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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年08月10日
今日は京都の事務所に行って知り合いの伝手でにモデルを頼んでマスクの撮影。あまりデジカメを使っていなかったので本体は思っていたことろにあるのに充電池とその充電器が見当たらなく、本格的な一眼レフのは使うのやめて、予備でもっているスマフォで撮影することに。スマフォのほうがきれいに撮れることも多いのでスマフォを侮ってはいけないのである。

久しぶりに行った京都の事務所だったけども、作業場的によい感じの空間だった。事務所の周りの建物もいろいろと新しくなって、裏もきれいに整備されたりと、まだまだよくなっていく場所なんだなあと思う。昔は、3条通りを挟んでいろは旅館があったのだけどもう新しい建物に変わって。隣の建物の下もカフェになっていて、ちょっと気晴らしにうろうろするのにもよい場所だなあと改めて思う。

京都の事務所に分厚い無垢の木の板がテーブルの上にあったが、あれは林与のものではなく知り合いの人のものなのだが、木のインパクトがあってあの板がいいねと思った。大事のもののようで、ミカンを剥いた皮を直接置いたら注意された。超巨大なまな板みたいな板なので・・・

そのあと、知り合いの知り合いである関塚さんという草履作家さんが岩倉の山のほうでアトリエをされていてイベントをされている最終日だということで、突然だが伺った。何人かの作家の方との合同展の形で、信楽の方もおられたが信楽のイメージとは異なるモダンな創作。フランスの方も木のテーブルや椅子などを作って出されていた。

古着を専門で出されていた方もあり、その中にビンテージのリネンのスリーピースが目に留まった。リネンの25番手くらいのキナリでしっかりとした生地。この色味というのは、倉庫に残っているルブランの生成りのいろとそっくりで、同じリネンでも今のリネンとは全く異なる世界。このリネンはふっくらと柔らかいのではなくソリッドな硬さをもっている。よく一般に言われるビンテージのリネンについてだけども、多くのものが実際にはコットンで、ビンテージリネンでもリネンはらしいものが多かったりする。

世の中の流れで新しくつくった服よりも古着のほうが見直される時代になってきた。古着というのは今の服にない価値がつまっているようなものがあって、日本の着物のそうだけども、今つくろうとしてもつくれないものや何百万円の価値観がそこには詰まっていると思う。

サイダーを販売されていて、それが日本のサイダーだそうで、4種類あったけども、それぞれが別の会社のもの。一般にうられているサイダーというよりも、レモン水そのものみたいな味で、大人の味。小さな瓶の一本だけども飲みごたえがあった。
2020年08月10日
戦後というよりも戦前の特徴だと思うのは、身の回りのものは小さなころから買うのが普通じゃなく、作るのが普通だったので、戦前の人のモノづくりというのは個性がある。小さなころからデザイナーみたいな生き方。

昭和40年代くらいからは、テレビ文化まっさかりで、時間があればテレビを見るのが普通になって、個々の人間が生み出すものも少なくなってしまったと思う。サラリーマン化が進んで所得が増えたこともあって作るよりも買う時代に突入。

自由にいろんなものを生み出せる人は少なくなったと思う。ミシンなんかもJUKIかBROTHERか、自動車も各国に数社の大手メーカーが、それも各メーカー似通っている。メーカーがオリジナルを生み出すではなく、共通仕様に向かう。今はMACもウィンドウズもほぼ同じような感じになってしまった。

デザインの世界も、絵心みたいなものがある人が少なくなったんじゃないのかと思えたりする。人の生み出す可愛さとかが昔のデザインにはあった。ディズニーのCGアニメーションの世界はあんまり好きじゃない。オリンピックのマスコットなんかも、コンピュータソフトで簡単に描けそうで単純すぎて可愛さがないのである。

対象や昭和の広告のキャラクターとか、絵心があって面白いなあと思う。金鳥の蚊取り線香のマークが何で鶏なのかも、鶏の匂いを蚊が嫌うからみたいなのとか、単なるデザインではなく一つのロゴにもストーリーがあって面白い。

2020年08月10日
私自身、いつも思うのが今動くか動かないか、今動かなければ将来も動かないだろうし、今動けばその経験は将来に生きてくる可能性は高い。動くといっても、他の人に動いてもらうと費用も掛かるし、それが毎回の事になるので、動くとなったときには、自分のできる範囲で自分が動くということにしている。自分が動ける範囲でやるので、できる規模なんかは限られてくるけども、こってりと経験できるし、やるもやらないも自分次第だと思う。

プロの人が趣味の人よりも上手かというとプロの人の場合には設備が整っていての部分が強みだろう。趣味の人というのは設備が整っていないのでいざやろうとすると苦戦することが多い。まあ、設備から手作りとかDIYでやっていくのが良いんだと思う。ゼロから、こってりと経験できるから。

昔と比べて、道具をつくるにもいろんなものがタダみたいな値段で手に入ることが多い。中古で使えそうなものを買ってそれを活用すればよいのである。新品を分解するとかはちょっと気合がいるだろうけども、中古でいくらでも手に入る分解してもよいくらいの値段のものを手に入れて、それを試してみるということが良いんじゃないかと思う。それでうまくいけば、それでモノづくりをして儲かるなら新品のちゃんとしたものを購入すればよいと思う。

プリントなんかでも、型紙彫ってやったものというのは、完璧な設備や機械でやるのとは違って、味があって悪くないと思う。まあ、絵を描くのとコピーするのとの違いで、手描きの絵に愛着を感じる人も多いだろう。林与のシャトル織機で織る織物にしても、洋服になったら耳の部分は使われることがすくないので、あんまり分からないかもしれないけども、シャトルで織ったものを欲しがってくださるマニアの方は多い。

