for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3624
«前のページ 1 ... | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | ... 182 次のページ»
2020年02月08日
今日もお客さんから聞いた話で、滋賀県で織物やってられたお婆さんが仕事を辞められたということで、ほんとよくわかる話なのである。何十年やっている人だから最後までできただけ幸せみたいなところで、新しい人がそれを引き継いでできるようなものでもなかろう。シャトルなんかも残っていたというから織機はスクラップになっちゃったんだろう。

織機が残ってもそれの面倒を観てゆくのは、お金を払ってトラブルの面倒をみるような覚悟が必要。若い京都の方が岡山の織機を引き継がれた話を聞いて、大変だろうなあと思ったりもする。次々と不具合が出てきて部品が足りなくなって仕事していても作るのも難しい状況に陥る。織機に対する適切な調整ができないと織機はどんどんと崩れて何十年使えるものが数年でゴミと化してしまう。自分でできる範囲を広げて自己解決が大事だろうと思うのは織物を織るだけでなく、つくったものを売っていくことに関しても。

自分で抱えておられる方なので大変だろうと思うがとにかく自分で行動してみてやってみることが大事で、何十年やってる人が見えないことでも瞬時に分かるなんてこともひたむきにやっていれば見えてくるだろうと思う。私自身織機を作られた方というのを信用していて、織機というものは正しい調整をすれば織れることがほとんど、調整が正しくなく織れないとか問題が多発がほとんどで、織る人が上手だと織機というのはどんどんと問題が無くなっていくし逆に下手だとどんどんと織機が使えなくなってゆく。

普通、悪い仕事ばかりしていると損も出るし、仕事が減って続かなくなるものである。だから、最後まで仕事が続いている機屋さんというのは基本、上手な機屋さんなんだろうなあと思うのである。ものづくりのところで下手で変われないとやめたほうがよいだろう、仕事をすればするほどお金が無くなる。ベーシックな平織の無地のようなものを堅実に織っておられたところが多いのも事実。一見、小ロット多品種のニッチェで生き残れみたいなのはギャンブルで、そういうニッチェな領域は普段の地道な仕事の余力から生まれ成り立つものであるといえる。

林与の長年やってる本麻の手もみなんかもその一つで、非常にお金の掛かるものづくりの典型、一般の卸向けには流せないほどにコストが高くなり、定番であっても1年とか2年に一度の生産で成り立たせているから続いているところがある。そういう生地というのは業者的にはあまり良くない商品なのだけど、作っている林与からすると一押しなのは、日本人が愛してきた麻の手本ともいえる麻らしい風合いや美観がそこにはある。
2020年02月07日
コンビニ業界というのはオーナーというのは、かわいそうにも思えるが、何代もにわたってやってきた、24時間なんて無理な、雑貨やさん、お菓子屋さん、お米屋さん、たばこやさん、お酒やさんをつぶして代わりに商売しているのが今のコンビニオーナーさんたち。大手コンビニの看板外して自分で成り立たせる覚悟くらいがないと、廃業していった昔ながらのお店にも覚悟は及ばないあたりもある。

コンビニの形態は普通に思えるかもしれないが、大店法逃れの法律の例外を活用して伸びた業界。大手資本でも法律逃れこそが、フランチャイズビジネス的な成功モデルとして日本では成功事例のように語られるけど、ただ働き契約みたいなものどころか、立地によっては持ち出しでただ働きで閉店も十分ある内容。それが理不尽なことなのかというと、普通に普通の人が田舎で商売しようとすると同じように持ち出して何年かでやめているケースがほとんど。

コンビニがなぜ自然にお客さんが集まり売れるのかというと、売れ筋のものに絞っていろいろと揃えていて24時間やっているからみたいなところ。お店を朝10時から夜の8時までの10時間営業に比べると、2.4倍営業時間も長く固定費用の回収がより簡単になりやすい。総体としては成り立ちやすい話なのである、が、個々のオーナーはそれを成り立たせる側になるので、マイナス部分を背負うから、それほど厳しい現実はないというのが実際のところ。コンビニ業界がブラックなのは、業績のよいホワイトに見えるコンビニ業界の裏と表なのである。お客さんがコンビニを選ぶのもそのブラックに耐えているからお客さんが便利にそれを使えるということもある。

農家の跡取りさんとかは、普段から地道な作業でお金をつくっておられるので、コンビニのジュースが120円で、スーパーで68円だと、コンビニで買うのが馬鹿らしいという話をされていた。それが商売をしている人間としてはまともな感覚だろうけど、私自身もコンビニで多少高くても買うことが多い。コンビニオーナーはみると幸せそうだろうけども、児童労働を超えたブラックな世界だったりもするもので、それが日本の一般的にホワイトに見える社会なのである。逆に、ホワイトな企業対応だったらお客さんが怒るような対応ばかりになる。実はコンビニオーナーもコンビニ本社のお客さんなのだが、購入ノルマ強いられ強制的に買わされていることも多い。一つの系列の中に、ホワイトとブラックが共存する、多くの人が憧れるのがホワイト側だろうけど、それを支えるブラックがあって優良企業が成り立っているということが多いのが日本的なモデル。繊維業界でも、何兆や何千億を独り占めして、多くが成り立たないがその典型だけど、一般のお客さんが憧れるのはそういうお金儲けが上手な企業や起業家だったりしてそういうブランドにあこがれたり。

地元の繊維業界に詳しくない方がある滋賀県の繊維関係の企業さんがすごいということで、でも私も一度も聞いたことのない会社さん。大手ブランドがそこを国内一貫生産の本物としてもちあげられるも、地元の近い方から聞くと海外からたくさん仕入れておられどこまで本物かは分からないということで、経営者の人間性も怪しいみたいなのが、大手と絡んで百貨店でいち推しな日本のものづくりの本物みたいな話もあったりして、詳しくない人がそういうのにあやかろうとされるばかり。扱う人が、一般の詳しくない騙されてしまいがちな消費者と変わらない。国内一貫生産でやってたら、普通の地元の企業にありがちな苦労話のレベルで儲かることはないのだが、そこには謳いそのものにカラクリがある。素人な大手ブランドや百貨店までも騙せば簡単に儲かる日本の繊維の世界、麻業界でもアイリッシュリネンの世界がそんなものだった、そうなったら業界そのものが終わりだろう。

2020年02月06日
物事の趣旨というものが理解できないのか、柔軟に対応してものごとを進めようとされているのに、その柔軟性をなくして勝手に捻じ曲げて難しくする人がいる。成り立つものも成り立たせるのが難しくなるのだが、そういう人というのは全体をまとめたりするのが上手じゃなく、自分がかぶって物事を進めていくとかができないタイプながら、人にかぶらせようとする。私なんかは責任を被ってものごとを進めていかないといけないことが多いので、だれもやらないときにはあえて自分が受けてでもやるようにしているが、全体を成り立たせるということ考えないのか?

ものごとをガチガチに進めるようなルールでは、ものごとはガチガチに考えて進めないといけないし、物事に柔軟に対応すべき場ではものごとは柔軟に対応をしてゆくべきだろう。成り立たせることが大事で問題が起こった時にも責任を被る覚悟があるものがいればよいが、問題が起こった時に責任を被れるものがなければガチガチにものごとを進めるべきである。ルールばっかりの世界というのは物事の責任を被れるものがいないからで、物事の責任を被れるものがいる世界ではルールは必要がない。

人というのは前向きに自分が進められるタイプの人となかなか自分が割り切れないで動けないタイプの人がいる。本来、大人ならしっかりと意見を持って動かないといけないのだろうけども、意見を持たないで様子見の人も多い。ものごとをするときに自分が主役でないと嫌なタイプの人というのはほかの人の下で働こうとしないし、力に弱いタイプの人というのは自分よりも上だと思う人にはこびて下だと思う人には反動が出て偉そうな態度で仕切ろうとする。人を仕切ろうとする人は多いが、自分を殺して人を助けようとする人は少ないもんである。

人が集まって何かものごとをやるときに温度差がありすぎて一つにまとまることが難しいのを感じる。それは若い人にというより、年配の人にも言えて、年配の人というのは年配の人のいうことしか聞かないタイプの人が多く、若いものを仕切りたがるが、ものごとをやってる人間を仕切る人間なんて必要すらないのである。別に失敗しようがそれは経験の一つで、それを乗り越えないとまずそういう仕切り屋の下で物事をやっているうちは大したことはできない。仕切るなら仕切るで上手に物事が進むように仕切れる人ならよいが、面倒なことばかりを押し付けて自分が楽している仕切り屋も多いから、それは仕切り屋が仕切れるタイプの人かどうかの差である。

物事の趣旨にしても責任かぶってやろうとしている人がいるなら同調してその人の趣旨に合わせて行動することが大事だろうと思うが、後のことも考えられないその場しのぎのタイプのおっさんが仕切ってたらそれは同調しては駄目という話になる。器な人と器でない人の差は同じ物事をやっても、結果は正反対に終わることが多い。
2020年02月05日
外とものごとを前に進めるときにも力のある人と仕事をすると普通できないことを実現してもらえ、それが特別な物事をするときに成り立たせるために必要なすべてだなあと思うことがある。これはきつい表現かもしれないが、取り組む相手が会社を自分が動かしている人と言われて縛られて会社の仕事をしている人では、できることの範囲はまったく異なり、できるできないの判断も同じ会社でも正反対だったりすることが多い。林与に頼まれてこられるお客さんのほとんどが経営者の方が企画のトップの方で、オリジナル生地の制作や新しい生地の制作など、それ自体が特別な依頼なのである。私が思うのはそういうのに応えて仕事をしているのであるから、相手の会社さんも特別な対応が必要であろうかと思うことが多いが事務的に対応されるとかになると、普通の生地をお勧めするべき会社さんなのかと思うことも多い。

