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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年11月07日
林与の場合には、仕事というのは最初から最後までみたいな作家的なモノづくりをプロがしているみたいなところがある。それというのは、普通に一つの作業する仕事よりも大変だろうと思うけども、それぞれの工程においてその工程の専門の人以上に物事を分かって仕事ができ、基本、一人いれば織物というものは最初から最後まで出来て出来上がる。それだけでなく、縫製もできたりとか、販売もしたりとか、伝票作業仕事もしたりとか。

作家レベルのものづくりにとどまらず、数人規模で量産の世界というだけでなく、できるものづくりにしても他の機屋さんよりも限界が深いことも多い。海外にもっていても、特色のある麻布の世界、そういうのが日本らしいものづくりなんじゃないかなあと思えたりもする。

もちろん、一部の作業というのは一人でやるよりも二人でやるほうが効率が上がる作業もあるけども、力のある二人がいれば、ワンモーションのなかでも、自分の余力で相手のワンモーションも助けられるので、力の無駄がなく仕事がはかどりやすくなる。そういう作業は、案外、年配の人よりも若い人のほうが気配りが上手だったりするもので、私が経験の長い人と仕事すると相手のスピードに落として待つばかりになるが、経験の浅い人のほうが私のスピードのその日からでもついてくることができたりするのは不思議なことである。学校でも普通に新しいことを学んでいけるような力が若い人にはあるのでそんなものだと思う。1時間2時間で、新しい人というのは作業を学んでいけるのである。経験者は逆にそれが難しいことが多い。

手の世界なので手のスピードというのもは必要で、私は、熟練した職人さんの2倍から3倍くらいのスピードがあると思う。移動するスピードもそのくらい速い。最近は、若いスタッフの子に抜かれてきたなあとか追いつかれてきたなあ思うのは、仕事のことを話していて、若いスタッフのこのほうが私の勘違いしていることなどを指摘してくれること、ありがたいことである。若いスタッフの子も、最初から最後までいろいろと動いてくれているから、仕事全部の話を共有できるのである。

固定概念みたいなのがあると、いろんなことをするのが難しくなる。固定概念を捨てて、目標をどうやって達成するかが大事で、それが他とは別格の作業内容になったり、別格のモノづくりにたどり着きやすくなる。日本の世の中は固定概念にとらわれがちになって、海外の人ほうが固定概念がなくダイレクトに最終製品を作り上げる力がある。
2020年11月06日
今日は、機屋体験の最終日、お越しいただく前の機結びから始まって、機替、整経、縦繋ぎ、パンチカード、シャトルでの織、修理など一通りを経験してもらう機会。ご自身の企画や規格が、どのような工程を経て織物に織りあがるのかを短期間で理解し習得して頂く。

織というのは、織機で織っているイメージが強いかと思われるのだけど、動力織機で織る部分は、それほど負荷のかからない仕事の部分。機替えや縦繋ぎとか、また、織り始めても、耳まできれいに織らないといけない布などは、いろんな場所の調整調整で、理想のきれいな耳に近づけてゆく。何メートルも織りなおしながら、やっときれいに織れ始めて生産が始まる。綺麗に織れているつもりでも、検反で耳切りしているとやはり、修理が必要だったりして、織りあがった40mほどの修理でも何時間もかかる作業。

それぞれの仕事を一つ一つしていては成り立たない織物の世界で、時間の中で、これもできるあれもできるでどんどんとこなして行かないとやっても成り立たない仕事になってしまう。問題があって他の人の仕事に文句言っていてばかりでも仕方なく、それをどう解決してゆくかが一番大事なところ。私が人を助けるのが仕事みたいなところがあって、現場の人の代わりに一番ややこしい部分や思いっきり力の必要な問題を解決するのが私の仕事だったりする。

今日は、他の場所で似たような話を聞いて、場をつくる親方クラスと職人の違いみたいなものを感じるのである。職人というのは上手な人もいれば下手な人もいるのが当り前で、それをどう解決してゆくかが親方的な仕事。私も、織っている人に織を任せていると、織ることもできないできそこないみたいな目で見られたことがありがちだけども、そういう人たちを食べられるように助けるのが私の仕事だったりして、織る仕事というのは織物の仕事の中で仕事の一部でしかない。他の人の織ったものを夜中寝ないで一目一目縫って直したりするのも普通にやるのが超えた世界の仕事だとは思う。

織るよりも、縫って直すほうが、超えた世界だったりするのが分かる人が、職人の仕事を子供の仕事のように感じる親方的な存在。職人なんて言うものはそんなものである、数日の人も何十年の人も同じ土俵に立っているだけのことで、できないとか仕事に文句言っている人と、自分がやって仕事に文句言ってる人の問題を代わりにやって解決する人の違いは大きい。林与の先代にしても、私からすると仕事の気持ちすらも足りないレベルで、現場仕事を馬鹿にして、自分はアル中のタイプ、先祖代々のものを一代で失ったと嘆いていたけども、私は大物気取りで浮かれていないで真面目に1日でも働けばよいだけだよと厳しい目。酒を飲めるのが自慢話でまさに田舎のおっさんそのもの周りにも多くの勘違いな害を撒いて時代にすらついてゆけず集落の過疎化にも大きく貢献してしまったと思う。親父的な考えで成り立っていた京都の問屋さんが同じ運命で閉じたのも、当たり前といえば当たり前で、20年、30年前でも勘違いの事を勘違いとは気が付かず、偉そうにやって後の世代がその問題を片付けるのに、親の世代のために人生をを犠牲にしてマイナスから立て直す話。

そういう人が実際一人になったときに仕事できるのかというと、親父と親戚の別れのおっちゃんにしても、他の人を従えてやっていた人が指図はできても織物のどの一つの作業もまともにできない半人前、酒飲んで偉そうな二人が偉そうに最後まで私に頼ってくるのをみて社会常識すらもなく。1日のアルバイトの覚悟や気持ちもないのが、何十年の経験者だったりするのを、林与の家や親せきの中にみてきた。その辺りのどうしようもないところから日本の繊維産業というのはたて直して行かないと、悪い例が先生では次の世代には気の毒。

昭和のまだまだ繊維が良い時代を引っ張ってきた、その近い二人のおっさんに合わせて助けている人間すらも舐めた感覚が一番駄目だよと引導を渡し、引導を渡すだけの覚悟はあって今も織物を続けている。経験の浅い海外や大手SPAのものづくりとの違いもなく抜かれてゆくのも仕方ないと思える。仕事の厳しさに向き合えず、付き合い的な力関係で成り立っていた昭和の時代の繊維の弱さ。
2020年11月05日
今日は機屋体験の4日目、昨日の夕方から織出しが始まった。実際に織り始めるといろんな問題が見えてくるあたりで、新しいシャトルを夜中に下して、それを使ってみるとか、耳までリネンの織物なのでなるべく耳がきれいに織れるように、微調整。おもりを増やしたりとか、ソウコウ枠の高さ、テンプルの位置。シャトルのテンサーの調整、クロスローラーに巻かれた布をきれいにやり直すなど、糸に合わせた微調整を私自身が加えて耳ががきれいに織れるように調整。織出してみてわかったことだが、今回の経糸のロットは前回よりも強いのか縦糸切れも少なく安定しているように思う。

