for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3623
«前のページ 1 ... | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | ... 182 次のページ»
2021年04月21日
今日は整経の一日、糸をカウントして割ったものの最後足りなくなってしまった。整経というのは、巻いていくほど荒巻ドラムの1周が長くなるので、糸のカウントを大きくしておかないといけないのだけども、今回は余裕を見ていても最後ほとんどの糸が10mから25mほど足りない大ピンチ。

糸をぎりぎり使いすぎないように余裕をみておいたので、その糸を急遽足りない分だけ割りなおして交換しながら最後にようやくゴールしたかと思いきや5mほどまだ足りない話で、最終バンド以外の他のバンドを2回分減らして対応。思った以上に糸を食ってしまう。でもその分、長くは巻けているはずなので、最後はそれなりになんとかなった形。

整経というのは、織るということよりも大きな全損的な失敗につながることが多いので、先を結果がどうなるかを読んで作業を進めないといけないことが多い。糸のロット管理なども大事な要素で、残った糸をもとの箱に戻したり有効に活用できるかできないかも作業する人の能力で結果が変わってくる。

手織りの時代には糸を粗末にすることはなかったが、大量生産の時代になって残った原材料や製品というのはのゴミのような感覚が蔓延して、お金だけを残そうとする企業モデルがはびこったことが、日本のものづくりが弱くなった一つの要素。欧米型の大量生産型のものづくりに移行して、日本の特色であるもったいないとかの感覚が消えてしまって、残ったら捨てるが当たり前になった。そういう感覚だと材料にもお金を使いたくなくなるし、つくるのにもお金を使いたくなくなる。それでいて、価値のあるものを生み出そうというのは矛盾ばかりではないのかと思う。

林与が、ものづくり企業らしい要素は、糸商さんや生地商さん以上に、糸在庫や生地在庫などを持っている部分で、それを自分がどう料理してゆくかがものづくり企業の力なんではないかと思う。残ったから使えないから捨てるようではものづくりの力が足りないような気がして。作る側が作られたまだ使えるものを気軽に捨てるようになっては、地球環境にとっても悪い話につながる。

2周分ほどいた数百グラムの糸でも数千円の価値の糸、なにかにつかえないかとビニール袋にしまって活用を考える。林与の倉庫に眠る1トンを超える戦前に績まれた手績みの糸や数トンのアイリッシュリネン糸。糸がというよりも原材料からして今ではもう手に入らなくなった別格の良質の糸。世間からすれば無価値に思えるかもしれないけども、そういうのを残しておいていつか使いたいと思う私にとっては大事な糸。希少な糸だけでなく、自分が良い糸と思って買った糸や良い布とおもう布の価値は私にとってはいつまでも普遍で、残っているからといって処分するようなものではない。今後はつくることはさらに難しくなる。

数年前にできたことが数年後にはできなくなるというのが今の日本の繊維業界で、海外もそうなのだが、子供たちが働いて大人が働かないような次世代依存型の階級社会が世界中に広がって、昔はできたことも今の人たちは禁じられてしかも、そのひと世代前の問題や社会問題の解決を強いられる。あとになったらというかそのときでも次の世代からすればうすっぺらい感覚の駄目なことするのを正しいと強いられてその片づけを次の世代が背負う。次の世代に背負わせるような感覚ばかりで生きてると次の世代が苦労する話。それが本当に今の日本の社会の問題だと私は思う。

私が仕事を初めて1年2年で、何十年の経験のある方が自分の面倒をみてもらわないと困るという話。次の仕事を始めたばかりの世代が何十年の経験者の生活やその家族の面倒をみるのも普通に受け入れ読みたいなだらしない感覚が蔓延していて、そのあたりから考えてゆかないといけない話。何十年の経験があってもその人たちというのは仕事し始めたときから面倒をみてもらう経験の積み重ね、それが長続きすることもない話で前の世代が解決しようとしない問題は、次の世代が取り返しのつかないほどの重荷を背負って解決してゆかないといけない話。

でもそれは、昔良かった日本の繊維業界ではよく聞く話で、日本社会の問題の縮図そのものだろうと思う。自分が他の人の面倒をみる経験がない人というのは、そういう仕事経験やそういう人生経験が長いほど人というのは変われないもので、そのあたりが働いて食べて行ける人と食べてゆけないひとの差につながる。それでも人の心を信じて支えて助けて見せようとするが、自分自身が自分の人生を捨てて寝ないで働いていてもそういうのにマウントしてくる経験者も多く、成り上がってしまって、まともに働く気持ちや、まともな仕事の感覚のなくなった経験者というのは手が付けられないものだなあと思う。
2021年04月20日
インターン生が免許はもっているけども教習所以外での車の運転が初めてで、住んでいるところから会社まで5分の距離を通うのも車が便利だし、夜道だと自転車よりも安全に思う。最初の一週間は車の運転を教えることも社会経験の一つで、会社の軽自動車を運転できるように練習。

1週間で自分で運転ができるようになって、駐車場のバックパーキングもできるようになったようで一安心。自動車が運転できると自由に動ける範囲が広がって、自分が運転して他の人を乗せる立場になれば、頼めば他の人が送り迎えしてくれる立場とは違う感覚も芽生えてくるだろう。

田舎というのは自動車がなければ行動範囲が狭くなりすぎて、社会生活も難しいことが多い。若いうちに自動車の運転だけでなく、自動車のトラブルなんかも乗り越えていくのも社会勉強の一つだろう。

私もアメリカに行ったときにホストファザーが、自動車を買うのを手伝ってくれたり、問題があるときに面倒をみてくれた、そして、自分自身が車のいろんな問題を乗り越えることができるようになり、今の織物の仕事にも役立っている。たとえば、自動車のタイヤ交換くらいが自分でできないと織機の面倒をみることはなかなか難しいんじゃないだろうかと思える。

