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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2021年07月24日
今日は長栄座のキッチンクロス製作、もうすぐ織り終わりそうなのだけど、縫製も先に進めていく予定。林与の定番のミニキッチンクロスのダブルラインのタイプだけども、長栄座バージョンは、ベースの白は、オーガニックリネン糸を使用。

オーガニックの糸だけに、問題も多く、オレンジ色に見えるような晒せない異原子みたいなのがところどころ入ったりしていているのだが、オーガニックの糸というのは値段が高くても難しいなあと思う。普通の糸でこれほどに顕著なオレンジっぽい問題があることはほとんどないけども、これがオーガニックの証でもある。

オーガニックに正直というのはこういうことだろうと思う。オーガニックが品質が高いというのはあまり適切な表現ではなかろうと言えるのである。普通と異なる栽培方法で育てるんだから、安定した品質というのは難しくなる。同じ畑で作っていると連作障害みたいなものも出てくるから、年々品質が落ちてくる気がするのがオーガニックリネン。

オレンジ色にみえるような縦に線の入ったのは、よけてあるけど、オーガニックとしては当たりとして自分で愛用するか、普通に販売をさせて頂こうと思う。幸いだったのは、6年ほど前に買っておいた糸で、オーガニックなのにシャトルで耳までリネンで織れたこと、まだ糸が強くて助かった。一番心配していたのはそこだったから。
2021年07月23日
工場の前の街燈が、近くの電柱に雷が落ちてから点かなくなった。電球も飛んでしまって、センサースイッチも駄目になってしまったようで、電気工事の人がリフト車を持ち込んで交換しに来てくれた。

街燈の電気料金というのは、何時から何時まで使うからいくらという風に決まっているようで、LEDに交換してからは、安くなったとメンテくださってる集落の担当の方がおっしゃってた。LED電球が、すごく良い感じの大きなタイプ。

こういう街燈も、50年以上も昔から、集落の中の商売をしている家の道沿いにひとつづつ設置費用と電気代負担で、自主負担的なもので字の中の道を明るくするために続いている。今は町の管理の街路灯もかなり増えたので、存在価値は下がってはきたけども、昔、商売をしているとその余力で貢献するという栄えていた時代の名残。

実際に、この街燈が点かなくなってしまうと、道は本当に暗くなって、ご近所の方からも集落に問い合わせが届いている。あまり気にしてはいなかったけども、この街燈一本が、地域の人々の夜の安全のために役立っているんだなあと思え、価値を感じた。

私が子供のころは、まだ水銀灯だったので、その下に、夜、カブトムシやクワガタが集まったり、で、子供にとっては宝探しの場所であった。今はもう、夏になっても、カブトムシもクワガタも見かけることはほとんどなくなった。
2021年07月22日
フランスのブランドBICのオレンジボールペンが製造終了になるという話で、10年くらいは愛用していたので、なんか複雑な気持ち。テキスタイルの展示会で使っていると多くの方がそのペンに反応をして、このペンを使っている人が多いねという話になることが多い。

フランス製が中国製になりチュニジア製になったときに、それぞれ、書き味が大幅に変わった。キャップも付けずに何年放置しておいてもいつでも書くことができるボールペンだったのが、最後のほうは、そういうのも難しくなってきて、水性のジェルペンのほうが安定しているんではと思えるようになってきてしまった。

安くを求めて製造する国が変わると、価格は同じでも品質は落ちてゆく普通の流れ、安い物を値上げすれば受け入れてもらうことは難しいメーカーの事情もあるだろう。20本買えば、1本30円ほどのBICのオレンジボールペン、もともと安すぎてそれなりに独占的に愛用者を増やしたけども、チュニジアでつくっても価格の維持が難しくなってきたのだろう。

いつでも書くことができるボールペンがあることは安心ができた。だんだんとそういうのも難しくなっていくのだろう。もしかするとボールペンの油性の薬品が使用禁止になったとかなんだろうか。地球環境問題からすると、ボールペンの油性インクすらも今まで使えてきたものが駄目といわれ変更を求められることも多い。オレンジボールペンのインクは特殊な気がしてはいた。
2021年07月20日
シャトル織機の1台が、今日の暑さでモーターがオーバーヒート。この1台、この数か月動かしすぎで、ほぼつねにモーターは回っている。あまりにモーターが暑くなるので、ビニール袋に水をいれた水枕をモーターに当てて冷まそうとするけども、その水も今日の気温では50度以上になってしまって役を果たさない。

