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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2021年02月19日
今日6時過ぎに豊満神社の横を通ると、豊満神社が全体がエレクトリックパレード状態。初めて見たけど、どうなったのと思った。神社中を電飾で飾ってクリスマスどころじゃないイルミネーションなのだが、神社も今はイベントというとこういう方向性なんだろうなあと感じる。春節のイベントをやられているんだろうと想像。





2021年02月19日
林与のことではないけども一人の繊維産業を盛り上げようとして動いている方がコロナの影響もあり事務所を閉じられた。実際に自分でやってみると繊維で自分自身を成り立たせていくこと自体が難しいという問題があろうかと思う。今は、繊維業界が活況だった昔と違って、売れるようなものをつくったとしても海外から似たようなものが10分の1の値段で大量に数か月あとには出てくる。

ゆえに、日本でモノづくりをしようとすると、ニッチェ的なものづくりになるのだろうけども、ニッチェな世界というのはターゲット自体が大きくないので、なかなか織物の世界のような組み立てじゃない世界だと、小回りが利きにくい。それをどう小回りを利かせるのかというところじゃないのかと思う。

力強く力のあるものが動いていくしかないだろうと思う。ある別の若い方が小物づくりで自分のブランドを立ち上げられたが、裁断や縫製なんかにしても量がまとまらなければなかなか一つ一つを頼むことは難しい。自分で裁断や縫製するとかが一つの方法で、それでよいと思う。でも、なかなかそれを自分でできる人はいなくて、作業は他の人にやってもらうというのがスタイルだと、最初に数がまとまってつくるはできても、そのあと追加でつくるとか簡単なことも前に進まないことは多いだろう。

例えば、素敵なお店が上手に売れているように見えても、その売上以上に地代や人件費、広告費などのコストが掛かっていることも多かったりする。そういうのを小さな規模のものが理想としてないものねだりしても仕方ない話。小さいなら小さいなりに自分がものづくりしてそれを売る様なスタイルこそが持続的な形だろうと思う。自分でそれをやっている人というのは長続きするもので、分業的な形を求めると一つの要素で突然問題が起きて解決できなかったりしてできなくなったりするものである。

私自身は、大きくやることがすごいことだとは思わないし、自分自身が切り盛りして続けていけることが大事だろうと思う。大手の有名な家電メーカーなんかは、優秀な人が集まっていても会社が傾くと廃業という形も多く、結局、大きくなると薄っぺらくなりがちで、誰でもができるような仕事が増えてきて、素人でもできる仕事のスタイルを目指すことになる。私もコンピュータの製造現場で働いたことがあるが、誰でもが同じようにできるような工程管理に落とし込み、これが世界最先端の製造現場なのかと逆に思う。

そうなってしまうと、人件費の安く、すべてのコストが低い海外での生産が一番うまく行きやすくなり、日本でのものづくりは断念する方向になる。結果、社員の福利厚生なども非常に高いレベルの工場ではあったが、その数年後には閉鎖されてしまった。工場が閉鎖されるような状況に陥っても、だれか、一人ががんばるとかでは無理なレベルで、たどり着いた結果ともいえる。
2021年02月17日
いろんなことが難しいのが今の日本。不景気になるとものが安くなるのかというと反対に高くなるとか。不景気のときには、柔軟な労働力の移動が大事なことの一つだろうとは思うのだが、労働を硬直させてしまう制度があって、不景気の時ほどものは高くなるみたいな普通はありえない話。

不況な時には仕事を生み出す力がないといけないのだけども、今の職人の世界も1時間いくらのサラリーマンの世界が普通で、これは今に始まったことではなく、ひと世代前の仕事がなくても給料がもらえるサラリーマン職人が当り前になった昭和の時代から。食べていくのが難しくなったときに働いて食べていく道を模索するスタイルが消えてしまった。

昔いつも閑散期になると電話くださる社長さんがおられて仕事探ししておられ、従業員を抱えておられ仕事なく大変なのが伝わってきた、そういうのに応じて閑散期にお金を使うのも厳しいけど仕事をなんとか作ろうと林与も昔は動いて来たが、林与も外の世界にいくとそういう仕事をさせてほしいみたいな業者さんがすごく多いので、それが本来の自分が仕事して食べていくために必要なスタイルだとも思う。なんでも一生懸命にやりますみたいのがなくなるといろんな問題も乗り越えていくのは難しいだろう。

創意工夫とか試行錯誤みたいなのがなくなるとできることもできなくなって、人の力というのは同じ設備や環境でも違いを生み出すためには大事だなあと思う。林与の設備にしても一番新しい織機でも40年選手だったり、あとは人の地道な力でしかないと思っている。

今話題の仮想通貨なんかにしても、日本で仮想通貨が生み出されるのかというと、それは無理な話で、多くは中国の1kwが1円の水力発電の電力を使って、中国製のマイニングに特化したマシンから。日本で高圧で、1kwが安くても13円とかではそもそも競争にもならない話。低圧や家庭100vの値段ではやるだけマイナスな話。でも、それが今の日本のものづくりに共通するような問題。

国レベルでなにやっても成り立つような基盤をつくっていかないと、役人や殿様商売型の企業だけがゴミも出さず利益を集めて成り立つような今の日本ではダメだろうと思う。トータルで成り立つような社会を目指していかないと、もう器用だったり忍耐強い人も少なくなって、頭だけじゃなく器用さと忍耐が日本のお家芸だったのに。
2021年02月16日
年末くらいからは工場が寒かったんで、アラジンストーブタイプのストーブを一つ工場に置いて焚いてその上に水を入れた鍋、蒸気で工場を温める作戦。それだけではもったいないので、札幌のコトコトコーンポタージュ缶を入れておく、スポーツのように織機を動かして少しの休憩にそれを飲む1杯100円もしない贅沢だが体も温まり癒される。