インターン生から、自転車の傘立てが壊れた報告をもらったときも、私が直すのではなく、自分で直してみるように誘導、100円ショップに行って自転車用の傘立てを買って、自分で取り付けてみる経験。自転車のライトもくらいということで、100円ショップの自転車用のライトと電池を買って、取り付けてみてもらう。自分自身で取り付けてみるというところが大事で、できたことによって自信がついてくる。

多少の失敗は人生経験で、失敗して分かることもあって、失敗するのを当たり前に自分自身で乗り越えられるような経験をつけて、その次には他の人に対して教えるとか他のできない人の面倒をみられるようなくらいになると自分のことだけでなく世の中全体も見えてきて一人前。若い人たちは健全な精神を持っていて社会貢献したいと考えている人も多いけども、頭の中だけでなく、自分でものごとをする経験を積んで地力みたいなものをもって行動に移して行くことが大事だろうと思う。

お金を払って他の人にやってもらって解決という方法もあるだろうけども、自分の中に力をつけるためには、自分自身ができるかぎりの工夫をして自分でやってみて解決するという方法。ものづくりをしていく人だとそういうのが大事じゃないのかと思う。

今日は一日、会社外での社会経験。新しい人との接点も生まれて、他の人がしている仕事なんかもみえて、それを自分がやってみるということが大事。仕事というのは業種が違えど共通する要素があって、できる人の仕事というのはできない人の面倒をみたり、一緒に働く他の人の問題を解決するのが、できる人の仕事になってくる。
2021年04月20日
今日は、夕方、織り始めて1週間のスタッフが、織っている本麻でシャトルを挟んだということで何十本か切れた、初めての本格的なダメージ。シャトルを挟むのは仕方ないのだけども、切れた糸を直すときにまっすぐにつなげておらず、右の糸が左にいったり、左の糸が右にいったりして、それでは、そのあと織るときに糸がドロッパーにつかえて切れて切れての地獄モードに突入する。

切れた糸をつなぐので精一杯の状況。でも、注意してつながないと、完璧に用意され織れる状態を織っている本人が崩して、そのあとは織れども織れどもまともに織れない状態になる。糸が切れ始めると結び目が多くなるのでそれが余計に切れる原因になる。

ラミーの100番手では最高クラスの糸ではあるけども、縦繋ぎも難しいくらいに今の糸というのは織物の経糸には向かない。白い糸ならまだましなのだろうけども、染めた糸というのは本当に手ごわいものである。特に黒や紺の濃色というのは糸が見えにくく筬を通すのも難しい。

本麻の黒は、直す手間を掛けても、今日は1日に1mもまともに織れてはいないだろうけども、でも、救いは新しいスタッフの子があきらめずに前向きなこと。経験者でも普通は、右の糸を左につないだりしてトラブルのあとまともに布が織れることは少ない。でも、経験者のそういうのを正そうとしてもなかなか経験者というのは素直に正しいことをやってみるというのは難しいもので、それが経験者が仕事が難しい話つながる。案外、経験者でもやってない経験というのは新しい人と同じくらい多いことが多いものである。新しい人のほうが、素直に正しい努力をすれば経験者を超えることはそう難しくはないとは思う。

仕事というのは目の前の問題を自分が解決してゆけるかどうかで、問題を起こさないように仕事を進めていくということが大事で、そのあたりが同じ材料と織機を使っても、人が異なれば結果が変わってくることになる。人が異なるという意味は、人の考え方の違いがあるということで、毎回毎回、当たり前に仕事で結果を出そうとして結果を出している人と、結果を出せずに時間だけが過ぎてゆくのが普通の人では、仕事して食べて行ける人と仕事して食べてゆけない人の考え方の差があると思う。

食べて行けなければそれなりに節制すれば良いのだけども、仕事できる人ほど仕事に自分のお金を使うが、仕事できない人ほど仕事以外に自分のお金を使ってしまう。そのあたりも、仕事ができる人とできない人の差で、自分が仕事する用意を自分がお金や自分の時間を使ってするタイプなのかどうか、というあたりが経験の長さよりも質的なものが大事。

本当に残念なことがあって、木管が1個50gで段ボールが1kg、糸の入った段ボール箱を図ると総重量が10kgで、木管に巻かれたいとが20本あるとすると、糸の正味の重さは何キロですか、というのも、中学生くらいなら8kgと当たり前でないと授業にもついてゆけないレベルだけど、繊維業界の現場の何十年の経験者が今の小学生のできる計算が難しとか教えてもやろうとしない現実があって、外から見るとありない話だけどもそういうことも考えもしないので、そういうのを譲って次の世代が支えようとするけどあまりに力がなさ過ぎて、分かってほしいのは計算ができないことを馬鹿にするとかじゃなく、仕事してお金をもらうというのを軽く考えすぎていて経験を積んでいても食べていくことが難しい話。
2021年04月19日
昨日の午後は、ゆっくりと話ができるということで日曜日にお越しいただいた名古屋からのお客様。中国のブランドの企画を担当されていて、私も昔、接点があって実際に生地を使ってもらっていたブランドだったので、最近は、コロナでどうされているのだろうかと気には掛かっていたけども、こういう形で再び接点が生まれるとは不思議なご縁である。

その方も中国のブランドの中で、特色のあるそのブランドのものづくりにあこがれてそのブランドで働かれているそうで、今の中国のものづくりの中でもしっかりとしたテイストをもった欧米などの海外展開を主軸においたブランド。

