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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年10月08日
今までやったことのない失敗が月曜日にあって、織ってみても縦糸が出てきにくく、キズになる状態。それのリカバリーに昨日と今日、寝ている間も、どうやったらリカバリーできるだろうかと、整経からやり直すべきだろうかと案じていたが、今日、織ってみると出にくそうにしていた糸も昨日とは変わらないくらいに出やすくなって織れたものを確認しても問題が分からない。

丁寧な加工で仕上げる布なのでいろんな工程を経るのでたぶん大丈夫だろう。やり直すとなると、また、二人でやっても2日、3日のロスとなる。他の仕事も2日、3日できない話。それが回避できてよかった。まだ、経糸が残っていてやり直すという判断もできるので、気分的には、それもできない状況と比べると余裕があるが、通常のお客様のオリジナル企画の仕事は染糸なども注文量をこなせるだけのぎりぎりに近い量しか染めないことが多いので、糸から手配しなおして染からやり直すと、遅れを取り戻すために1週間2週間その仕事だけしかできなくなるので、仕事というのは並行して計画的にこなしていくのが一番よいやり方。

納期に追われたりすると、経糸なんかを最後まで織り切れば、次の仕事にも影響がないのだが、急ぐ分だけ織って、経糸を上げて後でまた織ろうとすると、一つの仕事が2度手間、3度手間、加工も2回に分けてとなったりですべてが成り立ちにくくなる。

織物というのは最終商品じゃないことが多いので、その後に縫製工程などがあって、そこの予定も変更になってくるので、予定通りにいくことが理想だけども、縦が細番手の麻の織物や、麻の高密度織物というのは予定通りに行くことはまずないことが多い。そこで、遅れを取り戻すために2交代で織ったり工場で張り付いて織ったりで納期を間に合わせることになる。

最近は、納期のある織物というのはなるべく少なめにして、出来上がったもの在庫してそれを買っていただくような流れに持って行こうとしている。そのほうが、生産の計画も柔軟に建てられるし、問題が起きた時にも無理せずにじっくりと解決が出来たりする。
2020年10月05日
今日はスタッフの女の子がメインで私がサブで京都の与謝野にお邪魔して、大江さんに案内をしていただいて、風呂敷のちりめん生地を生産しておられる丸仙株式会社さん、ネクタイ生地を織られている由里機業場さん、手機や金属織物をされているHARIGANEさん、そして、京都府織物・機械金属振興センターにお邪魔して見学をさせていただいた。

大江さんの旦那様には初めてお会いしてお話を聞いて、すごく、私と考えと似たところがあって、私以上に人生の早くからその方向で動かれて、迷いも少なくいろんなことを行動されて、シルク生地に落とし込まれて、奥様の大江さんもそうなのだが、技術だけでない、人を惹きつけたり、人が求めるような素材の味を生み出せるような感性を持っておられる。その強さというのは人生経験の強さなんだなあと感じるのは、同じような繊維業界にありがちな繊維業界のありがちな過去を背負って生き残られているというあたり、ご夫妻ともに素敵に見えるだけでなくとことんな超えた世界の強さを持っておられるのを感じるのが大江さんのシルク生地。私は麻の人間で、シルクとは別の世界に思えるけども、隙の無いような高級感とか、味の世界とかいうのは共通した価値観の世界があるので、天然繊維の絹、綿、麻の高級なテイストとか、逆の味とか、素材そのものでなく人々が素材に求める価値観や面白さにしても、突き詰めてゆけば共通な要素があって、ガチンコな世界の共通認識みたいのも感じさせていただく、でも、スタイルは正反対かもしれないけども、人生を見る目や繊維の世界の布に対する価値観に対する考えは同じところみたいな共通項。

丸仙株式会社さんでは、昭和の織物が良かった時代にタイムスリップしたような、味のある作業現場が残されており、八丁撚糸の工程や、整経の現場や織の現場、糸の糊付けなどの現場を見学させて頂いた。昭和の活況だった作業場のたたずまいが今も変わらないままに残されているのが本当に素敵で歴史遺産クラスというか歴史遺産そのもの。絶対に、失ってしまうと取り戻せない価値観がその現場には詰まっているからなんとかそのままの形を残していただきたい。なんか、昔の大勢でやってたときの大正とか昭和の戦前あたりの時代の林与の現場を見るようで、それを今の時代に残されているようなところが文化遺産クラスなのだが、それが実際の商売として続いているあたりは奇跡的なくらいにすごいほどの努力と苦労だと、時代の流れに合わせて設備を着ものからアパレル生地に移行したときに、近代化してしまった林与からすると絶対に残してほしい。設備や現場風景が今も動いて続いていることが、ありえないほどにすごいすごい価値だから。

由里機業場さんでは、ネクタイ生地を織られているジャガード織機を見せていただいた、華やかな柄の先染めなので林与の作業現場と似たようないろんな色の染糸が置かれており、15000本の経糸ジャガード織物を普通に織られているのが印象的で、自分用にいくつかシルクのネクタイをお土産に購入させて頂いた。2本は高級感のある落ち着いたジャガード、1本は華やかなピンクのボーダー柄と思いきや裏側にはジャガードらしいかわいい小柄が入っている。どれもシルク織物の産地産のシルクのネクタイを織られた方から買うという特別なお土産。家に帰って眺めても自分の選んだ柄には大満足して買わずに帰ってたらすごく後悔してただろうなあと思っている。

Hariganeさんは、明日からギフトショーに出展されるというお忙しい中、相当に手を掛けられた手織り織機の数々を見せていただいた。この方は織物の人というよりも技術者だなあと思うが、ご本人は建築家とおっしゃっておられる。機から自分で作られ、自分で糸から紡いでおられて、どれだけ時間があっても足りないことをやっておられるのだなあとやったら面白いなあとおもうことを現実の形に変えられていて、木棉から育てて、紡いで織物にするまで、一方で、金属織物も別の工場で手掛けておられ、やりたいことを自分ですべて形にできる器用さみたいなもの、また、まだまだ使えるのに機屋の廃業で廃棄されるような織機や機械を残して生かす力には感服するけども、それよりも、技術だけでなく、織物のいい感じみたいな素材を作るときに技術じゃなく一番大事な感性を持っておられるのがイコール人生観みたいなところで、素朴なもののなかに味わいや面白さを求めることができる深さ、それこそが生み出せる人の力、建築にも共通する人になじむいい感じがホームファブリックアイテムとして生まれる。

