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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年12月05日
京都の知名度の高い染工場さんから代表取締役交代の挨拶状をいただいた、驚いたのは、後継者不足で株式を他の会社に譲渡される形を取られたこと。残すためにはそういう方法が選択肢の一つだと選ばれたのだろうが、知名度の高い特殊なことをやっておられる会社さんでも後継者がいない。

難しいのは特殊なモノづくりというのは設備や技術じゃなく、人の要素が大きいということ。同じ設備や技術でも実行する人が異なれば同じ結果が得られるとは限らない。特殊な織機を譲り受けてもその状態ではノークレームノーリターンのジャンクでしかないどころか、動いたとしてもまともなものがつくれなければまだマイナス。事業継承というのは本当に難しいものだと思う。

設備や技術があってもそれをどう生かすかというのが実績としてつくったサンプルだったり経験だったりする。設備や技術だけでなく、長年の経験のサンプルやデータが残っていなければ、その設備や技術の価値は生かすまでにまた何十年ものの積み重ねを必要とすることになる。

昨日も、いろんな織機の問題と遭遇、昨日だけでも3つくらいの問題を解決。異音がして動かなかった織機の原因究明、シャトルが挟む問題、送りハンドルを回しても送らない問題、飾りのロッドが一本だけ長くてはまらない問題。織りだしがダブついて織れない問題なんかもあった。織物を一つ織ろうとするといろんな問題にぶつかる、そのたびに手を油だらけに黒く汚して、織っている時間よりも修理している時間のほうが長かったり。まあ、それでも最後には解決して何の問題もなかったかのように動き出す。

誰が答えを教えてくれるでもなく自分自身で答えを見つけ出さないと織機はずっと止まったまま、自分自身で解決するから織物が織り上がる。力が足りなければ織物は織れないまま。たくさん織機があるので順番にひとつづつ問題を解決して織物を一つ一つ織ってゆく、それが仕事。新しい人が同じ経験をして織物をつくれるのかという問題。設備と技術という問題だけでなく、やる気みたいなものが相当ないと一つの工程も乗り越えられないだろう。しかも、人が少ないので総合的な力も必要となってくる。林与の場合、糸が届いてその糸を織りあげ、検反や修正、出荷、時には加工や染色、製品にするまでもを一人でできるようになることが基本、作家的なトータルな布つくり。

結局、必要なことそれがすべて仕事というのが仕事の原型ではないのかと思う。現場の職人というのは一つの作業に没頭できるので幸せだなあと思える、が一方で、体が覚えているだけの感覚だけで仕事をしてしまうため、新しいことに対応ができず、経験のないことに対しては分からないとかできないが増え、初心者ができることでも経験者ができないことが多かったりもするものである。たぶん、それは経営に関しても同じで、自分は経営で作業は他の者みたいな感覚に陥ると、ものづくりも他人事で落ちてしまうだろう。作業している人間の苦労くらいはへっちゃらでないと職人たちに良い方法を教えることもできないし、やればできることでも職人たちのできないわからないが限界となる。

ある意味、職人的の世界というのは作業が苦痛を伴わない体が道具になったようなあたりではあるけども、人が機械と違うのは柔軟性という部分で、柔軟性を欠いてしまうと、機械にも劣ってしまうのではないかと思う。機械を使うときは機械が仕事しやすいように人間が面倒を見ないといけない、たとえば、手でつなぐでなく、タイイングマシーン。人が物事をするときには自分の面倒は自分で見ることができるのである。それが他の人に面倒を見てもらう必要がでてくると他の人を使っているようで他の人に使われている状態なのだろうと思う。

こういう話は自分自身が何十年の経験者が難しいという作業を解決するのが普段の仕事だと思っているので後継もできるんだと思う。問題が詰まった状態でのバトンタッチ、解決する力がなければと思う。織物の会社、正しく織物が織れないと、海外で正しい織物が織れるのが当たり前になってくると、経験者でもそれまでできないわからないで通っていたものが、海外に追い越されてしまう話。後継者問題にしても自分たちの問題を年金のように次の世代に背負わせるのではなく、自分たちが次の世代の手本となれるように自分自身がほかに頼らず完結して仕事するのを見せる必要があるだろうと思う。どんな苦境でも腹くくって自分が受け一人でも背負って、何十年やってきたことでも間違ってる姿勢のものは間違ってるからちゃんとしなさいというような覚悟がないと、惰性的な気分では後継するというのは難しい。ちゃんと地道な作業にいそしんでいるうちは大きくはぶれないものである。職人的な気質もどんぶり勘定な経営者と同じで面倒が先にたつことが多く、それが外が見えない世界につながり、地場産業が衰退する要因の一つ。

地場産業衰退の要因を分析する大学の先生にも地盤産業衰退の本当の理由を教えましょうかというのもそのあたりなのである。同じ設備と技術があって人という要素が大きく、それは仕事の中でのことではなく、社会的な要素に振り回される。巨大文明が一瞬で消えてしまうのと同じで、基本を失って法律ができたりすると、それまでのことが軌道修正もできずに一代で終わるという話は、ひと世代ももたなかった年金制度に通じる。年金制度はその一代の自分たちの将来を面倒見るどころか生まれてくる赤ん坊たちに面倒を見させる制度。法律的には正しくても滅びゆくのも当たり前の緩慢な愚作そのもの。次の世代が働いて解決するのは海外での階級社会的な児童労働を超えた問題だろう。
2019年12月04日
国連でコットンが問題視されている、1着のジーンズで、人の飲水10年分が使われるということ。これの問題が、規制基準の高さがある。オーガニック認証もそうだが農薬を使わないとなると、雨の降りにくい砂漠地のような場所に灌漑で水を流してコットン栽培。本来乾燥している地域なので、例えばテキサスなんかではオーガニックコットンは地下水を組み上げスプリンクラーで水が供給され、地下水の渇枯と地盤沈下の要因になってしまっている。

自然農法にゆだねたオーガニックコットンというのはハンドピックトなのでまさに、オーガニックコットンの中では絶滅危惧なオーガニックコットン。マシンピックとなオーガニックコットンは地球環境を破壊しやすいという要因がある一方で、機械集約型の近代的な農業で行われるために、通常のコットン栽培と変わらない生産効率がある。費用面での負担とすれば認証に掛かる費用が農家の重荷になってしまって、遺伝子組み換えの特許問題で農家の貧困の要因となるのと同じ要素。認証かモサントかの究極の選択を迫られる農家。モサントに騙されたという農家がオーガニックに動いて成功するのかというと、今みたいな認証の基準が原因となり、地球環境の破壊につながるのが目にみえてしまうと、農家にあなた達のやってることは地球環境によくないからやめなさいと言えるのか、否かの認証機関の存在意義や認証基準の浅はかさの問題とも絡んでくる。

ハンドピックトされることがオーガニックコットンの価値を生む話だったのに、いつのまにか、ハンドピックとされないマシンピックトなオーガニックコットンが、オーガニックコットンの主流となり、このような問題を引き起こす原因となってしまった。オーガニックコットンの世界で言われるのも農家の利益のこと、モサントに騙されて自殺に追い込まれた農家がいて可愛そうだから、オーガニックコットンをつくればそれは解消されるみたいな話で誘導だが、本当にオーガニックコットンなのかもはっきりとしない2010年頃の世界のオーガニックコットンが認証機関の不適切認証の問題で半減したこととか、今も、遺伝子組み換えコットンが混入しているのではないかと言う問題も、判別する手段がないから遺伝子組み換えコットンが混入しているとはいえないというレベルの認証機関の説明。

諸悪の根源のように遺伝子組み換えコットンを叩きながら、オーガニックコットンに遺伝仕組み替えが疑われると判別する手段がないで逃げてしまうような説明では認証としては、認証機関としてはまずいというのも分からんのかなあ。消費者は本物だから買うのだけど、認証機関が判別する手段がないではあかんだろうなあ。2010年までのオーガニックがオーガニック認定として適切ではなかったのも明るみになった。日本国内ではそのことは隠されてしまっているが海外では認証機関の認証すらもが怪しいという消費者サイドの目線。オーガニックの原産大国インドが、認証機関に適切に認証をするよう指導したということ。その多くが、日本で製品としてオーガニックを謳って流れて販売されてしまった。