モーターというのは熱が上がるとまともには動きにくくなる。たぶん、内部は80度以上とかにまで上がってしまっているだろう。運転に入れた時にモーターに負荷がかかってオーバーヒートしてしまっていると、モーターが負荷に負けてしまって、初速が付かずにシャトルを挟んでしまう。こういうのも案外原因不明的な問題で、モーターの問題だと気が付かないと、調子よく動いている織機に、間違った調整を加えてしまって、織機の調子が崩れる原因になる。

シャトル織機のモーターは、レピア織機のモーターと比べると、5分の1くらいの電力消費で環境にも優しいのではないかと思う。レピア織機の場合には、力があるので空回りするのを強制的に止めるためにまた電気を使ってブレーキを掛ける。シャトル織機の場合には、クラッチを外すことで回転の伝わりがなくなり摩擦ブレーキで織機が止まる。
2021年07月11日
10年ほど前に面識のない機屋さんから連絡があって、織機のことを教えてほしいという話だった。もう10年経ってしまっているから機屋を続けておられるのかどうかは不明である。タイイングマシーンを探しておられた。私よりも10歳、20歳上の方だろうかと思う。

使っておられるタイイングマシーンがメーカーは同じでも、林与のタイプよりも古くて、タイイングマシーンの刃が製造中止になっていて手に入らなくて困っているというお話だった。林与にはタイイングマシーンが4台あるけども、もうタイイングマシーンも40年選手なので、何台も持っていた方が安心は安心である。

探しておられるものがピンポイントなので、それそのものがないとなかなか難しい。林与の持っているタイプのタイイングマシーンに買い替えるのも中古なら、本体、台、刃など含めて、何十万円で手に入るのでそれもお勧めはしたが、多分、ひとつ前のタイプに慣れておられるので、買い替えはされないだろうと思う。

仕事というのは作業だけでなく、仕事する環境から作っていかないといけないのだが、そのあたりが大変なことで、注文があったら問題なくつくれるのかというとそれも材料の安定性の問題もあって確実でないことも多くなってきている。

リネンの生成なんかも、色の安定度などは劇崩れで、同じロットでも色の変化の度合いは大きくなってきていて、昔はこんなことはなかったのにと、仕事すれば自分に何の問題がなくても結局失敗する可能性も何割か高まって来ている。

シャトル織機で織っていても織ることが難しい問題の度合いも上がってきている。量産できる規格のぎりぎりのあたりを規格にしている織物も多いので、そういう問題が毎回の問題のように起こる。どこの誰がやっても同じように問題は起こるだろうから自分だけの問題じゃないと思って、そういう壁は高ければ高いほど解決できるものにとっては悪い話ではないんだろうなあと思う。

解決できなければ仕事を受ければ地獄そのもの、良い時代の方々が今の仕事を受けてもこなせることはほとんどなく、今の繊維業界というのは実際に仕事の問題をつくるでなく解決できるひとしか残ってゆけない、解決してやっと仕事みたいなところがあって、解決できないと注文を受ければ受けるほど問題が増えて終わりな話。

どうでもよい仕事が繊維の世界にあるのかというと、ない話で、働く人もそういうものを求めていては仕事が難しい話で、目の前の仕事一つ一つを地道に取り組んでいくしかないという覚悟が必要だろうとは思う。

織った布を織るよりも時間が掛かる縫って直す作業。まだ、そういうことが出来る人だと残って行ける地力みたいなものがあって、そういうのが出来るうちはレベルも高い。良い時代の人たちが、そういうのが絶対に無理な話から始まる。

自分自身が他の人よりも仕事が上手じゃないと仕事なんて成り立たないのだけども、なかなかその辺りの話から食い違いも多く、仕事というのはやっぱりやる気をもった人がやっていないと、仕事の意味すらも見えてこないだろうと思うのは、林与の家の中の問題とも被る話。