大人というのは小学生の子供よりも恵まれていて、小学一年生が毎朝雪の中でも2kmとかを歩いて登校、大人にはできない子供の我慢の世界。学校でも新しいことを1教科だけでなく、5教科、しかも家に帰って宿題まである。大人よりも酷に毎日を生活が小学生の世界。

仕事なんてそれにくらべれば大したことないなあと思うばかり、仕事のことなんてメモすればそれでよいし、暗記する必要もない。仕事だと計算機を使って計算もできる。大人になるとその程度のことも面倒になり、小学生中学生に負けることも多い。子供たちは体を全力で動かしてスポーツなどにも励めるけど、大人になると動くのも面倒になってそれで普通。

流しているだけで毎日が成り立つ大人社会と厳しい現実に直面する小中学生、逆でないとあかんのとちがうと思うけど、やっぱり、年取るほど偉そうにするだけで高負荷は若い者にばかりいってしまう。これから生まれてくる世代が今の日本の年金問題を解決してゆく生まれた時から保証人かわいそうやないの。この50年ほどで、世界でも本当に珍しいそういうのが普通な国になってしまった。

これからの世代は国際競争の中でそういう重荷を背負って競争。なぜかへっちゃらな年配者たち、おかしくなりすぎな感覚が普通になってしまって、若い世代も同じような感覚になってしまうと要求して他人に押し付けるばかりの社会ができあがる。小中学生のように素直に地道にものごとに取り組むことが大事だと思う。

海外でも児童労働問題があるけども、子供は素直にできるけど、大人は役に立たないという大きな問題があって、大人がまず働くようにならないと駄目だろうなと思うが、日本も例外ではないと思う。責任逃ればかりの国の役人たちが国民に要求ばかりでは頭が良い意味すらもなく悪知恵だけが目立つ。
2021年02月12日
仕事の問題で謎なことがあったけどもようやく今日の昼前にそれが謎解けた。もしその謎が解けなかったらまた何週間も失敗するテストを何度も繰り返す話で、解けたことによりピンポイントで解決に向かって動ける。
2021年02月10日
ある工場の社長も担当の方はすごくキャパを持っておられるのだなあと思う。前向きに仕事を進めようとされているのが分かるし、仕事をしていただくほうもありがたいなあと思う。ある材料が廃版になって、新しい材料でそれを置き換える話。

テストからということで仕事を自分で作ってゆくという意気込みが似ていてありがたい。その常々において他ができなくなったことでも自分はできる工夫をして生き残れる形だろうと思う。外の要因は難しくなる一方だけどそれに飲み込まれてしまうと、できないかやったとしても最後大きな問題が残るだけとなる。問題にならないように落ち着いて前向きに対応をして行かないとすべてが出来なくなってしまう。

特殊なものをやっているということをよく理解もいただいていて、その工場も特殊なことということで緊張をもって動いていてくださる。それを通常の工程に入れると機械が汚れるということで、林与でその問題は解決するなど、できる方向を探して動いているからできていたりする仕事。

柔軟性こそが仕事のすべてで柔軟性を欠いてはできることもできなくなってしまう。
2021年02月10日
昨日、仕事が終わる前にスタッフの子がレピアの筬とテンプルの間で指先を挟んで出血、病院でみてもらってレントゲンも取ってもらって消毒もしてもらって明日は休みにして様子をみてもらう。

私自身織機は危険なものだとは思っているのでいろいろ危ないとかいうことも多い。二人で織機を動かしながら扱うのは危ないことだし、一人で動かすのが基本は安全。動かさない状態で、作業するときは二人で作業すると効率のよい作業もある。織出しの作業など。

他の業種と比べると織物関係も労災など掛け率からうると、事故率は全業種の中でも低い方だが、全然安全にみえる整経機の巻き取りですら、私の工場ではないけども3人亡くなられた工場もあるとか。回転が逆なのと機草を入れるときにエプロンが巻き込まれてしまってとからしい。昔の機場のおばちゃんたちはエプロンしている人が多かった。

工場作業では一番、フリースみたいな上着が安全だろうと思う。フリースの首の紐は短くカットしておかないといけないけど。でっぱりがすくなく引っかかりにくく。髪の毛も機械に巻き込まれないように結わえるかが大事。前後の往復運動よりも回転運動が安全に見えて危険ではある。
2021年02月09日
親からは田舎のしきたりみたいなことや業界の古いことは親が教えられても、外のルールは外の人が教えてくれたみたいなところがあって、狭い世界に縛られていると外で通用するような人間はできにくいだろう。そういう田舎のしきたりみたいなことや業界の古いルールはいつの間にか消えてゆくようなものでそれに次の世代を一生懸命にさせるよりも、自分自身が新しいものごとに挑戦して仕切り屋のいないところで、ものごとをやっていかないと立ってゆくのも難しいであろうと思う。

業界でもなんか前向きにやろうとしたらこれは駄目あれは駄目とか他人が口を出してくることが多い。嘘とか偽装は駄目だろうけど、ほんと前向きな期待されるような新しいことをやろうとしてもやらない人からこれは駄目あれは駄目が多い。人間関係を勝手に作ってしまっていて、お前はワシよりも下だぞ見たいな感覚がそういう人には充満しているんだろうけど、そんな程度の人のいうことを聞いていたらその程度に終わってしまって、自分自身がその程度のことをいって次の世代をつぶすことになる。

