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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年07月20日
日本の伝統工芸の職人というのはものさしも使わないのが普通で、手と目の感覚で長さを判断して同じものを作ってゆく感じ。計算機を使うとかはあまりよろしくない話だったりして、物事を考えないで慣れで仕事するのが職人みたいな世界。

私が職人的でないのは、新しいやり方を考えてやってゆく、作業していても慣れでやるというよりも、チェックポイントをいくつもつくってチェックしながら失敗を減らす。若いころから経験者の人にこうやったほうがよいんじゃないのということも多かったが、多くの場合、そういうのは受け入れられない、今までのやり方がすべてでそれがだんだんと年を取るごとに難しくなってゆくというのが一般的によく見られる形。

私なんかよりも若い子のほうが記憶力もある。年を取っても汚れ仕事のままでよいじゃないかと思う。私もたまたま、現場の仕事に入ったときにみんなが嫌がる作業を率先してやると決めたから、この仕事やってても他の人ができないとき嫌がるときにやるのは自分だと思っている。
2020年07月18日
昨日は、シュワイターの調整。シャトル織機のシャトルの管に糸を巻く機械。その糸にテンションを与えるレバーテンサーがぎこちないということで、つかさちゃんが自分でそこを分解してみてくれたのだが、元に戻せないということで見に行くと、どうやら内部で壊れていたようである。

えらいなあ、調子の悪い機械を自分で分解して直そうとしてくれて、その直し方も慎重なので大きな失敗が少ない。私自身も、シュワイターを直すなんて言うのも生まれて初めてのことだけど、大体分解すれば構造や原理は分かるので、分解して修理してみているだけのこと、経験というよりは、毎回問題があるときに逃げないでしっかりと自分で解決してみるだけの事。

壊れているので直らないからできることは倉庫に言って予備に取ってあるシュワイターから部品を取り外して、工場のシュワイターに取り付ける。これで調子がよくなる。ついでに、他のヘッドのレバーテンサーも全部の錘に調整を掛けておいた。出機さんにあったシュワイターで、全部の錘、少し調整位置がおかしいと思えたのは私の間違いなのだろうか。

調整を加えずに、金属をまげたり削ったりしてその場しのぎの修理をしてしまう面倒くさがりタイプの人もいるが、そういう修理は機械が調整できなくなるやり方、問題ない機械が、まともに動かないゴミになってしまう。
2020年07月17日
レギュラーにせよハイオクにせよ、石油はどこも同じ汎用品だという認識を、石油業界が認めた。どこの石油も同じだとは思っていなかった消費者にとっては驚きだろうと思う。各石油メーカーのロゴは単なる看板でまやかしなのである。石油がどこも同じなら単に値段だけをみて買えばよい話になってくる。

コンビニで売っているの水やコーヒーのほうがブランドがブランドの水としてオリジナルということなのだろうけど、多くのガソリンスタンドが存在する理由が、ガソリンそのものにはないということになると、サービスの違いというあたりだろうか。それも、ガソリンスタンドのほとんどがセルフになりつつあるので、そのあたりも微妙かもである。

ガソリンスタンドも同じものをあつかっているということになると、どこでガソリンをいれようが同じであるということになるのだろう。狂牛病の時に牛丼の肉にしても大手の牛丼屋は専用牧場で育てていると店頭にポスターを貼ったが、あれもふたを開けてみれば、一般的に流通している牛肉を目視検査しているだけであったという事実。

他と同じ一般的なものが語られて消費者はその語りで安心して他のものよりよいものとして買う。気を付けないといけないのが繊維業界も似たようなところがあり、私自身が同じような流れになってしまわないようにとは思う。
2020年07月15日
昨日、加工から上がってきた生成の生地を裁断して夏のプリーツマスクをつくってみた。普通の生成りよりもダーク目の薄地の通気性のよいマスク。夏マスクらしいリネンマスクを考えて素材から考えてみた。白のフォーマルプリーツマスクよりも若干薄め。

以前、生成のドライタッチの素材で作ってみたが肌辺りに強さを感じたので、生成でもうちょっとしっかりしていないほうがよいだろうと薄い素材にしてみた。

縫製後、洗いを掛けて乾かして、夜に着用して使ってみて非常にいい感じ。軽さやフィット感もよいし、接触冷感はたぶん他の夏マスク以上にあるんじゃないだろうか。よくコメントをいただく、生成が欲しいにお応えもできて、お化粧移りも目立ちにくい。丈夫な素材なので押し洗いでなくもみ洗い可能。

煮沸も可能なので衛生的で、本体は洗えば何十回と使えるだろう。そのため、替えゴムやゴムの交換を楽にできるようにするためのマスク専用ゴム通しが役に立ってくる。トータルとしてこのマスクが2枚から3枚あれば、交換しながら使ってもひと夏行けるだろうと自分で試してみるつもり。

不織布の使い捨てマスクは衛生的ではあるだろうけど、ごみとなったときには、ポリ袋の何倍もの環境負荷の問題があるだろう。不織布の臭いが苦手という方も多く、匂いというのも結局は化学物質なので軽視はできない。

リネンも洗うと繊維の綿がでるが、天然由来のものなので体内に入って体内に残ったとしても分解される。自然界でゴミとなっても植物と同じように自然の中で分解されてゆく。そのあたりが単に、マスクとしての機能だけでなく、リネンは長く使えるものだが、自然に帰ることも可能な天然繊維の魅力である。
2020年07月12日
繊維の仕事も、田舎の付き合いてきな仕事では成り立たせるのが難しくなったのが、繊維業界の衰退の原因でもあると思う。林与の先代的な昭和の時代の経営者が、大手SPAの若いモノづくりに飲み込まれてしまうのもよくわかるのである。新しいことに柔軟に対応できているかできていないかの違い。それも一つの能力で、新しいものを産み出してゆくときや、閉塞感を打開していくときには必要なこと。

