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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年05月19日
コロナ対策をしないといけないのに、その対策ませずに、また、9月入学を検討するとか、どこまで馬鹿なことばかりやってるんだと思う。どんどんと問題を自分で広げて小さな問題も解決できずにパフォーマンスばかり、どんどんと議論だけを広げて実際にやってることはほとんどなし。サマータイム議論と同じ気分だろう。本当に準備しないといけないことを準備しないでまた議論だけを広げてゆく。やればできることもあるのに、また専門家とか身内みたいな連中集めて無駄な議論だけやって、今のままのほうがましなのに無理やり変な方向に持っていく。今回は、どこの連中が2回目3回目のお代わりするんだろう。

重機システムなんかもあれだけカネも時間も使って大失敗に終わったけど、また同じ連中がマイナンバー、マイナンバーも長続きすると困るのは、マイナンバーやってる連中だろう。次にまた新しい案件がないと食いつないでいけない。もうすぐ、マイナンバー2に移行するだろうな。それがそもそもの目的だろう。正しく成り立つものをつくったら正しく運用しないといけない責任が生じてくる。自分たちはどうでもよい程度のものを国民には強いて、成り立たない程度で形だけやったというのが一番偉そうにできて気が楽というもの。消えた年金なんてものは最たる例。年金情報が消えるなんてありえない話なのだが、ある銀行の顧客情報が全部消えたみたいなこともあったのと同じで、悪い奴が一人いればすべて悪用されてしまうだけの流れに持って行って作ってしまっているだけ。悪い奴が一人でもいればマイナンバーに紐付けられた全情報が流れ出るということもありうるから。一生懸命にシール貼ってマイナンバー隠してても安心しろということほど破綻する国のやることどこまで信頼ができるのか。

議員ナンバー制度というのを作ってはどうだろうか。番号を割り当てて、政治資金のお金が出入りしたら、それを国民がウェブで監視できるシステム。国会議員にお金の出し入れは渡すときにはすべて議員ナンバーを介さないといけないシステム、クレジットカード化してもよいだろう、フェアーじゃないのか。そういうのだと国会議員や官僚は反対するけど、国民は大賛成だろう。森友事件の100万円みたいな問題も起こらないから安心だろうけど、反対するんだろうなあ。

2020年05月18日
有名芸能人が何人も感染して死んでしまったり、死にかけたりしているのに、一般の死や不幸な問題は相手にもされずとりあげられていないだけで、新型コロナに対しては保健所という組織が崩壊してしまって、検査もされず新型コロナでの死亡となってないだけのこと、先進国なのに、検査も受けられないとかの状況が見えている何十倍の悲劇を招いていても、それは人間の命軽さで、原因を究明するとかも考えられていないだけの事。受け入れ態勢が全く十分じゃなく、感染者数や死者数を減らそうとする意図がありすぎるから、神戸なんかでは過去に採取した血液検査から感染者数は単純計算数十万人規模だと推測もある。

これがまだ、弱い毒性のコロナだからよいけど、強い毒性のコロナが持ち込まれたら、同じ危機意識ではスウェーデンのような他国に比べて死亡率が10倍とかの話になるだろう。日本の医療関係者がコロナに感染していても医療関係者はコロナに感染しないという前提で検査もされていないから、厚生労働省の基準自体が新型コロナ隠匿のための基準みたいなもの、放射能汚染の基準を20倍ゆるくして安全だというのと同じレベルのことをまたやってしまっている。それはチェルノブイリ以下の基準で、8000ベクレルなんてチェルノブイリだと避難が勧告されるレベルだが、日本人だとそれは安全だとばら撒かれる話。世界的にも、100ベクレルが基本なんだけど、その80倍の8000ベクレルまで大丈夫と、やってしまうのが日本政府。

日本に環境庁なんてなくてもよいレベルの話なのだ。環境庁自体が世界の環境を日本発で破壊してしまう存在になる。温暖化加速の原因が海に熱量を流す原子力発電の可能性が高いのである。太陽からの熱量の、10万分の1だから無視できるとかいってるけど、太陽の熱量の10万分の1の熱量というのは、莫大な熱量で、無視すること自体が問題なのである。熱量が還元しない原子力発電で、30年1万日たてば熱量は太陽の10分の1の熱量が蓄積されている、どうなるの問題。あったかくなって当たり前だわなあ。CO2はまだ、植物の光合成によって酸素にかわり緑化が進むことでサステイナビリティが保てるけど、原発の熱量は何万年経たないと解決できない問題だろう。地球表面の熱量として蓄積され続ける。

こういう問題にしても利権が絡んでいるから、素直には考えられないのが利権母体。CO2問題も原子力発電を推進するための口実であるという要素が大きく、それは地球温暖化を加速してしまう結果になるかもしれない。代替フロンにしても、代替フロンがオゾン層破壊させてしまったりと、世界中の人々が善意で行動してもそれが逆に利権主義者の利益誘導の結果、地球環境を破壊してしまうとういう結果も多い。日本政府なんて言うのはまさに利権のための環境誘導ばかりで、偽善が多過ぎてそこまで善良な人々を食い物にして逆に地球環境を破壊しながら生きていきたいのかと思うことも多い。
2020年05月17日
WHOという組織も、意味がプラスなのかマイナスなのかは考えないといけない。素人以下のWHOの言うこと聞いてたらパンデミックは当たり前。利権主義になりすぎてカネを集め責任逃れ一生懸命なWHO。正しく普通に新型コロナの脅威を全世界に伝えるべきがWHOなのに、マスクもするなで、WHOのテドロスは未だマスクもしていない。ウィルス拡散ビジネスの手本じゃないのか、原発が爆発して放射能レーダーが的確に3。11の放射能漏れをとらえていても、保身ばかりが大事に、多くの人が放射能にさらされるのも平気に水蒸気爆発と偽った当時の政権だが、今の政権も単に会社が違うだけで同じ方向性。保身と隠匿で国民から巻き上げるだけの構造、途上国のような国民騙し、自分でマスクをつくって自分の家族を守ろうとする国民たち、政府なんて危機な状況でも単なる搾取母体というだけで、厚生労働省の大臣が言うことが国民の健康や命を損ねるようなレベル。

最後までマスクを付けずに頑張るといったJOCの委員長、副委員長が感染してたら、そんな利権にまみれたJOCレベルが感染拡大の元となる。自分たちの言動がコロナ拡散にどれだけ寄与していたか、オリンピックが延期になったとたん、パチンコ店は言うことを聞かないとかいってるけど、お前らが一番パチンコ店以上にやってしまってた張本人。利権などにまみれてしまうと人の命すらも軽んじて推し進めてしまう輩たち、津波が来ている状況で、祭りを計画しているようなもの。アホそのもの、多くの人が死んでもいうことは仕方なかった自分たちに責任はないだろう。

国民は自分で自分の命を守らないといけないような状況、WHOに従いマスク不要論をばらまいた厚生労働省だが、今はマスク配布しその配布の仕方も利権まみれで不透明、人の命よりも利権を優先してしまう輩たちだから、マスク不要論なんてのをばらまく、そして利権は随意契約の業者でなぜか国外生産のマスクばかりが日本中に最優先に配られるようなありえない政府の行為。1枚何十円でできる海外の布マスクが、1枚100円とか100円を超える値段で何十万枚なんて、日本の業者でも億単位の仕事なら品質を守っても普通にこなせる仕事。日本政府のマスクチームこそが元凶ではないのかと思うような、考えを根本的に改めよのレベル。検品も自分でしたくないものが、やってるから駄目で、自分が配るなら覚悟決めて自分たちで検品すればよいのに、自分たちが配るものもしらないままに、給料を責任も感じることなくもらってるからそれ自体が便乗商法で、随意契約でその仲間たちが広がるだけの事。
2020年05月16日
先週、京都の問屋さんが自己破産された、もう京都のアパレル生地問屋業というのは難しいのかなあとも思えたりするのは、先代のころにお取引のあった京都の多くの生地問屋さんが廃業され、林与がお取引してたなかでは唯一くらいに残ってられたその会社さんも閉じられた。私がこの業界にいる20年ちょっとでも、林与の取引先の8割以上が京都の問屋さんだったのが先代のころにお取引のあった有力どころの京都のアパレル問屋さんはすべて繊維業から撤退された感じになってしまった。林与のお取引の経験の限りの話だが、メッカであった京都においても高級アパレル向けの問屋業が成り立たつことは難しいというあたり。