トレーサビリティにしても、クオータ制をとってしまと、オーガニック原料をたとえば1トン仕入れば、1トンまでオーガニックの糸の認証がでますよ、みたいな制度だと、トレーサビリティがないのだが、これはオーガニックリネンにも当てはまることだが、トレーサビリティーが一人歩きしてしまう現象。結局、本物か偽物かは、業者の良心に委ねられるのである。信用できる業者から買うことが大事だろうと思うのは、アイリッシュリネンの幻想の話と同じこと。

オーガニック原料云々も大事だが、製織、染色や加工もオーガニックの要素であることは理解が必要。林与のオーガニックでも究極のオーガニックは、オーガニックの糸を糊を使わず織り上げ天日干しのナチュラル仕上げで、こちらがオーガニックとしては究極。でもこれは普通のアパレル向けには向かないので、同じオーガニックの糸を使用しながらも通常の加工工程を経る業務用途に適したオーガニックリネンプロシリーズ。林与としては、オーガニックでひとくくりにするではなく、適切な情報を正しく消費者に伝わるようにしたい思いはある。通常だと扱いやすいオーガニックプロシリーズをオーガニック出ない部分まで隠してとか基準を下げて、これが本物だとやってしまうだろうけど、それだと本当のオーガニックが消えてしまう部分がある。オーガニックじゃないところはオーガニックじゃないのも理解いただきながら、基準でごまかさず信念をもってオーガニックを提案してゆきたい。
2019年12月03日
ポリエステルのマイクロファイバー問題、私が一番気持ち悪いなあと思うのは裏に利益誘導があったりするところ、コットンと水の問題も裏に利益誘導があって、たぶん、遺伝子組み換えでエコなコットンというのがエコだという流れだろう。CO2問題で、国連が原子力発電を推進とか本当にありえない話で、エコを謳う国連や環境庁が環境問題の素人そのもので、福島の爆発をもたらしても反省もなく。環境庁なんて、処分に困る汚染度を全国にバラまくという暴挙に出ている。安全な汚染度ならまとめてとどめておいてもよいだろうが、これも国民騙しそのもの、危険を知っててはあたりまえ、100ベクレルで普通は危険だとされるものをチェルノブイリだと避難推奨レベルの8000ベクレルで安全だという環境庁。国からすれば、メルトダウンを隠匿で何十万人が死んでもどうでもよいような原発行政。たまたま、不完全な原発が地下水から放射能物質を大量に海に流れでたからチェルノブイリのような石官化が必要とならなかっただけのこと。人の管理の範疇を超えた愚かさの部分に何十万人の命や健康が救われたが、その一方で、日本国民の軽い命。

ポリエステルだけど、エコを謳うオーガニックの組織が再生ポリエステルをしかも、漏れ出しやすいような混紡でオーガニック認定するような流れがあったりと、国際的認証機関が反エコ推進なのか、それとも国連がマイクロファイバー問題を取り違えているのか、同じエコでも対立するような概念。私自身は、ポリエステルにしてもポリエステル100%なら長く使えば、1生着ることができれば、最大でもポリエステル100%なら1着の百分の1しか流れださないレベルだろう。それが混紡だと結合が弱く流れ出しやすい。例えば300gなら1gがマックスなんじゃないのかと思う、1生で1着がゴミ袋問題1枚のこと。それよりも300gの服を捨てる話になると自然に帰らない実際プラスチックゴミとしての存在の問題が大きい。裁断して埋め立てとか土壌汚染そのもので、そういうのが環境破壊の一要因となるが、そういうのが環境破壊にカウントされないのが、環境破壊問題のそもそもで、日本の土壌汚染を危惧しながらも、ゴミを埋め立てして埋立地がつくられていたりとアンバランスすぎるエコ意識。

本来はゴミを埋め立てするようなものこそ一番の環境破壊なのだが、それが普通のごみ処理問題。地中に埋めるより燃やしたほうがまだましなのかと思うけども、そんな処分に困るゴミで作られたような土地は本来やばすぎるだろう。なんか論点をごまかすような行政主導のエコ。行政や利益誘導の問題を解決しないことには本当の地球環境保全もないだろう。

ゼロコンマ1gの問題を問題視するが、何百グラムの埋め立て問題は普通だというのがアンバランスな力関係で成り立つエコ推進、そういうのが地球環境的には一番アカンのや。埋め立てゴミというのは年間5000トンの世界、雨が降ると水が土の中を流れ、それは洗濯機の中で選択するのと同じ効果がある。マイクロビーズが水の動きと一緒になって河川に流れ出るのである、一部は浄化槽を減るが浄化槽でも沈下しない膜を透過するマイクロビーズ問題は解決はできない。ゴミそのものが地球環境を破壊してしまう要因で、ゴミをなるべく算出しないようなものづくりが理想。

ゴミを捨てるようにものが作られるというのが、大量生産型のモデルだけど、あれが結局すべて1年とか数年後にはゴミになっている。
2019年12月02日
林与のものづくりスタイルはこの10年ほどで昔に戻した感じ。先代の時のものづくりというのは、設備投資してとか、外の人にやってもらうタイプの経営スタイル。先代のころというのは、機をつくるのも、アンダーモーションの掃除なんか、外の人にやってもらうみたいな感じだった。結局、そういうのが内部でできるということが技術力があるとか仕事の能力が高いということ。そういうできることも自分たちでやらないと、仕事の中の機械の使い方とかもわからないが増えてそのままだったりもする。

タイイングマシーンも昔から3台あったけども、そのうち1台は壊れて使えないという話だったが、ただ単につなぐモードレバーの位置が畔なしのモードになっていたというだけのこと。横糸が織機の途中で切れた場合に1本で織れてしまうとかもこの織機は直らないという話だったが、それも単にセンサーの位置が正しくないだけのことで、織機は正しいがセンサーの位置を変えてしまって横糸切れのタイミングがうまくとれていないだけのこと。横糸がループになって飛び出す問題も、まだ出るけどもこんなもんでどうというが、それは単にレピアオープナーの位置が正しくなく、捨て耳のカラミソウコウにしっかりと絡んでいなくて、糸がカラミソウコウに絡むようにレピアオープナーの位置を調節するだけのこと。

こういうのもメーカーがあって聞くことができれば簡単に解決するのだろうけども、田舎のおっちゃんレベルではなかなか難しいレベル。正しい解決方法を説明すると、それを理解するというよりも自分のほうが上だという感覚が強すぎて、理解しようとしない問題もある。説明する人がメーカーの人だとかだと一生懸命に聞くだろうが、田舎の年寄りが年下のいうことを聞くことはそれが正しいことであっても難しいのである。全員がそういうわけではなく、きつい老眼鏡をかけて年取った勘一じいさんはチーズワインダーで糸を割ったり糸の整理くらいだったけども、上下関係が最初から私のほうが上であるという組織というものを理解していた人だった。

仕事なんて、正しくやらないとやったらマイナスがほとんど。正しい布を作れたとしてもそれが売れなかったらマイナスで終わる。先代なんかはどんぶり勘定スタイルだったので、仕事してお金が無くなるのパターンも多かった。外では働けないタイプが、商売やっても無理なタイプ。自分が作業するとか布を売るというあたりが希薄だったのが一番の問題だったんだろうなあと思う。こういう経験があるから、デザインするというのは何なのか、企画するという問題も深く考える。

デザインして、サンプル生地を展示会に掛けて売れたらその分の服をつくるための布をつくるというスタイルが主流ではあるけどもその場合のコストというのは非常に高くなってしまう。生地の値段というよりもそういうスタイルで生地の生産を回すのを支えてゆくコストが生地の値段となるのである。実生産のボリュームが少なくなってしまったときには成り立ちにくいモデルなのである。生地の需要を生んでゆくというのも企画の一つで、謳いを込めた生地を作ってその謳いをアピールしながら売ってゆく。地道にロングランで売ってゆくには理想的な形だろうと思える。私の作ったシリーズとしては、アイリッシュリネンシリーズ、キッチンクロスHDシリーズ、シャトル織リネン定番シリーズ、藍染やインディゴ染シリーズ、リネンの超細番手シリーズ、細番手柔らかリネンストール、近江上布柄プリントシリーズなど。外の流行を取り入れてつくったものではなくて、自分が作りたいと考えてつくったシリーズである。だれに売ってもらうでなく自分で売ってゆくことを基本にした麻布なので作り手主体のものづくり。
2019年12月01日
仕事があっても、今の時代の仕事についていける長年の経験者というのも繊維業界だとあまり存在しないだろう。昔の流れの毎日普通に仕事があってそれをこなしたら食べて行ける時代と違って、今は、どんどんと前に仕事を前に進めてゆく力がないと成り立たない仕事が多い。

