアの高級ブランドのものづくりは成り立っても、生地商社さんが廃業されて、そのしわ寄せは、林与が被っているとか。林与の素材を使った高級ブランドの商品は成り立っていてもその裏側がなりたたないような、日本の繊維業界の構造。イタリアの名だたる高級ブランドが地道な生産者泣かせなことが普通になってしまってたりとか、いろんな展示会でお会いして、高級ブランド自体は思いを持っていてくださっても、日本の成熟しすぎた繊維業界が本当に田舎の一企業の覚悟もなくて、田舎の一企業がイタリアの高級ブランドのものづくりするお金の問題を最後解決する話。そういうのが普通だったりするのが今の日本の繊維業界で、展示会でお会いするイタリアの高級ブランドの企画の方は知られない世界。

イタリアの高級ブランドの仕事ですらも、間をいれて受けたら信用不安があるようなところが日本の昔ながらの繊維問屋構造、本当に難しくなってしまって、間の問屋の方もアイテムの作り方も分からずでは、仕事を受けたらややこしくなるから駄目ですよと厳しい話をした世界。仕事もややこしい流れになったけども被ってそれなりに問題なく成し遂げて、そして支払いもできなくなられて被った話で、その先のアパレル商社もあるのだけども、そこが被られるでもなく、商品は店頭に流れて成り立っても、小さな田舎の林与が最後、お金の面を被って、日本でのイタリアの高級ブランドの普通の世界が成り立っていたりする。日本の繊維業界ってかなり危機的な状況になりつつある。商社やコンバーターやエージェントが仕事を頼んで来られても、最初から大事なことを話しできる相手かどうかとか、約束を守る相手かどうかとか、仕事を投げ出したりしないかとか間に入った相手が自分で支払えるかどうかが大事だったりする。

繊維のものづくりというのは、とくに定番でない新規企画はリスクが高く、それをやるためにはリスクを受け入れる覚悟が必要で、その時に、本当に一番安全な方法で最初から企画できるのかどうかというのは、先染め織物の場合にはコスト面で大きく違ってきたりすることが多い。一つの無地のカウンターであっても、それを先染めにするときに、色柄を付けるだけで問題が起こってきたりする。堅牢度という問題だけでなく、収縮率やバブリングの問題など。アパレルの検査基準は合成繊維基準であることが多く、水を吸いやすい麻はそれ故に収縮率の問題などを抱えがち。
2022年12月08日
今日は、午後から急に近江八幡に引き取りに行くものがあって、軽トラに乗って飛び出したのだけど、ガソリンが無くてギリギリ行けるだろうと思って引き渡し場所に向かったのだけども、大きな勘違いで、町名を間違えてしまってたどり着いたつもりが、別の町。うろうろ回るも相手と話がかみ合わない、それで再度住所を確認すると、町名が違った。まだ、距離がある。それで、これじゃあ帰れなくなるから今日は引き取りを諦めるかとおもったけども、近江八幡には繊維関係の知り合いがあるので、そこで、帰りに1000円貸してもらうことにした。

その知り合いの方も私と同年代で、繊維関係でいろいろとやられていて、新しい試みなんかは似たようなところがあって、最近、刺しゅう機を入れられたということで、それも一度話をお聞きしたかったので、お邪魔するといろんなことも乗り越えながら前向きに動いておられて、器用で甲斐性のある方だなあと思う。裁断や縫製などもやられているので、幅広い分野を手掛けておられる。

その方は、偶然、別の関係で知り合ったのだが、私の中学の時の同級生の友達の高校のときの同級生ということで、繊維の地元の同世代、みんな苦労しとるところあるなあと思える。けども同世代と話をしていると前向きに物事を考えていて、ひと世代前のようなどうでもよいみたいな感覚じゃなかったりで、儲かるからやっているというよりも、一つ前の世代の問題を背負って片付けながら自分たちの新しい分野に挑戦みたいな。

今日も、お邪魔したときには、社長自らがミシンを踏んでおられた。だからこの会社は強いなあと思えたりもする。一つの作業というのが従業員だとなかなか難しいことが多いけども、社長というのは一つの工程の専門でなくても従業員なみくらいには会社のなかの全行程の作業ができないと新しいものも作っていくことは難しかったりもするだろう。日本企業らしいと言えば日本企業らしく、アメリカ企業でも中国企業でも経営者が作業するなんて言うのはありえないみたいなところがあって、でも日本企業というのはそれで良いと思う。それが特徴でものづくりに長けていたのだから。

技術だけでなく、ものづくりの感覚みたいなものも大事で、いろんなブランドさんの仕事を受けたりしていると、相手の作りたいものを受けるというのは自分が作りたいものを相手に頼む以上に能力が必要だったりもする場合が多い。相手は十分に考えてから話を持ち掛けてくるのだけども、受ける側というんは電話でなんの準備もなく話を聞いて理解して、どういう問題があったり、どういう工程が一番理想的なのかを答えないと行けなかったり。そして話が流れるケースも半分以上だったりして、技術的にできたとしても相手のコスト的に難しいとかが多かったりもするので、受ける側もものづくりの技術的な琴よりも相手の想定価格みたいなものを最初に教えてもらわないとそしてそれが合わないといくら話を進めても最後難しい話になる。
2022年12月07日
糸編の宮浦さんから便りが届いて、創業から10年おられた築100年の古民家から事務所を移転されたそう。セコリ荘、コロナ前の5年ほど前に行っといてよかった、ほんと。なんか、行ったときに、山形のえりさんが個展されていて、セコリ荘の名物のおでんと一緒に、えりさんの手製の味噌汁みたいなものをごちそうになった。岩手のみちのくあかね会さんもそうなのだが、たたずまいからして味のあるところでやっておられたのが移転とかいうのは、残念な話であったりもする。

林与にしても、35年ほど前に、昭和の時代の工場を建て替えたりして、それはそれで便利になったこともあるけども、案外、失ったものも多いと思う。それまでの歴史が詰まったものを生きたままにしておけるとやってること自体が歴史のさらなる積み重ねなのだけど、場所が変わるだけで、建物が変わるだけで、守るのが前に進むのかの選択みたいなあたりが... つづけて守るために前に進まないといけない選択なんだろうけど、どこもが前に進むと小ぶりになるのが日本の繊維業界の特徴だったりする。

日本中の織物工場なども広い場所を必要としているので、生産量が減少する流れの中では維持管理というのは続けていけるようなものではなかなかなくなってきている。人の考えも硬直化してしまう傾向があるので、難しいまま硬直してしまってそれを乗り越えられたら難しいから抜け出せるのだけども、どんどんと昔よりも難しくなることが増えるばかり。

田舎の鍛冶屋さんとか大工さんとか、ほとんど消えてしまったけども。織物もその流れに向かっているんだろうと思えたりもする。今、インボイス制度なんかも、下請けでやって免税業者だったところが、課税対象になってより経理も複雑化して納税も義務になり経営は難しくなる。林与は株式会社でやっているので、経理なんかは会計士さんがみてくださっているけども、一番日本らしい産業の支え役である小さくても気持ちでやっているような方々への重荷は増してしまうだろう。

日本の繊維業界にしても、思い入れのようなものがあるからこそ、海外の量産品にありがちなビジネスライクとは違う価値観でつくられたあたりも評価の部分だったんだろうけども、そういうあたりも画一化されてしまうと、結局、業務的なモノづくりになってしまって、人の心とかそういうものはなくなっていくだろう。結果、日本のものづくりも海外のものづくりも同じようなあたりに落ち着いてゆく。

月島のあたりの下町情緒というのは、すべてが画一化されていく流れのなかでは、特別に見えたりする。タイムスリップしたような感覚。そういうのって、守ってゆくのは本当に難しいことで海外だとどんどんと壊されてゆく。日本はつい最近までそういうものをたくさん残してきたけども、一気に、壊し始めたのがつい最近のこと。築100年のものに住もうとか使おうとかおもう価値観が大事だったりはするんだろうけども、そういう価値観は尊重されずに、そういう建物が消えゆく流れにあるのは残念なこと。

