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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年09月13日
ヤフーがZOZOを買収することになって思ったことは、元気にみえるところでも成長が止まったときにあとは自分で小さくするのは難しいということ。最初、苦労してうまく行くようになって待遇を良くして行って、その名声や待遇にあこがれて集まっでそこからスタートの人も大勢になると、最初のような気分ではもう会社は回らなくなる。特に社長が美術品なんて買いだしたりすると上がればよいけども資金繰りが悪化したときに買い手をみつけることは難しいことが多い。

もう一つ思ったのが繊維の人ではなかったというあたり、まさに経営者という感覚での企業経営。そのタイプの人が引き際を間違うとプラスだったものがマイナスで続くことになる。引き際は大事で、その判断を持って引かれた形は良い判断だっただろうと思う。私もよく良い時代を経験した人は厳しい時代には適応が難しいということを書くが、良い時代を経験した社員を抱えて下降期に入ってまったく逆の価値観を持たないとならないような話がうまく行くのか。それは本当に難しい話だろうと思える。前澤氏が身を引いたのは正解ではなかったかと思う。

最悪はたとえば、いきなりzozoがなくなったりすると、zozoで売り上げを見込んでいた店子さんたちも困る話になるだろうから、今回の場合、営業は続ける形での買収。店子さんのことも考え、最悪の事態を回避しているあたりも経営者としてはしっかりとしていると思える。もし、zozoが最悪の事態に陥ったとしたら繊維不況を加速する要因になっただろう。まだ、受け皿があったのが幸いと思うしかない。
2019年09月12日
右肩の脱臼から3か月くらいなるだろうか、不安感を伴う痛みみたいなものは治まってだんだんと力作業に慣れていくリハビリ段階。普通の人くらいの力作業には戻っている。一部鬼の力が出ないとうまく行かない作業もあって、全体の作業スピードなどは例年よりもかなり遅目。肩を痛めたのが私だったからよいけども普通だと手術とか半年以上病院通いになるケース。右腕も上まで自分の意志で上げることができるようになり確実に治る方向に向いてきたのがありがたい。

いろんなことが詰まっても引き受けて無理をしていることも多いけど誰かが無理をすることで全体がうまく回ることも多い。逆にいうとたくさん人が集まっても集まっているだけだと問題だけが逆に増えていくことも多かったりするが、普通は、集まっていると安心してしまって外の世界に追い越されるとか取り残されてしまうことも多い。天下一品のお店の中にある、木村勉の言葉「正しい努力」みたいのがないとダメだろうと思うことは多い。

こういうブログも宗教家みたいなことを書いていることが多いけど、私は、考えているだけとか説いているだけではだめで、人を支える部分がないとダメだろうと思う。オリンピック選手を目指すスポーツ選手は普通のひとよりも何倍も体力もあるけども、自分の欲望的な名誉とかメダルしかみえずに、自分の体力を普通の仕事に生かすも一つの社会貢献ではないのかと思う。スポーツ選手というのはそれができない人が多く、オリンピック選手だった人が無職で普通の仕事もできないとか、毎朝何キロもジョギングはできても仕事で重いものを運ぶを面倒なことだと考えてしまうとかアンバランスに思うことは多い。
2019年09月11日
昔、知人の方がテレビでデザイナーがやってる機屋の動画をみたそうで、デザイナーの女性がストールを巻いて織機を動かしているような馬鹿なことしていると。最近、偶然、その動画であろうを見かけてしまって、みると、この方はイメージだけで、たぶん織機動かせないんだろうなあとすぐに感じてしまうのである。一見して、私は織機は分かりませんみたいな動画、その産地の女性でもちゃんと織機を動かしている人を知っているだけに残念過ぎるレベル。織物をつくる苦労をしって、産地や織物をプロモーションしてもらいたいなあと思う。

私が先代に対しても作業を嫌がって仕事ができるイメージでいたのが一番駄目だと思うところ。作業するのを馬鹿にしていたところもあって、実際に自分が仕事するといっても作業をしてもまともなものは一つも作れなかったのは非常に残念なことで、頭で他の人を使う無駄みたいなものを感じる。田舎の工場が大企業病といってもよいくらい、日本のものづくりの世界とは別の海外の経営者的なものづくり。小さな田舎企業が海外の大企業と同じような感覚だと海外のものづくりに追い抜かれてゆくのも仕方ないと思ったのがそこ。

大手SPAが売れるのは、なぜか、それは出来上がった売れそうな感じのものを選ぶセレクトブランドだから。ほんとそこ。大手SPAの人がものづくりに口挟んだら傾く流れになるだけのことで、ものづくり分かってる人たちがつくったものを選んでいるだけだからそれなりに問題も少なく売りやすい。逆に、大手SPAのテイストとアイデアをぶち込んで毎年新作なんてやるとまともなものを作れず不安定になる要素。大手SPAがリネンをやりだしたときにオーストリア産のリネンという謳い、その実態は当時から今までもつかめないでいるけど、かつてのオーストリア紡績企業が中国で生産していたとしたら成り立つような話ではないかと思う。突如現れたオーストリア紡績のリネン糸、2000年以降に安定して大量に手に入るとかが本当にありうる話だったのだろうか。アイリッシュリネン幻想も、林与がもう存在しないと結論付けた2008年ころまでつづいた幻想。

フレンチリネンの表記が、フランス産ベルギー産という表記になったのも、当たり前のこと。ファイバーの原産地は特定できても原料の原産地を特定することは難しいのが今のEU.自由貿易圏EUにおいては自由にものも人も動いてしまう。また、安定したリネン糸ををつくるためには、いろんな地域の原料を混ぜるのが手法の一つで大量生産のものほどそういう手法がとられるのが普通。フランスのファイバー工場であろうが、ヨーロッパ原料というあたりまでは限定できても、厳密な原産地まで歌うことができないのはそこ。オーガニックリネンに関してもその基準であり、ファイバーはヨーロッパ原料のオーガニック原料というところまで。

ある日本の大手のアパレルとのビジネスマッチングで、そのアパレルの麻素材を担当しておられる方がある紡績工場の糸はすべてフレンチリネンだと、その会社の冊子でも読んだ知識でだろうか、実際には中国原料も紡績しているし、フランス原料も、ベルギー原料も輸入していて、フレンチリネンだとは限定することは難しい。指定して糸を選ばないと中国原料を使用した糸も十分ありうるのである。そういう内情もしならないで大手のアパレルのリネン原料のアドバイザーでは、消費者が、謳われるものと違うものを買わされてしまうことになりかねない。大手アパレルの原料の謳いにしてもその程度のものであって、私がヨーロッパ原料の指定はできても、ベルギー産、フランス産の指定は難しいというのも現実的な話なのである。