夕方前に、センターで検査設備や貸し出し設備などを見学させて頂いた。他産地の私が現場見学しても本当に丁寧に説明をしてくださり、働いておられる方の全力で支えたいという真心が伝わってくる。センターにはジャガードの載ったシャトル織機がたくさんあって、それが産地の特色を作り出して問題解決などにも役立っているのだろうと感じた。反応染料でのインクジェットプリントの試作ができるなど、そのための前処理、後処理の設備などもみせていただき。興味あった設備の概要を知って、これはなかなか維持すらも大変な設備だなあと思え、ローラーを丁寧に洗っておられるのを見たりして、もし林与がこういう設備を導入しても維持が大変で今の仕事も仕事どころでなくなってしまう可能性があるのも感じた。具体的に、置いてある機種など現実的な設備を見てタレレバの部分が現実的に見えた部分がある。zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz今日は私がメインじゃなかったが?京都の与謝野にお邪魔して、大江さんに案内をしていただいて、風呂敷のちりめん生地を生産しておられる丸仙株式会社さん、ネクタイ生地を織られている由里機業場さん、手機や金属織物をされているHARIGANEさん、そして、京都府織物・機械金属振興センターにお邪魔して見学をさせていただいた。

大江さんの旦那様には初めてお会いしてお話を聞いて、すごく、私と考えと似たところがあって、私以上に人生の早くからその方向で動かれて、迷いも少なくいろんなことを行動されて、シルク生地に落とし込まれて、奥様の大江さんもそうなのだが、技術だけでない、人を惹きつけたり、人が求めるような素材の味を生み出せるような感性を持っておられる。その強さというのは人生経験の強さなんだなあと感じるのは、同じような繊維業界にありがちな繊維業界のありがちな過去を背負って生き残られているというあたり、ご夫妻ともに素敵に見えるだけでなくとことんな超えた世界の強さを持っておられるのを感じるのが大江さんのシルク生地。私は麻の人間で、シルクとは別の世界に思えるけども、隙の無いような高級感とか、味の世界とかいうのは共通した本物の世界があるので、天然繊維の絹、綿、麻の高級なテイストとか、逆の味とか、素材そのものでなく人々が素材に求める価値観や面白さにしても、突き詰めてゆけば共通な要素があって、ガチンコな世界の共通認識みたいのも感じさせていただく、でも、スタイルは正反対かもしれないけども、人生を見る目や繊維の世界の布に対する価値観に対する考えは同じところみたいな共通項。

丸仙株式会社さんでは、昭和の織物が良かった時代にタイムスリップしたような、味のある作業現場が残されており、八丁撚糸の工程や、整経の現場や織の現場、糸の糊付けなどの現場を見学させて頂いた。昭和の活況だった作業場のたたずまいが今も変わらないままに残されているのが本当に素敵で歴史遺産クラスというか歴史遺産そのもの。絶対に、失ってしまうと取り戻せない価値観がその現場には詰まっているからなんとかそのままの形を残していただきたい。なんか、昔の大勢でやってたときの昭和中頃の時代の林与の現場を見るようで、それを今の時代に残されているようなところが文化遺産クラスなのだが、それが実際の商売として続いているあたりは奇跡的なくらいにすごいほどの努力と苦労だと、時代の流れに合わせて設備を近代化してしまった林与からすると絶対に残してほしい。設備や現場風景が今も動いて続いていることが、ありえないほどにすごいすごい価値だから。

由里機業場さんでは、ネクタイ生地を織られているジャガード織機を見せていただいた、華やかな柄の先染めなので林与の作業現場と似たようないろんな色の染糸が置かれており、15000本の経糸ジャガード織物を普通に織られているのが印象的で、自分用にいくつかシルクのネクタイをお土産に購入させて頂いた。2本は高級感のある落ち着いたジャガード、1本は華やかなピンクのボーダー柄と思いきや裏側にはジャガードらしいかわいい小柄が入っている。どれもシルク織物の産地産のシルクのネクタイを織られた方から買うという特別なお土産。家に帰って眺めても自分の選んだ柄には大満足して買わずに帰ってたらすごく後悔してただろうなあと思っている。

Hariganeさんは、明日からギフトショーに出展されるというお忙しい中、相当に手を加えられ多機能化された手織り織機の数々を見せていただいた。この方は織物の人というよりも技術者だなあと思うが、ご本人は建築家とおっしゃっておられる。機から自分で作られ、自分で糸から紡いでおられて、どれだけ時間があっても足りないことをやっておられるのだなあとやったら面白いなあとおもうことを現実の形に変えられていて、木棉から育てて、紡いで織物にするまで、一方で、金属織物も別の工場で手掛けておられ、やりたいことを自分ですべて形にできる器用さみたいなもの、また、まだまだ使えるのに機屋の廃業で廃棄されるような織機や機械を残して生かす力には感服するけども、それよりも、技術だけでなく、織物のいい感じみたいな素材を作るときに技術じゃなく一番大事な感性を持っておられるのがイコール人生観みたいなところで、素朴なもののなかに味わいや面白さを求めることができる深さ、それこそが生み出せる人の力、建築の世界とも共通する人になじむいい感じがホームファブリックアイテムとして生まれる。

夕方前に、センターで検査設備や貸し出し設備などを見学させて頂いた。他産地の私が現場見学しても本当に丁寧に説明をしてくださり、働いておられる方の全力で支えたいという真心が伝わってくる。センターにはジャガードの載ったシャトル織機がたくさんあって、それが産地の特色を作り出して問題解決などにも役立っているのだろうと感じた。反応染料でのインクジェットプリントの試作ができるなど、そのための前処理、後処理の設備などもみせていただき。興味あった設備の概要を知って、これはなかなか維持すらも大変な設備だなあと思え、ローラーを丁寧に洗っておられるのを見たりして、もし林与がこういう設備を導入しても維持が大変で今の仕事も仕事どころでなくなってしまう可能性があるのも感じた。具体的に、置いてある機種など現実的な設備を見てタレレバの部分が現実的に見えた部分がある。
2020年10月04日
トランプ大統領がコロナに感染して入院というニュース。誰でも感染して5人に一人が悪化するというのが、武漢、ニューヨークやブラジル、ヨーロッパのコロナ。日本のコロナはなぜかかなりおとなしいがそれでも高齢者の死者は多い。

日本の社会問題としては、ホームヘルパーが83歳の介護した人にコロナを感染させ死亡した可能性で4400万円の慰謝料を請求したような国内のニュースも出てきて、家族ができないようなことを善意をもってサービスを提供しても代わりに献身的にやったものが訴えられる世の中。それが病院なら訴えるもないだろうけど、弱いヘルパーだから、訴えられてしまうのだろう。

対策もしていてそれでも感染させてしまうと、代わりに面倒をみていた家族から訴えられる。一番、世話をしていた方が亡くなられて家族以上に悲しいのは世話をしていたヘルパーさんだろうとは思う。法律ができあがると頼むことが権利のようになって問題ああれば締め上げる。

私の祖母も最後7年間、老人ホームのお世話になってヘルパーの方が二人葬式にも参列くださったので偉そうなことはいえないのだが、身内でもなかなかできないことを他人が業務として覚悟して献身的に受けてくださるということはあり、感謝の気持ちしかない。