地元の商店街なんかもその景観だけでなく、その中でまだ商いしている人がいるというのは、昭和という時代の演劇をみているようなもの。林与の現場にしても、もう40年、50年前のことを今もやっていて、昭和の時代のドラマのなかの光景みたいなもので、そういうのがまだ生きているってのは、不思議じゃないのかと思う。昭和初期の織物工場が丹後にのこっていたけども、それには私も驚いた、文化財的な価値そのもので、作っておられたのが風呂敷だけども、それを残してこられたということ自体がほんとうにすごいことだと思う。歴史的な資料ではなく、企業活動として生きて残っているのが本当にすごいこと。
2022年12月04日
今日は、集落の空き缶拾いと川掘りの日。朝7時半くらいから缶拾いでその後に集落の中の側溝の底の土をスコップですくい上げる作業、その後9時から1時間くらい集落の外の農業用水路の底の土をすくい上げる作業。力を抜いてできる程度での作業でそれほど負荷の掛かる作業でもない。ほとんどの家の人が一人づつ出ている感じで、かなりたくさんの人。イメージひとり3平米ほどの割り当てかな?私からすると80過ぎている年配すぎる人は無理して出なくてもよいのではないかと思えるが、今年の場所はそれほど大変こともないが、そういうのが用水路の周辺の草があらかじめ刈られていたこともあったとは思う。その近くの農家の方か集落の役員の方か評議員が事前に草を刈っておいてくださったんだろう。

夜、織機のVベルトの調子が悪くなって、運転に入れてもきれいに指導しないので、じっくりと調整。慌てて織るとどうしてもキズが多くなるし結局急がばまわれのことが多い。昔、大手の家電メーカーの開発に居た人が織物の機械を器用に手直しされたりするのだけども、織機の調整というのは別の問題だったりもして、そして織ることと、織機の調整はまた別の問題だったりして、調整するときには、違和感を感じるのがすごく大事で、織機が正常に動いているときのイメージが頭の中にないと何が正しい状態なのか分からない。特に大事なのは、音だったりする。織機が動くときの音を聞いて織機のどこが悪いのかを考える。

結論として、Vベルトはこの前交換したのだけども、それほどは悪くなっていなかったのかもしれない。クラッチの噛みが浅いような感じがしたので、クラッチが深く入るように調整した。安定して10mほどは織ることができたので大丈夫だろう。

2022年12月02日
決算が終わって、金融機関への決算書の提出があるのだけども、最後の打ち合わせの後、会計士の先生のほうで仕分けなどの細かな最終チェックが入って修正などあって最終の決算データができあがっているんで、コンピュータの中にある最後の打ち合わせのデータを最終の決算書のデータに変更しないと、前期の最終の試算表などが打ち出せない。それを会計士の先生に、データをメールで送ってもらって、会計ソフトが認識できるように置き換える作業をリモートで電話で説明を受けながらコンピュータ作業する。

こういうときに、私もコンピュータが得意なのでできるけども、コンピュータが得意でないと、どこの画面に今いるのかもわからなくなって、電話でも話が通じないとかがありがち。20分ほどの作業でできることを、行き来してやってもらうよりも、電話で済むというのは私もありがたい。まあ、途中、普段使っているアウトルックが添付ファイルの大きさの都合で一つのファイルを受け取れないとかで、gmail使って回避したりはあったけども、スムーズに完了。次はそれらをプリントアウト、これも難関の一つで、会計のコンピュータは認識できるプリンターも一つだけにしてあったり、それは5年前くらいのレーザープリンターなのだけども、なんか印刷が薄く赤い線が入ってちょっと汚い。でも、読めるからとりあえず打ち出す。決算書と試算表で合計100枚近くプリントアウトするので、やっぱりレーザープリンターは良いなあと思う。たとえ古くて多少汚くても、腐っても鯛みたいな。

プリンターとかも、良い機会が1台とかよりも、その1台の調子が悪い時に他のプリンターを使えるようにとか、予備のプリンターが3台も4台もあったりするので、あと布ラベルや名刺印刷用だけはインクジェットプリンターだったり。まあ、古い機械でも業務用というのはそれなりに慣れた作業を期待通りにやってくれればそれが一番有難い。昔補助金のときに、報告書なんかは100枚とかプリントしたりとかが必要だったりで、そのころはインクジェット使ってて、ワードファイルで重い画像をたくさん貼ってあると、そこでフリーズとか、画像がうまくプリントされないとか。といっても、私もコピーを含めて1か月に平均500枚もプリントしないだろうから、リースするほどでもなく。白黒のファックスはリースしていたのだけども半年ほど前にその複合機は返却した。

もうファックスも必要ないかもしれないと考え始めている。3年前に手に入れた中古のA3のカラー複合機が活躍していて、きれいにスキャナーがPDFファイル形式で画像を取り込んでくれ、それが本当に活躍。今は、請求書なんかもデータをメールに添付して送るという形が多くなって、ファックスよりも綺麗にデータが送れるし、送信履歴なども確認できるのでありがたい。ボタン一つで安定的にデータを取り込んで、それをメールに添付してスムーズに遅れれば、郵便局に行って郵送する必要がないというのが、それなりにスマートに思える。もちろん原本が必要なところには原本もお送りはさせていただくが、仕事なんていうのは本業のほうに集中しないといけないのに、記録を取ることばかりに時間が掛かってしまうのはロスではないかと思う。

でも、郵便局も商売あがったりやろうなあ。切ってなんかも売れなくなるやろうし。記念切手も乱発しまくりで、そういう記念切手で儲けていて、乱発しすぎて記念切手ももういろいろと広がりすぎて、コレクターも集めるのも逆に難しいだろうし、将来価値が上がるのかというと、難しいんじゃないだろうか。使うための切手にもどった感である。私はテレビは見ない派なので、食事に行ったときにそこにテレビがあるとちょっと見る程度で、もう30年くらいはテレビを普通にはみたことがない。ネットのほうが自分が必要な情報にたどり着きやすいし、テレビや新聞の優位性というのはなくなりつつあると思う。テレビや新聞自体が独占的な利益構造が働いていたりしてメディアとしての中立性も昔からない。日本もなんで8つくらいしかチャンネルが見られないんだろうと思う。中国でもふつうに100チャンネルくらいあったりするのに。しかもどこの局も同じような番組内容で。情報社会の流れの中で、コンテンツ面で、ネットのほうが多様性があって、深い情報が溢れているように思う。

今、街の本屋さんが消えつつあると言われている。分かる気もする。出版も、デジタルな出版が主流になってくるだろう。必要なら各家庭でプリントアウトするとか。しかし、実物の本とデジタルデータでの本では、価値は同じとは思えないところがあったりもして、本当に大事な情報なんかは、実物の本で手に入れたと思う部分もある。チョイスとして選択できればよいのだろうけども。新聞なんかもデジタル化が進んでいるようである、地域社会の回覧板などもデジタル化が進んでいて、情報を押し売りするよりも利用者が選択して情報を活用するような形にしていくほうが、より理想的ではないかと思えたりする。次の世代は本当に前の世代の重荷を背負ってが多く、ボタンの掛け違え見たいのが直らないままに次の世代のしわ寄せになっていて、次の世代というのは本当に可哀そうだなあと思う。生まれた時からどうしようもない年金の問題をために生まれてくることを期待されてたり、次の世代は今の世代の奴隷じゃないんだからだけど、日本の国の行政が次の世代を奴隷扱い。人間としてアカンような日本の行政レベル、奴隷社会構造が当り前では本当に大人として偉そうに言えるようなレベルでもなく駄目だと思う。騙してばかりで、次の世代の将来を食いつぶす日本の政治はなくなったほうがよいだろう。ないほうがマシかも。
2022年12月01日
12月に入って年末までのカウントダウン。今日は篠山ターターンの渋谷さんとお話して、丹波篠山もコロナも落ち着いて観光客も戻って来た感じといっておられた。また、篠山タータンの布を春に向けて作りたいとのことで2月くらいに作るのを手伝いに来てくださる。篠山タータンも4つとか整経が必要となるとそれなりに月の半分以上の作業となるだろう。横糸の色数も5色とか6色とかなのでそういうのが案外大変だったりして、リネン生地の総先染め生地としてはなかなか見かけないクラスのデザイン性のある布。ほかではなかなか作れるところがみつからなくて林与がおつくりさせていただくことに。

