for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3624
«前のページ 1 ... | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | ... 182 次のページ»
2020年06月21日
人という要素を抜きにしてはブランドなんかも単なるラベルだろうと思うことが多い。私自身はライセンスブランドというものも、そのブランドを支える人が、ブランドをライセンスする人よりも本気ならまだ、ブランドは成り立つだろうけど、ブランドを消耗するだけのライセンスは商社に良くありがちだが、ラベル商売そのもの。

高級に見せて安価につくって化かすだけで、正規品を販売しているものが偽物ブランドと同じ考え方になってしまってはその正規ブランドそのものが消費者からすれば偽装。謳うことが偽ブランドに簡単に真似されてしまうとか、流通の経路が不透明とか、メーカーがメーカーでなくなり商社的になってしまったら、ブランドも終わり。

人こそがブランドで、個人名を称してブランドが成り立つ、林与も個人がどこまでやるかだけのこと、カネでライセンスするブランドというのは本家よりも受ける側がブランドを支えるような立場。ブランドは金で売り買いできるようなものでは本来ないのだけど、それがまかり通るのが、ラベルだけのブランド商法。本家が偽装される偽物と同質の考え方になってしまっては正規の手続きとか法律的にとかになったら、ブランドは終わり。人は人を信用して物を高く買って使っても満足できるという本質、その根本すらも逸してブランドがなりたつなら、消えゆく世界でよいのじゃないか、たとえばR社さん。人が人として、消費者を裏切るような行為を平気でやってしまうR社さん。

いくら有名でも褒められたものじゃない。林与の企画パクって上場のプリント会社がパクっても問題ないとか平気で言うから、間に入った問屋さんが可愛そうで免じただけ、再起なんて、被った下請けが気の毒で、企画をパクるが当たり前ならつぶれたほうが良いんじゃないか。
2020年06月21日
日本が豊かだなあと思う反面、チャンスが少ないなあと思うのが、例えば、10年落ちの中古の軽自動車、ちゃんとまだまだ走るのに無料みたいな値段で手に入るが、一方、保険料や車検など維持費は新車と同様にかかる。仕事で何かやろうとしても結局逆にお客さんになってしまうケースが多いのが日本だなあと思う。

日本だと普通は車が飽和して売れなくなるのだろうけども、他の維持費が高いので結局新車を買ったほうがよいという判断になって、新車が売れている要素もあるだろう。どんどんと車もガジェット化して、機構が複雑になるとリコールも増えてくる。そのリコールを車検の時にカバーするというのが日本の車検システム。

他の産業も同じようなシステムにすれば成り立つのだろう。例えばスマートフォン検査制度やパソコン検査制度などつくれば、検査のたびに、スマートフォンやパソコンの新品の買い替え需要を促すことになる。服も、洋服検査制度とか、洋服リサイクル制度とか、2年に一回洋服を検査しないとダメとか、リサイクル料を取るとか。

私自身は、そんなことして産業を成り立たせるのは馬鹿げたことだと思う。結局、そういう制度で守られた自動車産業の向かう方向は、自動車を所有しない方向で、日本では都市化が進むという結果だろう。自動車免許そのものも、昔ほど必要性がなくなって来ていると思う。日本全体とすれば、車を持たない学生のような生き方が大人の普通の生き方に近づいてきている。
2020年06月20日
今日は、将棋の竜王戦3組の決勝で、藤井聡太7段とその師匠の杉本8段が対局。結果は、藤井聡太7段が勝つ形。藤井7段のほうが実力は上回っている感があるというよりも、藤井聡太7段はもう将棋界では一番強いだろう。けども、師匠は杉本8段なのである。

その意味というのは、杉本8段というのは将棋を育む場所を持って若手たちを育てる立場。その役割においては藤井聡太7段が強いと言えども敵わないところ。弟子に負けてうれしいというくらいの大人らしさがある。

なかなかそういう大人らしさというのは持てないもので、若い者と張り合ってしまうばかりの経験者も多い。それでは師匠としての貫禄が足りないんだろうなあと、選手としての活躍の場は次の世代に譲り、勝ち負けじゃなく、全体を支えるような立場で自分たちがやっていることが正しくあるというのを保つことが師匠のような立場の人間の仕事だろう。

師匠というのは下手でも構わないが一生懸命な人でないとダメだろうなあと思う。仕事なんかにおいても金儲けが仕事みたいのは勝ち負けだけにこだわっているようなもので、たとえ自分が損な役割を引き受けてでも全体として仕事の正しさを貫くようなあたりが大事なんだろうなあと思うことは多い。自分自身、頑張っている人を馬鹿にするでなく応援するような人間でありたいなあと思う。本当に頑張っていろんな物事をこなして行けば繊維業界というのは仕事らしい仕事で悪くないと思う。不労所得的なものを求めるより、手や足、体動かして、頭も使って、働くことは大事だなあと思う。
2020年06月19日
毎日ほど夜出荷に行くときに、もう今は営業していない中華料理店の前を通る。日本語も上手じゃない中国か台湾の一家がやってられたお店だけども、コロナ流行の1年ほど前にお店を閉じられた。ある意味、正解ではあったんだろうけども、人の少ない田舎での商売というのは本当に難しいなあと思う。20代だろう娘さんは一人日本語が上手だったので留学生が卒業され家族を呼ばれ、日本で台湾料理のお店を開かれたんだろうと思う。なんの問題もないお店で一家で一生懸命に働かれていたけども成り立たないみたいな話。昔の日本の食堂みたいな感じで、親が働く中、子供がテレビをいつも見ていた。子供に取ったら日本語を自然と話せるようなチャンスを親が与えてくれてそれが将来役立つことになるだろう。

そういうお店が閉じてしまうことでまたその周囲は難しそうなイメージになる。喫茶店や飲食店の空店舗が何軒もある。飲食関係は、都市のオフィス街や商業地や歓楽街でないと難しいのかなあと思える。飲食業というのはお客さんのいる場所で営業するというのが王道なんだろうと思える。

繊維業界は、サービス業ではなく製造業なので、モノが主体であるから、海外からの繊維製品がたくさん入ってきて国内の繊維業界は衰退気味、でも、林与なんかが田舎で商売をまだやっていけているのは製造業だからだろう。

今日は、地元の織物工場さんの方が織機の部品の件で見えられた。奥さんと二人で動かしておられ、織機の数が少ないと人手が余計に必要になることが多いので林与よりも大変だろうなあと思う。林与にしても、奇跡的なことがいろいろとあって続いているようなところがあるから、一生懸命に働くところを最低ラインにしておかないと、奇跡も起こりにくいし、チャンスがあってもチャンスに向かう覚悟できなかったりするだろう。
2020年06月17日
今日は、リネンマスクを作った。社内で作ると2人で、1日24枚くらいがよいところだろうか作った後、すぐに使ってもらえるように熱湯で煮沸、乾燥してビニール袋に入れればできあがり。縫製した布マスクは、ご使用前に水洗いなどは必須。


2020年06月16日
新型コロナとマスクの関係と、欧米で鼻水が出た時に飛び出すのが、日本のようなポケットティッシュではなくハンカチ。あと手鼻をかむ国もある。実はハンカチで鼻をかむ文化もコロナの問題に影響を与えているのではないのかと思えたりする。結局、ハンカチを何度も使えば鼻水そのものが手についてしまうわけで、使い捨てのポケットティッシュのほうがウィルスの蔓延を防げることになる。新宿のホストもスーツで決めているので接客時は風邪の症状の時にティッシュペーパーをまき散らすよりもハンカチ派ではないのか。

日本も含め、台湾やベトナム、アジアの文化は案外、やわらかい使い捨てのポケットティッシュの文化なのである。日本も年配の人の死亡率が高いのは鼻をかむのにあまりティッシュペーパーを使ったりしないのではないだろうか。若者だと風邪ひくと一箱がすぐになくなるとかもよくある話。布マスクも、内側を手で触れると同じ効果があるので、取り外した際などには注意は必要だろう。

イギリスだけでなくイタリアやフランスもハンカチで鼻をかむ文化が根付いていて、高貴な人たちが結構、コロナに感染してしまっている。日本人は手を鼻水で汚すことは少ないが欧米の人たちはハンカチで鼻をかんで何度も使うことで手が汚れてしまうということに繋がる。伝統的を重んじる文化がこの新型コロナには通用しにくいあたりだろう。手を洗いにいくにもドアノブを握るのでドアノブがウィルス汚染されやすい広がりやすい話。コロナウイルスを軽んじてしまうと、お辞儀じゃなく、欧米のハンドシェイク文化も感染を加速させることに繋がるだろう。欧米では社交的な生活をしている紳士淑女が新型コロナの感染リスクは高いのかもしれない。