同じく、アパレルさんも昨日、上場アパレルが更生法申請。ブランドとは何なのかを考えさせられることになる。ブランドの服に価値があるのかラベルに価値があるのかという問題。アパレルがブランドを買収とか売るとか、ブランドというのは権利ビジネスなのかというあたり、安い物にブランドタグをつけて高級なイメージのものを安く売るというのが一番回しやすい話になる。逆に言えばブランドイメージの安売りになりブランドのイメージは消耗してゆくだけの話になる。現金主義だと、利益が大きいと成功しているように思うが、繊維業界に関していえば手段を択ばなければ化かす方法は一杯あるから。ブランドさんがそういうバカしたものに飛びついて水心魚心が多く、麻業界でのアイリッシュリネン幻想などは、私でもアイリッシュリネンの糸をあらゆる手段を講じても手に入らなくなったのが2000年以降。それなのに、アイリッシュリネンが大量に出回った2000年以降というのは、なんだったんだろうかという素朴な鬼門で、2007年から始めた林与のアイリッシュリネンプロジェクトがそれを解き明かすことになった。

アイリッシュリネン協会の四つ葉のクローバーのマーク、一体どこで紡績されたリネン糸なのか、そろそろ認定機関の偽装自体やめないと、消費者を罪悪感もなく裏切るだけのことになる。私なんて言うのは田舎の小さな機屋のおっさん、そのおっさんくらいの覚悟もないのが、大きな謳いで本物かどうかもわからないものを化かしているだけのこと、多くの消費者はなぜ昔のアイリッシュリネンと今のアイリッシュリネンが全く異なるのかを感じているけど、今、アイリッシュリネンを謳う業者さんがアイリッシュリネンに触られたこともないケースが多い。ある展示会でのできごと日本のアイリッシュリネン糸を作られている業者さんが林与のブースに来て、アイリッシュリネンなんてないよと言われ、アイリッシュリネンについての正しい説明を私がその当時中国で一番元気だったリネン紡績工場の方に説明する。それが、2000年以降も、その中国の紡績工場の日本に大量に流れていたアイリッシュリネン糸は終焉のきっかけとなった。

日本で一番大きなアパレルさんのフレンチリネンのタグの問題をリネン日記が書くと、そのタグが変わる。それまでは、フレンチリネン100%が、いわゆるフレンチリネンという表現に変わって、フランスベルギー産となる。田舎の小さな林与の正直な認識以上のものはなかなか難しいのである。それを超えてやると儲かる世界なのかもしれないが、超えないことが大事だと思うから分かっているだけに中国紡績の糸をアイリッシュリネンと謳って売るようなことはしない。
2020年05月15日
今の情勢では、来年のオリンピック開催は無理な状況そのもの。早めの判断をしておけば、いろいろと対策を練ることもできるのだが、決断できないまま、結局、中止とかなると被害は何倍にも広がる。長野でのオリンピックも当時見ることができた私は、東京オリンピックも楽しいものだと思っているが、今のコロナの状況が1年で収まるようなものではないのも誰もの予測だと思う。選手も競技場だけでなく練習もあるから、それがコロナ感染の危険そのもの。ドーピングどころじゃない悲劇につながる。新型コロナに感染となれば、治療で薬を使うと選手生命は絶たれてしまうから。選手村なんてのも共同の部屋だろうし受け入れ体勢すらも見直さないといけない。

国とかは責任取る考えがないからダメージをなんとかなると考えるだろうけども、国がダメージを引き入れると国民がそれを背負って解決してゆかないとならない。一般の国民もいろんな制約があるなかで、世界中から選手や関係者や観客が集まる一番新型コロナが蔓延しそうなオリンピックのイベントが1年後に開催できることはないだろう。これはコロナの危険性を早くから指摘していた予想の延長みたいなもので当たるだろうと思う。早めにアナウンスして無駄に人が動いたりしないほうがコロナ対策そのもの、雨が降ったら中止になる祭りにしても、雨のことも予想して準備をするものだが、中止も想定してオリンピックを準備ができるのかというと利害関係が絡み過ぎて、中止ができないという問題が起こってくる。損得のために新型コロナ被害を拡大してしまっては、新型コロナで自粛できないパチンコ屋が叩かれるのと変わらない。

選手たちにとっても早い決断こそが一番ありがたいのである。今年のように、新型コロナが蔓延しているのに、大丈夫だと言って、予定通りの開催を目指すとか、反対意見も言えないような村社会体勢で、世界中から批判が出てきて、オリンピックの延期に至った。普通の感覚をもって、損得や利害よりも、新型コロナのリスクを素直に判断するべきだろう。選手の健康や命を優先するべきだろうと思う。国民の理解も普通に得られるだろう。中止しないほうがあとで問題が起こったときに日本の政治家たちは逃げるばかりだから、政治家や官僚の言っていることはあてすらにしないほうがよい。問題を被るのは結局国民なんだから、国民の世論を一番大事にすべきだろう。

津波が来ているときに、津波が来ているのを知っていても大丈夫だと避難もさせないのと同じで、来てから逃げろでは多くの命が失われる。救える命をすくう対策を練るのがトップの役割なのである。経済的な問題でも、我慢するときに我慢しないと、ほんとうに大きなものを失って食べるものにも困るような事態は避けないとならないだろう。1000人集まれば、一人は感染者がいるだろう。10万人も世界中からあつまればどころじゃないどころのクラスター騒ぎになるのは目にみえている。集団免疫を目指す国ももちろん参加するなとは言えないし、想定しないといけないのは対戦拒否問題もでてくるだろう。時間があっても医療体制も十分にしようとせず、そういうところにはお金は使いたくはないのが日本の政治体質で、感染経路の特定とかどうでもよいことばかりに時間と労力を使ってしまって感染の拡大を黙認してしまっている。問題はそういう体質。実際、何十万人どころか何百万人の日本人は新型コロナに感染済みというのは、神戸の一般人の採取された血液を調査して分かっている。ほんとたくさんの人が新型コロナでなくなっているが、新型コロナの検査も受けられないから新型コロナの死者に上がっていないだけのことである。