仕事があっても、Aという人がやれば成り立つが、Bという人がやると成り立たないみたいな、仕事がほとんど。たとえば、元気に見えるコンビニもその一つ、コンビニの経営者は成り立たせているだけのこと、他の人がやったらすぐに閉鎖ということもあるだろう。

林与の経糸をつなぐ仕事でも他の織機を動かしながら糸がつなげれば仕事として成り立つが、糸をつなぐだけで成り立たせようとすると、タイイングマシーンでつなげるとか、つなぐのが難しいのを手で正確に早く繋げないと難しい。並行して作業をできるように、作業を組み立てられる人でないと難しい問題もある。

仕事の時間のなか仕事が成り立つように動ける必要があるのである。私も経験者の人の準備をしてきて、その逆というのがあまりないのを不思議に思ってきた。経験者というのは自分から手が空いていても他の人の作業を手伝おうとはしないのが不思議だったが、ひと世代昔の経験者というのは他の仕事はできないままであることが多いのである。

伝統工芸士だった勘一じいさんが私が忙しいのをみて、自分で整経の筬通しをしてくれたが、それが間違って過ぎて、やってもらうのは難しいなあとおもったけど、そういう気持ちをもって仕事している人というのは少ないのでありがたい話ではあった。

繊維の業界も、今の時代の仕事について行ける人でないと、仕事があっても仕事が見えないとか仕事が進まない、成り立たないということになる。出機さんにチャンスが訪れたのがストールブーム、そのストールブームのときに最初の見本一つが、繋いで織る前までもっていっても、織ってくれない。諦めて、自分が織って持って帰ってくると、勝手にさわるな嫌なら自分が織機入れて織れといわれ、せっかくのチャンスの仕事で仕事してもらいたかったけど、自社の織機をシャトル織機に入れ替を決意してのストールの生産。

仕事があっても仕事として成り立たせることが難しい、ましてや普通にないチャンスの仕事でもそれを嫌がっては仕事そのものが難しくなる。ストールの加工も同じく、地元の工場でストールの量産をしたかったが、新しいもの過ぎて、こんなのできるはずない、もってこんといてくれ、といわれたので、他のルートでの商品化。

繊維の業界では、なかなか良い仕事がないときに何年ぶりかのチャンスの仕事でももったいない話なのである。昔の体質の繊維業界がなかなかチャンスをつかみにくいのもそのあたり、加工工場さんもその1年後くらいには、私が思っているような加工をできるようになっておられたが、それはストールブームがピークを過ぎた年、非常に残念な話なのである。
2019年11月30日
今日は大阪での繊維のイベントでの講演会の日。午前午後とお二人の方がサステイナビリティに関して講演された。成功されているあたりが私の考えと違う目線だからだろうなあと思ったのが、ミシンの自動化の話で、糸調子などコンピュータで自動的に管理するようなことができるとかの点。わたしからするとそれって、プロ用が進化すると素人用のミシンに戻る現象、結局、ものづくりがミシンメーカー依存になるのではないかと思える。自動で服が作れればよいのにと服をつくるのは素人の私が考える夢の世界なのかもしれないが、誰がつくっても同じになるとさらに日本の繊維が難しくなる気がするのだが。

ほかに、マイクロファイバーの問題で、マイクロファイバーがでない、丈夫で普遍な素材があればよいのにというお話。でも、そういう素材は、自然に帰らないので、やばやばな素材なのではないかと、最終、捨てることも処分することも難しい。求めないほうがよいのではないかと思う。やはり求めるべきは、普遍性ははないけども、自然に帰る天然素材という方向性が理想ではないかと思う。

なぜ、自然破壊が進むのかというと、作っている人たちの問題でないあたりも大きい。こういう世界的な基準もそうではあるけども、日本でも検査基準がある、たとえば、堅牢度の話になると、自然に帰るようなものというのは、堅牢度は悪いもので、堅牢度を上げるために何度も作り直したり、これしか認めない適な考えで廃棄するものが増えたりする。出来上がったものも品質は高いのではあるが、堅牢度がよいというものは基本自然に帰りにくいことを意味する。その分、長く使えるという要素がある。相反する概念なのは面白いところで、陰と陽というか、人間というのは自分が求めているのはまったく反対なのにそれが見えにくいというあたりがある。

私も品質の高いものという概念とエコな概念というのは製造工程は基本相反する部分があるだろうと思っている。野菜なんかでもスーパーに並ぶものは農薬や化学肥料を使ったものであって当たり前のグレード基準がある不揃いを許さない。一方でオーガニック野菜や道の駅の野菜は不揃い。どちらを求めるのかの世界なのである。オーガニックで高品位なものを求め始めるとどうしても基準を普通のものに近づけてそれをオーガニックと謳う薄っぺらさが出てきてしまう。

日本の国というのは昔のほうが捨てるものも少なくエコだったような気がする。環境関係の先生からすれば昔は無茶苦茶だったというけども、それは日本が海外のものまでをつくる側であって、それが今、日本が海外でモノを作らせる側となって、生産量は何十分の1になってしまったというだけの部分も大きい。

次に、生産に水をたくさんつかう問題にしても、これは規制基準を満たすためにはどこの国でもしかたないあたり、染色なんかで堅牢度を上げようとすると水洗が必要で、大量の水を使う必要がある。また排水も、何PPM以下に薄めないと環境基準をクリアできないから、大量の水を使うのである。どこかの国の皮の染色現場の様子、それぞれの色ごとに小さな棚田のような池が100くらいあってそこにつけて染めるみたいな状態。それは、ある意味、多くの観点において理想的でそこから外に害を広げないという意味ではよいのだけど、逆にそれそのものは土壌汚染、地下水汚染など一番の問題だったりする。日本だとまったく許されない染色スタイルだろう。

ほかにも、コットン栽培の農薬の使用の問題がオーガニックの世界では問題視され、枯葉剤や農薬不使用のオーガニックコットンの基準ができるとなにが起こったかというと、従来の自然農法的なオーガニックコットン栽培が激減させ、害虫の少ない、乾燥した場所、すなわち本来は生物が育つのに適さない砂漠のような場所でのオーガニックコットン栽培が主流となってきた。地下水をくみ上げて水を供給する大量の水を消費するオーガニックコットンが、地盤沈下や飲み水の渇枯をもたらす環境問題を生んでしまう。エコな基準が地球環境破壊につながるというあべこべな問題。同じく、CO2問題での原発推進も同じことで、オーガニックとかエコを語るときに、オーガニックとかエコの本質がみえなくなっては、オーガニックやエコも逆に地球環境破壊につながる。

国連の環境チームがが会議などして基準をつくって、日本の環境庁が動いているみたいだけど、CO2問題の時のように原発推進するような愚かなことを考えないでほしいなあと思えたりするところ。日本なんてもう生産をしているのかしていないのかわからない規模にまで落ちていて今の基準でも環境負荷も小さい。言うは易し行うは難しで、言うだけのひとが偉そうに良いことをしているみたいでも、実際に行う人間がその苦労を背負い込み解決して立つことも難しいふらふらの状態で成り立たせているだけのこと、ぜんぜんエシカルでもない話。また、基準をどんどんと遊びのように上げてゆくから、結局、スクラップアンドビルトな浪費モデルだったり、クリーンディーゼルのような悪質な消費者だまし企業が生き残るとか、10社やっているところが基準のふるいに掛けられ5社になり2社になるとか、今まで8社が消えてしまわないとならないような基準だったりして、自分が生きてゆくための地道に働く環境すらも締め上げられて、エシカル?環境?