林与は麻の先染めを得意としているものの、今は無地ライクな生地が増えてきて、私の代になってからはイッセイミヤケのイッセイミヤケブランドやプリーツプリーズのデザイナーさんの企画生地が、林与らしい先染め企画だったかなあ、色をいっぱい使って、コンピュータでシミュレされたものを、布というキャンバスで表現するみたいな。もちろん出来上がった布のほうが雰囲気もある。最近では、ミナペルホネンさんのキッチンクロスもシャトル織で耳までリネンの総先染めで作らせて頂いた。林与らしい特色のある麻の先染めの世界。

シャトルの4色使いというのは1枚1枚つくるのほんと疲れましたみたいな、一番上のシャルから1番下のシャトルへの移動のあるときは、シャトルを挟みやすくて、織る織機も選ぶんだけどもなかなかそのあたりが、しかも一つのシャトルが待機時間の長いデザインだったりして、全部のシャトルがまんべんなくいつも交換されて動いていたら良いのだけども、待機時間が長いとシャトルの位置が杼箱の中で移動して、しっかりと叩けなくなる問題が起こる。そうするとシャトルを挟んでしまう。見えないところでデザイン的に織るのが難しい問題が含まれていたりして、そういうのをクリアして、量産が成り立つ。シャトル織機で麻織物を織るのも林与の特色の一つ。

林与が今織らせて頂いているものは、普通じゃない生地が多くなりすぎて、織機を特価させていたりする。一つの会社さんのこの企画はこの織機を専用にしておくみたいな。今も耳までリネンで東屋さんのキッチンクロスも織らせて頂いているけど、そういうのもほんと地獄耳のような難しさがあって、耳さえ綿の耳ならパカパカ織れるだろうけど。耳までリネンは耳の1本2本が切れ易くて、その原因というのは織機の問題というよりも別の問題があったりもして、織物って奥が深いなあと思うどころか、そこまで注意しないと成り立たないのかと考えると、なかなか他の人に作業をやってもらうとかも難しかったり。耳までリネンも林与の挑戦の一つ。妥協が許される耳までリネンで織るみたいな麻へのこだわりを持ったお客さんのための麻100%。

織物というのは、正しく全部できると簡単な仕事だったりするのだけども、軽く考えてしまって途中問題などがあったときに正しく処理していかないと、織れなくなって最初からやり直さないといけないことになったりする。作業している人はやっぱり限界があって、私が言う正しくは面倒で繊細すぎる所があってそれは素人でも経験者でも同じで、自分が作業してどうしようもなくなったときに自分自身で解決する覚悟があるのかというと、それも素人でも経験者でも同じで時間に縛られてしまう。答えを出せるまでエンドレスな私だからそれなりに残れていたりするところがあって、今の日本では、たとえば、仕事は何時から何時までですかみたい質問から始まると、やめておいたほうが良いんじゃないのかとか、やれる気持ちを否定はしないので一度経験してみて自分が出来るかどうか試してみたらどうだろうかとか、教えてもらったらなんでもできますみたいな自信満々の方にも心配の気持ちが先だったりして。

もちろん、出来る人もいるし出来ない人もいる、それは人生観みたいなものと通じていて自分のために働くのか人のために働くのかみたいなような、ところとも関係がしてくる。私も若いころには自分のためばかりな感覚があってとくに勉強していると知識や情報だけに偏って、おいしいレストランを食べ歩いて評論家みたいになってしまう。実際の仕事というのは自分自身がおいしい料理を生み出して毎回毎回正しく料理をつくってお客さんに満足をいただくことなのだけども、そういうのは自分のためよりは人のために働ける人のほうが近い位置にいたりして、作業している意味なんかも、自分が興味あるかないかよりも、お客さんに喜んでもらおうとか、仕事だと割り切るとかそういうのがないと、理想と現実の間の迷いの世界から抜け出せないんじゃないだろうかと思う。

昭和の時代の繊維業界も理想そのもので、つくれば売れるような世界があって、つくればすべて売れるような、働いたらすべて評価されるようなら仕事は簡単。それは東日本大震災で仮設住宅が必要になってみたいな状況と似ているような、ものが足りないような状況。ものがあり溢れているような状況では、百貨店に並んでいる3000円のものでも、隙すらない完成度で見栄えするもの。それを自分が働いて1時間で作れるのかというとなかなか難しいだろうと思う。たぶん、1日掛かるだろうし、1日掛けても百貨店で並んでいる3000円のもの以上のものが、なかなか難しいようではプロとしては成り立たないというのを分かっているのがあたりまえでないと、日本での超えたようなものづくりの世界は現実的ではないだろう。

何か月も掛けて一つの物を作ってそれが百万円とかで売れるならそれはニッチェな特化した特別の世界として成り立たないこともないだろうけど、それが量産品のような需要があると考えるのは、理想が高い世界なんだろうと思う。普通に週40時間働いて特別な世界の先生や、他の人からあこがれてもらえるような立場になりたいみたいな。草間さんやバンクシーみたいな理想はおおいけども、それは世界で100人いるかいないかn世界で、繊維業界何億人の中の特別な100人のうちのピンな世界。そういう憧れだとそういう世界にはたどり着けずにそういう世界の情報を楽しむだけの憧れるお客さんの一人。

自分自身がそういう特別な世界を支えるような気持ちや感覚が無いとブランドの世界の高級なイメージというのは生み出せなかったりする。課題が与えられた時に覚悟を決めてとことんやるようなイメージがないと好き嫌いでやっているようだと、自分以外の他の人に自分のやりたいことを求めているようではそれは、他の人の求めていることも自分が解決していくことは難しいだろう。他の人の求めていることを受けて喜んでもらえるような結果も出せないようなら、業として自分が作ったものすらも世間一般の評価を受けることは難しかったりする。

子供のころに感じた、1分が過ぎるのがすごく長く感じるような寒さみたいなもの、その世界というのが一番自分との戦いのなかでの最初の戦いだったりして、そういうんを乗り越えられるか乗り越えられないか、乗り越えた人だと次のステップがあって、乗り越えられないとその辺りでの戦い。日本で使うものを作っている人たちを見下すような考え方があるけども、それは本当に間違いで、それを安く手に入れて幸せを手にしていながら働いて作っている人を見下していては、一番駄目なのはだれなのかというところ名上流階級思想。救えるのも救えないのも、階級思想てきな考え方があって、自分たちは作業をするひとじゃない指揮する側だみたいな感覚。それって奴隷社会の感覚と同じで、末端のものがすることくらい普通にできなければ、高い地位も難しい。戦争で前線に一番下っ端が放り込まれて、戦争を指揮するものは一番安全なところにいるみたいなお笑いな話。戦争を起こし指揮するものが前線に立てないようなら戦争はやめとけ。と思う。愛国煽りながら自分が一番かわいいような年寄りたちが、若者を前線に送り犠牲になるのが何百年も続いている。人類は動物としても、自分可愛さに次の世代を守る本能すらもないあたりがイースター島の部族争いみたいなもの。;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
2022年11月30日
林与が森岡出張でレンタカーして云々というのが繊維業界で特別なことなのかというと、東京の人気のリネンの生地屋さんの社長と親戚の方も、関西で百貨店イベントがあるとお二人で、お店の生地をレンタカーしてもイベントに。そういうのも普通の従業員なら難しいところがあって、どこまでが仕事なのかも経営者の感覚と従業員の感覚があわないとバランスが取れなかったりする。従業員だと基本8時間とか10時間しか作業は出来ないから、道中は作業時間ではないとか拘束時間ではないとか、でないと海外出張とか遠方への出張も無理で、自分で一人旅で行ってくれるなら分かりやすいけども、自分自身で移動ができないと経営者と一緒の道中の部分までも労働時間にカウントとかになってしまうと難しい。