普通に思えるかもしれないがオリジナルの生地などを考えられているときに、再現性を確保するためやトラブルを避けるためにはサンプルの段階や生産の段階で糸から抑えないと生産が難しくなることが多く、何百キロの糸を先に買い込んでの対応となることが多い。そういうのが分かってる相手とそういうのが分からない相手では、企画の話しすらもが難しいところがある。それができないとみんなを巻き込んで、糸が手に入らないで終わることが3回に1回くらいは起こる。3回に1回も企画したものが糸が手に入らないからつくれないとなると、仕事そのものが成り立たず、できますよと注文を受けることも難しいのである。

実際、他の会社が企画した糸も支給の仕事の場合には、サンプルなどをつくっても本生産のときに糸が廃盤になってしまったり、糸が手に入らなかったりで、流れたりすることも多いのである。糸からして普通の糸しか使えない話になってくる。糸というのはトンで作ってそれで終わりということが多い。たくさんあるようでも人気があれば人気のある色がまず消えて、人気じゃない色などは大量に残るので、その全体の糸の生産が継続するのは色単位の少量生産でコストも合わずに難しいということで一度の大量の生産のあと廃盤になったりするのである。

そこまで踏み込んで企画をしないといけないので、何十万、何百万円を用意して材料から押さえないと企画が企画として提案できなかったり、立てることもできないのである。自分だけじゃなく、お客さんの考え方も大事で、必要だったら買いますとか売れたら買いますという一般の消費者感覚だと、企画に乗ることも難しい話が多いし、そういう方というのは大きなものを背負ってやっている人に対しても、リスクも背負わずにマイルールばかりを強いてこられるケースが多い。

仕事というのは物の売り買いだけじゃなく、覚悟が同じ人がやっていると成り立って特別な世界も作りやすいが、自分のことばかり考えて覚悟なく都合よいことばかり要求してくる会社さんなどとは特別なモノづくりも難しいという結論になったりする。こられたときに会社の大小関わらず、話して覚悟ある方なのかない方なのか、私と同じタイプなのか逆のタイプなのかが結局、一緒に仕事するときに大事な問題となることがほとんど、方向性が一緒の方なら問題なんかも助け合って解決ができるだろうけど、方向性が違うタイプの方とは、問題そのものよりも、その問題を解決する姿勢の違いから異なってできる提案からも変わってくる。

日本の場合、会社が大きくなるほどに会社の中のルールがごちゃごちゃあったりして柔軟な対応もできず、そういうルールから外れないと特別なものを作ることもできなかったりする。繊維業界じゃない他の日本のトップ企業の方も会社のルールを外れたところでものづくり、オーダーメイドの第一人者の方も会社のルールに従っていると難しいので自分が抱えて生地を仕入れられたりとか、特別なものが出来上がってくるのはそういう特別なことを覚悟してやる人があるから。会社に迷惑かけることもなく、自分が覚悟決めて自分でリスク背負っているようなまさに経営者的な人がいて、特別なものができてくる世界があったりして、そういう人とは特別なもの一緒に動きやすいのである。そういうことやるのって大変だろうなあとはおもうけど、やっていく必要があるだろう。

特別なモノづくりにあこがれておられながらも形にもならないのは、構想だけで自分が覚悟決めて動かないからみたいなところも多い。覚悟決めて動いて失敗なんかをして損もしてお金をつくっていくことの本質みたいなところから、他の人に依存しないで自分で抱えてやっていくみたいなところがないと、自分の思うことを他の人がやってくれて自分が儲かるみたいなことを考えていると、フロックで1回くらいは誰かにやってもらって成り立っても、やってる人を食いつぶして終わりとか最後はいろんな人から煙たがられて相手にもしてもらえないとか。
2020年02月03日
今日、ある社長さんと電話をしていて、私も知っている何店舗も持っておられた会社さんがいくつかのお店を閉じられたというお話。商売がうまく行って店舗が増えていたというよりは、別の部分でお金が回っていてお店を維持しておられたのだろうかとも思えるふしがあった。他の人が地道にやってこられたことなのにそれを自分がやっているかのように語られて、本当に背負ってやっている方がお怒りなのもよくわかる。

一回一回の仕事で苦労されているのはその電話でお話している社長さん。実際、その方は手の世界の方で、いろんなものを自分の手で生み出されている。そういう方のやっておられることを、自分が責任もってやっているみたいな話で自分のものを売る語りにしてしまうのは、駄目なところだろう。私も最近は疎遠になってしまっている会社さんではあるけど、買うから作って作ってで話にのって作ったら買わないパターンとかも多いので個人のお客さんでももうちょっとちゃんとしている。

私生活も素敵を見せておられるが荒れておられるようにしかみえなくて、なんで自分の本業が難しくなっておられるのに贅沢ばかりされているんだろうかというのが目につきすぎて、ものづくりにお金がつかえないのもそこで普通より安いものを最高級のものに化かすしかない商売に傾いてしまわれた感がある。買って、作ってもらって食べて、生きている人が、ものづくりを上手にできるのかというと難しい。ものづくりというのはゼロからでも自分が生んでいく世界だから。自分が一枚の布を縫って、その縫ったものを売って、一般のお客様から1000円頂くことに価値を感じることができなくなると、他の人に地道な仕事させてそういう地道な作業で生まれた1000円を浪費してしまうような経営者になったらあかんと思う。

散財するのをすごいことのように勘違いしてしまうのは、自分が生み出すことができないタイプとか他の人を支えるために自分を犠牲にすることができないタイプの人だから、あるコンバーターの方にもコンバーターを軽く見てますねといわれたことがあるけど、荷物一つも自分が受けずにファックスで出荷くださいの指図ばかりで、自分が原反を触ってすべて見る覚悟もなければ、覚悟を決めた人間からすれば辞めたほうが良いと思うのもそこ。その人の原反を触ることもいやがってが当たり前だと同じ対応なら同じ程度の覚悟のものしかできない、それでよいのかという話。覚悟決めて仕事している人間に、林与さんはコンバーターを軽く見ていますねで何ができるのかを聞くと、プレゼン、納期管理。私からするとサラリーマンじゃないのだから、私の仕事を指揮するなら私以上にしっかりと補える力も必要。

その方を紹介したA社が私に恐縮されて紹介をいただいた経緯があって、紹介いただいた方の困られたときに親身にその方の立場になって助けたこともあるし、私自身は日本の麻業界のために犠牲になってもの覚悟もあって、他の自分とは別の協会や組合の困りごとでもだれも解決できないときには自分の会社のことなど捨ててでも助けてあげる覚悟もあったりして、実際、自分の会社がボロボロになってもそのたのまれた方のこと考えて動いて解決した問題も多い。そこまでやる人間はいないから、だからだれも私には強いこと言えないのである。残念なのは林与さんはコンバーターを軽く見てますよねという言葉、コンバーターの仕事を軽く考えていないから私がお金の面倒は企画の面倒は物流の面倒は誰が見るののという話から。大きな問屋さんでも私から逃げられるのがそこで、実際の仕事の責任から逃げてどうするのという話。裏では実際に正しく仕事をしようとする加工工場の社長とも喧嘩になる話であったりもするレベルの解決になる。その加工工場の社長でも別に自分が死んでもよいくらいで覚悟決めて仕事している私だから許してもらえるけどのことも多いが、自分やお客さんの都合だけで動いて一つの者の面倒を観る覚悟もないレベルだと、何億円もの覚悟もへっちゃらで、本当に覚悟決めてできるかぎり働いて日本の繊維業界を覚悟決めた人間が背負っていく状態にもっていきたいと思う。途上国が覚悟決めて工場や人の面倒まで国規模でみるのに、日本は工場や人の面倒までみているものに偉そうに国民の生活から搾取の議員や公務員が食いつぶしてまさに人権侵害の江戸時代。それで最近も従業員の面倒をしっかりとみなさいみたいな公務員的な態度をしめされた会社に苦言。

その会社さんは倉庫での荷受けもできたら送ってくださいとか本当に思いやりのある企業だから、逆にそういう国や大企業程度の体裁になびいたようなことをやられるのに苦言を呈するのもそこ。もっとしっかりと人のことを考えてゆかないとこの先の日本のモノづくりは難しい。自分なんてどうでもよい人が日本を支えてきたのに、自分の保身ばかり、贅沢したいばかりの人が、お前が悪いみたいに働きも責任も負わずに、働いて責任追っているものを叩くようなことが多すぎるのが今の日本の流れ、なにがブラックだという話、働かない人間が責任追わせて、日本で一番給料の優良企業とみなされる高い財閥系が、弊社にファクス送ってくる文面が、自分が納品後締め過ぎの6か月後の決済でしかもCSRとして、林与がちゃんと社会的責任を果たせていますかの文書に同意しろと。私のお客さんからちゃんとお金貰えなければこっちがお金ももらえない話すらも含まれて。児童労働の働かない親そのものが日本のホワイトな世界で、そこから正して行かないと。

林与は私自身が覚悟決めて普通の職人の10倍ほどの仕事はこなしているから成り立つけども、普通の田舎の地場産業を支えるおっちゃんおばちゃんレベルだとまったく無理な世界。今は若い人が携わろうとしても地場産業も、他でアルバイトして趣味的に支えるのが精いっぱいなのも、ホワイトな社会がそういう風に見下すところで成り立っているから、私は仕事なんて等価交換くらいにしか思わない覚悟でお客さんが成り立つことも考えてやっているし、仕事のお客さんが自分の本当の責任をもって仕事する部分やらないで、日本の諸悪の根源が現場にあるみたいな指摘は解せないことそのもの。テレビニュースになるようなことは、繊維業界にありがちなホワイトに見せたい人が多い、裏側のブラックなのである。ホワイト感覚がブラックというのが日本の繊維業界の実態で、贅沢三昧の人が多いのも事実。