2021年07月02日
時間の経つのが早すぎて、1週間がというよりも1か月、1年が経つのが早い。けども、毎日やっていることというのはたくさんでいろいろやっているから時間が経つのが早いのだろうと思う。いろいろやっているといっても、一つのことをやろうとするときに、どこまで良い状態に持っていくかは時間との戦いで、キズ一つ直すのをあきらめるのかあきらめないのかで、30分、1時間が変わってくる。30分、1時間使っても直らないと結局キズとして扱うことになる。

キズを直そうとする人というのは、織るときにも上手に織るものだけども、キズを直せない人というのは織るのも上手ではないことが多く、結局、織物を織ることができるかどうかよりも、結局最後は、問題のない織物を作れるか作れないかに関係してくる。織物の仕事は年を取ると仕事が難しくなってくるのもそのあたりだろうと思う。

昨日は織機の問題で、シャトルの杼箱の高さが杼台からずれている?おかしな現象。杼箱の高さを調整するネジの取り付け方がおかしい状態で、なぜその織機だけそんな風に取り付けられてしまっていたのかが不思議で、それが原因でネジが緩んで杼箱が下がってしまっていた。

今日は、リネンデニムの立ち上げをやって比較的短時間でうまく織れ出したのだが、途中やっぱりいろいろと問題があって、そういうのを当たり前に乗り越えてゆかないと、そこでリネンデニムも織れなくなって生産ができない話になる。原糸から選んでの生産で糸のチョイスが違えば、同じ規格でも転んでしまう話。原糸のチョイスを失敗すれば織れなくなる織物の一つ。織る人にもかわいそうだけど、こうやってこうやってこうやって織ってみたいな手順を守って織ってもらうことが多く、言われたとおりにできない人には織ってもらえない仕事。

今、林与が、先代のころには織れなかったような織物が織れるようになったのも、いろいろな私の持っている手順を守って仕事を進めるからで、そういう手順を理解して守れないとやったら失敗する仕事になる。材料や設備だけでなく仕事を一緒にする人も大事で、すべてが揃って、正しく動ける前提があって、昔織れなかったような超高密度や超細番手、リネンデニムなんかが織れる。織れない原因や問題の原因が、織機や材料ではなく、人の問題であることが多く、作業する人の素直さというのは一番に大事なことだなあと思うのである。
2021年07月01日
7月は、涼しく始まる。工場の中の作業、ありがたい一日、スタッフも暑さを気にすることなく経糸をつないでいてくれる。3600本ほどの経糸を一本一本手で繋いでゆく。だいぶ慣れてくれて途中ばてることなく、一日中糸をつないでくれている。

タイイングマシーンで繋ぐよりも手で繋ぐ方が切れやすい麻糸の場合には楽かもしれない。今回3600本ほどを1日ちょっとかけてつないでくれたので、今度からは3600本は手で繋ぐことになりそうか。まあ、それでも良いだろう。

手織りの着尺が1000本前後なので、その3倍以上になってビームも重くなるけども、基本は同じだが、淡々と3000本をつなげる人というのはそう多くはないだろう。そういうのが出来る人というのはやっぱりすごいなあと思う。

新人のスタッフも3か月たって慣れてきたのを感じる。慣れると作業が空気みたいな感じになって感覚的に仕事ができるようになるし、感覚的にやった仕事を頭を使って確認して極力間違いや失敗を減らせるかが大事になってくる。慣れて頭を使わなくなると大きな失敗につながったり、新しいことや高度なことができなくなってしまったり。
2021年06月30日
コロナに関してマスク不足が一転し、マスクが十分に供給されるようになって、自己防衛が可能になったことは本当に良かったなあと思う。ワクチンも今接種が始まって、感染すると重症化しやすい高齢者の人たちから優先に接種が行われている。

スーパーコンピュータを使わなくても分かる話だけど、空気の出入りをどれだけ防ぐかが大事で、あまりに高性能なマスクでも呼吸が困難になり、結局はつけていることは難しくなるから、ある程度の空気の出入りができるマスクでないと常時つけるマスクとしては意味がない。程度問題なのである。

コロナでマスク不要論や害悪論でへんな誘導ばかりで感染が広がったあたり、CDCやWHOもソーシャルディスタンスを強調して結局感染を広めてしまった感がある。専門家というのは、人々の安全よりも自分の地位のほうが大事だというあたりだろう。日本はGOTOに固執してコロナを政府が広めてしまった。