尊厳されるべき大人が長生きすることは子供が育つよりもややこしい問題が多い。たとえば、予防接種にしてもふつうに副作用でなくなる人はいくらかはいたりするがこういう訴えは認められることはない。国が浅はかなこともやったりはするので、女子に頸癌検診を受けさせて副作用で死亡というのを、日本の厚生労働省はアメリカでリスクから禁止されたものをアメリカの薬剤会社の商売を肩代わりして日本の医療関係者も潤わして日本人をモルモットのように下請けすることも多い。輸入血液製剤と同じビジネスモデルで、数年後にはリスクが高いことがわかったみたいに、結局、受けたものが被害者。ガンのリスクすら本当に低下するほどの保証もなく、逆にそのワクチンがガン以上の危険性を及ぼす可能性が高い。

健康な体にいろんなワクチンを接種させることが逆にどれだけ危険か、今回のコロナでもありえないことだが儲けるためにやってる製薬会社の薬の副作用を日本の国が製薬会社には問わないという姿勢、国もその責任を負う覚悟もなく紙の上の契約書がつくられているだろう。コロナに殺されるのか、ワクチンに殺されるのかの選択を、人の命を守らないといけない責任のある厚生労働省が責任感もなくやっているあたりが、カネミ油、水俣病、薬害エイズ、原爆訴訟問題の体質そのもので、本来は国民の命を守らないといけない立場のものが自分の責任を追及されると自分たちは正しい知識もなかったで責任逃れやってしまう。いわゆる国の責任逃れのために、被害者を苦しめるようなことがあるなら、最初からやらなかったほうが良いのじゃないかと思う。

繊維の業界でも、食べるものもチャンスもない貧農の娘さんに3年で家が建てられるくらいの待遇をしても叩かれるのが日本で、食べるものもなく命を奪うのが日本の国だったりで、富岡製糸工場のような、良家の娘さんだけを集めて素晴らしさを見せるような形で
、じゃぶじゃぶのものを国がやったが、まともなものも作れるはずもなく、その面倒も最後、そういうじゃぶじゃぶとは逆の精神でマイナスをかぶって成り立たせる民間が跡地でも保存して世界遺産とか。人一人が食べていけないのを法律優先してほったらかしとか、民間の責任だで終わり、上から吸い上げるだけでへっちゃらなのが、今回のヘルパーの問題にもつながる。

厚生労働大臣の全体でみると100分の1の待遇どころか厚生労働大臣も逃げるような現場の仕事と責任、掌る厚生労働大臣はコロナ問題から逃げていても成り立つが、現場の者は逃げることもできない矛盾。逃げて吸い上げてなりたつ政治と逃げることのできず国に吸い上げられる現場。階級社会の縮図そのものに思えるところがあって一番駄目な法律に守られた搾取社会の典型だろうと思う。末端の待遇をよくすることは社会的には難しいことで、簡単なのは吸い上げているものが現場を支える側に回れということ。そいうのを一番にする覚悟もないものが上に立っても一番無意味なだけ。


2020年10月03日
京都の加工工場の方が来られて、加工業だけでなく消費者をターゲットとした商品展開を考えられている。新しいことをしないと昔のままでは成り立たないという、本業を守るためにも新しく副業的なことを伸ばそうとされている。

ものづくりの考え方からすれば、売れるものをつくればよいと考えるけども、売れる売れないなんて時と場所によって変わるし、デザインやアイデア的に売れるものというのは半年1年で安い物が、海外や日本の大手によって似たものが海外でつくられて淘汰されてしまうのが普通なのが繊維の世界。

笑える話だけど、12年ほど前に、リネンコート自分たちで1から作ってヤフオクで1万円以上で販売したら、半年で6000円で、大手のSPAのM社がそっくりな形のものを販売してきた。それが日本の大手SPAのものづくりなんだなあと割り切って生きるしかない。

自分たちが作る現場や人員を持たないとどうしても企画しても監督していようが人々の人生の責任を被る覚悟もなくで、真似したものをつくってと海外の業者に頼んで似たようなものを安く出してくる。大企業なんだから、そういう素人的なものづくりやめないかなあと思うより、今の繊維の日本企業というのは、40時間の労働では海外のモノづくりの人たちに負けてしまっていて、売れ筋を真似して安く作って並べて儲けるしかないコンビニ商法になっていることがほとんど。

それは消費者にとっては便利なことであるけども、アートとファッション、さらにはモノづくりを考えると、著作権とか商標とか意匠とか、考えた時に本当にほどほどにしておかないとと思う。

アジアやインドの恵まれない生きるも難しい人が自分の手で生み出したものをちょっと手を加えて、自分が作ったもののようにいうエシカルナも多く、自分が手を動かしてその人たち以上にその人たちを助けないで上から目線のエシカルが、何百年の歴史をもったその国の繊維産業を本質的に駄目にしたりも多い。

インドで一着の服を最初から最後まで作れる人を、一つの工程を担当する単能工にするのが、今時のモノづくりで、本質的な服飾産業の深さからすればそれは何百年の歴史をちょっとした快楽的な待遇でダメにしてしまうだけのこと。インドのものづくりが日本や先進国の資本で普通に落ちてしまうのが本当に残念なことなのだが、そういう意味が分かる人というのは少なすぎる。

最初から最後まで洋服を作れる人というのは本当に希少で、それを単能工にするのが今のSPA的なものづくり。貧困であろうとも仕事に意味を感じてやっている人たちを、搾取的に利益誘導して搾取されていてかわいそうみたいに、その場しのぎに食いつぶすのはやめないかと思う。

日本人も同じ以上の苦労を覚悟して支えてあげるのが本当のエシカルなんだと思う。私からすれば自分が死ぬのも、トランプ氏が死ぬのも、アフリカの子供が死ぬのも同じ感覚。各国の首脳が一応にトランプ氏がコロナ感染というだけで、気遣いするというのもまさにBLM問題と同じ話。トランプ氏が世界の一番恵まれない人を救うことを考えていかないとアメリカファーストというのは、命を失う弱者を生み続けるだろうと思う。日本だと与党だけでなく野党も同じで、自分が恵まれないその人たちと同じ以上の苦悩を日本の政治家として受ける覚悟がないと、与えられた特権すらもがそういう搾取階級を生み出すだけのことで無意味だろうと思う。

戦争するなら戦場で一番に命を捨てて戦う覚悟がある人間が戦うべきなのだが、貧しくて市民権を得たい外国人が傭兵的に戦うとか、裏では命を犠牲にさせる搾取で、世界平和という大義、そして原油利権で国家予算規模の何兆もの利益を原油ディベロッパーが享受する。戦争というものは経済の為に人々の命を犠牲にしてなりたつもの、敵は外にいるのではなく中にいて一番安全なところにいるものが戦争を先導して多くの犠牲を生みながら利益を得るだけのこと。

大きな命や戦争の話に名たけども、繊維の世界の前線に立つものとそれから利益を得るものとの違いもおなじことで、私自身、自分の親の先代が働くということの意味もはき違えて、自分が普通の仕事も覚悟せずに、寝る時間をどこまでも減らしてこれ以上は無理で、糸を割る一番簡単な仕事を頼んでも酒を飲んでテレビみているばかりの親が、ワシがするのかとほざいたのが、今の世界の縮図だろうと思う。