なんで繊維業界がこれほどに苦戦なのに、日本一の金持ちが繊維業界の大手SPAの代表だったりとか、何千億稼いだ繊維販売の社長が引退とか、昔だったらありえない世界が、日本の繊維業界を食いつぶしていたりもする話。何兆とか何千億あれば、何千社、何万社の地道な繊維の仕事を救えるのだけど、道具にしか思っていないところが今の勝ち組の日本の繊維業界のブラックそのもの。その感覚で仕事するお取引さまには私が警笛流すのもそこで、海外の児童労働と同じで自分の世間体やルールばかりで自分が利益を上げるのにそれを成り立たせる覚悟もなく、自分はホワイトでもブラックを作り上げてしまっている元凶じゃないですかと、本当に体制もあってまったく親身な会社に対してでもそういうホワイト気取りな文章を見せられるだけで警笛を鳴らす。

日本の行政のように自分は違法行為が当たり前でも罰されることもない、これは中世の奴隷制度や魔女狩り的な制度、魔女狩りの有名なボストンでも魔女がなんの仕事やってたかというと織物の地道な社会貢献的な仕事、差別の目でまともな人をどこまでも追いやるのが魔女狩りで、今の日本のホワイトな社会に共通するところで、国会議員が本当の不透明なことばかりで実際に犯罪で牢屋に入るひとばかりだけど罰せられないだけの世界をつくりあげては、将来の子供たちが希望するのもなりたい仕事が公務員とか、昔の奴隷制度を形を変えただけの再来そのもの。昔も奴隷制度が法律だったけど、法律が奴隷制度に近寄っているのが不気味。働かないことがホワイトなんて、その働かない人を支えてゆくのは、法律の外ですべての責任を負わさR田、24時間働かないといけない、コンビニ店主だったり。苦労知らない国会議員とか裁判官とかホワイト作って、同時に本当のブラックな奴隷制度をつくて責任逃れな世界。

私みたいなまともな国民の一人が問い詰めると首相や国会議員でも逃げるのが日本の現実。議員さんで私くらいに覚悟決めて日本を支えてゆくならよいけど、日本から搾取して偉そうなことばかりでだと、一番身近で気の毒だけどいいにくい町会議員であろうが、町長であろうが、県知事であろうが、国会議員であろうが、総理であろうが、本当に自分はどうでもよいくらいの社会貢献の意覚悟決めなさいよの話。自分自身を捨てる覚悟もなく保身だとどうしてもとるばかりのきれいごとでホワイトなことも法律作って瀬金逃ればかりのホワイトで、地球温暖化問題でDきないといったトランプのほうがまともだったりもするから、トランプのような糞でも正直者で八兆美人で責任逃れの日本の総理や大臣クラスでも一般の人にも劣るのがそのあたり。力になびくだけの日本の総理ではこまる死んでもよい覚悟で、大臣辞職とかどうてもよいことで性人被ったは駄目、せめてそういう連中が国政から去る、すなわち国会議員を辞職が当たり前でないと日本のまともすらもがつぶされて沖縄の玉砕で、一般国民が命捧げても指揮するものが命惜しさに、一般国民の命を犠牲にさせるような。本当の奴隷社会。

日本で一番大きいオーガニックコットンの世界が成り立つのも、謳われている意気込み買って一般消費者が覚悟決めて買ってるのに、その協会の理事長が、私がオーガニックコットンの認証でも合成繊維がオーガニックコットンして認証されてしまっている現実を電話で話しているときに指摘しても、それは企業がやっているだけで私の責任ではないと逃げられるのが、一企業の責任感もない人間がオーガニックコットンの権威として10年以上にわたって日本の半分以上が偽装なオーガニックコットンの世界を成り立たせてこられたのが分かる。だまされた消費者の気分分かるのかの世界、そこには認定だけの責任逃れの高飛車なものと、実際の現場の正直なものととの本当の苦悩の世界。謳いが綺麗な世界ほど偽装で消費者騙して成り立っているというのも本当のところで、私自身の覚悟についていける理事長なら認めるがオーガニックに関しても協会レベルでも責任逃れの理事長が多い。理事長がどうしようもないので副理事長をやっておられた方にその理事長の対応をいうと、あきれられた始末だけど、その副理事長のたいおうすらも、その福利地上の会社に6か月前に消費者をうらぎてるだけなないのかといって、やっと6か月後に日本最大のオーガニックコットンの世界のだらしない問題を、オーガニックコットンの世界でもない私が解決する社会。営利目的ならオーガニックややめたほうが良いと思うのもMその世界で、世界一厳しいのGOTS認証に警笛をならすのが林与だったりもする。GOTSの日本の認定委員がドイツのVWじゃないけど、どうでもよい世界で、なまった英語を聞いているの眠くなるんですよとか、偽装は認定しているものでなくて企業が勝手にやってることですから私は関係ないですの認定の世界が日本の最大の10年大量に流れてしまったオーガニックコットンの世界。こういう権威気取りの輩を早く干さないと日本の消費者あ普通のを一番特別なものをして高いお金はらって本来その輩や組織が一番駄目だと敵対している遺伝子組み換えの偽物つかまされるレベル。私が世界で一番厳しいみたいのが日本の農業行政レベルのオーガニックだと素人だましの一般的にいわれる化学肥料があたりまえで宇田地だけで量産して金儲けの世界。オーガニックがそこまで落ちたらほんと消費者を裏切るだけで利益を上げて普通の化学肥料の程度仕切って特別な世界い偽装してはダメだよ。私が話して一言の答えで偽物か本物かが分かる世界がそこにあったりして、世界や日本オーガニックを仕切っておられる人でも一般の消費者レベルの覚悟もない人が多かったりして偽装をどこまで法律や基準でごまかすかで必死で情けないレベル。日本のオーガニックコットンを10年以上仕切ってこられたMさんでもサラリーマンレベルの責任逃れ、信じて買った消費者は騙されただけでよいのかというはなしで、本気にものづくる考えている人間からしたら敵対するほどの人間。日本のGOTSのお若いU代表が真摯な態度で私に接してくださるあたりが消費者騙で終わらせるのか本当に消費者に自分が責任もってオーガニックを謳えるのかのせめても救いレベル。消費者騙してなら日本最大のオーガニックコットンの理事長でも、GOTSの認定委員でも一番の糞だと叩くのが林与。似ててもらっては困るのだけど、私は消費者を騙したくない人間で消費者騙しを一番に嫌う。実際のオーガニックの技術はKさんだけど、電話くださいも電話すらもしない、オーガニックで食っていくだけのしばまたの寅さんジジイでサラリーマン生活がながすぎて、サラリーマン根性で消費者騙してよいのかとも思う。日本のオーガニックコットンの最大の世界。

私自身がオーガニックリネンがオーガニックリネンの糸を消費者として苦労して織っているのも知らないで、オーガニック謳いたいなら薄っぺらい自分の言うこと聞いてみたいな覚悟もないクズが日本最大のオーガニックコットンも理事長、ほんとうに気の毒だったのは同じいべんとでそれを信じて看板掲げてやっておられた方が私の本当の話聞いて次の日には自慢だったGOTSのオーガニックの認証の機を私のこと信じて下げてしまわれた話。それを見るのの渡司指針の苦痛で、やってるものが本気にならないとオーガニックの世界なんて待織れないのだが、責任感もなく食いつぶしてなんぼのやからが日本のオーガニックの権威の席では働かない児童労働の親と同じレベルオーガニックコットンが普通のコットンと品質が同じとかいわれるレベルでオーガニックを扱うのが理事長でもオーガニックコットンを知らない素人の世界で、コンベンショナルとか、GMOコットンが混じっているどころか合成繊維がオーガニックコットンで売られているのも、それは業者の責任で自分の責任じゃないで、認証をされているようなレベル。その程度の協会だと林与から逃げないと偽装を叩かれ、オーガニックな協会自体の消費者騙しな偽装問題につながる。アイリッシュリネンもそうだけど、本気で信じて高いお金払った人が騙されたよくある素人だましの繊維の世界。
2020年02月01日
明治時代に、農村としてはそれなりに恵まれた土地だったけども、現金収入のない村人たちに現金収入をもたらしたのは織物業。與次右衛門爺さんは、若いころから親父が酒飲みで苦労をしていた。今もその時の酒代のために親である勘平爺さんが林与の家の土地を担保に裏の小さな家の人にお金を借りた借用書が残っていたりするほど。まさに毒親をもった與次右衛門爺さんだが、農家ができることといえば、農家の家の仕事としてやっていた機織りを本格的な商売とすること。

明治のころの見本帳というのはシンプルなものが多く、柄も素朴で、初歩的なもの。それを発展させたのが、その息子の与一爺さんで、絵絣を巧みに発展させ、絣業者としては産地で一番くらいの規模で近江本麻絣上布で名を轟かせた。豊国村が豊かな村であったのも織物があったから。本格的にやっている出機さんは、当時の大学の初任給以上のものを工賃としてもらうことができた。学歴よりも実力があればの世界である。

今の時代に当時のようなものを作ることができるのかというとそれは難しい話で、人としての生き方が厳しかった時代だからこそできたものづくり、今のような生活スタイルではそういうものをつくることは難しいと思う。近江上布の1反を織るのに一か月とか言われるが、当時の人は、一晩で一反を織りあげた世界である。それほど仕事があれば幸せだった時代。今は、仕事が苦痛でしかないほど豊かな暮らし。仕事があってもなかなか仕事ができる人がいないというのも織物業界では多く聞く話だが、織物の差は人の差とか、織物の違いは、人の人生観の違いみたいなところ。同じものでも作る人によって、上等品にもなれば、材料費にもならないマイナスのものにもなる。