ポケットティッシュ持ち歩く文化とマスク文化は整合性があるようにも思う。マスク文化圏では風邪気味の時にポケットティッシュを持ち歩いて鼻を噛むイメージがある。世界的に若い世代はポケットティッシュで鼻をかむのが普通になりつつあるだろうけども。欧米では鼻をかめない硬いティッシュもまだまだ多い。欧米でもクリネックスは有名だが、アメリカでティッシュといえば、日本のように柔らかいティッシュペーパーよりも硬めの袋詰めされたペーパーナプキンみたいなイメージが残ってる。そのペーパーナプキンを鼻をかむのにつかうかどうかは迷うところ。

コロナを軽く考えた国は蔓延するし、ロックダウンして収束しても気が緩めば再燃してしまう。医療関係者が感染状態で働いていると病院内でのクラスターや医療崩壊。それを避けるためには自制は必要ではないのかと思う。
2020年06月13日
もののありがたみという面で、私自身も反省をしないといけないなあと思うのが、途上国でのものづくりを蔑むこと。現地の人だって生きるために懸命に働いているということ。優雅な先進国の人々が自分たちが仕事嫌いになってものを一生懸命につくることを嫌がり、他の人たちに作らせて自分たちが仕事しなくなって食べてゆくような構造。資本主義的には発展型の永続的なモデルなのだけども、これはまさに投機的な生産モデル。企画するものに安く作れるから海外で作るという作り手という目線がない。発注する側に、国内の作り手に対しても海外の作り手に対しても人を支えるという要素がないのである。発注する側というのが生産サイドにいながら生産環境というものを使い捨てにしてしまうあたりが、投機型の生産。

一般消費者の方だったらほしいものがあれば買う、それでよい。企画の人が自分が企画するのに、売れるからほしい、売れないからいらない、という転売感覚での企画だと、生産基盤の意地すらもが睦かくなる。よく企画の人がモノづくりの人はものづくって、売るのは自分がみたいなこといわれるが、売る側のその人が生産基盤を維持するだけの注文をつくれるのかというと、供給側に立つなら、は供給を成り立たせるような目線がないと無理なのだが、毎年何百万円の発注を入れる確約もなくてものづくりを支えるとかいうのは、現場の一人の人の雇用も確保もする覚悟もなくものづくりは無理な話。繊維業界というのは構造的な問題があるなあと思う。

年商何百億円の会社でも相手にしたくないのが、年商何百億円の会社にありがちなのが、生地を発注して買わないとか。繊維関係ではそういうのが多い。あと最近話題になった更生法申請したR社も、林与の絣柄のプリント企画をパクるような、ファッション業界においては恥ずべき汚行、イギリスの高級ブランドアクアなんとかのブランド名が泣くような話。間に入った問屋さんの個人的に気の毒なすぎて、1回限りの企画のパクリということで許しはしたが、R社のデザイナーのパクって当たり前の感覚は消費者の高級ブランドに期待する感覚とはまったく違う。林与の近江上布絣プリント企画パクって成り立つイギリスの数百億の高級ブランドってなんなのと思う話。1回だけだから個人的に問屋さんの誠意に免じてだらしないR社の世界に名だたる高級ブランドのデザイナーの企画のパクリという汚業を林与が免じた話。

2020年06月11日
昨日、今日と倉庫で重荷出荷作業。織物を織るのに比べるとそれほど時間も掛からないけども出荷というのは最後の仕上げみたいなもので、検反機で検反や検長を調整しながら、1反1反を袋に包んで作業。1本あたり、大体、10分くらいの作業だろうか。織物というのは結構体力を使うものなのは検反も同じ、最後、紙袋に反物を梱包すると、林与の麻生地はまだ軽いほうなのだが、一つの紙包みが130cmX40cmX40cmくらいで、30kgを超えてくる。このくらいになると普通のおっさんでは運ぶのがなかなか厳しいくらい。

広幅の織物の工場だと、160cmとか180cmとかの反物を織られているところがあるが、1反が、160cmを超えて15kgを超えてくると、その一本を持って運ぶだけでも相当しんどいもので、林与の反物は可愛いものである。リネンストール生地も出荷したが、大きな反物を扱った後に、片手で簡単に持ち上げることのできる60cmほど幅のストール生地というのは可愛く思えてしかたない。ストール生地でも耳糸を綺麗に切る前はボロボロの生地のようにみえるけども、綺麗に耳糸をカットしてあげると上等の生地に変わる。

夜、雨の中、急ぐ5個口を持って、運送会社に行くと、出荷する荷物を載せる予定のトラックがちょうど出発。あー、1日の苦労が無駄になったかと思ったが、とりあえず、明日でもよいので出荷してほしいと頼んで、もう一回来るからといって、もう一度会社に戻って、1つ荷物を梱包してその荷物は今日の出荷に間に合って、さっきの5個の大きい荷物は明後日到着ですよねえ?と尋ねると、無理矢理別のトラックの今日の便に載せてもらえたようで、明日到着するということ、この2日間倉庫で張り詰めて動いていたのが報われた気分。働くって良いなあと思える。今日の夜は張り詰めたものから解放されてちょっとゆっくりしよう。
2020年06月10日
藤井聡太7段がタイトル戦の第一局で勝利。甘く見えるような手ほど毒饅頭でそれを食べてしまうともう後がなくなる。正確な読みで毒饅頭合戦を制した感がある。一番若い棋士が、一番強いと認めるような状況が今の将棋界。将棋界というのは、階級社会でタイトルホルダーなどには有利にできていて挑戦者には不利にできていて、普通は覆しにくいものであるが、たぶん、藤井聡太の師匠の人格が藤井聡太をつぶさないタイプなんだろうと思う。たとえば、藤井聡太7段の将棋を一番嫌いだと言ってたタイトルホルダーもいたりした。そういう人の弟子になってしまったらまず人間関係の面で苦しむことになり、また将棋のスタイルもすべての可能性を読み切ってストーリーを作る形ではなくなるだろう。普通の棋士だと先輩棋士からからかわれておちょくられて凡なることを要求されるのだろうが、師匠に暖かく見守られて毒されることもなく手本のように育った感じ。

将棋は強くても伸びる人間をつぶす方法はいくらでもあるから、師匠や先輩が、こいつを今つぶしておかないとと思えば子弟制度の中に縛られていると逃げ道がないので、人間関係的な重荷を強いることでつぶされてしまうことは多いものである。師匠の杉本8段は将棋はそれほど強いという印象がなかったが人柄がすごく良いのだろうと思う。そういう中では叱らずしてもまっすぐとした人間が育つ。村社会的な社会では、どうしても、有力者を中心とした序列社会でその有力者が中心であることが前提となって物事が進むように組み立てられる。将棋界の有力者といえば羽生永世7冠なのだけども、将棋のタイトルに固執するようなこともなく、普通に次の世代に譲れるようなところがあって、若くして年配者たちを超えてきた人生をもった人だから、若手には同じようなことを期待するのだろうと思う。

藤井聡太7段が登場する前の将棋界は瀕死の状態であったけども、役員たちが牛耳ってしまうような人間模様がどろどろとした将棋界ではなく、健全とした将棋界として再生がなされたと思う。人というのはどうしても自分の力が落ちてくると、保身的な策に陥りがちで体制をつくって居残ろうとするものである。繊維業界のしきたりみたいなものも日本的な経営というのもそういうところが大きいもので、よく企業なんかでもある、会長とか相談役とかも、居座るためなら無意味だろうし、次を育むためなら若者たちと一緒に黙々と働いてできる手本を見せればよい。それが一番の教育だろうと思う。

展示会などで、中国の繊維企業の中の人々と話をするとすごくものづくりに前向きで自分たちの中に答えを持っているような印象を受ける。日本の繊維業界の人と話をしていると一緒に仕事しているのに一方的なマイルールで答えを求められることが多いなあと思う。そうやって一方的なマイルールでやっていることが力があって優良な企業イメージであるような錯覚があるのだろうけど、そういうマイルールを持っているところほど、マイルールが通用しなくなった時には中から崩壊してゆくものだったりする。勢いのある企業というのはマイルールタイプになりがちだけども、しばらくすると、そういうのにあこがれる人の集まりになってしまうので20年もすれば取るだけの人の集まりとなって、企業の中でも年配者が若い者を食いつぶしているようなことになりがちである。