オーガニックコットンなどでも、グローバルスタンダードという言葉自体が無理な話で、グローバルスタンダードという言葉の使用も偽装にあたるのではないかと心配をしている。偽装をなくすためには、そろそろ変更が必要ではないかと思うところ。各国の基準にゆだねられていて、基本的な肥料の三大要素である、N、P、Kに関してはインドでは使用に対して規制がないのである(自然の比率を著しく超えないことという制限がつくくらい)。インドで、遺伝子組み換えコットン農家や、コンベンショナルコットン農家が、オーガニックコットンに移行しやすいのも実はそこなのだ。普通に使われている化学肥料と呼ばれるものを使うことがインドの基準で許されている。日本の基準だとオーガニック偽装で犯罪レベルかもしれないが、大手の国際的な認証機関という存在がそういう偽装まがいのオブラートを生み出して、日本でもオーガニック栽培なんて難しいのに、水もない虫もいない砂漠のような不毛の地で、肥料の袋をあければN,P,Kのバランスの取れた豊かな土壌が形成される。日本に多く流れてくるインド産のオーガニックコットンはインドの基準に準拠して認定する国際的なオーガニック基準などはその程度のもの。日本で合成肥料(化学肥料)使って原料を栽培してオーガニック製品だとお縄ものだろうが、栽培国の基準で認可を受けて原料や糸、製品で入ってくると普通のN,P,K肥料使ったものがオーガニック製品で通ることになる。

当たり前のことだが、大量生産のオーガニックが天然の原料由来で育つのかという問題。しかも、オーガニックコットンが大量生産されるのは、機械で収穫される雨の降りにくい地域。ヨーロッパではクリーンディーゼル偽装で20年近くシェアを伸ばして、実際はディーセルの普通の排気を20年世界中で垂れないがしていたという現実。ヨーロッパでは現実のものづくりができなくなって認証とかラベルビジネスが横行、アイリッシュリネン幻想と同じで、実際にはないものまでもあるようにして金儲けするのが横行している。そしてそういうのに一番飛びつくのが日本の認証ビジネスや業者。私自身も実際に使う立場、消費者目線で厳しく監視する目で偽装の多いオーガニック認証に対して指摘する目をもっていないといけないと思っている。枯葉剤をつかった畑の画像をバックにオーガニックコットンを、オーガニック認証機関がプロモーションするレベルだから、日本オーガニックがどこまで本当なのかはやばすぎる。それを指摘もしても変わらない、役人レベルのだらしなさで、権威主義の人間がオーガニックを食い物にする構造はまったく駄目。

合成繊維が入っていてもオーガニックという認証ラベルをつけるような動きまであるほど、日本人だと偽装に思えるものが、ヨーロッパのゆるい国際基準ではオッケーということ。一般的にコットン製品をリネンと呼ぶこともヨーロッパではよくありがちな話。また、インドでは遺伝子組み換えやコンベンショナルコットンの種の使用も、オーガニックコットンの種子を手に入れる努力をしても難しいなら許されてしまうような基準。遺伝子組み換え農家やコンベンショナルコットン農家が移行するときに大事な種子すら自助努力目標程度の基準なのである。インドでのオーガニックの種がその程度の基準なので、国際認証機関がトレイさびりてぃを謳ったとしても、一番敵視している遺伝子組み換えコットンの種が使われてしまっている疑惑が起ころうが、製品で判別する技術は存在しないと責任逃れ。トレイサビリティによる証明なのだが、コンベンショナルコットンの種の使用も認めているのだから、コンベンショナルコットンにはトレイサビリティはない、インドでは多くが遺伝子組み換えコットン、すなわち遺伝子組み換えコットンが混じっているのが普通で、インドの国のオーガニックの基準として、オーガニックコットンの種を使うというのが努力目標である程度では排除できるようなものではない。
2019年09月10日
今回の消費税でもそうだが、分かりやすくしておけばよいのに、食品を除外するなどの例外をつくり、システムそのものを分かりにくくしてしまう問題。その裏には結局は利権が絡んでいるだけのこと。消費税値上げすらも、日本の大手企業であるところが輸出企業で、消費税を払わなくてよいという裏があって、10%に上がれば国と同じく消費税10%を手に入れることができる立場。国民が消費税負担を感じる一方で、消費税アップが収益になるものがいるから、消費税増税が叫ばれるのである。輸出に対する消費税免除をやめにすれば消費税値上げなんて叫ばれないのである。

ショウもない8%、10%区別して、結果、脱税という犯罪を生み出すようなシステムにして、ほんと愚すぎる政治家たち、自動車は自動運転とか推進して考えずに世の中が回るようにの方向にしつつ、普通の買い物ひとつをより複雑にして、消費税で儲かる連中のためにこんなに複雑な結果になって、消費税増税を推進している連中がちゃんと消費税を払えば解決するだけなのにと思う次第。国民が負担した分を国と同じように自分のポケットにいれることのできる日本の典型的な大企業モデルでもある輸出型企業。財政うんぬん言いながらも一番大きな部分で国民を欺くようなことに政治家が動いている。

法律となってしまうと間違ったことでも正しいということになり、まともに世の中を考える人間が間違っているという話になる。消費税を長年払っていなかったアマゾンのような企業があるが、それも国が脱税という犯罪を力になびいて放置していたことにある。法律を上回る力が働いていて意図的な見逃しがあって、一方で、力のないところに対しては偉そうに法律だと義務だと強いる。消えた年金の問題もあったが、今は年金の基金が消えても仕方ない法律をつくって年金運用。老後のためじゃなく、あぶく銭を守るために年金の金が使われてしまっている。

やればやるほど、どうしようもない深みにはまってゆく政治。まともに働くとかそういうところに力を置かないと、働かないでぜいたくな暮らしに誘導してその穴埋めは誰もできない規模で、生まれてくる赤ちゃんたちが、今の世代の借金の保証人で、政治家が危惧するのは片付けする次の世代不足。1980年代に、途上国の多いアフリカでなぜ貧しいのに子供をたくさん産むのかという問題のうらには、親は将来、子供たちが自分の面倒をみてくれるからという考えがあるからという。日本も国レベルで同じ程度の問題を抱えてしまっていて、年金すらも本来の運用がなされず、一か八か賭場に掛けられた状態。
2019年09月09日
昨日の敬老会で違和感を感じたのは、まだ現役の方が出席されていること。現役だいろんな物事できていれば別に年なんて関係のないことなのだがと思う。東の和老会の会長さんがいってられたのが、年寄りしか残ってないんだから若い者に期待していないで自分らがやっていかないとならないというような話。その方は自分で退職後にトマトを育てておられて仕事として農業の道に進まれ、ご夫婦で70過ぎても現役を実践しておられる。自分が食べていく野菜をつくるだけなら集落でも多くの高齢のみなさんがやっておられるけども、それを仕事として責任感を持って成り立たせてゆくというのは大変なことだろうと思う。

特別なことに思うがそれが人間の本来の姿なんだろうと思う。一人が40年ほど働いただけで自分も家族も養って行けるというような形こそが逆に無理があるような気がしてならない。国内で成り立っていたとしてもその足りない労働は海外で補填されていて成り立っているというだけのこと。海外の国が貧しいうちは成り立ち海外の国が貧しいというのが前提条件になる。その国が豊かになったときには、また別の貧しい国がその豊かになって働かなくなった国を支える必要があるだろう。逆に思うのが豊かになっても働けば貧しい国も支えられるのにと。