一方で、隣で織っているL40が経糸切れが結構起こって糸切れを引っ張ってしまうような問題。レピアでも織れる織物だけども、厚織の織物なので経糸切れのこのような問題が起こりやすいのでシャトルで織っているが、シャトル織機でも糸切れが良く起こる。

午後から、麻組合が旧の愛知郡の役場を改装した建物で、実演や販売などをされているので、お客様にご紹介。作業の一つが難しいということで会社に戻ってからそれができるのか、その作業に対応できるパーツが残っていたかどうかを調べたら残っていてたぶんできるだろうなあと思うが、私がやっても同じ結果になる可能性もあるので実際にはやってみないと分からないところではある。

2本目の整経が巻き終わって、4日目が終了。糸を結ぶこと、扱うこと、機替え、整経準備、整経、巻き取り、織る、縦繋ぎ、ドビーカードのパンチングなど、どういう工程で織物が出来上がるのかを、ご自身が企画デザインされた織物を現場で作業して経験してもらうことにより、どんな作業をしたら自分がつくりたい織物がつくれるのかを理解し、単なる理解じゃなく、機結びとか縦繋ぎとか、実際に職人のやることをお二人ができるようになってもらう。

一つ一つの作業は1時間2時間もあればマスターできることで、誰でもできるといえばできることなのだが、経験の長い職人さんたちでも一つの事は専門職としてはできても、すべての工程をこなせる人というのは少ないもので、それができると織物の仕事全体が見えてくる。一つの仕事をやっているときとは違う仕事の意味みたいなものも見えてきたりするものだったりする。

理解だけでなく、コツ、体力、忍耐が必要だったりで、やろうと思えば何でもできるみたいなのも、今回は織物を短時間でマスターするだけど、他の仕事全般に生かせるようなことじゃないのかとも思えたりしているのが、私自身の人生観。私自身、学校の授業で勉強したことは雑学程度のことで、人生にも仕事にもあまり役に立ってはいないけども、留学して人間関係を広めたことも、コンピュータ関係の会社で働いたりしたことも、最先端のコンピュータの製造現場で働いたことも、織物とは関係のないことだが共通の要素があって、織物の仕事に役に立っていると思う。
2020年11月03日
今日は、2日目、朝から整経機のクレールに糸を立てて、それを前まで送って、整経スタート、1日掛けて整経が荒巻ドラムに巻き終わった。途中、少し余裕があったので、下でシャトル織機を織る練習と、合間に、縦繋ぎの練習。

縦繋ぎはやはり高度な感じなので、整経の足台にしているドリンクのプラスチックの箱を縦繋ぎ練習機にして、整経機の横で練習をしてもらう。指の動きは最後にあやとりのような要素があるので、そこが一番難関か。

私自身が縦繋ぎを覚えたのは必要に迫られて、従業員の女の子に教えてもらって、40過ぎてからだったろうけど、それでも遅くはなく普通に縦繋ぎもやって仕事している。素直に学びたい人だと普通に職人が無意識にやっていることくらいは数時間でマスターできるものである。あとは、慣れと実際の仕事となれば何千本繋ぐ話でそこが大事なところ。

10本20本結ぶのは頭で考えながらできても、1000本、3000本を結ぶのは頭で考えながらでは難しい。頭で考えずに、体の力も抜いて作業ができないと難しい話である。着物の世界の手織りの織物は通常麻織物だと1000本くらいが普通。たとえば、アパレル向けだと同じ規格でも3000本と手織りの世界の3倍の負荷になる。

よく言われることに、近江上布は1反織るのに1か月とかだけども、実際には1反を1日で熟練者が織りこなして、大学卒業の人よりの田舎の出機の人ほうがたくさんお金がもらえてすごく良い仕事だったということ。手に技を持っている人が日本からどんどんと消えている現実で、繊維の世界で織物の技術的なことを教えようとしても、それを習得しようとする人は日本人では逆に少ないと思う。何十年前は普通に日本人ができたことが今の人だと難しいみたいな、それでいて先進国というあたり。

同じ人間とした場合、海外の子供でもやっていることが日本の大人が難しいとかではダメで、日本の大人がやるからには海外の子供以上に正しく正確で明らかな大人の仕事の違いを見せないといけない。そうでないと仕事のできない自分が仕事するのが面倒くさい大人があふれて、立場の弱い児童労働なんていうのはなくならない話。大人がしっかりと仕事していかないとダメだろうと思うが、大人ほど仕事が面倒でできないことが多いのが今の世の中。先進国の大人と同じで仕事が嫌とかが海外に回って途上国でも大人が仕事が嫌で子供が児童労働、そういう悪循環を先進国の仕事の考えから断ち切らないと、児童労働はなくならない。

私が仕事を始めた時にも、何十年の経験者が仕事を面倒そうにいう人が本当に多く、大事な部分をやっといてばかりで、文句ばかりで限界が浅すぎて高度な作業にはつながらず。人間関係的な上下で下だと思うものに偉そうにするのに重点が置かれてしまって、もっと仕事に前向きな外の世界から取り残されているのにも気が付かない危うい状態。

経験も浅くても仕事する気持ちのあるものがそういうのをかぶって成り立たせて面倒を見るというのが海外の児童労働にも通じる世界。自分の両親ながら、地道なことを自分がやろうともしせず、こんなことはやっても無駄とか、地道に仕事するのを馬鹿にしている親をはアルバイトも難しい半人前。自分が自分でやって食べていくのが仕事だがそういう本質も忘れて、偉そうに面倒見てほしい経験者ばかりが増えてしまっては、繊維じゃなくてもなんの仕事やっても難しい話。

日本の全体としても、エルピダメモリもジャパンディスプレイも国の発想からして同じようなところ。安易な発想で、覚悟みたいなものなく国内生産にこだわろうとしても通用せず、海外生産しているといつのまにか海外の生産現場の人たちのほうがその業界では本物というだけのこと。自分たちが上のつもりで、メイドインジャパンや業界を牛耳ろうとするけども、そのひとたちこそが業界の人というよりも単なる不要の長物となってしまっている。ずぶずぶじゃなく、逆に研ぎ澄まされたみたいなそういうのを否定する意志の強さがないとダメなのだけど。絵にかいた餅のようなものを求めて、現実の努力が足りないから、初心は良くても結果は金満でずぶずぶになりがち。投げ出し状態でも続けたい。

食べていく苦労も味合わずに食べていきたいという感覚だから食べていけないは、仕事する前の人にありがちな理想だけが高い感覚だけども、経験が長くなると同じところにたどり着いてしまう経験者たちも多いのではないかと思う。エルピダメモリやジャパンディスプレイなんかはキズを大きく広げた感じそのもの。結局、国産がセールスポイントだったのに、結局外国の大手企業に買ってもらって正反対で落ち着いて喜んでいるというのも養分そのもので、もはや、人の資質が海外のほうが上のことが多いということだろう。
2020年11月02日
今日から、6日までの予定で、東京からお二人が林与で機屋体験。お二人の会社のいただいている仕事を自分自身で、整経、機の交換、つなぐ、シャトル織機を使って織る、補修、など体験してもらうことでどうやって布が出来上がるかの4泊5日。