アパレルの企業の若い方とお話しするときに一生懸命に企業のマイルールに縛られて話をされる。その構造自体、もうその若い人が自分で責任をもってその仕事をするとかいうのが難しい状況からのスタートとなる。若いうちに失敗など経験してそれを自分で取り戻すような苦労を経験しておかないと、しばらくすると外に解決を求めるばかりのできないタイプが出来上がる。子供に見捨てられないように外は敵ばかりで親である自分だけが味方だみたいに甘やかし、自分の言うことだけを聞くように手なずけてしまうような親もいたりするけど、そういう親というのは子供の人生にとっては害だろう。そういう子供は外の世界では無責任な行動ばかり。企業の中でもマイルールの多い会社というのは同じような要素を持っているものである。結局、そのマイルールが普通のスタート時点に立っていないのでどこまでがそれぞれの仕事なのかもはっきりせずにぎくしゃくする原因にもなる。
2020年06月06日
道具には早いうちに覚悟して慣れたほうが、できることは何倍も増えてゆく。織機なんかもそうなんだけど、極端な話、パソコンの使い方も分からないままでいるより、徹底的になれたほうが良いと思う。私も今ま迄何十年の経験者にもっと早く確実にできる方法を教えるのだけども、それを受け入れられる人というのは例外的で、不確実性をもったまま作業してうっかりがあると全部やり直さないといけないとかが普通だったりする。新しいやり方に適応できるのは経験者では10人に一人くらいだろうと思う。逆に未経験の人というのは新しいやり方を基本の方法としてスタートできるから仕事が見えて仕事していることが多い。失敗はしてもよいのだがその失敗を次に失敗しないように正せる人でないと、経験者が素人にも負けてしまうのが普通。

単純な話、機場で織っている人が整経くらいはできてもよいのだが、パンチカードくらいはつくれてもよいのだが、糸量の計算をできてもよいのだが、最初に分業的な経験で始まった人というのは、その域から抜け出せない。今までそうやってるからそれ以外の方法というのはあまり経験もしていないので、作業の少ない単純な量産には対応ができるけども、数メートルのサンプルを1日2日でこなせるのかというとどうしても分業して1週間かかってしまうとか、本来は分業はスピードアップにつながるのだけども、それぞれの工程が長くやっていても経験が浅いことが多いのである。

糸を繋ぐのも、林与で数回教えるだけで普通につなげる作業なのだけども、それは他人事で織物の現場で何十年の人も多い。ある機屋さんから相談があって、タイイングマシーンの歯がないという話で、その機種というのは私の会社の一つ前の機種で、歯の入手は難しいから、それなら私の会社が使っているタイイングマシンが20万円も出せば買えるからの話をするも、それはなかなか受け入れられない話みたい。1台のタイイングマシーンを大事に使っておられるのだろうと思うが、林与の場合は、4台のタイイングマシーンがあって、もしもの時に備えている。

織機なんかでも同じで、作業する人間が2人でも30台近くあるが、それは私の考える人の力を最大限に生かすスタイルで何倍にも作業の効率化が可能となる。だから、林与が小さな会社でも大きな会社と同じくらいに布が作れるのである。織機でも使っているとうまく行かないときがあるけどもそこで問題を解決できず止まってしまうと、外から見れば仕事ができないという判断、それを避けるために織機をスペアとしていつでも使えるように余分に持っていることが大事に思う。

パソコンなんかももしもの時にスペアで同じのを5台持っている。スマフォも同じでもしもの時の予備に5台、プリンターも4台持っている。基本使うのは私一人なのだけども、何か問題があったときに、そこで止まってしまうことが今までも多かったのでそういうリスクを減らすことが大事だと考えて準備はしている。パソコンがうまく動かないという問題は、多くの方が抱えられていると思う、そういう相談を多く受けると使われているパソコンがハードディスクを読み書きばかりしているスラッシング状態のケースが多い。なぜ、スラッシングばかりするようになったのかみたいな問題を一生懸命考えるのは根の深い問題で、本来、パソコンはバグが多いものと割り切って問題が起こったらその問題を解決する方法を持っていることが大事だろうと思う。

何が正常で何が異常なのかの見極めが大事で、プリンターにしてもメーカーの人が解決してくれるのかというと、なぜか、プリンターのドライバーの導入の手順なんかも、認識させるのとドライバーを入れるのは本来はどちらでもよいはずなのだが、決まった手順でやらないと認識してくれないというケースがほとんどで、その辺りからして、すべてを解決する方法というのはなかなか難しいのが分かる。本来はハードウェアというのはハードウェアであればよいのだけども、ハードウェアもソフトウェア次第なのが、ボーインク737MAXのような話。

ハードウェアを作ることの難しさというのは織物を作る難しさと似ている。ハードウェアとしての織物はソフトウェア的な後でどうにかなるというような要素はほとんどない。一方でデザインの世界は織物をハードウェアてきに考えるのではなく後で変更可能なソフトウェアとして考えてのモノづくりで、一から新しい織物をつくるのと同じ以上に似た企画が増えることでハードウェアを管理する側はややこしかったりする。問題の解決方法をアイデアだけでいうのと実際に実行するのとではまったく別の話で、そのあたりが結局、繊維業界の根本的な問題につながるのだろうと思うところ。
2020年06月04日
戦争というのは、残酷な話だが、人を兵器のように消耗品として使うので、政治家たちは大量生産しようとする。戦争の悲劇を生み出すのも自分たちの中の扇動する政治家たちの存在で集団心理が弱者的な若者を犠牲にする。新興宗教の洗脳に似たところがあり、一番安全なところにいるものが他のものに命を投げ出させるのである。現代の戦争においても、兵器産業というものが存在していて、戦争ビジネスというものがあり、国際紛争というものの必要性があってそうでないと成り立たない国が多い。国家予算の何分の1かを軍事に使っている国が多いがそれもGNPの一部を構成しているのである。

飛行機が100億とか、そのミサイル一発が何千万円とか、家一軒はたかだか何千万円。攻撃したところで自分のカネを使いまくっていて、結局は軍事にお金を使う国の中で、下の階級からお金を吸い上げるカネの取り合いが目的なのである。戦争が起こったとしても守られるのは上位階級で下層階級というのは前線に駆り出される。吸い上げられてさらに命まで提供させられるのが下層階級。国同士の戦いというよりは、敵は外にいるように見えても、人が人を支配するために戦争というものが行われることが多い。待遇もよい上の階級のものから前線に送り込んでゆく制度にすれば一番正しいのだが、そうじゃなく逆なのである。人の汚さが一番見えるのが階級社会そのもの。

私自身が教育というものをあまり高く評価していないのも、教育で階級社会を作り上げ人々を支配するような構造が先進国ではみられ、本来の教育の正しい姿ではない。専門家があつまったところで、自分たちに都合が悪ければメルトダウンを隠すとか、国民が犠牲を犠牲を強いるだけとか、結果はその程度の事なのである。階級社会こそがいわゆるブラック社会の典型そのもの。WHOにしても、慎太太コロナの指揮をとるのに、事務局長が武漢入りもイタリア入りもしないというスタイルで、本質から外れる自分たちのカネ集めだけに必至だったりして、マスク不要論をばらまき、感染も拡大するのは当たり前で、WHOの存在自体がコロナの前には問題となる。戦争で金儲けしたり、人の苦しむのを金集めの道具にしてはならないのである。

私が自分でマスクを時には縫製したりするのもそこで、カネで人を動かして解決するのではなく自分のできる力で人を幸せにすることが大事。国民の親が自分の手でマスクを作ることができるのに、マスクを自分で作ることもできない人間が国民の命をカネで守ろうとしているが、視点からして違うだろうというところ。マスク云々を議論していても一般のおばちゃんのほうがマスクくらい器用に作って、高い給料もらっている人たちがマスク不要論から始まって、マスクの必要性に気が付くのはずっとあとで、マスクの入手もカネで解決しようとする。