先代なんかも、これは絶対にやったらあかんとか、いうようなこともよくあった。例えば、直接アパレルさんとやるとか、私からすると普通のことなんだけど、なかなか田舎のおっちゃんの商売感覚ではそれが難しいのである。私の仕事の考え方が気に入らない、先代が、お前も問屋さんに修行にいってこいみたいな話もあったけども、もうそういう時代ではないのが分かっていないと、田舎の織物工場が今の繊維業界でやっていくことすら難しいだろう。酒飲んで商売なんて今でも古い昔の話だけど、30年前でも古くさくって、次の世代が酒飲んで年寄りの説教聞かされてては逆に駄目を作っていくだけ。若い者の意見を聞く側に回らんと上手に次の世代を育んでいけるような人もいないことはないが少なかった。それは譲る覚悟もあって外の移り変わる世界を知っている人の感覚。

外の世界を知っているから分かることも多いが、狭い田舎社会ではそれが悪いことのように毛嫌いされたり、そんなしょうもない感覚に縛られているから駄目なんだけど、仕切りたい連中が本当に多く自分と他人の区別もつかない状態で、これやるな、あれやるなみたいな輩は多い。自分はすき放題やってるタイプ程、ほかのもののやってることを仕切ろうとする。そういうあたりから健全化してゆかないとダメなんだろうなあと思うところが、林与の家の中にもある。

地道に仕事するとかそういう基本がなくなっては、何十年の経験者にしても素直に働いるアルバイトの人のほうが人間的には上だなあと思う。よほど才能や美貌があってみんなからあこがれてもらえるような人ならそれ以外のところでも生きてゆけるだろうけど、田舎という場所で人の勤勉さ地道さみたいなものがなくなれば評価もされにくい、拝金主義とか成金趣味になったら終わりでつくるものも陳腐化する。極めたものをつくるには、人生観そのものが自分をどこまで極限に置くかみたいのが大事だろうと思う。アートのように、ものづくりも突き詰めてゆけば人生観や哲学にたどり着くんだろうと思う。

自分自身もエシカルとかサステイナブルとかのものづくりをしながらも、エシカルとかサステイナブルなものづくりというのはそれよりも浅いところにあったりするものだと思う。自分のために働くとかいうより、家族を幸せにしたいとかのために働くとか、自分の人生を投げ打つ感覚の人が多かった時代や生き方のほうが、人の温かさを感じる部分があって、一緒に働く仲間を支える気持ちにもつながるだろう。エシカルやサステイナブルな基準なんてものを強いて実践する側でないなら、それは単に児童労働させてる働かない親と同じレベル。人として見失ってしまった他の人を支えるとかの部分を取り戻すほうが先だろうと思う。
2020年07月11日
今日は、二人してチーズワインダーでの作業。朝から夕方まで。昔の仕事スタイルなら、一人の人間がチーズワインダーの仕事を一生するみたいな話も多い。でも、今日やったような特殊に糸を分割したりする作業は、一生やってるひとにも頼めないようなややこしさのある作業。

呑み込みの早い人だと私のいうことを聞いてすぐに実行してくれるが、素直さがないとなかなかこういう作業もできないことが多い。仕事というのは経験の長さが逆に仕事をできなくすることも多いものだなあと思うことも多い。

私も最初働き始めた時から、普通の何十年の人よりも仕事の意味が分かっていたところから始まったのを感じる。なぜ、簡単なことも難しそうにいうのかとか、やれることもやろうとしないのかとか、疑問も多かったが、それを言うと余計に抵抗される。経験の長いものに新しいことを提案しても受け入れられることはほとんどない、従来のやり方がすべてで変われないのである。

一般的に職人の仕事というのは、慣れで考えずに仕事をしているような状態なので、たとえば糸を繋ぐにしても途中間違いがあると間違ったまま最後まで繋いでしまって、最後に間違ったのが分かって、間違ったところからやり直すというのが普通の仕事ぶり。一つの作業でも、一回で成功する確率のほうが低く、2か所、3か所間違っているのが普通で、2回、3回のやり直しか、間違ったところを細工して応急処置で作業というのがありがちな、昔ながらの現場。大きな仕事が流れているときにはそれでもよかっただろうけど、新しいことを一回で確実に答え出さないといけない今の時代ではまったく通用しない。

林与でも昔の現場では織キズを縫って直すような人は一人もいなかったが、今の現場では織キズを縫って直すも普通の作業。織ってる人が糸が悪いとかいってたのが幸せな時代で、その当時の糸でも今の糸から比べると糸切れも少ないし問題も少ない。今はその問題も現場が吸収して織物にしていかないとならない。織物を織るよりも手間の掛かる縫うような作業も普通にできないと駄目だったり、織物の仕事も面倒くさがりのおっちゃんおばちゃんでは太刀打ちができない仕事になってしまったなあと思う。
2020年07月10日
分業が進むと一つ一つの工程においては生産性が上がる。

たとえば、織物の工程において、整経する人が自分で整経の糸を準備してもよいけども、整経作業に集中するために、糸の準備というのは単純作業なので、チーズワインダーでの小割の指示を出して糸を準備してもらって、その糸を建てて成型する形が生産性が上がるだろう。

次に整経が終わったら、巻取り作業して、機場に整経の巻き取ったビームを持って行って、経糸を繋ぐ人が縦つなぎをする。縦つなぎをする人が織機を動かしていてもよいけども、主に縦つなぎ専門の人がいてもよいだろう。手で繋いだりタイイングマシーンを使ってつないだり、縦つなぎも案外時間の掛かる作業である。

織る人は織るだけというのも一つの仕事の形だろう。織機の調整も日本では織っている人がすることが多いが、海外の大きな工場では織る人は織るだけ調整は修理の人が行うというのが普通だったりする。普通は、織機に長けた人が修理したほうが一番問題が少ない結果となる。織ったものを加工出しの準備をしたり、修理する人も必要で、また加工から上がってきた反物をキズなどが多ければ再度検反する人も必要だろう。