中国は国外への観光などが難しく、中国国内での消費が順調で中国国内でも高級ブランドへの注目が高いという。上海などは東京よりもすでに地代や賃貸などが高く、物価にしても日本的な品質を求めると日本の2倍くらいの値段が普通であるという。

日本の昭和の高度成長期を思わせるような局面にあるのだろう。実は、中国の中というよりも世界でも最高級の素材を生み出しているのが今叩かれているウィーグルの人々なのだが、野麦峠と同じような背景があるように思う。

大手が使うBCIコットンをオーガニックコットンと呼ぶかは別にして、貧しい人たちが生きるために働ける環境を与えるとそれが悪いことのように言われがちで、叩いてばかりでは貧しい人たちは仕事もなく飢えて死にゆくしかないのであるが、それが正しいことのように自分が仕事やお金を与えて救う苦労もしないひとが批判するのは簡単できれいだけども、確実に仕事もなく飢えて貧しい子供たちも死んでゆく。

大手のつかうBCIコットンをオーガニックコットンと呼ぶことや機械化したことがオーガニックコットン?の手で積む価値を下げて、オーガニックコットン本来の価値を損ねてしまい、本来なら都市部のサラリーマンたちよりも収入がよかったのに、マスマーケティングが看板だけを利用して、本来の手摘みなどの作業をしている人たちの収入を機械化が奪ってゆく。なぜか、手摘みのような作業が過酷だから駄目のようなことにいわれ機械化が正しいことのようにいわれて、貧しいものが生きてゆくすべを許さない目線が貧しい人たちの地道な労働を評価しないあたりに通じる。

食べ物に困らない裕福な人たちというのはウィーグルの人たちが貧しいことを見下してしまっているのではないのかと思うが、世界最高級のものを生み出せる力というのは、日本で言うと伝統工芸士以上に優れた人たちであって、ゆがんだ眼をもって見下してはならないといえる。

実はそういう人たちの存在こそが脅威であり、給料を払って救う気持ちがない人が叩いていたりする。貧しい人たちが飢えて死んでゆくのをがんばって働いて、公務員や大卒以上の給料を得ることをよしとしない人たちがいて、野麦峠も叩かれた。プロジェクトXの徹夜は美談なんだけども、貧しい人がそれを超えるようなことをやると脅威で身分制度が崩壊することを危惧する働きたくない層が多いのではないか思ったりもする。
2021年04月18日
マネーの虎の木工職人のストーリーを昨日の朝、スタッフとみた。仕事って何かを考えるときに、なぜ、この木工職人がマネーの虎たちが競って出資したい魅力を持っているのかというところ。つくるイスやテーブルそのものも素敵ではあるが、やっぱり作り手の人の部分が大事でという結論。

ものづくりをしようとするときにものを作ろうとするけども、その前に人を作らないとと思う。普通じゃないものをつくりたければ普通に憧れていては無理だろうなあと思うのもそのあたりで、他の人よりも自分が普通とは人生観が違わないと、自分が手掛けて作るものは普通辺りに終わるだろうと思う。

ものごとをするときに普通の人の何倍も努力を惜しまないとかがないと、1回、2回はフロックで当たっても、継続的に続けていくことは難しいだろうなあと感じる。できることは自分の力で生み出して行くことが大事で、代わりにやってもらう人を探すんではなくて、自分で頭、体、手、足を動かして、器用にならないと自分自身の中を特別に変えていく。

やってうまくいってもうまくいかなくても、やってみることが大事で、失敗したなら失敗したで、うまく行くような方法を見つけ出したり、世の中というものを知ることができる。やらないで夢ばかりが広げるよりも、やってみて現実を知るのが実になる。そういう中で理想を追い求めて実際の行動を行っていくことがどれだけ厳しく難しいことかを味わってゆく。そういうのを普通に受け入れられるのが地力だと思う。
2021年04月17日
海外で児童労働の問題が反道徳だとしていわれるけども、日本の社会はまさにその典型でこらからうまれてくる赤ちゃんに自分たちの面倒をみさせようという日本の社会。これから生まれてくる赤ちゃんは今の世代の奴隷じゃないのだからとおもうけど、日本的な途上国の児童労働にも通じる勘違いの年功序列型奴隷制度。

途上国で、よくいわれるのが親が子供を産むのは自分たちの老後の面倒をみさせるためで、それと同じことを21世紀の日本が政策や法律でやろうとしている。楽して苦労もせずに生み出さずに次の世代を食いつぶすは、日本を食い物にできるアメリカのようにはいかないだろう。働かないアメリカのために日本の現世代は食いつぶされなくても次の日本の世代が食いつぶされる。それは日本の親が、親としての親の次の世代を守る本能みたいなものがなくなってしまっているということ。日本の現役世代が子らからの世代や次の世代を差し出して楽しようとしているだけで、人間としても褒められたことじゃない。途上国の児童労働させて自分が働かない親に被る話。それが日本の法律や制度で、正当化されるのが、日本社会や日本の政治や行政が卑しすぎるように思う。

少子化を心配するのが、高齢化社会を支えるため。これから生まれれ来る赤ちゃんたちは、生まれながらの奴隷じゃないのだから。日本の総理大臣や各省の大臣からして、これから生まれてくる世代を食いつぶす輩。環境大臣が、アンエシカルすぎて、それでいて、SDGSというのも、日本的な奴隷制度。何千万ももらってる環境大臣が育休で、それを年収何百万の国民が休むことも子供を産むこともできず支える身分制社会や奴隷制度そのもの。
2021年04月13日
今朝、この数日シャトル織機をなかなかうまく動かせなかったスタッフが、夕方過ぎには確信をもってシャトル織機を動かせるようになったのがうれしくて。実際にシャトル織機を動かしたのは1週間未満だけども、熱心に取り組んでくれて雪解けを迎えた感じで、織機を動かすときの身のこなしが軽く優しい。まさにコツをつかんだ感じ。