糸を自分が輸入することにしても、糸商から自分を通して買ってくれの話があったけど、糸商の話を聞くと小回りが利かない話ばかりか、私が覚悟して仕入れる話なのに便乗して他にも売るみたいな話だったので私自身が覚悟決めて動く意味がない。世話になっている糸商さんでも従来の糸はそのままのルートで特別な糸は自分のルートで仕入れることに。残念ながらその糸商さんもその後に廃業されてしまったが、やはり自分の思ったことが自由にできないと今の時代には通用しにくいものである。

京都の問屋さん関係ももう20年前に取引していたそこそこの規模のところはすべて業を終えられた。そういう時代が見えないと、お世話になっていたのに残念な話ではある。先代でも問屋さんにいって修行してこいみたいな感覚だったが、そういうのに違和感がないと次の時代には残れないのである。売り先がなくなったから売れないで終わるとかじゃなく、普通に、自分で作って自分で売るという当たり前の商売の基本の部分に戻ってやっていけばよいだけのこと。そのためにはそれができる力のある人が必要になってくる。

一つは田舎という立地で消費者の方とは遠いけども、時代の流れはネット社会で世界中の誰とでも家にいながらコンタクトを取れるような話で、そういうのについていかないと田舎の繊維の仕事すらも難しい。小さい枠のなかの序列に縛られていては小さい枠すらも消えゆく運命。小さい枠を意識せずに外と自由に交流してやってゆけないといろんなことは難しいものだと思う。
2021年02月01日
今やっている物事を大事にしていくことというのは大事だろうと思うのだが、関係のない世界の人から見れば、今やっていることの大事さも見えずに新しいことばかりで振り回して、今やっているものごとの大事さを見る目がない。

中山道の高宮の旧商家のたたずまいにしても、あれほど文化的な価値のあるものはないだろうけども、普通に壊してしまう話やリノベーションの話。私が廃墟的なものに魅力を感じるのは普通とは違うのかもしれないけども、新しく普通に作れるものよりはそういった同じようにつくることが難しいものは価値があるだろうと思う。今、作ろうと思ってもなかなかつくることは難しいのである。

こういう私のものの見方というものは織物の仕事でも価値観的なものに生きてると思う。衰退する業界を駄目なものとみて新しい業界をもてはやすみたいな一般的な考え方じゃなく、衰退することというのは逆になかなか難しいことなので、みんなできなくなってゆくのに、それを続けてやっていける部分にある意味強さがあるようにも思う。熟練者がやっても初めての人がやっても同じ土俵でやれる人だけが残れるみたいな。登山しないけど、登山と似ているかなあ。自分が自分で登らないといけないあたり。車で登ってはそれは別の意味。

以前、ある若い女性の方が夏の炎天下を、別の織物工場から林与まで10kmとかを歩いてこようとしてやるなあと思った。2時間歩くのが平気な人というのは、気合からして違うようにも思う。そういう人だと仕事も別の感覚でみることができて、いろんなことが簡単だろうと思う。スポーツの世界だと普通でも仕事の世界ではなかなかそういう気合のある人というのは珍しい。普通の繊維業界のおっちゃんおばちゃんらでは敵わんだろうなあと思う。
2021年01月28日
林与の裏の田んぼが宅地開発されるということで今までそれほど気にしていなかった境界の確定の話などが必要になってきた。林与の家は出てゆかれる人の土地を買ったりしての番地なので、いろんな番地が混在している。それなりに、番地がどこからどこまでかは確定しているものと思ってはいたけども、建物を建てたのがその番地の安全な部分に建ててあるので、その建てたものを基準に境界を決めてしまうと結局は安全に立てた側の面積とかが狭くなってしまう。

今回は自分が境界を決めたいということではないけども、昔だと隣近所との境界は、測量もせずにここからここまでみたいな感じでアバウトにやってきたのだが、今は、宅地開発の会社との話になるので、はっきりと決める話。話合いで変な形のを長方形の形に近づけることもできるので悪い話ではないだろう。自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番正しい方法ということになる。昔の地形というのは現状に合わすしかなくなってきているので、現状の地形をもとに、自分の所有面積をしっかりと確保できるように境界を決めるのが一番よい方法ということだろう。
2021年01月26日
DENの北山さんが生地を買いに来てくれて、話を聞いているとやはり長浜の商店街もコロナでそうとうお客さんは減ってしまっていて、普通だと経営が成り立たない話なのだが、東京のイベントでは、うまく受注ができているということで助かっているというお話。

富士吉田との取り組みの話もされていて、その中では富士吉田の機屋さんがこのコロナで大ピンチのようである。アパレル向けの仕事をしている機屋関係は今は非常に厳しい状況。林与もここ数年はアパレルの比率を30%以下くらいには減らしていたので、それが今の状況を乗り切るのには役立っている。

このコロナの状況で、アパレル関係の企画が少なくはなっているけども、企画があっても数量が付かないと、サンプル量産ともに仕事しても2回のダメージに終わってしまう。昔のように何十マークもやっているとしたら、仕事しても、サンプルと量産で何十回のマイナスのダメージということになる。それは、機屋だけに限らず、染色工場や加工工場さんに取ってもダメージという結果になってしまう。