機替えを2台経験してもらって、整経の途中から終わりまでの6バンド、整経の糸の片付け。夜の8時過ぎに1日目が終わる。

整経なんかにしても私自身が整経を出来なかったら織物を考えるときに整経のことなどあまり深く考えないだろうなあと思う。今、整経屋さんというのはどんどんと少なくなって機屋よりも整経屋さんを見つけることが難しいかもしれない。林与もまだ小回りが利くのは自分の中で整経をできるから、ただ、自分の中でやると費用は余計に掛かるだろう、でも、思い通りの整経ができることが一番よいこと。整経も誰がやっても同じように見えるかもしれないが、上手下手の差はすごく大きいそれが織りやすさの差、モノづくりの差となってくる。整経を失敗すると仕事が全没になる可能性もあるので、整経というのは確認を何度もできるようなタイプの人にやってもらう仕事だと思う。

整経も整経のドラムを回して巻き取るだけでなく、糸を小割して立てたり、糸を固めて片付けたりまでが整経の仕事で、糸の管理という要素までも含む。麻糸の場合は糸がよく切れるので、それを切れたままにしないで必ず結んで、できる限り糸切れのない整経を目指す。時間が本当にもったいなく思えるくらいの仕事だが、合間を見つけて別の事を並行してやって成り立たせるのが一つの方法。
2020年11月01日
大阪都構想も否決に終わったが、こういうハーフハーフなこと以外でも、政治が民意と反対に動いてしまうことが多い。コロナ対策やオリンピックは民意を度外視して政治が国民を自分の意図に裏からとかカネで誘導しようとしているが、間接民主主義が民意の反対のことをするなら民主主義の逆で民主主義でもなんでもない。

今回も直接投票だったから民意を重んじる結果になっただけ、議会でやってたら反対の結果ばかりが独り歩きすることになり、いわゆる独裁。国会議員であろうが元首相であろうが、町内会の役も十分に果たしてこなかったのだから、一度逆の立場を引退して経験してみればどれだけそういう努力を台無しにするようなことばかりやってるか分かるだろう。

結果を被るのは国民や市民なのだから、民意というのは本当に一番大事なことで尊重をされる必要がある。民意を誘導する必要なんてないのである。それをやるから、おかしなことになる。人々の不満をそのまま受けてちゃんと解決できるような行政になればよいだけのことである。制度的な問題ではなく考え方の問題で、そこを直していかないとダメ。
2020年10月31日
くら寿司に行くとガチャで1回くらいは当たりが出る、みなさんもご存じかと思いますが子供でなければ、当たっても本当にどうでも良いようなものなのだけど、まあ、外ればかりで帰るよりも、1回行くと1回当たるくらいがもやもや感が残らない感じ。当たりももうちょっと役に立つものだとよいなあと思うことも多い。

車で10分くらいのところにくら寿司が出来て、10年以上にはなるだろうけど、昔の当たりにしても、工場の中のどこかにあったりする。昔働いていた子が当たったポケモンシールを整経のノートの表紙に貼っていたりして、働いていた子はもういなくてもそのシールを見るたびに仕事のことや一緒にくら寿司に食べに行ったことを思い出す。

今日も、くら寿司に行って当たったので織機の上に磁石にくっつけたりもしている。当たっても大したものでもないのだけども、そうやって残しておくと意味があるような気もして見ると仕事中でもほっとすることがある。

私自身、くら寿司に行っても食べるネタはほとんど決まっていて、オニオンサーモン、鉄火巻、はまちくらいに赤だしで、満足ができるタイプで、ワサビをたっぷりつけてを楽しむ。くら寿司のワサビも最初のころに本わさびといっていたころのワサビはおいしかったので、くら寿司が他のところよりもお気に入りになっているのだが、今はワサビの味が落ちてしまったように思われて残念なところではある。

シャリとワサビと醤油があれば、ネタはなくても満足できるのである。昔はそういうおっさんも多かっただろうけども、だから、ものづくりなんかも味のある世界があったように思う。今は70とか80の年配の方にもそういうおっさんはほとんど見かけない。案外、そういう食に対するそぎ落としたような他の人からは引かれるようなテイストなどがある。

現代のアーティストがアーティストになれないのも普通の生活すぎてというところがあるんだろうなあと思うことが多い。求める人生観が普通で他の人が求めるような超えた世界にたどり着けるのかというあたりの問題。世の中、俗な話ばかりだけど、俗化してしまった感覚では逆に良いものは生み出せないだろうなあと思うことも多い。

今のものづくりというのは、売れ筋をみてとか他の人が作ったものを見て真似るとか、そういうのが本当に多い、ものがありあふれていると逆にそういうものづくりが普通で、ものがないところから自分が道具や材料をつくるところからが本来のアーティストの世界。ものじゃなく人という要素が成熟していないと難しいなあと思うのは、先進国よりも途上国の手作業からのほうが、味のあるものが生まれてくる。

繊維の世界だけじゃなくて、医療の世界でも、東洋医学と西洋医学というのがあって、先進国では西洋医学なのだが、実際、漢方やツボとかの東洋医学を西洋医学が合成して作って薬にしているようなのが現実で、医薬品会社もパクリ的なことで認証を受けるみたいな。

マスク何かも、理論じゃなく経験なんだよと思う。アジアではマスクでウィルスと戦ってきた経験があるからコロナでもマスクを当たり前につけるのが国民の知恵。医療関係者がマスクを否定しても、国民はマスクの経験を持って、マスクが自衛になるとマスクをつける。まさに東洋医学に通じる布マスクを否定したがる、サージカルマスクの西洋医学との戦いがそこにはあって、先進国きどりの国の医療関係者の質の低さがでてしまったのが今回のコロナの問題。自分が他の人を下に置きたいような連中が、人々が自分たちを守ろうとする普通のこともさせないようなマスクつけるなとやって、今は逃げている。日本の腐った政治の世界そのもので、弱者の命のかかわる問題も、政治家や権威主義の人間の欲と天秤に掛けられる。

すいません、ガチャのような軽い話題で入って、最後重い話になって、でも政治家ですらもが国民の命もどうでもよいのだから、そして片付けも国民に負担させて笑ってるだけ、だから本当に自分たちで気を付けないと。

イメージとしたらくら寿司のお寿司を提供する話は民間の話で、税金や消費税とって、くら寿司のガチャポンみたいなのが日本の政治で、国民にはうれしくもない当たりが来るだけ。税金や消費税が、政治家たちの為にあるという本質で、それで宝くじ的なガチャ的なものがGOTOやGOEAT、普通の頭で正しく使おうとしても、最初から無理と抜け穴ばかりで呼び込みはまさにマルチと同じレベルで、それを東大卒が集まる人たちがやってしまう。庶民的な騙されやすい賛同者をかき集めて、そのあとに、マルチ商法の現実を、改正とか節度とか求めて。最初に無理と成り立ちもしない豊田商事のようなことやるのが政府で、国民をお得だと煽りながら金かき集めといて逃げるのは駄目だよ。今回もそういう事態にならないか見届け判断を下すべきだろう。

そのために、マスメディア以上に厳しい目で、GOTOEAT試していて、騙されるの覚悟そのもの、現場のくら寿司の店員がかわいそうなくらいに、7時50分から8時の予約で、8時15分のテーブル案内。本当はくら寿司が守らなければ、ESPARKが守らなければいけないことも守れなく、農林水産省も認可で、現場に、暴動がおこる可能性も引き起こすケイオスがあって駄目。企画するものが本当に自分が出来ないことを企画しているのがGOTOやGOEAT、現場はかわいそうすぎて、なんでお寿司食べに行って、暴言沙汰になるくらいの修羅場を見るののはなし?