2019年09月08日
今日は朝7時から敬老会の準備。敬老会の経験は初めてで、昨日の夜頼まれたDVD再生の件がうまく行かない可能性があるので、昨日の夜、私のノートパソコンをゲストアカウント作ってスペア用に準備。朝7時から、会場の準備のあと欠席者に記念品を各戸配布して、9時半から来場。敬老会と和老会と二つの高齢者向けの会があるようで、敬老会は自動的に70歳からこの行事だけ、和老会は65歳から任意での加入で会費も払っていろんなイベントということらしい。70歳を超えるひとが230人ほど、私の住んでいる東円堂東は、高齢化率が46%と町内で一番高い状態。平均年齢が70歳を超えている可能性も高い。

和老会の東の会長さんも近所のおっちゃんだし、西の会長さんも私の親類のおっちゃんで、20ほど年は違うけども同じ目線で話をしてくださるお二人。集落の中だけでなく外の一流企業で働かれて外の世界も知っておられるお二人なので、みんなからの人望もありながらも今の普通の流れにも対応されている。今までの方向とまったく逆に近いこれからの方向への転換ができるような和老会の中では一番若手のお二人が会長だったりする。一番若いものが会長という組織があってもよいだろう。

10時には出席予定100名近くのほとんどの方が見えられてにぎやかな会場、自治会長のあいさつのあと来賓紹介、そして、余興の二胡の演奏。そのあと地元の派出所から警察官が来られて再生するDVDを受け取り、再生のテストを裏でするとやはり、プレイヤーソフトがDVDのデータ形式に対応しておらず再生を始めることができず、スペアで用意した私のパソコンを使って再生することに、交通安全と振り込め詐欺の45分の再生ができずの最悪の事態を避けられよかったですんだ案件。パソコンのスピーカーから音声を拾って会場のスピーカーから音が出る形で、そこも私のパソコンに変更になったので心配したがクリアすぎるほどに聞き取りやすく問題なかった。

警察官の方が、交通安全と振り込め詐欺の注意喚起の話を10分ほどされたあと、12時からは昼食で宴会モード、にぎやかな宴会が始まる。参加された皆さんが楽しそうに懇親されるのの飲み物などの担当をして1時間ちょっとで会は終了、次は評議員が1時間ほどの懇親会。夕方前に解散で休息して夜から仕事。昨晩も選手決めのあと帰ってプログラムの案件と仕事の2つ3つの案件で考えておくことなどあって寝たのは朝方であまり寝ていなかったので、最後、宴会用のモードから、パーティションを戻り机を直して会議の場を作り直したときに。私も体動かして作業をしているのだが、みんなが何をやっているのか最初理解ができなかったが途中でいつも見慣れた評議委員会用の会議部屋に戻しているのに気が付いた。今日は暑すぎて、睡眠不足で水分もほとんど取らずに作業が効いたんだろう。
2019年09月07日
今日は夜、集落の運動会の選手決め。実際に出られる人があまりいないという状況での運動会。新しい体制が必要になってくるような状況ではある。明日の敬老会のDVDを上映する件で機材の調整、プロジェクタにドゥアルモニタで出力するだけのことなのだが、公民館のパソコンがWIN8で、東芝のメーカー仕様、使い勝手が違いすぎてわからない。

多少時間はかかったが、明日、問題なく上映できる感じにはなって、パソコンの電源を切ろうとしてもこれまた、一番基本的な操作方法がうまくいかない。電源ボタンで電源を落としたくはなかったので、画面上で電源を切る方法を模索、それだけで15分くらいは苦戦した。自分のパソコンなら数秒のことが、パソコンが違うだけで恥ずかしいくらいに大苦戦。明日は念の為、自分のパソコンも予備としてもって行こうと思った。

この1か月ほど、20年ほどに昔に作った織物ソフトを、WINDOWS10で動くように作り直し始めた。自分が自分のために使いたいソフトをつくるということができるのがプログラミングのよいところ。これも必要な機能だけ覚えて活用して作ってゆく。織物がつくる織物ソフトというのは、普段頭の中でやってることを自分の代わりにコンピュータにさせることができるので便利は便利。印刷屋に頼まなくても今は自分のパソコンで文章が印刷できるのと同じようなことだと思う。あるいは印刷屋に頼む前に自分がドラフトの原稿を作って綺麗に印刷をしてもらうみたいな感じか。

私の人生の最後のプログラミングになる可能性は高い。プログラミングに長けた人なら数日の作業だろう、でも、自分自身がつくるから意味のあることも多いのである。
2019年09月05日
着物の世界の人というのはアパレルの世界と違って、しっかりとした生地を好まれる。これが本当にアパレルと違うところ。アパレル生地は柔らかいものがこのまれるけども、着物生地というのはしっかりと織られたコシのあるものが好まれる。生地に対する価値観が異なり、ふにゃふや柔らかい生地というのは日本の着物の感覚からすればよろしくない世界。

あと光沢感が大事で、上質の糸を使ったものは光沢感があってみるからに高級感が漂う。また、細番手で絣に織ることができる糸というのは上質である証、細番手の近江上布の高級なものが絣織物であるのは織物の手間だけでなく糸の上質さを表す。着物の世界で荒く織るのは粗野な世界として嫌われた。細い番手の良質な糸をち密に織る、それが着物の世界での価値ある布の証。
2019年09月04日
今日は、10年ほど、林与で仕事してくださった職人さんが仕事を終える話に来てくださった。この10年、暑い中寒い中、現場で動いて下さり、お疲れさまでした。

林与には昔、3幅の織機もあったけど、そういう大型の織機は大きすぎて扱いにくいので処分して、代わりにシャトル織機でストールの仕事などをしたりした。正解だったと思う。今は、110cm幅の生地の反物や、縦糸を巻いたビームでも重すぎて、働く人が運べないことが多い。

今日も100kgくらいの経糸を巻いたビームを動かす作業。現場の女の子も手伝ってくれてなんとか、2階から1階へ。そのビームに巻いた経糸を織機につなぐ作業は女性スタッフの担当。上手に、タイイングマシーンの台にセットできていたので、うまくつなげるだろうと思っていたが、なかなかうまく行かなかったようで、後半半分は私も手伝いながら。
2019年09月02日
宇野前町長が桜100年で1万本計画というのをやったけど何百本か植えた分、町長でなくなったんだから、その面倒をみてほしいと思う。町民にその面倒を見させるということを考えていたのだから、自分が町長を降りた時には、せめて草むしりや桜の枝の伐採でもして町長の時にやったことを自分が面倒みる覚悟で行ってほしい。突然そんな計画ができて、町民を巻き込んでその始末は町民と一緒に体の動くかぎりはやるべきだろう。