私にとっては、シャトル織機も設備というよりも生地を作るための道具であるし、私の手や頭や体、足も道具といえば道具だと思う。普段右肩でビームを担いでいて、おとといたまたま左肩が気持ち悪かったので、刺激を与えようと、左肩でビームを担いでみた。左肩の筋肉はビームを担いだことがないのでウブなんだろう、担いだら痛くて痛くて、右肩とは大違い。ビームを担いだことのない人が初めてビームを担ぐときに感じる痛さ。

作業する時には必ず利き手を優先して使うようにしている。右手でやろうが左手でやろうが同じとは思わない。布の厚さを見るときにも、右側を右手で挟んで、左側も右手で挟んで厚さが大丈夫か確認する。多くの人が右側は右手、左側は左手で挟んで布の厚さをみようとするけど、同じ手で確認しないと違いなんて分からないだろうと思うのは私だけだろうか。

織物というのは、規格があるけど、規格には縦インチ何本、横インチ何本とか。横の打ち込みが同じだと同じ厚さに織れるのかというと、密度の高い織物だと経糸のテンションで打ち込み密度は変わってくる。テンションを強めれば打ち込み密度は上がる、テンションを下げれば打ち込み密度は下がる。ドロッパーの前に畔棒を入れるのは、糸のテンションを上げるためである。ドロッパーの後ろに畔棒を入れるのは、糸同士が回転して1本になって、ドロッパーに引っかかるのを防ぐためである。

麻織物の場合には糸が切れやすいのでドロッパーの後ろに畔棒を入れる必要はそれほどない。整経の時に、上の畔下の畔を取って整経しておくことが基本だとはおもう。切れにくい糸の場合には、糸が引っ張れても切れないので織れている織物の糸が1本細く吊れてしまうような現象が起きやすいので、ドロッパーの後ろにも畔棒を入れてあげるべきだろう。

富士吉田の前田源さんから聞いて謎がとけたのが、なぜ絹織機は後ろが長いのかという問題。ビームからソウコウまで2mほど後ろがながくとってある。それは昔はシルクはフシが多かったので、そのフシを織りながら取るためだということ。綿織機やスフ織機は、後ろが短いのはフシを取る必要がないからということ。今の時代には絹織機はフシを取る必要がないので別に後ろが長い必要はないということだろう。

織機は小さければ小さいほど手も届きやすくなり扱いやすくなるのだが、それをやるとビームに巻く経糸の長さが限られてくる話になるから、小さくできないんだろうなあと思う。織機というのはちょうど車1台分くらいの大きさがある。林与の工場の中には、30台くらいの織機があるから、車を30駐車できるような工場のスペース。

織機は床にアンカーボルトを打って固定するのだが、固定していないと振動で浮き上がって動いてしまう。織機の場所が自動車を駐車場で入れ替えるように自由に動かせたら織機の入れ替えも楽だろうなあと思うけども、なかなかそうはうまくはいかない話。


2020年08月08日
朝早くに動き出して昨日始めた整経を終え巻き取り、今は、整経屋さんというのが消えてゆく運命にある。整経という作業も単純そうに見えるけども、織る人よりもしっかりしていないと整経の失敗は致命的な失敗につながる。

あと、整経の作業はやった作業を確実に記録しておかないと、次の時に同じものを作ることが難しい。糸の管理や糸の計算ができる人でないと整経はできない。このあたりが、整経作業は工場の中でもできる人がやっていないとあとあと大きな問題につながる。プロの整経屋さんという仕事があるのもそのあたりが関係している。整経の負担が亡くなれば、織物工場は仕事量は半分以下に減るだろう。

また、経糸をつなぐ仕事も専門の業者がいたりする。この作業もなければ織物の作業量はまたさらに半分に減るだろう。麻織物の場合には加工だし前の検反作業や補修作業が織るのと並行して行われる。織物工場で実際に織るという部分はメインのように見えるが本当に一部の部分でしかなく、糸切れで止まった織機を再開する作業というのは車を運転するのと似たような感覚で、誰でもが携わりやすい仕事。

もちろん、糸調子などの調整は含まれるので、それが上手な人と上手でない人の差だけでも、大きな差となる。今織っている織物も、耳までもが大事な織物。織物を織ることは簡単でも耳まできれいに織るとかなってくると何倍も難しい仕事となって、できる人とできない人の差が出てくる。

織れば売れる量産の時代というのは、作業的な負荷の低い織る部分の仕事のウェイトが大きくなる。それが小ロット生産の時代に移行すると、織る部分の仕事のウェイトは極端に減って、全体の作業負荷は何倍にも増すことになる。
2020年08月07日
シャトルの耳が揺らいで食い込む問題、織機に調整を掛けるがなかなか問題は消えない。そこで一休さん。なぜ、きれいに織れないかを考える。一つの結論にたどり着いて、新しいシャトルを使い始めたのが原因だったようで、古いシャトルに戻したら、それが正解で耳がきれいに織れ始めた。

1mも織れないどころか、織れば織るだけ問題の織物が織りあがる。何時間も考えていろいろと織機を触って解決もしない、解決もしないどころか、織機の調子は崩れてゆく。原因が分かって、織機の調整を最初の状態に戻す、今までの苦労は何だったのという話。でも、原因が分かってよかった。もし、分からなかったら他の織機に移動させて織っていただろうけど、その織機もつぶれてしまった可能性すらもある。

普通の織物を織っている時には、耳の部分は使わないので耳の食い込みは無視できる程度の問題だが、林与のリネンキッチンクロスは耳までリネンで織っている。それだけできれいに織る難しさが何倍にもなってしまう。こだわる人にとってはそういうところにあこがれを持ってくれたりもするもので、苦労のしがいもあるというものだが、時折の食い込みは味として受けれてもらおう。