今まで、なかなか動かなかった織機が、糸を交換するとか糸切れを直すとかで自動で当たり前に動いてくれて、横糸切れの時にもキズを作らないように動かせようになると、そこからは、作業回数が何倍にも増えるので当たり前に織れるようになってくる。苦痛だった作業も、問題の原因が当り前に分かるようになるので、直線的に処理できるようになる。説明されても分からなかったことが感覚的に分かりはじめ、シャトル織機を動かすときに考える必要がなくなって、当たり前に動かせる。

私自身が、シャトル織機で織るを経験したのが40歳すぎての時だから、20過ぎの人がシャトル織機を扱うということは、私よりも20年早く経験を積むことになる。2か月、3か月もすれば、何十年の経験者以上に織機を動かすだけでなく、整経なんかもこなせるようになってくれるだろう。出荷や納品書や請求書を書いたり、ネットショップを運営したり、検反、修正など、オールマイティに動けるようなタイプの人というのは年齢関係なく場を作れる。外に出ても自信をもって説明もできるだろう。20代の5年というのは、30代から10年、40代からの20年に相当すると思う。

そういう若い人に私は冗談をかましながらも教えることは多くても、真面目に前向きに頑張ろうとする姿勢を、私は尊敬するのである。布の価値というのはそういうところで生まれるし、そういうのを消費者の皆さんも応援してくださるのだと思う。器用より努力タイプ、私自身がそのタイプであったりする。
2021年04月09日
今日は、新しい社員との話の中で身の丈の大事さ、包容力のある人ほど身の丈をわきまえて底辺のことを周りのために率先してやっているので周りから見ても普通に違うなあの話だけど、周りが本当のアホだとそれを馬鹿にして見下すようなこともよくありがちな荒みすぎた社会。

今日は朝にある業界の関係の方が来られるけども、誰が本当に責任をもつ代表なのかも分からないという話で言うことばかりがきれいで、代表の肩書があってもサラリーマンや責任逃れが普通の公務員程度にしか思えないというような、本当に失礼な話をさせていただく。代表だったらあなたが基本責任取る覚悟なないと駄目だよと。

取引には資格も必要なのに資格のない人が取引の説明をされているから、基本的な法律すらにも触れてしまっている話で、話をするレベルでもないのが本当に残念。間に入るなら、資格を取って取引を進められるべきではないのかと思う。無茶苦茶なやり方が普通みたいなのが接点を持つことが本当に難しい話で、全員の合意見たいものがあって場が作られ成り立つという基本が欠けているのだが、今まであったそういうみんなの合意みたいなものすらもそういう業者的な立場の人が関わるとすべて台無しなる。

今日は、新しい社員が、キーボートのブラインドタッチでの、aからzまでのタイピングが最初は、25秒だったのが10秒を切るまでに何十分かの練習で、最初は、ホームポジションを維持していないのと、左斜めに指が上下するのがブラインドタッチの基本でそれができていなかったのが、ブラインドタッチを覚える最初の内に直ったので、画面を見ながらのブラインドタッチの上達も早いだろうと思う。

昔、小学校3年のころ親がコンピュータを買ってくれなかったので、雑誌についていたキーボードの実物大のポスターを使って、ブラインドタッチを覚えた話をしたりもした。デジタルディバイドという言葉があるけども、次の世代だけの問題ではなく、親の世代が次の世代の方向性がみえていないと、親が努力をしないことで出来ないだけでなく、変な方向にひっぱっていくとこと次の世代が支えたり、軌道修正に苦労することになってしまう。

時代が変われば、仕事に必要とされた読み書きソロバンが、今は、パソコンや携帯に形が変わり対応できないと、なかなか仕事することすらが難しいという話につながる。別に手書きで文章をつくってもよいし、味のあることだと思うがそういうのができる人というのはもう希少すぎるほどである。
2021年04月07日
電気契約で、ネットで関西電力だと思って電話かけた電気会社が新電力会社で、契約の説明も電気料金が10%安くなるという説明で、今日も支払い方法の確認があったので、正確にはどういう関西電力の電気料金プランよりも安くなるのかと確認したら、結局、トータルで20kwから300kwまでは割高になる料金体系、詐欺そのものやん。

1か月500kw以上使ったら10%安くなるとか。それでいて、基本料金だけが10%安くなると説明しているはずだと、いやいや、先日申し込みの時の説明は電気料金が関西電力よりも10%安くなるという話で、確認しても最終的にそういう話。基本料金が10%安くなる話などない。

基本料金というのは340円ほどなのでそれが30円安くなって、1kw単価が5円高い料金プランで、関西電力より電気料金が10%安くなるという詐欺的な説明。どおりで料金をちゃんと説明できないわけで、kw当たりの単価などを問い詰めてみるとそんな話。

詐欺でなりたつ新しいビジネスみたいな話。今は、普通の新しい商売というのがそんな感じになってしまっている。人々が自分の生活を支える仕事というものがそういう他の人を騙してお金を稼ぐような話。そこで働いている人も消費者を騙していることは気が付いているだろうけども、会社自体がそいういう会社で、働いてしまうとそれで給料をもらって食べていくしかない。働いている人が自分が消費者を騙していることに気が付いていないともっと怖い話。金額にするとたいした金額ではないけども、20kwから300kwまでだと高くなるのに10%安くなるという謳いで勧誘して損をさせて儲けるような商売のやり口がすごく汚くて嫌い。