本人のそういう事情で出張なんかもついてくるのかとかそのときの条件なども伝えて本人の希望次第となるのだけども、そこで職種が工場内での専業になってしまって展示会でお客さんと会うこともなく、トータルな目でものづくりを見ることが難しくなる。お客さんとのコミュニケーションというのは大事な部分で、自分の知らない人の仕事だとモノを作る部分しか見えなかったりして、誰がどんなふうに期待を寄せて頼んでくれているのかとか、そのお客さんの手掛けておられるお店のことやものづくりのことなどが分かっていると、どんな色柄の物をつくればそのお客さんの売り場で売れそうなものになるのかとかが分かってくる。

ものづくりが単なるモノづくりでは終わらずに、売れるモノづくりをしていくためにはお客さんのニーズやテイストにあったモノづくりをしていかないとミスマッチが起こる。そういう面で、相手の価値観に妥協できたりとか多芸でないと、せっかく頑張ってものをつくっても、独りよがりになりがちで、人と人との間にある感覚の違いがあると、お客さんの求めるものをつくることは難しくなる。なるべく、経営者マインドを持って成果主義的な感覚で、企画をしているブランドオーナーやデザイナーの人といろんな話をしてそういう経験豊富な方の求めているようなものが、なるべく的確にイメージできるようにならないと、ものづくりの仕事も自分のテイストの範囲の狭いモノづくりになって、一生懸命にやっていても、同じテイストの人にしか作ったものを提案が出来ないことになる。

別の言い方をすれば、繊維全般という広い世界の中で、天然繊維で麻という素材に特化したとしても、その麻の素材を料理するのは自分の力だから、いろんなことができずに一般的な普通の定番素材だけを作っているだけでは、仕事としてそれが忙しく売れていればそれでもよいかもしれないけども、仕事として成り立ちにくくなったときにそれにこだわってそれだけでは成り立たせるのが難しい時に、幅を広げて新しいことをトライしてみるのかとか、それも自分が主体となってやてみるのか、他の人が主体で任された部分を忠実に成し遂げるのか、主体とならずに任された部分を自分自身が自分のやり方で終わるのかで、達成の度合いというのは相当違ってくるだろう。一番楽なのは、主体とならずに任された部分を自分自身が自分のやり方でやるという方法。そこには自分だけでお客さんが存在しないから自分流にやって終わりというだけのゴール。コミュニケーションレベルが低いとそういう状態に陥り勝ちだったりで、ひとつの完成度の高い工程にはむすびつかず、最終的にも完成度の高い物をつくることは難しい。

そういう完成度の高いものづくりというのは、注文したお客さんの求めている基本的なあたりで、テイストだけがよくても品質的なものが安定していなければ、仕事をしても余計にややこしい問題になる。現場で働いている人というのは働く時間ばかりが気になって、作っているもののクオリティ的なところは出たとこ勝負みたいな感じのままで、いつまでも自分自身が安定して作業をできないとそれは働いてもプラスにはならない、仕事しても問題が増えていく。そういうのが分かってくるとようやく正しく仕事することが分かって、一回勝負で正しくモノがつくれるようになり始めるとプロな世界。頭の中にあるものを、10個作って10個同じものが速く正確につくれれば、それは食べていける世界で、一つ二つでも同じでないものができてしまうとそれを直す手間というのは、作る以上に時間が掛かるだろう。それでもそれを直せる力をもっていることが必要で、それは自分が失敗しなくても、他の人が失敗したときに助ける力がないと他の人を育てることは難しいだろう。

イベントなんかでも想定外のことが普通に目の前に起こることが多く、自分自身が判断してよい場合と担当者の指示に従わないといけないときとの区別など、自分がよりよい方法をもっているからそれをやらないかという自分提案型の人だと余計にややこしくなることも多い。人が多く関わるようなイベントでは、自分ができることがなにかではなくて、その場のルールみたいなものが分かっていないと行けなかったりもすることも多い。そういう場所では責任者的な感覚も必要で、私は分からないから会社の他の人に確認するとかでは、それで時間が許せばよいけども時間のない時などには、経営者という立場なら、自腹を切ってみたいな解決方法もできてりするだろう。たとえば、6時までが働く時間で、6時半まで作業が伸びた時など、6時まで働くで作業が終わらなかったらどうするのかとか、やってみないと作業時間なんてわからないし、いろいろと準備や段取りをできるひとほど作業時間は短くて済むし、準備や段取りを前もって出来る人というのは自分の仕事の準備まで考えることができて一人前だと思う。
2022年11月29日
いろいろと2日間、友人と話をしていて一生懸命に私がやっていることを考え方などからしても肯定をしてくれて、自分たちも力を貸すから自分の考えでやったらいいみたいな、周りを気にしなくて気を使わなくてよいようなことを言ってくれる。こういうのって働くとかそういう概念じゃないから出来たりもすることで、会社を経営したりしていて同じような感覚があるからそこにたどり着いて分かってくれるあたりもあるんだろう。他の人がものごとをするのについていて、それでいて自分のやりたくないことはしたくないみたいなのとは違って、覚悟がありすぎて、そしてそういうことを言うだけでなく、実際に行動を共にして他の人の目的に一生懸命になってくれる。それが自分のためになるみたいなことまでいってくれて、私自身がいろいろと考え方を見直さないといけないなあと思うところも多い。

周りが応援するのに甘えてやればいいと思うのに甘えて乗ればいいみたいなことを言ってくれる。自分自身がいろんな仕事を抱えて週末働いてもあたりまえで手いっぱいなのにそれでも私を助けることを優先もしていてくれて、なんか人生観みたいなものが支え合うということに関して共通しているようなところがあって、そういう気持ちをもっているものどうしでものごとを進めて行けば、とことんできるからいいじゃんみたいな感じ。後ろで奥さんが支えてくれているのもありがたく、そういう友人も家族である奥さんの存在がなければ難しいとかも普通のことで、奥さんも次の日に仕事もあるのに寝ないでも心配して応援してくれていたりとかが伝わってくる。この一つの移設にしても、本当に強い人たちに支えられているなあと思うし、友人が私が遠慮しがちなのを察して主導して思いっきりやろうやろうくらいにいてくれるんだというあたり。

そういう友人もすごいけど、友人の奥さんの存在ってすごいなあとおもう。すべてがうまくいくように後ろで自分自身も明日は仕事だろうに心配で寝ないで応援してくれていたりとか。いろんなものごとを背負ってそれを見せることもなく、黙って支えてくれているみたいな存在で、だから、今回のことでもできたりして。そういうのに甘えるなということをよく説教みたいいわれるけども、そういうのに甘えたらいいといってくれる二人というのは、いろんなことを自分自身も抱えながらもみせないで人を助けて成り立たせておられるような方々なんだろうなあと思える。普通は家族にしても文句言うとことを、遠慮せずにいってくれたら応援するから見たいな。人生観が似ているかもしれないなあと覆うところがあったりして、自分たちが自分で立って行かないといけないとうことを覚悟しているみたいなところがあって、ありがたいなあと思える。