2020年08月06日
昨日は、加工から定番のソフト仕上げが上がってきたので、ネットの溜まっていた出荷などを行う。手伝ってくれているのは夕方まで普通に工場で働いていてくれた女の子、気の毒だなあと思うのは、林与の身内が仕事っ気がないので、私自身が一人いろいろ抱えているのを家のものでなく仕事始めて1年ちょっとの女の子が、素直に働いて仕事を前に進めてくれること。若い人というのは偉いなあと思う。繊維の世界では新興国が日本を軽く抜いてゆくのを林与の中に感じることも多い。

日本人でもう器用な人というのは少なくなったなあと思う。器用というのは結局、仕事経験の豊富さで、仕事経験が少なくなり、一回一回の仕事の深さもなく、経験者ですらもそれほど器用じゃないということも多い。新しいものを生み出していくという力のある人は経験者にほど少なかったりする。逆に、20代の人のほうが新しいものを生み出して行く力を持っていて、私が若い20代が、何十年の経験者を1日の仕事にしても、軽く抜いてゆくのが今の日本。そういうのに恐怖を感じないと、いけないんだろうと思う。そしてそれをつぶすでなく、経験者たちはそれ以上に高度なことを当たり前にやってこそ経験者。

長年の経験者が、仕事面倒がってるくらいなら、次の世代にも害だし、早めにやめたほうがよいだろうと思うことも多い。今、日本人が働くことが、世界からあまり期待されなくなってしまって、結局、日本人が仕事できなくなるほうに日本の政府も誘導で、自分で自分の首絞めて気が付いた時にはもう手遅れ。政治五流が独特の汚さで、経済一流を、食いつぶしてしまった感がある。経済一流というのは、結局、経営者がではなく、現場の人が高度なものをつくる力があったということでそれがちゃんと働いているものに帰ってきたということ。ところが今は現場で働くものは底辺で、国がそれを吸い取ってしまって、政治力のまったくのなさから、国民が働いて納めた税金を世界にばらまいて良い顔するだけの政治家。

全国5000万世帯のうち、1000万世帯が課税収入が年100万円以下の世帯。物価や、医療費を考えると、途上国よりも生活してゆくのは難しい国になってそれを見えないようにしているだけのこと。戦争のときに軍部の上のものは安全なところで偉そうにしていて、国民の命がタダ同然で犠牲になったが同じことだろう。公的な扶助という名目で吸い上げて正しく還元すらしていない、老後の資金を奪う詐欺と同じようなことを、法律作って国や行政がやっては詐欺師よりも悪質だろう。

行政は、エシカルなことを考えるよりも、自分たちの取るばかり考えているのをやめて、恵まれない人たちに分け与えることを考えないと。分け与える何倍も一部のものが取って、取った後の残りを多くに少しだけ分け与えるようなこといつまでもやっていては、途上国にありがちな役人天国構造のまま。そんな役人たちが愚民教育的に人々をどんどんと食べていけないほうに誘導、給料が上がっても実際の手取りは増えず、上がった分どころか、その2倍を社会保険で国が取るとかありえない話。厚生労働大臣のやってる仕事って労働者を幸せにもしないし、じゃぶじゃぶの医療費づけそんなもの。国を破綻させれば破綻させるほど濡れ手に粟な儲かる連中がいるから止まらない。医科大学の理事長の賄賂問題みても厚生労働省や医療行政の汚いイメージが汚いまま、税務署が脱税で動いているくらいなのに、文部科学省や厚生労働省が問題だとして動きもしない。この国の大臣や役人たちは本当に無能で汚くなりすぎたが、そのくらいで成り立っているのが今の日本。途上国にありがちな、行政による汚染拡大を止めないと。日本は食いつぶそうとするばかりのものたちが多くて、これから生まれてくる世代が法律に縛られ搾取される奴隷階級ではかわいそうすぎる。児童労働よりも醜い話が日本の行政では普通の感覚。
2020年08月04日
2月にヨードのうがい薬の500ml大きなのを買っておいた。他の消毒液が品切れのなか、ヨードのうがい薬だけは売れ残り。普通に風邪の予防にも効くからコロナの予防とか滅菌にも効くだろうと。

なにが本当に効くのかは分からないけども予防ってそんなものだろう。意識というのは大事だろうと思われる。風邪にしても風邪薬はないと言われる、結局、自分の体の免疫力を高めることで治癒してゆくような話。

ヨードのうがい薬は新型コロナの治療薬としては意味はないだろう。中国でももちろん一番に試されたと思う。うがい薬としての効果はあるだろう。あまりさわぐことではなかろうと思う。

新型コロナの問題は、医療崩壊につながるというところ。これが完全にインフルとは異なり、病院が感染源になるというあたり。普通のインフルではこれはないが、新型コロナではこれがあるから、武漢、イタリアやスペイン、ニューヨークもそうだが、一人の感染者が何百人に感染を広げるという怖さがあるのが新型コロナの特長中の特徴。
2020年08月03日
昨日の夜は、徹夜モードで作業、追加で加工の生地を朝一番に投入。朝、スタッフの子が来てくれたのと交代で休む。体を休めることのできる幸せ、交代で作業ができるというのは急ぎの作業を進めていくうえで小さな工場の場合には本当に役に立つ。急ぐことを直線的に急ぐこともできるから。