そういう詐欺的な業者でも、新電力として経済産業大臣から小売り電気事業の許可を受けている。国そういうのに認可を与えて詐欺の片棒を担いでしまって何をやってるのか。関西電力と契約した。こちらのほうがスムーズで料金も明瞭で結局簡単。
2021年04月06日
今日は電気料金の契約、新電力は駄目だなあと思うのが、電気料金がいくらになるのかを聞いても10%安いというだけの話。で、いくらなのと聞いても確認をさせても答えられない。大事なところを説明もできずに、分からないところがありませんかみたいな話。

それでいて、最後にキャンペーンがありますと、永年無料のウォーターサーバーをプレゼントらしいが、永年無料とか意味の分からない表現でそれこそ裏がありそうな話で断る。たぶん、自動的にミネラルウォーターの契約が最初にあるんだろう。

昔、南彦根に事務所をもってたときにも、富山の置き薬の会社の営業マンが一生懸命に営業で薬箱を置いてほしいと頼むので、使わないけど置きたいなら置いてあげてもよいけどと犯してあげたら、2年ほどすると、その本社のほうが使わないなら撤去させてほしいとか、ほんと自分勝手な損得での営業が多い。そういうのと付き合うのは本当に時間の無駄。

大人が仕事でやってるのに、悪意のある騙しばかりが潜んでいるのがいまの商売。そうでないと儲からない話なのだろうが、消費者騙しそのものを感じることが多い。


















2021年04月04日
インターンの方との初顔合わせ、学生さんというのはさすがにお若いなあと感じるが、学校を休学して弊社のほか1年のインターンを考えられている。普通のサラリーマン以上に覚悟のある話。私としては、学生の方だけでなく、社会人の方でも飛び歩いていて、面倒をみてもらうを探しているだけで仕事みたいな人が多いけども、そういうのは応対する側が迷惑だったりするので、自分自身が時間と体力を使う地道な仕事の積み重ねで布の世界の価値が生まれていくというあたりを人生の早い時期に知ってもらっておきたい。

高級ブランドにしても、最後に生地に求めるのはそこの部分で、そういう基本を抜きにしては、本物的なものづくりがまったくのホラ話に終わってしまう。よくあるラベルで金をうむような商売みたいになっては最悪の産地偽装やエシカル偽装そのもの。

繊維の世界では昔からそういうのが多くて、なぜ、林与が小さいのかというとそういうのが嫌いだから、地力のある人があつまって、自分たちで自分たちが働くことの価値を生み出して行くようなあたりを常に大事にしてゆきたい。

林与というのは繊維業界の中でも厳しいものづくりにみえるけども、何十年やっている人たちが繊維業界だけでなく、一般的な仕事としても難しいだろうなあと若いころから外の世界との比較で感じて、そういう過去の繊維業界の仕事がなかなかできなくなって難しくなった重荷を全部一人でも背負うのも辞さず、日本の繊維業界が昔を引きずっていては食べていくのが難しいのも当たり前だろうなあと思っている。

先代なんかもそうだが、なんで仕事すら自分でする覚悟なく偉そうにしていたのかが意味が分からずに、そういう経験者の働かないを代わりに背負って働いて片付けてあげるのが次の世代の仕事になってしまうと、まさに外を知らない文句言いで次の世代に集ってばかりのアカン典型。地力が低すぎて外の世界では食べていくのも難しいがそれの連鎖に頼って生きようとするが、気の抜けた看板商売というのは、海外の日本が馬鹿にしてきた人たちのものづくりにも負けてしまう。国内でモノづくりしても、昔の中国のような品質の安定が難しくなってきていて、手間を嫌がる損得ベースな海外的なものづくりが職人の世界にも蔓延。

技術を流出させて安く他で作りたいみたいな考え方が多く、日本の培ってきたことを海外でやって利ザヤを稼ぎたいというのが日本の繊維業界に蔓延している、それは大手のSPAの戦略と同じだが、自分さえよければそれでよいという安直な考え方。でも、国内でやっている人たち、特に生地問屋さんや産元が、平気で技術を流出してしまうのも海外の人よりも苦労をして仕事をする気持ちが無いからだろうから、取られて当たり前のような食べていくのも難しくなる流れ。

日本の大手SPAが元気なのも日本が培った技術を海外でアプライみたいなあたり。日本の大手繊維日本の国産の実質的な敵になるというのも皮肉な話で、繊維産業ではそれが成り立つような話で、自動車だと産業振興でも全く逆だろう話。
2021年04月01日
今日は、インターンの賃貸物件の入居時確認を行い、カーテン、冷蔵庫、レンジ、IHコンロ、ベッドなど、生活するのに必要そうなものが会社にあるかどうか、引っ越しが大変にならないようにとは思う。会社からも車で5分なので昼食なども帰ってとることも可能。

心配していた物件の内装もメンテが中古物件程度の状態なのでそれほど入居者が一つの傷もつけないようにピリピリする必要もないだろうと思える。広さも十分で窮屈なことはないだろうし、窓の外にはのどかな空間が広がっているので、窓を開けて過ごせば居心地は悪くないだろうと思う。

近くの会社の寮に入った新しいスタッフの子も転入の手続きなどが必要だが、転出証明書などがまだ手元に揃っていないので、揃ってから手続きするということに。水道の契約ができているのかどうかなど調べて、できていたようで電気と水道が使え、ボイラー用の灯油なども充填し準備して新生活がうまくスタートできるように準備。

2021年03月29日
昨日は天気も良く、田んぼ道を走ってスクワット50回とか腕立て伏せとかやったら、今日はやはり筋肉痛で脚が痛む。日ごろから適度に運動をすることは大事だなあと思うが、いつも工場の中を立って動き回っているのでそれが運動のつもりだったが、学生時代に当たり前だった運動も今となっては怠けた体では翌日がきつい話。