先日の米原でも、キッチンクロスは多くの人に喜んでもらえた。多くの人が興味を持って欲しいと思ってもらえるものを自分で作れる力があるというのは幸せなことだと思う。そういう力があるから私自身仕事としてやっても当たり前に成り立つんだろうと思う。考え方が普通とは違うの塊みたいなところで成り立っている。そういう普通と違うことができるのが大事だと思っていて、また、そういうのに多くの方が興味を示していただけるんだろうと思う。

仕事で接する人でも業務的な人が多い中で、考え方が普通とは違うタイプの人がおられて、それは個人作家さんだったり、ブランドのデザイナーさんだったり、経営者の方だったりで自分で自分の世界を作っていける人。それは母親が子供の為に夜なべして何か作ったりするのと同じ感覚なんじゃないかと思う。実際、米原のイベントでも初日に60枚くらいのキッチンクロスで、次の日の分が亡くなったので、夜中に裁断と縫製してまた70枚作った。2日目もすべて無くなって、自分が企画したことがうまくできて喜んでもらえて良かった。初めてのリネンのキッチンクロスという人も多かったので、使ってもらえるのが楽しみである。
2021年01月25日
延長されてこの3月末までは雇用調整給付金があるという話を加工工場さんに聞いた。雇用調整給付金がなくなると、繊維関係の会社の多くが雇用を維持できなくなるだろうと思う。アパレル関係は特にものが動いていないから。動いていたとしても流れる量が減って利益が上がっていないものが多いだろう。

縫製関係の会社では少し仕事が戻ってきたという話を聞くことが多いが、海外の縫製工場でやっていた仕事が、海外出張できないから、国内にシフトされた影響もあるのかもしれない。

林与の仕事関係のお客様は例年通りに仕事を発注くださったところが8割方で、一方で、取引先の二つの会社がコロナ以降、倒産あるいは更生法適用。手形や売掛金は大きな金額ではなかったので問題なかったけども、コロナの影響というのは特に高級アパレル関係がダメージを受けている。

もし、林与がアパレル向け生地100%でやっていたら、このコロナの情勢では、会社を回していくことは難しくなっていただろうと思う。コロナ前から、ここ数年アパレル業界は落ち込んでいて、消費税増税のあとは完全な不況モードで国内の生地生産は大幅に落ち込んでいた。さらにコロナで都市部の店舗は閉鎖で、去年の春夏物は残り、それを今年の企画として使うところも多い、今シーズンの国内のアパレル向け生地生産は壊滅状態。

4月以降、社員を抱えている繊維関係の会社では、雇用を維持できなくなり廃業やリストラが行われるだろう。多くの人を抱えている会社ほどその雇用の維持が難しくなってくる。私みたいなタイプだとコンビニのアルバイトでも別に構わなかったりするけど、そういう柔軟性も働く人に必要じゃあないのかと思う。繊維関係でも、アパレルや売り場にいる人が、製造の現場などに入って見たりすると、今まで自分がやってきたことはほんの一部だったのが分かると思うので、柔軟性が大事じゃないかと思う。

繊維関係の転職で多いのが、生地問屋さんなどが廃業して、他の問屋さんに移られたり、また、自分で問屋業をやられたり。生地問屋さんの方も、生地の製造の現場に入ったりして見られると良いのではないかと思う。また、他の業界に飛び込んでいくのもよいと思う。

私も、会社が家族経営規模に戻したときに、大阪の若者ばかりのソフトウェアの会社、またそのあと最先端のコンピュータの製造工場の3交代を経験した。繊維業界とは違ういろんな感覚に触れることもでき、繊維業界よりも一つのミスも許されないみたいな緊張感があった。そういう経験も今の織物の会社の経営には生きているところがあって、そういう経験がなければ繊維業界的な概念で経営を捉えてしまってできることも駄目だと思ってやらないことも多いだろう。

ソフトウェアの会社は、能力主義で、能力がないと残れない。コンピュータの製造工場は、スクラップは反省書だが、社員の福利厚生もよかったが結局数年後閉鎖になる運命。繊維業界のような人間関係で成り立つみたいなところがないのが印象的で仕事をちゃんとしないと残れない厳しさがある。繊維業界でそれをおっちゃんおばちゃんに強いても絶対に無理だろう。伝統系の田舎の織物業界というのは3Kのように言われるけども、ありえないほどすごく緩い業界だと感じる。

人間関係で成り立つ社会というのは、外の人間関係のない社会では通用しにくいもので、外の人間関係のない社会でも通用するように、人を育てていくことが大事だろうと思う。
2021年01月25日
事務所の10年選手のFAXコピー機が、スキャナーの調子が悪く画像がやや黒っぽく映る。保守契約してあるのでメンテナンスサービスの人に来てもらうが、もう部品が手に入らないかもという話。白黒のFAXコピー機でも業務用というのは新品の契約だと50万円以上したりするもので、部品がまだあることを祈る。立ち上がりが早く操作がシンプルなので好きなのである。

部品が手に入らないなら、手持ちのカラーの複合機で代用する手もあるのかなあと思う。今のところ、カラーコピーしか使っていないがFAXも大丈夫だろう。A3のカラーレーザーの複合機が欲しかったので、出物があったので3万円で手に入れたものだけど、今のところ互換トナーを入れたりして格安モードで使っているけども問題はない感じ。保守も入っていないので維持費も無料だし、立ち上がりが30秒くらい掛かるのを除けば、プリンターとしても使えるし、ドキュメントの保存もUSBにできるし、コンビニのカラーコピー機以上のことはでき悪くはないのである。