同じ時間仕事しても、プラスとマイナスの世界が、今の織物の世界にもあって売れるものができてようやく成り立つ世界で、だらしなく売れないものつくってしまえばその分マイナス。最初からできる人は最初からできるし、最初から駄目な人は最後まで駄目みたいなところがあるのが織物の世界。仕事というのはやっているから上達するとかではなく、慣れてしまった後は緊張感がなくなり逆にだらしなくなったり落ちていく人のほうが多い。織物の世界でも20代が一番真面目に仕事できて、30代になるとだらしなさが出て、40歳すぎるとなかなか仕事が難しくなり、50代だと20代の半分くらい、60代になると3分の1くらいしか仕事ができなくなるものである。

もちろん、例外的な人もいて、それなりに緊張感をもって仕事している人というのは時間と関係なく仕事を仕事として正しくでき答えを出せるタイプの人で、時間で働いている人を支えていけるような人だったりする。1個いくらの世界を正しく成り立たせることができるほどの力がある人。けど、今、そういう人ってどれほどいるんだろうかと思う。私自身でも精いっぱいやってても成り立たせるのは難しいなあと思うことも多く、週40時間程度の仕事で食べていくレベルなんて逆に多く人を抱えれば余計に難しい話なのである。これは自分の会社というだけでなく、繊維業界全体として人を多く抱えすぎで指図する人は多くても実際に仕事をできる人は限られている問題があって、作業している人の手で生まれてくるものにすべての人の生活が懸かってしまうだけでなくその家族の生活までもが掛かってくる。

あるお店でたくさん店員さんがいるが、その店員さんの一人がお店に置く商品を縫製できる場所教えてくださいと私に聞くが、私の答えは、家に帰って1日10枚でも自分で縫ったら簡単にできるよ、という答え。私もミシンはほとんど触らないけど、米原のイベントでの60cm角のキッチンクロスでも、1時間に裁断から初めて縫製まで5枚くらいは縫う。布が豊富にあふれているお店で、店員である自分がそういうのやると、売るものにも自信も出てくるし愛着も湧いてくる。繊維の世界が好きな人だとそういうの普通なのだがそれができないとなると向いているのか向いていないのかの存在。そして向いている人だけがやはり残れる世界なのである。店員さんなんてお客さんがいない時間ができればミシンで縫えばよいだけのことで、それでこそお店の専門的な価値も上がるというものだろう。

これと同じことが学生レベルのものづくりの話。学生さんとお話しするときに将来の夢みたいなものを聞くとこんなことをしたいというイメージがあるし、なんでもやりますみたいな話になるけど、実際に、その一つ一つのことを目の前にすると、私がやるの?みたいなタイプの人が多い。やってないからなんでもできるとかやりますがいえるけども、やってみるとなにもやらないタイプ。大人になったときに自分が解決できることは自分の力で解決してゆかないと他に解決を求めていても結局は難しく成り立たない話も多い。他に縫製を出すとすれば縫製工場で働く一人の作業工賃や、縫製工場の間接費用、運送費、梱包時間、伝票関係のことすべて時間的なコストとして商品の値段として跳ね返る。それを自分が作業して捻出してゆくか。自分がすると面倒な感覚で他の人に頼んでいるとどうしてもコストが合わない問題が生じてくる。

働き始めた若い時からすでに自分が解決するというのができないままのスタイルが身について、人に解決してもらうので食べていくスタイル。繊維業界には本当にそういう人は多いもので、実際にものを作る部分をこなせる人の比率は非常に低いのが日本の繊維業界の特徴の一つ、そういうところから解決してゆかないと難しい問題である。ある方の紹介があって教えてあげてほしいという話、私自身は自分もその分野はほとんど仕事やったことがないけど1回でも本気でやろうとしたからそのものづくりのあらすじくらいは説明できるが、自分が仕事としてするのに教えてもらえるのが当たり前で聞くばかりの人、この人では仕事は無理で触らないほうが無難だと思う。ダメ元での試作一つに自分の一か月の給料くらい捨てられるのかという問題。知識から足りず、本人が経験積むために費用が掛かる話、それで食べていこうと仕事して、その人がその人自身の20万、30万ほどの儲け考えて、100万、200万の仕事しようとすると、本生産の作り直しなどになると300万、400万以上に失う可能性のほうが高いだろう。作り直しても売れない販売断念のケースもある。一つの仕事に対してだけじゃなく総じてそういうスタンスでの仕事なんだろうと思う。本当にやりたい人というのは直線的にものごとを進めることができるが、見て回るだけで自分自身の行動を伴わない人も多い。売れる顔にするにはそれなりにやり直しなんかも必要で一発勝負でできる人とできない人とではプロとして残っていけるか残っていけないかくらいの差がある。費用が2倍掛かることをやっても商売として成り立たせるは難しいから、結局、一回勝負でやれる人がコスト面でも生き残れる話。繊維業界全体が人は多いが生き残りにくい体質になってしまってる。

繊維業界というのはかつてないほどに本格的な繊維不況の到来、特にアパレル業界は不況そのもので年10%規模で縮小しているところも多い。アパレル売り場の大きい百貨店などは店舗閉鎖も多い。アパレルさんとのお付き合いも断っているわけではないけども比率を減らして、林与に合った会社さんとの取り組みに変えてきたこともあり、仕事は手も足りず忙しくで暇ないことがありがたい。昔の良い時代の仕事のレベルだと今の時代にはまったく通用しないというのを割り切ってるから、分からないできないで終わらないで売れるとこまで、通用するところまでやれば成り立つという世界。まだ、やりたいことも山積みだがとりあえずは外のお客様の仕事を優先して自分のやりたいことは後回し。いろんな意味で余力ができたときに自分のやりたいことをやってみる程度が一番よいのではないだろうと思う。

ひと世代前の人が使ってきた織機をみると、なぜ織るのに苦労されていたかがよくわかる。ここをこうすれば簡単に問題がなくなるのにとか、なんでどの台も大事なものを外したり壊してしまっているんだろうとか、問題が起こるのも当たり前も見えてくる。今の時代の糸は本当に織れない糸であることも多いのでそういう糸を織ることで一から織機を調整しなおすことで見えてくることも多いのである。まったく織れないが、織れるようになる瞬間というのがあって、それは意図的に生み出さないと訪れない瞬間であったりする。また、傷になった反物を自分で縫って直すとか経験をしないとなかなか織るはできても正しく織るには到達しないことも多い。今は、もうそれで食べて行ける時代ではなくなってしまった。

織物の真ん中にループができる問題なんかも、カラミのところまで糸が届いていないだけという話で、レピアオープナーの位置を右にずらすだけで解決する問題なのだが、何十年織機を調節してきた人でも原因が分からず、説明もしてレピアオープナーを右にずらすだけのことで、位置を動かしてくださいというけど、どうするの?という質問、何十年もレピアオープナーを触ってきた人でも初心者と変わらないほどの呆けたような話のことも多い。理解はしにくい問題だけども、そういうのは基本の基本の話。それがわからないと問題のないところを触って織機のバランスを崩してもうこれ以上は調節できないからこの織物はループが出るで終わり。

別の出機さんの工場に行って、織の経験もない私が、その問題を仕事始めて半年くらいの時に織機もほとんど触ったこともないのにそのとき織機の動きをはじめて見てループの原因を説明もするが、経験者程メンツが立ってしまって初心者にいうことなど聞きもしない。機械屋さんがくると私のいうのと同じ結論で、耳のカラミソウコウがなぜ絡む必要があるのかという基本的な問題に過ぎない。経験者の問題を抱えながら次の世代というのは、気を使って手加減しながら仕事と接していかないとならないのが疲れる業界ではある。田舎独特の年功序列的な偉そうなひとが多く、気の抜けたようなところがあって、普通新しい人がやっていけるような業界ではない。織機の問題を抱えていても解決してもその原因を聞いても隠そうとするのも、力のない人にありがちなパターンで、原因をはぐらかす。教えることで自分の仕事がなくなるという心理が働くんだろう繊維業界にはそういう人というのは多い。

大したこともない経験だったりする。同じことを日本で最大規模の大手の商社のイタリアの社長をされた方がいってられたが保身のサラリーマンそのもの。部下には仕事をおしえないと、その理由は仕事を取られるから。大手企業の役員クラスがもうサラリーマンだったりで、肩書だけで生きているみたいなところ。繊維業界のアドバイザーとして動かれていたがまあ肩書だけの人で仕事ができないタイプの一人。本当に仕事を自分でやってきた人というのは、武藤さんという方、自分でヨーロッパの市場を開拓されて自分の人脈を日本の繊維業界のために惜しみなく放出。あの方に及ぶ方はおられないと思う。企業自体は業績は別として評判がよくないところがあり損や迷惑を仕入れ先に被せる形が多く、武藤さんに続くみたいな人がその企業にも増えてほしいと思う。勝ち馬に乗りがちな、ある繊維の業界紙が持ち上げて、日本の地道な繊維業界を逆につぶしてしまうのは駄目だろう。まあ、林与自身、そんな業界紙とは縁を切ったような形でその業界紙を支えるのも難しいレベル。広告出したら記事にしますよみたいな、ゼニゲバな業界紙で、戦争でもうけるゼニゲバな武器産業みたいな商売スタイル。