EPARKの予約の時間帯予約は待ち列の最初になるという話すらもが嘘で、行っても20分待ちで、他の予約が優先されている。これは予約を取る契約としては駄目な話で、嘘を農林水産省の業務委託の現場が普通にやって収拾すらもがつかないレベル。時間予約していてい飛ばされて時間予約すらもが成り立たず怒るのも当たり前で嘘ばっかり。嘘つかれてばかりで文句言いが悪いのかというと、怒ってたおっちゃんのほうが契約的には当たり前に正しいだろう。

契約を強いながら、GOTOEATや委託業者が契約違反で対応というのもお金儲けが優先しすぎていて駄目な話、現場が本当にかわいそう。怒っているおっちゃんがたぶん法律的や契約的には一番正しいし、現場も正しいが、統括している農林水産省やその委託業者が、現場の人間よりも高い給料や待遇ながら、平日の5時や6時までで対応すらも逃げている。そこに大きな問題がある。頭の良い大卒が集まってザルだらけのどうしようもないキャンペーンをつくる、成り立たないのも当たり前のキャンペーンで成り立つほうがおかしい話。

私自身は、1時間待つのも平気だが、そうやって細かな予約も手間でも細かくさせておいて予約通りにやらないお店とか国とか、その間の業者とか。都合がよすぎる話なのである。予約キャンセルが問題になっているけども、それと同じ問題を国や委託業者がやってしまっている。ザルなものをつくって、ザルの問題を他のものに投げかける、一番駄目な連中が罰せられないといけないと思う。特例的に問題があるとかじゃなく、全体的な問題そのもの、やっている連中がザル作っている。
2020年10月30日
暑かった夏も終わって、思えばもう10月も終わり。仕事をしていると1か月というものはすごく早く済んでいってしまうものである。追われていると逆に日が経つのは早いものである。

それでも、アパレル関連の会社が仕事が激減している流れの中で、やらないといけないことがいっぱいあるというのはありがたいことではある。先日も、2年ぶりかに京都の芸術系の学校で染色を指導されているお客さまとお話して、2年前よりは少しは落ち着いて仕事ができるようにはなってきてますというご報告。

自分のことだけでなく、お知り合いのみなさんが元気に仕事を続けておられるのを聞いて、お仕事のつながりが少なくなっていても続けておられるのを聞いてほっとするのである。飛ぶ鳥を落とす勢いのところほど数年後には跡形もないような状態になっているとかも多いのが繊維業界。地道なところは長続きするけども、華やかなところというのは大きくなって最後には限界が来るとそこで終わり。ゼロからでも育てていけるようなビジネスモデルが大事ではないのだろうかと思うが、華やかなものに人は集り、廃墟が待ち受ける。その廃墟に思えるようなものの中にも芽生えるものがあってそこからでもまた育てて行けるのだけども、そういう芽というものは満ち足りた社会に育てられるよりも、満ち足りた社会に食われてしまうことが多い。

私自身、仕事を続けていられるのも、いろんな偶然が幸運的に重なっていて何とか続いているだけだろうなあと思うところがある。どの商売でも初めて数年で仕事がうまく行かなくなってやめられてしまうとか、何十年やってこられたところでも、5年、10年後にはもう辞められてしまったとか。特に繊維関係で人が多いところは1年ごとに会社全体が年を取っていってしまう感じで、慣れの感覚でやってるだけだと、どんどんと普通の仕事も難しくなっていくだろう。そういうのを多く見てきた。

何十年の職人さんでも自分ができることを次の人に教えることができる人だと一人前なのだが、そういうタイプの職人さんというのは少ないもので、一番よい方法を他の人に教えられるくらいだと、逆に若い人に新しい方法を求められても素直に従って出来たりして、日々高度な仕事につながるもので、出来上がるものも高度なものとなってくる。

自分よりも次の人に上手になって自分がより高度なことをこなせるようになるのが理想なのだが、仕事が慣れのレベルで止まってしまって、その慣れのレベルがどんどんと落ちていくというのがよくある話でよく聞く話。
2020年10月30日
この仕事をしていて大事だなあと思うのは、動くこと。仕事ができる人というのは、たとえば、どこどこに何がある、というと、すぐに取りに行けるのだが、どこどこに何がある?と聞いても、あそこにあるわよ、みたいなタイプの人は多い。

この仕事をしていても、糸の場所をしっかりと分かっていて自分で取りに行ってまた自分で残ったら返せる人と、それができない人とでは、その人が仕事をするのにもう一人必要かどうかという問題になってくる。単に糸を扱うだけでなく、ロット管理などのことも含むと、そういうのができる人というのは、本当に一部の人だけで、そういう人が仕事をしていないと仕事はやったらやるだけ、問題が残っていくことになる。

林与にも一杯糸があふれていて、それはロットごとに袋に詰められている。いろんなロットを一緒にまとめてしまうとゴミになるので、混ぜることはしない。同じ色の糸でもロットが違えば違う糸という概念がないと、この仕事は難しいだろうなあとそういう他の人の糸の世話をするのができるかできないかで、仕事ができる出来ないが変わってくる。

織物の仕事というのは単に織るだけでなくそういうのができないとなかなか難しい、手機さんでも、何十年やっている人が糸を間違わないために、こちらでもったいないのだけども、わざわざ新しいビニール袋に使う配色ごとにマジックで番号も書いて分けて渡しても、ビニール袋を農業かなにか他の用途につかいたいからと次の時にいったら、全部の糸が一つの箱にはいってるとか、そしてどの糸をどの織物に使うかわからないとか間違うとかが、年配の職人さんにはよくある話で、心配ばかりしながら仕事してもらうような状態。経験者ほど世話をしないと成り立たないような状態が普通で、若いものにやってもらわないと仕事ができない。