新しい町長になったが、宇野町長が自分が推進した桜の面倒を自分自身がみる覚悟がないなら、そんな計画を引き継ぐ必要はないだろう。桜なんてものは昔から生えていたが立派な桜でも伐採してきた。イメージだけでやるとその面倒をみるのが大変なことくらいわからないと、2万人の町に1万本って、誰がその面倒をみるのだ。植えた桜、すでに河川の道路の通行の邪魔とかちゃんと自分が面倒がみれる前提で計画すべき。愛荘町民じゃないから面倒見なくてよいとかじゃなく、町長だったんだから町長やめたら桜ボランティアで愛荘町に尽くすべき。たとえ町民じゃなくても自分が思いをもって推進したことならその面倒は見るべき。

自分の商売や名誉のためだけじゃなく、自分が献身的にできることを町のためにやって町長になってもらいたい。町長やめても愛荘町に尽くすことはできるし、町民に町のために尽くすことを頼むなら同じく自分が尽くさないと駄目なあたりは基本。桜1万本計画聞いたときに、すごいなあというよりも、また、後始末も大変なむちゃくなこと計画してと思った。自分がそういうの面倒見ない人だからそういうの考えるんだろうと思う。町長や議員、町の職員は、町民と一緒に植えた桜の面倒をボランティアでみよう。
2019年09月01日
田舎でも空き家の問題はややこしい問題である。戦後の日本は土地神話みたいなものがあって、土地というものは上がってゆく資産であるという考え方があったが、今は逆の維持してゆくのに費用も掛かりマイナスの存在。商売も成り立たちにくい田舎では商店街なども壊滅状態になってしまっていて、集落の人も出てゆく一方で、歯止めを掛けるような策が必要なのであろうが、行事など負担ばかりが増えてゆき対応しきれないことも多い。

その縮図的なものが繊維業界で繊維業界も担い手は少ない。若い人たちが昔ながらの部分と離れて自分たちで立ち上げる繊維の仕事みたいなところは、過去とのしがらみがないので日本の繊維の一角をつくりながらも古く成り立ちにくい慣習みたいなものとは無縁なので成り立ちやすい。日本の繊維は普通にやっていると傾いて行くのが普通の流れなのでそれを新しいことをやって継続させてゆく必要があるのだろうけども、なかなか昔の変われない人がやっていても傾くがまま。田舎の空き店舗や空き家問題と共通する問題で、傾く流れを生み出している考え方の部分、対応してゆくのかそのままの流れで行くのかで方向性は来まるだろう。

人数が多いうちに新しい方向性のようなものに対応できるとよいのだろうが、そのままの流れでいって人も少ない状況でどうしようもなくなってから180度の方向転換とか、そういうときになってもう時代が違うという言葉が出てくるのだろうけど遅きに徹する。固定的な概念をもってしまって変われなくなるだけでなく、そういう固定的な概念を強要するような状態で、過疎化の問題が進行する。

空き家問題なんかでもうまく解決してゆかないとならない部分があるだろう。古い考え方ひとつで家を代々継ぐような発想してたらうまく行かないことのほうが多くなってくる。柔軟に対応すれば若い世代の人でも田舎に入りやすいが、入った人間を自分の子供以上に締め付けて物事強いるようなやり方では気の毒だわなあ。田舎の爺さん、許容力がなく、ほんとどうしようもないのいるから駄目なのは変わらないんだから関係しないほうがよい。年が下でも、言いなりになっていないで、おかしなことにはおかしいということは過疎化をふせぐためにも大事だろう。結局、行き当たったあとの大きな後片付けは次の世代がするのだから。
2019年08月31日
私くらいの50代の世代というのは大学のときにもコンパとかでイッキ飲みとかが流行ったような時で、戦後の高度成長期が終わった後のバブル時代の最後のあたりを経験していて、みんなが集まって食べたり飲んだりというのが社会の義務的な部分であるみたいな経験をもっているので、義理ででも出席するというのあったりする。楽しむために参加するというよりも

半分が行事で半分が飲んで食べてみたいな、仕事なんかでも先代の世代は半分が仕事で半分が付き合いみたいな形。組合なんかに所属しても食べて飲んでが好きな人というのは、毎日、毎週ほど食べたり飲んだり集まってしていることなんかも多い。食べたり飲んだりを求心力として組織をまとめようとするやり方みたいなものが、義務的な要素では成り立たなくなってきている。本当にそういうのが好きなだけの人もいて、もてなすというよりも自分の趣味の飲んだり食べたりに付き合わさせるような人もある。

好き寄りでそういうのをやってるうちというのは良いのだが、組織が集まって何をするのかというとそれが主体になってしまうともう難しい話になるもので、パーティーみたいなものは企画したとしても、最初集まってあとは自由解散的にしておかないと、その次、その次まで考えている人たちに付き合っていると普通の物事すら成り立ちにくくなるものである。

田舎組織でよくあるのが、年上の者が年下の者に強制して酒を飲ませたりとか、酒なんてものはもてなす気持ちを失っては駄目で、俺の酒が飲めないというのかみたいな偉そうな奴は、結局、組織そのものの人間関係を駄目なものにしえつぃまうような力をもっている。結局、自分の言うことを聞けみたいな上下関係つくりたいような組織は自然崩壊に向かってしまう。そういうのなくても組織はちゃんと回らないようにしておかないといけない。打ち上げとかは本質的な行事やったあとの余力的なものでよいのである。

林与の先代も、村一番のアル中みたいなところがあったのでそれで勢いを持っていた時代には通用したが酒が仕事と関係ない時代になると考え方からして一番やっかいな人ということになってしまう。そういう人が中心でいた組織というのは次の時代には運営に苦労するものなのであって、そういうので組織をまとめるみたいなことは早めに脱却しないと、次の世代というのはピュアな部分だけ淡々とこなせるのが普通で、偉そうにしたい人間なんて必要はないのである。

この繊維の仕事にはじめ入ったときにも、一番厄介だったのは経験持った偉そうにしたい人たち仕事なのにもったいぶってできることもやらない。そういう人というのは仕事のできない素人以上にやっかいだから、素直に仕事する若い者にすぐに追い抜かれてゆく。そしてそういう厄介な人たちというのは自分たちの権利みたいなものに必死で、仕事のノウハウを次の世代に教えず隠すから存在自体が大きな問題だったりする。私からすると仕事でやってるなら共有しないといけないことなのに一生懸命隠して自分だけがその仕事を知っているみたいに持っていこうとする。そういう人というのは自分がいないと仕事ができないかのような感覚でいるから、仕事の問題点などでも指摘して気に入らないと仕事の邪魔し始めるから、早めに仕事から身を引いてもらうほうがよいだろう。