その新聞社の記者の人にも、その新聞社の商売スタイル改めないとダメですよと、繊維のゼニゲバニュース発信を叩く側。そういうのがまともな繊維業界をつぶす活力になってしまう。広告目的で金取るための取材なら日本の繊維業界を正すためにも来てほしくもない。対照的なのが業界で定評のある業界紙。広告すら一度も出したこともないけど、林与の本気なスタイルを大事に思ってくださって、本当に小さな林与を心意気買って大きな記事にしようと持ち上げてくださり。繊維業界のまともじゃないのと、まともな部分感じるのもそのあたり。そういう業界紙は記事の信ぴょう性で成り立つ。繊維の業界紙でも両極に分かれるのもその辺り。マイナスな業界紙に広告出している繊維企業さんに警笛を鳴らすべきなのかとも思える。その業界紙もkさんという真摯な記者の方がおられて、その方の記事にしたいという意気込み買ったのが間違いだったのかと思うほどゼニゲバなメディアなのを知って、林与が取材してもらうことすらに今は難色を示す。繊維業界を食いつぶすメディアとして業界内に警告を鳴らすことも必要だろう。広告出しておられる企業さんが逆に哀れで気の毒なんだわ。広告出したら記事にしますがという話ばかりのゼニゲバな記者の業界紙。取材に時間使うすらももったいない話。その繊維の業界紙の記者の目にはドルマークが書いてあるのかと思えるほど。そういうゼニゲバで取材してたら、地道なところからは相手にもされなくなりますよという記者にも忠告。
2020年01月27日
私もいろんな限界に挑戦をすることがあるが、この20年ほどモノづくりの限界に挑戦しているというよりも、構造的な問題の解決に悩んでいることのほうが多い。人はいろんな考え方があるので、その考え方というのが変わることはまずない。それまでの生き方があるので教育を受けたからとか人に説教されたから変わるなんてことはないのである。自分ががんばれば他の人もがんばってくれるだろうみたいなことは、家族でもないのが普通でそれを他人に期待すること自体が間違っているのであろう。

私自身は頑張ってる人は応援したいと思うが、頑張るというのも自分が頑張る環境から作っている人を応援したいのである。ある方の紹介で私に教えてほしいと助けを求められてきた方があったけども、聞くばかりで自分が動こうとされない。それはどういうことですか、自分はコンバーターで専門的なことは素人だから分からない。それだと企画を受けるコンバーターの仕事をするのも難しいだろう。まず、経験を積んでもらったほうがよいだろうと思うのである。実は私もその分野のことは素人だけども、一度、2度の取り組みでそれなりに覚悟決めてやろうと思って取り組むので、かなり深いところまでたどり着くだけのことなのである。自分がやったほうが簡単にできそうならその分野でも機械装置を入れてでも自分で抱え込んで思い通りのことを試してみたいと思うから本気なのである。

自分がやればうまくいくことでも、内部でも他の人にやってもらうとうまく行かないことは多い、外に業者に頼んでもこうやってこうやればできないことはないのにということがなかなか簡単にはやってもらえないことも多い。それも冒頭の人にはいろんな考え方があるから仕事観というのは人生観が出てしまって、ものが正しくつくれるのが当たり前とかみたいなところにたどり着ける人というのは10人に一人か二人くらいじゃないかと思う。手先が器用とか慣れの問題というよりも、人のいうことを聞きいて自分が作業したくないという性格の人は経験の幅もすごく狭くなるので難しいと思う。自分の好きなものをつくって食べてゆけるのが理想だろうけどもそれは自分自身が作業して作って売って生活を成り立たせてゆかないと、他の人に頼んだりと成れば他の人の生活の面倒まで自分の好きなものをつくることでみていかないといけないことになる。その辺りが仕事の本質的な部分だろうと思う。

経営者の方と話をしていると人が多ければ多いほど人の面倒をみる苦労のことが多くどこも一緒だなあと思う。林与は家族経営規模の小さな会社で人が少なく、実際に目の前のことをどんどんと前に進めていける人が必要。そういう人というのは織物とか繊維の世界じゃなくてもどんな業種でも活躍できるタイプの人だろうなあと思う。以前、林与で働きたいと来てくれたすごく優秀な学生さんがおられたが、その時は逆に私のほうが、こんな田舎の小さな会社で5年とかでも働いたら外の世界に取り残されてしまうのではないだろうかと心配してよく考えたらという、そういう人を求めているのに目の前にそういう人がいた時に他の大きな会社でいろんなチャンスをつかむことを薦めてしまうようなバカをやってしまった。そういう目標が高く、実際に行動して動いている人というのはどこの世界でも通用するだろう。
2020年01月26日
武漢の市場から採取した野生動物のサンプルから、新型コロナウィルスが多数検出されたという。結局、鶏、牛、豚などのように発症元そのものをすべて撲滅するような形でないとならないのなら、本当に大掛かりな問題。人の予防だけでなく、いろんな動物を予防しないとならないが野生動物が感染源となるとその地域のその種を駆除するしかないのだろう。武漢の地域全体がウィルス除去の対象となりうる。さらには、疑わしいとされるコウモリや鳥などは移動範囲が広くウィルスを広めることになる。

感染源を断つことよりもウィルスに対する治療薬や抗体を開発するほうが現実的ではあろうけども、武漢というのは1000万人都市で東京に匹敵する規模の都市、海外からの観光客なども訪れるような場所なので感染源をそのままにしておくということも結局は感染を抑えることが難しい問題につながる。新型コロナウィルスの問題は、肺が壊滅状態になって死に至るケースのようである。中国という国が、武漢の人の移動の禁止だけでなく、中国人の海外への団体旅行の禁止など、積極的な動きをみせているのが拡散を抑える方法としては役立つ。旅行のキャンセルとかは小さな問題で、感染者を増やさないほうが優先されるべきだろう。

2020年01月25日
コロナウィルスが猛威を振るっている。人を絶滅させようとする自然の力の一つだろう。ウィルスと戦うことは自然との闘いの一つだろうと思う。今の時代は医療関係者しかウィルスの研究をできない形、本来は人類の誰もがそれと戦ってこそバランスが取れるものだろうと思うので、いずれ、人類はできることもできないルールばかりになって自然の原理からすると滅んでしまうんじゃないだろうかと思う。

たとえば、みんなが家から出ないことで感染の広がりは抑えられることもあるだろう。中国の武漢の人々の移動を禁止を勧告するような判断というのは極端すぎると思えるかもしれないが、できうる一つの手段を講じたともいえる。もちろんそれによるマイナス部分もあるだろうけども、それだけで何百人、何千人人もの命が救われる可能性を考えるとそういう手段も適切ではないのかと思える。
2020年01月24日
麻布というのは非常に売りやすいテーマの一つ、というのも、自然で体に良いとかの要素があって、合成繊維に比べると、売り方ひとつで売れる可能性がある。ポリエステルは今、世界中から敵視されているけども、安価で大量に使われていて、皺になりにくく、英語でコンパクトリネンと呼ばれるものはポリエステルだろうと思う(私がコンパクトリネンという言葉の意味が分からなくて、他の人からたぶんポリエステルのことだろうと聞いた)。

自分がポリエステルの会社の社長だったら何を考えるだろうか、ニーズ的なものだろうと思う。たとえば、皺になりやすいリネンをだれもが使いたいとは思わないだろう。イージーメンテナンスな素材で安価でセールスポイントは多いのである。ファッション性などをメインに打ち出せば需要はあるだろう。スポーツ選手のユニフォームなど、転写式のインクジェットプリントで自由自在のデザインが作れるとか魅力ではある。すごくコンパクトなシステムで思い通りのものができるのは大掛かりにならない分、小ロット生産においてはエコだといえる。

今は、コットンまでもが諸悪の根源視されるようになった。枯葉剤というだけでなく、水を大量に消費するというところ。コットンはそんなに悪者か?コットンやめてリネンを着ましょうとか、私はリネン業界にいるけども、天然繊維の大きな部分はコットンが支えてきて廉価で誰でもが買えるインフラの一つなのである。コットンを着て良いと思う人がいればそれは一つの選択だろう。すべてをオーガニックにみたいなことを言っていると普通の物にオーガニックとつけただけになって、本来のオーガニックがあるべき自然農法的なものから遠い、どんどんビニールハウス栽培的なオーガニックになってしまう。まさに虫やカビなどの存在しない砂漠の中でのオーガニック。

オーガニックというのは余力でやるべきだろうなあと思うのはそこ、普通の物で利益を上げてその利益をオーガニックに注いで理想のオーガニックを一部でも続けていく。そうでないと、レギュレーションするもののさじ加減でオーガニックにポリエステルが入ったりとか、繊維の世界の人の概念からすると、天然繊維100%でもないものを平気でオーガニックと偽装する神経が怖い。まさに、商売のためのオーガニックだと思う。食品の世界でも偽装は多いけども、消費者を欺くような表記は駄目だろう。消費者というのは信じて買うのだから裏切らないようにしないと、利益を得るためにやっていても意図的に消費者を騙して金儲けするような方向になっては地道な繊維の世界の価値観を壊してしまう。

いろんな偽装が途上国からという風に思われるかもしれないが、案外、国内の業者さんが現地で1000円で仕入れたカシミヤのストールを何万円で売られていることがある。プロなら本物かどうか判断しないといけないのだが、売る人がカシミヤといってるからでは消費者レベル。そんな悪徳業者は日本の呉服の世界でも五万といて、よくいわれるのに、1のものを11にして売るのが呉服の商売であると。だから、本物の産地のものを自分の足で運んで売る行商の業者なんかが逆に成功をしたのである。もう一つ日本人の問題は、間違いはあるということをどこまでも追い詰める癖。基調が偽装ならどうしようもないが、必死に正しくやろうとしてもできないこともあるし、間違いもある。それを鬼の首を取ったかのように追い詰める癖があったりする。

日本の牛は全頭検査させて、輸入牛は目視検査とか、だらしない役人の内弁慶では、海外に日本の牛農家が市場を奪われるのは当たり前。日本のケアラベル表記にしても本来は日本人の選択方法に適したものが一番で、旧のラベルのほうが適切だったが、日本の業者が海外で生産して海外に売るようになって海外ラベルに統一する流れなんだろう。でも、繊維とはかけ離れ売るだけの人が管理しだして、日本の繊維もどんどんと薄っぺらくなってゆく気がしてならない。家庭洗濯といっても日本の洗濯機ではなく、コインランドリー洗濯みたいなものがベースのラベルなのである。日本の洗濯事情に合うはずもない。だから、シンプルなマークの下に、日本語の小さな文字でデメリット表示や注意書きがいくつも並ぶ羽目になる。

日本は四季があって服飾文化が栄えたところがある、それが海外に基準を合わせてゆくと、服飾文化というのは薄れてゆくだけのこと。それを業界自身がそっちの方向向いていたら単なる海外製品の輸入業者、すべてその感覚で縛ってしまうようなことはやめていただきたいなあと思う。日本のマークのほうが絵心があって分かりやすくてよいと思う。一番の問題は、消費者のこと考えていないのじゃないかと思う。
2020年01月23日
オリンピックの制服が決まった。白いジャケットに赤いパンツ。見るとやっぱり、逆のほうが良いと思う。赤いジャケットに白いパンツ。なぜなのか、まず、赤いパンツは厳しいわあという、ファッション感覚。赤いパンツがどれだえけ出回っているものか、考えてみると分かる。それに白いジャケットでは上半身が沈むと思う。赤いジャケットは、派手だけど、衣装系ではありだと思うし、案外、普通にあったりする。赤いジャケット白いパンツが正しい選択でかっこいいと思うが、どうして逆になった?