常識のない政治家や専門家が多く、犠牲になるのはそれに従わないといけない国民だったりで、国難のときに余計に国民を苦しめてしまうなら、そういう輩たちはいないほうが良いのである。一部の利益のために多くの人が死ぬ原因になる。
2021年06月28日
昨日は、自治会の堤防の草刈り。天気も曇天で暑すぎることもなく、各自が持ち込む草刈り機で川沿いの草を刈る2時間くらいの作業で、今はコロナですぐに解散で一杯飲みはなし。こういう形のほうが負荷も少なくって行事にも参加しやすいんだろうと思う。

今日、草刈りをしていて気が付いたことが、いくつか。桜の木の周辺には新しい桜の枝がたくさん生え始めていて、それを切ってよいのか悪いのかの問題。この桜の木というのは誰が管理しているんだろう。1年管理されていなかったから枝が伸びてきているんだろうと、私の判断で、地面から生えている小さな枝を草刈り機で伐採する。几帳面に田んぼを管理している農家の人が、自分の田んぼの横の用水横の桜の木の根元の管理をしていないのが不思議であったりして、手を出してはいけない誰かが管理しているものなのだろうか。こういうときに善意の第三者的なナタを振れる人が必要だとは思う。

川の周辺には、赤苧をいくつか見つける。かなり大き目の状態になっていて、また時間を見つけて繊維を取る作業が出来たらと思うが、忘れてしまっていつのまにか冬になってるとかだろうか。苧麻なんかも、自然に自生しているものをカラムシと呼び、昔は近江上布にはカラムシが使われたとされる。
2021年06月27日
日本で無理して仕事してぶれるくらいなら、自分自身やめたほうがよいんじゃないかと思うことは多い。それは普通のことかもしれないけど、いわゆる看板商売に落ちてしまってはものづくりとしては本質的なものがなくなるので、その辺りがものづくりの仕事としては潮時なのかなあとも思う。

イタリアで一番有名な老舗ウィーバーがパクリ屋だという現実が分かったときには、イタリアの一番の老舗ウィーバーでもパクリ屋さんであるという判断、偉そうに世界で高級を謳いながらもアイデアをパクって企画がスタイル。

それを感じた時には、その会社の人が来てもパクリ屋さんと思うだけ。世界に高級生地を提案しているイタリアの老舗がパクリ屋になってしまっては、残念そのものだけど、世界レベルでもそんなもの。

4年目からは来られても、こちらがそことは商売をする気がないので、相手をする必要もなくなり楽になった。スワッチ集めでは、イタリアの最高級の素材メーカーというのも、本当に厳しい話。あそこはスワッチ集めて買わんでしょうというのが定説。来られても見ていただく新しいものはありませんで簡単に終わる。テキスタイルメーカーとして、そんな風にはなりたくないなあと思う。
2021年06月26日
今日は、土曜日で藍染作業。インド藍の藍染液を使っての藍染。ストールとトートバックを染めてみた。同時に染めたけども、トートバックとストールの色の濃さは異なった。まあ、両方、合格の範囲だろう。ムラ感が出るかと思ったけどもムラ感なく均一に染まった。乾くのが楽しみ。乾くと色は半分くらいに薄く見えるのが普通なのである。そこからまた対光堅牢度と色落ちをしにくくする作業に入る。

染料を切らしていたので午後から染料を買いに京都の染料店に行ったのだけども、1時間くらいはいただろうけどもお客さんが私だけだった。お店の中には店員さんが何人かおられ、京都の店舗も大変だなあと思う。その分、通販とかで販売が成り立っているのだろうか。

コロナ禍においてはハンドメイド的なものは人気で、縫製や手織りなんかもかつてないほどのブームとなっている。縫製に関しては手づくりマスクブームがあったのでミシンなんかも需要が高かったそうだが、今は少し落ち着いた状況で、でも、洋服などを自分で作ろうとされる方が増えたとは思う。
2021年06月25日
今日は訪れた繊維関係の工場が休まれていた。コロナの影響でのアパレル不況からの繊維不況で仕事が少ないという状況なのであろう。その近所の織物工場の方も仕事がないということで機械は1台、2台だろうか動かされ働かれているも、やっていても、よい状況ではないのをおっしゃっておられた。