トランプのコロナ感染に気を配るよりも、アフリカのコロナ問題を解決するべきだろう、力もない人や子供たちが当り前にコロナで死んでいる。人の命の重さに、強弱がありすぎて、それがBLM的な問題の本質だと感じる。トランプ氏が自分の命や家族の命のように他の人の命を考えられればと思うが、それこそ基本で、その基本すらもがないあたりが、多くの人の対立を生む原因。日本でも同じこと。
2020年10月02日
日本の社会だとどの業界でも過去の栄光があれば死ぬまでその業界を牛耳るみたいのがあって、経験の長いのものがどうしても蛇の世界を作って新しい世代を挫くが多い。

なぜか、布の世界でも実際に作業をしない人のほうが偉そうにいることが多く、そういう偉そうな人というのは作業することが面倒な話が多く、その辺りから変えてゆかないと、海外のモノづくりとの差異はないのではと思う。海外の資本主義的なものづくりがそんな感じそのもので、企業のトップが自ら手を動かして作業をする精神がなくてはモノづくりはアイデアとか発想だけの形式的なものに終わるだろう。

東証がシステムダウン話題になっているけども。一つの賭場が一日閉鎖されただけのこと、騒ぐ必要もあるまい。そういうのが起こる想定があるのが普通なのだが、そういう想定もなくみたいなのをどうして求めるばかりなのか。

運営している東証の受け答えは冷静で隠し事もなく正しく思えるが、マスコミ関係者がどうしてもパニックやあとあとの問題を生み出すような下手糞な対応を求めている気がしてならない。コンピュータが落ちるなんてことは普通のことで、その落ちた時の対応をどうするのかを考える必要があるのだが、落とさないことばかりに議論が行って、逆に、アメリカの証券取引所で運営側の機関投資家がコンマ何秒一般の顧客よりも有利に先に取引できるような仕組みで、何兆円も儲けるような世界が生まれても叩けない体質になってしまっている。証券取引所にしても胴元が成り立つことがすべてのような賭場の部分。

投資家の欲を成り立たせるために国が年金で株価を支えるようなところにまで来てしまっていたりと、本来の目的すらも逸脱されてしまって、欲の世界を守るための位置づけ。欲で借金を背負うことで経済が回る部分があって、自分の老後が安泰という欲を利用して公務員が吸い上げるチャンスやそれを溶かしたりするチャンスが生まれる。国民を騙すような法律ができてそれが正しいというボタンの掛け違え。騙したい連中にかかわることなく生きるすべがないものかと思うが、騙すことも一つの法律で守られた権利になってしまって、国民を騙す一番の詐欺師というのが政治家だったりで悪徳商法がかわいく見えるくだいである。
2020年09月30日
エコの流れの中で、ノートパソコンも携帯電話も、電池すらも交換できない仕様となってしまう流れ。基本的な精神の部分で、業界そのものがなにをやってるんだか。

充電式バッテリーほどエコなものはないだろうし、そのバッテリーが悪くなったときに簡単に交換できることが大事なのに、そういうのを交換しにくくしてしまっては、エコとは逆の流れそのもの。

最新のノートパソコンや携帯電話が好きじゃないのもそのあたりで、完成度の高さから言うと交換できるバッテリーの仕様のディバイスのほうがメンテナンス性も上。消耗品であるバッテリーの交換が難しいなんてエコでもないし面倒なだけだと思うが、メーカーというか、キャリアにとってはそれが都合の良いことなんだろう。

バッテリーの劣化や問題というよりも、携帯の問題としてしまったほうが、修理をメーカーに任せてしまって楽チンということだろう。今の消費者への透明性が求められる世の中で、携帯電話ほど不透明な分かりにくい契約というのもないだろう。意図的に、宣伝で安く見せて、実際は高いとかがほとんど。虚偽で利益を生もうとする精神が1社だけでなく、どこもそんな感じ。説明する代理店や社員ですらも分からない契約内容、そんなものをお客にサインさせることで成り立つ携帯契約。

結局は、電波利権といわれるような本来は公共でみんなのものを独占して利益を上げるような感覚が、そういう契約の随所にも取るばかりの姿勢がうかがえる。成り立たないだろうなあと思えることでお客を集めて、集めて成り立たなくなったらまともに考えたら無理ですのでお客様もご理解くださいみたいな話でサービス停止で破綻するキャリアもある。これって、消費者が途中で契約内容をまったく無視して代金払わないのと同じレベルの話。キャリアそのものが悪意のある消費者みたいな状態。キャリア制度というのは、本当に怪しい制度なのである。

その諸悪の根源みたいなものが電波を管理する国の絡んだ利権構造にあったりもする。今のNTTをドコモが子会社化する話も、逆じゃないのか?なぜ、固定電話の維持費を携帯電話代に上乗せするようなユニバーサルサービスまでやった経緯があるのに、古い体質のほうに吸収をする。親方日の丸殿様商売の復活への活路だろうか。
2020年09月29日
今日はインターンの学生は整経の作業。初めてながら簡単な説明のあと整経の作業を1日やってもらう。10バンド以上整経をこなしてもらったが、その辺りで夕方6時で今日は終了。今日はホテルではなく先輩の家に泊まってもらう。

林与は昨日今日と、試算表の作成ための入力作業などに追われており、慣れない会計ソフトの使い方を入力された仕訳の意味を考えながら、また、会計ソフトを作った人の考え方を想像しながら、会社の会計を入力してゆく。

手書きで試算表を作るよりも、仕訳を入れるだけであとはソフトが試算表を作り上げてくれる。ただ、コンピュータに入力するのが苦手な人にとっては非常に苦痛な作業だろうと思う。タイピングが全く苦痛じゃない林与でも、カーソルをいろんな場所に動かしながらミスをせずに入力をしていくことは苦痛に思えた。

画面が小さいと頭の中でデータがどこにあるのかを想像しながら確認のための画面の切り替えも多くなるので、コンピュータも2画面使って作業すると作業がかなりはかどる感じ。50過ぎても新しいことを学んで実践していくことは大事だと思う。

2020年09月28日
今日はインターンの学生は、チーズワインダーで糸を割る作業と、割った糸を整経機にセットして、整経の準備作業。指導の目が行き届かないタイミングができてしまい、チーズワインダーの2錘が撃沈。

たぶん、昔の繊維の世界のものづくりというのは、慣れた人だけが機械を扱うのであまり機械というのは壊れないものだけども、林与の考え方はそれとは反対で一人の人がすべての工程をできる力を持つという考え方。慣れるまでに機械などを壊してしまうことがあるので、普通の工場というのはそういうことはやらないものである。

また、本生産の仕事なども、慣れていない状態で実践していかないとならないので、大きなダメージとなることもあるけども、それを恐れていては、人は育たないと考える。やる気のある人には経験して習得するチャンスを与えるのが大事なこと。