分業というのは、生産性も上がってよいことのように思うが、守備範囲がすごく狭くなるのと、全員がいないと仕事ができないなど、致命的な問題がある。また、高度なものをつくろうとするときや、新しいものをつくろうとするとき、技術的な改善的なことをするときも各担当が前後が問題なくいくような作業工程を生み出さないとならないけども、それがりかいできなかったり。経営的な改善を行うときにも、なぜ自分が他の作業をしないとならないのかなども分業の世界が当たり前だと理解が難しかったりする。地場産業の多くは分業の世界で新しいことには適応能力が低いことが多い。

たとえば、製造工程の記録のデータを共有すると、つくるものに対しての理解が深まるだけでなく、新しいものをつくるときにも役に立つだろうけども、データを管理するひとというのは経営者だったりして、現場の人は与えられたデータ通りに作業をするだけで、データを見るということ以前に、データを記録するとか管理するとかの概念もなかったりするのが、普通の地場産業の現場で他人任せが普通で、仕事も楽だなあと思うが、それでは同じ仕事が次来ても同じものすらできないのも当たり前で、外では通用しない話。
2020年07月09日
ひと昔前の経営者たちというのは成功していた時があっただけに、どうしても成金的なところがあって困ったもんだなあと思える。カネを借りれば儲かった時代の人たちというのは、自分が手や体を動かして働く苦労をしらないからそういうものに一生懸命になる。

それで地道に考えている次の世代を小物みたいに馬鹿にしていた話が多いが、そういうひと世代前の爪痕の片づけを繊維の世界では次の世代が背負って片付けていることが多い。倒産した京都の問屋さんにしても、次の世代は自分の人生すらも親の失敗の片付けで、親の世代が成功していたというよりも大きな問題を残して片付けようともしないまま、変われずに次の世代を馬鹿にしてアカン話。次の世代から見ると、そういう親たちは世間のカモ。真面目に体動かして働ける親だったら良いのになあと思うが、作業を面倒くさがり、自分はそういう身分じゃないと落ちぶれた後でも思っているから直らない。

繊維業界にも仕事するのを面倒くさそうにいう人が本当に多いから、日本で繊維の世界はもう難しいんじゃないかと思う。働くことが悪いことみたいになっては頑張ってる海外の人に抜かれてゆくのは当たり前。繊維の世界なんて面倒な世界そのもので価値が生まれてくる世界なんだから、企画するものも販売するものも、そういう手間暇を売りにしながら、自分がいろんな作業をするのが面倒な人が多いからうまく回らなくなるんだろうと思ったりもする。

私も経営者の側面をもっているけど、拝金趣味とか成金趣味にはならんようにせんと、そんな連中は、日本の繊維業界を駄目にしてしまうだけのこと。自分が仕事するのが面倒になれば、そういう会社にはそういう仕事が面倒な人が溢れる。私もいろんな産地の人と接して、どこも同じような問題に悩まされているように思う。繊維業界全般に仕事するのが面倒な人が溢れたのが日本の繊維業界の衰退の一番の原因だろうと思う。
2020年07月08日
繊維の仕事で難しいのが商品企画する人がいたとしても、その人というのはその商品の会社の企画というだけで、それを受ける会社は各社の企画的として成り立たせる必要がある話というあたり。商品が売れたとしても成り立たちにくいことが多かったりするのがそれを受ける側。

ものづくりというのはものづくりだけではない部分が大きかったりする。たとえばお客さんが特別な糸を使ってほしいみたいな話があったとしてそのお客さんが特別な糸を手に入れるお金をまず払えるのかの話になると、どんなものができるかを見たいだけの状態だったりされることが多く、その状態の話ではできあがっても買われないタイプであることがほとんど。

素人っぽい人が言われたとおりにやってうまく行くことも少なく問題なんかがあったら大変で、何が悪いのかというと企画自体よりも企画する人の考え方が問題を引っ張ってきやすいことも多い。どこかに理想の布があってそれを買わないで、自分が別のところでその布を安く作りたいみたいな話は、理想の布がどこかで手に入るなら高くてもそれを手に入れられたほうが良いんじゃないかとごく普通の話。
2020年07月07日
インターネットが普及し始めた1990年代に、言われていたことがデジタルディバイドという問題。インターネットから情報を得られるものと得られないものとの情報格差の問題なのである。

インターネットが普及するまでは、テレビが主たる情報源であった、その前はラジオ、そのまた前は新聞だったりする。時代の移り変わりとともに情報源が変化してゆく、テレビというのは見るだけで情報が入ってくるけども、インターネットは自分で情報をもとめて辿りつかないといけない要素もあるし、また、自分自身が情報を発信も可能である。

私の母親なんかも勉強しなさいとか習い事ばかりさせるタイプだったが、コンピュータとかは毛嫌いしていて触らせないようなことばかりで、デジタルディバイドの問題は家庭環境にあったりもする。今、10年20年遅れで、学校教育にコンピュータやスマフォを取り入れたりとかやってるけども、昔ながらの教科書で勉強していて今の情報化社会を引っ張ってゆけるのかというと難しい問題がある。

今までは業界のプロしか持っていなかった情報が、ネット社会では簡単に手に入れることができ、一般の人のほうが業としてやっている人間よりも選択の自由度が高く、知識的には豊富だったりすることも多い。その道のプロではないけど、それを極めた一般の知識の豊富な人が専門家だったりする。

プロはそれで食べているので案外説明したがらないもので、専門家は学んだ知識を他のものに説明するのが仕事だったりする。仕事していても技術的なことよりも人の心理的な要素のほうが地場産業の盛衰にも大きく影響をしているだろうと思う。誰か一人が貫いてやったことが儲かるということで回りもやりだして地場産業となって、儲からなくなって去っていくものもあれば、儲からなくてもやり続けているものもあって地場産業が続いているだけのことも多いだろう。