林与というのは麻という素材にかなり特化しているので恵まれているなあと思うところがある。まずは、麻の世界は小さくて競争がまだ少ないことと、世界的なエコトレンドの流れの中で、天然素材の中でも麻という素材は理想的ととらえられていたり。

一方で、麻という素材は不安定な要素が多いので、無理したものを作ろうとするとうまく行かないことが多く、相当深く覚悟して取り組まないとそういう問題を解決することが難しいのではなかろうかと思うところがある。普通に仕事しているだけでは製造面での問題だらけになってマイナスに終わることが多く、一つ一つの問題をどう乗り越えてゆくかが大事なところだとは思っている。

仕事に関しては竹を割るような感覚が好きで、いろいろと試行錯誤してプロとしての技術を高めようという考えには賛同するけど、簡単なことも無理という話だと消えて行くのもしかたのない話なんだろうなあと、どんどんと簡単なことも日本の政治や行政がらみで責任逃れ的に難しい流れになっていくなかで思ったりもする。
2021年06月24日
今日は午後に強烈な雨で、届いた糸の箱が4箱くらい外の軒に置かれたままで、箱に雨が掛かってしまう。雷を伴う強烈な雨で、私はびしょぬれになって、それよりも糸の箱のほうが心配ながらも、外にも出られないほどの空模様で風も強すぎる。

染色工場に持って行こうかと思っていた矢先の雨と雷。ビニールを掛けた時には、雨が思いっきり降って止んだ後。でも、あれほど蒸暑かった工場の中が少し冷えて、作業もしやすくなってうれしい気分で、整経の糸を建てる作業を完了して糸を前まで送った。

昨日に引き続き、今日も草木染に関すること。今日は黄色にチャレンジで、トートバックが綺麗な黄色に染まった。見た目かわいいだけでなく、それがリネンで草木の染料で染めてあるならほしいんじゃないだろうか。夜干して、明日の朝が楽しみ。また、明日も違う色を染めよう。

草木の染料の弱点は、一番には耐光堅牢度だろう。耐光堅牢度をあげる工夫が対策が必要。2番目には、色泣きや色落ち。それをなるべく軽減しておくことは必要。
2021年06月23日
今日は仕事終わってから、トートバックを赤色に草木の染料で染めた。なかなか渋い色に染まって、昭和レトロを思わせる。今までにない感じ雰囲気のビンテージっぽい仕上がり。これでよいのではないかと思う。

こだわりのブランドの人たちが林与に昔の麻の布を持ち込まれてこんな布がつくりたいといわれるときにかなり風化しているような布にあこがれておられることが多い。年季の入った感のある布、無二な感じの布。染の雰囲気などもちょっと違って、今のソリッドな染ではなく味わいのある感じ。

私が今やっているのも本格的な草木染ではない、簡易的な草木染になるだろうけども、テイストからするとこだわりのブランドが求められているようなテイストに近い気がする。使い込んで洗いこんで味が出てくるようなものづくり。使い込んで捨てるようなものではなくて、より愛着がわいてきて使い続けたいと思うようなものが作れれば。

もちろん麻の世界にも逆のものづくりもあって、華奢な今にも壊れそうな世界の美や、完璧なスキのない塗装のような美の世界もある。今日やってることは、なんか和めるような和の世界のものづくり何だろうなあと。子供のころを思い出すような、高級ブランドのテイストを求めない、手づくりの感覚を求めるような、温かさを求めるような世界。

2021年06月22日
上から目線の人間が仕切っている世の中になってしまっては、エシカルもサステイナブルも利用されてしまっているだけで、仕切っている人間はボランティアレベルでよいだろうが、実際に仕事している人が浮かばれないと、搾取そのもの。

仕切って、立場や利益に固執しているような国の役人タイプは、エシカルやサステイナブルの世界からは消えてほしい。まだ、エシカルやサステイナブルの世界を支えている人たちを仕切ろうとして苦しめる。一番の害そのもの。

地道に働いている人たちの上に立つ感覚とかほんとやめてほしい。それでサステイナブルとかは、営利主義の力になびいた今までの路線が若干形を変えてるだけで、今までから地道にやってる人たちに重荷を掛けているだけのSDGs。大手の営利主義的しか生き残れないかもしれないSDGs的な考え方は是正が必要で、地道にやってる人たちを締め付けてばかりでどうするのの国連レベルのSDGs。