機械は壊れても修理もできるだろう、そういうのを乗り越えていかないと人というのは育たないものだと、私の経験からしても思う。周りが新しい人が失敗するのを恐れて、その新しい人が失敗する経験を持っていなければ、失敗の実際の意味も分からないプロ?ではダメだろう。失敗したときにその失敗をリカバーするとか、その分働いて取り返すとかが出来ないと本物じゃあないと思う。
2020年09月25日
今日から学生の方のインターン、順調に行けば1週間で糸から織物に出来上がるまでを自分で体験してもらえる。ひとつ心配なのは勉強ばかりしていると立って一日中仕事するというのがなかなか難しいこと。

いろんなことに追われて仕事していると時間のたち方も早いものだけども、時間が来るのをまっているような作業だと逆に苦痛に終わるだろう。

今日、糸を巻いてくれる82歳のおじいさんのところに電話したら、腰が痛いということでそろそろ仕事も無理そうだというお話。チーズアップの機械も分解して林与の倉庫に運ぶことになりそう。それなりの場所をつくらないといけない話だが、なんとかなるだろう。

こういう機械を捨ててしまうことはもったいないし、チーズアップをできる場所も少なくなっているので自分の中でチーズアップできるような環境を持っているのは悪いことではない。できるところまで、無理のない範囲でおじいさんには仕事してもらえたらと思っている。
2020年09月24日
仕事というものは仕事始めてからの経験よりも人生観みたいなものが仕事には出るもので、その辺りが仕事をできるできないの違いや伸びしろがあるかないかにつながってくるものだろうと思う。

経験者でも仕事をちゃんと教える人と、仕事を取られないように教えない人がいる。どちらのタイプの人が仕事ができる人かと言うと、他の人の面倒まで見られる前者なのだが、そういう人というのは本当に少ない。

たとえば、解決できない問題があってそれに私がかかわったときに何が問題だったのかを聞いても隠すタイプの人がほとんど。経験者としての能力が低いままなだけでなく、そういう問題の解決を共有もしない姿勢、そういう人が本当に多く、機械なんかのことも分からないまま仕事している人は多いのである。

ある大手商社のある国法人の社長をしていた人でも、部下に仕事は教えないといっていたが、理由が仕事を取られるからという自分のことしか考えられない社長なのに大手企業だと社長でも逆にサラリーマン状態、貿易の実務のことを聞いてもちんぷんかんぷんのようで、会社に養われていたのだろうなあと思えたり。繊維では大手企業の役員クラスというのは自分の損得勘定が先に立って、零細企業のサラリーマンの世界と似ているなあと思う。
2020年09月23日
布を企画したい人が布をつくる現場を知れば分かることが多いだろうと思うが、実際に布を作る現場を経験することのない人がほとんどで、布の価値がどこで生まれるのか分からないだろうと思う。実際に布をつくることになると本当に子供なのである。

あるテキスタイルデザイナーの方が、林与に来られて現場をみられたときに、糸のつなぎ方を教えたことがあって、普通はそういうのも知らないままに先生が多く、そういうのを教えられたときに、先生というのは逆にそういう基本を教えられるのを嫌がるだろうけども、その方は自分ができるようになるまで素直に尋ねて努力され、優秀な生徒そのものの姿勢でもちろんできるようになられた。そのときに思ったのはこの人は評判だけでなく本当に素直に布の世界を知りたい人だなあと。著名なテキスタイルデザイナーでもあり、大学の先生もされていても、学生のように素直に糸の結び方を学ぼうとされる。

たぶん林与くらいだろうと思う、そういう有名なテキスタイルデザイナーの人にあっても、そういう織物や繊維の基本を教えようとするのは、そういうのが布を作る基本で、そこから布の価値が始まる。

立場が違えば糸の結び方なんてどうでもよいことだろうけども、そういう基本を知ろうとする姿勢が大事で、基本の中に本質が詰まっていたりするものである。この機結び、縦繋ぎなどできなければ布を修理したりもできないだろう。布の世界にいながらも布に手間や時間を使う気持ちを忘れたり、それを軽んじては、布に本質的な価値を詰めるは難しいだろう。

布を自分でつくることもできないというのはありえないと思うのだが、そういうのが今は普通になってしまって、海外生産や海外人材なのだろう。布を自分で作るところに価値観もあるのだが、それを自分でできる人というのは日本では本当に少なくなっている。

基本の糸の結び方などを教えようとしても覚える気もない人というのは糸編の仕事には向いていないだろうと思う。でも、そういう人が日本の糸編の世界ではあふれていたりするので、どんどんと日本の繊維産業も衰退していくんだろうと思える。
2020年09月22日
この連休はアメリカ人の友人と10年ぶりくらいだろうか会うことができた。観光とかじゃなく、世間話がほとんどだったけども、学生時代以来からの友人。次に会えるのは10年後とかだろう。

存分に3日間、京都、大阪で、お酒をのみながら、昔の思い出を話したり、お互いが元気にやっているのを分かって、学生時代の昔の友達というのは良いものだなあと実感をした。

その友人には翼が付いているように思えるくらいに自由に世界中旅行もできる境遇で境遇は違うけど、私自身がいろんなことに縛られていることが多いのも別に悪いことではなかろうと思えたりもした。流れは逆であろうとも、逆流的な流れをできるような流れに自分自身で変えてゆくだけのことだろうと思う。

流れに乗るだけで流れが止まったら終わりというものが理想だとしたら、それは別の世界だろうと思う。多くの人がその流れに巻き込まれて結局自分の力ではどうしようもない。自分で立って自分の環境をつくってやっていくというのは今の時代には難しいことになってしまっているけど、そういうのって生きていくことの基本の部分ではないのかと思う。
2020年09月21日
電気自動車というのは基本使い捨てという考え方が適切で決してエコノミーではあっても、エコではないと思えたりする。10万キロで電池を交換しないといけないタイミングとなって、ガソリン代にすると120万円浮かせられる、10年乗った自動車に70万円とか使って、電池を交換する人がどれだけいるだろうか。実質10万kmが寿命なのである。中古としても10年落ちの車が、70万円の電池交換を必要とすれば流通はなかなか難しい話。新しい車に10万kmの寿命しかないというのはもったいのない話。

でも、10年落ちの中古の電気自動車を10万円くらいで買えるなら、バッテリーを70万円で載せ替えて乗るのは良い方法なのかもしれない。10万km乗ればガソリン代が120万円浮くから、実質、5回の車検代もいれてプラスマイナスゼロの維持費。また、10年落ちの中古の自動車が、2度目の人生を持つことができる、だが、他の部品などの供給が難しくなるのかもしれない。

10年落ちの車に乗ることさえ抵抗がなければ、このあたりが地球環境を考えたうえでも一番エコなあたりではないのかと思えたりする。

2020年09月20日
インターネットが始まった1990年代に、インターネットを使わない人がファックスで生き残るみたいなビジネスを展開していたグループが存在した、1600万台が日本で普及するという話で、50万円のファックス端末を購入する話。