先代も同じだけども、自分が社長というのは考え方や判断すらも間違って、面倒な計算や面倒な仕事組なども耐えることができないので、どんぶり勘定で仕事を台無しにしてしまうタイプ。つくれば売れる時代の人たちというのは、売れなくなった時には変わらないといけないのだが、驕ったままでやって馬鹿にしていた海外の織物に追い抜かれたというだけのこと。プロが素人に負けるがあたりまえが繊維の世界。
2020年10月29日
ヘンプというのは自生するくらいなので農薬の必要もないので、オーガニックなのであるけども、一方でオーガニックヘンプと謳われないのは、あえてオーガニック栽培をする必要もない部分があるからだろう。

もう一つ、オーガニックと呼びにくいのは、ヘンプの植物自体が毒性を持つ部分があるから毒性の検査の必要なものが、オーガニックの概念とは馴染まない部分があるからなんじゃないかなあと思う。

日本も戦前は大麻が至る所に生えていたといわれているけども、前後GHQの指導により、大麻草は撲滅された。そもそもその大麻草というのは、インドのような毒性の高いものではなく、交配によって無毒に近く品種改良されたものが昔に中国から日本に入って来たものと考えられる。

栃木県などでは大麻栽培がおこなわれれていて無毒に近いものではあるが、たとえば、鳥取での村おこしでその無毒の株が植えられて隠れ蓑になって、毒性のある大麻が栽培されてしまっていたようなことが疑われている。その場合、鳥取の無毒の大麻は、有毒の大麻と交配して優勢遺伝して有毒化してゆくだろうから、花粉も2km飛ぶとか言われていて、有毒なものを誰か悪い奴が育てていると、無毒の大麻を育てているつもりでも、有毒なものを育ててしまうことになる。無毒大麻にしても健全にオーガニック栽培というのは難しいのである。

中国では大麻が大量に栽培されているけども、その背景にはマリファナなどに対しては非常に厳しい法律があって、それ故に産業用大麻が成り立っているように思う。日本では神宮大麻などはこのままでは消えてしまうと危惧されているけども、一部の限られたものだけが限られた用途のためだけに栽培を許可されるのがやはり安全だと思う。日本の麻業界も、素材としての戦後大麻を封印したような感があったが、大きな変化だったがそれを受け入れた。今また、中国などから糸を輸入して大麻が、エコな素材として脚光を浴びてはいるものの、大麻が栽培上はオーガニックながらその毒性からオーガニックとはみなされないあたりが繊維用途の大麻の悲しい側面である。
2020年10月28日
以前、日本の亜麻栽培の事を少し調べたことがあって、軍需や資材向けに亜麻が北海道で栽培されていたことはしってはいた。また、最近のことになるが亜麻実油を取る目的で、北海道で亜麻の生産があることも聞いてはいた。

数年前に、北海道で亜麻を育てておられる方が、亜麻を紡績するのを日本で出来ないかという相談を受けたのだけども、アパレル向けの亜麻糸というのは、できないこともないだろうけども、コスト面で生産量もすくないから、海外の5倍とかの値段になってしまうのも普通だろう。それをやられるとその人の地道な活動が成り立たなくなる話で、いくつかの方面はご紹介したけども、紡績は海外でやるのが普通にはやはりコスト面での優位性がある。

今日、12月の会社訪問の件の事前打ち合わせで、北海道で亜麻を育てて糸を紡いで自分で織られて作品を販売されておられる方の存在を知った。日本も明治になるまでは、そういうのも普通で、自分で糸を績んで、織って、家族の着るものを作るというのが、農家の人だったら冬場の仕事として出来たりした。そういうのを今の人がするというのは成り立たせてゆくのは大変なことだろうなあと思うが、そういうものづくりを求める人というのは多いだろう。京都与謝野でも、自分で綿花を育てて糸にして織物にされている方にお出会いしたけども、どれだけ時間があっても足りないだろうなあと思える世界である。麻組合さんでも手績みの糸を作られるところからやっておられたりするので、時間との戦いを覚悟して、出来上がったものにしても売るのがもったいないと思えるくらいの話だと思う。作った人が一番その価値を感じていて、そういう価値を理解できる人に買って使ってもらうのが一番だろう。

私自身も、日ごろの頂いている仕事に追われているけども、時間ができれば林与の近江上布絣柄の広幅ブロジェクトをまた手掛けてみたいものだと思っている。数年前にやった広幅プロジェクトも、型紙彫るところから捺染して織りあげるまで1柄2日でやるとか。それよりも、染を覚えたり道具を作るのに試行錯誤したり。どっぷりと浸れば他にないものが自分の手から生まれてくる。

イタリアや中国の展示会で、自分の手でつくったものを展示していると、今はファッションの世界というのはデザインだみたいなところがあるけども、デザインだけじゃなく人の力を感じる布みたいな要素を感じてもらえるものである。
2020年10月26日
武漢でロックダウンが行われたときにあれは中国だからできることと驚き、欧米では個人の権利が優先されロックダウンなどは不可能だと思っていたが、実際にヨーロッパの都市やニューヨークでも行われた。コロナに対する警戒心も時とともに薄れ始め、欧米では個人の人権意識や自由な行動が優先され始め、世界レベルではコロナは以前以上に拡大のスピードを増している。

ヨーロッパでは、フランスやベルギーが危機的な状況。EU圏では、人の動きを遮ることができず、気温の低下とともにコロナが活性化しているように感じられる。まだ、11月、雪が降るようになって年明けとか2月が一番気温も低くなり重傷者も増えるであろう。

コロナというのはまだ未知のところがあり、ヘルペスウィルスのように一生体内から消えることなく、体力が落ちた時に体内に潜んでいるコロナウィルスが活性化して症状を表すというようなこともいわれていて、今まで回復したとされる人でも、陽性化する可能性もあるとされている。感染した人が回復しても免疫も長くはもたないとされていて、2度目の感染もあるということが言われている。中国武漢では2度目の感染が特に危険だとされていた。

中国武漢の場合には、あの体育館のような施設の中がコロナウィルスであふれていてクラスター状態になって、多くの患者がたくさんのウィルスを体内に吸い込んだと考えられ、それがあの多くの人が死んでしまうような重症化の悲劇につながったと思う。

コロナ対策としては、重症化させないためには、空気を入れ替えウィルスの密度を下げ、個を空間的に隔離することが一番大事なのである。ダイヤモンドプリンセス号であれほど患者数が増えたのは、やはり、人の交流が多かったからではないだろうか、船員を介しての感染もあったろうと思うが一切それはない前提で検査もせず。屋形船もそうだが船の手すりなど湿ったり濡れた状態だと多くの人が間接的にだが、多くの人に触れると同じことになる。取っ手のついたドアなども外気を遮るために船や屋形船には必須だろう。寒い時には特に毎回多くの人が取っ手を触って開け閉めすることになるから。

あと人だけでなく、たぶん、船の場合、ネズミがコロナウィルスに感染してコロナウィルスをまき散らしている可能性も高いだろう。ハタンウィルスを見ると、ネズミというのは宿主になり、その種類により、コロナウィルスを変異させる可能性もあるから怖いのである。コロナウィルスが、ネズミから人に感染するとすれば非常に危険であるが、コウモリからとかネズミ、蛇からの感染が発端だとされているのがコロナウィルス。
2020年10月23日
今日は、スチールラック2つ設置してL40番手の糸を片付け、先染織物の工場というのは糸であふれているもので、染めた麻糸であふれている。林与は特に染めた糸であふれていて、なんとかしないとなあと思うばかり。