ここ数日、仕事の問い合わせなんかもあって、午後に出荷に絡む整理するとやらないといけないことがリストアップすると10数件溜まり始めている。

単純作業というのは軽くみられるのだが、単純作業くらいができないと高度な作業とか総合的な判断というのは難しいだろうと思う。いわゆる意識高い系が実際には役に立たないといわれるのもそのあたりで、実際の単純作業を効率よく正しく頭で描くように自分自身で進めていける人というのが本当に必要とされる。

学校なら暗記力が大事だけど、仕事は暗記力はそれほど大事ではない。全部記録して確認するということが大事。頭のよいとかが仕事ではあまり意味がないのが、使える道具を使いこなして作業を進めていくということ、面倒くさがらず計算機使って計算とか、コンピュータ使って計算とか。効率よく仕事を進めていくために、道具的なものを使いこなして仕事自体を組み立てていく、そういうのができる人が仕事では強いんだろうと思う。

仕事には決断力みたいなものも大事だろうと思う、ベスト、セカンドベスト、サードベストなど、ベストな決断ができればよいけども、ベストの決断を取れないときに、セカンドベストな決断で進むことも大事で、何が大事かというと手法じゃなくて結果が大事だったりするが、作業している人というのは自分の一番簡単なやり方に固執して、いろんなやり方があってその中でどれを選ぶかということを考えられる人は少ない。一つの物事を進めるにもいくつものやり方があるけどもその中で一番間違いが少なく正しい結果が得られる方法が大事で、そのときに作業する人が確認など楽じゃないことをすればするほど作業の品質は上がる。それが苦なくできることが作業する人の高度な技術。

あれじゃないこれじゃないと時間だけすぎさってゆくのも決断力と行動力のないタイプ。決断できないならとりあえず行動してみてうまくいく方法を見つけるとかすればよいのにと思うことは多い。やってみてもうまくいくかどうかはわからないのに、やる前にいろいろ議論ばかりに時間を使っていても仕方ない。

あと、最初から成り立たないなあと思った案件は無理しないほうが良いだろうと思う。自分だけの問題でなく、難しいのは他の人の問題であることも多いから、自分がやろうとすれば逆にできないことはないだろうけども、自分にじゃなく相手にそこまでの覚悟があるのかの話は多い。仕事の場合、一つの仕事の決断一つに迷っているような相手だと毎回それの繰り返しで、実際の作業はその何十倍も時間使うので、自分が物事を決断できる人と仕事したいと常に思う。

織れるか織れないか分からない糸に何百万掛けるとか、売れるか売れないか分からないものに100万つかうとかも当たり前なのが、仕事を頼まれる側の機屋の普通の世界。自分のお金を使って掛けることに意味があると思うが、他の人のお金で賭け事して儲けるようなこと考える人が多いのが繊維の世界で、偽装や偽物なんかもたくさんあふれるのがそのあたり。自分を掛けることのできる人間はまだましだが、山師が多いのが繊維の世界だけでなく、日本にありがちなあぶくの世界。
2020年08月03日
麻織物に携わろうとすると根気みたいなものが必要で、うちの父親も母親も無理なタイプで、それで面倒なのを他の人にやってもらうのが当り前でやってしまったからそういう覚悟というか忍耐力がないとなかなか麻織物の仕事は難しいだろう。父親にしても母親にしても田舎の人なので、計算が得意とかもないし、飲んで仕事が父親で、食べるのが大事が母親で、自分が仕事するは無理なタイプ。

若い子に仕事を教えるときにも父親とか母親のような感覚だと仕事はそもそも無理なので、あまり仕事が無理な人には仕事を強要することも苦痛だろうから、やる気のある人だけで仕事をするのが一番だろうと思っている。仕事っ気のない人ほど、関わると致命的にやらないで投げ出したり文句言って偉そうにしてつぶすことが目的になってしまうから、最初からそういう自分が成り立たせる気持ちのない人というのは関わらないほうが良い。

経営者タイプの若い人がいたとしたらたぶんやめておいたほうが良いと思う。前澤さんなんかでも早めに身を引いたからよかったけど、続けていたら大きなマイナスだっただろう。自分が手や体を動かして働いているうちは繊維の感覚もぶれないが、それをしなくなった人というのは、人にものを頼むことやしてもらうことが仕事みたいになってしまって早く他の人にポジションを譲ったほうがよいかもしれない。仕事がめんどくさそうな話はそういう人から出てくる。



2020年08月02日
昨日からスカッとした夏の空、梅雨がようやく明けたという感じか。それとも、おととい久しぶりに台湾料理のお店で辛くてニンニクたっぷりのニラレバを食べてスタミナが付いたせいか?台湾料理にしてもあの辛さは辛いというよりも、痺れるような辛さで麻な感覚がある。

今日は軽やかに動ける感じ、太い糸でも切れることは切れるのでそれを縫って直すのは織る以上に時間もかかることもあったりでも、それをするのとしないのとでは大きく違う。布というのは縫う苧から来ているといわれる。私はたぶんそうだろうなあと思う。地機が腰機を指すとされるが、地機というのは元来は経糸を地面に張って、それを横糸で縫って布を作ったのが始まりだと思う。効率は悪いが誰もが思い浮かべることができ、一番簡単に布をつくれる方法。麻に縦糊を貼って一気に織ることも可能だ。中国なんかの村では麻を手で織るときに縦糸の糊付けはそんな感じ。アンギンなんかは上下方向に経糸を張るけど、地面と水平に糸を張る地機と似たような構造。

このカラッとした夏空は、麻を織るにはあまりよくない。湿度が低いから。細い番手の麻を織るのに適したのは雪に包まれた冬だと私自身は思う。今は雪が少なくなってどこで織ろうがそう変わらない。麻織物を織るというのは気温の下がる夜や、気温の低い冬場の仕事のイメージ。昔の出機さんが、織る場所は、太陽に向かって南に向いた玄関に近い出居の縁側が機場。冬場は、前栽の雪と面していて手もかじかんだだろう。