エシカルなことというのは、本来、自分が考えてゆくことであって、誰かに従っていれば安心という問題でもない。エシカルナことを謳う人でもやはり、ビジネスとして成り立たなければ無理だというレベルが根底にはあったりする。私の立ち位置は別で、普通の仕事は仕事で、エシカルナことはエシカルナことでエシカルナことは持ち出しか、ほかの利益を回してするのもありじゃないかと思う。日本で一番大きなオーガニックコットンの協会も、実際に中身は、前理事長が理事長のときに電話でお話すると、「エシカルナことが面倒なんですよ」とか、「国際会議でなまった英語をきいてると眠いんですよ」、「偽装はやった企業の責任で私とは関係がありません」、みたいなのがその前理事長の口からでてくる本音、単に消費者を食い物にするビジネスモデルなのかで、謳いを信じている消費者が気の毒すぎる。若い人に理事長を譲られたようだが正していってほしい。
2019年11月29日
ミナミヌマエビも冬になって水温も下がって動きが不活発。夏に大量繁殖したミナミヌマエビの稚エビも大きくなって、数が減ってしまったが赤いミナミヌマエビも3cmくらいになって、メダカとなんか魚もまだいる水槽。

マツモが大変な勢いで水槽を埋め尽くし、オオカナダモが大きくなりすぎて、自然界を凝縮したような林与の大型タライ。餌も週に1回くらいに少なめにして、水が汚れるのを防ぎながら、自然の餌で育成中。

自然に繁殖しているうちはあまり触らないほうがよいのが分かってから自然に繁殖するようになった。やっかいなのは、たぶん、ヤゴが自然発生してしまっていること。たぶん、ヤゴがエビを食べてしまうのだろう。小さなエビが少なめな状況が続いている。ヤゴを見つけては網ですくって外の川に逃がす。

たぶん、何か足りない要素があるとは思う。水が濁り気味。エア、ろ過装置は自然繁殖を試みているために停止中。それでも、たぶん、ミナミヌマエビ大小混ぜて、1000匹以上くらいは100Lの中にいると思う。水温もまだ10度以下になっていないけど、もうすぐヒーターが必要になるかもしれない。

ミナミヌマエビを捕った、一つの農業用水は枯れてしまって、たぶん、今はゼロ。もう一つの水流の絶えない場所も4か月くらい放置なので、また捕れるかな。でも、捕るのが本来の目的ではなく、自分が水や自然のことを考えたいからミナミヌマエビを育てている。
2019年11月24日
今日は、自治会のゴミ拾いと水路の掃除。急ぐ仕事があるので朝6時に仕事を切り上げて、6時から軽トラの後ろにシートを用意して7時からゴミ拾い、30分で終わる、その後水路の掃除も30分。私は軽トラで泥を運ぶ担当なのだが、ほかの区はまだ泥上げ作業中。まあ、せっかく参加してやってるのだから、ほかの区の泥も片付けてしまおうと、5区、4区の泥を積み込む。

その後、ごみ処理所に泥をもって行って軽トラを洗って解散。普通の軽トラの2倍以上の泥の量、どうせ時間使うなら覚悟決めて思い切りやったほうがよい。消防の班長だろう20代の前田くんが一人、50から70歳の中に入って積極的に動いてくれる。立派だなあと思うし、大人は手本にならないとと思う。

11時くらいには終わっただろうか、体力的にはそれほどでもない。また、織らないといけない仕事に戻って夕方まで織って夕方から出荷。8時に出荷作業が終わって夜中まで眠って、月曜日の朝9時に社員の女の子と交代して昼間で休む。機械が調子よく動いて、順調に織れた2日間。
2019年11月23日
今日仕事終わって、土曜日だよねという話してたら、今日が勤労感謝の日で祝日だということ。林与の場合、日曜日はスタッフは休みだけど、祝日は関係なく基本仕事しているので忘れてしまっていることが多い。昨日は、夜出荷で朝まで一人工場で織ってスタッフと交代でお昼まで休み、午後に2回ほど織機のトラブルで、夕方から活動開始。

世の中の労働時間が減ると逆に経営者はそのぶん労働しないといけなくなって働く時間は増える。大企業だと経営者は会議だけして働かないし、企業をつぶしても退任すれば終わりというだけの大臣や国会議員程度の責任感で済む。そいう人っていてもいなくても同じレベルというか、いると企業や国が傾く。働いていないから働く苦労がよくわかっていないとか、責任逃れが当たり前だから口だけがほとんど。働く時間が短くなって国際競争のなか、国民は困る流れになってもその愚作の面倒を見させられるのが国民というのも悲しい話。

勤労感謝の日は、昭和の時代の響き。悪いものとされる労働観が広がる中でそのうち名前も変わったほうが自然に思えたりもする。昔ゆとり教育が施されて、子供の教育がどうしようもなくなったと、今度は手のひら返したようにゆとり教育否定とかと同じ流れになるのか、子供のことは法律じゃないから軌道修正が用意だが、大人のことは法律で定められてしまうと、成り立たないことでも法律で成り立ってしまう結果、まともなことがまともでないと否定されたりもする。

労働基準監督官が、架空の質問だが、たとえば、労働基準監督官であるあなたが仕事さぼって外で一日中たばこをすっていて首にされたら労働基準監督署を訴えますか、という私の質問に。「訴えますよ」、というのが今の労働基準監督署の監督官の答え。そんなのに指導されてしまったらどこの企業でも終わりだろう。1日のアルバイトの学生でも、まともに働く想定があるのが当たり前だろうが、労働基準監督官が一日中さぼって外でタバコ吸っていて首になったら労働基準監督署を訴えるとかいう話。法律からしてまともじゃなくなっている話。まだ、霞が関の厚生労働省の役人たちはこういう話しても、まだまともだが、末端の労働基準監督官あたりは、悪徳奉行レベルでまともな企業経営を貶める。

この想定話は、一日中外でタバコ吸ってさぼっている労働基準監督官に税金から給料が払われているという問題を指摘している部分もあるが、それも見えず、さぼって給料泥棒そのものの想定話でも、労働基準監督官レベルだとさぼって給料泥棒そのものに対してもなんの罪悪感もないのが、やばすぎる。こんな指導聞いて大人たちが正しいと信じて、仕事しないでさぼるの当たり前だろうなあと思う。結局、そういう人はやめてもらう話になるんだから、そのさぼっている人のためにも行政が緊張感を持たせる正しい指導は必要である。まあ、労働基準監督官にしても自分可愛さで、その労働者のことなどどうでもよいからそんな指導になるんだろうけど。本気で労働者のこと考えていればそこまでひどいと突き放してやめてもらわないとね。

昔、大阪のコンピュータソフトウェアの会社にいたときにも、新しい人が休憩所でタバコ休憩、ほかの部長や課長もそういう法律意識してなにもいわないが、社長たまたま登場して、新しい人たちに注意、新しいものは社長の顔も知らずに誰が偉そうに注意しているで、社長と新人の喧嘩。社長はその人を即日クビだけど、普通の神経もっているならクビになっても当たり前。他にも前にも書いたことあるけど、大手のコンピュータ製造の現場で働いたとき、前に部署の上の人だった人が、たまたま、休憩時間が同じになって、私たちの45分の休憩を15分休憩と勘違いして、その人が私たちに30分以上休憩していると注意。その人はたんに勘違いしただけで、私は立派な人だなあと思った。その人の周りに何人かいたので、冗談でも言い返すとその人が気の毒。その時、私はサポっていたと思われたままだろうけど、私はその人の注意してくれるような人格を信用しているから、普通の人は逆におかしいと思っていてもいろんなことにビビッて注意もしないだろう。それは管理する側としては仕事もできていない駄目な話。勘違いしたかもしれないが、それは私たちのために言ったこと。正しいを守るは周りも協力しないと駄目だろうと思うが、なかなか大人社会は正しくない文句言いのほうが強いから。
2019年11月22日
加工工場に投入で大きな問題が昨日発生した。加工工場が生産時期に入ってリフトなどの出入りが激しく、遠い駐車場所から反物を2反抱えて運び込もうとしたときに、生地がツルッと滑って、上の1反が地面にかすって、反物の折り目が汚れてしまった。