林与の家にしても普通の家にしても、江戸時代とか明治くらいまでは日本の農家なら、お嫁さんは機を持って嫁いでが普通で、どの農家の家も何十代も麻織物を織ってきた家がほとんどだろう。林与の場合、たまたま、明治のころに、ひいひいおじいさんが飲んべで、代々の土地を酒代の担保に入れてしまうほどのアカンタレだったから、ひいおじいさんの与次右衛門じいさんが、近江上布の織元として立ち上がって親類一同や集落の人々を支えたというだけのことで、与次右衛門じいさんが、その飲んべの親のいうこと聞いてたら林与の織物もなかっただろう。
2020年07月06日
若い世代の人が自分の夢で独立しようと考えているけども、サラリーマンとして給料をもらって働くのとはまったく逆の立場になるわけで、その方にいうのも、自分が住む場所の家賃や国民健康保険と年金だけで、毎月10万円くらい消えてゆくから、今までみたいにサラリーマンとして仕事していれば毎月手取りで10万とか20万が当たり前でも、独立したら仕事してマイナス10何万円から始まるという話になりがち。

家業を継いだ繊維関係の社長さんと話をする機会も多いので、普通に外で働いたほうが楽だろうという話もおおく。次の世代が前の世代に養われているかというと前の世代が次の世代に面倒をみてもらうことを期待している場合のほうが多かったりする。繊維関係の勢いのあった世代で多いのがやればやるほど借金をどんどんとつくってしまうタイプで今残っている人たちはそういうタイプじゃない人たちがほとんど。それゆえに、繊維関係のものづくりの世界というのは、地道で競争も激しく硬直化していることが多いので、すでに何十年やっておられお店も構えておられるところでも成り立たせるのが難しい、若い人が自分でこれからやっていくとなると本当に難しいだろうなあと思う。しかも、競争は国内にあるのではなく、日本企業といっても海外でやって商社的に人件費や物価の差で利益を生みだすスタイル。

私の中に、本当にやりたいと思うなら後で後悔するよりもやってみて失敗に終わっても経験するのは良いことだろうと思う。自分の人生だからやるなよりは、それが自分の人生の夢なら夢で終わらせずやってみて現実と向き合って考えてみるも自分の人生としては大事なことだろうと、自分自身にあてはめても思う。やって駄目なことも多いし、それでもやってみないと駄目かどうかも分からないだろうと思う。同じことをやるにしても、場所の問題もあるだろうと思う、うまく行きやすい場所もあれば、うまく行かない場所もある。うまく行きやすい良い場所でオーダーの服を作っておられる第一人者の方でも地道な努力の積み重ねでしかないような現実もあって、夢だけではないあたり。若い人も抱えられているけども、自分が今までやってきたようなのと同じ感覚で仕事に向き合える人というのは少ないというお話。

自分が独立してやろうと思うことで食べてゆくのが難しいという経験を早くにもっていれば、普通に仕事があることに感謝もできたりするし大変なのは成り立たせることという部分にも気が付くだろう。何十年の経験者でも成り立たせるのが難しいのは当たり前におもっているから、早めにそういうのに気が付くと、サラリーマンがすごく恵まれているなあと思えるようになれば、独立しても成り立ちやすいんじゃないかと思う。吹っ切れて仕事に集中できるようにならないとこれは自分の人生と違うとか思いながらやってても、自分が自分の境遇に納得できないまま一生終わるより、とりあえずできることからやってみるのが大事。
2020年07月05日
知人の方から、今話題の素材を使った服をいただいた。綿とポリエステルの複合ニット。綿100%のTシャツと比べるとかなり涼しい。ポリエステルというのは、コンパクトリネンとも呼ばれ、リネンを合成繊維で表現したような素材。綿麻の素材を思わせるような涼しさがある。

綿という素材はオールラウンドな通年素材、春夏にももちろんいけるのだけども、綿をやっておられる会社さんでも、夏物はやはり麻混素材が多い。麻100というのは、春夏のピンポイントな素材だといえる。でも、この地球温暖化や暖冬の影響で、日本でも冬らしい冬がたまにしかなくなって、夏でも北海道が30度超えて、沖縄が28度とかの逆転現象まであったりする。

地球温暖化の問題よりも、日照時間とか関係なく、経度での温度差がなくなり、緯度で温度帯ができあがっている問題こそが、この地球温暖化問題の本質ではないのかと思う。これ本当に世界中で被害にあわれている方々がおられるのに申し訳ない話だけど、人間のイケイケどんどんこそが地球環境を破壊し結局はコロナも人間のイケイケどんどんを淘汰するための自然作用ではないのかとも思える。

人間ほど経済活動を優先する動物はいないもので、それが地球環境を破壊してしまうことに繋がる。私自身も食べていくためには仕事して経済活動をしてゆかないといけないけど、一生懸命働いてそれでなんとか食べてゆける程度でよいじゃないのかと思う。自分が楽しようとすると結局他の人が働いて自分を支えてくれているだけの話なんだろうと思う。それがホワイトな感覚がつくるいわゆるブラック社会。ブラックが悪いんじゃなくて本当の搾取的な存在のホワイト感覚に問題があって、日本でも役人や官僚主権的な階級社会感覚に見受けられる。

私もレジ袋を捨てることはしない、残しているし、最低でもゴミ袋として活用している。レジ袋でもそういう使い方すればよいだけのこと。ごみ捨てで新品のゴミ袋をわざわざつくって販売して燃やすというのも、地球環境にとっては一番駄目な感覚の一つだろうと思うが、行政はどこもそんなあたり。ペットボトルでも本当に1回でリサイクルはもったいない話だなあとおもう。全国共通でゴミ袋としても使えるレジ袋を作れば、レジ袋をゴミとして捨てるものすら少なくなるのにとおもう。もちろん利権があるのは分かるが、そういう利権を捨てて考えていかないといけない問題そのもの。
2020年07月04日
車の運転席のマットには気を付けたほうが良い。母親は癖で、何度注意しても、純正品でないマットを敷こうとする。私も母親のそれで、マットがアクセルに乗り上げブレーキの下にずれた時、ブレーキを踏めば踏むほど自動車が急加速して、神社の鳥居に突っ込みそうになったことがあるが、たまたまその1週間前にカリフォルニアの警察官がフリーウェイで同じ現象で事故を起こしたニュースがあったので、高速でというより、ブレーキを踏めば踏むほど加速しまくって100キロくらいで急カーブに差し掛かる直前で、ブレーキを踏むのをやめるという一か八かで、急加速が収まったことがある。