下半身に注目を集めるというのは、映像でも映えないと思う。日本なので赤と白のコントラストは悪くないが、赤と白の使い方が逆じゃないのかと思えて仕方ない。過去にあったからあえて逆にしたとかだとそういうセンスなしなのはやめてほしいチョイス。今からでも、赤いジャケット白いパンツにしてほしいと思う。若い選手たちには特によく合うファッションセンス。年寄りの役員には、白いジャケット、赤いパンツがが良いかもしれないが、主役は、若い選手たち。役員と選手、色を逆にしたほうが合うのかもしれない。

着る選手たちが満足ならそれでよいとは思う。ブルマもそうだが、着て恥辱感のあるものを無理やり着させるというものおっさん連中らしいが、スポーツなんだから選手が苦痛を味わうようなものを強いる連中は必要ないだろう。役員とかのおっさん連中の考えることは選手を見下したりしてることが多い。
2020年01月22日
豊作で農作物の価格が下落というニュース。豊作が農家にとって良いことなのかというと、リネンなんかもおんなじで、良いフラックスがとれた年というのは品質も良くリネン価格も下落する。一方で凶作の年には品質も低下して値段も高くなる傾向がある。農作物にしても豊作だと大根や白菜が収穫もされないままトラクターで土に戻されることも多い。消費者に食物ロスの削減を求めながらも、製造工程での莫大なロスを解決しないとどうにもならない話で、そういう製造工程のロスとなるものでも大量に市場に価値を伴って流れることが大事だろうが、欠点があると費やした費用の回収も難しい。

最近買ったものの中で、訳アリの辛子明太子があった。2kg3000円だったが、形が不揃いとか期限間近とか、夜仕事していると寒いので夜食に電子レンジで温めて食べるパターンだったが、おっさんの食べ物なんてそんなもので十分なのであるが、スーパーで形綺麗に小売りしているものよりも充実感がある。訳アリなので当たりハズレもあるのだろうが、そういうのが残っていてもよいのではないのかと思ったりする。努力をしても同じ商品が同じ品質で同じ価格ということも常に保てるとは限らないのがものだったりする。

繊維製品でもスポットで紡績工場の廃業や生産終了なんかがあってなん十トンかのあぶれた糸を買い取って作ったものというのは、原材料費も安いだろうし量産するので最終の生地も安く作れる。そういう訳あり業者さんのものづくりもあったりはする。林与の場合は、逆に定番にできるような安定的に供給される糸を探して使っているので直接輸入しようが問屋さんから買おうが値段も安定していて安定的な生産がしやすいのである。それが長期的に安定して生産をする方法の一つなのである。もう一つは自分が現在材料を何十トンも抱えて生産を安定さるかだろう。林与も小さな機屋ではあるけど、

商売を続けてゆくために国内のどの麻の糸商さん以上に染糸も含め麻糸の在庫は持っていたりする。そのあたりが普通の賃機屋さんとか、企画屋さんとは違うところで、トータルなものづくりを常に考えてものづくりを支える力となるところだったりする。普通は重荷になるところでみんなそこが経営が駄目だというところだけども、ほかがそういうことができなくなっているので、そういうのを自分がやらないとものづくり自体が難しくなる。糸なんかにしても数年で廃盤になることも多く、特殊な糸に手を出して布をつくって順調に需要を作ったとしてもその糸が廃盤になってしまうということもありがち。定番の布をつくるための糸というのは、入手経路がいろいろと確保されているものでないと成り立ちにくい話なのである。
2020年01月19日
米原文化伝統産業会館でのロビー展示が今日の夕方終了、今日は、彦根刺繍の青木社長にいろいろと彦根刺繍に関するお話などを聞いた。昔、刺繍の案件を抱えた時に彦根刺繍にもたどり着いたが、彦根刺繍というのは伝統産業系で手刺しが基本、今はお祭りの幕などを作られているとのこと。昔には17件ほど刺繍屋さんがあったそうで、京都の下請け企業的な仕事をされていたという話で、彦根刺繍が東京オリンピックの時には外国のお客さん向けにすごく人気だったそう。ほとんどが日本の絵葉書などをベースに下絵を描いてその上にアクセントとなる部分に刺繍を施してある。全面刺繍タイプもあるそうだがそういうのはむちゃくちゃ手間が掛かってて高いそうである。

彦根刺繍もかつては17件ほど彦根から愛知川地域に掛けて刺繍業者さんがあったそうだが、どこもやめられて今は青木刺繍さんが残られているだけということ。お話を聞いていても刺繍だけではやはり難しく、繊維業界を支えるためにはテナント業的な部分も持っておられて成り立っているというお話。他の繊維業者さんも堅実的な経営をされているところは案外、マンション経営などをされているところが多い。経営手腕という意味では先のことが見えている経営者かどうかで、やはりいろんなものを残せるか逆につぶれる流れのタイプの経営者なのかは分かれる。林与の先代なんかは昔にありがちな借金できるのは自分に信用があると借金自慢のタイプだったの絵にかいたようなバカ者やってて、私が本業に立ち戻る路線でやってるからなんとか残せているだけのこと。調子乗りで地道な作業のできないタイプは商売やるとこけてしまうのはいつの時代も同じこと。青木社長も先代のときには良い時代があったけど、自分が引き継いでからは良い時代なんて経験したことがないといっておられ、良い時代が終わった後の次の世代の支えていく苦労はどこも前の世代の逆の人生だなあと思う。

まだ、林与が恵まれているなあと思うのは、まともに仕事すれば麻織物の仕事というのは収益面でも悪い仕事ではないと思うこと。今の時代に生き残るためには広く深くでないと無理だなあと思う。丸三ハシモトの橋本社長とも今の時代というのはいつまでつつくかわからない流れに乗った軽い仕事が利益を上げているが、ハシモトさんも林与も、ガチな仕事で、そのような流れに乗ってしまうと逆に存在意義が薄れて、大きいところと同じになれば長続きするはずもないという話をしていたが、地場産業の経営にしても仕事内容を薄くして利益を上げろ見たいなことをいう経営指導タイプの人も多いがそういう人というのは本当に多くて疲れるくらい。途上国の高度な仕事ができないレベルに落ちればものづくり産業なんて終わりだろう。

他にも今日は、自動車メーカーの海外工場の立ち上げなどで働いておられたお客様が、女性のスタッフが縫製をするのを見ておられ、どんなものづくりにでも興味があるといっておられた、サラリーマンではあったのだろうけども見るからに成功されるのが当たり前なタイプの方。仕事が嫌とか嫌いレベルをいくら主張しても仕事で成功することはまずない話で、いやいややってないで、まず本気で取り組んではどうだろうかと最初の1日の話から。最初の1日がないと長くやってもやってることやいってることは知れていて他の人の面倒をみるところまでもいかず面倒を見られる側のままぐだぐだいうのが続く話。やる気のあるものがそのグダグダいうものに付き合わないといけないのが繊維業界では多いのも繊維業界の苦悩の一つだろうと思う。私からすると先代なんかも親であろうがグダグダ言っているだけの仕事のできないアル中だったという厳しい目線があるから、林与でも残れているというだけのこと。食べていけるレベルのその姿勢になることがどれだけ難しいことなのかは、どの業界でも共通のことだろうと思う。金儲けとか利益にうぬぼれるじゃなく、自分が業界の本堂的な仕事して成り立たせていくという基本姿勢を作っていくというあたりが大事なところ。一人でもそれをやる覚悟みたいなのが大事だったりする。

昨日、今日の出店の出店の立ち番も、林与以外は、経営者が一人でされているところが、産業の衰退の本質。自分が従業員を支えて食べていくというのを経営者は自覚し、土曜日曜も仕事とも思わずにPR活動の一環で活動のPR。利益とかそんな浅いこと考えていたら自分の会社や業界を支えていくのは無理で、自分の時間くらい持ち出しで支えていくのが業界を支えていくという当たり前のあたり。

織物業界なんて風前の灯で、一番灯なのは織物の仕事に興味のあって行動までに移せる人が少ないこと。無料体験の手機でも、小学生未満の児童が、上手に織るけど。大人でチャレンジできる人は少ない、今日も舞台に立つ古典芸能の役者さんが着物姿でチャレンジしてくれた、それは職域を超えたプロの意識が働いているからだろう。そういう気持ちでないと役者も難しいかもしれない。そういう人はやはり小学生の子供と同じくできるタイプ。これは場を作っていただいた私がいうのは恐縮だけど場をつくるもできるタイプで、お人柄も何枚も上。