いままでこんな失敗はしたことがなく、どうしたものか、加工工場の会長さんに相談。石鹸で洗って投入し直してほしいという話に、親切にもよく落ちる石鹸を貸してもらえるという話で、会長さんが現場にある石鹸を探してくださるが当たらない。高い石鹸で終わったら返してや、というお話。

多分、もう手に入らない石鹸かなと思って、事務所で少しあった石鹸を見て、林与が昔近江上布のときに使ってたマルセル石鹸と同じ感じで、それで良いということ。今のマルセル石鹸は蛍光剤が入っているそうで使うと問題が出るそう。与一爺さんが、オイルショックのときに、もう手に入らなくなるとたくさん買い占め残っていて、林与の広幅絣織物プロジェクトでは活躍するだろうと思っている。

私もこれは古くても貴重なものなので処分しないで倉庫に取っておいた。時々、会社でも布を洗ったりするのに使う。子供のころも、その石鹸があまりに色も濃い目のベージュで大きくてオシャレじゃないので、うちはなんて貧乏なんだと思ってたけども、近江上布に使う手績み糸をトン単位で買い占めたような与一爺さんだから、相当な覚悟でマルセル石鹸も買ったんだろう。

水で洗えば落ちると思っていたが、やはり油的なものも水たまりにはあるのか、石鹸を使わないときれいには落ちない。石鹸を付けて指で撫でるように汚れを落とすときれいに落ちた。古いものだが本当に良いものなので今も使える。そういうマルセル石鹸で、昔、林与の近江上布の絣も洗われた。

今は業務用というと安いイメージがあるかもしれないが、昔の業務用というのは市販品と比べると、品質が高く値段も高いというのが普通。今も、林与の工場の手を洗うところには、ベージュのマルセル石鹸の塊があったりする。もう手には入らないだろう昔のオイルショックの名残のマルセル石鹸。
2019年11月21日
どんな仕事でも同じだなあと思えたりすることは多い、コンピュータのプログラミングの仕事も布を織る仕事も似たような要素はある。コンピュータのハードウェアをつくるのも同じで、同じような要素がある。

コンピュータプログラミングやコンピュータのハードウェアをつくる現場よりも、繊維関係の現場は間口が広く、仕事さえ責任感を持ってできる人なら、能力云々よりも仕事する気持ち次第のところ。本来はそういうあたりを大事にしないとと思うが、仕事といえばひとくくりに能力や生産性みたいな話になる。

私はまったくそういうのと違う割り切らないタイプなので、繊維だけでなく色んな仕事に向いているんだろうと思う。そういう意味では仕事だから最後正しいものができないとと思う気持ちは強い。問題があっても問題解決に時間とか集中力とかは最大限に使う。時間があれば何がしたいかというと仕事を落ち着いてできればなあと思うことが多い。

入って半年の女の子が私をいろいろと手伝ってくれ、私がやっていることの8割を補完してくれる。本来だと経験の長い人間がそういうのできないといけないのだろうけど、経験者というのはどうしてもできることの範囲が狭いことのほうが多いし、できる仕事でもやりたがらないが多かったりするものである。何十年やっていても面倒を見てもらう側というのは他の人の面倒を見る側になることはなかなか難しい。

シャトルの経験のある何十年の経験者でもシャトルは怖いわあで、結局、織物が初めての素人が1週間、2週間で何十年の経験者を超えて、当たり前にシャトル織機を動かすとかが解決方法。日本の織物業界でほんとうによくありがちな話。経験者が簡単な仕事も難しいような対応では仕事を用意することも難しいのであるが、それでいて自分がいなかったら仕事が成り立たないと思っていたりするのも直すのが難しいあたり。結局、子供のころから知っている親戚のおっちゃんだったが、できる仕事が本当に少なく、会社に来ても3分の2の時間外でタバコ吸っていて、布をたたむ仕事も嫌がるので、やめてもらうことになってしまうのが非常に残念ではあったが仕方ない。

考え方の違いや、性格や人生観だろうから、仕事に向かない人が仕事しようとしてもそれは成り立たないのが普通。唯一方法があるとしたら、それはその人にプレッシャーが掛かるような状況をつくること、でも、そこまでして本人が嫌がる仕事をしてもらうことはしたくない。そういうのも、林与の酒を飲むのが仕事みたいな先代の大きな失敗の一つである。林与の別れで、織物工場やってた80超えたおっちゃんに対しても、私が情けを掛けて対応もしているのに、勘違いして食い物にしようとするような横柄な態度に、私が怒鳴ってたしなめる話。もっと、早くそういう駄目な年配者たちのどうしようもないを軌道修正するように、周りももちあげてばかりいないでいわないと勘違いな横柄さが加速する。

普通は年寄り相手に若者は出てゆくのだろうけど、その程度のどうしようもないに負けていては、繊維の仕事なんてできないだろうから、年配者であろうが、人付き合いで人として歪んで横柄になればそれは駄目だときっぱりといったり、見切りを付けないとアカンだろうなあと思う。最後そういう人の問題を片付けるのは大変なことだから。林与の先代でも酒に関しては一番のあかんたれだったが、亡くなってようやく集落でも酒の付き合いみたいなのが変わったと思う。先日の文化祭でもビールなど振る舞われなくなった。先代がいたらビール飲んで大人が自分たちが楽しむのに一生懸命で、それが問題だとは思わないだろう。

お酒を一滴も飲めないタイプの堅物のおっちゃんを、自分の妹との結婚を期に、1升瓶を30分で飲んでしまう人に変えてしまったのが林与の先代。おばちゃんも、おっちゃんの息子さんも迷惑していると思う。林与にしてもそういうのでは将来がないのも当たり前、先代は本当に酒に弱く、周りまでも駄目にしてしまった。私の住んでいる東円堂東が高齢化率が45%とか、特に私のいる2区は、80%とか超えているだろう。先代のような毒な人間がいると周りまでも毒されて過疎化するのもあたりまえで、その先代の残した問題も大きすぎて普通の人だと逃げ出す話。集落の他のだれも解決できないようなありえない問題を解決してゆくのも私の仕事の一つで、だから、私は誰と話ししてもそれ以上のものを乗り越えて生きているので、文句も言わないでほしいと思う。

東円堂のような農村で与一じいさんもすごく厳しい人で、上着の内ポケットからはウィスキーのボトルが出てくるようなアル中だったという話だが、それでも村中の家に近江上布を織る仕事で、当時の子供達が生活に困ることもなく、大学まで行けるような環境を東円堂にもたらし、60代、70代の人たちは、公務員になったり、大手企業の管理職だったりと、林与の織物が携わった人々にチャンスをもたらし、東円堂は恵まれた村で、祭りとかも楽しめる余裕があった。

林与が今も集落の年配の人と話すとヨジヨモンさんの家の方かといわれるのもそのあたり、先代で風向きが変わって行きはよいよい帰りは怖い繊維の世界。先代も1970年代の空前の麻ブームをつくったが、その後はどんどんと小さくなって、すべてが上手く行かなくなる話で、最後は昔のよい時代の感覚で仕事すれば1回何100万とか消えてゆく話。人付き合いを重んじる得意先が何百万考えて仕事くれても、それが一瞬で消えてしまうような経営。自分が手を動かして仕事もしないのが一番ダメで、私が先代の問題を解決するために寝ないで仕事していても、酒のんでテレビ見ながらワシがするのか?に呆れ、何十年の経験があっても小学生や中学生のほうが苦労して生きているような、偉そうに毒だけバラまく良い時代のダメ人間の典型。

行事なんかでも酒を飲んでもらって若いものをもてなすじゃなく、酒のまして潰せみたいな流れには、本来飲めない体質の私が絶対に逃げないで受けて立ってきた。私は若いものに酒を勧めても強制したりはしない。行事なんかでも同じで強制してまでするほどの行事があるのかという問題。行事にしてもみんなが楽しめなければとか意義を感じられなければあえてやる意味も続ける意味もないだろう。酒飲みで商売を傾けた先代や水商売でもない手間隙を大事にしないと行けない繊維業界が飲み食いに明け暮れ、次の世代にその解決を投げるのは日本のだらしない行政と同じで、小学生や中学生のほうが、偉そうにしている大人よりもまともに生きているのが今の日本。