そんなことはありえないとそれをやってる近所の方を否定するのは酷な話だけども、実際にそのファックスは普及もせずに今はだれも使っていないんじゃあないのか?会社も消えているだろうと思う。

儲け話みたいなものが後ろにはついているけども、そういうのに自分が欲で引っかかるのは仕方ないけども、他の人を引っかけてしまうのは気が引ける話である。今でもインターネットが使えない人がいて、ファックスで注文をしたりする場合もあるけども、ファックスのほうがちゃんと送れたか送れなかったかも小さな画面でごちゃごちゃと設定を探さないと見えないブラックボックスだったりする。

無料でいろんな情報を発信でき、無料でいろんな情報を得ることができるインターネットの普及を知らない人にとっては、そういう会員制のファックスが近未来を感じさせたのだろうけども、普通のファックスすら知らない人が逆にそういうのを信じて買ってしまうんだろう。

勧誘はしつこくもなく、信じないならそれでよいですと言われていたが、ある意味、今の投資詐欺事件と似ているので、20代の若い私が、40くらいの人にインターネットは普及してもそんな時代遅れの50万もするファックスサービスが1600万台も普及するなんてことはないですよと言ってることがやばいですよと釘を差す話。40過ぎてる人がこんなのにはまってしまってるんだろうと思えた。
2020年09月19日
クマなどの大型で人命をも奪う可能性のあるものは殺されてしまうのだが、シカにしても大型でも害獣として駆逐が必要となる。人命も熊や鹿などその他の動物も守りながらが難しいのは、人という存在があるからなんだろうなあと思う。

クマや鹿でも本来は仕留められても食べ物になるべきだろうけども、なかなかそうもいくまい。イノシシなんかでも、野生の動物を食べたりすると寄生虫の問題でアレルギーを起こしてしまう可能性も高い。

そういう動物たちがのびのびと暮らせるような自然の中での場所があってもよいだろうけども、それはそれで人のいない自然状態を作らないといけない話になってしまう。山にしても自然木であればそういう動物たちも生きられる可能性はあるが、杉林では食べ物をみつけることも難しいだろう。

日本でも動物たちのために、人間が踏み入らない自然を残すというような試みが必要な時期にきているのではないだろうか。個人がそれをしようとしてもフェンスを張るなどするだけでも、非常なお金が掛かってしまう。川などもある無人島などに動物を送るようなことが理想ではないだろうかと思う。

人間の都合で駆逐されてしまうのはかわいそうすぎる話である。
2020年09月18日
物事というのは成り立つように考えていかないと成り立たないものだなあと思うことが多い。なんにも問題のないレストランなんかでもこのコロナで多く廃業となってゆく、本部が決めれば終わりみたいな話で、実際は働いている人が自分たちの意志でレストランをやっているわけではないのであるからだろう。

コロナが終わればなんとかなるという覚悟で、働いている人たちが本部を説得してでも、あるいはオーナーとコック一人ででも自主経営で成り立たせていく形にすれば残せる道もあるだろうけども、そういう考えにはほとんどの場合ならないものなのだろうと思う。

個人経営のレストランなんかは自分がやるかやらないかだけ、そんな感じが基本で長続きするんだけども、100人のお客さんが入ることができるようなフランチャイズのファミリーレストランというのは、食材なんかもレトルト化されて暖めるだけのものも多くなっているし、食材の原価率も20%台だろうけども、それでも成り立たせることが難しいのが広告宣伝費や人件費とテナント代、巨大な設備の維持問題なんだろうといえる。効率化が進みすぎたがゆえに、効率化が働かない場合にはなすすべがない。

数年前のある大雨の日に、近くのそこそこ人気のラーメン屋が看板の照明も消して店の中の電気はついている、やっているのかやってないのか分からない状況。ワンオペの状態で、店を一人で店員が回しているお客さんは私一人、アルバイト店員が一人で何かの事情でお店を任されたのだろう。自暴自棄でその店員さんは愚痴をこぼしながら腐ってしまっている。私一人がお客さんなので一人を相手にすればよいのだが、それでも一人もお客さんが来ないように照明も消していたのだろう。従業員として一人いても、お客さん一人分のラーメンをつくるのも嫌そうな感じ気の毒に思った。情熱のラーメンの店が謳いなのではあるが、一人一人にそういうのがあるのではないなあと思える。多くの従業員がいないと成り立たない量産型の店舗経営。

また、別の時に、別の牛丼とカレーがメインのファーストフード店、7時半くらいに朝行って食べ始めると、急にあと15分でお店を閉めますという話、次のシフトの人が来ないということで、そのワンオペしていた人は家に帰らないといけない事情があって店を閉めるということ。そのとき思ったのがそれでよいんじゃないかと思う。その女の人にしても、単なるアルバイトで、早朝の1時間、2時間を任されているだけなんだろうから、次の人が来ないなら、店を閉めるというのもありだろう。本来はそういう場合には、本部の社員が来て対応をするべきだろうけども、本部の社員でもアルバイト一人がこなす仕事を背負うような覚悟もないだろう。スーパーバイザーみたいのは指導だけで自分が代わりに業務全般を知ってはいても実際の緊急時に一人で覚悟決めてこなせるようなタイプではないだろう。それで成り立つのがファーストフードの人気のお店。

東京で夜に入った、さっきと同じファーストフードのチェーン店では一人が20人以上のお客さんの相手、外国人のアルバイト女性店員。料理をつくる、片付けるから会計まで、多分、働いてそれほど長くもないのだろうけども、それを嫌な顔せずに次々とこなしているすごいなあと思った。この女の子なら何をやっても成功するだろうなあと思える。おっさん店員が一人いたとしても3分の1のお客さんをあいてするのも無理だろう。普段は3人でやっているみたいだけど、たまたま、その日は他の人の都合が悪くって一人だという。そういうピンチを支えられる力というのがあるのが、20歳くらいのアルバイトの女性の女の子、世界中どこでも働けるタイプで、将来は企業経営して成功する器だろうと思う。

フランチャイズの本部というのは本来はピンチのときには社員を派遣しないといけないのだがそういうのもできずに搾取状態にあることがほとんどで店任せ。店も能力のある人と力のない人の差があって、店にたくさん人がいたとしても、能力のある人が能力のない人を支えているような状況なんだろうと思う。休みなんかも社員なんかが優先されてその穴埋めがアルバイトだから、大事な時ほどアルバイトが成り立たせているようなもの。

能力のない人がかわいそうに見えるかもしれないけども、能力のある人が自分のことだけでなく他の力のない人の分の仕事も2倍3倍仕事して支えてで成り立っているもので、能力や他の人を思いやる気持ちのある人というのはかわいそうに思える側面がある。
2020年09月16日
涼しくなって仕事がしやすい。今日は、リネンデニム用のかなり重いビームを巻き終わって一階に下してつなぐ作業。ちょっと失敗があって、後で手で繋がないといけない話に、難しい織物だけにうまく織れると良いが・・・。