マスクにしても私もマスクゴムを入手したりはするもののマスクゴムが手に入らないからマスクが作れないとかいうのはできない人の答え。代替ゴムとしてストッキングを使うとかいろんな工夫で乗り越えることは大事で、自分たちができることをできる範囲でやっていくというのが本当の解決方法なのである。

アベノマスクに関しては、国民の税金が使われているのに誰にいくら払ったのかも隠そうとする不透明なカネの流れなど脱税と同じ低俗な話だと思うが、あまり政治家を褒めない私だが、安倍首相自身があのマスクを自分でつけているのは評価する。自分が自信をもって国民に薦められるようなものに税金を使わないと納得もないだろう。だが何百億円の話だ、閣議決定しているだろうに、他の閣僚たちが付けようともしない、何百億も使って自分たちが付けたくもないマスクを配って国民につけさせようとする、そこが大きな問題なのである。テレビでつけてくれと説明している本人がそのマスクもつけていないとか、笑い話の世界。貴方のつけているマスクを国民に供給しろという話になる。国のマスクチームよりも、大きな商社よりも、一般の親や日本の多くの繊維の零細企業のほうが簡単にマスクを作れたりするのである。それは当たり前、あのアベノマスクでも海外で縫製も初めての素人の人が1枚10円の工賃ももわわず作っているのが普通だろう。それを相手の国を馬鹿にするのではなく、そういうながれで仕事を頼んで巨額の税金を使うだけでなく転売業者の中抜きビジネス構造を支える日本政府のマスクチームの問題としてとらえるべき。マスク転売ビジネスの頂点だろうと思う。

1990年代のコメ不足でも、タイ米が叩かれた。日本政府は税金を垂れ流して守っている日本の国民が主食のコメすら手に入らないときに、無理と日本人の口に合わないタイ米を7倍の税金掛けて日本人に食べさせて、外米は不味いとやった。それは本当にタイの人々にも失礼なことで、そういう風に誘導して安く作らせて自分たちは高く国民に流す国の問題。マスクにしても海外の布マスクが何十円ならだれも問題は質相応で文句もすくないのである。それが日本の政府チームが転売マスクみたいなことやって税金を脱税するかの如くの不透明なカネの流れをつくるから駄目。役人たちが税金の使途も正しく説明できない税金泥棒みたいなことばかり。巨額の税金を使いながら、現地では小売りでも20円30円でなんぼでも手に入るマスクを100円の転売価格で数千万枚規模で日本国民をボッタクル。マスク転売で一番悪質なのが日本のマスクチームだったりする。日本の縫製業者がマスクをつくるとそのあたり隠そうとしても隠せないから。
2020年06月03日
かなり、ジメジメとした蒸し暑さ、雨も降りそうで降らない感じの1日。夏が来た感じで、ショートパンツで仕事。問題は、蚊の存在。動いているときはよいけども、デスクワークすると、噛まれて余計に体中が熱くなる。去年の蚊取り線香が残っているだろうと探すと、50巻きのうち10巻きも使っていない。マッチがどこにあるのか、最近はマッチを使った覚えもなく、もしかすると去年蚊取り線香をつけたときのが残っているかもと探すとそのまま残っていて、まだ、火が付いた。

蚊取り線香はカンのなかに40巻き残っているけども、蚊取り線香のケースがないので、仕方なく、代用になるものはないかと、まだ食べていない鍋焼きうどんのアルミの鍋。それをそのままだと危ないので、プラスチックのボールにはめ込んで、熱がどこにも伝わらないようにして使う。明日はケースを買いに行こう。もうすでに5か所は足を噛まれて、集中してかゆいのを我慢する。救急箱のなか、ムヒの箱はあるけど、中身がないので、代わりに、マキロンを縫ってみる。すーっとしてないよりはマシ。

蚊取り線香というのは、金鳥のマークが有名だが、あれは、蚊が鶏を嫌うのと菊の成分を嫌うあたりから蚊取り線香がつくられているそうだ。江戸時代から日本では知られている蚊の退治方法。蚊帳というのも昔は、麻で織られた。なぜかというと、粗く織っても麻は毛羽があるので、蚊が入ってこないから。蚊帳というのはエコなものだなあと思う。薬剤を使わないし、窓を開けてすずしい空気を入れ替えることができる。と思いながらも私は蚊帳は使ってはいないあたりは反省点。

近所の方がご家族の方が京都に引っ越しされるので荷物を運ばれるのに軽トラをお貸ししたお礼にビールをいただいた、スタッフの子にも少しおすそ分け、物を頂いたときにはなぜかおすそ分けしたくなるものである。

今日は、工場の中で整経。整経は私にとっては空気のような仕事なのだが、整経もただ必要量を整経するだけならそれほど難しいことでもないのだが、染めた10kgの糸を、必要な整経ための糸を計算して横糸の分を残しながら、ちょうど使い切りたい灯目標があって、チーズワインダーでカウントしてとりあえず整経のところまでは失敗もなく終わった。残った糸を横糸用に固めて、横糸に使う。

織物の作業、もう、日本では過去の仕事の世界だろう。でも、やる気さえあれば2週間ほどで織物の一通りを味わうこともできる。1年もやれば仕事も経験でき熟練者並みになれるだろう。仕事というのはやるかやらないかだけのことだと思う。それの繰り返しでそこで止まるのかさらに前に進むのかの話。その一回が我慢できない人が多いのが織物の仕事、熟練者でも目の前の1回がちゃんと織れなくなるとそこでもう仕事としては難しくなる。それほど難しい仕事ではないが、目の前のことを自分でやり遂げることが必要。出来る人は最初からできるし、できない人は最初からできないみたいな要素がある。

最初の1回を逃げるともうそこで次も同じことを逃げてしまう、素直に受け入れて動ける人というのはどんどんといろんな仕事が広がる。これは大変なのだがそうでないとものごとの全体をみることはできないだろう。全体が見えた時に仕事の意味も変わってくることは多い、私の場合、織物の仕事であっても、他の仕事と共通するような要素が多いなあと思うのである。
2020年06月01日
夏向けの冷感の有るマスクの作り方は、普通のリネンマスクを水で濡らして絞って、形整えてつければよいだけかもしれない。それだけで涼しいですよ。また水につけて絞って少し湿った状態でつける。保冷剤うんぬんよりもよいんじゃないのかと思えたりする。

ストールなんかも、水で濡らして絞って首の周りに巻けば、熱中症対策になる。マラソン選手が体を冷やすために首の周りに水で濡らしたストールを撒くのも体温を下げるのには一役買うだろうと思う。

保冷材の問題は、凍傷になる可能性もあるから、気化熱で体から熱を奪う水が一番良いのではないだろうか。原始的ですが、ぜひ、水を絞ったリネンマスクを、夏マスクとしてお試しください。、
2020年05月29日
私がものづくりをするときに自分でどうやったら自分がほしいものが作れるのかを考え、形にしてゆく。たとえば、「マスク専用ゴム通し」を作ること。自分がマスクを製作していてマスクゴムを通すのに毎回面倒な作業だなあと思っていて、専用のゴム通しも品切れなので、シャトル織機のヘルドを使ってみたところ非常に便利。自分が使うだけならそれでもよいのだけども、多くの人に提案するときには、完成度が高くないといけない。

まずは、材質、シャトル織機のヘドルは鉄製、鉄製は錆びるので新品を使ったとしても、水洗いなども適さないので良くない。シャトルのヘルドよりも、レピアのヘルドのほうが丈夫でしっくりくる。ただ、そのままカットしただけでは、実用性はあるが商品としては安定感が足りない。持つ部分に紐を巻いたり、ビニールテープを巻いたり、実用性はあるけども、洗えないなあ。マスク専用ゴム通しなのだから、衛生的な材質が大事、煮沸も可能なステンレスで、持ち手は、いろいろと検討をしたが衛生的な医療機器にも使われる耐熱シリコンが良いだろう。それで出来上がったのが、林与の「マスク専用ゴム通し」の2タイプ。たまたま、未使用のステンレスのヘドルが数千本残っていたのも幸運だった。もちろん専門の業者さんに頼んでステンレス一体型で持ち手の部分を太くしたものを作ってもらうほうほうがあるだろうけども、そこに何十万掛けて企画として成り立つのか意味があるのかの問題があるだろう。また、私は機屋なので、織物の道具を活用したあたりがオリジナリティあってよいと思っている。