母親には、敷いては危険だからいけないといっても何度かそのあとも敷いてしまう。今日は、自分がスタッフの子の車を借りただけで、その車に、車が汚れるからとマットを買って敷こうとしていたので、怒った。自分の善意がとんでもない仇になってしまうということをなかなか理解ができない。我が強い母親というのは、純正のマットでないと人が死ぬ危険性すらあるという意味が分からない。説明しても怒ったりしているから我で生きている人というのは直らないものだなあと思う。自分の家族だけでなく、他の人間にまで危険が及ぶのである。

メーカーも純正マット以外は絶対に使用するなというのも、純正マットは穴が開いていてその穴でマットがずれないように固定されている。昔のマニュアル車とは違って、AT社というのは、マットがずれるだけで暴走車になるほど安全対策がなされていない。カリフォルニアの警察官の事故あって、何十年経って初めて対策がされ始めたのである。アクセルとブレーキではアクセルのほうが勝ってしまうようなメカニズムを自動車エンジニアたちは普通なのが自動車開発の安全レベルだったのである。

自動車を開発している人間にしても、ちゃんと使えば大丈夫で作っていて、市販のシートがずれても大丈夫な車を作ろうとしない性質があった、それもまた我の世界なのである。また、一度、責任を逃れようとすると対策することが安全性を無視していたということに繋がるので対策をしたがらないのである。

ある意味、社外品のマットを敷きたい母親と、純正マットしか使うなと注意書きで対応する自動車メーカーは、基本的には本質が見えない同レベルなんだろうなあと思う。市販のマットを使うだけで起こってしまう自動車事故でもその程度の感覚なのだから、親の善意でも我が強すぎると他の人を命の危険に晒すし、メーカーも責任逃れで対策せずが同じようにお客の命を危険に晒す。

自分の家族の命やお客さんの命の危険も説明されても想定することをいやがり、否定する我の世界は、ボーインクの事故も同じで2度飛行機が落ちて多くの人が死んだ。でも、まだ、ボーイング737のアンバランスな飛行機の問題を解決しようともしない。

エコ=エコノミーだと勘違いすると、エコノミーに走ってしまう。エコノミーために人の命が奪われるという結果なのである。エコは逆にお金が掛かると思っていないと、エコとエコノミーを勘違いしてしまう。バランスの悪い機体を根本から設計しなおすのがエコの精神で、ボーイングにはもう機体全体を設計できるような技術がない可能性も高いのも、分からんでもないはなし。人が働かなくなるホワイトと呼ばれる企業では、そこまで従業員にお客さんの安全を第一にしろとは言えなく、飛行機が落ちても飛行機を買った航空会社や死んだ家族と戦うのがホワイト企業だったりする。バードストライクで、鳥までが原因にされては、ボーイングの飛行機は常に落ちる覚悟で乗りなさいレベルの責任逃れが、今の飛行機の開発の現状。バードストライクが嫌ならエンジンの前にジュラルミン製の金網のようなものをしっかりとつければよいだけの事、それで鳥の責任にしてるボーイングの開発も本当に全員アホちゃうか。素人そのものの集まりみたいな言い訳。
2020年06月30日
甲斐性という言葉があるけども、甲斐性のある人と甲斐性のない人の差というのは大きい。甲斐性のない人が関わって仕事すると取り合いになることが多いので、甲斐性のあると仕事をしたいなあと思う。もちろん私なりに甲斐性というのは用意はしていて、それなりに普通はできないところまでやることが多い。

やることを一緒に全部支えようとする人が集まればよいけど、企画したことで自分が尻を吹く形を取る覚悟ない人が企画したりすると最初からやらないほうがマシだったりする。新しいことや特別なことをやることに意味があるのに、しっかりとそのリスクを吸収できることが甲斐性というあたり、事務方の人が出てきたときには本当に事務的に処理で終わりだったりする話。

それでよいならそれでよいし、覚悟決めて取り組むならノンリミットで100万とか1000万くらい覚悟決めてやってみませんかだけども、1000円の送料すらもなかなか払えないプロが多いのが普通の話だから日本の繊維業界が取り合いになりすぎて、何百億円の元気なところほど取るばかりで搾取で成り立ってては、日本の大きな繊維のところほど先に日本とか謳って売るなら辞めたほうが良いんじゃないのかと思う。ほんと自分ができない人間の一人を支えて寝る時間も捨てて支える覚悟がないと難しい話だが、何百億、軟兆に群がる繊維業界というのは繊維業界特有の化かす世界がそこにはあって、オーストリアのリネン紡績なんて私自身がまったく確認すらできない状態、どこで糸を引いたの?それで日本のリネン業界のお株を奪ってしまっても素人レベルのごまかしそのもので、そこを追求したときには大きな偽装問題が生まれる。刺すか殺すかやるなら覚悟を決めてやったらよいけど、U社にしてもM社にしても、糸の配給背景から糸メーカーの担当者からもすべて知っている私からすれば、日本の消費者をたぶらかして売り上げ何兆、何千億で駄目な話でも、自分たちのやってることに覚悟もない人たちに消費者を騙したくない感覚を入れればすべて壊れてしまうのが、今の日本のリネン業界。

これは本当に残念な話なのだけどイタリアの有名ブランドを抱えるアパレルが中国の企業に対して契約不履行で、イタリア企業のほうが中国企業以上に中国の地道な会社の糸の売上代金を払わずに騙すような世界的なイタリアンブラントとかアパレル的な世紀末。