何十年の仕事経験とかそういうのよりも上の覚悟だったりして、仕事だと割り切って仕事している人たちだとできないことでも言ってくれたら協力するからみたいな関係。ほんと今回のことでも友達夫婦が支えてくれてできたようなことで、一人で一生懸命に悩んでやろうとしていても林与がいつも陥りがちな傍若無人てきで達成は困難だったようなことで、年内何度も岩手に通い詰めることになっていただろう。それが協力してもらうことで前向きに進んで遺訓を実感で、裏で支えようとしてくれている気持ちが大きすぎて、感服させられてしまって、今回は甘えさせてもらい助かった話。やろうとしてもできないことがこういう特別な環境ならできたりもするのかと、そういうのが近いところにあって、そういうのこそが、世界のどこ探してもなかなかないような超えた世界だったしして。超えたことができるのは、既成概念を超えたような割り切りみたいな感覚、奥さんもほんと友人なのだけども、強さをみせることなくものとごするのをささえてくれていて強いひとなんだなあと感じる。普通はこんなことにひっぱりだしてしまっているとあきれられるだろうけどそうじゃないところが心強い。けど、日本でも世界でもピンな世界というのもそういう強い感覚があるかないかじゃないのかと思えたりで、人のやろうとすることの違いみたいなものがあって、気持ちや考え方の違いがあって、普通だと絶対に無理だと思えることのようなことでもやり遂げられるとか。

鬼の石段という秋田の昔話があるので引用させていただくと、熊野磨崖仏に続く自然石を乱積みにした石段には鬼が積んだという伝承が残されている。 かつて集落対面の岩峰に見える洞穴に棲んでいたとされる鬼は村人たちを食らう悪い鬼であった。ある日、熊野権現は鬼の過ちを改めるため、熊野社に参拝するための石段を一夜で100段積み上げることができれば、今までの鬼の悪さを許すという約束をしたのである。しかし、鬼はその腕力でいとも簡単に石段を積み重ねていくので、驚いた熊野権現は鶏に体を変化させて、コケコッコーと鳴いたそうである。鬼は慌てて逃げ出し、杵築市山香の立石で力尽きたと言われている。(引用https://www.onie.jp/cultura/detail/3eb097ce-cf56-4bdd-a785-298ac53787e3)そんな鬼のするような挑戦を友人とふたりで週末2日でやってみたような経験で、最後もめでたしで終われた話。人生の友達との思い出話の一つとしても誇れるし、自分の友達自慢的にも語れるような話なのである。
2022年11月28日
今回の作業の段取りで思い切って用意しておいたこが結果的には功を奏したようなところがあって、たとえばハンドリフト、使ったこともないハンドリフトだけども、とりあえず一番便利そうで役立ちそうな道具だと考えて買って持って行ったとか、それが無かったとしたらトラックへの積み込みや、分解の時に吊り上げたりも出来なかったとすると、何倍も時間も掛かったろうし、体力も使って限界に達してしまって諦めていただろう。ホテルも夜について、寝袋持って行って仮眠すれば良いんじゃないかと思っていたけども、やっぱり体を休めて次の日も作業で帰るときのことも考えておかないとで、一番安い東横インの部屋が一部屋予約で来たので使わないカモしれないけどもとりあえず疲れていたらそこで休めたらいいと考えて予約しておいた。それもすごく結果的には、夜中ぶっ通しで頑張っても外れないピンは外れないままにだったろう、部屋でお風呂に水がたまる時間を使ってネットでどんな方法があるのか検索したりして、近くの工具店検索したりして、お店が開いたらダメもとででも道具を手に入れようとかおもって行動に移してピンポンチを手に入れたりが結局一番簡単にピンを抜けるほうほうに結びついた。

作業できる時間は12時間もあるかないか、その時間の中で目的を達成しないといけない中で、いろんな可能性を想定していろいろなことができるように多少の出費くらいは割り切って準備しておくということは大事だなあと思った。それが普段の織物の仕事が案外林与の場合に他の会社では難しいようなことでもできるのにつながっていたりもする。もちろん、買ってはみたけども使いこなせなかったり役に立たなかったりするものも多いけども、案外、いろんな可能性を考えて試してみるということは、経験値も上がるし、どうやったら成功するのかだけの経験でなく、どうやったら失敗するのかも自分自身でやってみて駄目だったのも自分の経験として分かる話。

そういう機械を販売されている業者さんでも運び出すために同じようなことをいろいろと試しておられたりして、プロがやっても自分たちがやっても同じようなあたりで、違いというのは、業務としてやっていると道具をいろいろと持っていたりするあたりで、私も自分がやるからには移設に必要な道具から用意しておく必要があるだろうとは考えていて、ユニック付きの大型トラックでフォークリフトを乗せて持って行って、そのまま積んで持って帰ってくるというような、本当の業者的なことは無理だったりもするけれど、自分たちが使えるような道具でどういう道具だったら準備も可能で、目的を達成するためにはそれらを手に入れてやってみるとか、初めて使うような道具もあったりしてそれが本当に役に立つかどうかも分からないけども、買って用意してみて使ってみるとか。駄目でも、試すこともなく、できないという結論に達するよりも、やってみてうまく出来ないと分かるほうが良い。

うまくできないときには、強行突破的な手段で、サンダーでピンを切断したりもして、とりあえず、限られた時間のなかで考えられる最大限の努力をするために、いろんな道具を用意しておくみたいなあたり。今回は本当にうまく行ったなあと思う。モンキーレンチで外しにくいボルトやナットもあったりして、それには眼鏡レンチが活躍してくれたりで、普段から眼鏡レンチだとしっかりと力をいれて外すことができるのをしっていたので、モンキーレンチとも被るけど、眼鏡レンチを2本もっていったりしたのが、外しにくいボルトやナットを外すのに役立った。

スリングベルトみたいなのも、いろんな長さの物を10本くらい持って行ったので、状況に応じて最適なものを選ぶことで、長さ的にうまく持ち上げることができたりと、以前の移設の時に手に入れたものなどが今回の移設においても役立ったりもした。よりプロの移設業者さんに近づいてきたなあとは思う。無理してケガをしないことも考えていて、より安全に作業を進めるには、足場を固めたりとか、より運ぶのも無理のないようにトラックと建物の距離を近づけたりとか。トラックもレンタカーなので建物にぶつけてはそれはそれで大変だけども、私自身が覚悟決めてできるかぎり壁に近づけるみたいなことをやってみたり。なるべく無理のないように重機を活用するとか、若干の余裕があるくらいでの作業が一番で、常に作業する時には危ないと思ったときにはすぐに逃げてとか、私も危ないと思ったときには声を掛けるからすぐに逃げて無理しないでとか、毎回毎回新たなものを運ぶ時にはそういう声掛けをして無理しすぎてケガなどしないように。

シャトル織機をつかうときなどにも、口をすっぱく、シャトルの飛びそうな同船には立たないようにとか、手の持ち方なども注意したりとか、思い切れないでいると困るから、作業する人の手を抑えてハンドルをしっかりと入れるとかを知ってもらったりと、はずかしがったり、遠慮したり、他のことをきにしていたりしたらケガの元というのを一番に心配して、与えられた環境の中でなるべく安全に作業が進むように、一回頭の中でシミュレーションして、危なそうに思うあたりをどうやって危なくないような状況に持っていくかとか。機械も無理して分解すると組み立てなおせなくなるので、なるべく、壊さないような形で分解ができるようにいろんな方法でベストな方法を考えたりとか。

また、サンダーなんかを使う時には、火花が飛び散るので、まわりに繊維の棉などが無いように掃除したり、自分に火の粉が飛び掛かからないように段ボールで壁作ったりとか、基本危険な側や力を使う側というのは自分が担って、相手も自分も、いざという時にはいつでも逃げられるように作業は進める。人というのは自分が駄目だとおもったときには力すらもが抜けてしまうのでそれが一番怖い。駄目だと感じたら一番にけがをしなように逃げられるような準備もしておかないと。運び出すときに道具があればあるほどに、無理をしなくてもよいし安全に仕事が進められる。織物の仕事でも10回やって10回正しいものが作れるのが大事で、作業とかも10回やって10回けがをすることのないような手順というのは大事だったりする。そうでないと、やっているうちにいつか大きなケガをしたり。ある程度余裕のある範囲で作業を進めることは大事なことで、一か八かの限界的で危険な作業をやってみるというのは、失敗したときのケガなどを考えると一か八かではやらないほうがよいと考えていたりで、その一か八かを、安全に作業が出来ないかと考えたりして安全に出来そうな準備をなるべくしたりとか。力が抜けて危ない時にはどう解決するかとか、それぞれがどう逃げるかを考えたりとか。機械の移設などに関しては力を使うでなく、安定したゆっくりとしたスピードで作業を行い、できるかぎりもとにいつでも戻れるような方法で作業を進めたいと考える。
2022年11月27日
昨日の朝、友人と二人で彦根でトラックをレンタカーして盛岡に向かう、盛岡に着いたのは午後9時過ぎ。高速道路で12時間ほど後退しながらの旅。撚糸機はほぼ分解をできた感じで、もう一台の機械の分解を試みるも大きな見落としがあって分解が出来ない、ボルトとナットで留めてる以外に、穴をあけてピンを打ってしっかりと留めてある箇所が何か所もあって、手持ちの道具ではそのピンを抜くことができない。夜12時はホテルのチェックインの時間で、チェックインだけを済ませてそのあと作業現場に戻って来て夜2時まで、そのピンをどうやったら抜けるか考えるもよい解決方法が浮かばずホテルに帰って休息をとる。