一般的に企画の人というのは、ステンレス加工業者さんにそのイメージを伝えて試作をつくってもらうところから始まるだろう。それが実際に形になるまでも素材の選定から試作の見積もり、量産の見積もりで、スゴク遠い話になる。頼まれたほうも、ステンレスを扱うことには慣れておられても、マスクなんて作ったこともないし、マスクにゴムを通したこともないだろう。何が最適なのか分からない状態で試作するところから始まる。

そういうのを成り立たせるためには、自分がどれだけとりあえず形にしてみるかが大事だろうと思う。思い通りのものができるのかどうか、そして出来上がったものがものとして実用性があるのか、デザイン的にどうなのか。一番大事なのはデザインなのか実用性なのか、あとコストの問題。コストはものづくりだけでなく、販売手法も含めて最後消費者の方に渡るときの値段。値段が2倍になれば売れ行きは10分の1だろう。需要があるのかどうか、需要なんてものもその物ズバリだけが要素ではなく、同じものでも販売する時代や場所などが異なれば売れ行きは異なる。それを自分がどうクリアしていくのかというあたり。自分がとりあえず自分の手でつくって売れるのが分かれば量産は本職の人に任せればより完成度の高く量がまとまれば値段も合いやすくなるだろう。

そういうやり方で市場自体も自分で作り上げていくのが良いんじゃないのかと自分がモノづくりをするときにそういう考えでいて、私の会社に仕事を頼まれる方がおられても、そういう風にされるのが一番成り立ちやすいのではないですかと、適していると思われる生地を在庫の中から提案して一度まずこの生地をご購入いただいて試作されてはどうですかをお勧めする。近い生地でつくってみてもある程度良い感じのものができなければ、生地つくりの根本から考えないといけない話になる。
2020年05月27日
なんと政府がGOTOキャンペーンで国内旅行を推奨するようだ。営業自粛を自粛できないパチンコ屋さん以上に、コロナを考えず自分の都合で蔓延させてしまうばかりと思う。まだ、状況が新型コロナのどうなるか分からないのに、どうして新型コロナが蔓延するほうに持っていくんだろうか。これってオリンピックのスポンサー割当抽選チケット枠と同じで、配ってしまったら後戻りができないような問題を持っている。STAYHOMEから一気にGOTOキャンペーンという大馬鹿が国民にSTAYHOMEしてください、なんて言ってたのか?みんなが感染を広げないために我慢して自粛していたのはなんだったの?

営業まで自粛してたのに、ブラジル以上の大ハッスルで、STAYHOMEの正反対のまき散らし政策、どこまで能天気なんだろう。国民の判断に任せて適切な状況判断ができるようにしていないとオリンピック延期問題の二の舞で、予約が入ったホテルがまた緊急事態宣言がでればまたキャンセルの嵐の大パニックに陥る。一人の感染者から緊急事態宣言に至ったのはたった数か月のこと。本気でコロナ対策しておかないと、だが、ソーシャルデイスタンスとりながらの旅行なんて可能な話なのか?

リモートワーク率が低いとか人の移動を制限するとかつい一か月前まで国民に努力させながら、国民の協力をといってた人間たちがお祭りモードは駄目だよ。世界中の医療従事者たちの苦労をあざ笑うかのような行為でしかない。自分たちが働いて頑張るから皆さんも我慢して家にいてね、と心打つ。個のレベルでの発信、一方で日本政府はなにをやってるんだ、コロナの危険性すら理解していない連中ばかりで、後手後手。そしてまた自ら悪手を差して国民の税金を意に反してギャンブルに掛けて笑ってる連中ばかり。負けるまで掛けさせる。老後の資金の年金もそうで、公務員の入る共済年金は株式には投入されず、別枠で安全着実な運用。貧乏くじを国民に背負わせて自分たちは貧乏くじは引かないように法律で守る。

私自身も贅沢品的な麻織物の世界なので、世の中の景気の流れに左右される部分は多いが、それはそれで自分が置いている身だろうと思っている。でも、もっと地道な後染め専用の量産型の機屋さんとかが日本で成り立つのかというと量のまとまる多いものというのは糸値ほどに近い海外生機で代用されやすい。大手のSPAとかからは生地だけでなく海外でつくられた麻製品が日本国内で溢れるが、農林水産省のある農業関係とは違って、経済産業省が国内の織物業者を保護するというよりは繊維は輸入を促進して95%にもなっている。輸入症例の逆風政策も人々が自由に安いものを手に入れるそれが自然の流れと受け入れながら本場の高級麻織物に特化するというよりそのジャンルをつくる立場として野に咲く一凛の花みたいな状態で親方日の丸じゃなく自分の努力で立って、同じ志の業者の皆さんや、最終の消費者の皆さんに認められて立ってゆくべきだろうと考えている。お客さんが国産の商品を認めて買ってもらうべきであり、税金を使って国産お洋服券みたいなものを配るのには反対なのである。繊維は長い間、国の政策として輸入を推奨し逆風を吹かされ続け、一般の消費者の皆さんの国産を支える気持ちに支えられてきた、繊維業界の意地なのかもしれない。
2020年05月24日
ノーベル賞の中山教授もなぜ日本では死亡率が低いのか分からないと言っておられるけども、それは科学者には分からないかもしれない人間の面子の問題だろうと思う。教授たちが数字を見ても無理な世界で、人のエゴが新型コロナを蔓延させるのである。本来は人を救うべき人たちが無責任な法律で守られるような保身に回ると原発を爆発させてその片付けも国民に強いるとかの世界。

科学とかじゃなく、あきらかな問題が新型コロナにもある、それは医療関係者の感染の問題で、医療関係者を天上人と見ている欧米の先進国では新型コロナが蔓延しているという事実。マスクに対して反感を持っていた国や新型コロナに対して軽く考えていた国ほど蔓延して、蔓延率と死亡率は高い。当たり前というだけのことだが、それがなぜ不思議という話になるのか。日本でも、隠匿した病院は院内感染で100人以上の規模の感染者と何十人の死亡者をを出している。隠匿体質や経済やスポーツを優先して、マスクをつけることを嫌がった国ほど実質の死者は多いという普遍的な病気のコロナの実情。日本でもイタリアと同じサッカーのリーグを続けてたら何倍ものクラスターだっただろう。

日本だとまだ、院内感染があれば問題になるが、イタリアやアメリカで院内感染が問題になるのかというと、欧米の医療システムは、個人対病院ではなく、掛かりつけ医が担当するという契約システム。掛かりつけ医が感染していたら、普通の患者が感染する可能性が高い。日本だと医療関係者は感染していないという前提があるけど、欧米では10%くらい感染していても普通だというのが欧米の医療システム。医者や看護婦が感染していてもそれは普通なのである。だから蔓延してしまう。医者自身が自分が感染して患者に移してしまうというリスクを考えない体勢だし、ニューヨークの医療関係者の12%が抗体をもっていたとかは、感染源が医療関係者だったというような話に繋がる。イタリアも20%とか言われている。スウェーデンも、日本やアジアではありえない感覚が、欧米や南米では普通だから、感染の広まりと死亡率は高くなる。そういう国では、患者から医療関係者が感染するリスクは論じられても、医療感染者が患者を感染させる責任は論じられていないあたりがあるからだろうと思える。取るものと取られるもの、感染させるものと感染させられるもの。医療関係者が自分が患者を感染させるという緊張感があって責任に問題になるという状況だと感染は広がらないということになるだろう。

マスクしているアジアの人々を叩いていた欧米が蔓延するのは当たり前といえば当たり前、今、2m離れないと移るとか、トイレを共有をできないとか、それでいて、マスクも偉そうに叩いて、笑っていた欧米で蔓延してしまっているのは考えてみれば普通なこと、飛沫はくしゃみ一つで部屋中に飛ぶ。白い吐息がコロナのエアゾール。冬場寒いと気を付けないとマスクしないで呼吸しているだけで漂う要素。医者がマスクを過小評価して、院内感染を広げているけどそれが原因としては表にでていないだけのこと。イタリアやイギリスの2割3割の医療従事者が感染しているとかの事実は、病院で感染するというリスクがある。日本は院内感染を引き起こした病院は全国ニュースになるくらい。その差が、日本と欧米の差である。スウェーデンは人々がマスクもしないから、院内感染しているのも普通で、科学的な問題よりも、人々の考え方の問題が蔓延と関係している。