田舎組織だけでなく大きな日本を代表するような商社のような組織でも、イタリアの法人の社長した人が結局自分の立場を守るために、部下には仕事を教えないとか笑えるような話を言っていた。そんな人が10年やってたら会社潰れてしまうだろうと思うが、別にその人にとってはその人が社長でいることが大事なんだからほかの人に譲るくらいならつぶれたほうがよいんだろう。人間が小さすぎてその人自体の能力も大したこともなく、実際の貿易の実務的なことを聞いても知らないことが多すぎて、一方で、別の生地商社の人はまったく何もない地域で一人市場開拓してほんとうに力があって、アドバイザーとしても問題解決能力をもっておられて人もできている。仕事も人としても敵わない力をもっておられるのが分かる。繊維業界でも、次の世代は今の世代以上に強くないと残れないだろうが、現役世代でも仕事の邪魔したり次の世代を邪魔するような構造があることが多い、そういう人が古い体質でそもそも問題要素。
2019年08月30日
以前、仕事関係のお客さんが、別の人は外注で整経してるけど、林与さんは整経を自分の会社でやるんだから安くできるでしょう見たいな逆な話。内部でやったほうが確実に人件費も掛かり設備維持費用も高いけど時間も節約できて自由度があるから内部で整経作業をするので外に頼んだほうが安いのは普通。複雑な整経だと時間も読めないし、外の整経屋が理解できず整経を間違えてしまうことももちろんある。また、支給の糸が1kgとかなので、それを割るだけで1日、2日掛かるような話だと誰も受けたくない話。

よほど量がまとまらないと見本から仕事していて成り立つはずがないのである。見本をやると時間だけ計算しても何十時間と織りあげるには掛かり、内部の人件費だけでも費用は縦1本、5万くらいは掛かってしまう。それでも、見本は無料でとか、1、2万でできるだろうとおもっている人も多かったりする。本生産で何百メートルも入れば成り立つだろうが、本生産で100mとかだと本生産も人件費も出ずにマイナス。他の仕事でマイナス分を穴埋めしないといけない。

小ロット生産というのは基本費用がむちゃくちゃ掛かるので、今の日本のアパレルのほとんどが小ロット生産の見本代というものを払うことができない。一つ1万とかのバルク料金で見本を作って協力もしていた生地商社の転職された新しい人が、そういうのもわからないで、見本作ると実際の費用は7万8万掛かるの当たり前ですよというと、その20年繊維業界にいる人が、初めて知ったといわれてた。1円でももらったら仕事は仕事ちゃんとしないさいみたいなどうしようもないこと偉そうにいってる人だったけど、本当に20年の素人もいたりする。生地の企画で覚悟もなく企画では困る。

結局、その新しい担当になってからは仕事は小さくなり流れる話ばかりしかも二股三股の話で最初から相手にしないほうが良いレベル。個人のサラリーマンが自分のもうけを考える程度のことではサンプル生地一つもできない。自分の給料の金を使って、本生産で売れてやっとつかった給料分が返ってくるという普通の商売の感覚がないとオリジナル生地の企画は無理なのである。結局、その商社向けにはサンプルを一切作らない流れになった。

オリジナル生地というのは費用が高くつく、お金を用意して注文もいれる覚悟があればできないことはないのだが、1点に使う費用だけでも通常は人件費4万から5万、材料費4万から5万、加工代1万から2万、出てゆくだけで10万円程度掛かってしまうのが普通。会社の間接費用とかも含めると利益ゼロでも15万円くらいはかんがえておかないとオリジナルサンプルなんて受けられない。そういうの用意できる会社があるのかというとなかなか日本の繊維企業では難しいのである。

昔、25mづつ先染めで1500円とかの請求で4色つくって、本当だといくらで売らないといけない生地ですかという質問があったので、1m4000円くらいでは売ってもらわないと成り立たないだろうというと、私がぼったくっているかのような話に思われた方があった。実際、払った分で、1m3000円は掛かってしまっているものを、掛かった費用以下の1500円で成功してほしいと思って販売した、それほど費用が掛かっているとは思っておられないのだろう。その人にも最初から言ったのは、高級な生地というのは日本では売るのは難しいという話からしていて、海外で1000円で仕入れたものを3000円で売る商売のほうが成り立ちやすいのである。

1反50mとかの小ロット生産だと、糸からしても染代が2倍かかったりするし、ロスも通常のロス計算からさらに2割3割できてしまう。加工も見本料金。普通の生地でも50mで生産すれば500m生産する費用の2倍が掛かるものである。林与では普通に、自腹でそういうの覚悟して見本をつくることあるけど、50m作って1m3000円くらい外に払っているのが当たり前。5m、10mだけの試作とかだと普通の生地でも1mあたり1万円以上かかっているものも多い。

高級という意味ではそれなりに高いコストを掛けてものづくりしているので理想的ではあるのだろうけど、なかなか、サンプルに10万とか15万使えるアパレルさんというのはすくないので、サンプルつくるだけじゃなく、量産も一緒に一気にやらないと費用面で成り立ちにくいという話になる。アパレルさんによっては、オリジナル生地でもサンプルが必須だったりするところが多いのだが、あと検査なんかもいれると検査代が2万とかも普通。求められるものは多いけども費用をどんどん高くしてしまうようなものづくり、確認確認でものをつくらず、思い切って一気に作って浮いたお金で、もう一つ仕事をするほうが良いのではと思う。

また、見本費用が払えないだけでなく、仕事で発注書も出していても売れ行きが悪ければつくっても買わないお客さんもいるから、そういうところは相手にしないくらいが丁度の対応。日本の繊維業界の企画するものにプロがいなくなっているのを思う。サンプル見なくてもこんな感じになるというのが分かるのがプロのものづくり。また、多少の違いというものは料理の仕方でプロならカバーできるとかがないと、作る量も少ないだけに成功は難しいのではないだろうか。

一番困るのが掛かる費用を案分して企画しようみたいなタイプで、そういう人の企画には乗らないほうが良い。企画するものが費用の面倒をみて企画を進めてゆくのが普通だから。成り立たない企画とか倒れる企画も多く普通なんだから、そういうの自分がしっかりと覚悟して企画しないとダメだろうと思う。費用をみんなで負担して売れたらみんなで分けましょうみたいな企画だったらやらないほうがまし。売るものがしっかりと責任をもって自分が買い取って売らないとダメなんだろうけど、そのあたり当たり前に買取できない人がほとんど、製造業だってぜんぶ糸も買って染代も加工代も人件費も払ってやっているが、売る立場の人間が自分が買取ができないとかの論外がまかり通って、全員でただ働きして売れたら全員で分けましょうみたいなどうしようもない話になる。自分が売れないものにも払う覚悟がない気軽な身分がいて企画しているのが問題だろうと思うところ。