日本の昔からの繊維業界からするとSDGsのレベルは営利目的で低すぎて、サラリーマン間感覚を超えた役人感覚。昔からやってるところを淘汰してサステイナブルも難しくするだけの話。なんで、新規にはじめたところが本当の正しい繊維の知識もないから、安くモノ作るに明け暮れて昔からやってるところを難しくするのがSDGsなのかと、ここまで繊維の世界も落ちたのかと残念に思う。

WHOや国レベル、金融機関が営利目的で動いてSDGsなら地球環境は破壊されるだろうし、日本の最大で世界で3番目に古いといわれる琵琶湖でも、面積は半減しているだろうの話。それは国策の賜物で、それを国民を批判しては奴隷制度と変わらない。国連や国レベルが奴隷制度感覚では駄目で、なぜ、自分が織るや作る現実もしらない素人レベルのグレタさんが国連演説レベルで、繊維業界を叩いているのか?

琵琶湖が狭くなるのも、ダムが増えるのも農地確保のためで、人の命を救うために自然を犠牲にするのを国の法律を超える力を持つ心のない今の国連レベルのSDGsと同じで、それに従わないと干される話。本当は駄目だというのは分かっていてもその時に人が死ぬとか生活を支えるためいうのを避けるために妥協したことも分からない人たちがやると駄目で、それが国連レベルや国家レベルの自分が苦労する覚悟もない素人未満の日本だけでなく世界にはびこる権威や金儲け重視の批判ばかりのSDGs。そのあたりの低いレベルから是正してゆかないとエシカルやサステイナブルは難しいだろうと思うし、貧しい人たちが死んでゆく話。
2021年06月21日
昨日、何十年ぶりかにムカデに刺された。ハチに刺されたことは2か月ほど前にあったけど。足の指をさされたときには、感電したかのような痛みがあった、小さなムカデだったので、毒自体は大したことないだろうと心配はしていなかった。そのあとも歩くのに支障があるほどの痛みではなかった。

もう、虫が少ないなあと思う。すべてが人のコントロールの中にあって、人間以外の生き物が生きることが難しくなっている。この前、隣の安壺川を除いたが魚を一匹も確認することができなかった。今までではじめてのこと。

スズメもいなくなった。トンビも。カラスすらもいなくなった。でも、スタッフが教えてくれたことはコウモリが飛んでいるということ。コウモリが近くで普通に飛んでいるなんてはじめて知った。
2021年06月20日
昨日スタッフが休みなのに私が仕事しているのを心配してきてくれた。急ぎの一台に絞り込んで、加工出しのための生地修正作業。一人でできる範囲に落とし込んでたので、今日は私一人で大丈夫と休んでもらう。

一人で仕事をしていても気持ちが通じているとありがたいもので、若いのに仕事を自分のことととらえていてくれて私の若いころと似ているように思う。

生地修正にしても、私自身やっているけども誰もができる作業ではないようなレベル。拡大鏡を使って、ひと針ひとはり縫う作業で、通常の裁縫を超えた話。顕微鏡で修正するよりはまだ簡単だけども、スタッフはそれを裸眼でやってできるから若い人の力というのはすごいなあと思う。前の女の子も裸眼でやってた。私は拡大鏡使ってそれなりに確実で完璧、普通の年配者が同じことをできるのかというと、難しいだろうなあと年配の経験者が麻織物が難しい根本的な問題を感じる。

加工出しがおわって、お昼丸亀で、ねぎ盛うどん食べて午後から私は眠る。まだ、会社に入って2か月の新人の女の子が一人で工場の中でシャトル織機を動かしてくれている。織物を生み出して行くのは厳しさの裏の優しさみたいなものなんだろうと思う。私自身がそういう優しさを食いつぶさないようにしないといけないと思う。自分ができることは甘えないで自分でこなして行くという姿勢が経験者にも大事だろう。そういうところで経験者が考えを誤るといくら頑張る人がいてもそれに甘える人がいると、頑張っている人の努力を食いつぶしてしまうような階級社会的な問題ばかりが増える。
2021年06月19日
愛知川の御幸橋の巨大な標語看板が1年ほど前に何十年ぶりかに書き換えられた、一つの面には、あおらずに守ろう車間のディスタンス、と。あおらずに?なのか、あせらずにが正しいのではないかと思うが。違和感を感じるのは私だけだろうか。