日本の消費者はブランドを信じていても、1mが100円以下の生地を使って、元気なサステイナブルとかエシカルを謳う世界的にも有名なSPAビジネス。1m1ドル以下の生地で、労働者がまともな生活ができるのかというと発展途上国や新興国でも一番くらいに底辺な世界で、世界中の元気なブランドがエシカルとかで成り立ってる。

それにくぎを刺すのは私だったりして、世界的に有名なブランドの人に対しても、覚悟を決めたアイリッシュリネンハンカチをプレゼントして良いものを謳うからには覚悟して良いものを考えましょうと提案する。

世界的に有名な日本の消費が何十万でも出したいブランドのパーチェスマネージャーが林与の生地をみて素朴過ぎるという判断だけど、1m2000円の生地すら世界の有名ブランドの多くが難しい話でエシカルとかサステイナブルとか、どれだけ取る気満々で、世界一小さいくらいの林与が、本気でエシカルとかサステイナブルとか考えるべきだと思う。

別に林与なんてのはいつつぶれてもよいけども、世界的なブランドの人よりも覚悟決めて、日本のエシカルを謳うMUなんとかさんでも、1m1000円の生地が難しく、1m100円200円で新興国の子供の教育すら守れない話、林与の1000円の生地は買えなくてもよいか、児童労働を無くしたいなら1000円の生地を現地から買ってあげろと思う話、世界で活躍したい人を生みたいならインドの人の作る生地でも1m1000円で買ってあげればよいだけのことだが、1m1ドル未満で日本のエシカルナ世界が本当にブラックで、1m1000円に日本の消費者を募金詐欺レベルに騙す世界。

日本のオーガニックを謳うMさんとかWさんが、日本の消費者を騙すことで現地の地道な活動を搾取して食べてしまっては駄目。それが日本の一番エシカルを謳うオーガニックな世界が一番消費者の期待すらも裏切る話でGOTSすらも一番底辺レベルのエシカルとかオーガニックの偽装に近くなれば、それを信じている糸や生地の消費者を世界的な権威を謳う機関が偽装苑もので、すべてを知っている私がGOTS認証でも世界中の消費者の信用を裏切って自分可愛さだけなないのか森さんの話でそれを信じた消費差を騙しただけの万死に値する。Wさんでも森さんのだらしないことを知りもせずに日本のエシカルとかサステイナブルとか、私が本当に怒ってしまって、森さんのだらしなくわたしに責任の柄の日本のGOTS責任者というだけの現場の本気なのに消費者騙しの世界で一番厳しい認証を謳うGOTSが日本の消費者騙し刺す話で本当にだらしなさの消費者を騙した責任を被ってほしい。産地偽装よりもひどい話が日本のGOTS認証にはあったりする。ほんとGOTSの覚悟もないだらしなさの消費者騙しのだらしなさには苛立たしさがあるのが本気でエシカルとかサステイナブルに取り組んでる私の覚悟、日本のGOTSのサラリーマンのひとが権威的に林与をあしらっても、代表のUさんに本気で謳うだけの消費者の期待に応えましょうよという話。エシカルを謳るGOTSが搾取的になっては駄目なんだけど、私の本気な話すら逃げてしまうのが日本の世界一厳しいを謳いながら、本当の繊維の覚悟を決めた世界でもないブラックそのものでホワイトがブラックをつくってしまう権威主義、森さんエシカルとの権威で10年以上やってJOCAの認証を理事長としてやってきたひとだけど理事すらも無理な話。国際会議でなまった英語聞いて眠たいんですよとか聞いたら、普通の仕事も難しいサラリーマンも勤まらない話で、日本のオーガニックコットンの権威気取りで、日本オーガニックの世界を信じる消費者を覚悟すらもなく騙してきただけ。自分が認証しながら、騙した企業の責任ですよとか、本気で消費者を騙したくない私に、世界的な権威のGOTS認証をする人間が言い放ったのがお前が一番消費者を裏切っている話。JOCAが普通に偽装レベルの認証になるのも、その理事長を10年以上やった人間が無責任に私がGOTSオーガニックの糸を信じることすらも馬鹿にする話。日本のGOTSは張りぼてそのものだけど、まだ、現場の人間はまとも、GOTSのオーガニックを食い物にするのはエシカルとは反対そのもので、エシカルを食い物にしてオーガニックの世界が成り立ってしまっている。森さんだけじゃなく日本にオーガニックを広めようとしてそれを信じさせようとする渡辺さんも日本のオーガニック商業主義的で消費者騙しな無責任なヤバさを気が付いたほうが良い。

林与のGOTS認証のオーガニックリネンが駄目だと、日本のGOTS認証を取り仕切ったJOCAの森さん、日本のGOTS認証そのものがすべての日本のJOCAを信じた消費者を裏切るレベルの認証じゃないのの話。本当に大物だよ、10年以上日本のGOTSとかオーガニックやりなが消費者にはトレイさビリティを謳いながらそれそのものが本当だか嘘だららもへっちゃらんブラックボックスでだから。私が日本のGOTSの認定委員や日本のGOTSのトップを消費者騙しをやめないかと状態。そんな理事長だった森さんを信じてやってるJOCAの副理事長を10年以上の渡辺さんにも警笛をならすのはそこ。森さんに森さんが理事長のJOCAなのに、そのJOCAがオーガニックと認定している企業が、合成繊維でもオーガニックコットンだと認定している現実をしっていて電話で指摘しても、それはやってる企業の責任だと逃げたのが認定機関GOTSとかJOCAとかの意味がなく、GOTSやJOCAを信じた消費者が騙されるのをGOTSやJOCAが黙認で責任転嫁で情けない。GOTSやJOCAが偽装では困る話。林与を名誉棄損で訴えたいなら訴えればよいし、それを人間として個人の責任でできる覚悟が本当にGOTSやJOCAがあるのかという話。