生地を売るのが難しいと思うことは多いけど、高い生地でも評価してくださる個人のお客様というのは多い。生地問屋の方でもいやなら自分で売ったらよいといわれて変な義理が解けて助かる話、それでいてその人のやってる先に私が売るのはやめてほしいとか頼まれて、なんじゃそりゃ。その先ですら私と同じ年の社長が覚悟ももたずなのが分かってどうでもよい話で、仕事をゼロにした。その会社から林与のものづくりへのこだわりが消えたのは、そのアパレルのものづくりへのこだわりが何分の一になったということ。その会社がつぶれたら何千万の損をする覚悟していて、間の人が逃げて、私がその資金繰りの面倒見る話で、その会社の社長も同年代で覚悟もないのが分かって、だれもが普通の覚悟もできなくなれば覚悟してる人間が一人だけで終わるしかない話で、それはそれで覚悟もない形で回ればよい。
その会社の親会社のひとも覚悟なく、専務取締役が約束しても見本作った段階で、コストも下げさせて売る自信がないから発注を4分の1にしてほしいとか、私が60万くらい外に払う分で使って年商800億円の会社が、その60万円もかぶらず逃げる話だから、年商800億円というのが成り立つ話。年商800億円の会社駄目なのわかってて、私に近い人の頼みだったからここは支払いなど怪しいからといいつつ義理で受けて、自分も1か月ほど動いて、結局外に支払った60万をかぶる話。日本の旧体質の繊維商社はその程度で、立場の弱いものを食い物にして値段約束させて買う量を4分の1にするのが普通のやり口。そんなの受けたら見本で60万つかって、本生産でも大きな赤字。それでいて800億円企業はなんの痛みもなく、値段をさげさえ少量にかき集めて商い。60万を惜しむより、60万円を自分がかぶって、腐った企業と縁が切れるなら縁を切ったほうがましな話。母体が腐っててはその子会社のアパレルもどうしようもない。日本の繊維業界というのは大きくやってても一つの仕事にでもその程度の覚悟のない話だから儲かっているというあたり、大手SPAのほうが覚悟決めて動いていることが多いので負けちゃうのも当たり前。
2019年08月26日
アイデアを種とするなら種を持っている人や花を探している人というのは繊維業界にはたくさんいる。繊維業界に足りないのは、種を芽に育んだり、芽を花まで育てたりする人。また、種が花になるまでの自然環境みたいなもの。サルがカニに種を与えてカニが育てたカキを横取りみたいなことが多かったりもする。繊維業界を根本的に育めるような人が増えてゆくことが大事だろうと思う。でも、ブランドさんにも余力がないし、問屋さんにも余力がないことがほとんど。余力をつけるように働かないとならないのだろうけども、働く時間の限られた状態で自分が食べてゆくだけでなく家族も養ってゆかないとなると、どうしても他から取るような構造に陥りがち。悪徳企業でなくてもそうなってしまうのが日本社会の構造的なもの。途上国にいっても食生活が豊かで生活もゆったりしていて、先進国である日本よりも豊だったりする。

サンプル作ったりが種を芽に育むことだろうし、また、コンスタントに作業して布を作り上げることが花まで育てることに似ているだろう。技法だけにこだわっている人も窮屈で、技法を知っていればすべて解決ではなく、ものを作る環境が大事だということわかってない人も多い。過去にもよい生地というのはあったけどもその加工方法は需要が足りないとかで消えていったものも多い。

ものづくりには人という要素は非常に大事で、つくる人が異なれば、同じ材料、設備があっても、花が咲くのか、すべてゴミになるのかの2つの結果。その差には作業手順の違いというよりも、作業する人の仕事に対する大きな意識の違いがあったりする。必ず正しい結果を当たり前に思っている人は大きく外れることはないが、正しい結果が当たり前でない人が作業すると正しい結果が得られるのは奇跡に近い。人をつくる必要があるのだけど、今の働く時間が短い中では人をつくるということは不可能に近く、人生観で正しいものをつくろうと努力する人を探すしかなくなってきているように思う。働く時間が短い流れの中で、働く人の人生観を変えることというのは本当に難しいところ。

みんな仕事をする前には教えてもらえれば自分がすごいものを作れるようなイメージがあるけども、現実的には、作り方をマスターしてもその本人の意欲がなければ、なかなか普通のものでも普通には生まれてこない。みんなこのあたりで挫折してしまう、よくありがちな繊維業界に入ってもすぐに成長が止まるパターン。他の人に要求するは上手だが、自分が動いて要求される側になって、その要求に応えられる側になっていないとなかなか食べてはいけないのだろうが、要求しつづけるところで終わったしまうケースが多い。

繊維の業界に入ってやめる理由で多いのが、自分が好きなことをやりたくてこの会社に入ったのに好きなことをやらせてもらえないということ。好きにやりたいなら仕事終わってから好きにやってみればよく、それで食べてゆけるなら一人前だろうと思う。その人が嫌な仕事は誰がするのかとなると自分の嫌な仕事を他の人がやってくれるのが当たり前みたいだと手が付けられないタイプで、自分より仕事できる先輩が自分の言うとおりに働いてくれるのが当たり前みたいな難しいタイプ。そういう謙虚さもなく全体的なことに頭が回らないとものづくりは難しい部分がある。それはその本人だけでなくその人を取り巻く環境によることも多い。周辺環境が本人を甘やかしているのに、企業だけが厳しく親心で接しても、アクセルとブレーキでもめる話、その本人を取り巻く周辺環境が甘いなら非難されるような役をその子のために覚悟してもうまくは行かない。人を育てるには本人とその周辺環境までもが変わらないと難しい話で、ぶつかる人はぶつかるだけで、一番悩むのはその状況の最終解決を抱えている立場の人で一番全体の包容力もあって悪くないその人が壊されるしか手段がないとかもよくありがちな話。好き勝手、文句言っている人たちよりも抱えて追い込まれる人たちが本当に気の毒。
2019年08月25日
今日は隣組会で宿が当たっててうちで6軒が集まって案件の議論とあとの幕の内での食事。今日の隣組会でもこの隣組は将来さらに小さくなりそうであるというのが見えてしまっているが、まだまだ人の多い世代というのはそういう危機感すらなくそのままの感覚で生涯を終えることができる、みんなが集まればできるみたいな感覚が多い。

私も決して若くはないが、そういう多い世代の次の世代の人が非常に少ない世代。各学年に強い人が実質一人とか二人いるかいないかの学年、今の30歳下の若連中は、上の学年が一人、下の学年が3人。その子たちが集落に残る可能性も加味すると、各学年に一人いるかいないかが将来の集落の像。村の昔からの行事を引き継いでいける人がどれほどいるのかというといないに等しいと考えたほうが良い。新しく新しい区画に住む人たちは増えてくるが古い集落の考え方というのは外の世界の考え方と乖離が大きくなってしまって逆転するときがくるだろう。

私自身は、30年前の若連中の時でも古いことをやっているなあと思っていたので、今の時代にそういう古いものが一般的に評価されべきだとすることは難しいと思う。慣れてしまうとそれも違和感はなくなるのだが、初めの先入観というのは大事でそれが自然の感覚であるのが分かり、そういう先入観を持ちながらもそれをクリアするとかも大事には考えてやってきたが、それは誰もが乗り越えられるものではないし、積極的に努力しないとそういう違和感を乗り越えるのは難しいのもよくわかる。