怖いなあと思うのは、そんなA3のレーザー複合機が中古だけどきれいでカウントも少ないのが、わずか3万円で手に入ったこと。日本じゃあもうものづくりは難しいなあと思うのもそのあたり。

そのレーザー複合機は、保守契約も入っていないし、さらには、トナーも互換トナーを使って気軽にカラーコピーが使えたらなあと思うことを実現した。コンビニのカラーコピーなんかもトータルで考えると安いけども自分の好きな用紙を使ったりとか、自分のやりたいことが出来なかったりするので、自由に使えるカラーコピー機が欲しかった。もし何かあって動かなくなったら自分で治すしかないけど。

2021年01月24日
繊維の業界では女性の方が代表を務められていることも多い。男が社長になっているのと違って、扱うものに思い入れを持って経営されている方が多いなあと思う。男の場合には、業務的に家族を支えるに働いているというケースが多いだろうと思う。

私自身、繊維の世界は自分には向かないんだろうなあと思いながらも、繊維云々というのではなくって人生観とか仕事観とかそういう部分で、繊維の仕事が他の業界の仕事と共通するところがあるなあと思っている。コンピュータプログラミングの世界と織物の世界というのは非常に似ていて、出来上がった織物というのは、ソフトウェアの動いている画面みたいなもの。

私の場合には、ものづくりが普通と違う部分があるのだけども、私を取り巻く背景みたいなものがありえない状況だったりするから、普通に仕事するなんて言うことは別に大したことでもないと思っていたりして、仕事で仕事するのを迷っている人とかには、普通に仕事したらいいだけじゃないのかなあと思うことも多い。

目の前の問題を自分で解決できるタイプの人と、それを解決してくれる人を探すタイプの人に分かれる。私自身も仕事でも初めてやることが多かったりするけども、一か八かでベストと思う方法でやってみるしかないと思って、そこにお金と時間を使ったりする。失敗するかどうかを見るためにお金と時間を使うのである。みんなそれをしないで解決してくれるプロを探そうとするからなかなか仕事が見えないんだろうと思う。プロがやっても同じことで最初の1回をやるかやらないかの違い。

織物を企画するのにデザインだけじゃなく、計算力みたいなものは必要で、糸量を計算したり、糸本数を計算したりできないと、なかなか、織物を企画するのもイメージだけに終わってしまう。学校で勉強するとデザインとかの部分が中心なんだろうけども、最後、物性検査を通るとかの部分が非常に大事だったりするので、物性面を押さえた上で、デザインをしていくのが一番無駄がないモノづくりになってくるだろうし、既存の設備にあったものづくりに落とし込むことが現実的なものづくりで、実現性も高くなる。

いろんな制限や制約があるのを知っていくのがものづくりのプロの世界なんだろうと思う。知識だけが広い人というのもよく見かけるけども、何か一つの仕事をやろうとしても、いろんな制約も知らないと、その人自身の知識が一つの仕事をする上で制約となってしまうこともあるので、お互いそういうのを乗り越えていける人と仕事はしたいなあと思ったりする。

私は仕事についた時から、やっていることに関しては分からないよりも理解しておきたいなあとか、できないよりできるようになりたいなあとおもってやってきて、それが業界でとかいうより、どんな仕事してもやっていけそうな力につながっているので、新しい人にも同じようにいろんなことを理解してもらい、いろんなことをできるようになってもらいたいなあと思っている。

自分自身がいろんな経験をしてきたのでいろんな経験をすることの大事さが分かるけども、新しいことを経験することを拒絶するタイプの人は、経験者でも多い。それは若い時から新しいことをいろいろ経験してこなかったからで、一般的に、経験が長いはずの年配の人ほど仕事ができないといわれる残念な話もそこで、新しい仕事をする必要があるときに新しい経験を積む必要があるがそれに適応できないという問題。若いころからいろいろと新しい経験を積んで適応力を持っておくことは大事で、適応力のなさが仕事の出来なさにつながる人が多く。目の前にある作業も素直にやれないにつながったりする。
2021年01月18日
高宮の中山道沿いには、趣のある昔の商家のたたずまいが残る。2階建ての細長い窓のある土塀的な特色のある建物、大工さんが同じかその別れが建てたから似たような商家が並ぶんだろうと思う。

100年以上の建物が昔のままに残っているのは本当に希少で、リノベーションよりも、昔のままさらに100年後にでも残してもらいたいなあと思う。リノベーションしたら20年ほどは使えても、さらに何百万円の大掛かりな改装をする価値もなくなり、取り壊しになる流れだろう。100年保てたものをそのまま、次に残すほうが価値があると私は思うが、そのあたりが普通とは異なる私の判断。


2021年01月17日
昨日の夜も、ハギレキッチンクロスを用意して朝に洗いを掛けて乾燥するも出発時間までに乾ききらずにアイロンがけし始めるも時間が掛かるのであきらめて、会場でアイロンがけすることに。

会場について昼食を取ってから午後1時くらいから会場準備。電源を借りることができて、アイロンがけも順調に来場の方は昨日の2倍くらいか。リネンのキッチンクロスというものは間口が広いというか、7割とか8割の人が興味を示していただけるようなアイテム。また、男性の方でも年配の多くの方が、滋賀県での麻織物が残っているということに興味を持っていただいている。そういうのを簡単に味わえるのがキッチンクロス。