70くらいの人たちが早朝にウォーキングしているのを徹夜とかで仕事していると明け方に見かけたりする。10数年前に、倉庫に糸を探しにいったときに、90過ぎられたお寺の老僧が朝の4時くらいにウォーキングされていたのにすれ違ったことがある。年を取られてからは普段は隠居されていて表にはでられなくなったのだが、全身を包むかのような一見だれだか分からないような風貌で歩かれているのをみてお人柄のようなものを感じた。

人目をはばかりながらも自分が自分のために体を動かすことを心掛ける。都市部だと、案外大きな公園なんかも多く、昼間にたくさんの人がウォーキングしてたりするもので、逆に田舎の方がそういうのやってると目立ってしまうようなところがあり、人目をはばかって健康の維持。

1週間に一度くらい、天気の良い日には1時間ほど時間を見つけて、体を思いっきり動かしてみようと思う。筋肉が今からでも復活するのか、筋肉を傷めてしまうほうになるのか、わからんけど。若いころは気合で、100何十キロのビームを肩に担いで階段を下りたりもできたが、右肩を脱臼してから無理しなくなって、右肩が回復した今は90kgとか100kgが限界、この先どんどんと重いものを運ぶのも難しくなっていくだろう。

織物の仕事というのは、繊細さだけでなく、力仕事の部分もあって、忍耐力も必要、あと計算とかもできないと。総合的なバランスが必要だったりして昔の人のように自分の生活を買い物で補うではなく、自分で育てて食べるようなのに通じるところがあって悪くないんじゃないかと思う。

会社の横を流れる安壺川、なぜか春なのに魚がぜんぜん見当たらない。それが本当に驚きで、子供のころから春先に川を眺めると、小さな魚の黒い背が普通に見つけられたものだが、いないんだわ。代わりに、ジャンボタニシだろう、それが本当にたくさんいる。
2021年03月28日
あるドラッグストアーで、自分の計算では多分2000円分くらいを買っただろうけど、1000円みたいな話で、安すぎるんちゃうの計算しなおしてみの話。すいません、間違ってましたで、そんなんで得しても何の意味もない話で、ちゃんと計算してもらって、正しく払うほうが、自分自身が後悔することもないから、商売している人間だったら普通の事。

人というのは間違うこともあるのがふつうだけど、意図的に間違いを誘導したり、間違いを意図的に葬るのは一生の航海。大人なんだからお互いを考えて正しい方向に導くのが良いんじゃないかとおもう私の考え。

自分の損得じゃなくて、相手も普通に成り立つのを考えて成り立つようにもっていかないと、仕事自体をやめたほうがよいというよりも、小学生の子供のモラルもなくなれば、はずかしくてほんとダメだろうなと思う。

2021年03月28日
ささえあえるような世界というのは、他を食うような人がいない世界でそういう世界をつくるところから始めないと。支えあうような概念を利用して営利目的なのが国連も絡むSなんちゃら、国連が募金詐欺で自分の生活費では駄目で、集めた金がちゃんと困っている人に渡らないと。

ほんと、世界レベルで偽善がまかり通って、命が偽善家たちの食いものにされるのは残念。Wなんちゃらって、どうなの、自分の活動費を募金で捻出して、本当に集めたお金、アフリカに送ってるの、1日100円で救える命の金を自分たちが活動費に使って、本当にいくらのお金がアフリカの100円で救える命に回ってるの?

日本のマスメディアに何千万円使って、一日100円で救える命をダシに、偽善家たちがビジネス、ほんと今の日本や国連レベルが気持ち悪い。国連職員が有能ならボランティアしないと思うけど、無能な一年何千万円も食いつぶして、途上国の何千人の命すらもが、その人たちの給料で消えてゆく。
2021年03月28日
インターンの学生の方が4月の中頃から会社に来てくれるので、住む場所ということで、まあ、愛荘町の一番便利そうなあたりに住む場所を準備。会社からは5分ほど離れているけども、車も運転できる方なのでお昼ご飯も帰ろうと思えばかえって食べることができるし。

正式に決まった3月20日過ぎから物件探し動き始めて4月1日から借りる形なので、どたばた。不思議だったのは、別の仲介会社に聞くと、この物件は空きがないという話だったが、契約した仲介会社ではずーっと空いたままということ。

仲介会社というのは仲介手数料の家賃一か月分だけでは満足せずに、結局のところ自分所有の物件の空きを埋めたいとか付帯費用で利益を考える。いろんなネットワークで仲介会社同士がつながっていて本来は、どの仲介会社にいってもどのネットワークの物件でも借りられそうなものだけど、業者都合が入って紹介してもらうことが難しいのも今回よく分かった。そして、地元にある賃貸物件の多くは仲介会社経由でしか借りにくいことも。

個人レベルで知らない人に自分の所有物件を賃貸するということは今は本当に難しくなってしまっているんだろうと思う。
2021年03月26日
いろんなことをするときに昔だったら分業みたいのが一つの方法だったとは思う。そういう機屋さんほど今の時代では難しくなってしまっているのが普通。自分の中で仕事が回せないと難しい。また、自分自身が仕事できないと工場の中の分業も難しい。

する作業はいっぱいあっても人はいても、必要な作業をこなせる人がいないような状況というのが、繊維業界にはよくあるパターン。林与の家でも、私以外は作業ができない、先代も作業は難しいタイプだったので、良い時代が終わった後の今の時代には通用がしにくい。