酒なんて楽しく飲まなければ毒だというだけのこと。酒のんで見下してとか説教なんてやるやつはそういう人だけで飲んでればよいだろう、説教しているやつが説教されないとならない人間だったりすることが私の経験上ほとんど。酒を飲むことのすべてが悪い訳でもなく相手をもてなす気持ちをもって酒を勧めるべきだろうが、酒癖の悪い輩は酒を変な風に使ってしまう。酒飲みや酒をふるまうものがなぜ評価されたかというと、酒というものは高価なもので飲みたくても飲めない人も多かったというあたり、身銭を捨てて人をもてなすからそういう人間が評価されたのである。酒を自由に飲める人というのはしっかりと成功した人だったというあたり。酒にしても安くなってそれをたくさん飲めるというのを自慢したところで、目も当てられない自滅タイプがほとんど、そういう自滅タイプが仲間を増やして勢いづくと見捨てたほうがよい話。大手SPAは安物だとバカにされながらも、そういうところがまともだから酒におぼれたり傲慢だったりの爺ども10年、20年で超えていった。

一番勢いがあったものたちが、流れが変われば、いつのまにか一番疎まれてしまうものたちになってしまうのも、その流れがみえないとかついてゆけないとか我流だから。我流は我流で自分たちで貫いて成り立たせて解決してゆければよいのだが、自分がやらず人にやらせるのが仕事みたいな生き方だと手本にもならず疎まれるだけの存在。若い学生の人とかでも自分の思っていることを人にやってもらうというような立場にあこがれていることが多いのと同じで、年取った人間が若い学生のような甘い考えでは日本社会の年功序列的な考えに甘えて若い人の手本にもならない経験者が溢れたりする。私は剣道やってたので、50歳60歳の人でも仕事終わってから子供たちに剣道を教え、しかも中学生や高校生にも精神面、体力面で負けない手本となるような先生方に恵まれて育った。自分が社会に出た時に、そういう方というのは他の面倒くさがって逃げたりばかりしている大人の人と比べると卓越していて、本当に立派な先生方だったんだなあと思う。

私も仕事に携わったときに、自分から率先して仕事をどんどんと進めて行ける方に仕事を自分がやってゆく姿勢を教えてもらった。一緒に仕事していて仕事というのはこういう風にするのだなあというのを一緒に仕事しているだけで身につく、多くの人が仕事が面倒だとか嫌だとか分からないみたいなことばかりだったのに、仕事に対する姿勢というより人生観としてやはり人が出来ておらられたんだろうと思う。作業を率先して自分からどんどんとできる人というのは本当に稀な人でまさに仕事ができる人。
2019年11月20日
今日は朝からストール関連の出荷の準備、プリント工場への出荷。このプリント工場は前の社長さんにお世話になった工場で、2回しかお会いしたことはないけどもものづくりに思いをもっておられ、プリント工場というのはペンキ屋だと就職したい学生には説明すると行って居られた。

美術、芸術系の学生さんを塾生として募集され出入りが多く、若い人で活気があった。非常に羨ましく思っていたのが懐かしい。その社長も2年ほど前に亡くなられて、バイタリティのあった会社であるだけに、その後が心配ではあったが新しい社長が切り盛りされている。

前の社長には、工場の中を見せていただいたが、ビルの中に作業現場が詰まっていて、作業の塊のような工場。いろんな設備を持って、前社長は私は理系で美術的なことは苦手なんで他の人に任せてあるという話で、プリントというのは薬剤など化学式に長けていないと新しい技術に対応してゆくのは難しいんだろうなあと思った。

最新のフラットベッドのインクジェットを取り入れられていて、私もその最新のフラットベッドで仕事をしていただいた。インクジェットというのは色の再現性など、普通のプリンタと同じように苦労があるようで、かなり濃度などに差が出てくるので自分の会社の問題ではない、機械会社の問題を解決されているようなあたりが大変だろうなあと思った。

プリント工場にしてもほんと一発勝負の世界。お客さんが投入した生地に一回で正しくプリントできなければ大問題。アパレルではサンプルズバりでないとなかなか納得してもらえず、納品が難しくなることが多い。人の出入りの多い会社というのは、作業する人が1年後には変わっていることも多いので、同じ手、同じ目での判断でものが作れるとは限らないので、その度その度、サンプルと比べて色を合わせるという作業、それが一回でどこまでうまくできるのかという一発勝負。何百万のリスクのある話で、書道や絵画の失敗とは比べ物にならないくらいに、やり直しが効かないデータ重視な仕事。林与の織物も失敗したときに後戻りがしにくいのでそのあたりが同様に難しい部分ではある。

慎重な指図を生地に添えて失敗リスクが少しでも少なくなるように願いながら出荷した。次に、他の生地の出荷の準備。こちらも急いでいる仕事でシャトル織りの仕事。修正作業に時間がかかりすぎるくらいに織るのと同じくらいに時間が掛かる。
2019年11月19日
12月25日から1月7日までの2週間のうち10日以上、インターンとして職場経験したい現役の学生向けのインターンです。作業内容は全般で、1名から最大で2名まで限定でのインターンです。予定では、通常の作業の習得的なことのほか、糸からシャトル織機で織りあげるところまでを2週間でできるようになってもらえたらと考えています。(履歴書など書類選考と機結びを覚えてから来ていただく必要あります。詳細はお尋ねください。未成年の方は基本応募不可ですが、保護者の同意があれば可能です。)寒い時期なので、寒い現場での作業我慢できる人限定です。

社会人インターンも受けますが、インターンされる方の滞在費や食費負担など自己負担的な要素が学生インターン以上で厳し目にはなります。授業料のかからない織物教室レベルだと考えてください。社会人ですので2周間で最低は糸から織物までを修得するのが最低のボーダーで、学生さんができるあたりかもしれませんが、サラリーマン的な感覚だとなかなか難しいあたりになります。

内容的には、糸が手元にあって、それを分割するような一般に言われるところの準備工程作業、して整竪作業、経糸を繋いで織って、織物をつくる製織作業、多分2週間では難しいですが、自分の作った反物いがいになるだろうとおもいますが、検反や修正の作業が含まれます。手織りの世界だと当たり前の作業で、それを広い幅で工業的にするので多分、手織り以上に気を使わないと行けない部分あり、手織りを経験されてなかなか食べてゆくのが難しいレベルの方が、実際に繊維の業界で食べていくような正確さとスピードを身に着けてもらうような実習になり、ハードルは高くなり、環境もあって糸を与えられたときに自分自身がどこまで布を形つくれるかというような実習で、数日で糸から布までを2週刊かけて糸から布までで普通に食べていけるような実践的なレベルを想定していまして、2週間という自分の時間を一つの布を作るため、また、作れなかったとしても無駄にする覚悟もできている社会人限定になります。

織物の業界で食べておられる方にでも林与なスタイルのなんでもありな自分が自分で織物をつくるだけがすべてみたいな世界ですので、2周間で業界の何十年のプロを超えた世界を自分の中に目指し経験したい繊維のプロを目指す社会人向けで、後継者レベルの方などでも受け入れ織物の事の指導は可能です。
2019年11月15日
FOREVER21の閉店で思って、ものづくりのセンスだけども。立地のよい条件につくって観光客相手のおみやげ物商売的な戦略で、デザインもロゴだとかキャラクターだとか、そのもの自体のデザインよりも、ほかの要素を狙って売れないかという模索。東京に観光に来た人が東京と書いたTシャツを買う可能性がないわけではない、オリンピックに来た人はオリンピックのTシャツを買うだろう。

今日、産業用の素材のデザインに関して、日本製と海外製の違いは何なのかというあたりの優位な違いを答えを聞いた気がした。産業界でも日本製品に日本の生地が使われるのは、メーカーが希望する生地を細かく実現しようとするのは日本人だからというところ。海外企業がそんなお客さんの細かいことに対応しようとはしないというあたり。