織物というのが自分たちの着るものをつくる手段だった。現金収入のない農村では着るものを買うということはせずに、家の中で織物が作られ裁縫されてが100年前までは当たり前だった日本。今は田舎でも普通に現金生活で、食べるものも着るものも居住にひつようなものもすべてお金がないと難しい。農村でも場所によるだろうけども、湖東地域の場合には、山側の地域は水利なども豊富でコメが確実にたくさん取れて豊かだった。

逆に琵琶湖に近いと農業用水の手配が難しく台風のたびに害で稲が全部倒れて水に漬かってしまうしまうとか、母親の実家が琵琶湖の近くだったからその生活は子供ながらに違いを感じた。農家でもあるけども、漁業的な生活をしていたのが琵琶湖の周辺で、食の恵みを琵琶湖や愛知川から受けていた。

琵琶湖の周辺では江戸時代には荒い織物が盛んに織られていたという記録を読んだことがある。蚊帳なんかもその一つだろう。今は平野が広がっている湖東地域だが江戸時代くらいまでさかのぼると。能登川あたりまで内湖として沼が広がっていた。安土なんて安土城の周りまでが琵琶湖だったんだから驚きそのものである。愛知川の土手の外は比較的住める場所ということで、愛知川の氾濫を抑えるために土手を盛り上げていってその土手の外側に人々が住んだ感じ。天井川である土手の裏側近くは土地が比較的高いので土手が決壊しても水には漬かりにくいという感じだろうか。母親の実家はそんな風な場所で、田んぼはもう少し低い場所にあるが、それが琵琶湖の水面と数メートル違いくらいに近い。江戸時代に愛知川がどこを流れていたのかは正確な記録にはたどり着いていないが、もっとぐねぐねと曲がりながら山から琵琶湖に向かっていたと思われる。

地元の緑に見えるような中を走っていても、埋め立てられた土の上を走っているんだなあと思うと、人の力というのは自然すらも変えてしまうので欲というものはほどほどにしておかないとダメだなあと思う。もうこれからは人も少なくなるのだし、いろんなものを有効活用しながら社会的な負担を軽減していくようにしないと、スクラップアンドビルト型や強制リサイクル型の経済優先型エコでは、結局自然は減っていく一方になろう。
2020年08月02日
昨日大阪の会議の前に、兵庫県のある商店街のお店に立ち寄った。昭和40年代の趣があって、今はシャッター街。そこでの雑貨屋的なお店を今もやっておられるものの、商店街ではお客さんがいないので、本町センター街でも別の商品を扱っておられるという話。本町のセンター街もだいぶ空き店舗が増えてしまって、一旦、お客さんが消え始めた場所というのは商売が普通に成り立つ場所から、商売が普通に成り立たない場所に変わってしまうものだなあと思う。

地の利的な商売をするなら場所は本当に大事だろうと思う。同じ観光地でもメインのお寺や神社に近ければ近いほどおみやげ物屋さんや飲食業は成り立ちやすい。逆にお客さんの導線から離れてしまう一つ裏の通りはまったく飲食商売は成り立ちにくい。普通に普通のことがうまく回る場所というのはあったりもするものである。コンビニなんかでも、成功する成功しないは、場所的な要因が大きい。

私自身、商売の話ばかりしているみたいだけども、本当に成り立たせるかどうかというのは、本人の気持ち次第だと思うことも多い。田舎のコンビニで売り上げがゼロでも自分が自分の蓄えを崩してでも続けていこうと思えば続けていけるし、コンビニのオーナーになることが夢ならそうやって実現することも悪いことではないだろう。

商店街のお店の店長が、商店街がシャッター街なのは、蓄えもあるので自分たちと会わない人が入ってくると困るから売らないのだといわれていた。シャッター街で大変だろうなあと思ってばかりいたが、シャッター街のままのほうが問題も少なくてよいという考え方もあるんだなあと知った。
2020年08月01日
今日は大阪夕方からテキスタイルマルシェの会議があって、1年半ぶりくらいに皆さんとお会いする。会議のあと、このコロナでいろいろと状況も変わってしまい、林与の近況報告や皆さんのご近況などをお聞きする。

テキスタイルマルシェの多くの企業さんもアパレルをメインとしておられるところが多く、アパレルメインのところはどうしても受注状況がばったりとか半減とかで苦戦。新型コロナ需要で、マスクや防護服などを手掛けている企業さんもある。実店舗でやっておられるところも再開をされてもなかなか難しいようなところもあるお話。

でも、皆さんお客さんからの仕事が減ったからすることがないというようなタイプの方ではないので、自分で仕事を生み出していくような前向きな会社さんがほとんど。織物を作っていくというのは右から左の仕事ではないので、こういう社会が複雑化して問題を抱えた時のような状況を、以前から日ごろ抱えて動いて成り立たせているような方が多い。

最近、設備を入れられて元気にされ、また、次に新しい設備を入れると前向きにおられ、このコロナの中でも生地も順調に売れて出荷が間に合わないほどだと、繊維業界に明るい話題を呈される社長さんもおられる。織物ではないけども、同じ繊維業界の中で、こういう落ち込むようなときにも元気にされているのは、普通じゃない考え方で普段から前向きに動いておられるからだろうと思う。
2020年07月29日
外注の工場さんに行くと、台車の丁寧な修理をしておられる社員の方。今年はコロナの影響で仕事が少なくなっておられるのだが、ここしばらくの本当に仕事がゼロに近い状況のようで、見本もほとんどないという話。見本がなければ本生産もないという可能性も高い。元気に仕事があふれていた別の工場さんでも、昨年の2月くらいからもう仕事が例年に比べて少なすぎる状況で、そこにコロナの影響。