染めた糸にしても同じ色でも染のロットが異なれば、原糸のロットが異なれば基本違う糸なのである。ビニール袋ごとにいろんなロットの糸があふれていて、そういう糸を捨ててしまうことはなく、基本、いつか使うように残しているのである。麻糸というのは何十年でももって、昔の糸というのは値段も高かったけどもその分品質も良いというのがよくあること。

今日も、昔の糸を箱に入直すときに触って、今の糸にないような感触を感じたりした。それは撚糸だったけどもふわっとしたありえない落ち感のあるリネンの糸の感触。25年前の糸で、10kgちょっとだったけども、1反50m分ほど特別の反物をつくるときに使おうと思う。

リネン生地というのは、年月がたって良い風合いが出てくるものである。今日上がってきたリネンにしても、加工上がりでパサパサしていて好きじゃないことがあるけども、それを林与で何年か寝かせると湿気をすって風合い的にいい感じになることも多い。よく、加工から上がってきていまいちだなあと思った布が、倉庫に寝かせていると数年後におやこれはと思うこともあったりすることも多い。

生地になってからも繊維というのは生きているのであり、一年もない草の命よりも、糸や服になった後に何十年もの寿命を持つものなのである。

2020年10月22日
アメリカ時代に、サンディエゴのルームメイトたちが、私よりも英語も上手で行動力もあったことが、私の今の行動力にもつながっている部分がある。逆に勉強とか英語力はどうでもよいのだと思い始めたのもその辺り、クラスメート4人で一緒に住み始めたのも、クラスが始まってから2週間くらいで、私がクラスメートのエトガーに今部屋を探している話をして、前から、後ろから声が掛かって、4人で一緒に済むことになった。

私がルームシェアしたオーストリア人のエトガーは私から見るとすごく親切な人のできたクリスチャンでコンピュータ関係の仕事をしてバケーションを取って6か月、サンディエゴに滞在。敬謙なクリスチャンで、人の温かさみたいなものを常に発信している人で、難しいことも言わない人間ができている人格者そのものだった。エトガーを怒らせた唯一の事件が、アパート内での4名で、ダブルスを組んだ国際テニス大会をやったのだが、エトガーの後ろで強烈なサーブをした林与のボールがエトガーの首の辺りを直撃。もちろん意図的ではなかったが、試合中止になり、テニスするのを楽しみにしていたエトガーが、もう二度とテニスを一緒にしようとは言ってくれなくなった事件。逆の立場だったら、味方のサーブが怖くてテニスなんかできなくなるだろう、分かるんである。

クリスティーナは、当時から付き合っていたディエゴと結婚して、クリスティーナは法廷通訳、ディエゴはマサチューセッツ大学の教授になり、プロフェッショナルな家庭を築いている。クリスティーナとディエゴは、今会うとなんでこんなに人間が出来ているんだろうと思うくらいに立派になられて、その当時から林与自身が成長しとらんなあと思うばかり。大学の先生だと留学生の世話をしたり、また法廷弁護人だと犯罪を犯した人の話を聞いたりと、いろいろと頭だけじゃなく、人を理解してあげる力が必要なんだろうなあと思う。クリスティーナの悲劇は、サンディエゴから引っ越ししようとして、メキシコの知り合いの車を借りて、引っ越しの荷物を詰め込んでサンディエゴの友達のアパートの駐車場に車を一晩泊めたら、その車が盗まれてしまって、借りた車は保険でなんとかなったようだが、今までの思い出の写真や身の回りのものがすべて失われたような事件があったそうで、20年して初めてその話を聞いたときにびっくりして、いろいろと小さいころからの思い出の写真をみせてもらったので残念に思った。

もう一人のジニーさんはアメリカ人と結婚をして、ニューポートビーチで生活を始められたが、音信不通になってしまった。アパートの最後は、エトガーが去って、私が去って、クリスティーナが去って、一番最後まで、アパートに残られて、片付ける約束だったのだが、それを正しくしなかったようで、アパートの保証人をしてくれたクリスティーナのお父さんにバッドクレジットが付いて、クリスティーナが新しいアパートを借りるときにもその履歴が影響して弁護士にそのバッドクレジットを消してもらう手続きが必要になったとかで、私も最後にエトガーのデポジットの返却分を建て替えしていたのに、ジニーさん側から電話で、私が退去して半年後に、アパートから2000ドルだったかの請求が来たから何とかしてほしいと言われて、内訳が、掃除もせずにとか、プールやテニスコートのカギを返さなかったとかで、それはその二人の責任だから自分たちで解決するべきだと、私とエトガーのデポジットの返却分はあきらめるけども、その2000ドルはなんとかジニーさん側二人で解決するべきだということになったのだが、クリスティーナにバッドクレジットが残るということは、そのあとアパートに対して支払いもせず問題を残したままだったのだろう。
2020年10月21日
私が女の人がすごいなあと思ったのは、高校の時、40人くらいのクラスで女子は10人くらいなのだが、その10人くらいが成績の上位7名、8名だったりする。私は最初それに気が付くこともなく、クラスの中で女の子が少ないのはやっぱり男のほうが勉強ができるからなのだろうかと思っていた。

ある日、クラスメートが、上位10人のほとんどは女の子だよ、といわれて、ぎょえー、普通に真面目におとなしくかわいく見えている女の子たちが頭も優秀、遊ぶのに一生懸命で馬鹿な事やってる男たちが馬鹿みたいな現実。

女の子たちというのは、男の子たちには見えない逆にすごいプレッシャーがあったんだろうと思う。ほんわかとした雰囲気の中で、それなりに自分でやってる人たち。高校3年の時にも、医学部を目指していた女の子がいてその子は授業中に受験勉強。

普段一言も話すこともなく親しくもなかったが、私がいつも分厚い英和辞典を机の中に入れているので、授業中、後ろから貸してほしいと頼まれた。頭の中にほとんど辞書が入っていて、ほんとに困ったから頼んで来たんだろうなあと。辞典に頼っている私とは雲泥の差。また、女の子だから、分厚い辞書なんて持ち歩くのがダサくて恥ずかしくご法度だったと思う。

授業を聞くのに必死な私と、受験勉強に必死な人。自分自身でやらないとダメなことを自分自身でやる力というのを感じたのもそのあたり。京大とか医大とか目指している人たちというのはほとんどがそんな感じで、教えてもらうじゃなくて、自分で求めて理解していく能力を養ってられたみたいな感じ。高校生なのにすごいプレッシャーの中でかわいそうなと思ったのもそこだけど、普通にみえてそれだからすごいなあと庶民的な林与は格の違いを感じたのである。

あと、大人になって、高校大学と馬鹿してた人たちが、社会人として優秀になられていることも多い。ヤフーのチャットで、夜中、インストールに関してのコンピュータのことを質問したら、ハンドルネームがアホなんとかだったのに、すごく親切に教えてくれた。この人すごくこんぴゅーたのこと詳しいなあと思った。京都の高校だということで、なんとそれが高校時代のクラスメートだったとかでびっくり。ハンドルネームの名前の由来も、分かる話なのである。