高く止まって上から目線の人間ほどできないも多い、苦労がないから他の人を食べさせて行くも難しだろう。自分が食べるよりほかの人を食べさせる覚悟がないと経営者や企画者は難しいだろうし、場をつくるができないとその仕事で成功するのも難しいだろう。せっかくの機会で、リネンのキッチンクロスを販売もしていたが、別途、限定ではあったけど、1枚無料プレゼント企画で興味を持ってくれた方には先着順で1枚プレゼントコーナーも作った。朝5時に起きて26枚裁断して縫製して洗いかけて、自分の朝早く起きて作ったものに興味もってくださりほしいとおもってもらえる。両日で80枚くらい。ものというのはまずほしいとおもっていただけるようなものでないと商売として成り立たせるのも難しい。自分に料理する技もないと難しいなあと。また場所をつくるができないと難しい。場所をつくるためには自分が動ける人でないと難しい。麻早起きして数時間で25枚のキッチンクロス、数が足りなく会場でもスタッフが縫って作れるまで待ってもらって種類もタイプも限定だけど長英座に脚を運んでくださって林与のリネンキッチンクロスに興味を持ってくださった方に、林与からお一人1枚だけのプレゼント。長英座だけでなく、帰ってからも長く使っていただけるようなものなのでこういう企画もありなのかなあと。

私自身、特別なタイプでないと難しいとも思うし、こういう仕事も成り立たせていくのは難しい。普通のサラリーマンがこういう仕事をしても場をつくるもお客さんとの接点も、ただ、早く起きて、織りっぱなしの生機を縫ってキッチンクロスにして洗いかけて干して、それだけでほしいと思ってもらえるものができあがる。それが私が問屋さん以上にものを料理するのも欲しがってもらえるのも上手なところで、私自身が、この仕事で食べていくというのもそう難しいことでもないあたり。業者の人に頼んでつくってもらったものでもなく、自分が朝早く作業しておにぎり作ったので食べてみたいな感覚。もちろんいろんな方との会話も弾むし私自身の良い長英座の思い出にもなる。

今年も無料体験の手機、お子様たちには大人気で、織ってくれる人がたくさんいてくださった。誰でもが簡単に織物が織れるように、平織りで太い目の綿の糸と、横糸にはかわいいファンシーなモールヤーン。織るというのを気軽に体験してもらって、織物が身近なものだと思ってもらう機会。子供のほうが何人も来て他の子に負けないで自分もできるをやろうとするので上手だったりする。そういうのが仕事で食べていけるにつながる基本の精神。自分の技だけでなく、見て楽しんで自分もできるとか、経験してもらうのも大事。女性スタッフがミシンでキッチンクロスをその場で作るを見てもらうのも、ただ単にもらってもらうだけでなく、ものづくりの現場を見てもらう一つの場つくり。林与自身この2日間いろんな皆様とお話もでき楽しい良い思い出になりました。
2020年01月18日
今日は、お昼前から2時くらいまで米原の文化伝統産業会館でのロビー展示のあと、大阪に向かった。上田安子服飾専門学校の制作展がグランフロント大阪で開催されたのを見学。10くらいのテーマに分かれて、学生が授業で制作したものなどをお披露目。私が良いなあと思ったものは、最後の受賞に上がっていなかったりして、今っぽい感覚にはついてゆけてないのかなあとも思いつつ。それがあるから逆に林与も独自のテイストがあって生きて行けるあたりなんじゃあないのかと思えたり。

COLORS展の終了後、席を立つと、若い女性起業家のような女性が、林与さんと声を掛けてくれ、どこの展示会でお会いした方なのだろうかと思い出せない。4年前に林与が手が足らずに困っていた時にトップクリエイターコースの大槻先生に頼んでヘルプで入ってくれた上田安子服飾専門学校のSさんで、学生っぽさが抜けて、上品な大人の貫禄。今は、W社の京都本社で仕事をされているということを聞いて、いい人をW社さんも見つけられたなあと、真面目で素直で一生懸命な仕事ぶりがどんな状況でも成り立たせることのできるタイプ。同行のスタッフの子と迷子になりそうで、ゆっくりと話もできなかったがびっくりなうれしい再開で、業界トップの会社に勤められて活躍のチャンスも広がるだろう。ゆっくりと夕食でも食べながら話もしたかったけど、同行のスタッフの女の子とはぐれそうで、あんまり話もできず、また機会があればお会いできるだろう。

学生たちが、真面目に一生懸命作品作りに取り組む姿というのがすべてだろうと思う。人づくりの場として上田安子服飾専門学校は厳しさも持っておられて、私が学生だったとき以上に真面目な姿勢で3年間授業と課題に追われるような学生生活。社会にでても真面目に一生懸命取り組める大人はそう多くないので、服飾業界においても責任感持って覚悟決めてやっていけば、他の人の面倒をみるような立場に立って会社や企画なども引っ張ってゆけるだろう。今の世の中、会社で働くのは週40時間程度、自分が目指す道があるならどこまで自分で行動できるか、目の前のことをどんどんと前に進め経験を積んでいくことが大事。そうやってれば、仕事なんてどうでもよいくたびれた話の多い十年、二十年選手なんて1年2年で抜いて行けるだろう。私も軽く抜いていかれないようにしないとなあとは思う。

途上国の問題でも、子供が働いて親が仕事していないみたいなのが多く、日本の管理職不要論なんかもその類で、食べてゆけないのが外の問題じゃなく中の構造的な問題であることも多い。繊維業界は古い業界でそういう構造的な問題を全体としてもまた企業としても抱えていることが多く、そういうあたりの構造的な脱却から考えたところが既存の硬直的な構造的問題から逃れ、ものづくりの効率化や生産性の向上も含め、その余力を特別なものづくりに回せたりするものである。本来は、縦の系列で成り立つように支えあわないとならないのだろうけども、なかなかそれも成り立ちにくい社会構造的な背景もある。
2020年01月17日
明日は、米原の伝統文化産業会館でのイベントにお昼頃参加のあと、夕方4時から大阪のグランフロントでの上田安子服飾専門学校の卒業展を観に行く予定。珍しく外での一日。ものづくりの現場を持たない人からするとそういうのに参加して人脈を広げるのが仕事だったりするのだろうけども、私自身はそういうスタイルの仕事を目指してはいない部分がある。でも、そういう場では、私と同じような仕事に対する感覚を持った人と出会えることもある。商売のつながりはなくても同業の人でも同じ感覚の人にあえると、そういう高い意識レベルが行動に結びついたものづくりでないと普通に高い評価を得るようなものにはならないのだろうと思う。

あるお客さんとの話で、私自身は難しいものをやってみたい思いはあるし、それをうまく料理する人がいれば、他にないものができると思えたりもするのだが、一般的には、難しいものには問題がつきもので、問題が起こるとそこばかりに時間と労力が費やされることが多い。ときには、振出しにもどって最初からやり直しみたいな話とかもある。そういうタイプのものづくりには、無難なものづくりが適していて、あまり高度なものを目指さないほうが結果良いのである。

私自身、作っていて面白いなあとおもうレベルの物は、規格外のあたりに存在をしていて、たとえば、リネン25HDシリーズの厚織リネン。これなんかは、良い糸が手に入らないと耳までリネンでは織れない話で、2年とか3年とか織ろうとしてもうまく織れない時期があった。織機の問題ではなく糸の問題として織れなかったのである。また、ナチュラルな風合いに仕上げたかったので、糊を使わない前提で織るので糸そのものが強度がないと駄目というのも、私が求めた本質的なところ。それを継続してつくるためにリネン25番手の生成の糸の在庫だけでも数トン持っていたりする。糸を買っても織れない屈辱から、良い織れる糸はまとめて買って残しておこうという形です。

耳糸に綿の糸を入れると問題は激減するので、こだわらなければ綿の糸を入れて織るのもありだろうと思う。耳糸などは、基本的には本体ではないので使っても生地としては麻100%生地を謳うことが可能ではあるが、そういう意味ではなく、面白さを追求するために耳までリネンで織るというのをやってそれがどこまで綺麗におれるのかみたいなあたり、賛同してもらえる人というのはそれほど多い訳ではないけども、そういうのに意味を感じてもらえる人もあったりはして、耳までリネンで織っててすごいねみたいなジャンルもあってもよいのかと思っている。

林与の通常のアパレル生地などは耳は左右それぞれ14本ほど、綿の双糸を使っています。それでも耳の辺りはシャトル織機の左右に動くときに糸が張って、密度も高い部分なので切れやすいです。あとストール生地も左右に4本ないしは8本の綿の耳糸を入れてあります。これは耳が綺麗に仕上がるために入れてあります。ストールにしたときに耳がデコボコしてへこみがあったりすると、肌に響くからです。キッチンクロスなどは耳糸を入れていないことが多いです。そういうのを誰が判断するのかというと、林与の自社規格では私自身が耳糸をどうするのか判断して行っています。リネン100%で作りたいと思いながらもダメな時には、あとから綿の耳糸を追加して織りやすくして織ることもあります。
2020年01月16日
シャトル織機のいろんな消耗品的なパーツが予備としてもっておかないと織機はあってもこれが足りないあれが足りないばかりになってくる。評判が良くないといわれるものでも代用が効いて数があるならまとめて予備に購入しておくというのも一つの手段であろう。渋皮の皮のピッカーが根元から破れたり、破れることのないと思っている丈夫なものでもいつかは壊れるのである。
織機に無理をさせると織機が壊れやすくなる、無理をさせないように低速にしておることも大事だったりする。

先日は、それなりに動いている台が急に異音を発してモーターが壊れてしまったのかと心配したが、結局、Vベルトを3本新しくするだけで元に戻ってくれた。ありがたい話である。修理できるものは壊れても修理して使うようにしている。壊れた部品でもそれを取っておくことで修理のヒントになることも多いので、壊れたものも捨てないことも多い。