長栄座を含め、滋賀県の行政というのは麻織物文化の保存に対しての思い入れは強く持っていただいているのを感じる。もう実際に近江湖東産地での麻織物の生産というのは本当に限定的になってきているのを感じてしまう。イメージ、林与は細番手の先染め織物を織ることを得意とする会社。他に、広幅の白無地の量産が主体な会社さんがあったり、ラミーが得意な会社さんがあったり、綿麻が得意な会社さん、サンプルに特化した会社さん、着尺が得意な会社さん。着物系では伝統工芸的なものを残しておられるところがある。でも、もう6軒くらいとかの世界。日本の麻織物の本場だった、近江湖東産地での産業的な麻織物の世界は風前の灯状態が続いている。

私は、経験のまったくない人にでも、糸から織りあげるまでの織物をつくる作業を1週間から2週間あったらできるように教えることができるけど、その知識を得たとしても1回1回の生産の単純な一つ一つの工程が、作業する人の総合力みたないものを必要としており、あとはその人の人間性。目の前の糸や織機じゃなくって、知識や経験があったとしても、自分自身が前に動かして行くという要素が強くないと、毎回の1回の仕事が、正しい織物までには出来上がらない。そのあたりは最初から最後までをやる作家さんと同じだが織物の場合にはその工程が本格的で長い。そこが本当に一番難しいところだろうと思う。やったとしても迷いがあるうちはなかなか大した仕事にもならないだろうし。何十年の職人さんたちでもアーダコーダいってると大した仕事にもならず、なりあがってしまうと、意欲のある海外の仕事をしたいの人のものづくりに追い抜かれていくのもよくある話。

私が絣織物などを海外で展示していると、中国の織物関係の人というのは一生懸命にどうやってつくるのか知りたがる。自分ができないことを他の人がやっているときに、自分がそれをできるようになりたいと思う最初の一般的な素養みたいなものが普通にあって、面白い話だけど、布というのは言葉みたいなもので布というのは布つくりに興味をもっている人に語り掛けて布をつくる十分な経験を持った人が気づいて、最初から何十年の関係のような気分で布の話が出来たりする。

違う場所で何十年まったく接点ももたないながら仕事をしていながらも、追い求めているものは同じみたいなところで、一緒に長く働いて来た人と話すように布の話ができたりする。林与自身は小さな工場が自分の世界のほとんどだけども、その古びた工場の中でやってることが案外誰もができないことだったり。インターテキスタイル上海も数千社が出ていても、私もある年に勉強の為に1日展示されたものを見て回ってみるけど、麻織物に関しては、自分と同じ波長をもった布を展示している会社は2社、3社だけだった。そのうち2社は、林与のものづくりに同じ波長を感じて相手からもコンタクトがある。日本の織物に興味をもたれているのだから至極当然のことなのかもしれないけど、案外ものづくりの世界は狭かったりする。

私自身も麻織物に関する情報を発信して正しい情報も常に求めようとしてはいるけども、同様かそれ以上に麻織物に関係して特別の経験を持っておられる世界中の実際にやっておられるいろんな方が私に正しい情報をくださることに支えられているのが林与。滋賀県の田舎の小さな工場のおっさんながらも、世界規模的な麻に関する情報に関して不整合な部分は本当にないから偉そうに正しいとやって行ける。

あるとすれば日本の一部の大手糸商社さんのサラリーマン的な隠し事とか、糸を売りたいのに糸の情報を一生懸命に隠されていてもその程度の情報は糸を仕入れられているあなた以上にその会社の経営者やあなたが窓口にしている人と話も麻に関するよもやま話でしているから、その会社に対して別の中国の麻の紡績工場からの信用情報のリファレンスが私にあってその大手商社さんが大丈夫かどうかのアプルーバルしたのもその日本の大手糸商社さんの今後の世界的な活躍に期待するからだったりする。世界の麻の紡績にしても私自身の日本の業者さんをそれなりにプロモートしているのだから、偽装とか情報隠しとかは駄目だよと思う。実際はやってる人からの情報がすべてで、それを間に入る人が正しく伝達するか、化かして金儲けしようとするかの問題。

ある滋賀県の繊維の製品関係のメーカーさんに対してのリファレンスや紹介依頼があったときに、私自身、生まれてからまったく聞いたこともないけど、全国的に有名らしい。大手アパレルサイトでPRやTVショッピングされていて国内一貫生産の最高品質で全国的に有名になったらしいが、地元のその会社の経営者をしっている人に聞くと日本的に有名でも謳っていることが本当なのかどうかすらがあやしくてやばい話らしいとか本当のようで、逆に大手にありがちな繊維の世界の素人に近い感覚で、海外仕入れしたものを縫製はやってられるようだがメディアでは日本国内での一貫生産に化けているとか、化かして売る世界が普通なのが元気な日本の繊維業界。金融関係のひとも県内で元気な一押しの優良なよい企業だと林与に紹介したいという話だったけど、本当の情報は地元の信頼できる人から聞いてしまってて、金融機関がそういうイケイケの会社を優良企業と考えてしまっているあたりからして、まともな繊維業界を育むことは難しい。仕入れたものが簡単に謳いだけで10倍に化ける世界がそういうところにはあって、その一番の謳いが一番怪しい世界だったり。林与でも謳いだけ騙せば、簡単に利益を上げることはできるけど、そこを踏み外せば、別に繊維業界にいる必要もなく、詐欺電話の知識や判断力の浅い一般の人を騙してなんぼの世界と同じ。