真面目ばかりじゃなくって、若いころに馬鹿してなにかに没頭していることも大事だなあと思う次第。なにかに没頭できる人というのは結局、何かの道を究めることができるので、仕事も無欲の極みみたいなところがあるから、成功しやすい。たとえば、体育会系の人にしても、何も考えずにとことんできるタイプが多い。そういう人というのは、大人になってからでも目の前の物事をやっていくのには一番迷いもなく強いタイプ。日本の社会において自分で仕事していくには、案外、このタイプが良いだろうと思う。苦手なことでもそれなりにできる人たち。とくに、仕事というのは頭で考えるだけじゃなく行動に移す必要があるから行動力というのはすごく大事だったりする。
2020年10月19日
土曜日仕事したあと、徹夜モードで、月曜日の朝まで織ってみる。与えられた時間は36時間ちょっとみたいな話で、1時間に2m織れると72m織れる計算で、60m織れればなんとかクリアか。他の2台の別の織物も動かすが、織機を3台動かすだけだと退屈なので、プログラミング言語のことを検索しながら。ながら作業だが、ながら作業にありがちな大きなミスを防ぐために、織機を動かすときに毎回、経糸の通し違いなども確認は怠らない。普通はながら作業すると大体が大きな失敗で終わることが多いものである。

プログラミングのほうが、覚えないといけないことも多くややこしいので、5分に1回、織機を3台動かすということはすごく単純な作業に思えてしまう。調子の良い織機を動かす作業というのは、運動のような感じ。いろんなことを毎日覚え、宿題もある小学生というのは大人以上に大変だなあと思う。なぜ、繊維産業が難しいのかはコンピュータ産業やIT産業が日々新しいことを覚えて実践なのに、繊維産業というのは慣れで仕事しているからだろうなあと思う。繊維産業でも、慣れてしまわないで新しい試みを実践してゆくことが大事だとは思う。

途中、睡魔との戦いが始まる。明け方冷え込むので寒さとの戦い、冬山用の寝袋を引っ張り出してきて、その上で作業。月曜日の明け方2時間くらい眠ってしまう。2時間ならまだ大丈夫、再稼働。

月曜日の朝、9時、スタッフの子が来てくれて機場交代で、私は昼間で眠る。月曜日なのでどうしても電話も多く起きて4件電話対応。午後1時に機場交代で私が織り始める。寝たのでかなり調子がよく、検反出荷をスタッフの子が動いてくれて、夜9時前の出荷に間に合った。

できるスタッフがいてくれて、私が夜織ることで納期などがクリアできるというのは本当にありがたいこと。スタッフも織るだけでなく、私と同様、検反や補修、出荷作業などもこなせるだけでなく、細かい注意点なども当たり前にくみ取って作業してくれるので、若いのに優秀だなあと感心する。

私自身が、コンピュータが得意なことなどは、織物の世界にも生きていて、仕事の組み立てや、織物の設計、糸量の計算など、織物業界の企画や現場の人が普通苦手とすることをできるあたりにつながっている。
2020年10月17日
先日、またもや4Kノートパソコンの購入してみた。4K表示は一般的な用途には向かない。FHDという、1920X1080くらいが、パソコンを一番使いやすい解像度だと思う。1世代前の4Kノートパソコンと比べると格段にスピードが上がっていて、ストレスが亡くなっている。

4Kというのは、表示自体も処理が4倍になるので、そこそこのCPUを積んでいないとダメだったりする。ただし、動画をみるだけなら、昨年の4Kノートでも十分なので、昨年の4Kノートは、展示会などでのプレゼン用に使おうと思うが、そもそも、4Kである必要があるのかどうか。

高解像度のコンピュータディスプレイというのは、なぜか、私にとっては小学生のころからのあこがれであった。できる限り高解像度のものが欲しいなあと思っていたが、4Kになって、お腹一杯に近いイメージで、これ以上解像度が上がっても人間の目がついてゆけないくらい。

恐ろしいなあと思うのは、そんなノートパソコンが、4万円から6万円くらいで手に入ってしまうこと。あとは速度が上がることくらいしかないのでそろそろパソコンメーカーも限界に来ているだろう、こんなパソコンであっても飛ぶようには売れていないのが悲しい現実だろうと思う。

4Kディスプレイの優れたところは、ワードのA4文章の2画面を同時に表示して編集出来たり、また、外付けの4Kディスプレイとつなげば、相当の情報量を同時に見ることができること。普通の画面の4倍、8倍の情報量を一度に見ることが出来たりする。同じ時間で、何倍もの情報を人が処理することができるのである。

私が中学の時に買った最初のパソコンは、カシオのポケコンだった。小さなプリンターもついていて、それが当時1万円。確か、12文字X1行とかだったと思う。でも、そこには今の時代につながっていくような夢があった。
2020年10月14日
反物を届けるために2か3年ぶりに長浜のDENさんのお店を訪れた。平日とコロナの影響で、観光客の方というのは少なめ。ゼロというわけではないけども少ないなあと思う。DENさんは、東京の百貨店イベントなどにも出かけられてオーダー受注をもっておられるので生産のほう忙しくされているようである。

アパレル関係はどこもが良くない話が多いがそういう良い話を聞けたのがよかった。でも、一着一着服をお店の中でつくっておられるので簡単な仕事じゃない世界。スタッフの女の子も初めてDENさんを訪れたので、裏の庭も見せてもらった。いろんな食べられそう系の草木が植えられていた、オリーブ、レモン、サクランボ、唐辛子、アボカドなど。
裏庭を見たのは良かったが腕を蚊に刺されてかゆい状態で、そのあと黒壁スクエアを軽く見て回って、最後大通寺を見て、帰路についた。

お店商売というのは、コロナ禍では大変だなあと思えるばかり、普通にお店を開いているだけでは、平日は観光のお客さんは少な目なので特にたいへんだろうなあと思える。数年前と比べると空き店舗をいくつか見かけるようになった気がする。

レストアされた町屋風のたたずまいのお店も雰囲気があってよいとは思うが、私的には普通の商店街の普通の八百屋さんみたいな昭和風の古びたお店が今も普通にやっているのとかが一番好きだったりする。小さく存在するならそういうのが大きなスーパーの食料品売り場と同じじゃなく対照的でよいと思えたりする。問題は、コンビニとは違って、常連さんが普通なので、一見さんのお客さんが入りにくいあたりだろう。自分が使わないとしてもそういう絵になるお店が残っていてほしいなあと思ったりする。

海外なんかに行っても観光地よりは、現地の人が食べる食堂的な場所が好きで、そういうところの庶民的な味が好きだったりする。食べて口に合わないこともあるけども、そういう味覚の違いなんかも新鮮で、味わってみたい気がするのである。