ホテルで寝る前に考えたのが、ピン抜きポンチ、プーリー抜き、Cクランプなどを使う方法。道具が無いので近くの工具店で買う計画。朝、プーリー抜きは使えそうにない状況だったので、近くの工具店でピン抜き盆地と、Cクランプを手に入れ、その両方を試してみる。ピン抜きポンチで1か所のピンを抜くことができ、逆に抜けたことに驚く。上のほうの4か所はうまく抜くことができ、大きなドラムは取り外せる状況。土台のほうの8か所のピンはどうしても抜けないところがあって、実力行使でサンダーで外せそうで外れないところまでやってあとはグラインダでカットして、もう一つの機械も午後2時くらいには分解に成功。

積み込みするのにハンドリフトが大活躍して、逆に言うとハンドリフトがなければトラックに二人では積み込むこともできないほどの重さのパーツが合計で5つくらいはあっただろうか。夕方5時前には盛岡を出発、帰路に就く。早朝時に卸作業、7時過ぎにはレンタカーを返却出来て長い長い2日間が終わった。2トンの平ボディの荷台には、分化したものを全部は積み切れずで、3分の1くらいは分解した乗田で残して、12月に再度盛岡に取りに行く予定。途中、ピンの問題で分解ができなければ、サンダーなどで切って鉄くずの形で持ち帰るような最悪のケースも想定はしていたので、ピンが抜け分解して持ち帰れたので作業のゴールが確実に見えたことは本当にありがたい。

久しぶりに中学校時代の友人と、長い道中、いろんな話をしながら旅ができたこともうれしく楽しかった。作業がそれなりに時間が掛かってしまって、岩手でおいしいものを食べて帰るみたいなことは無理だったけど。一番大事な分解作業に最大限の協力で臨んでくれて、持ち帰ることが成功できた。すごく積極的に協力しながら作業を進めてくれていろんなアイデアも出してくれてポジティブなムードを生み出してくれて短時間での偉業が成し遂げられたのは、自分自身の友人とのいい思い出にもなる。ヘトヘトのヘトヘトになるまで付き合ってくれて、林与のいつものヘトヘト感を分一緒にかち合ってくれ、限られた時間の中で食事や休憩もほとんど気にすることもなく作業に集中ができたのも助かったことの一つである。二人とも絶対やるぞみたいな感じで、途中、ハンドリフトでの運び方なんかに関してもぶつかったりもあったりだけど私が二人いるみたいでぶつかってる感じか。私のほうが慎重派で、いろいろと遠回りな方法を提案しがちで、私がブレーキ掛けるくらいなので前に物事は進みやすい。レンタカーも予定時間の1時間ほど前に私が余裕をもって返却できたのも、友人にはそういうのも見えていてそういうのまで考えてポジティブな姿勢で全力の全力を出し切って協力してくれてありがたかった。ネジなんかも一回外してしまうと分解箇所が多すぎるとどこのネジだったかわからなくなるのだけども、すべて元の位置に差し戻しながら分解もできて、そういう分解が組み立て直すことを考えるとすごく大事で、そういうところが単なる分解作業ではないところで、そういう面倒なことも大事に思ってくれる。

同じ考えで動いてくれ、すぐにどこのネジだったかすら正しく管理したいのにあやふやになりがちなことの多いのにも協力的で私のあとの心配がより少ない方法に協力してくれて、作業が本当にやりやすかった。一つのネジも失わなように意味不明にならないようにくらいの作業が出来た。友人も普段から会社を経営していていろんな問題を解決して仕事を前に進めていく側の立場なので、いろんな人の考え方や心理的なものごとを含め、他の人と一緒にどうやって物事を進めて行けばうまくみたいな話も道中のメインのことだったりで、その友人が私のやってることを評価してくれて、すごいのはある産地の機屋さんがこんなことやってるからヨシオ君もそういう負にみたいな、私がその産地に行ったときに一緒に飲みましょうよと誘ってもらった評価しているその産地でも人望と才覚があってみたいな方を、業界の中でも分野も違うのに知って理想的におもって、私の付き合いの方たちのことまでよいモデルのように整合して、私を応援してくれているあたりとか。もう、えっそれなに、なんでそんなに日本の織物業界にも詳しくてみたいな感じ。友人だけでなく奥さんも同級生で全国的な繊維業界のことにも詳しい。奥さんも今は別の業界で仕事されているけども昔百貨店で働いてもおられ繊維業界のことにもいまもいろいろと詳しくて私のことも応援の気持ちいっぱいでいてくださったりとか。私自身が、友人ご夫婦にダイレクトに全力で応援受けている立場で頑張らないとなあというのを実感した。

林与も今回二つの機械をあたらしく入れることで、撚糸機は活躍するだろし、もう一つの機械というのは、こんなんができたらすごいのになあの夢の世界の特別なものづくりを生み出すためのテスト的なことができるかもで撚糸機以上の分解と運ぶ苦悩をのりこえで林与に来たことになる。織物の活性化というと、旧来のことをプロモーションするだけでなく、やっぱり業界のなかで新しいなあと思われることもやってみたりしないと行けなのだけど、開発の原点に近いところに戻らないとなあと思ってたりする。具体的には、自分でこんなものを作りたいからこんな道具があったらいいのになあみたいなので道具からつくるみたいな。今回はそのもう一個の機械は自分が素人大工で作ろうと思っていたものが、より本格的に業務的に行えるようなもので、多少その機械に問題なんかがあったとしても、素人が素人でDIYしたものよりは、多少問題を抱えていようがほしいもののずばりの答えに近い。

今までにやりたかったと思うことや残された人生の長さも考えると、今をそのチャンスを逃したら、もう次のチャンスがあってもそのチャンスを捕まえることはむりだろうし、今回の移設で、撚糸機を移設するのと一緒なら相乗効果で費用的な負担も少なくなる。撚糸機だけでも今まで自分でできたらなあと思っていたことができるようになってプラスなのに、そのプラスの部分をチャンスの部分に一か八かでもぶつけて、頭の中で思い描いていたことをテストだけでもやれたらなあと。他の方にやってほしいと頼むこともできないようなテストで、機械を壊してしまうもしれないようないろいろなテストがしたい。そのテストがうまく行って目途が立つようなら、業者さんも残っておられるようなので何百万円もする機械を新品で導入するも一つの方法だろう。でも、テスト段階で何百万円を使って新品の機械が壊れるかもわからないようなことをやってみるとかはできないので、今回の出物はテストするにはすごいチャンスで、多少の費用で済むなら一か八かででもやってみておく価値はある。そして出される側の方も場所を片付けないといけない事情があってのことで私が引き取ることを喜んでくださっていてそれもありがたいことである。

撚糸機にしても、もう一つの機械にしても、分解すれば人力で持ち運べるようなものだからこそありがたかったりする。奥に押し込めないからすでにある入り口に設置しないと行けなかったりとかになると、それはそれで今やってる仕事の邪魔になるし、ちょうど奥の方の3台ほどのシャトル織機も部品などを手に入れるのが難しくなってきていて稼働も難しくなっているので、それをばらしてそのスペースに設置が出来たらなあと思うところ。設置してインバーターなどをつければ低速での稼働も可能なので、私が試作したり高品位なものを少量生産するとかにも向いているだろう。