日本の繊維業界はそれなりに狭くって、ものづくりなんてどこでもできるようなものじゃなく、それなりにやってるところは構えてやってるけど、商社やブランドなんかが化かして売るの路線に走ると、1で仕入れたものを10で売る世界。生地商社を出られて独立された方がそれが自分の仕事と偉そうに言われていたが、厳しいという話があれば、まともに受けて、作る側はなんとかその人にも利益があるように値段を下げて下そうと考えている。小さくなってしまった日本の繊維業界だけど、生き残っておられる方の感覚が騙したものが勝ちになるのが日本の繊維業界なら早めに終焉したほうがよいのではないかとも思う。普通に中国原料仕入れで国内縫製とかでよいじゃないか。
2021年01月17日
仮想通貨には本当に気を付けたほうが良い。通貨の根本は借用書であって対価を返せる後ろ盾がないと無尽蔵な偽装通貨と同じ。投資的な変動制の仮想通貨というのは返さない可能性もあるもの。通貨本位制の仮想通貨は、例えば同じ金額の預金を確保してある前提で発行されるのだが、そういう通貨本位制の仮想通貨と変動制の仮想通貨との組み合わせがやばい。

ビットコインというのは得体のしれないものながらブロックチェーンというもので偽装などができないしくみ、通貨本位制の仮想通貨は企業単位が発行できるようなもので、実際に預金を確保してあるかは、日本の豊田商事事件と同じようなもので外部の者が分かる話でもない、そういう不透明な仮想通貨が大量にはこうされビットコインと交換されることによって、ビットコインの相場が高く取引されて、相場は偽装されて、そういう裏側をしらない、たとえば日本人が何百万円の現金でビットコインを買って、ビットコインを、得体のしれない発行しまくれる偽札のようなものと実際の現金の媒介手段とさせてしまうような裏側が危惧され始めている。

一つの会社じゃなくて国が発行している通貨ですら、借金ですら。デフォルトがあれば価値はなくなるのに、一つの会社が発行する得体も知れない仮想通貨がビットコインを動かして、ビットコインのブロックチェーンを信じている人たちから実際の通貨を抜いてしまうような話。日本政府にしてもビットコインや仮想通貨を通貨として認める側だけども、ビットコインなどを介して、日本円が無尽蔵に発行できる後ろ盾のない仮想通貨と交換されてしまう可能性もあるわけで、恐ろしい話なのである。

FXなんかも相場があるようで、自分が信頼してお金を預けるFX業者とのお金の取り合いであるという現実があってロスカットビジネス。先物取引などでのよく聞く話と同じ、儲かっているうちは現金化させずに追証地獄にどうやって落とし込むかがビジネスの基本。2年前は1月3日、今年も1月4日、日本の商いが薄い中、日本の個人投資家がロスカット狙われた。胴元からすれば、匙加減で、お客から預かったお金を狩りたい放題の状態。裏側知らずだと、自分がさばかれるために自分からまな板の上に乗って行くようなもの。
2021年01月16日
昨日、本麻が加工から上がってきた、色味がズバリになるか心配をしていたけども、ズバリでよかった。加工前に糸で比較していた時には若干赤いかもとおもって心配が続いていたけども、経糸の黒というのはどうしてもモミが入ると色が汚染をするから赤味が打ち消され茶色味に変わったようである。サンプル時の生地と同じ色味にズバリで大満足。

せっかく仕事しても上がったものの色味がズレてしまうと悪い結果でしかなくなる。過去のサンプル生地から色をとったりすると、どうしても染色ロットの関係や、加工ロットの関係で、色味が本生産の時にずれてしまうことがある。

たとえば10年前につくった本麻のロイヤルラミー糸と、今のスーパーロイヤルラミーが同じ色に染まるのかという問題がある。染料だってメーカーが同じ染料を続けているかどうかも怪しいし、メーカー染料の色の廃番も頻繁にある。

原色をそのまま使っているとか以外で、3つの染料を配合したりして色をつくっていたりすると、廃番になる確率も高くなり、同じに染まるというのは奇跡に近いことだったりする。また、20kg、30kgで染めるとの、3kgとかの染では窯の大きさも違うし浴比なども変わってくる。同じに染まることのほうが奇跡かもとおもうが、ほとんど同じ色味に染まりあがってくるのでさすがだなあと思うことも多い。

同じものを同じにつくるというのは、何か一つでも要素が変わると極端に難しい話になってくる。今のように、スポット的なものづくりが多くなってくると過去につくったものとは背景が変わってしまっていることがあり、自分の推測なんかを信じて一番正しいと思う組み合わせで作ってみるしかない。織物も織った加工前の糸の色と加工後の糸の色では違うのは当たり前で、それがどう見えるかは想像で加工前にどの糸を使うかなどを決める。林与のなかで、染料が廃番になったとかで廃番にしてしまった色もあったりで、近い色で代用するしかないことも多いけど、答えが本当に正しく出るかどうかは、整経している時も織っているときも加工に出すときも胃がキーとなる思いの時がある。一つ色がブレてしまえば1か月とかの仕事がやり直しもある。加工から上がってきて結果が正しいかどうか分かるのである。

今は本当に、先染めのチェック柄などは減ってしまっているけども、麻の先染めというのは本当に希少なものになってしまった感がある。縦も横も色が同じなら同じ糸を使えるのかというと一般的にリネンの場合にはイエス、ラミーの場合にはノーである。ラミーの場合は毛羽が多いので強い糊をつけておく必要があり、強い糊のついた糸というのは横糸に使うには不向きなので、横糸は無加工(無糊)の糸を使うのが正解なのである。リネンも番手やロットによっては、いろいろと前処理的なことをしてから織ることもあったり、レピアでおったり、それが難しければシャトルで織ったり、その時々に応じて、正解を見つけるしかない。織れないときには、調子の良い織機に経糸を載せ替えて織ることも多い。