問題の一つはマスメディアも利権が絡み過ぎているので、オリンピック中止論をテレビ局や新聞が議論することさえできない状態。テレワークじゃないけど、テレオリンピック開催にするとかだとまだリスクは少ないだろう。1年あればなんとかなるんじゃないか。STAY HOME という言葉が美徳的に大事にされる言葉になっているのに、オリンピックの延期さえもなんとかなるだろうみたいないい加減さで結論を先送りにして、予定通りの開催以外は口にしてはならないみたいな、中国の新型コロナの初動ミスとうり二つのことをやってしまってる。組織作ったり会議やってても実際は集まっているだけで最初から答えが決まっている実質ワンマン経営、言論統制は日本も醜いものがある。
2020年05月14日
市場に不織布マスクも十分に供給されるようになり始め、どのお店に入ってもほとんどの人がマスクを着用しているような状態。馬鹿な専門家は使い捨てマスクは一回で再利用すると害になるとかそういうことばかりで、無策の無能論を展開して、マスクが手にも入らない状況でマスクするなで、人々の感染のリスクを高めてしまうような方向にもっていこうとする。早くに布マスクを国内で準備していればこういうことにもならなかっただろうに、布マスクは意味がないとか、古い情報で頭が働いてもいない権威主義の専門家たち、基本食べ物の匂いがするとかだとウィルスの感染リスクはあるので、布マスクをしていて匂いがしないなんてことはないからウィルスに感染するリスクはもちろんある。だが、布マスクでもしているだけで、匂いが弱くなるので、無意味ではないのである。また、感染者が咳をしたさいに飛沫を飛ばさないということもあるし、感染者が鼻や口から息をしているだけで空気に交じって水分の微粒子とともにウィルスは排出されることになる。それが、マスクの内部で留まりやすいのである。布は水分を吸収するから。社会的ディスタンスを取れと言いながら、マスクは無意味だと言っている意味が分からない。いろんな人が自己防衛のため、また、他の人に感染を仮定したときに感染の拡大を防ぐために、マスクをつけるのがこの新型コロナ対策では一番効果が出やすい対策だと思う。

不織布マスクが多くの人が手軽に買えるとよいなあと思うし、また、布マスク2枚もあれば、何度も洗って使えるのでそれほどの金銭負担にはならない。布マスクに関しても煮沸消毒ができるような布マスクが一番良いだろうと思う。衛生的だし煮沸により汚れも落としやすいだろう。マスクを煮沸するときの注意は、マスクゴム。煮沸に耐えるポリエステル+スパンデックスタイプならそのまま煮沸が可能だが、ナイロン+スパンデックスタイプは、ナイロンが熱収縮しやすく硬化しやすい。ポリエステルは染まりにくい要素があって白などが普通。ナイロンは染めやすいのでカラーバージョンが可能。まあ、マスクゴムはときどき交換して使えばよいだろうとは思う。

マスクゴム通しを以前から自作して使っている。ゴム通しが手に入ればそれでよいし、ヘアピンなどの代用も可能だけど、マスクゴムに便利なゴム通しがあればよいなあと思って作ってみた「林与式マスクゴム通し」。べつに買わなくても、針金使って同じようなものを作られることも可能だと思う。参考にしていただきたい。普通のゴム通しは針のように穴に通すけども、先に穴にゴム通しを通してから、ゴム通しのなかにゴムを通して引き抜くとゴムが簡単に素早く通せる。今までのマスクゴムを通す苦労はなんだったんだろうと感じる道具である。私自身が布マスクをつくるにあたり、マスクゴムを手に入れたりから始まって、マスクゴムを通すのに便利な道具もあったらよいなあと思って作ってみた。

布マスクに関しても政府のマスクチームは無能すぎるのは、国内の縫製業者に頼めば、布マスクなんて数億枚くらいは簡単に供給ができるのに国内の縫製業者との契約は手続きの煩雑な入札形式で時間を取る形。海外のマスク以上にはちゃんとしたものが早く国民に持続性もあり供給ができるのに、裏で随意契約で大手とやっちゃうから逆に海外の繊維の素人がつくっているというのが現実の話になってしまう。良い方法をわざと避けるような国のマスクチーム、無能で、大手にマスクの知識もなく、投げやってるだけのかと思えてしまう。マスクチームに自分で布マスク作れるような人はいないのが一番の問題だろう、素人が指揮してどうするのというあたり。現地で作っている人に罪はない、それ相応の契約でそれなりのものを業者も仕入れているだけのこと。大手が投げやって作る形式が一番問題なんかも起こりやすいというだけの話。そして、その問題を解決するのが問題と関係のない日本の業者だったりする。大手の間に入るだけの繊維の商売ではよくありがちな話。
2020年05月13日
京都の問屋さんというのは、バブルのころの高校生の頃には一番元気だった業界の一つだったと思う。繊維の製造関係も昔からやっている地域の代表する家が多かったので、そういう家というのは土地などをたくさん持っていることもあって、戦後の土地神話とともに、借金してでも土地や株式を買えば寝てるだけで資産が増えていく時代で、国民が何十倍も裕福で製造業もつくれば売れた時代だったのである。経営者たちも勘違いした人が多く、繊維関係も成金的な考えに傾いてしまったのがその時代。繊維関係というのはブランド志向が強い業種なので、特にバブル向きの業種であったりする。ブランドがブランドラベルを付けるだけで何倍にも化けたのである。働くよりも借金して土地や株に投資すれば儲かった時代だったのである。

日本のものづくりではそういうことはありえなかったのだが、戦後の高度成長を伴ったひと世代というのはそういう時代を過ごしたがために、そのあとの厳しい時代には国際競争のなか働くことの現実を受け入れることも難しい。考え方が変われなければ続けていくことすらも難しいが、失敗に気づかなかった成金タイプほど深い痛手を背負うことになる。高度成長というのは投機的な成長の部分が大きく、その時代に偉そうにしていた人ほど働けるタイプの経営者は少ないのである。伝統的な繊維業界というのはそういう経営者たちを背負ってしまっていることが多い。それゆえに、そういう本質がみえない経営に陥った繊維産業が、経験も浅いファストブランドに足元をさらわれていったのである。

成り上がってしまって働けなくなった日本の人々を相手にするのではなく、生活するのも苦しく働きたい仕事が欲しい海外の素人のものづくりのほうが、ヨーイドンのスタートしたときに、目の前の一つのものごとでも簡単にできたりするものである。経験者というのはなり上がってしまっているんで高度成長期の村社会的モデルから抜け出せない人が多い。そういう人は目の前に仕事があってできることでもなかなか素直には動けないのである。結局、簡単なこともやらない経験が長くなり新しいものもつくることが難しくなってくる。作れば売れる時代が終わったときに創意工夫でできないことをできるようになる自力みたいなものが必要なのだが、そういうタイプの人は村社会的な構造では少ない。

問屋さん商売が難しいのは、簡単にできることでも簡単にやろうとせずにこねくり回してしまうこと。別の言い方をすれば仕事に覚悟がないからみたいな状態。おんぶにだっこしてもらうというよりは、おんぶにだっこしないといけないことが多くなってしまう。旧来の問屋型モデルではやると成り立たなくなるのは、「そうは問屋が卸さない」とかバカなこといってる連中がいたりするがその感覚が蔓延し過ぎて、観光気分で飛び歩いているばっかで、もうちょっと働けよと思うような問屋が増えすぎた。出来上がった荷物くらい自分の会社で受けたらどうなのとか思うのもそのあたりで、楽に仕事しようとする問屋はその存在自体が無駄だったりする。

取引に関しても、信用を調査しないといけないのは取引先としての問屋であることも多い。支払いがちゃんとできるのかとか、問屋業務をちゃんとできるのかとか、注文したものを正しく買えるのかとか。マイルールばっかりで、無理はさせるが自分が無理できない問屋が多いものである。年商何百億円のところほど、発注して作ったものを買わないとかやってしまうから、日本の問屋業界というのはもう無茶苦茶な状態で、それがへっちゃらなあたりがもう日本の繊維業界になってしまっている。問屋の間に商社がもう一つ必要な状態になってしまっている。繊維の業界でしか生きてゆけない人が問屋をやるとかいうのも無理な話で、もっと広い世界をしらないと人と人の間に入るのも難しい話なんじゃないのかと思うほど、新しいモノづくりとマイルールに縛られるのは相反する概念が多い。新しいモノづくりなんてやってみないとうまく行くかどうかも分からないのに会議に時間取っていてもそもそも無駄でそれに合わせているとうまくできる確率がどんどんと低くなる。実際の行動がどれだけ重要かというところに気が付いていないと、完成度の高いものができるのが偶然でしかなくなる。
2020年05月12日
新型コロナで職業によってダメージの差はあるだろう。観光業やホテル業などは、完全に詰んでしまったような状態だろう。自分自身でなんとか解決できるような問題でもない。小売業も同じことで、一般の顧客と接するような業種はウィルスの拡散の可能性が高いので、その経営主体が問題なくてもお客さんに感染者がいればお客さん同士やお客さんから従業員、従業員からお客さんに広まるから、自粛という結論になるんだろう。