自分が作業をしていないと他の人に作業の仕方を教えることができず、どうしても分業的に仕事をさせてしまうことになる。そこは我流の宝庫であって、我流で考えずに慣れで仕事をするので、新し仕事や他の仕事ができないタイプの人が出来上がってしまうのである。仕事をしてもらおうとすると作業の改善なんかがほんと難しいし、やってほしい作業手順を説明してもその通りにやってもらうのは難しく、まったく違う風にやって同じやんとかいうけど、そのやり方だと失敗しないようなチェック機能が働いていないのが分かってなかったりして、失敗してやり直すとか、さらには、高度な作業にはいつまでも発展しない。

自分の仕事はこれだけみたいな感覚と、その仕事を他の人がやろうとすると手を出すなみたいな感覚が見え始めたら、かなり危うい状況ではないかと思う。全体的な仕事が見えなくなって、個の都合で仕事をしだすことになって、人が多くいても一番必要な作業をできる人がいないとか、人がいても準備してあげないとできないのと、また、それを片付けてあげないとできないというあたり。

若い人がなぜ貴重なのかというと、普通になんでもこなせるから。年配者や経験者というのは、先代もそうだったけど、作業一つでも、ワシがやるのか?みたいなどうしようもない錯覚で仕事に残っていたりするので、なにからなにまでやってくればかりで支える次の世代が大変だったりで、よくある繊維企業の末路みたいなのが残念過ぎて。もっと高度なことを田舎企業でもやり続けていないと駄目なのに、考え方からして次の世代におぶさる様な形。時代が変わると偉そうにしていた人たちが一番できない人になるのを見てきた。地道に仕事をできる人がやっぱり強くて、仕事というのは種を撒いてもうまく行かないことが多くて、10回に2回3回のチャンスを生かす博打的な要素もあるけども、同じことをやっても、人が違えばまったく違う結果で、やっぱり地道に信念を持ってやってる人が強い。

林与のプロジェクトのアイリッシュリネンプロジェクトや、超細番手リネンプロジェクトや、高密度リネンプロジェクト、シャトル織リネンプロジェクト、ストールやキッチンクロス、ハンカチプロジェクトなんかも、先代が亡くなったときに、立ち上げたプロジェクトで、日本の繊維業界が安い物に流れるばかりの2000年以降に、一石を投じ多くの方が賛同くださり皆さんに助けていただいた。

繊維業界でやっていこうとする次の世代の人にそういう重荷的なものは気の毒でしかないけども、経験を積めば自分が苦労すれば、何十年の経験者を1年2年で超えていけるのが繊維業界。知識とか経験の長さじゃなくて、一つの仕事でどれだけの自分の力のインプットができるかが大事だと思う。

今、残念なのは、本麻系、なかなか昔のようには普通にものづくりが難しくなって、そういう問題をクリアしていくような余力すらがどこにもないのも分かるし、クリアできないと量産も難しい話で、昔だと普通にクリアできたことでも余力のない今の時代にはクリアすることが難しい。働く時間が海外よりも短くなって海外のほうがクジラの規模で、日本の小さくなった日本の繊維の現場の仕事も取りに来ていて、日本の繊維業界全般的な流れとしては差し出してしまっているような感もある。

ケアラベル一つ、なんで、厳しく守らされてきた日本の繊維業界が、ヨーロッパ基準に合わせないといけないのか、それは政治力や、海外生産をプロモートするため。自動運転自動車も政治力がなく、すべて基準はアメリカ基準。信念のない政治家の先生たちが、自分可愛さに日本を身売りが続く、法律も身売り的なものが多く、エコの概念すらもが商業的過ぎて一番アカンやん。トランプ、グレタ路線とは違う、日本の昔ながらのエコ路線こそ、本当のエコの概念で、麻織物の価値観も世界共通でそのあたりに通じる。

今日も私は一日、かせをチーズアップする作業。自分がそういう作業をするとチーズアップしてもらう人にも感謝の気持ちが芽生えてくる。私の代りに時間使って仕事してもらっているんだと、やってもらえる限りは仕事があればやってもらいたいなあと思う。

残念なのは、おじいさんが期待しておられた別の二つの業者さんの仕事が消えてしまったこと。最後まで私は頼める分は頼んで、できない分は自分でやればよいと思っているようなところがあって、おじいさんがどうしてもできなくなったときには私がお手伝いして片付けそういうのの心配や迷惑は掛けたくない。商売とかじゃなくて信頼がある。林与のリネンなんかもそういうおじいさんの手でかせからチーズに巻き上がっています。林与がかせ染めにこだわるのもそういうおじいさんの支えがあるから。それは分業かもしれないけども、一生懸命な分業だと助けてもらってありがとうで宜しくお願いしますの世界。
2021年03月24日
数年前、アイリッシュリネン140番手や現行のリネン150番手を先染めで織るプロジェクトの審査の際に、手に入った糸を染めて織っただけで何が新事業なんだと言われたけども、普通は麻業界でもありえない世界で本質的に超えた世界だから、審査員の先生にも理解は難しすぎるし説明も難しすぎる。林与の求めたい世界を、そういうタイプの審査員の先生に説明するのは難しい。

審査員の先生と私の人生観というか世界観が違いすぎて、多くの消費者が憧れる麻織物やリネンの世界感の否定から始まってしまっていて、その程度の方が審査されているなら審査通らなくても別によいなあと思う。あと、自分で売らないで他のプロに任せたらというアドバイスもあったけども、おっしゃるような販路は普段から持っているけども、自分で売るのが一番動きやすいからというあたりの理解がないと。

現行のリネン150番手の糸ですら、世界の紡績工場で紡績できる工場は2社で、その紡績工場にも在庫が100kgとかがあるかないかの世界。それを手に入れることはなかなか難しいのだが、まあ、それができるとして、果たしてその糸が織れるのかの話。普通の麻織物を織っている工場だと無理な話なのである。しかもそれを先染めでやるとなると何倍も難しくなる。そしてそれなりの密度。