林与には30台くらいの織機があるけども、その設定はどの台も異なっていて、縦本数が違ったり、高密度用だったり、定番ストールに特化した織機だったり、いつどの規格の注文が入っても機を載せ替えることなく、調整を掛けることなく、織ることができるようにしてある。一つ一つの台を一つの織物規格に特化させているような感じ。普通は同じ規格の織物なのでうまく織れることが多いが、織れないときもあってその時は糸の問題や糊付けの問題を疑ったりすることができる。少ない人数でいろんな規格の生地に対応するためには、いろんな縦本数に特化した織機をたくさん持っていることが得策だろうと思う。

30台織機があっても、そのうち動いているのは5台から6台くらいで、順番に縦をつないだりして準備も並行しながら5台とか6台を動かして行く、遊牧民のように仕事に応じて使う織機が変わってゆく。1年経つと同じお客様の同じ仕事をいただくことも多いので、1年に1回しか動かない織機もあったりするが、1年ぶりでもちゃんと動いてくれるんで、昔の織機ってすごいなあと思う。
2021年01月15日
今日は明日からの米原でのロビー展示のための準備。例年参加させて頂いているイベントではあるものの、今年はコロナの影響で少ないだろうと思う。残しておいた大きめのハギレでキッチンクロスを縫製して熱湯で洗いを掛け乾燥。お好きな大きさのを自由に1枚プレゼントして、来場される方に、リネンのキッチンクロスを体験して頂こうと思っている。

滋賀県の人でも、近江湖東産地で織られた麻織物を実際にお使いいただく機会というのは本当に珍しいことだろうと思う。昨年はパープルのギンガムチェックのキッチンクロスをプレゼント、今年は白いキッチンクロスをプレゼントの予定。コロナのステイホームでキッチンクロスなどの家庭雑貨も今は人気は上昇中。

他に、公演の開始前や合間の時間に、手織り体験ができるように、簡単な手機を2台持ち込む。あとミシンも持ち込んで、キッチンクロスか、マスクをつくるところを実演しているのを遠巻きにみてもらって、繊維のものづくりに興味をもってもらおうと思う。今はコロナで、手織りや縫製なども人気で、手織りや縫製が簡単にできることを知ってもらえれば、ステイホームの時間を楽しく気長に作業に取り組んで過ごしていただけるきっかけになるのではないだろうかと思う。

少し、雪の心配があって、彦根より北の米原は結構雪が積もる場所。この2日間、車で荷物を持っていくので雪が降らねば良いと願っている。
2021年01月14日
ある展示会の英語の冊子を作るということでプロの翻訳がキッチンクロスを、意味も考えずにチンにこだわれば鉛のクロスに化ける。それに違和感がないのがプロの翻訳の世界で、業務的に低度の機械翻訳しているからだろう。訳も分からず業務的に機械翻訳したのをそのままな世界でお金をもらうプロの世界。

日本のプロの世界というのがその程度になってしまっていてそれにお金を払うのが無意味。お金を払ってプロが翻訳したものを、根本的なありえない間違いだと指摘する力が依頼者なければ、繊維業界の普通の正しい情報伝達も難しい。

翻訳代を払いながらリネンキッチンクロスが鉛のクロスに化けてしまう話。私自身は英語に関しては知識があったから指摘ができたけど、そんなレベルなのが繊維の情報で、プロ的な他人任せだとどんどんと意味も分からずに説明して化ける世界。

リネンキッチンクロスが鉛のクロスにかわって違和感もない世界、というのは笑えるよ、それで頼んでお金払ったお客が側が、翻訳の誤りを指摘して校正して正しい情報に。お金貰うのはこちらじゃないのかと思うけど、その程度が今のプロの翻訳の世界。素人の趣味の人の素人翻訳の方がましだったりも当たり前。

小さな文字のLAGERがLAGARなんてのも気にすることない程度の話。日本人にとっては分かりやすいジャパニーズイングリッシュで間違ってても正解で良いんじゃないのか。アパレルでよくあるのが、英語表現としてはおかしくても、文法的にただし日本語英語は許容範囲だったりして、日本人が読んだときに通じれば逆にそれは文字に込められたコンセプトを伝えるのに意味があるかも。

よく、海外の人が漢字の意味も考えずにタトゥーをデザインとして取り入れているけど、あれはあれで、タトゥーのような一生ものでもそれほど深い意味を考えずに気に入るか気に入らないかの世界は海外ではゴロゴロ。日本人は几帳面すぎることが取り柄でもあるけども、労働人口も少なくなってきて新しい企画をするというのは、趣味の人よりも時間を割けないような状況でものを生み出して行くのが今の制限ばかりのあるものづくり。まともに行くほうが難しいことが多いので、自分がやらずに他の人がやる話にばかりなって、結局、ものづくりの髄は海外でもやるが多い。

アパレルでよく引っかかるのが、ケアラベル。日本向けのタグの1字まちがい。「あ」と「お」を間違えたり、lと1を間違えたり。誤植レベルの問題だけども、そういう小さなミスが全部のタグの取り付けを国内でやり直す需要とかがけっこうあったり。商品を作るよりもタグに力を使ってしまうような話で、正しいことなのだろうかと思える。
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