渡辺さんも私が10年以上JOCAの理事長が私に電話で言った言葉をいうとあらまあとあきれて、JOCAの理事長を信じて、副理事長を10年以上やってた人がその理事長を信じてたのにあきれる話。日本のGOTSやJOCAの問題に対しても浄化に1年以上かかる話で1年以上認定機関を信じた消費者が裏切られる話ではどうしようもない。

大正紡績の近藤さんでも、日本のオーガニックコットンの権威だとされるけども、私からは逃げておられるのが、アウト。シバマタの寅さんを語れども、シバマタの寅さんがが泣くレベルの話で、オーガニックコットンの権威がオーガニックコットンの責任からも逃げすぎな話。2010年あたりのインドのオーガニックコットンの偽装問題はこの人の問題そのもので、日本のオーガニックコットンを取り仕切る大正紡さんの日本のオーガニックコットンを信じた消費者に説明が必要な話で、逃げらダメな話。林与から、日本GOTSやJOCAが逃げてしまう日本のオーガニックの権威の世界。素人だましでは駄目で、覚悟決めないと駄目。GOTSの裏やJOCAの裏も知ってる林与から10年以上やってた理事長が逃げてないでほしい。10年無責任に日本の信じる消費者を騙しただけなのか。エシカルやオーガニックのトレイサビリティを騙したなり、それなら償うべきな話。アイリッシュリネンの偽装問題と共通する日本のオーガニックとかエシカルを食い物にするアウトな世界で林与が騙された消費者に代わって刺してあげます。森さん渡辺さん、10年さかのぼって自分が消費者に謳ってオーガニック認証してきた利益をあげてきたことに責任を覚悟決めてやりませんか。渡辺さんの会社にも電話して、電話対応された方が必ず代表の渡辺さんには伝えるといって、6か月以上も放置して、私が渡辺さんと話すとJOCAのトップべーじがようやく変わる。本気でオーガニックとかサステイナブルを考えている人間をあしらった駄目で、日本のGOTSやJOCAが、消費者騙しの世界がまともになるのも1年以上時間が掛かるというのもどうなんだろうか。
2020年06月29日
昨日は、午前中に手に入れた自動車のリモートキーの追加登録をネットで調べてやってみた。その経緯もあって、中古で手に入れた車のスペアキーが簡単に作れれば良いけども、正規のディーラーに聞くと、最初のキーにナンバーが付けてあるがそれが分からないと、リモートの鍵のメカニズム全部取り換えるような話をされる。

鍵を紛失とかの問題よりも、鍵のナンバーを書いた紙とかプレートとかがなくなれば、車のパーツそのものがもしもの時には全部使えなくなるというような仕様。中古のマスターキー一つでは、それを無くしたときや紛失したときは自己責任で解決しろという話。自己責任で解決する流れで、リモートキーの中古を手に入れてそのキーを追加登録することで解決する。同様のスペアタイアを用意を自分でするということに過ぎない。うまく行くのかどうかなんていうのはやってみないとわからないけども、とりあえず中古のリモートキーを手に入れて、うまく行くかどうかを試してみる。やってみてうまく行ったら、それが答えだろうという考えでよいと思う。

ノートパソコンなんかも、レッツノートSXを中古で買って、ハードディスクをSSDに換装して、メモリを8G増設して12Gにすれば、それだけで、お店で買う最新のパソコン以上に快適に作業ができたりする。レッツノートシリーズはバッテリーが、実際10時間くらい使えるのも魅力の一つ。それを用途に分けで何台も持っているので結局は、パソコンに20万円とか30万円は使っていることにはなるけども、メーカーに頼ることもなく、自分で維持ができるのは非常に便利なことなのである。ノートパソコンを貴重品のように扱うのではなくたんなる道具として扱える感覚が好きなのである。ブラックボックスじゃなくて問題が起きた時に自分で修理できる道具が欲しいと思う。

正しく買ったものが自分の思い通りに役に立たないことが多いし、途中で壊れたりしてうまく行かなくなることもある、そういうときに、普通の人とは違うことがやりたくて工夫して成り立たせたりとか、自分で修理して使えるようにしようとするときに、失敗するのはありだろうと思う。お金払ってさらに面倒な壁を乗り越えないといけない部分があるけども、乗り越えられれば自分の満足できるような環境が自分自身の中に持てる。
2020年06月28日
昨日、車を乗り換えて気が付いたのが新しい技術で、車のヘッドライトのハイビームとロービームの自動切換え。今までの車が夜間ヘッドライトが暗くて左側の自転車や歩行者の発見が遅れがちだったので、基本ハイビームで走ることができるのはありがたいが、やはり、自動切換えなので、正しく切り替えるときと無意味にかなり前方の街路灯に反応してロービームになるとかもある。

それと、駐車時にエンジンを掛けた状態では、ライトを消すことができなくなっててスモールというかかなり照度の低い状態でライトがついている。使い方が正しいのかどうかわからないが、自動車メーカーが法律や規制に合わせようとして車をそのように作り上げているが、運転しているものからすれば消すべき時にライトを消せないのは車が退化しちゃったということになる。

慣れるまでは時間が掛かるだろう、今までは車をレンタルしたら新しい車でも違和感なく乗れたのに、これからは車をレンタルすると操作方法が古い車種とは異なることになる。基本的な操作方法も不確かな状態で車に乗るというのも怖い話なのである。ドライバーに対しては、新しい自動車の新しい規制なんてものは無縁なはずであるけども、車をレンタカーして、不確かなことばかりの状態で運転することは安全装備が逆に、安全運転にマイナスの影響を与えてしまうこともあるだろう。これはボーイング737MAXが墜落したのと被る問題。

いろんな安全装置というのの設定すら、かなりガジェット通の私でもほんとなのか嘘なのかが分からない。反応したりしなかったり、センサーが必要な時に反応せず不要な時に反応するとか。人間が機械に慣れるしかないのだろうと思う。私の買った車種はベーシックなグレードの車なのにそれでいていろんな操作を覚える必要があり、これはもうお年寄りには無理なレベルではないのか。いろいろと不要なものがディスプレイされていろんなボタンがついてて、燃費と安全運転が比例すればよいけども、燃費を気にしながらの運転というのは安全を犠牲にしてしまうことも多く、エコじゃなくエコノミーを考えながら運転するというのはどうなんだろうと思えたりもする。時間を気にして走るのと同じような感覚だったりする。