こういうの考えると、検査くらい早めに準備して体制を整えておかないといけなかったことがよくわかる。怪しいなあとおもっても検査さえ受けられないような状態が長く続いた、怪しい本人だけじゃなくその家族はたぶん感染してしまうし、その家族が自覚症状がなければ外で感染を増やす、そういうの当たり前のことで、検査体制を整えることが本当に大事なのだが、それが後回し後回しになった。陽性患者がでると病院が面倒を見ないといけなくなるから医療崩壊が起こるから検査ができなかったんだろうが、結局は市中での消化ということになって死者の増産とう結果。著名人は死んだらコロナ検査されるけども、一般人は、死んでもコロナ検査されていないのが普通で、本当にどれだけ被害が広がっているのかも把握すらできないどころか、胡散臭いことやってた行政は数字を小さく見せようとするところがある。

林与の仕事というのはダメージが少ないほうで、現場も一人でする作業がほとんどである。外のお客さんとの接触も少ない。まあ、恵まれているように思うけども、それはそもそも華がない仕事的な部分でコロナでなくても、田舎商売なんてものは、観光客の来ない観光業みたいなものなんだろうなあと思う。繊維関係でも会社によっては、小売りなんかに重点を置いて観光業化されているところもあるから、どちらかというと林与は逆のものづくりのほうの路線に重点を置いているので地味な作業路線、だから影響も少ないんだろうと思う。

ウェブで53歳の人を見た。年寄りに見えた。私も他の人がみれば十分に年寄りだろうなあ、今の年配者が面倒くさがるばかりで子供のように見えてしまう、若い子たちのほうがしっかりと真面目に物事を考えて生きている。若い人たちがほんと気の毒に思う。普通に地道に働くというあたりを残していきたい。





2020年05月10日
このコロナで一番日本人の特徴が出たのが大臣や官僚たちの愚かさの一方で、日本人の手作りマスクの世界だと思う。プリーツマスクや立体マスクなんて結構難しいのに、お母さん方が家族のためにミシンを使って手作り。私がそういうのを見て、日本の考え方ってやっぱり違うなあと思う。自分がなんとか解決しようと一般の人が作ったこともないマスクを作ろうとする。これは、マスク商社が海外からマスク仕入る以上に何倍も意味がある。

自分の命や家族の命を自分で守るとか、他のものに感染を広げないようにマスクするとか、日本らしい部分だろうと思う。大臣や官僚からすれば日本国民の命は10万円ももったいない話から始まる。国の金は大臣や官僚のものではなく、国民のものという意識すらないから、消えた年金なんてのも当たり前に起こって、GPIFで今も年金は解けてゆく。今のGPIFは売買手数料で何兆円が消えちゃうような想定もできる。

売買手数料で4割消えたとか、無能な連中が委託して資産運用させてたら、日本の年金資金が普通に消える。これが本当は国民の老後のお金であって、国民の健康を守るためのお金が、業者たちの好き放題がやろうとおもえばできる不透明な状況。国民の老後を失う前に早くやめるべきだろう。まさか、年金のカネまで取り出せないように溶かしてしまうとはさすが、結局は、財政を破綻させて消費税の値上げ路線だろう。

IMFが新型コロナがまだそれほど広まっていない2月に、日本は新型コロナの不況から脱出するためには消費税を15%にするしか方法はないとか発表。蔓延させて消費税を上げるとうシナリオが政府の裏では進行していたということだろう。IMFもなぜ日本の消費税問題をいうのかとういうと、財務官僚の天下り先がIMFだから、国際組織を装って日本国内を胡散臭い方向に誘導、消費税を上げたい官僚にとってはコロナは蔓延したほうがよいという話。日本が新型コロナに対して無策だったのもそのあたりのことばかりが頭のなかにあったんだろうと思う。不謹慎なIMFの消費税増税論、闇は深い。

国民がマスクが手に入らないからマスクを自作して家族を守ろうとしているのに、日本政府はお門違いなことばかりやって、蔓延させる気満々だったとしかいいようがない。マスクは害だとか不要論まで出た、あれはなんだったのか。血液製剤の薬害エイズと同じで、厚生労働省が人の命を一番軽んじる立場では駄目だろう。
2020年05月10日
自分が働いてじゃなく指図するだけで人を働かせてみたいな構図こそがまさにブラックな構造で日本の国の権威主義がその典型。階級社会を一生懸命につくろうとして、自分のやっていることを逆の立場になったときに受け入れられるのかというとまったく無理なタイプが国民性の良さを食い物にしているだけのこと。

児童労働なんかでもかわいそうにおもうなら大人が代わりに自分がしてあげるのが一番の解決方法なのだが、現地の大人も、かわいそうという先進国の大人も、結局、自分がその必要な労働をする気持ちなく、かわいそうというだけのことで、そういう階級社会を受け入れて子供を育てている現地の大人たちを叩いていたりするばかりで、他の人に解決方法を求めるばかりで正義感まんまん、それがそもそもブラックすぎて。

日本の受験勉強や部活なんていうのは、大人の労働よりも、ましてや、途上国の児童労働よりも厳しいのが普通。途上国の子供でも日本社会の子供の大変さには耐えられないだろう。役人根性みたいなものが、まさにブラックを生み出していて、私自身はブラックという言葉も本当は使いたくないのだけど、無神経にブラックという、黒いが悪いというのを平気でホワイトな人たちがブラックといって差別しているだけ、ホワイトという言葉の意味を非道と置き換えるべきじゃないのかとも思うのはそのあたり。

すべて楽しているものを正当化するために、楽しているものがさらに自分がそれを受け入れて解決する出なく叩くだけで正義感たっぷりだけのことが多い。自分自身が体動かして解決できる問題を解決していくのが本当の大人の仕事、逆に言うと頭が良いとか、金持ってるとかで人を当たり前に地位が上だみたいに仕切ろうとするのは非道な精神でしかない。

お金出さないと優秀な人は集まらないみたいな考えもあるけど、日本の役人よりも児童労働の子供のほうが優秀な労働者で、人間としても上かもしれないが、それをかわいそうだというのが本質がみえないところで、せめて自分たちがそういうのを救うために法律の厳しさを味わったらどうかと思うが、王のような身分で偉そうに頓珍漢な保身を説教する。WHOのテドロスも本当にバカなのは、権限はないとか言って、渡航禁止勧告すらも覚悟決めて出さないで、カネだけ集めて立場にすがっているだけのこと。金や立場に欲がですぎて、思い切って責任を被る覚悟もないものがこの新型コロナの世界のトップ。マスク不要論を出したのもWHOで、WHOが引用のCDCがマスクの有効性を認めているのは、普通誰が考えても人々を新型コロナから守る最低限のレベル。

基本的に、WHOもCDCも初期の段階で、自分たちにできることがないから、スウェーデン的な方向を持って、コモンウィルスになって当たり前で、なんら対策をとらなかったのが一番の問題で、恐れるなとかみたいな馬鹿もの発送。CDCというのは新型インフルでアメリカ人が10万人死のうがそれが普通の感覚の研究所で、感染から一人でも多くの人間を救おうという組織でもない。死のうが他人事なのである。そういうのを過信して世界が動いていては駄目なのだが、福島と同じで責任逃ればかりの権威主義というのは無くなったほうがよい。
2020年05月09日
37.5度が4日続いたら保健所に相談してみたいなのを国が流して、それは国民の勘違いだという発言を大臣がやったようで、どれだけの人がこの大臣のせいで死んでしまったかという問題。これだけ時間があって受診させようともしないでいてそれを国民の単なる勘違いでは済まず、反省の気持ちすらないから、厚生労働省が、死者を増産してしまうような、国害レベルなのである。日本人は悪政でも我慢して受け入れる体質があるが、本人たちはどこまでも命の危機すらも我慢しろといって我慢させるのは、戦争で自分たちが戦地に行かず国民を戦地に行かせて、戦後に自分たちは命を捨てろなんて言ってないというのと同じレベル。逃げて死にたくない軍部の人間たちが一般のものを死に直面させるような構造は今の日本でもあるんだなあと思う。