私も古い繊維の業界にいて織物をしているので、私のやってる織物にしても手織りにしても、全体の世界から見るとごく一部の人間のやっている世界で、そういう世界を良いと思う人がいて成り立つ世界で、強制して続けていくようなものでもないだろう。20年、30年前の業界の人にしても今の時代では業界でも通用しないほどに、昔の分業の大量生産の時代とは異なり、人が少なく一つの仕事が小さくなり総合的な高い能力が求められる。

時間のあまりかからない部分を任せてくれという人は多いけど、時間のかかる手間な部分を引き受けられる人がいないのが、繊維業界の問題。一番多いのは、売るのを任せてくれみたいなエージェントの人たちだが、その人たちに売るのも私の仕事だったりする。作ったものすべてを売れるような人は自分以外にはいない。人に任せるとどうしてもそのあたり難しくなる。

織物の世界にいても、コンピュータが得意なことや英語が得意なことが有利に働いていてなんとか大手テキスタイルメーカーと同じ要素を持てて成り立っている部分もあって、それを抜きにしたら田舎の小さな機屋のオヤジだけで終わってしまって難しいだろう。バイタリティというのは販売にも役立つし、狭い世界を強いてくる人には、狭い世界じゃ駄目なんじゃないかとできることをマキシマイズするような方向にはっぱを掛ける。他の誰かに期待するより、自分がやればできることは自分でやって試してみるというのが私のやり方。
2019年08月24日
昨日は大雨、暑さを冷ます雨で工場の中での作業がしやすくなった。ミナミヌマエビの水も自然に減少してかなり減ってしまったので、水を足さなければ、でも下手に足すとエビが死んじゃうのでと思っていたので、自然の雨水で水位が上昇、うまくできている。心配なのは子猫たち、親猫はどこかへ行っている様子で、子猫は多分母猫の母乳もないままに数日か。ここ3日ほど見かけないし鳴き声も聞かないので、無事どこかに移り住んでいてくれるか、もしまだ隠れているなら外に出てきて飯をねだるかしなさい。
2019年08月22日
今日、工場の中で、電話の電波が悪いので外に出て電話を受けていると、目の前に子猫3匹。一匹の猫が会社に住み着いていたが、子猫が3匹会社で生まれた。とてもかわいい3匹なのだが餌付けなどしてしまうことがよいことなのか悪いことなのか考えると、自分が責任を持つつもりならよいことで責任を持てないのなら悪いこととなると思う。私の信条からすれば、野良猫くらいが自由に生きていけるくらいが自然な社会だと思うところがあるが、住んでいる社会はそういうものを認めにくくなっている構造。集落でも犬や猫の糞が害だという判断が定着してしまっている。

母猫は、人に懐かないタイプの地域猫。3匹の子猫も母親の行動を真似して人を見ると逃げるタイプ。避妊や去勢手術を受ければ地域猫として生きやすくなるだろうけども耳がカットされてしまうことで家猫として里親を見つけにくくなる可能性もある。小さなうちに里親探しをするか猫を保護するシェルターハウスに里親探しをしてもらうかになるだろう。

母猫も子猫のことはすごく大事だろうから子猫と離れることは嫌がるだろう。猫を家猫として買うことはよほど時間的に余裕がなければできないことで、面倒をみることができない人間が興味本位で猫を飼うと愛情なども足りずに部屋に閉じ込めた猫がかわいそうということになる。私も昔犬を何度か買っていたが、母犬が5匹子犬を生んで、3匹貰い手がついて、2匹貰い手がなく、その2匹を、母犬と一緒に3匹飼ったことがあるが世話することは犬用の大きな柵に入れて飼っていたけどあんまり犬としては幸せではなかったんじゃないだろうか。

今は犬や猫は家の中で飼うご時世。家族のように面倒をみられる人のところで育つのが、外では自分で餌すら見つけるのが難しいのだから。10年ほど前にも10月の村の運動会の日に一度子猫が2匹生まれたことがあって見つけたのが朝だったけど、その夕方にはどこかに消えてしまった。母猫がどこかに連れて行ったのだろう。私に見つかったということで、この3匹もいつのまにかどこかに消えてしまう可能性はある。

今まで見つからなかったのは巣立つ前だったからだろう、1度見つけてからは頻繁に目に入るようになった。燕の巣立ちの日と同じで、一人前の猫として外に巣立ってゆくタイミングなのかもしれない。目線があうと逃げるタイプの猫たちなので自然に様子を見守るのがよいだろう。長くいるようなら里親探しを考えてみよう。

母猫の母性本能を感じるのは子猫たちを守ろうと私が近寄ると威嚇する。母猫にとっては自分よりも子猫のほうが大事という本能的なところ。こういう基本がないと社会は作りにくいだろう。イースター島がほろんだ原因は、バードマンコンテストで、競争に負けた青年は、長老たちに食われるとか。滅んで当たり前の社会性。そんな愚かな風習に若者が逃げ出したことが原因だろう。若者たちを奴隷化してモアイもつくられたのであろう。
2019年08月21日
自分ができないことを人に要求する人って多くて、ジジいおまえはいい加減にしろみたいな話。自分が親類だから関係を崩したくないので私に都合の悪いことをやらせるような気弱な年配。そういうどうしようもないのが多いのが現実で、情けなさすぎないか。そういうジイさんの一番どうしようもない身内を干したのも私で、どうしようもない爺が情けを掛けているものまでを食い物にしようとする行為を親せきの多くが黙認しても私はいいかげんにしろとその駄目な爺さんを潰す。人間関係が壊れようが駄目なものは駄目でよい、駄目なものを肯定して駄目なものになびいていては駄目。自分が問題のある人に指摘すると攻撃されるのが嫌なのだろうけど、そんな状態がいつまでも続くようなら関わらないほうがよい。

若い者より年取ったものほど、理性にかけて他人を思いやる気持ちもなくなり自分本位なのが普通が今の時代。自分の家の者にはものもいえずに、ほかの家の者に指図とかどうなっているのかというレベル。しっかりしないとダメで、自分可愛さに駄目な人間を持ち上げたり仲良くしながら、いやな役割を他のものに頼んで、それが普通なのかもしれないが、ごくありがちな八方美人なややこしい田舎の年寄り。身内にいうこといえないなら自分がかぶればよいだけのこと。あたりまえだが身内を代表する力もなく、身内のどうしようもないを増やし、ほかの人に身内の問題解決を頼むとはもうほんと駄目。
2019年08月20日
みんなが分担してやればよいというのは昔のスタイルで、今も分業的なものづくりに縛られている人が多い。今の時代は意思のある強い人が実際に作業していかないと繊維業界では成り立たない。

トラブルなんかも織物だけのことだけでなく、縫製のことも含めるとあまり高度な生地はやらないほうがよいのではないかと思う。海外縫製のほうが日本の縫製よりも上手になっているのを感じたのは10年ほど前のこと、日本だと縫製工場は延反して、上からがっちゃんの縫製がほとんど。海外では、一反をすべて検反してすべての小さな糸のムラもマーキングで、裁断個所を決める。海外の縫製技術の高さには驚いた。