ボロボロになりながらも夢は広がる、ダメもとで試行錯誤的な経験を積みたいと思っている林与のような人間にとっては、最高やんと思えるようなまたとないチャンス。友人の力も借りてそれが実現しそうで、なかなか今の繊維業界ではそういう、できるんじゃないかとか、やってみたいなあとおもうことも、理想的なアイデアや議論だけで終わって実際にやってみるということが難しいのが実情で、それを何十万円かの支出で試せるチャンス。シャトル織機緒そうなんだけども、導入した後に問題があったらそれを修理や調整して、なんとか動くようにしないといけない。今回のように思い切って分解してネジの一つまで考えることができれば、その機械の調整や修理ということも、ほとんど構造から理解ができているということになる。だから、後のことを考えても今回の分解移設というのは新しいものを買って移設する以上に意味のあることだったりもする。すごく変な考え方かもしれないが、そういうのが私の考え方だったりする。

ものをデザインするとか製造するとか、それには機械を熟知して調整とか修理とかができないと、今はもう修理や調整もその機械をつくったメーカーですらなく、業者さんも存在があるかないかが微妙なくらい。自分自身がそれを修理や調整ができないと費用面だけ考えても運用すらもが難しい話だったりもする。織物をつくるとかモノをつくるとかはそういうトータルな環境作りから自分自身でできないと仕事としては成り立たないあたりが、機械が調子悪くなるだけで仕事が全部できなくなる可能性が高いこわさのある繊維業界のものづくりの世界。どこかにだれかがいて頼めば問題をいつでも簡単に解決してくれるような状況でないなら、ものごとをやっているときにはやっている本人が一番のプロで専門家にならないといけないような気がする。
2022年11月26日
盛岡は相当寒くなっているそうで、外は1度くらいとからしく、中も同じくらい寒いそうで、みちのくあかね会の渡辺さんがストーブを3つ用意してくださるそうで助かるのだけど、なるべく自分でも用意しておこうと思って、昨年シーズンオフに自分の仕事用に大人買いしておいた電熱パンツと電熱ベストを友人にも着てもらって寒さを感じずに盛岡での作業をできないかと思う。また、交代ながらも10時間ほど高速を走って盛岡に夜に着く予定で、夜中にもう一台のほうの機械の分解をできないかと考えたりしている。

でも、今回は一人じゃないので一人だったら現場で寝袋でもよいのだけど、もし二人が到着して疲れていたり、帰りのことを考えるとどこか泊まれる場所を用意したほうが良いのではないかとも検討はしていて、当日利用できそうなホテルやスーパー銭湯、ネットカフェなどをいくつかの候補は検討はしておく。疲れていたら朝早くからの作業でもよいだろうし、今回は二人なので下道じゃなくて高速道路を往復使うので、しかも交代で運転ができるのでそれほど疲れることはないだろう。前回の分解のときには、行は全部下道で、帰り道は高速道路を使ったのだけど、帰りが日曜の夜から月曜の朝に掛けてで東京の手前で平日の通勤ラッシュ、また中央道が工事規制が全面的にあった感じで帰りも途中1回仮眠したので行きと同じくらいの時間が掛かった。そういう経験から今回は二人だし週末で空いているだろう高速道路を往復使う予定。北陸経由が一番スムーズに走れそうには思う。雪はまだふっていないということでとりあえず往路は北陸経由で行く予定。

出発は朝の7時半で8時に彦根でレンタカーの予定、2回盛岡に伺ったのだけども手土産も持たずだったので、今回は林与のシャトル織のキッチンクロスでもお土産にもっていこうと思っている。林与がどんな織物をおっているかも分かってもらえるだろう。

出発の前だけども、午後から来客のあと工具屋から連絡が入って、シャトル織機用の交換のVベルトが到着したということで夜中、Vベルトの交換作業と試運転、ガタガタという異音はなくなり、また問題なく織機が動きそう。まだ、私自身が織機を修理できるあたりが一人でも今の時代に織物工場をやっていけている部分、他の人が直せない問題でも、最後は自分がやってみることでシャトル織機の問題をいくつも解決してきた。シャトル織機は織るよりも、他の人におってもらってたので、最初からシャトル織機の2週間の職人さんが難しいと言われた問題の解決から、その2週間は、ステッキが壊れるとか、ピッカーが壊れるとか、シャトルが壊れるとか、バネが壊れるとか、やたらめったら織機が壊れていたのが不思議なくらいに織機が無理して動いていたので、そういう織機が無理して動いているのを無理させず動かす方法に調整し直して今は織機も安定して動いている。

2回目の移設の織機は私自身が管理してほとんど問題は起こらないようになって、以前の工場にあったときに抱えていた問題などもいくつも解決をした。橋のほうが浮き織になる問題なども解決ができて、今は耳までリネンなども織れるほどに調整を上げている。今、織物の世界にいてシャトル織機を動かしているけども、手織り織機のプロジェクトも計画をしていて、それは自分用ではなくて日本中に手織りが広まったらなあと思う考えから、また、自分でもシャトル織機でやるとどうしても本格的に大掛かりになってしまうので、手織り織機で織ったほうが簡単なことは多いので手織り織機をいくつも持っていると林与自身のものづくりの幅も広がる。

昔の高機も何十台も倉庫にあるけども織れる幅が狭いのと織機自体が相当な大きさなので、和織機よりも洋織機で織物を織るほうがコンパクトで楽ちん。私自身は思うのは自分は職人っぽくないなあと、職人っぽい人というのはみんな道具や作業スタイルなどにこだわられるけども、私自身は、最後の出来上がる布が一番大事だったりしてそこしか見ていない感じで、中古の織機でかまわないし、織りたい織物が織れればそれで十分。織物を作るときに形にはこだわらずに、最後の織物をつくりあげるところに集中して、職人タイプの人というのはすべてにこだわりをもつ感じだろう。それがよいんだろうけども、そことは違う観点で織物をつくろうとするのが私のタイプで、形式にとらわれないから新しいことを効率よく作業していろんなことをやって成り立たせていくというのが林与のスタイルか。昭和の時代の分業の限界を感じているので、そういう形に落ち着いたんだろうと思う。

日本の産業界も昭和時代のものづくりモデルがそのままの理想みたいに思われているところがあるけども、もう限界には来ていて、一流メーカーといわれるところでも外も中もきれいな工場が廃業に追い込まれているのが実情で、一番大事なのは人の力ではないのかと思っていたりする。世界的なコンピュータメーカーの製造現場でも働いたけども、なんか織物工場の中の作業と似ていた。でも、途中に5回も休憩があったりと、休憩で忙しいとか。中は24時間空調が効いていて昼か夜かもわからない、太陽の光に触れることができ外に出ると逆に厳しい寒さ暑さ。大きなメーカーでも職人というよりも素人がつくるモノづくりなのであって、もちろん技術者が設計をしたりはするけども現場は素人ばかり。

だれでもが失敗なくできるような工程に落とし込まれて、1個でも失敗すると反省書みたいなものを書かないといけない。不良ゼロ的なものづくりなのだけども、それはそれほど高度なモノづくりでもなく、人のレベルが低いからというのを想定して、誰でもできるような単純作業。人の技みたいなものがないのが、そういう現場の特徴で、結局、海外の人件費の安いところでやっても同じものが作れるから、その工場は数年後には閉鎖されてしまった。だれでもができるような理想を追い求めて結局は装置依存なものづくりで、人の力の差みたいなものが出なくなったあたり。