私自身仕方ないことは仕方ないだけど、できる努力もせずにそれを国民の勘違いのせいにするのは、戦前の軍部が戦後にやった人間として一番恥じるべきところで、自分が一番に死ぬ覚悟でいないといけないのに、死んだ人もいるのに、それはお前らが馬鹿というレベルで、オレオレ詐欺以上に悪質。どうしてここまで、責任感すらもなく上に立ちたい人間が多いのかという問題。ニューヨーク州知事が評価が高く、WHOのテロドスが酷評されるが、まさに金だけあつめて自分は権限がないとかで逃げてるWHOレベルなのである。

問題はCDCだろう、新型コロナを検査もせずに2月半ばまで放っておいた、4月末時点でニューヨークの2割の人が感染者済みレベル。そのあとダイヤモンドプリンセス号の乗客がアメリカ本国の軍事基地で隔離される。そこまではほとんど感染者がいないかのように検査もせずで、検査し始めると多くが感染していたということ。新型インフルで多く死んでいたのが新型コロナであっただろうと思われる。CDCは知っていたんじゃないかと思うし、CDCのような感染研究所が国内の新型コロナ検査を2月半ばまでしていないのが異常すぎる。それでいて12月には、新型コロナはコモンウィルスになるだろうとか、良く知っているような説明。アメリカ国内で一番最初に被害が広がっていたように思われる。

アメリカという国は、医療保険が義務化されていないので、病気で死ぬのも自己責任という国。その考え方がコモンウィルス的な自己責任の世界で、研究はするが、人の命を救うために研究するとかいう感覚が感じられないのが、優秀とされるCDC的な研究機関。いくらお金をそういうのにつぎ込んでも、人の命は救われないだろう。感染経路を調べたりとか感染者を避けるのが精一杯な話で終わる。

もちろん、武漢もアメリカの新型インフルは研究していただろうから、武漢のウィルス研究所からアメリカのインフルが漏れた可能性は高い。それが新型コロナだとしたら研究者たちは感染しているだろう。それが武漢で広まるのも分かる。アメリカが生物兵器ではないと判断しているのもアメリカがなにか知っている可能性は高い。アメリカの新型インフルとはいったいなんなのかなあと思う。アメリカで年寄りがたくさん新型インフルで免疫不全で死んでたらそれは新型コロナだったという可能性が高い。

本当の真実が大きく隠されてるまま、問題が巨大化したということじゃないかと思える。CDCはマスクをつけるなという姿勢で、新型コロナに関しては意図的に蔓延させようとしていたようなあたりがあって、どちらかというとスウェーデン型を目指していたが、大失敗でみたいなで、今更表舞台に出るもできないような状況。新型コロナに関しては隠れてしまっているような存在がCDC、感染症の世界的研究機関として動かないといけないのだが、発表することは2週間とか1か月の中国の発表。その間、正反対のことを正しいとして蔓延を助長してしまっている。気を付けておくべきことを対策させないような動きが目立つのがCDCとWHO,そしてそれを受け売りする日本の厚生労働省。
2020年05月05日
昨日の夜、郵便局がしまっているのでコンビニで切手を買った。120円切手5枚というと店員がレジで120円5枚を打つ。

実際に調べると在庫は4枚しかない、それなら4枚で良いよ、と返事する。120円が返ってくる。レシートは5枚のまま渡される。私がお店のこと心配して、これ大丈夫かと他の店員のアドバイスを受けるように誘導するが、直しますとボールペンで2本線引いて、5枚600円を、4枚480円に。

それなりに私も努力した、高校生か大学生かの研修中なので、一回それでどうなるか経験して次に生かしてもらえばいいだろう。私も小さな金額は自腹で解決することもおおいから、研修中のアルバイトも失敗を積み重ねて失敗したときにどうなるかを経験するも大事なこと。

高校生や大学生でレシートの意味を理解しろと言うのがそもそも無理な話だが、普通、田舎のおっちゃんおばちゃんでも同じくらいだし、誤差や間違いは出るのが当たり前。

それをどうやって吸収するのかが、大事な部分。レシートをボールペンで訂正、初めての問題にも精一杯やってくれて、それに訂正印を押すのがどうこうまでは、自分の会社の社員だったら教えるけども、コンビニのアルバイトと言うのは正社員以上に複雑な業務で大変だなあと思う。レジが合わなくなる問題も起きてくるだろう。

プリントアウトされたものを信じて手書きで訂正されたものを信じないと言うのも、エシカルトかサステイナブルを考えると、正直に訂正しただけのことで形式にこだわって、一番エコで、子供でも対応できるユニバーサルなあたり。

順番に成長して行けば良いんだろうと思う。最初からすべて正しいはなかなか難しい話。完璧じゃなかったけど、何でも店長に確認している者よりは、大物になりそうな気がする。だから、細かいことは正さずに放っておいた。
2020年05月03日
10万円の給付の話で思うのが、田舎の一人暮らしの収入のないお年寄り。そういうお年寄りは贅沢もしていないけども生活すらもが新型コロナがというのではなく、それ以前に厳しいところで生きておられる。そういう方にお金が回るようになればその10万円はひと月のことじゃなく、半年ほどの支えになろう、いざというときの蓄えになろう。

消費拡大のために給付するとかの下衆な考えだと、なぜ給付が必要なのかという本質も見えていないだろう。人々に配られた金が自分の懐に入ってくるようなメカニズムを狙ってては本当に救うべき人を救うこともできない。自由に一番必要なものに使えるように給付しないと給付する意味すらも給付されたありがたさもなくなってしまう。消費させようという発想がそもそも見下している感がある。自分が他のひとの何十倍、何百倍も消費すれば十分経済効果になるだろう。無理やり消費させてなんの意味があるんだろうという話。

このコロナの状況下に置かれても、普通の人々は自分で自分の生活を支えてゆかないと成らない部分がある。今までは人手不足人手不足といわれていたのが、それも状況が変わってきた。1年2年では改善しないくらいのどこもが人を余す仕事不足の状況になるだろう。そういう中でもできる人は求められているのでそういう力をもっているべきだろう。

こういう不況下に置かれても繊維の世界だと今はマスク需要があったりして、アパレル不況だと何もしないよりは、マスク作りの経験がなくてもマスクの需要があるなら普段の仕事の延長と考えて、自分がマスク作りの経験を一通りしてみるのもよいだろうと思う。2008年頃にデフレ不況そのものの時に、まったく逆の最高級を目指したアイリッシュリネンのプロジェクトをやってみたり。その時々に、なにやっても無駄だといってるよりも、自分で自分のやってることを信じて精一杯動いてみるという姿勢が一番大事だろうと思う。
2020年04月30日
今日は4時前までいろいろと作業などしていて郵便物を出しに行くついでに、ペーパードライバーのスタッフの子の車の運転の練習。何年ぶりかの運転だそうで、私も若かりし頃の車を運転したときのことを思い出した。ペーパードライバーなのでもちろん運転免許所は持っているものの、まずは、田圃の道から走ってみる。車の運転なんて言うものは何千万人がやっていることなので、器用にシャトル織機を動かしている運動感覚のよいスタッフの子だとちょっと練習して車になれるだけのことだと思う。