多分、林与も織るだけの工場としてお客さんの仕事を頼りにしている状態だと同じように仕事がないということになってしまっていただろう。林与にしても無職みたいなもので、自分で仕事を生み出すか、作ってほしいと頼まれたものをつくって仕事があるから、仕事しているということになる。お客さんの依頼の仕事がなければ自分が作って自分で売っていけばよいと商売の基本に立ち戻った考えでいる。
2020年07月27日
そろそろ私も5年、10年を考えてできることをできるうちににやっておこうと思うことが多い。若いころは100kgを軽く超える経糸を巻いたビームでも一人で肩に担いで階段の上り下りもできたが、今はスタッフの子に手伝ってもらって運ぶことが多くなった。できなくなることもあるのは仕方ないが、仕事しているうちは、一番率先して仕事に取り組んだり、問題の解決に取り組んだり、一緒に働いてくれている人の手本になれるような部分を持っていないといけないなあと思う。自分の体にしても死ぬ時までに使い切れたら一番よいんじゃないかと思っている。もう十分に一人二人分の人生は経験できたような心境で、自分が自分がじゃなく、次の世代の人にもいろんな経験をしてもらいたいと願っている。

私も若いころに先代以上に仕事のことを真面目に取り組んで前に進めるような方に仕事を教えてもらったので、その考え方というのは今も正しいことだと思っているし、そういう考え方を常に目指したいなあと思ってはいる。そういうのが一般社会では受け入れられにくいことだというのも、それとは逆の人のほうが偉そうにしていたりとかもあったりしてなかなか田舎の商売というのは人の真面目さややさしさだけでは成り立たない、見下したりとか脚を引っ張ったりも多いのも普通に目にする光景の一つ。

自分がものごとを成り立たせていこうとすると自分の考えを持つことは大事なのだがそういうのをくじこうとする人も多い。それが言うことを聞くだけでいてほしい私の親であることも多かったりとややこしいのだが、自分の親くらい超えていけないと今の時代の日本の繊維業界でやっていくことは難しいのは当たり前。繊維業界というのは次の世代が前の世代の問題を大きすぎる問題を背負いながら地道に働きながら成り立たせているのが多いのが特徴の業界。

親が自分を超えられてしまう親の立場からすると恐怖みたいのも分からんでもないけども、そういう人間的な呪縛に縛られていたら、簡単な仕事の問題も素直に解決してゆくことも難しいだろうと思う。これから繊維業界で活躍しようとする人たちには、林与のおっさんくらい経験にしろ考え方にしろ軽く超えて行ってほしいのである。それが日本の繊維産業が衰退する主因だろうと思う。40代、50代でも日本の繊維産業で、いろんな産地の機屋のカリスマ的な人たちは、普通に努力の賜物で人としても揺るがないみたいなのが才能みたいに評価されているだけのこと。若いうちから毎日の積み重ねがあれば、2か月3か月で、何十年の人を超えていくことも普通に可能だと思う。最後には自分で場所をつくって次の世代を育めるような立場になってもらいたい。私自身は自分自身の可愛さで力になびかず頑張る人を応援しようとする方にいろいろと助けてもらった、アメリカでの経験と、日本の繊維の業界にもいく人おられるのに出会えて気が付くことができた。でも8割ほどの人は、自分の欲とか力になびいて頑張る人をくじいてが普通。日本でも正しいことが正しいと言えなくなってきているのは、次の世代に気の毒な話。
2020年07月26日
高福祉国家というのは人々の生活を大事にする社会だろうと思う、また一方で経済優先の国家というのは弱肉強食的だが資本主義の理想である自由契約に基づく効用最大化理論。相反する概念に思えながらも、人の命のかかわる新型コロナで、スウェーデンとブラジルの両方がコロナを予防するでなく受け入れるような政策。

貧富の差を嫌う社会主義と貧富の差も普通の自由主義が同じような政策をとるのは、思想そのものじゃなくて、どんな思想であろうがそれを任せる人を信用できるかできないかの問題につきるというところだろう。正直に予防が無理な政府なら予防はできないから予防ができない前提でベストを考えましょうということだろう。それはそれで国民の信頼は得られるものだろうと思う。

国民に予防を責任を強いながら国は経済優先とかは受け入れがたいが、どうもそれをやってしまうのが日本で、反発も起こりやすい。実際に、感染すれば感染した人が諸悪の根源みたいなのが日本社会で、それが結局のところ国民の意識の高さで自主的なマスク着用にもつながっている。逆に言うと国が守ってくれないから、自分たちの命は自分たちで守るというのが日本のスタイルなんじゃないかと思う。

新型コロナでも国の方針にしたがって4日我慢して死んでいった人も多いが、それを国が勘違いした馬鹿みたいに責任逃れしてしまったのが、人の命を守るべき厚生労働大臣でトップが、救える命も救わずに殺してしまってさらに反省の気持ちもなく責任逃れの話。A級戦犯は戦後も生き延びるけど、普通に国のために死を覚悟した人だけが自らの命を犠牲にしているだけのことで、国家の本当の敵は中にいるの状態。国のために自分の命を投げた人間を勝手に自分で死んだだけというのも、現代の新型コロナにも共通する話。
2020年07月26日
一日一善じゃないけど、シャトル織機は調子よく動いているといっても、その中の1台が、1日1回くらいは、原因不明に思われる問題が発生したりする。働いている人も何の失敗もしていなくてもそういうことが起きうるので、逆に働く人というのは本当に大事だと思う。