日本のデザイナーと海外のデザイナーとの違いというか、日本のものづくりと海外のものづくりの違い。よくダビデ像のような話があるが海外のデザイナーというのは自分を譲らない。日本のものづくりというのは良い感じのものであってもお客さんがそうしてくれといえば趣味の範囲で済むなら自分のバランス感を崩してでもお客さんの良いと思うバランス感に対応する。デザイナーさんの言うとおりにつくっても出来上がったものは良くないことのほうが多かったりする。そこでやり直すことになり倍の費用が掛かる話になる。また海外のプリントなどが、柄の色を変更したりできないのは、プリントして積んでしまっていることもあるが、著作権の問題、プリント柄をプリント柄の会社から購入してその柄版権をもっているので、拡大や縮小以外には色柄の変更を許されていないからという理由だったりする。

ある意味、スターバックスコーヒーは、海外事情を反映してセミカスタムオーダーのスタイルで成長をした。マクドナルドのコーヒーは100円、スターバックスのコーヒーはレギュラーでも2倍くらいあるだろうが600円、違いは、豆だけでなく、自己満足が買えるのである。買うのはコーヒーではなく自己満足なのかもしれない。食べ物やコーヒーにそれほどのこだわりがない私からするとどちらでも同じだったりする。冷たい水でもよいかもしれない。
2019年11月12日
20年以上前からどうすればよいのかわからないプログラミングの問題が昨日の夜、解決方法が見つかった感じ。コンピュータの性能が上がれば上がるほどこの方法が生きてくる。20年前は無理だったことが、コンピュータのメモリの増大とスピードのおかげで素直なロジックで解決できるようになっていたことが分かった。

プログラミング言語も人間が作るものだから仕様があるが、それに関する情報があまり手に入りにくい。自分で探って自分で答えを見つけるしかない。縦か横が32分の1よりも、小さい四角は描いても、一つのドットとしては描かれないということが分かったことで自分の中で多くのことが解決をした。言語の仕様がどのようなものであるかのあいまいさがはっきりしたことで、自分の書いたプログラムコードのどこが問題なのかがよくわかった。

織物の仕事をしていても同じように思うことが多い、プログラミングの仕事と織物の仕事はよく似ているなあと思うのである。違いは、プログラミングの仕事は出来上がったソフトはコピーして複製ができること。織物の仕事は量産においても、一つ一つ、1m1mに時間とお金が掛かることだろうか。限界があるのである。

そして昨日の夜から、今日に掛けてほかにも幾つかの問題を解決した。ソーラーパネルを使ってモバイルバッテリーに充電しながらろ過装置がうまく働くか試してうまくいったり、重いビームをどうやって移動するかの問題を解決出来たり、迷っていた問題が実際にやってみたことで解決できた。
2019年11月11日
銀塩カメラは現像するのが当たり前だったが、デジカメも昔はプリントアウトするとか目的の一つだったが、携帯電話のようにメモ代わりに取ってデータを確認するとかプリントアウトしなくなると、あの大きな図体は必要なくなるのだろう。

夏祭りの写真も携帯で撮ったらよい話をすると笑われたけど、携帯電話のほうがくっきりや手振れ防止などあってきれいに撮れたりすることも多いだろう。慣れてる携帯のほうがデータもすぐに確認しやすいし、携帯のほうがガジェットとしては進化が速いものである。デジカメが7割8割減少というのも、時計が減少したのと同じことだろう。また、パソコンの販売も減少をしているから。計算機も同じく売れない。カレンダーも予定やメモとかも、スマホに一元化できたほうが煩わしさがなくなってきている。

ハードウェアというものがそれほど重要なものじゃなくなってソフトウェアのほうが大事になってきた。ハードウェアの進化の限界を感じるのもそのあたりで、5万円の4Kノートパソコン買った見たら私の若いころからの何十年の願望が消えてしまった、これ以上はもう進化しても私の目でもついて行かない。画質落としてFHD画像で妥協するみたいなあたり。あとは1万円で手に入ってバッテリーが8時間くらいもつレッツノートSXが5台もあれば仕事用途に分けて使っても十分だろうと思う。

情報が手に入りやすくなったのでその情報をどうやって取り出しやすくするのかというあたりになってきているんだろう。バッテリーの問題はつきまとう、1日24時間いつでも電源が入ってさぎょうできるように、バッテリーアダプタは10本くらい、4Kノート用のバッテリーアダプタも10本くらい手に入れた。工場、事務所、家、部屋、いろんな場所で充電が可能な体制が、何十年ぶりに整った。
2019年11月10日
最近ノートパソコン用のモバイルバッテリーを2種類手に入れた。どちらも1万円ちょっとくらいのものなのだが、最初のは容量が小さくて、ノートパソコン1回分充電するのが苦しいくらいなので、携帯電話充電用に使うことにして。もう一つ2.5倍の容量のノートパソコン用のバッテリーを手に入れた。外に出るときに電源を心配する必要がないのと、移動中にノートパソコンの充電ができていることが非常にありがたい。会議なんかに行ってもいつでもノートパソコンがフルに使えるというのは余計なことを心配せずに会議の内容に集中ができる。バッテリーを気にしなくてよいと長い会議でも作業中のパソコンをそのままにしておくことができるので作業効率も上がる。

工場の中で織物の仕事をしながらでもパソコン作業ができる感じになった。たぶん、流れ的には今まで帳面でやっていた情報もノートパソコンで確認ができるように取り込んでいくことになっていくだろう。

もう一つ、これはポータブル電源と呼ぶべきなのだろうけど、車のバッテリーくらいの大型のバッテリーが2つ届いた。こちらは麻の布を使ったろ過装置に使うためのもので、100vや12vの電源がとれ、容量は700wクラス(通常の携帯電話用のモバイルバッテリーの10倍くらい)。バッテリーの持ちを確認するために、100v18WのLED蛍光灯をつけてみると1日以上持つ、12vの水中ポンプなら24時間つかえそう。大きな容量のタイプにして正解であった。これを太陽光パネルと連動させて、24時間ろ過装置を太陽光で発電し蓄電しながら動かそうというのが、今回のろ過装置のシステムなのである。

まずは単純な構造で、2タイプ考えていて、袋式と、多層式のバージョン。次に一般的なろ過システムのタイプで、砂や砂利、小石、濾材、活性炭などを使ったタイプを考えている。活性炭が魚などにとって良いものかどうかは未知数なところがあって、魚などを気にする人は鉱物性の活性炭は避ける人もいて濾材で代用するようである。ヤシ炭や竹炭活性炭などの活用も粒子の細かい活性炭ならよいだろうが、活性炭というのは本格的な再処理業者に頼まないと再利用が難しいなど、それ自体がゴミとなる可能性が高い。

基本、砂利や小石は洗えば再利用が可能である。麻布も同様に洗えば再利用が可能となる。麻布だけでも簡易的な実験ではかなり水を綺麗にしてくれる。なるべく、再利用できるような形のエコなろ過システムを作りたいと考えている。今、流行りの池の水を抜いての作業というのは生物環境にとってはあまり好ましくないのではないかと思ったりもする。その回数を少なくする意味でもエコなろ過装置が活躍すればよいだろうと思っている。

どうしても池というのは、コイなどの糞などがそこにたまって分解されても藻などが発生してしまうので、それが水を濁す。鯉にとってはその濁っている程度が住みやすい環境なのだろうけども、なかなか観賞用の池や水槽ではそれは問題となる。本来なら池の中でプランクトンが発生して、ボウフラなども金魚や鯉の餌となる、小さな生物が魚以外にも生きてゆけるような環境が必要なのだろうが、それが人間社会の衛生問題とぶつかる。人間が餌をあげないと魚が死んでしまうというのは自然環境ではないが、漁師さんでもなければ、人が動物と接する環境はほとんどがそのような環境に陥りつつある。

琵琶湖に流れ込む河川のアユもモロコも、放流されるから小鮎を川で見かけたりモロコが川にいたりするだけのこと。工業や宅地開発だけでなく、農業の発達も、自然に対する負荷は大きいものがある。林与の麻織物の世界というのも小さなものだがその分環境負荷は小さいだろうと思っている。ものを長く愛用するということは環境的には良いことだと思う。天然繊維は完ぺきではないから、自然に優しい。だから長く使うと味が出てくるし堅牢に染めようが色が落ちたりもするし、汚れたりもする。でも染め直したりして愛用するのもよいんじゃないかと。
2019年11月09日
政府の推進しているキャッシュレス決済というのには、クレジット問題、つまり借金問題がつきまとう。また、個人情報の問題も絡む。国民を借金体質にするのがキャッシュレス化。サラ金からお金を借りるのと同じ金利15%問題がクレジット決済には付きまとう。そこが大事なポイントで、それがあるから国もキャッシュレス化を推進するのであり、業者と癒着した行政の体質。