自分が自分の車持って運転する経験を積まないとなかなか他の人の車を借りてる状態では思い切って運転はできないだろう。車の運転も若いうちに経験をしておかないととは思う。2時間くらい練習すると、最初とは見違えるくらいに車に慣れてもうちょっと練習すれば一人で運転が出来そう。とりあえず、この車に慣れれば他の車の運転もできるようになるだろう。私自身、日ごろ追われていることも多い中、これからの人を別に仕事だけじゃなく今後の人生に役立つようないろんな経験を積んでもらえたらと思う。

自分が他の人を乗せて運転するのと、他の人に載せてもらってるのとでは、同じ車に乗っていても感覚というものは異なるものだろう。車なんかも自分が運転して他の人を乗せてみたいな経験ので、そういうのが増えてくると場をつくる側になれたりもして、できることが増えてくると面倒を見る側に回れるようにもなってくる。経験の広さみたいなのは人を大きくするから若い人には若いうちにいろんな経験を積んでおいてもらいたいなあと思う。それが行動力とかにもつながって自分の夢なんかを実現するのにもつながるだろう。あと数回練習すれば一人で車も運転ができるようになるだろう。

話は変わるのだが、燕の子は、いきなり巣から飛び立つ。失敗は許されないのである。人間というのはいつのまにか教わらないとできないみたいな動物になってしまってみたいな部分がある。教わらなくても自分がいろんな失敗も積んでやっていって前に進んでいくみたいな姿勢を私自身は持ってたいなあと思うので、そういう考え方があるからいろんな経験もできてきたと思うし、そういう経験が多いことがまたいろんな出会いを生んで自分がものごとやってるのに役立っている。
2020年04月29日
政府が今、パチンコ業界に営業自粛要請を出しているのだが、なんとなくそれは、コロナの危険性を最初から指摘してきた私としては、政府が1か月前までオリンピックの予定通りの開催以外は口にしてはならないみたいなJOCの風潮と似ている気がしてならない。何が起きるかというあたりを想定しないのかという問題。みんなが緊張をしてマスクをする人が多かったのに、アホそのものなWHOを引用して、マスクはつけるのは有害だという情報まで流してしまったり、蔓延している国ではマスクは必需なのである。WHOのテドロスさんはすべてにおいて日本の政治家みたいな判断しかできず、新型コロナに対しての自分自身の判断というのはゼロな人が新型コロナ対策のトップ。

蔓延している国で、スウェーデンという国があるが、マスクもせずに普通に近い制限のない生活をしている。感染率も実際は非常に高く、大衆免疫ができそうだというくらい、感染率は高いが、なんと死亡率が10%と、武漢を巨大にしたような状態。それが高福祉国家の実態で院内感染も非常に高い、それでも国民が文句をいわないのは、それだけ国が国民を支えている部分があるからだろう。公務員率が非常に高く、社会主義国家らしく公務員比率も高く、官と民の隔たりや対立が日本のようにはないのである。

グレタさんが感染したのもスウェーデンの新型コロナ対策の一つだろう。スウェーデンでは新型コロナに感染して自己回復力にゆだねることが人生観の一つで、病床も少ない。全員が感染するとすれば特に体力のない、また、他の病気を持っている国民の1割が死ぬのを受け入れ、普通に近い生活を送るスウェーデン。原子力発電を推進するのもスウェーデンなのであって、グレタさんが太陽光パネルの競技ボート、5億円?で大西洋を渡って、会議に参加とか。贅沢すぎるエコロジストで、スウェーデンという国の運命も背負っていそうなあたり。みんなが5億円のボートにのって移動する社会というのが本当に環境によいのかというと、飛行機のエコノミーに詰まって移動するほうが環境負荷は少ないだろう。そのボートの制作と維持にどれだけの資源が使われているかを考え、その移動が視線と本人の人力ならすばらしいけども、自己満足のために大量の燃料を使いながら大金をはたいてロケットに乗って月に行くのと同じような贅沢と同じにしか思えない。しかも、太陽光発電でモータを積んでみたいな話は隠されて、競技ボートという話で原子力の偽装と同じのが環境問題を考えるおっさんの一人として本当に残念。プロの演出家の存在があって演技のように思うのは私だけだろうか。日本も原子力推進のためには子供から洗脳していくような同じようなことやってたがあれと同じ類なのだろうか。

自分や家族が太陽光パネルを素のボートに積んでモーター回して命かけて大西洋を渡るなら本物だけど、5億円のフェラーリーに乗っているのと同じで、贅沢すればエコを謳うのなんて簡単だというパラドックスの世界だが、それを自分が負担してやっているのか、他人に甘えてやっているのかの問題。私はトランプもエゴっぽいところが強いので嫌いだが、同じ意味でグレタさん一家の行動はトランプさんと似すぎていて好きじゃない。優雅なCO2削減ほど、スクラップアンドビルトな、資源浪費社会そのもの。口でじゃなく自分が手や体を動かして自分の生活を支えていくのが大事だと思う。

先進国にも高福祉国家にもそういう思想はなく、働くことが悪いことみたいで、ホワイトに見えながら他の人の労働を搾取して生きるブラックそのものな世界をホワイトと呼んでいるだけのことで、途上国にある、自分が体動かして働いて自分の生活を支えてゆくというあたりがないのが、資本主義であろうが、社会主義であろうが、共産主義であろうが、そういう階級社会をつくればそれぞれは思想対立しながらも階級社会という支配される側と支配する側の構造でまったく同じ制度だということ。

アメリカがなぜ原子力をそれほど推進しないのかというとアメリカの自動車社会と連動しているあたりであろう。アメリカは早くに原子力技術を日本に売り逃げた、それで日本が原子力推進をせざる負えない状況になった。一方でアメリカは石油という資源に投資し続け、大手の石油ディベロッパーはアメリカが多い。アラスカにしてもロシアから買ったが、なぜ?というのは原油のため。原油を支配することが一つの国家戦略となっていたところがあって、アメリカは原油を輸入しながらもカリフォルニアの沖で取れた原油は貯蓄して産油国並みの石油資源を確保するというあたり。原油が不要となったり安くなると高いコストで備蓄してきたアメリカという国。

原子力もそうだが、問題が見えないうちはイケイケドンドンがアメリカで問題が見えてきたら外国に売り逃げる。あれほど正しいとやってたモサントがアメリカ国内の裁判で負け始めるともう消えてしまった。これって投資詐欺のようなものでよさそうな話で資本をかき集め破綻する前に親ネズミたちは消えて次の商材でまたみたいなこと。ビットコインでは珍しくアメリカがまともな姿勢をみせていたが、ビットコインの胴元がアメリカなら判断は逆だっただろう。

戦後最長の経済成長が続いたといわれる日本で、今、全国で年収が100万円に満たない世帯が1000万世帯もあるという現実、確実に、戦後最長の経済衰退だったのではないのか。政治も汚くなりすぎて、国民を欺くことが政治家や官僚の仕事になってしまっている。そういうのの道具にならんように気を付けないと、自分は自分で生きてゆく能力をもってみたいなところが大事だろうと思う。同じ穴に入らないように気を付けたい。国連そのものがドロドロとしすぎて力を持つべきではないだろう。委員会にしても、条約締結などにしても、都合よければ参加、都合が悪ければ抜けるだけみたいな集まり。
2020年04月28日
昨日完成した白いリネンマスクが自分で使ってみて非常に良い感じだったので、それの生成バージョンを作ってみた。倉庫に行って生地を探す、倉庫の中の反物はだいたいどこにどの反物があるか分かっているので、すぐに探していた反物が見つかったが、それがなんと太巻きの100メートルもの。この反物がうまく使えれば、1500枚のマスクになる計算。マスクは洋服と違って要尺が非常に少ない、がでも作るのには結構時間を使う。裁断から始めて、2時間弱で5枚。悪いペースじゃないが、今は試作なのでもうちょっと完成度を上げないといけないので、慣れていても2人で2時間に6枚くらいが限度かなあ。