また、インドの縫製でも、日本よりも上じゃないかと思うのは、プリント生地などでも、30枚重ねて裁断したらそのレイヤーごとのパーツに、番号を打って、プリント生地に起こりがちな色ムラの問題を、量産においてもサンプルと同じ2mとか3mの中で、1着の服が出来上がることになる。日本の縫製工場でそれを当たり前にやっているところはないだろう。やれば縫製段階での品質の向上は見込める。

品質を上げる方法としてはそれほど難しくないことなのだが、一着いくらの縫製でやっている縫製工場の仕事ではそれは難しい話になる。リネン糸なんかもイタリアの糸でも問題が多くなりすぎて、織れない糸に出会うこともあり、林与では低速のシャトル織機が活躍をしている。支給される糸での企画の場合、織れないときには本当に困る。問題は支給された糸にあるのだが、その問題の解決は織る側に要求され、一回切れ、糸の切れ方が縦切れを感知しにくいタイプの問題だと、ときには30分、1時間かけて一つの傷を治しながら織る。そういう仕事だけで他の仕事がすべて止まってしまい。1時間やってもまったく織れない話も普通にある。糸ムラの問題を織傷だとして修正する話もあったりするが、実際、糸ムラでも、支給された糸なら織る側の責任ではないのに、手を加えていることも多いが、糸を支給してもらって問題もなく正しく織りあがるということはないのである。

そういう問題を問題の根本で解決すればよいのだろうけども、今は最高級の糸を使っても糸も問題が起こって当たり前くらいの状況にはある。典型的な例が、20年前のロイヤルラミーよりも、今のグレード的にはロイヤルラミーより上とされるスーパーロイヤルラミーのほうが、強度などは2割くらい落ちるとか、10年前はリネンの100番手でも糊をつけずに織っていたが、今は糊をつけても織りにくいとか。50年前のアイリッシュリネンの細番手は今も織れるしっかりと強い糸だが、今の150番手は織るのが非常に難しい糸であったりとか。こんにゃく糊をつけるとラミーの細番手の先染とかだとカシミヤクラスの糸値になる。そういうものは織るのも難しく、カシミヤ以上に希少だがなかなか流通しにくい。

日本に限らず先進国でやるよりも新興国のほうが紡績の世界でも仕事が上手になってしまっている。今、アメリカなんかがメイドインアメリカを目指しているけど、途上国で作る以上に品質の問題は出てくるだろうと思う。その極めつけは原発事故で、チェルノブイリを笑ってられる話ではない。日本も一部の利権者が進めていた原発輸出を断念したが、そのほうが将来の他国での原発事故を未然に防ぐという意味ではよいことであろう。原発が爆発したの放射能漏れの隠匿とか、人の命すら自分の利権が優先して、6か月後に放射能レーダーが放射能漏れを感知していたのに、水蒸気爆発と国民に偽ってやるのが日本の原発行政の本質で、安全対策の問題でもなく原発行政の人の命より自分の立場を優先する人間性の問題。また、死んだバッテリーの代わりのバッテリーを買うのに予算申請を本社をテレビ電話でやってるようなおちゃらけ、百万人の命や健康の危険すら認識なく、一企業の利益が優先される体質、早めにやめたほうが良い。

原発がエコだとかもどこまでが本当なのか、原発が熱量を発し続ける温暖化加速の原因ではないのかという部分もある。太陽から降り注ぐ熱量と原発の熱量をくらべると10万分の1くらいだから無視できるというが、ミランコビッチサイクルのように、地球の温度は微妙なバランスで成り立っているのに、10万分の1だから無視できるとかは科学者できではないだろう。石油燃料を使ったことで、CO2の問題でもなく、放出される熱量の問題で地球の温度が上がるという説も普通に考えられる。太陽のエネルギーを介して光合成で炭水化物に変換し熱量を吸収するのが石油燃料。原子力の場合にはそのメカニズムが働かないエネルギー放出。エコじゃないけど金儲けのために推進でPRしてゆけばよいだけのこと、モラルを絡めないでほしい。

貯めに貯めまくった日本のプルトニウムの問題、遠洋投棄もできず、また、馬鹿な連中がやることは、日本中の土に薄めて日本中をプルトニウムの大地にするくらいしか処理方法はないだろう。本来、日本の無人島などの本土から離れた地中深くに埋めるとかのほうが安全ではあるが、それだと利権は少ないからそういう答えにはたどり着かないのが日本の利権構造。
2019年08月20日
今は商社や問屋さん向けの卸は少なくなっているが、根本的に仕事をしてくれる商社や問屋さんだとよいが、先方の無理ばかりを安請け合いして機屋に解決を求めるタイプのところだと、大手SPAや海外企業のほうがしっかりとした全体のビジョンがあって、言ってることとやっていることが整合していることは多い。

多い問題の一つが、自分が発注の約束もしないのにこちらにはいろんなことを約束させるようなタイプのところとは早めに手を切ったほうが、他力本願的な要素を消すことができるので成り立ちやすいのである。一般的には、自分が相手には約束させて自分が約束しないタイプのところが多いので、話は半分くらいで相手の覚悟に合わせてこちらも動いていくというのがバランスの取れた対応だろうといえる。

久しぶりに問屋さんとの話があっても、どうして最初からそういう無理な流れに無理としてしまうのかと思うことが多い、問屋さん自体が食べてゆくのが難しい部分が大きいのだろうけども、リスク回避ばかりしているから、仕事が2度手間、3度手間で、1回で思い切ってやればよいことでも、2回3回の時間と手間をかけてやってしまうほど、最初からその問屋さんの仕事は成り立たないスタイル。注文が入っても50m、100mのものを最初からサンプルまで作ってやるというのは、発注した人がちゃんと費用を負担できればよいけども、実際に作業にかかる費用負担も考えていないことが多く、最初から働いてやればマイナスの企画。そういう企画をもってくる問屋さんというのが多いのが今の繊維業界の実情。また、織る前の糸代にもならない値段の生地を探しているという業者さんも多いが、そういうところがこだわりのものづくりを謳っておられるケースも見受けられるが、日本の繊維業界が疲弊する要因の一つだったりする。

問屋さんに、いやなら自分で売ればよいといわれたことがあって、義理人情でその人を通していたところがあったのから解放されて、やはりそういうことをいう人に対しては筋立ては必要なく、一般のお客さんも含めて大勢のうちの一人という特別意識は早めになくして普通の対応で対応する流れにもっていったほうが良いだろう。

作業をすればしっかりとそれに見合った費用を考えているところと仕事をしてゆかないとやればやるほどそういう業者さんと仕事すれば負担だけが大きくなる。ダメもとでの企画を立ててもよいとは思うが、企画した人がしっかりと駄目なときの費用負担できないと無理だろう。自分がリスクを背負えば本当の企画を立てる意味も分かるかと思う。
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