働いている人がいい加減だと、問題が起こったときにそれはその人の失敗であることが多いが、シャトル織機を直すでなく、働いている人の仕事に対する注意を改善したりしないといけないことがあったりするが、私の経験からすると、それは織機を直すよりも難しい問題である。経験が長ければ長いほどそれを直すことは難しいなあと思うのは、林与の仕事嫌いで働かないのが当り前で通してきた身内の問題なんかからしても呪縛。

繊維業界では何十年の経験者というのが経営者であっても通用しないが多い。昔の感覚や経験を引きずりすぎて、それは日本の行政も同じなのかもしれないが、自分たちが食べていけなくなった時や国が他の国よりも苦しくなった時に、初心に戻って働くということが難しいなあと思う。

世の中に頭の優秀な人は多いけども、そういう優秀な人でも実際の問題の答えをひらめくだけでは何の意味もなく、実際に自分が解決して前に進めていける人のほうが役に立つのは当たり前。結果が見えていない人が、何もせずに放置して悪い結果が襲ってくるが、今のコロナの問題でもありがちだろう。専門家が解決できない問題は、現場の素人が解決していかないといけない。それが日本のコロナ対策の一つで、家族を守るためにマスク不足の中、自分の家族のために布マスクをつくる親みたいな存在がやはり日本的だなあと思った。また、マスクゴムが手に入らずストッキングを代用したりとか、まるで私が日頃シャトル織機の部品が手に入らないときに代用を考えるのと同じで、買えば手に入るとかばかりじゃなく使えるものを上手に活用してゆくのも正しい方法の一つだがメンツが立ってしまうとそういうことすらできなくなる。私がマスクゴムプレゼントをするのもマスクゴムが手に入らないで困っている人が少量のゴムでも行き渡ることでマスクがつくれてコロナ対策に繋がると思うから。自分が最初マスクゴムの代用ゴムをマスクゴム不足の時に、なんとか手に入れたが耳当たりがまったくよくなく失敗したことも自分が満足できるマスクゴムが手に入った喜びからプレゼント企画に繋がった。目的は何なのかコロナを防止するためにマスクをつけることでマスクゴムの代用はその目的を達するためには近道。

一般の人々のほうが、マスクは不要といってる専門家以上に解決方法も持っていて行動力もあるのを身に染みて思った。カネがないと動かない動けない行政、カネが動かないと動かない人たち、そこが最初にあると対応も歪んで、問題に対応する力とか、対応するための基盤を作り上げていく力というのは大事だろう。
2020年07月25日
生産性を上げるため、機械依存型の生産の考え方になってしまうと、楽して儲けるに陥りがちなので、簡単なこともできなくなることが多い。昔だったらもっと布をちゃんと見ていたのに布を見ずに織物が出来上がってゆくような感覚で生産がおこなわれるようになる。

例えば、織機が動いていたらそれでよいような感覚で織物を生産する感覚に陥ると、日本でモノを作っていても海外の織物に抜かれていく可能性は非常に高い。作れば売れるというのと同じ感覚に近く、会社にくれば給料がもらえるというような感覚だとどうしても外の競争には負けてしまうのは当たり前。

世界中にこれから伸びてゆく国が常にあってそういう国ももちろん繊維産業があって、競争が日本の中にあるのではなくて、意欲的な若い人たちとの競争であるというあたり、そういう国では当たり前に新しい設備が導入されて機械技術も日本よりも最先端だったりする。

日本だと最新の電子ジャガード織機なんかを入れると入れた時点で、将来の企業経営が危うくなるという問題がある。海外だと導入費用も何分の1の世界で、普通に素の電子ジャガードの機能を使ってつくったものが量産で決まって仕事にになりやすいが、国内だと人件費も高いし、設備投資した分すらも一番最初の時点ですら新しい技術を求めて設備有りきでいれちゃうと、つくったはよいが売れないとか、最初は売れたけどすぐに飽きられて設備が余ってしまうとかが多いものである。

需要までが見通せるような状況でなければ、設備投資は自分で自分の首を絞めるような話が日本では多い。設備投資した分をお客さんが補填してくれるのかというと便乗してくるだけみたいな話で、お客さんが勝手に自分のものみたいに思って設備投資してもただ働きに近い状態で吸い取られて設備投資した分の回収も難しいことは多いだろう。需要を自分で生み出すとか、生産したものを自分で動かして行くとかが大事なんだろうと思う。

技術が足りないとか云々で、技術依存で考えて行ってもうまく商売が成り立たないのはそこ。ないものねだりみたいな話に陥るだけの事で、やったとしてもうまく行くことはすくない。一番良いのは今ある現状で何ができるのかを考えたり、何か新しいことをするために地道に余力を蓄えて自力で新しいことに挑戦していけるような体質をつくれないと、何か一つの問題が解決すればウハウハなんてことはまずありえず、機械を入れたからといって最初はよくても後は問題ばかりに終わるだろう。
2020年07月24日
昨日お客さんが来られて独立される話。私自身も独立して仕事を成り立たせているようなものなので、自分自身で働く環境をつくって仕事を生んでいくのも自分自身。生活も自分で支えてゆかないといけない話になってくる。

仕事が用意されていて給料も保障されて働くのと、自分が持ち出して仕事するとマイナスから始まるのとでは仕事ということのイメージも正反対だろう。守られる側から今度は自分がすべてを成り立たせる側に回って成り立たせていかないといけない。

昔はどこにでも家族経営規模の事業者は多かったけども、それは海外からのものが入ってきにくく、国内需要が国内の生産でまかなわれ、海外の需要までもを日本の生産で補っていたような今とは全く逆の時代。今の時代のほうが自立して立って行くことは難しいだろうと思う。3年続けるというのがなかなか難しかったりする。