織物を知るということで作業を手伝ってもらっている方には、夕方から繋ぐ作業を眺めてもらう。やればやるだけ作業は進んでは行くけども、まだまだ織出しは先の事。明日一日くらいは掛かりそう。

並行してキッチンクロスのサンプルを織っている台が繋ぎ始めてから数えるとで1週間くらいでようやく終わりそう。途中カード作って洗って仕上がり寸法を測ったりしながらサイズなども希望サイズに程度に収まっている。

他に2件サンプルを作る話、本生産用の糸なども順番に上がってくるので、順番にやっていかないとならない作業は多いけど、余力ができれば3月までに久しぶりに林与プロジェクト的なこと動こうと思っている。

2020年09月15日
日本の政治をみているとどうしようもない泥臭さがあって、死ぬまでわしが、わしが、いうこと聞かんと干すぞみたいなのに縛られているような気がする。世代交代をせんと、そういうのに巻かれないと生きてゆけない若い世代はつぶされてゆくだろう。

昔、中国に秦の始皇帝がいたけども、後世からみれば偉大な事業をしたようにみえるけども、多くの人たちが奴隷状態で国のためじゃなく秦の始皇帝のために奉仕ばかりの人生。真の始皇帝は自分が不老長寿の薬で永遠に皇帝であろうとした。日本の典型的な政治家の人生観みたいなものはそれに近いのではないだろうか。国家統一とかは人の欲程度の愚かなものでしかない。支配欲にまみれた政治家と関わらない、影響を受けない人生があっても良いだろう。

織物の世界にいても、わしがわしがの人は多い、自分がやっていれば別に構わないけども、仕事する側で人を使いたいばかりの輩はどうしても他の人を働いた分を食う側にしか回れない。アメリカファーストのようなトランプ的な政治だけは目指さないでほしいと思うが、政治家がトランプみたいなのに憧れていると、それを実際に支える底辺的な階級がどうしても必要になってしまう。逆に自分で働いでてもないものがトランプの相手をしているのも、虚構にしか思えない。なぜ、働いて支えているものを悪いことをしているように見下すのだろう。古着を着るとかリメイクするとか簡単なことじゃなく、コットンを育てて、紡いで服を作るとかのレベルまで行ってほしいなあと思う、きっと見えてくるものがあるだろうと思うが、そういう作業を見下しているようではいつまでも他の困っている人を支えられるような人間性は生まれないだろうと思う。

なんか、エシカルナ賞で1000万とかが副賞とか、どれだけ金満で救える人も救わない世の中なんだと思う。それで何百人もの食べるものもない命が救えたりするけども賞や式典や審査委員の権威が大事なのかと思えたりする。ノーベル平和賞も同じことで、実際食べるものもない人間に1憶をばらまいたほうが現実的には命を救えるが、賞というものに権威主義的になって、上から目線になってしまうと存在自体が主催者たちの権威ためという愚かなところになってしまう。

ノミネートに力を使うくらいなら、貧しい人々の命を救う活動にその労力をと思うが、手を汚したくない人間が運用していると、それは絶対に無理な話。

私が滋賀県の行政がボランティアしてますか、みたいな上から目線の基準。公務員というのは搾取的な部分が多く、責任もないボランティアなんてものは簡単なこと。ボランティアじゃなく、人を雇用して成り立たせていくという本質を大事にしてゆかないか。それを支えている人たちを叩いてもしかたない、支えているものは支えられる側よりも覚悟を決めて働いているのに、それを見るものがその覚悟もなく、為政したいレベルだと傲慢な搾取的な考え方を理想に思うレベルでしかないんだろうと思う。それはボランティアとは逆の反ボランティアの行動そのもの。

国際的なリーダーを養うという大学を中心とした団体がある。主旨には賛同をするけども、結局が、企業がすべて負担して面倒を見なさいというようなレベルだと、感覚自体が学生のアルバイトレベルでしかなく、逆に、求めるばかりで搾取的なリーダーが増えるだけではないのかと思う。取るばかりのリーダーを育ててどうするのと思うが、リーダー養成機関ですらもそれがビジネススタイルでアカンだろう。学生自体のインターンシップが現金すぎて成り立たないのだろうけど、本当のリーダー経営者を育てていくには難しいだろう。日雇いのアルバイトのほうが覚悟があったりして、本職というのは本質的にはそういう日雇いのアルバイトの人以上の覚悟で他の人を育てて面倒も見ていくくらいでないとサステイナブルでもないだろう。リーダーがまず自分の待遇を求めるところから始まるという、養う側のリーダーが養われる側の世界。大学の先生たちの軽い感覚あるとそれは学生にも影響を及ぼして、結局、自分自身が食べてもいけない学生をリーダーとして育てている学校教育に終わってしまう。それなら、学校で勉強しなくても、コンビニでバイトして現実社会を味わったほうが大学以上のリーダー教育の価値がある。

人を支えていくということは、自分がじゃなくの世界で、昔の家族が食べていけないから自分が頑張って働いて家族を支えていくの世界。国民が食べていくのが難しいから自分が働いて国民を食べさせていくみたいな覚悟が政治家にも必要だろうけど、与党にも野党にもそういう覚悟はまったくないだろう。カネがすべてで、政治はカネの取り合いだけに終始。政治がそれじゃあ一番駄目な政治だが、それが普通の政治になってしまっているのが末期状態で、政治家の政治の仕事のほとんどが自分たちが責任から逃れ待遇を享受するというのが普通の政党のスタイルでそれが国民からの搾取で成り立っている。政治家はせめて、日雇いの底辺以上に現実的に働く覚悟もなければ、人々の面倒を見る政治家も目指すべきではないだろうと思う。

トランプでもアメリカファーストといいながら、政権が交代すれば、まったく、国政には協力しないだろう。私が本当に残念に思うのは、滋賀県知事をやった知事の人が、自分が立ち上げた事業に、知事が終わったら個人として、費用負担して見に来ることもないこと。それが政治家の現実で、最初に開催された時には、自分があいさつに来て、そのあと引き継いで行われているイベントでも、あいさつにきて大事なイベントといっている元知事ですらも顔を見ることがない。知事の政治的な食い扶持に人々の本気が社会を支えていく気持ちが使われては本当に困る話。自分が数千円の観覧費用も負担できず、見に来る覚悟もないイベントをバックアップして立ち上げて政治とは、地元行政が本当に情けないのである。
2020年09月14日
環境負荷という問題を考えるときに、シャトル織機は環境負荷がすごく低いだろう。例えばモーターは1馬力とか1馬力以下とかが普通で、レピア織機のモーターが3馬力くらいなのと比べても、消費電力の違いの差は3倍くらいの差で大きい。なぜ、そんなに馬力がいるのかというと、レピア織機の場合、ブレーキを掛けるのも電気の力だからだろう。シャトル織機は、止まるときもブレーキをかけていてもやんわりと止まるし、框を手で動かすことができる。あと捨て耳もでないから、糸の使用量もレピアより5%くらい少ない。水溶性の糸道油を塗る必要もない。だが、生産性は低いし、耳切が必要だったり、シャトルの交換が必要だったり、人が機械の面倒を見てあげる必要がある。