シャトル織機というのは、人の作業が膨大で、経糸切れや横糸切れなどでも毎回毎回が真剣勝負みたいなところがある。慣れればそれほどでもないのだけども、1日に数回しかキズを作らないレベルでないと、仕事をしてもマイナスな仕事。キズゼロのようなレベルのものづくりを目指すのは逆に高度なモノづくりを否定することにつながるし、キズができるのもしかたないという発想の元、どうやってそれを減らして乗り越えて生地を生み出して行くのか。普通の織物をキズなく織るというのも一つの高いレベルの仕事だろうけども。より切れやすい細い糸を扱ったり、より織るのが難しい、高密度の物やまた薄いガーゼの麻織物を生み出したりと、他の人がやっても織れないと挫折するようなものを、いち早く自分が生み出して形にして世の中に出して行くみたいなあたりが、林与が日本で織物を織っていることの意味だったりする。

別に私が普通のものを織っていることもあるから、普通の仕事を馬鹿にしているわけでもなく、普通の仕事を馬鹿にしている人というのは高度なところにはたどり着けないというのを感じているので、普通の仕事が普通にできるということが一番の基本で大事。でも、ものごとを極めるやるなら一つの作業にとどまらずに、いろんな作業を身に着けて、それは技術とか呼ぶほどの物でもなく、最初の1日から作業に慣れてできるような体質になっていることが大事、好き嫌いなくどんな作業でもこなしていけるような幅の広さみたいなものが大事で、そういうのだと他の人ができないことでも自分だとできるとなってくる。林与が織物作業全般に通じているのも最初からそういう考え方。

今回の盛岡での撚糸機の分解作業でも、分解できるかどうかの前に、それを買うことを決めて、分解して運び出そうとすると自分がやらないといけないということで、自分で作業してやってみる。もしできなかったら費やす何十万円か失うだけのことで、普段の仕事と比べてもそれほど大きなリスクでもない。普段の仕事にしても、毎回毎回、失敗するかもわからないことを一回勝負で正しい答えを出すのが、織物をつくるという仕事。クリエイティブな部分じゃなくて、求められる答えを出すことが大事。一つの織物でも普通は染色から製織、織物加工まで行うと2か月以上の長旅で、織物のプロではあるけどもお客様から注文を受けて織物をつくるということはそれなりに毎回大掛かりではある。移設作業のほうが最後失敗してもそれで済むだけに楽ではある。織機などを移設しても移設した後が大変でちゃんと動くように調整という部分が何日もかかる作業だったりする。そしてその織機をつかって織物をつくる工程は毎回毎回移設作業の以上のような話で経験した人だと分かると思う。
2022年11月26日
今朝、ハンドリフトが運送会社の営業所に届いたので取りに行ったら、60kg以上の重さで、一人で軽トラに積み込むのが本当に難しい話。80kgくらいはあるかも、でもしっかりしたものなのでその点は良かった。なんとか、自力で軽トラに積み下ろしできるのでOKか。明日の朝盛岡に向けて出発。なんか今回は、中学時代の友達も手伝ってくれるので、一緒に旅行になってうれしい気分で楽しみの部分がある。大人になってからは、いつも時間があまりないのでゆっくりと時間を取って遊んだこともないが、今回の盛岡行きはいっしょに飯食ったりもできるだろうから助けてもらう側なのだけど楽しみなところは多い。

道中も11時間ほど拘束を走るのだけども短く感じるだろう。友人とゆっくりしたことなどほとんどない日常なので、こういう機会は本当にうれしい。私自身、仕事のお客様が普通の友人以上みたいな感覚があって、仕事というのは友人間隔以上でないと一緒の気持ちで仕事はできないなあと思ったりしている。損得とかそういうのでなくて、相当無理してでもお互いを支え合う気持ちがないと仕事というのは成り立ちにくいなあと思う。手伝ってもらうのも仕事の雇用関係じゃないというのは私にとってはすごく気持ちも楽。

昔からの友人関係というのは損得じゃない付き合いで、仕事以上の成果につながりやすい。仕事じゃ頼めないことも頼めたり、今回も2日間いっしょに運転も後退しながら盛岡。そういうのは仕事の雇用関係の中ではできないことなのである。友人同士だとできることが仕事の雇用関係の中ではむりみたいな話で、それでどこまで深い仕事ができるのかというと浅いところまでしかできない状況で仕事が終わるだけのこと。でも、なんで友達というのは本当に優しいんだろうなあと不思議に思うことが多い。私自身が友達に同じ優しさをもっているのかと思うと、自分自身がやらないといけないことだらけで時間も足りなくなってしまっていて、昔の友人たちと時間を共有できることもすくない。

展示会に行くとか、今回の盛岡行も仕事なのだけども、私にとっては普段の仕事とはちがうアドバンスドな夢のある部分。林与自身にとっては、展示会もテキスタイルマルシェなんかも仕事というよりも大きなチャンスの場で、そのチャンスを生かさないとと思う気持ちが強い。そういうイベントを普通の日常的に感じてしまってはせっかくのチャンスを逃すことになるだろうと思う。今回の盛岡行もスペシャルなイベントで、分解した撚糸機をトラックに積んで持って帰って来ることなのだけども、日常とは違うスペシャルなイベント。

多少のトラブルはある、レンタカーも屋根のついているバンタイプを借りたかったけども借りることができたのは、2トンの平トラック。代わりに、ブルーシートを何枚か買って用意した。上から荷物にグルグル巻きにすれば同じだろう。雨が降らないことをなるべく期待する。撚糸機が手に入るといろんなことがやりやすくなる、小型の撚糸機なのでその点もありがたかったりするし、また、今使っておられる撚糸機をそのままなので備品なども一式ついていてありがたい。自分が長年ほしかった撚糸機がとうとう手に入るということで、それを移設するということは少し悩ましいことで有ったりするけども、理想とする分解しての運び出しというのを自分でやればできないことはないと分解できると思い込んで実行してみて分解はできた、また問題はもう一つの機械、これも分解ができるのか分からないけど、もう一つの機械の方ががっしりとして重そうで、これを運び出すには重機が必要。

これの小型のほうを業者さんの親子が運び出されたそうだけども、その時にも相当重そうにされていたということで、それより1.5倍くらい大きなタイプなので、トラックの荷台への積み下ろしはハンドリフトを使うことを考え、ハンドリフトを買った。余分の出費だけども、林与の工場の中の、使えなくなった織機も分解しないといけないのでそのときに問題があるのは、織機の上にのっているドビー。ドビーはたぶん100kg近くあって、二人ででも下すということは危険すぎる。上から吊って下すというのも考えたのだが、それよりもハンドリフトのほうが作業しやすいだろうから、ハンドリフトを手に入れることは今回の盛岡以外にも林与の会社の中で活躍しそう。

ハンドリフトのよいのは、リフト自動車とちがって、リフト車の入れないような狭い場所にでも手で運び込んで使えることできっと活躍するだろう。10年前にも、パレットを運ぶハンドパレットを織機の移設のために買ったが、あのときは、1台が2万円くらいだったのが今は4万円ほどになってしまっていたりする。今回のハンドリフトも今は6万円ほどだけども、将来買おうとしてもより高くなっていることだろう。あまり大きすぎるものも持ち運びできないのでうれしくなく、ちょうどぎりぎり自分の力で運べるくらいの大きさのもので高さも顔の高さくらいまでは上がるものが欲しかったので、ちょうどそういうものが送料込みで6万円ほどで手に入った。400サイズくらいあるものなので、送料だけでも普通は2万円くらいするんじゃあないだろうか。

以前、廃業された70の機屋さんが自分で工場のなかの機械を始末されていたけども、そういうのみて自分もやろうと思えば出来るなあと感じた。普段の織物の仕事というのがそれなりに複雑なことなので、それとくらべると、織機の解体や移設というのはそれほど難しいことでもないように感じる。ただ、いろんな道具が必要でそういう道具を用意さえできれば、人の力でもなんとかなりやすい。将来的には、工場の中の大規模な模様替えとなると、リフト自動車やレッカー車みたいのも手に入れる流れになっていくんだろうなあとは思う。多く人を集めて人力でするよりも、二人位で重機つかって作業したほうが何倍も楽そうではある。
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