運転も今はマニュアル車が少なくなってATが主流、今の私の新しい車はブレーキとアクセルの大きさが同じくらいになった。ブレーキも真ん中ではなくなった。これも、人間工学的な観点からすれば同じものにみえてしまうのは良くないのである。昔の人のモノづくりというのはスタートボタンよりストップボタンを大きくして、より安全な人間工学的なものづくりを考えたが、そういう時代でもないのだろう。」

キーボードも昔は人間工学に基づいて、キータッチにこだわったり手になじむような曲面配置にこだわるのが意味のあることだったが、今はタッチスクリーン。安く作れるし機械的じゃないので故障も少ない、問題があっても後でソフトウェアの更新で直す形。

逆に、リコールレベルのハードウェアの問題がどの家電製品にもつきまとうようになってしまった。ハードウェアの耐性などが低くなって極度には使えないような脆さで、経年劣化とともに問題が顕著になってくる。自動車メーカーの問題というよりも、パーツの原料メーカーの問題も大きいだろう。

原料メーカーも海外に技術が移転というか流出というか流れ出てしまって、結局、競争にさらされて、品質を犠牲にしてコストを下げるしかないというのが国産の原料メーカー の現状で、海外の安価なもののほうが品質が高いとかもある話で、プロの世界で、先進国が途上国の人よりもものづくりが上手じゃなくなってきているのは危機感をもっていないといけない話。
2020年06月26日
今日は自動車の保険と金融関係の手続き、キャッシュレスの時代なのに契約ごとでは印紙が必要だったりハンコが必要だったりと、昔ながらの要素が生きているのが日本の契約。

弁護士の話では、昨日、全国的に派手にやってた弁護士事務所が破産とか、たくさんの弁護士が集まっているはずの弁護士事務所が、大きな負債を抱えて破綻するとかはもう、誰を信用してよいのか分からない世の中。弁護士業界もメディアと結びつくとよからぬ方向にいってしまうのだろう。

元気なところというのは案外、こういうからくりが多くて、とれるだけとって破綻して業界そのものにダメージを与えるとか。メディアで大々的に宣伝しているところというのは、うまくいかなくなると、広告宣伝費が重くのしかかり破綻のリスクが高い話になるのだろう。

繊維業界もブランドは、売り上げの8割を宣伝費に使うとか言われてたりして、宣伝や広告打つことがブランディングみたいな、仕事するときに、材料にお金使うよりも宣伝にお金使ったほうが売り上げも利益も上げやすいというあたりの問題があるんだろうなあと思う。
2020年06月25日
人々の健康をまもるためには正しく認識がないといけないのだが、WHOなんかがマスクは不要とやって、半年たって、マスクは有効であるとしかたなしに認めるような、我の話。

軌道修正がどれだけ難しく、多くの国の人々がその犠牲になるのかという問題。日本でも同じように、マスク不要論が意図的に流され、トップの人間の愚かさというものが多くの人々を戦わせてしまう。今ではマスクするのが当たり前の欧米でも、素受け月前までマスクをしていた人が攻撃されたのもWHOのトップが愚かにも原因である。

今までの早期予防とかいう概念すらもパンデミックにならないと気を付けろとも言わせない、裸の王様状態。WHOの本部で新型コロナが発症したりとか、日本ではJOCも柔道連盟の本部もそうだが、問題ないとお祭りモードで、逆に注意している人間を馬鹿にしてマスクもしなかった人たちが感染して初めて、新型コロナの問題を認識する話。

レガシーな感覚で権威や力に溺れすぎて、マスクはするなとやってしまうのが世界的ないじめ構造を生む。今は普通に正しいと認識されているマスクだが、数か月前まではトップが不要だするなと叩いていたから、パンデミックで多くの人が感染して死んでゆくのも当たり前。普通のことくらいさせればよいのに、目立ちたがりの我の正義ほど目的が異なり愚かなものはない。間違った認識で、自分を正当化することを必死になってしまえば、問題を広げるばかり。正しい知識を広めるのにも害なのである。
2020年06月23日
私自身、麻素材と向き合ってきて、なかなか難しいなあと思う問題で解決できればよいのにと思う問題ばかり、特に風合いのことに関しては、なるべく天然由来で、地球環境にもやさしく、薬剤を使わないというような加工工程で、柔らかく皺になりにくいようなリネン素材を作れないかと思ってきた。

柔軟剤やバイオ加工を使えば柔らかくはなるのだが、天然のリネンの柔らかさではなく、それはベストではないと思う。バイオ加工には脆化という問題があったりする。なるべく、林与のナチュラル仕上げに近い加工で、柔らかく皺になりにくいような素材をつくれないか。数日前に、その答えみたいなものが偶然思いついて見つかって、今、テスト中。

今の地球環境を考えたエコな布の世界の中で柔らかくてしわになりにくく、自然なリネンを感じるような加工方法。林与の今後のリネンのエコな加工のスタンダードになるのではないかと思えたりもする。林与のナチュラルフィニッシュを、ソフトに仕上げるナチュラルソフトフィニッシュ。ナチュラルでエコというリネン素材にとっては一番理想的な加工方法のような気がする。
2020年06月22日
マスクのゴム通しですが、苦戦されておられる方も多いかと思います。先日、お越しになられた布工房DENの北山さんもマスク作っておられるので、普通の挟むタイプのゴム通しをマスクのゴム穴に通す方法で通しておられるということで、林与のマスク専用ゴム通しを試してもらいました。他にもマスクをつくっておられる縫製工場の方にも試してもらいました。今までの苦労はなんだったのかと思うくらい、びっくりするくらい簡単にマスクゴムが通せます。




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