誰かと一緒にやるというのもうまく行きそうだけど、一つのことを2人でやると2人で分ける話になるから、頼りあう程度では成り立たせるのは難しく、お互い相手を自分が食べさせて行くくらいの覚悟がないと2人集まって2人分の仕事に広げてゆくことは難しいだろうし、独立して現実と向かい合う覚悟が足りないから誰かと一緒にみたいなところを求め、2人でやれば同じ時間で2倍の稼ぎにならなければ、二人でやるほうがすぐに立ち行かなくなるだろう。人が増えれば助かるのではなく、人が増えて成り立たなくなることも多かったりするのである。

独立するからには夢に向かって成功してほしいので、そんな老婆心な話を長々とする。前の世代の仕事の覚悟を、軽く乗り越えるような覚悟がないと今の飽和した繊維の状況ではこれからの世代は立って行くのも難しいのは感じる。なんか、これからの世代というのはボタンの掛け違えでできあがった制度の多いなかで、それを守れ守ればかりで生まれた時から出し殻にしてしまったような問題の片付け役みたいな位置づけも多く気の毒だなあと思う。将来に問題を片付けを残さないことが大事だろうと思う。
2020年07月22日
林与の青ヶ島に行きたい気持ちが高まってきた、数年のうちには絶対に行けたらなあと思う。今のコロナの状況だと青ヶ島の人も観光客を好まないかも、一人、青ヶ島を歩けるだけあるいて、青ヶ島を満喫したいのである。やっぱり夏がよいだろうと思う。

青ヶ島に行くには、八丈島経由となる、八丈島も興味があって、何に興味があるのかというと玉石の石垣。黄八丈は、江戸時代ということだけども、八丈島は徐福伝説では童女が集められた島で、織物を織っていただろうと思うから、徐福っぽい名残があるのか散策してみたい。

もう一つ行きたい場所は、瀬戸内海の鬼ヶ島と呼ばれる女木島。鬼の洞窟を見てみたい。こちらは多分1日時間をとればゆっくりと訪れることができるだろうと思うので、天気の良さそうな日に朝早く車で出発してたどり着きたいなあと思う。

帰りに出雲もいったことないのでぐるっと立ち寄ってみられたら、いろいろと日本の織物の歴史を考えているときにそれが日本の歴史そのものにたどり着いた。頭の中での想像的なことばかりなので、それと実際の場とのマッチングイベントみたいなものだろうと思う。

中国の徐福村にもいってはみたいけども、徐福の出身というだけで、大きな手掛かりはそこにはないかもしれない。
2020年07月21日
今日は朝から、整経したビームを降ろして、スタッフの子がタイイングマシーンで繋いでくれる。途中、タイイングマシーンの下糸を取らない問題で、診てみると、タイイングマシーンの下の歯が正しく動いていない。外れ気味になっているのを正しくセットしなおしたら問題が解決した。

今回の整経は、本体の糸に合わせて耳糸の番手を太めにしたので織りやすいだろうと思う。この前は耳糸が細かったようで耳糸が切れる問題が頻発して、織るのにすごく時間が掛かった。整経のときに、それを回避しようと倉庫で綿の30/2の糸を2kgほど見つかって丁度よかった。

繋ぎ終わって織機を立ち上げる。シャトルを他の台に使ってこの台に使ってたシャトルがないので、他の台からシャトルを持ってくる。するとやはり、シャトルの納まりがよろしくなく、シャトルをホールドする強さを調整。まあまあ、合格。その後、ドロッパーの前に畔棒を入れる。厚織用に調整した台なので、若干ドロッパーが下気味で横から見ると経糸はドロッパー部分で折れ曲がった「く」の字で織れている状態。本来は、ドロッパーの位置を上げて糸を水平に戻して織るのが適切なのだろう。だが、今回は畔棒を入れることで上糸のゆるみをとることで安定させて織る。こういうあたりがシャトル織機の調整の難しさなのだけども面白いところ。

この織機は杼替えができない織機なので、杼替えの部分を他の織機の交換部品として使って外して合ってそれを戻した。経糸を繋いでくれてそれを送って織だしをするも巻取りローラーが回っておらず、織前がどんどんと後退してゆく。なにこれ?超異常現象。

探ってゆくと横糸切れ完治のフォークがフックに常に引っかかってて、それが巻取りローラーが働かないようにギアの引っ掛かりを避ける働きをし続けているのが分かった。フォークの動きを正したら織機が正しく動き始めた。

織機の異常というのは動いているときの音とかで感じることが多い。普通と違う音だなあと思うと、織機のどこかが正しく働いていない。本当に正しい原因が見つかると良いけど、見つからないとそこで下手に織機に調整を掛けたりすると織機が余計に織れなくなってしまう。正しい答えにたどり着けるかたどり着けないかが、一つの仕事だけでなく、その織機の明暗を分けてしまう。私自身も織機のことは実戦で覚えてきた形なので、自分がその場で原因を考えて直しているだけの話。分からない問題でも考えるだけでなく実際に織機を触っているうちに原因が見えてくることは多い。そのため、手はシャトル織機をいろいろと触ると油で手が汚れるので、糸を触るために1時間に10回くらい手を洗いに行ったりする。手は道具。

正しい答えが見つからなくなったら、その時は終わりだろうなあと思う。今のスタッフはしっかりとしていてくれて、問題があったとしても私自身答えがすごく見つけやすい。まだ1年半なのに、同じように織機や機械の違和感を感じておかしいと判断できるあたりは、いろいろ考えながら仕事してくれているんだなあとありがたい話である。
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