あおり運転がクローズアップされているのは事実だけども、そもそも、煽り運転をしようとする人なんて何十人かに一人だろう、いやもっと少ないだろうという前提が私の中にはあるけども、そういう人を対象に標語をつくるというのも不思議な気がするからである。



2021年06月14日
今日は公共料金の手続きに長浜、ガス料金の手続き。認めでよいといわれてて長浜で印鑑を朝から100円ショップを探す、3件目でようやく林の印鑑にたどり着き購入。

丁寧なできる事務員の方の対応で、会社の契約してからの料金の支払いの状況を細かく教えてくださった。今は、公共料金はカード払いが多くなってきた、ガス料金もカード払いで支払うことにする。

久しぶりの長浜で、長浜という看板の文字をみて、語源は長い浜で、カリフォルニアでいうところのロングビーチなのかと。長浜のビーチを楽しんだことはないけども、琵琶湖にもビーチを楽しめるような場所があると良いのになあと思うが、きれいな砂浜がもう少ない印象。

子供のころ40年前はまだ新海浜にしても松原にしても海水浴客でにぎわっていたのを覚えている。今も行けばまだまだ遊べるとは思うけども、競って場所取りするようなこともなく、広い面積を独り占めに近いような少し寂しく心配な状況。
2021年06月13日
物事に興味を持つということは良いことだなあと思う。今日は織物とは直接関係のないことだけども鯨香の話なんかをいろいろと話したり。鯨なんてほとんど縁のない話でさらに鯨香なんてもっと縁のない話に思えるけども、臭いクジラの結石のようなものが逆に非常に価値のある高価なものであるというのは面白い話で、それを見つける側の幸運や一方でそういうものを求める側の価値観のような辺りがマニアックで面白い。

私も高校生の頃に化石を探しに京都の深草に行ったことがある。山を削った工事現場で化石を探す、見つけてもいくらの価値のないものだろうけども、その時は化石に興味を持っていたので化石が宝のように思えていたと思う。周りの誰も興味を持っていなくても、自分が興味を持っていればそれが価値だろうと思う。

私が麻布を見るときに、自分なりの評価をする。たとえば、多賀の茶店にあったランチョマットの麻布が絣で、糸遣いが今の細い糸の倍くらい細い。今作ることが難しい布ということで、茶店が高級料亭を超えた世界を持っていたりする。そういうところにこだわりをもってお店をつくっておられたりするあたりが伝わってくる。

あの布を手に入れようと思うと大変苦労するだろうけど、手に入った布を自分のお店でお客さんの目に留まるようなアイテムに落とし込んで使うというような粋な計らいは、料理と同じような価値があるだろうと思う。それがさりげないほど粋な計らい。普通の人が気が付かない自分だけが気づく価値感というものがあってこそで、それが作り出す側が分かる価値観なんだろうと思うといえば大げさだけど、そういう布を見て布自身がそれを作った人の思いを語るのを感じてしまうのは本質的なものなんだと思う。

私自身が、林与の近江上布の20枚くらいのハギレを初めて見た時に、誰がこんな趣のある世界を作り上げたのか不思議に思ってすごい世界があるんだなあと思った。それが何年も後に、私の家で何十年か前に作っていたものだと知ったときに、びっくりして、また、さらに何年もあとに、そういうのがハギレで何千種類も残っているのを知って、今は過疎化の進む田舎だけど昔は覚悟からしてすごかったんだなあと思うし、その活気を今の日本の繊維業界に取り戻したいなあと思う。世界に注目されるってと思うが、覚悟は普通の何倍も必要で、結局はそういう覚悟が世界の高級ブランドが求める日本の織物の世界の一つなんだろうと思う。

自分のために働くでなく、他の人のために働いていた人たちが作り出せるような世界で、そういう世界を日本が失ったときに、日本のものづくりの肝が消えてしまって、普通になって、自分自身が食べていくのも逆に自ずと難しくなる形なのかなあと。人同士の関係が希薄になると日本のものづくりが衰退するようなことはあるだろう。
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