WHOのマスク不要論に従わなかったアジア諸国のほうがインフルエンザでも同じだが、インフルエンザで何万人死のうが平気な欧米の感覚と、インフルエンザ予防のためにマスク着用を促すアジアの文化の違い。黙って強制的な健康保険を払えるかも欧米とアジアの文化では違う。窮屈なアジアの文化のほうが新型コロナに対しては対策が取りやすいという文化的な要素の違い。イタリアやフランスでマスクつけ他の人に感染をさせないように大衆予防につとめていたアジア人が攻撃されたりしていた。そういうことやってる国は、蔓延しやすいのは当たり前のこと。逆にマスクして与没に努めている国では広がるスピードは納まりやるいという、人々の行動の違い。日本でもマスクをつけるなマスクは害だみたいなことを厚生労働省が言ってた時があったが、それに従わない日本人の国民文化が上、オリンピックにしても政府は通常開催にこだわっていたが、国民からすればオリンピックよりもコロナ問題のほう重視。

日本のオリンピック・パラリンピック委員会の会長も、最後までマスクをしないで頑張るとか他人事のように言ってて、副会長がヨーロッパ行って感染。日本柔道協会もマスクもせずに頑張ってたみたいだが、感染者増えた。日本でも感染が目立つのが、ジャンジャンバリバリ派、医療関係者に感染者が出ても隠してると数日で大量の院内感染というだけのこと。日本だと国民がまだそういうのが起こると厳しい目で見るが、欧米だとジャンジャンバリバリ派が主流だから。WHOもジャンジャンバリバリ派パンデミックで手遅れは当たり前だと思う。WHOの言うこと聞いていないアジアでは広がるスピードは遅い、WHO的な対応していたヨーロッパは壊滅的な状態。医学的な原因よりも、国民の予防意識の違いそのもの。国民性の違いが、日本じゃあ、政府を頼らずマスクが手に入らなければ自分でマスクをつくって予防しようとするような世界じゃあありえない日本文化の特徴的。たとえそれが効果がないと予防の手段を用意もできない連中にバカにされても、それが自分たちのできる予防手段の一つとして自力本願で予防に努める。日本人でもアメリカやヨーロッパに住んで向こうの普通の暮らししていれば普通に感染するだろう。ニューヨークの日本人医師とその家族の感染記事なんか読むと、日本人もアメリカ人も違いはなく、どれだけコロナを軽くみる文化があるかどうかで、蔓延度合が異なる。日本が学校閉鎖した3月5日にニューヨークの医者でも新型コロナは悪い風邪くらいの認識の人が多かったみたいだ。そして、その数週間後にはニューヨークは大パニックで、ニューヨークの都市封鎖。医者でも新型コロナ感染に対して無防備な状態の人が多かったということ。医者だから検査してもらえたが、検査もしてもらえない状況があった。一般人だと解熱剤買って家で寝ててね。家族に100%感染が広まる。そして、その人が勤務していた病院すら閉鎖されていない。そうやってニューヨークでコロナは広まっていったようだ。別の感染した日本人医師も例外ではなく、普通のアメリカ人の医者と同じく感染してしまう。感染すれば無症状でも他のものに感染させてしまうという認識が大事とも言っておられる。無症状だと他の人には移らないというよりも無症状で数例でも感染が疑われるケースがあったなら、無症状なら他の人を感染させることはないなんて言わないほうが予防意識は高いことになるが、日本の場合無症状だったら感染者の家族でも感染者としてカウントしてもいない。ニューヨークだったら家族は100%陽性だからとなる。

同じ新型コロナでもウィルスの型が違う話がよくあるが気を付けないといけないのが、それが国から国に移動するのは各国が国際空港を開くだけで人と人が混じり、ウィルスが他の国にもたらされることになる。また、実験用のラットなどが海外から持ち込まれていたりするとラットでは無症状でも、コロナ感染している可能性ももちろんあるだろう。それが実験室経由で、人に感染しないとは限らない。空港や動物の従来があれば、ウイルスの型の違いだから安心しろといえる問題ではないのである。猫や犬も感染するということ。鳥インフルだと鳥をすべて殺してしまうけども、ペットの犬や猫だとそういうことは難しい。結論は、新型コロナウイルスに対してのワクチンや治療薬が開発されないことには解決は難しいだろうということ。そして常に新型コロナウィルスは進化というかいろんな型が増えている。
2020年05月24日
アメリカのビジネススクールで商売というのは場所だという話があった。それはまだインターネットが普及し始めたころの話で、私が卒業するときには三井物産の人事部長が言っていたのは、土地というものはインターネットの普及で必要なくなるということ。両方が正解だろうと思う。歩く人の流れが多い場所というのは自然と飲食の商売というものは成功しやすい。歩行者の人口密度の高い地域というのは飲食は成功しやすいのである。消費期限のない商品というものは品ぞろえの面から逆にネットで探されることになる。今までだと自分が買い物に行ける範囲でしかものを探せなかったのが、世界中で販売されているものを検討することができるようになる。国内だと通販という形でネットで販売されている限りは国内配送が可能で手に入れることができるということになる。よく言われるのが、現物はお店で見て買うのは値段の安いものをネットで探してという話。家電製品などは店頭在庫がないことも多くネットで購入するという形で十分になってしまう。

これは一部お店のアフターフォローの対応なんかもどこも似たり寄ったりなところがあるだろう。お店のサービスの差というものがあまり感じられないのが家電製品だったりするのである。故障してもメーカーでないと分からないというような対応がほとんど。逆に生鮮野菜なんかは、お店によって仕入れ先が異なり生産農家が異なることで、このお店で野菜は買いたいなあというのはあったりもするだろう。どこどこの何というような要素が消費者にとっては大事な要素で、それがいろんなところで買えるとなってくると値段やそれに付随するサービスの差の話になってくるのだろう。

日本の大学の経済学部の時に、値段は需要と供給で決まるというような話だが、それはまさに今回のマスク騒動みたいなものだろう。需要が少ない時には不織布マスクは1枚5円から10円だったといわれている。それが新型コロナでマスク需要が増えると、需要が供給を上回り、ものが手に入らない状態で、手に入れるためには高い値段を出さないと成らない。マスクだけでなく、その材料も同じで、材料が消えてしまうのである。すぐにほしければ探して高くても買わないと手に入らないのである。メーカーにしても同じであろう。中国なんかでも以前よりも大量に作るのにコストが1枚35円とかになってしまっているという状態。マスクバブルなのである。コストが5倍になろうが、それが今までの5倍で売れるならそれはつくれば売れる商売ということになる。

価格は需要と供給で決まるというようなことが本当なのかというと、一定の需要があるものに対しての買占めがあればものがなくなり価格は上がるのである。供給が無限にできるのであればよいが、原材料から渇枯するようなケースでは需要に応じた無限の供給は無理なのである。今のコロナの布マスクブームで生地を常時もっていた問屋さんの在庫などもなくなってしまったという話。それが次にすぐ手に入るのかというと、海外生地だったりすると航空便の現象で物流も不安定で次に手に入るのは未定というような状態。

トイレットペーパーがすぐに値段が落ち着いたのは、トイレットペーパーが国産だったからといわれる。原料の供給が足りたということがあったからよかったが、原料が足りなくなっていればマスクと同じだっただろう。しかし、マスクにしもコロナ前は1枚が5円から10円というのは、安すぎないかと感じる値段。それほどに需要も小さく地道な商売だったのである。それが急に命に関わる問題となってきて、マスクマスクとなったときに、地道にやってたところは普通の注文を何倍も受けてパンク状態だろう。通常の仕事が2倍入ってもうこれ以上はつくれないみたいな状態ではないだろうか。そして落ち着くと次はマスクが過剰になって売れない流れになって、市場に供給されている量が需要を上回った状態が続く、作っても売れない流れに入る。
2020年05月23日
仕事のことなら時間を使うことが多いが、自分の事となると後回しになることがほとんど。例えば、どこかに旅行するとかはほとんど無理な話。自由な時間があるならできていないことをやったり、寝る時間に充てたいとか。成り立たせないとすると簡単だけども、成り立たせようとすると難しいことは多い。