もう一つマスク、こっちは、リネンパイルのタオル生地(経糸はコットン)があったので、それをマスクに。できあがりはすごく良い感じなのだけども、これは春夏向けというよりも秋冬向けだろうか。息苦しさはないけども着けているだけで暑苦しさを感じる。でも、見た目かっこよく、インパクトがあって悪くない。

いろんな素材を組み合わせるだけでいろんなマスクが次から次に出来上がる。基本の型紙は、立体マスク、プリーツマスク、平マスクの3つで、今日は平マスクの考察も行った。それはリネンパイルのタオル生地は平マスクに良いのではないかとまず考え平マスクを作ったが、うまく行かずに、立体マスクに落ち着いた。プリーツマスクにするには分厚すぎ。1mが1kg以上の目付でデニムの2倍以上か。一反が20mだけども、20kgを超えているだろう。この生地は例外的な生地でお客さんの要望に応えるためにタオルの産地の工場でリネンパイルを織ってもらった、その生地なのである。サマーブランケットにもなるし、もちろん、タオルにもなる。
2020年04月27日
昨日、生活雑貨のお店に立ち寄ると、お店の入り口にマスクの着用が必要とある。私はマスクを持っているので入ることができたが、マスクを持っていないと入れないか、たぶん、そのお店の中で売っているマスクを購入して商品を見る形になるんだろうなあと思える。滋賀県なのでまだおっとりとしているがここまで滋賀県でも来てしまっているのかと思った。海外だと国によって状況は異なるとは思うが、ロックダウンしている都市のお店に入るときには同じような措置があるだろう。

日本の非常時に問題なのが、例えばマスクの全世帯配布にしても、何百億円ものお金の流れが不透明なあたりや、国民に知らせずに裏で政府のマスクチームが話を5社とだけ進めてるとかも異常だし、どういうことだとなってくる。また、日本のマスクメーカーにしても海外生産で布マスクなんてほとんど生産してなかったんだし、商社的な存在だから、結局、海外の普通の縫製工場がマスク縫製を行うだけのこと。安倍さんのマスク見ても普通のマスクでどこの日本の縫製工場の縫製したころとのある人なら誰でも縫えるようなもの。なぜ、海外生産させるのかもお金の流れを不透明化するためかなあ。ほんと、国民のお金を使いながら国民に説明もできないことをやってしまっている。こんな簡単な問題で説明もできないのは裏があるだけのことだろう。


2020年04月23日
22日の夜から自分の中のスイッチが入って、myマスク制作モード、自分が一番欲しいマスクを作ろうとつくってみた。型紙から自作。外はリネンデニムインディゴ、内側は肌あたりが一番良いアイリッシュリネンハンカチ生地。最高のマスクができてマスク作られている知り合いの方に見せたら、ぱっとみてすごくいい感じだとほめていただいた。いい感じだからもっといい感じになるようにと親身な縫製のプロとしてのアドバイスもいただいた。ありがたい。

なぜ、林与が自分自身で自分のマスクを作ってみるのか、私自身はそれがものづくりの基本だと思っている。もちろん、普段はスタッフの縫製が上手な子に頼んで会社としてのブラッシュアップも考えたりもあるけども、私は経営者なので、例えばマスクに使う材料やミシンのアタッチメントなんかも自分が手に入れて使ってみてよりよいマスクができるなら惜しまない姿勢でないと、会社でマスクをつくっても完成度の高いマスクはできないだろう。マスク用の生地を提案するにしても、いろいろと自分がマスクをつくってみてどういう布がよいのか結論みたいなものをもっていないとおすすめするにしても難しいだろうなあと思う。

自分が材料を考えたり、型紙つくってミシンを踏んで、自分がつくったものを使ってみたりしていい感じなのが大事。自分で使って付け心地の確認や洗ってみるのも大事で自分が普通に洗ってくださいと言えるようなものでないとマスクをつくっても販売なんてできないであろうと思うのは、普段のものづくりの企画で、仕事として企画されている方が、弊社の生地を使って自分の企画したもののケアラベルのことなんかを訪ねてこられることがあるのだけども、自分が企画している商品を自分が洗ってみてどうなのかというあたりが企画の部分の中に含まれていないのが企画としては弱いところだったりして、全部生地の検査の数値で判断みたいなのが素人未満のものづくりにつながる。生地をみてどう料理できるかというあたりでものづくりができる人は、プロの料理人みたいなもの、そこに上手な人と上手でない人の差みたいなものがあるような気がする。

リネンデニムインディゴのほかに、プリーツマスクも型紙から自作して縫製してみた、こちらはリネン60番手の白のいわば不織布マスクの白のリネン版、これも自分が一つのジャンルとしてよいだろうなあと思って、フォーマルな場所で活躍するのではないかと思う。洗えるマスク。そして洗えるマスクに大事なものというのは、たとえば、マスクゴム。布の部分は何度も洗って使えるけども、マスクゴムも古くなってきたり汚れてきたらリプレースしたいと思われる方は多いと思う。

繊維の世界で働いているものというのは案外、逆に自分でマスクを作ったりしないもので、一般の人よりもマスク一つの作り方にしても知らないことが多いものだろうと思う。それではアカン気がするのは私の持論で、一般の人にものづくりで負けていてはその道で食べていくというのは難しいだろうと思う。

ファブリカ村の北川陽子さんと順子さん姉妹が、うちに生地を見に来られた時に、マスクの話をしていてマスクゴムが手に入らなかったので8コールの一般のゴムを代用として使うために使ってマスクをつくってみた。やっぱりそれを今みるとマスクゴムの部分が弱い気がする。デザイン的な部分だけではなくて耳への圧迫感という負担も含めて。私がマスクゴムプレゼントを思い立ったのも、マスクを自作される方がなかなかマスクゴムが手に入らないというところと、もう一つが、手に入っても私と同じ経験をされることもあるだろうと思うから。北側姉妹もマスクは手掛けておられて2か月ほど前に私の作った試作をみてゴムが残念ねえとダイレクトな感想。そういう意見も第三者的な試作に対する意見としてありがたく今の私のマスク制作に生きている。順子さんが自分で自作されたマスクをつけておられたがいい感じのものでさすがだなあと思った。案外、繊維の業界のプロでも周りの材料で自分で味のあるものを生み出せる人といいうのは本当に少ないから。

マスクゴムの代用は決して悪いことではないけども、手に入るなら手に入れたい人は多いだろう。マスクゴムじゃないと駄目みたいな考えは私は決してもってはいないのは、普段仕事をしていて、創意工夫で代用品で織機を修理したり、新しい手法で仕事を効率化したりしている。母親が買ってきた道の駅のマスクはマスクゴムの代わりにストッキングをマスクゴムの代わりに使われているとかも一つの方法だろうと思う。それを明記もされてあって一生懸命さ伝わってきて好感が持てるのである。マスクがなければハンカチやタオルをマスクにとか、Tシャツをマスクにするとかも、大いにありだろうと思う。一番大事なのは、マスクが必要なのにマスクが手に入らないのを改善するところ。

ハンドメイドの人が自分でマスクを自分用のマスクを自作するのと同じで、私もマスクを買うでなく、自分や自分の会社でつくったものを自分は使いたいとおもうから。また、多くの人にも自分が自分でマスクを作ってもらいたいなあと思う。もちろん、ミシンがなくて作れない人もあるだろうし、その場合には市販のマスクを買われたり、布マスクを買われたりもするだろうと思うし、とりあえず、マスクが必要な人に必要な分量のマスクがいきわたることが一番大事だと思ってはいる。