自分の中で一番難しそうなところを超えてやるから新事業なのであるけども、海外の展示会でも普通は70番手、80番手どまり。それを150番手と一気に世界最細番手で先染めでしかも自分なりに密度を混める織るに挑戦してやったからよかったんじゃないかと思う。

自分の中でも一生にそう何回も挑戦のできることでもないけども、そういうのを麻織物やっているならやっておきたかったから、やれて本当によかった。たまたま、環境もそろっていたからできたことで、何か要素が欠けていたら出来上がらなかったこと。

カシミアの糸は1kg数万出せば手に入るけども、リネン150番手の糸は1kg数万出しても手に入れることは難しいし織ることはさらに難しい。じゃあ、本来は、いったい何に使う糸なのかというと、ハンカチ用の生地とかを手織りするために使う糸なのである。

麻織物の世界にいて、そういうことも自分自身経験ができたことは幸せの一つで、審査員の先生がみても何を喜んでいるのかという世界だろうけども、そういう世界に挑戦するとか、そういうのをやって喜べるということが普通にはないだろうから。そして織って、番手自慢しいているだけではダメで、その織った布がそれなりに素敵に見えないと駄目だろうとは思っている。それなりに素敵な上等な布に見えるようにするのも大事な要素。
2021年03月23日
価値観というものを統一しようとする人がいるけども、価値観というものはそれぞれが異なって当たり前だし、価値が合う人同士がものごとを成り立たせればよいわけで、価値観が違えば接点というものを無理やり作ろうとするといろんな問題が出てくる。

繊維関係でよくある価値観のギャップが、アパレルさんが上で、問屋さんがその次で、メーカーがいて、下請けがあるような構造。お互いが理解しあって対等に物事を進めていかないといけないけども、なかなかそれが難しくなるとそういう関係は逆にないほうがよいかもしれない。

織物メーカーにしても、縦の系列でやっていけるような企業さんもあれば、縦の系列に縛られて成り立たない企業さんもある。うまく行ける時もうまく行けないときもある。そういうときに柔軟に対応して、固定概念にとらわれずに、温度差がないような人とやっていくのが一番健全だろうと思う。

昔のことだけど、良いものが扱いたいということで、話を聞いていくと結局糸代にもならない値段でただで布を分けてほしいに近い話。最初から接点をつくらないほうがややこしくない。ほんと、自分は利益目的で仕事するのに、無料で分けて貰える布はないかみたいな業者さんもいたりする。仕事の考え方やスタイルがまったく違って、逆にあなたの売っている商品の在庫のものをただでくれませんかみたいなこというとびっくりされるだろうけど、同じこと。それが分からない人も多い。

繊維の世界では、B反や売れ残って処分に困っている生地を処分したい企業さんもあるだろうが、染や加工を失敗した生地や、物性の悪い生地など、その在庫を自分が抱える覚悟があればそういう生地を集めることはできるだろう。合成繊維系は特に今は処分するのが難しくなっているので、そういうのを覚悟決めて最後自分がお金払って処分する覚悟があれば、たくさん、在庫を持つこともできるだろうけども、1本の反物にしても1立方mともなれば、合成繊維系は、処分に1万から2万円くらいは掛かるから、倉庫いっぱいだと1億とか掛かることになる。

林与も、麻100%やリネン100%にこだわりを強くして、普遍的に価値のあるような布を作るようにしている。綿麻の布なども風合いなど悪くないけども、林与にたどり着かれるお客様というのはどうしても麻100%やリネン100%へのこだわりを持っておられる方が多い。

こぎん刺しの布も、耳糸に綿の糸を使用すると切れにくく織りやすいのだが、作家さんがリネン100%にできればしてほしいということで耳糸もリネンを使用した。キッチンクロスなどでもそういうご要望は多い。耳はゆらいだり食い込んでもそれよりもリネン100%みたいなものへのこだわり。お客様の価値観だと思う。

ちなみに、通常は、麻やリネンの織物でも耳糸は綿糸を使うのが普通で、着物なんかでも普通に綿の耳糸をそのままフチに使って着物が出来上がる。素材麻100%の表記は可能。なぜ耳糸は綿糸なのかというと、レピアの場合だと反物の中央と比べて片側がオープンなので、その分密度を混ませないといけない、シャトルだと密度が耳そばは混みがちなので切れ易いから。テンションの調整は筬への糸の通し方で微調整。綺麗に織れればそれが答え。
2021年03月23日
今の車にはオプションのACコンセントをつけてある。便利だなあと思う。駐車場などで、ノートパソコン使って仕事していて、バッテリーが少なくなったときや携帯に普通に充電できるのが一番ありがたい。情報がどこでも普通に取り出せるような環境というのはありがたく、それができないと仕事一つの確認が難しくなる。

今、会社の電話が調子悪く、新しい電話を新調中です。30年使ったビジネスフォンともとうとうさようならです。ビジネスフォンからは卒業して、家庭用電話の子機を増設して対応しようと考えています。今までどおりうまく行くかどうかわかりませんが、一回変更してみようと考えています。30年動いてくれたビジネスフォンには感謝しています。

30年って、人間でも非常に長い期間なので、そんな長い間使えるようなシステムってやっぱり、良いものだと思います。途中、ビジネスフォンの買い替えや点検の怪しいあっせん電話などありましたが騙してまぜなぜ売りたいのか、今はそういう業者が多すぎてほんとどうしようもない世の中になったものだと思います。

電気の低圧契約や電話の契約のことなど、特にインフラ系の詐欺電話が増えていて、それも、大手企業がちゃんと自分で仕事をしなくなったことが一番問題だろうとは思います。



«前のページ 1 ... | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | ... 182 次のページ»