たとえば、仕事のお客さんというのは打診してくるけども自分は何の約束もない状態でのこちらに約束を求めるような状態。そいう人の話は流れる話が8割以上、そのために自分だけでなく自分の関係する業者さんに同じような打診を、流れるかもしれない話だけどもという前提で打診して、どのくらいの納期になる仕事なのかまた入ったときにやってもらえる状況なのかの打診。糸商さんに糸の打診をするのもそんな感じで、糸商さんからしても糸を押さえないといけないので、単なる漠然とした話で私が糸商さんに糸の確保を頼むと、糸商さん自身が本来自由に動かせるものを他の人のために確保するという状態になる。今は、結局はアパレルさんでも受注が入っただけの受注生産を考えておられるので、本当のお客様は最終消費者の方だったりする。企画していても企画した人がその企画で大きなリスクを背負うことがないあたりが一番企画が弱いところで生産計画には結びつけにくい。手持ちであるもので検討して注文がはいったなら生産するような対応が相手と同じような対応なのかなあと。

私自身は自分で仕事している立場なんでそういうのよくわかるが、たくさんの仕事を流している人ほど打診から本決まりまでの期間が長く、また、確定的でない要素が多い。仕事にしても、サンプルと本生産の両方のキャパを、最初に話があった時点で考えないといけないのだが、それが仕事を発注するお客さん側にないことも多く、本生産の話で進めていて、やはり見本が見たいとかなら、最初から断っておかないといけない話だったという判断も多い。企画として具体性がない話というのは、こんなことがやってみたいなあというだけの状態だろうと思う。私もそういうレベルの状態の企画というかとっかかりで留まる話は常にいくつも持っているが実際にものにしてそのものがどのくらい売れるのかは未知数だし、自分がどのくらい在庫を抱えられるのかが現実的な企画を進める前提となる。企画するときに自分がそれを実行する余力を持たないと他力本願的な企画になって、多くを巻き込んでかき回すだけのことになる。

自分が一つ一つの本腰を入れてやっておられる方なら良いけど、横に広げられていろんな企画を動かして、その一つ一つの面倒を外に投げておられる方とやるとその人が身軽な分、こちらが用意周到に準備する必要が出てくる。地元でテキスタイル企画をされている方がおられてその方は生地設計までやってその通り生機をつくればよいだけまでもってこられ、糸を用意し、生機を加工される。織られない部分以外は林与の仕事と被るところが多く、同じ苦労があるだろうなあと思う。その方も自分で営業というよりも他の問屋的な方の仕事を受けられている感じ。そういうのができる人というのは非常に柔軟で能力が高くないと難しいだろうと思う。最後、傷を治したりも自分でやっておられるし問題を騒ぐタイプではなく、自分で解決してゆく力を持っておられる。繊維業界にはそういう人の存在が大事で、そういう人がいなければ企画してやればやるほど問題だらけとなってゆく。生地の営業の人とかでも、お客さんとの待ち時間に生地のキズの一つでも直す努力もすれば、生地に対しても違う目で営業ができ、問題も解決するのだろうけどそういうのできる人は珍しい。他にも、営業の人が生地の問題を指摘するときの検査機関の検査とかも、自分が簡易検査くらいすれば生地のこともよくわかり企画もうまくできるようになるだろうけど、なかなか深く理解しようとはしないから企画そのものが問題が見えない浅いところから始まるとか。

林与の時間を使うのも企画とか織る部分ではなく、その企画全体にわたる問題を実際の作業で解決する部分が多い。私が思うのがそれができるのとできないのとでは力の差というのは、プラスとマイナスくらいの差。そういうのをできる人が繊維の業界に増えていかないとダメなんだけども、日本の繊維業界の経験者でもそれをできる人というのはほとんどいない。繊維人口はまだまだ多くても問題の片付け的なことを実際に作業で解決してゆける能力のある人がいないのである。日本人は器用だといわれていたけどもそれは戦前の人の話でもう手はそれほど器用ではなくなってるなあと思うことは多い。そういう人が一人二人いるだけで、ほか繊維業界の人が騒ぐだけで投げ出している多くの問題が解決する。

クチで生きているタイプの人達というのは仕事が面倒なのだが、そういう人たちが多いと簡単な仕事でも駆け引きが多く仕事をするのが難しくなる。考えてばかりじゃなくいろいろと体動かして作業すればぜんぜん問題でもないのに、考えて自分が動かないほうにもっていこうとするから成り立たないだけのことは多い。生地の話なんかでも、たとえば、30種類くらいのいろんな生地が目の前にあっても、どれか一つ使ってつくりたい製品のサンプルくらいができないと、今、目の前にない理想の生地を作るとかの話は本当に難しい相手さんだったりする。生地の問題ではなくて、その方の商品開発の手法の問題があって、それを解決するのを生地にじゃなく織物の会社に求めれているんだなあと思う。
2020年05月22日
ブラジルでは、大統領が新型コロナを軽く考えて無対応の策。それも一つの方法なのではあるのだが、もう手も付けられない悲惨な状況。下手すると国民のほとんどが感染し、その1割が死亡するだろうというようなことになる。スウェーデンも同じ路線で、運命を受け入れよみたいなあたりで、感染したものが自主隔離という程度で、大衆免疫策で、感染者の1割は死亡。死亡するというだけでなく、回復しても重症者は後遺症を引きずることになる。感染を押さえなければ腎不全や呼吸不全とかの人が増えるとかになるだろう。

新型コロナに対する温度差があるということは、結局、国境閉鎖を選ぶ道しか残されていないような気がする。コロナに警戒する国の検疫基準と、ブラジルやスウェーデンの検疫基準が合うはずがない、ブラジル人やスウェーデン人は他国への移動は難しいだろう。また、世界中の国々が新型コロナが蔓延しているブラジルやスウェーデンへの渡航を解除しないだろう、感染して自国に持ち込む可能性があるから。ブラジル人やスウェーデン人が死亡するものが死んで、重症化するものが重症化、回復するものが回復して全員免疫を獲得したとして、免疫システムがうまく働くとしても、その国への渡航が安全なのかというと、その国に入る免疫を持っていない外国人同士が感染しあう可能性はあるだろう。

ブラジルやスウェーデンを異常に思っているかもしれないけど、WHOにしても当初は感染してもただの風邪程度として、正しく恐れよといってたくらいだから、ブラジルやスウェーデンの基準で世界が大衆免疫を目指していたようなものなのである。ダイヤモンドプリンス号にしても、閉じ込めておくのは人権侵害で、検査なしで全員を早く下船させろと国際的な圧力を日本も受けた。世界中がまだ新型コロナを笑っていたような頃である。
2020年05月20日
まだ、動く車なのだけど乗り潰すつもりでいろんな傷もたくさんで10マンキロになったのでそろそろ引退。今日は車をカーディーラーに持ち込みで、その車とのお別れ。荷物卸して思ったのが、まだまだ走るから勿体なあというあたり。アメリカで中古の車買っていろんなトラブル経験したんで車は基本ちゃんと走って訳のわからない故障トラブルがないならそれが一番というあたり。織物の織機も同じで、ちゃんと動くのが一番。コピー機なんかも高機能よりも、ちゃんと基本機能が動くのが大事。

それでいても、私は中古を選ぶことが多い。中古でも使えるなら使ったほうが良いと思っているから、まだ、動く車をなぜ手放したのか、それは、夜のライトが下向きすぎて怖いなあと思うのを車を買ったときから所有している間ずっと思っていた。あとカーナビのデータが古くなりすぎて、データ更新もいまさらするべきかまよっていた。逆に、更新のいらない理想的なものは無料?で手に入るみたいなGOOGLE EARTHのナビとか。電波届かないトンネルだとどうなるかは分からんけど。

不思議な時代だ、一番理想的なものが無料で手に入るのが情報化社会の行く末なのだろうか。カーナビの最新データにしても情報だろうけど、それがデーター更新料で、それを払って便利でなくなったものを便利に戻す。もともと更新もする必要のないというか最新の情報が手に入るカーナビとか、GOOGLE EARTHのナビとかは、更新する手間も必要なく無料。気の毒なのは、紙の地図を販売していた会社商売あがったりだろう。本屋も消えてゆくのが分かる。今までは、コピー機でコピーしたら著作権違反云々だったが、電子書籍なんて、数十万冊の図書館を超えるレベルへのアクセスが月額1000円とかで無料に近いようなもの。何百年も価値の代名詞だった本というものの価値がなくなる。CDとかDVDとかの媒体がなくなるだけでなく、その中のデータの価値も無料化されていくのである。データを人間が作っていたらカネがかかるので、自動化して作るのである。