黒壁スクウェアにあるおみやげ物屋さんで、帆布を織る用のシャトルの管に興味を持った。なんでたくさん小さな穴が開いているんだろうと。私がなんでだろうと考えていると、スタッフの女の子が管が回っても光が通って感光フィーラーが検知できるようにと正しい答えをすっと言ったので、それだ、スタッフの子は自分のやってる仕事のことよくわかっているなあと。この前も丹後の八丁撚糸機を見た時に、水滴が全部の管に落ちていないのに気が付いて、その水滴が管が回るときに他の管にも飛び散って問題がないんだということも気が付いて偉いもんだなあと思った。
2020年10月13日
アパレルの大手5社で、3100店舗を閉鎖するというニュースが目に入った。3100人じゃなくて、3100店舗閉鎖。単純に考えて10倍から20倍のスタッフの働く場がなくなるのではないだろうか。店舗なんかも何の落ち度もなくきれいなお店が消えてゆくことになる。たとえば単純に売り上げが3分の1になった場合に、百貨店の中のお店よりも直営の路面店のほうが維持が難しいのではないだろうか。

アパレルも身内である従業員の解雇問題への対応でアパレルも服を作っているような状況でも今はないだろう。企画したとしても1つの企画あたりの数量が半分に減ってしまうと、製造原価は逆に上がることになる。サンプル、本生産の流れだと、生地からつくることは難しいだろう。また、閉店の大きな特損を乗り越えるためには、原価率を下げたモノづくりへの移行が必要になってくるだろう。不況時にあるデフレではなくスタグフレーション的な、売れないときに物価が上がる流れ。また、売れるときに大量生産で物価が上がるでなく下がる流れが今の世界経済。

日本のアパレルの原価的な下代は上代の3割くらいだろうと思うけど、在庫リスクとあとの処分を考えると成り立ちにくいだろう。素材にこだわりをもっていたブランドさんにしても海外のSPAモデルへと移行してゆくしかないような気がする。海外のSPAモデルの原価的な下代は10分の1とかが普通で、仕入れ値の10倍の値段をつけて、店頭に並べるものづくりしか選択枝のないアパレルも増えてくるのではないかと思う。

アパレル不況というのは当面続くだろうと思われる。同じく素材関係の不況も当面は続くだろう。国内が海外の大手SPAのようなものづくりを追うようなことをしても成り立つはずもなく、国内は国内でモノ作りが薄くなるほうに動くのではなく、モノづくりが濃くなるほうに動くようにしないとダメだろうと思う。

繊維業界というのは、どうしても古い体質から抜け出せず、権威主義になりがちで、もっと、原点に返って地道な価値観から再出発が必要だろうと思うのである。繊維の業界でもピンな人たちというのは古い体質ではなく、前向きに自分が手や体、頭動かして、トータルソリューション。古い体質のよくあるパターンが、具体的な仕事の話や問題の話をしても、うちのだれだれに言ってくれとか、自分が自分の会社の担当に話をするのもしようとしない程度だと新しいものをつくるとか問題を解決するとかは無理だろうなあと思う。
2020年10月11日
今年もお寺の裏にある林与の柿がたくさん成ったのだけど、残念ながら2年前の柿と比べると全然おいしくないのである。甘さが少なく味が薄い、2年前は12月に食べていたのに、今は2か月も早い1月に食べないと熟して落ちてしまう。数はそれなりに多いので、2年前のおいしい柿の反動が出ているのだろう。

まあ、それでも、1か月ほど前は、ヤツガシラに全部葉っぱをやられながらも、農薬どころか肥料も、害虫すらも柿の木のはっぱを享受し、その末に残って成った実で、オーガニック農法以上の自然そのものの柿なのである。子供のころには当たり前だったヤツガシラを柿の木にみたのが久しぶりで、安心をした気持ちすらある。柿を食べる害虫にみえても鳥などから食べられてしまわないように全身をとげで守っているヤツガシラ。葉っぱを食べつくすとヤツガシラも食べるものがなくなって消えてしまわざる負えない、あのあと蛾になって飛んで行ったんだろうと思う。

それが最高においしくないとかあっても、おいしいだけが価値じゃない、成っているだけは毎日食べようとは思う。最高のものを求めて普通のものを受け入れられなくなってしまったらそれはバブルのころの浮かれた価値観と同じで、現状を受け入れることが大事。柿をとってもレジ袋が必要なわけでもなく、手で持って帰って包丁で向いて食べるだけのこと。

リネンの糸などロットによって当たり外れがあるけども、外れのリネンのほうが問題も多くても手間が掛かっていて大変だった思い出は残る。そういう時に、傷になって織れないとか補修するために納期を待ってもらったりと肩身の狭い思いをしながらも、温かさをいただけたりでやってて良かったなあと。

また、野生の鳥たちが、熟した柿の実を食べる、その分くらいは当たり前に残しておいてあげる必要はあって、その残った分から人間が柿を取って食べる。自然を守るというのは認証とかそんなんじゃなくて、人間自身がある程度のあきらめをもって自然と分かち合う必要があるだろう。他の動物や植物と自然を分かち合うことが大事ということで、そこには、自然に対する権利なんて概念は必要がないだろうと思う。

人間同士だけで、自然の取り合いをしているから、自然そのものがどんどんと消えてゆく。人が手を加えないことが自然なのだが、私が90年代にアメリカにいた時に、ヨセミテ国立公園などの自然意識に関して知ったのだけども、自然に天災などで火災が起こった場合には、自然に消えるまで消さないとかいうほどの自然保護の意識。

商業的なものばかりではなく、人の手の加わっていない自然農法的な天然の恵みを授かるようなところも大事だろうと思う。品種改良などでかけ合わせがあろうとも、品種改良を進めるばかりではなく品種改良をバックするようなことも大事だろう。そしてそれを分かって、品質が落ちるのも分かって人間が取り入れて自然を守る。

私自身がオーガニックリネンを扱っていても、問題が多く、それは仕方のないことだと思いつつ、手を掛けて織っている。自分が手間を惜しまないで手を掛けることが自然と商業的な部分とを成り立たせるための部分だろうと思っている。オーガニックリネンにしてもオーガニックラミーにしても、強度と品質の安定性の面で織れなくなることも普通、それを手間を掛けることで成り立たせてゆくのも、オーガニックを支えたい気持ちをもつものだけができること。途上国の児童労働を嘆いていても自分がそういう子供の代わりにその程度の労働を当たり前に代わりにする覚悟もない人が少ないのがオーガニックのエシカル的の本質的な問題。

自分たちの老後よりもこれからの人の将来を考えてゆくべきだろう。自分たちが考えて生きてゆけるような社会土壌を残してあげるべきだろう。ボタンの掛け違え見たいなルールを残さないようにしてゆくべきだろう。PCBやアスベストなどを安全と推し進めたのも、学者たちでそれを認可したのも国で、オーガニックの世界も営利的になりそれと同じような感覚に陥れば、オーガニックでやっていることが、PCBやアスベストのような地球環境破壊につながる恐れも多い。遺伝子組み換え作物なども学者が生み出し国が認めたものだけど、もう、その責任から逃げだして会社は消えてしまった。
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