シャトル織機のほかの問題は、シャトルとかが消耗品であることで、今は日本では1つのメーカーしか残っていない。高品位なシャトルなのだが、1つが1万円くらいはして、普通のものを織るには壊れることも少ないが、高密度などの高度なものを織ろうとするとシャトルを挟んで、はさんだ場所が悪ければ、シャトルも壊れるし、織機の部品も壊れたりする。織機の調子が悪い時には、調整で立て続けに新しいシャトルが2個3個壊れることもある、ほんとうに稀なことだが本当に落ち込む話である。シャトル織機の金属製の部品というのは使い方にもよるけど、10年、20年、長持ちものが多い。その分、油を毎日少し差してあげないといけないけども、油の使用量も、1滴に2滴で微々たるものである。一方レピア織機では、油はかなり消耗してしまう。

今は鋳物を溶接することが難しくなってしまって、シャトル織機の鋳物が欠けてしまったときにそれを直すことも難しくなってしまった。溶接にしても、溶接面を面取りしたりと、人の力を必要とする作業で、機械に任せれればくっつくというものでもない。ましてや、鋳物の種類すらも不明で勘で一発勝負で溶接となる。匠の技みたいなものが必要である。

日本での織物の織機メーカーは、シャトル織機に関してはすでになくなっているし、レピア織機も1社あっても特注らしい。国内アパレル向けの織物生産規模がどんどんと小さくなっているので、その織機のメンテなども難しい話が多くなって、スペアでパーツを持っていないといつの間にか手に入らなくなるみたいなことが普通。今の最先端のものづくりだと、最新の織機を入れて7年くらいで償却してまた新しい織機を入れるとか、そのためにはよほど大量生産をしないといけないし、織機もまだ使えても部品が手に入らなくなるので入れ替えすることになる話で、環境負荷は大きいのではないかと思う、というより、そういう大規模な工場そのものが採算が合わなくなって消えてゆく。すなわち、小さな工場よりもサステイナブルではないのである。

日本なんかでも、大手のアパレルが廃業となっても、ブランド名は売買されるが、従業員たちは雇用を守るということが重視されて、逆に、人がお荷物みたいな存在で、リストラもできず、全員解雇で廃業を選ばざる負えないのである。一つの会社の存在よりも一人の人生のほうが長い状況で、人の雇用の面倒をみるというのが成り立たなくなっていて、一般的に脚光を浴びるのが何千億もの利益を上げて消えてゆくようなスタイル、それを理想としてどうするのと思うが行政にしてもそんなもの。長く続くようなスタイルを目指さないとその場の風見鶏的な判断していては、地道な経営ほど評価が低い。林与のような地道な考え方は、今はそんな時代じゃないという人も多いし、よくわかるが、そういうのに仕事の意味とか人生の意味があってよいんじゃないだろうかと思う。自分が働いて自分だけでなくほかの人も支えるとか、サステイナブルの理想そのものじゃないかと思える。

シャトル織機が酷だなあと思うのは、なかなかベテランの職人さんでも、シャトル織機で麻織物の特殊な織物を織るのは難しいという問題。レピア織機は調整箇所が少ないので、織れるものも限られているけども、シャトル織機の場合には、織機が壊れるような調整も可能、だから、特殊な織物を織る調整にも持っていきやすい。調整がはぐれたシャトル織機というのは、元の状態に戻すことが難しいので、なにか一つ大事なことに気が付かないと何か月かけてもまともに織れないということもある。人には酷だけど環境には優しい。でも、体を動かして働くということになるので、シャトル織機を動かしている人というのは頭も使うし健康で長生きできると想像。
2020年09月13日
昨日あたりから涼しくなって、たぶん普通の人だと肌寒いくらいなのかも、気温が下がるとコロナの活性化が増すだろうから要注意なのである。寒い中での体温38度と、暑い中での体温38度とでは、体力の消耗度合いも異なるだろうから、とくに冬のコロナは要注意。コロナも体内で活性化しなければ問題ないのだが、冬場は風邪などの症状と相まって活性化しやすい。また、吐息すらも白く漂うのが冬で普通に息をするだけでクラスター状況に陥りやすいだろう。夏場と冬場では、対応を使い分ける必要があるように思う。

イギリスのワクチンも治験で副作用がみられたというが、その詳細すらも発表されないようなお粗末な話。商売に悪影響がでるからだろうけど、コロナウィルスのワクチンに関しても契約だけが先行して、すなわち、株価を高騰させるとかそこがワクチンビジネスの一番の目的になってしまわないように注意が必要である。製薬会社の人間が自分たちじゃなく、ボランティアで治験というのもさすがだなあと思う。決して自分たちが手を出さないものを商売として他人に提供しようとする。ラットでは成果が出て副作用も見られなかったのだろうが人間だと副作用がみられるという問題。

紫外線の消毒の問題も要注意である。ラットで目に問題がなくても、人の目には影響が及ぶ可能性は否定できない。メーカーの社員や大学の教授が、その装置を直視して1日やって、失明しないから大丈夫とかなら信用もできるが、そういう馬鹿なことはやらないだろう。短期的な影響と長期的な影響では健康に対する安全性の概念は異なる。除草剤を2L飲んでも大丈夫という科学者が、差し出されたときにそれを飲むのかというと絶対に飲まない話だが、科学者というのはそういうものを2L飲んでも安全と謳ってしまう下衆なところがあるものである。結局アメリカではその会社の農薬も巨額訴訟問題になって、そのメーカーは消えたが、遺伝子組み換えとか、安全性や社会に与える影響よりも金儲けが先に立つと、社会に大きな渦を残して最後の大きな責任からは逃げるだけというだけの人たち。

除草剤を掛けても枯れない遺伝子組み換え植物。食べて本当に大丈夫なのかという問題。大丈夫と言ってる会社の食堂では遺伝子組み換え植物は材料としては使われないとか、自分たちが安全というなら率先して食べてゆくべきだろう。カネミ油の問題でも、結局、国もメーカーを調べもしない方向にもっていくという問題が被害を広げた。輸出産業というのは国益になるので、国内では禁止しているものでも海外輸出向けには製造と販売を許可するというのが世界中である農薬ビジネス。メーカーの人たちは自分たちの油の危険性を知っていたんだなあと思う、メーカーの家族の人たちがカネミ油症になってないから、自分たちは自分たちの製品を使ってなかったということ。先進国では危険だと禁止されているものが農業が盛んな途上国では安価で即効性があるから大量に使われているのが普通。本来は先進国内の問題なんだけども、そういうビジネスは王道的なまま同じ感覚でエコなビジネスも行われることも多い。
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