私自身がマスクを極めたいのは、マスク用に適したリネンはなになのかとか、それを自分自身が持たないとハンドメイドされる方にお勧めもできないし、せめてハンドメイドされる方と同じくらいの経験はもっていないと、マスクをつくることの意味も分からないかもしれないと思う。昨日やったことも、立体マスクの型紙は、外と内側では、大きさを変えてより問題を少なくするとか、一般的には内外は同じ型紙をつかわれるだろうけども、内側はやはり小さいほうが、口に当たった時にも、波打って当たるじゃなくて、面として鼻や唇に当たるから、違和感が少ない。内側には肌辺りのよさそうなガーゼ生地を使うとかが失敗はしにくいモノづくりだけども、硬い生地を使っても型紙次第で、肌辺りを少なくしてしかも面として綺麗に当たるようにすれば肌辺りは改善される。型紙をいろいろ触ってみるのも案外面白いなあと思える。

知り合いのパターンなーの方も、ハンドメイドが上手な方で、マスク作りにもいろいろと手法の面で協力をいただいていて、私自身は、自分が今までやったことのないマスクを本腰でやろうとしても、恵まれている環境にあって、自分自身もそこそこ器用で人柱が当たり前で経験積んでいるので、いわばハンドメイドの方と同じ。プロというのは逆にもうけを考えるのでリスクを犯さないからものづくりが下手で、それゆえに経験が少なく、一般のハンドメイドの人にも負けたりすることも多い。ものづくりやデザインの世界の人がパクるのが本業になったら終わりなんだけど、アイデアだけで生きているとどうしてもパクって安く作って儲けるみたいな考え方に陥りがちでほんとそれが繊維の世界にいても多すぎて残念なあたり。一個一個、時間や体使って、作ることそれこそがプロの世界でも大事で、それが働く人を支える気持ちにもつながる。

私が繊維の世界にいて残念に思ったのが、別に悪い仕事でもないのに自分が動いてものをつくることを経験者ほど面倒がる人が多すぎて、それでいてしっかり自分たちの面倒をみてほしいと要求される。ブラックだといわれがちな繊維の世界だけども、繊維の世界がホワイトになろうとするほどに、本当に覚悟決めてほかの人も支えようとしている人間は自分の時間もないだけでなく、寝る時間もなく超ブラックの世界に入る。私自身は別にそれでもよいと割り切って、自分でリスク背負って経験積んでだから、逃げてばかりのお金儲けの世界とは逆のところで生きていければよいのになあと理想をもっていて、働くことを悪いこととか、面倒とかだけは正当化したら、それは働かないで儲けたいブラック思想そのもので、それがあるから、途上国で児童労働に結び付く。先進国が働かないで途上国に労働を押し付けた時に、その途上国の弱者が働いて、先進国のホワイトな生き方を支えているだけのこと。ホワイト社会とブラック社会は、表裏一帯で同じもの。

2020年04月21日
マスクをつくっているのだけど、単なるマスクというだけでなく完成度の高いものを作りたいと、どうやったらきれいなマスクがつくれるのか考えている。リネンストールのときも、リネンハンカチの時も、リネンキッチンのときも、どうやったら自分らしいものができるのかと、アイテムの専門家でもないけども自分自身で手法を考え、シンプルで良質な感じのものをつくりたいなあと、リネンマスクも自分でオリジナルの型紙をつくるところから。

私がリネンマスクを作っていると母親がなぜかいろんなところで売っているハンドメイドマスクを買ってきてこんなの売ってたとかもってくるけども、自分自身で自分の布が素敵にみえるものづくりがしたいから、でも、母親の買ってきたマスクをみると作り手がどんな人なのか見えてきて楽しみで喜んでもらおうとやってられるのがよく伝わってくる。和風の柄で味のある生地を表に裏は柔らかい綿のガーゼとか、それなりに良い感じでお土産物屋さんにおいて違和感がないもの、一般の人で器用な人たちがたくさんおられるのに驚く。まだまだ、若いころにミシンを踏まれていた世代の方が作られているのだろう。

服飾関係も、百貨店やお店が閉まって、外に出る機会も少なくなって、アパレル産業は低迷している。でも、マスクも、衛生面だけでなくファッションの要素が高いアイテムで、布マスクは繊維製品。布マスクなんて今まではあまり興味を示されなかったものが、急に注目されるようになって、一般の人でも布マスクを家族のために作っている人が多いのに、繊維のプロなら一般の人以上に興味を持ってないとあかんのと違うかなあと思えたりもする。

今日は、リネンデニムを表に布マスクをつくってみた、ハリがあってしっかりとした感じでよい。でも、内側の布が離れて口元に当たり違和感がある。ステッチを入れて改善するべきなのか?迷うところ。

2020年04月13日
新型コロナが2月くらいに広まり始めた時に、武漢が都市閉鎖したが、同じことを日本や欧米の国はできないだろうから、先進国での蔓延を止めることはできないだろうと予想していたが、先進国でも蔓延し始めると都市閉鎖が行われ、社会活動や経済活動ができないどころか、外出規制まではじまり、程度は違えど武漢と同じような封じ込めを世界中の先進国でも行うようになった。今までの世界ではありえないことなのだが、世界中がつながっているということがあって、自国民を守るためには海外渡航の禁止や都市閉鎖しないとこの新型コロナウィルスに対してはどうにもならないという認識が広まったからだろうと思う。

1か月前まではオリンピックを通常開催するとかいう日本の国家としての姿勢だったが、日本も遅ればせながらの軌道修正で、緊急事態宣言などを出しながら、本格的な封じ込めに動き始めたといえる。日本で蔓延のスピードが比較的遅いのは、行政のマスクはするなの蔓延政策の一方で、国民自身がマスクをして感染予防意識が高かったことがあげられる。マスクの効果が低くても、効果があるならつけるべきなのに。それも頭から否定して、国民を無防備にさせる輩たちが多かったことは嘆かわしいことである。世界中が、WHOのいうことを信じることなく、各国が国民にマスクをするように動き始めたのは当たり前の行為だろう。WHOを受け売りしていた日本の厚生労働省も国民からは無能扱いされるのは当たり前、東大出の官僚というものが大臣になっても、自分で判断もできずにこの未知のウィルスに対して専門家の意見を聞くとか大臣としての本質もない。専門家もWHOの見解を受け売りで蔓延させるような政策をとってしまっていた。

事実を隠そうとするのが日本政府にありがちなところで、検査しないことで感染者数を増やさないようなことやって、オリンピック中止が決まったら突然、検査数を増やし始め、緊急事態宣言で、日本はもう手遅れというモード。まずは、医療関係者の全員を月に1回くらいは感染の検査をするのが当たり前だろうけども、それを厚生労働省は医療関係者は基本検査しないというスタンスを貫いている。検査したらどこの病院でも陽性や疑陽性が出てパニックになるのを恐れてやらないというスタイル。90人が陽性という病院も出てきた。幸いにも重症者がいないということだが、医療関係者を検査しない限りは診察する医者が感染してるかどうかも分からず、感染しているとすればそれを放置してはウィルス拡散源そのもの。そんな状態での医療機関の運営のままでは、蔓延が助長されてしまう。

厚生労働省が企業に課している労働者の1年に一度の定期健康診断も通常だと入社したときに義務化しているので4月が多いだろう。定期健康診断が新型コロナウィルス蔓延に繋がる可能性もあり得るのである。パンデミックな状況では、定期健康診断も落ち着いてからにしたほうが良いだろうが、厚生労働省はそういうの考えてもいないだろうし、法律を変えるなんてほどの深刻さも感じてはいないだろう。非常事態宣言都市の病院だと健康診断にしても感染リスクは十分ある。蔓延状態の国に海外旅行に行くのと同じくらいのリスクだろう。
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