一方、4Kノートの1台がタッチパッドの動作が不安定、予備的に置いておいた一台だけどそっちに不具合が隠れていた。なんか、カーソルが動きにくく、押してもいないのに勝手に押されたことになって新しいウィンドウが立ち上がったりする。安いものの場合、ハズレはハズレで、良品と交換をしてもらえばよいだけみたいなことも割り切りが大事だろうと思う。連絡すると修理するというよりも交換するという話が簡単にまとまった、ある目的に使おうと2台買ったので不具合だというのも分かりやすい。

仕事の合間にろ過装置の検討、数時間回しただけだけど、水がスゴク透き通っていて本当に良い感じなのである。普通の数千円のフィルターというのは水量雄少なくやはり小さいのが問題だろう。月に1回くらいのろ過で十分な気もする。どこかの池で試してみたい気分である。どこか濁った池はないものかと探してはいるが、東円堂のこいの池も今は水がそれなりに透き通っているようで、必要がないようである。小さな黄緑の有機物に対しては非常に効果的なろ過装置ができた。ろ過装置のメンテナンスが簡単なのでそこが一番の売りかもしれない。そういうのも自分が普段機械を使っていて一番気になるところなのである。

便利なものとなるとどうしても使い捨てとなってしまうが、ごみなんかを捨てるのになんで、指定の新しいゴミ袋に入れてすてるのかみたいなのも意識改革が必要だろうと思うところ。エコというのはそういうところから。普通のプラスチックバックを使えるようにするだけでごみは大幅に減るのである。
2020年01月12日
以前、リネン日記にもゴーン氏のことは書いたことがあったと思う。日産という会社は、もともと特別悪い会社でもないのだが、日本人が経営者だと雇用を守ったりするので経営を立て直すことも難しくなる。それほど悪い経営でもなくても、今の業績主義の経営となるとどうしても経営者はつぶる方向への思い切った対策を強いられる。その一つの手が、外国に身売りすること、今の日本のメーカーのほとんどが外国に身売り。外国に身売りすることで内弁慶な行政や金融指導などを避けることができ、また、解雇やリストラなども普通に行っても誰にもとがめられることもなくなる。企業自体が日本では消耗品的なものとなってしまっててお荷物にもなり身売り対象になってしまうのだ。

織物業界においても、林与のように何十年も昔のシャトル織機を故障するのを修理しながらやっているのに、もっと新しい織機を入れて何の問題もない量産型の織物工場のほうが経営に苦労されているのを昔から見てきた。母体の大きくなった量産型の工場というのはどうしても生産が安定していないと生産が止まったときに存続の危機を迎える。今までプラスだったものが一転して人を抱えているだけでマイナスに転じるのである。大きな織機をいれておられるところは電気代の基本料金を節約するために、一か月一切使わないで基本料を半額に落とすような努力までされているみたいな話も聞いたり、減反政策と同じで仕事することが駄目なことになってしまっては後でその分を挽回するのは大変なことだろう。

外国人経営者は治外法権的な部分があるので成功しやすいということも多いだろう。日本人経営者が日本で成功するのは難しいのもそのあたり、日本人も海外に出て行っている人は成功しやすいのである。日本で成功しているIT企業も、アマゾン、グーグルなどだが、法人税払ってないとか、著作権の問題とか、日本企業だと犯罪とされることが犯罪とされないで放置されてそれが莫大な利益を生む原動力。日本人経営者にはゆるされないが、外国人経営者には日本で同じことをやっても行政は手が届かないあたり。ゴーンが成功したのも同じような理由なのである。シャープが台湾企業に買収されたらV字回復も同じような理由。ほんと日本の行政が日本企業の競争力をそいでしまっていて、外国人には太刀打ちできない日本の行政の内弁慶体質な問題。
2020年01月11日
今日は、1月の自治体の評議委員会、そのあと新年会ということで料理屋での会食。その時に車屋さんと呼ばれる方がなぜ、車屋さんと呼ばれるのかを本人に尋ねた。本人や親が自動車屋をやってられたわけでもなく、昔、アンコ川がその方の家の裏を流れる形になっていて、水車があって小麦を粉にしたりしていたということで、水車の車が車屋さんの呼び名の由来だということ。

アンコ川の話になって、70近い世代の人たちは川が遊び場だったことが話を聞いていても分かる。私の子供の頃にアンコ川は改修されてまっすぐな川になって、土手の下に、コンクリートの壁が3mほどあり下の川辺に降りることも難しくなり身近な川ではなくなった。改修工事の結果、東円堂の洪水はなくなったということである。東円堂の家がどの家も石垣に囲まれ、入り口が70cmほどはかさ上げされているのはその名残なのである。

洪水の一方で、昔だと洪水になるくらいの身近な水利がないと水田というものは維持が難しいものであって、東円堂の集落というのは水利に恵まれていたというのは事実で、琵琶湖のほうまで下ってゆくと、水が乏しく水田での稲作が難しいこともあったのも事実。コメというのは、どこで取れるコメがおいしいのかというと山が落ちたあたりの田園で取れたコメが一番稲穂が大きくてよいコメだということ。糸を巻くおじいさんの裏の田圃も、大嘗祭の田として指名されたのもその条件に当てはまる。

今日は、久しぶりに日本酒を飲んだが日本酒は抜けるまでに時間の掛かる体質で、飲まないほうがよいのか。料理は海鮮的な鍋で、料理屋の娘さんが元気に手伝いをされていた。お客さんの受け答えもその娘さん、人手不足なんだろうけども、こういう女の子は将来絶対に強いのである。大人になるまでに大人を対等に扱えるくらいになってないと仕事にもならないというあたり、子供働かせて親が遊んでいたら別の話だが、親が一生懸命働いているのを子供が助けるのは問題のないことだろうと思う。自分たちの生活を自分たちで支えるというだけのこと。親もしっかりと仕事をしている家なので大丈夫だろう。親と子の信頼関係みたいなものは大事なのである。

途上国にいくと、働けるのに親が子供に食べさせてもらいたいみたいな親がたくさんいて、それはもう本当に困った話。自分を助けるために子供を産む構造というのは、今の日本の年金問題も絡んだ少子化問題の中にもあるが、そういう考え自体が病んでいるようにしか思えない。
2020年01月10日
今日は、ストールのフリンジをつくる作業。こういうのができるのとできないのとでは大きな違いがあると思う。誰でもできることなのだが、そういうのが誰にでもできないし、また、する人によって結果が大きく異なる。以前内職の人にフリンジの作業をやってもらったことがあったが、フリンジを作る作業よりも緊張するのがストールを正しい長さにカットする作業。横糸の糸目に沿って綺麗にカットしないと綺麗なフリンジができない。今回のはそれほど柄取りが必要ないが、柄をうまく見せるためにカット位置を考えたりするとなるとやはり自分でカットしないとダメだったりする。

リネンの100番手ともなると、加工後には糸が解けるように柔らかくなっていて簡単には抜きにくい。1枚のストールの上下のフリンジの作業するのにたぶん、カットを含めると20分から30分くらいは掛かっているだろう。私は途中、染糸の件で倉庫で糸探し、そのあと染工場に3色の色を染に出して夕方に戻ってフリンジ作業に戻る。染工場さんの事務所は人が残っておられたが現場は終われていた、そうか今日も三連休の前日なんだ。

昨年のシーズンは糸染めが非常に混んでいたが、今年のシーズンは糸染めのほうが比較的落ち着いているという話をされていたので、まだ、糸も染めてもらいやすいことはありがたい。

2020年01月09日
今日は、朝、商工会の方が来て下さり、補助金の最終の提出物に印を押す作業。この商工会の持続化補助金というのは、私自身が最後の資料をつくるのではなく、商工会の方が最終の資料も作ってくださるタイプなので、驚くほどに助かり、県の補助金のまとめ作業と比べるとかなり簡単に済んだ。今回のプロジェクトで一番良かったのは、麻布を使ったろ過装置というのが、本当に優秀で、小さな水槽なら数時間回すだけで緑っぽかった水が、透明に変わる。小さな池なら大きなタイプを使えば同様の効果が数時間で得られるだろう。大きな池なら数日というところだろうか。

夕方、シャトル織機のシャトルの管がしっくりと収まらず、回ってしまって、感光フィーラーが動作しないことがあるので、その問題を解決するために、農機具屋さんに出向いて溶接を頼む。溶接といっても溶接棒を2mmくらいちょこっと肉盛りして四角に削ってほしいような細かい作業。やってもらえると本当にありがたいなあと思う作業で、やってもらえることに。これでシャトルを管に合わせて削ることなく使えるのでシャトルが長持ちする予定。正しい道具を手に入れて正しくするというのも一つの方法だが、正しい道具が手に入れるのが難しい時には手持ちにあるものを工夫して使うことで成り立たせることも大事。

工場の織機を夜中中動かすときも工場の中に張り付いていることができないときには、機械が止まったときだけ動かしに行けばよいのだがそれをどう感知するのか、ベビーモニターのようなWIFI経由で織機の画像や音声が届くようにすればよいと考えアマゾンでいろいろとそういうの探していたが、はっと気が付いて、メッセンジャーを使えばよいと。ギガホのデータプラスで2台使いなので、自分から自分2号にメッセンジャーで通話すれば機械が動いている音が聞こえ、音が止まれば動かしに行けばよい。消費されるデータ量も調べてみたが本当に少なくて済む。メッセンジャー使用しながらも、普通にカメラ以外は、ブラウザや他のアプリも使える。

ここ数日、お客さんの納品の予定に合わせて大きく生産予定を組みなおし、予定していた納品が変更になるのはマイナスだけど、急ぐものを先にやることができるので、プラスの面もある。
«前のページ 1 ... | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | ... 182 次のページ»