繊維の世界というのも現金決済ではなく掛け売りというのがまだまだ多い。それがいわゆる商社機能の一つなのであり、そのために口座開設など仕事をする相手を選ぶ。ものづくりにおいては、お客さんがお金を用意して仕事を進める以外の場合には、お客さんに信用を与えてものづくりを進める。100万円の仕事を発注するお客さんがいるとして、ものづくりを進めるためにはそのお客さんを信用して最初に材料や加工賃、間接費用など、70万円、80万円使ってからの話で、自分の資金をつかうので資金面ではお客さんに70万円、80万円を貸すのと同じところから始まる。それを代わりに行うのが商社の機能なのであるが、実際にそういう側面はもうあまりうまく機能しなくなっている。

実際の商売が現金化の流れの中、一方で、消費者に対してはキャッシュレス化の流れ、これは中小零細企業が廃業の流れの中、個人に対して企業をさせようとするのと同じ流れ。金融業界では資産をもっている個人というのが次のターゲットとなってきていて、それが業者だけでなく国としての行政の方向性となってしまっているのが問題なところ。国道沿いにも新しいお店が新規オープン、3年で廃業していく新規ビジネスというのは資金が尽きたら終わり、商売なんてものは金を借りてまでするもんじゃないというのは、厳しかったといわれる與一じいさんの言葉。近江上布の世界を作り上げることができたのも価値を生み出す力があったから。

人のつながりが薄れると、現実的には、時代の流れは現金主義なのである。その現金主義をキャッシュレスに転じようとする背景には人を契約で支配しようとするような流れがある。政府がサラ金問題を放置し続けた昭和の時代、それが最高裁判決で是正されて、今度は政府と信販会社がその流れを呼び戻そうとしている。
2019年11月07日
私も早くにIBM互換機のWINDOWSを使うようになってしまっていたのだが、なんかつまらなさすぎる感があって、私が求めるものを出してきたのが無名の中国のパソコンメーカーで、私の使っている4kノートパソコンのメーカー名すらも知らない。しかしながら、これは昔のアップルと同じ世界なので、大事にしないといけないところ。中国で次のスティーブジョブズやボズニアックが、名前もしられずガレージのような場所でPCを作っているのだろうと思う。

アップルが動かなくなった時の再起動の爆弾マークは、今のアップルにはないかもしれない。25年前は、ワードやエクセルすら、フリーズばかりで、まともに動かないのもアップルの愛嬌だったのに、でも、True What you see is what you get というWYSING技術など、将来を見据えた無理があってフリーズもあってなのだ。同じことを後追いでマイクロソフトがやっただけというのは多くの見解で、WINDOWSと呼んでいるものも、マックシステムの真似物でしかないのはコンピュータ業界の笑い話の一つ。

アップルが他社にOSをライセンスしなかったことが結局は吉で、アップルが生き残る結果になった、一方でマイクロソフト帝国傘下に多くのメーカーが入った形。参加に入った多くのメーカーは大手であろうがモノづくりにおいてもはや自己主張もできない形。逆に小さなメーカーはまだまだ冒険心で、OSのバグをバグのままハードウェア開発を独自に続ける。OSというのは単なるパーツでしかないという感覚は大事で支配されては駄目なのである。

支配したいものがいるときに、支配されないことが大事で、対等に付き合うことが大事。逆に自分が相手を支配できるような立場であっても支配せずに対等に付き合うことが大事。アップルなんてプライバシーに対して、アメリカの国と戦っているから考え方自体が本物かもと思えたりもする。国の政治家ですらも政治が反転すれば、隠匿行為や犯罪行為が明るみになって投獄されるれべるの犯罪者がほとんどというのはどこの国でも普通にある事。汚くなりすぎた政治の下にあるようではポリシーを持った経営もできないというあたりに繋がるのだろう。

WINDOWS帝国は、マイクロソフトの一人勝ちだがだからその奴隷みたいな下のメーカーは正しい対応を強いられるということがあって、WINDOWSというのは成り立っているものである。マイクロソフトの勝手なOSの仕様の変更やバージョンアップに対応するメーカーというものは本当に大変だろうなあと思う。マイクロソフトの開発ソフトすらもバグもいつまでも治らなくまともに動かないことが多いのだから、そんなマイクロソフトのOSをベースにアプリやドライバーを用意して問題なく動くというのは奇跡でしかない話なのだが、メーカーもそれをまた委託で他の会社からの派遣チームに任せて解決させるような話で対応、だから、まだ解決する可能性があるのである。

結局、有名メーカーにおいても実質的な開発は社員でもない、無名の人達が数人でやってることも多いもの。アニメの世界でいうと日本のアニメは世界的にも有名だが、作者じゃなくて無名の人たちが底辺の仕事しているからあのような評価の高いアニメができるという話。他にできない世界というのはそんなあたりが本質なのである。私の人生にしても多様性の一つであって、画一化した目でみれば間違っているようにおもえるようなものだろうけども、画一化したときには、限界も目標も浅くなり能力すらも必要がないだろうし楽に逃げ、ほかの人が不幸になろうがどうでもよいとかのすさんだ世界が待ち受けてしまうんじゃないかと思う。それで食べていこうと考えるようになると今まで一生懸命やってた人でも人を食う側に回って終わりなんじゃないだろうか。でもそういう誘導をする人というのは多い。それは人生観の違いと割り切って、そういう人に関わらない別の世界を作る必要があると思う。
2019年11月05日
糸を繋ぐ機械はタイイングマシーンというが、その本体は40cm角くらいのものだが、タイイングマシーンの台はなんでこんなにでかいのと思うほど大きく普段は邪魔である。今日は整経が一つ終わったのでそれを繋ごうとしたけども、林与にはタイイングマシーンが合計4台あって台も4台分あるのだが、もう40年選手とかなので、タイイングマシーンよりも台のボルトの頭が壊れたりしていてヘキサレンチでうまく締めることができなくなってしまっている。

そこで、今日は思い切ってボルトの交換。知っているかぎりでは20年前からボルトの一つは壊れていたのを覚えているが部品にまで分解してみると、この部品がまだ手に入るのかどうかの問題、手に入れば2台復活できそうな感じ、とりあえず、2台とも同じ症状で、2台の3つのボルトが壊れている。これは困った、ダブル幅用の台のボルトを倉庫にみに行かねばと思いつつも今日は断念。また明日。

ほかにも、今日は、ビーム用のエレベーターがこの20年ほど壊れてしまっているので、ビームを担いで降ろす作業なのだが、リネンデニムなどのビームが重すぎて人力では無理。そこで、ホイストかウィンチか、チェーンブロックか使って、その問題が解決しないかと一休さん。階段を斜面にして、少しづつ調整を掛けながら台車に乗せたビームを斜面を滑らせて降ろす形。たぶんうまく行くだろうという目途が付いた。

ほかにも解決した問題がいろいろとあって、デジタル顕微鏡の使い勝手をよくするために、WIFIタイプのデジタル顕微鏡とタブレットで、布の修正作業ができるように考案とそれの実証。1000倍という謳いのデジタル顕微鏡だが、1mmが10cmくらいに見えるので、私の環境では、最大で100倍くらいがよいところか。モニタが10倍大きければ1000倍ということになるので嘘ではないけども、1000倍でみるためには、100インチくらいのモニターが必要になる。

100倍くらい高かったものが、今は100分の1で手に入ることが多い。そういうものをうまく織りものをつくることに活用すれば、面白いんじゃあないかなあと思える。先日も、滋賀県の東北部工業センターにテキスタイルプリンターが入っているけどまた使ったことがなかったので、今月末から来月頭に1日いろいろと試しに行く予定。どうやったらうまく一点ものと小ロット生産ができるのかというのが課題。技術的な問題もあったりはするのでその辺りどう解決をするのかというあたりも。
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