これの最終のゴールはなんだろう。消費者の生活を豊かにするだけの部分しかみえないけども、人々が働いて生み出してきた価値というものを打ち消すような側面もあるだろう。人工知能を活用した自動アンサーシステムは、行政の対応のようなものだがそういうものばかりが増えていくだろう。人工知能の医者だと、8割の人は救えても2割の人は救えないが全体から見れば、生身の医者でもその程度だとすると、人工知能の医者で十分だろうということになる。その時点では同じかもしれないが、生身の医者の仕事がなくなると人工知能の端末に医者が問い合わせすることが医者の仕事になる、生身の医者が人工知能がおかしい答えを出してきてもそれが一般に安心の答えだとすればわざわざ自分が失敗するリスクを冒してまでそれ以外の答えで患者に処方はしないだろう。

人工知能が法律のようになって、問題が起こったときになぜそれに従わなかったのだというような判断が下される。従っていれば結果が悪くて人が死んでも罪は問われない。医者からすればはっきりと断定できないことを人工知能の答えに任せることができるから、仕事は自分に責任も掛かってこないから楽になるだろう。それがその医者の一生の仕事となったとき素人でもよいことになる。

マニュアルは当たり前のことを文字にしただけで、そのマニュアルに当てはまらないケースに対応して、マニュアル通りにやった場合に起こってしまう問題や、マニュアルどおりにやってもダメな時に解決方法を見つけ出すのがプロの本当の仕事だろうと私は思う。

ものづくりで、10工程あってそれぞれの専門職がいて、順番に工程を経てものが出来上がってきたときに正しくモノが出来上がればそれでよいけど、正しくモノが出来上がらないときに、専門職が簡単な問題でも解決もできないときがある。自分のやったことは正しいといって最後できあがった商品がよくなくても自分は正しいと言い切る。その人がちょっと加減すれば問題は解決することでも解決したがらないとか、分業の世界ではよくある話。それが1回のことでなく毎回起こりやすいが、そのまま放置とかだと仕事としてやっても問題のほうが多くでて、やらないほうがマシだろうとなる。昔、海外の生地が問題が多かったのがそういう分業をやってたから。今、日本もどんどんとその方向にむかっているような気がする。ボーイング737MAXが2回落ちたのも開発を分業で解決しようとしているから、優秀な人が分業でやったときに優秀なものができあがるとは限らない。

今、機体を開発できる人がいないだろうと思う。実績のあるよい機体に、優秀な最新の燃費の良い大きなエンジンを付けた。バランスが悪いので、それをバランスを調整するメカニズムで解決。頭で考えると成り立つのだが、根本的な問題を解決せずに問題を残したままその問題を解決する方法で解決している。飛行機が2回落ちて安全を最優先するといっても、まだ根本的な問題を解決しないまま、一番カネの掛からないプログラムの変更で解決できたとか。テスト飛行しているのは飛行機メーカーの機種の機能を熟知したテストパイロット、危険にも遭遇するだろうが、危険があっても回避できる方法も知っているから、実際のところはテスト飛行にもならない。自動運転がどれだけ安全かを実証するための自動運転の路上テスト走行なんかも、事故があって分かった話が、自動運転にすると自動運転がオンだとセンサーが働いて動かないから、自動運転を切って走行させていたから事故が起こったとか、だから自動運転の安全性の問題ではないとか裁判でメーカーの主張。おいおい、何十万メーター無事故で走って安全を証明しても、自動運転をオフにして走らせていたらテストにもならないだろうが、そんなごまかしで自動運転の無事故距離は作られている。車をつくって売って儲けるのが目的でもなく、もはや、出資でカネを集めるのが目的なところがあるだろう。

それぞれの部品はアウトソーシングされてそれなりに良い部品なんだろうけども、それを組み合わせた時に全体としてうまく働くとは限らない。うまく働かないときにそれぞれの部品をつくりなおすよりも、また新たに部品を付けて対処しようとするのが、問題の上塗りのモノづくり。もう一つ、飛行機と省エネの関係。省エネの飛行機はエコロジーでエコノミーで航空会社も儲かるんだけど、自動車でいうとパワーがなく坂道を登れない車みたいな方向性。

ボーイングもお客に安全性の面でキャンセルを頼めば、航空会社も納得して発注キャンセルに応じるだろうけども、ボーインクの中の問題としてボーイングが部品会社としている契約の問題があるだろう、それが自分の会社の責任での部品を発注キャンセルできない状況だろう。機体を根本からつくりなおすとかもできないのももう今後世界で何十年も飛ぶ数千台の部品を発注してしまっているからだろう。日本のオリンピック委員会がコロナの問題で延期や中止できない状況と似ているだろう。

規模は違うけど織物なんかでも、納期のある発注で一通りの糸を染めて、経糸を整経してしまったときに企画の軌道修正が非常に難しくなる。同じ規格の織物でも先染織物の場合は色が違えば収縮率が違うなどの問題が出てくるけども、それにより濃色はスリップするとか、色ごとの収縮率が異なり横幅が濃色では安定せずサッカー調になるとか、そういうのがサンプルを作った後の検査で見えてきたときに、どう軌道修正をするのかという問題が起こってくる。今、日本で麻の先染めの企画がどんとん難しくなっている原因の一つはそこ。バブリングとよばれる、薄い色の糸と濃い色の糸の収縮差の問題。他の色は大丈夫でも濃色の経糸が織れない問題も多くなってきている。先染めの場合、白い織物と濃色の織物では、織る難度が5倍くらい異なる場合がある。現在、林与は、糸支給の仕事は基本受けないことにしている。

バブリングや幅が安定しない問題が起きた時に、糸に手を加えることでできる限りの何通りかのテストをやってみる。間然には解決できなくても程度がマシになる組み合わせがあったりする。他に、横糸の密度や、織組織などを替えて、物性面での色の違いによるスリップなどの問題を解決しようとする。それでも難しいようだと、加工で樹脂でスリップしにくくするとか、だが、風合いが損ねられてしまうので、最悪の選択支の一つとしてとりあえず見てもらうため。織物の規格が色柄だけでは済まないのはその辺りで、デザイナーさんが色柄風合いという見た目の部分を求められてもそれはテキスタイルデザインとしては表面的な部分中心、織物を織るだけでも難しい時もあるけど、ディープなテキスタイルデザインの部分を解決しないといけない。それは後で解決するよりも、最初から安全な方法を選んでおかないといけないことが多い。問屋さんとかは、品質、価格、納期みたいなところに一生懸命だけども、一番大事なのは最後に洋服となったときに問題がないような生地を最初から目指してつくるということが一番大事。織れないときには無理矢理キズばっかりで織らないも大事で、そういう時に業者さんからのいつになりますかが逆に時間のロスを産むだけだったり、最善を試せなかったり。

生地企画の方が海外の生地メーカーから生地を購入されてすごい生地だと思っても、見た目と雰囲気で値段があってみたいなところで服にしたときに問題だらけとかでも、諦められるで終わるが、日本で生地を開発した場合には日本の生地メーカーの場合には、サンプルで企画に問題が見つかったときには、ドロップできればそれが一番ありがたいのだけど、大体が、その問題を本生産に向けて解決するような方向になる。やってみないと分からないことなのに約束を前提となってしまうあたり。色柄を変えるだけでその問題が起こりうるから、起こったときには、その仕事だけで他の仕事が何もできなくなるくらいに時間もお金も解決に掛かるのがよくあること。企画するのは簡単でもその企画を形にするのはまったく別の話でそこらあたりがちゃんと受け止められる人が企画されていると大丈夫だろうけど、普通はサンプル作って、本生産までの納期が長くて半年とか。生産時期に入って、糸からまた手を加え、染色し、いろんな加工をシミュレーションして、検査結果までいくつも取って、は最初の見本をつくった何倍もの仕事となる。そして、解決法が見つかったとして、もう一度本生産用に糸を染める話、糸染めで1か月から2か月掛かることもあるし、特殊な糊付けだと糊付けに1か月とか、加工も忙しい年には年末年始挟むと1か月では難しいこともある。それぞれの工程でトラブルがあって、作り直すと成ったときも想定すると、日本の機屋が麻の先染めのオリジナル生地企画を受けて限られた時間と費用でできる確率は低いだろうなあと思う。
«前のページ 1 ... | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | ... 182 次のページ»