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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年02月16日
シャトル織機を導入したのは10年以上前のストールブームのとき、出機さんにはシャトル織機があったが、見本がなかなか織ってもらえず、決断して織機の入れ替えを行った。浜松から10台の古いシャトル織機が会社に入ったが、電気が入ったのが10月15日で、11月の最初に展示会で60種類のストールが必要。2週間ほどしか時間がないけども10台あれば何とかなると思ってた。電気を入れて動かして10台のうちまともに動いたのはたった1台だけ、北浜ではいろんな織物が織れていた織機なのに、麻が織れない織機を入れてしまったのかと落胆した。それでも、見本は私自身2週間ほとんど寝ずに、他のものは交代制で、1台の調子良い織機は24時間回し30縦、他の織機で2縦づつで、なんとか納期に間に合った。

ところで、見本は出来ても林与本番はどうする?織れない織機の問題を解決するために、なぜその1台の織機が織れるのかを考えた。注意深く見るとその一台には一本棒が付いている。他の9台にはその棒はない。私もシャトル織機との付き合いはまだ2週間程度しかないが、なぜか、シャトル織機はよく理解ができた。この棒が、ドビーの開口と閉口のときの糸のテンション差を吸収するように動いている棒であることがなんとなく分かった。

職人さんに棒の件を聞いてみると必要ないので動かす前に外したという。固くてその1台だけ棒が取れなかったということのようだ。職人さんは別の工場で太い糸を織っておられた方だったので、太い糸はテンションを張って織るのが普通でテンション管理は必要なくその棒は鉄と鉄がきつく擦れるので磨耗して駄目になるから使っておられなかったようである。細い番手のリネン糸を織るにはテンション管理が必要で、その棒を取り付けると残りの9台も織れる様になった。1台だけが固くて外れなかったのが幸運で、その棒が必要であることに気がついたのも幸運。

また、別のときに2台のシャトル織機を導入した、その織機も持ち主だったおばあさんの話では入れてから20年一度も動かなかった織機だという。どおりで、私が買って設置してからも職人さんに長い間見てもらうがまったく織れなかった。私自身は織機は必ず動くと信じているので、動かす自身がある。織機を見始めて10分ほどで違和感に気がつき、金具が付いているけども、遊びが大きく、モーターからの動きがビームの送りのギアに正しく伝わっていない。だから縦糸が切れて切れて仕方ないのである。織機というものは動いて当然だと思われるけども、たいていは動かないのが当然でそれを正しく動くようにするのが私の仕事だったりする。

これは私の会社ではないが、シャトル織機を入れられて動かない話があって見に行ったら織れない。開口の高さが高すぎてシャトルの動きがスムーズじゃなく、調整ではこれ以上は無理な範囲。おかしい、おかしい、こんな織機はありえない。テンプルがないのが最初から気になっている。向こうであった部品は全部ついているということだったが、疑いは増してテンプルが付いていなかったかどうかを確認してもらうと、再塗装の際に外して別のところにテンプルがあったという。テンプルをつけて織ると綺麗に織れ始めた。

一つ部品がなかったり、一つ部品がうまく動いていないとそこを直さない限りは、その織機はまともに動かない。他のところを触ってしまうと織機がガタガタになるので、正しい動かない原因にたどり着くことが必要で、私はその原因にたどり着くのが案外上手それは織るときに織機や糸と話ができるから、織機の変な音や、音のタイミング、糸の強く張っているのとかを感じることができ違和感として感じることが出来る。他の人の何倍も経験して正しい感覚が身に付いているからだと思う。麻糸は切れやすいので、テンション管理やタイミング管理が大事で、それは番手や密度によって微調整が必要となってくる。

こういう経験を新しい人たちにもぜひ経験して乗り越えてもらいたい。3つの事例とも新しく中古の織機をいれて工場が潰れてしまうようなことはどこでも起こりうる。そういうのを乗り越えられないと仕事も終わってしまう。他のだれもできないときに自分が動いて解決しないと。中古の織機を買ってもだれも動くところまでの面倒はみられる人はいないもので自分自身が面倒をみられる人にならないと。

織物を作るときに、織物設計だけじゃなく、こういう織機の調整や修理の問題も織物をつくる作業のうち。織機をみることができないと織物をデザインできても織物を正しく織ることも出来ないのが今の日本の織物業界。織物をつくることのディープなところまで経験をしよう。織物で食べて行こうとするときに悪いことじゃない。出来る人が少ないからそういうのできる人が織物ができる人としてみなされる。

私もシャトル織機に関しても、初心者から始まっているの分かってもらえるだろう。勉強したわけでもないし、経験がそれほどあったわけでもないけども、問題に直面して、自分が考え問題を乗り越えることが当たり前で、この仕事が続いている。
2019年02月15日
教育が進むと繊維の現場仕事につく人というのは減って行くだろう。手先の器用さなどが要求され体力も必要だから、普通に白い生地を織るだけならそれほど負荷は大きくないけども、日本らしい小ロット多品種のものづくり、魅せるものづくりというのは、頭じゃなく、体を動かせるか動かせないかでできるできないが決まってくる。

学校には手織り機しかないのが問題の一つなんだろうと思う。動力織機が普通に動かせないと手織りで食べて行くというのは、なかなか難しい話だと思うのである。ある会社がキャパの問題で織れないということで弊社に仕事が回ってきたが、どう調節してもラメ糸の横糸切れとか使い切ったのを感知できないのでどうやって試織したのときくと、手で織ったと言うこと。学生さんのものづくりそのもので量産を考えずに凝ったものを作ってしまう。結局、一人の人間が1台の織機にずっと付いて横糸切れを見て量産。まったく成り立つ話でもないし、試作のときに量産の想定はしておくのが当たり前。素人のものづくりそのもので受けた側にダメージが来る。

手織りに関しては、林与にしても、昭和40年くらいまでは、村レベルの仕事として出機さんを100人近く抱えて、着物向けの近江上布を織ってもらっていた。着物の需要に関しても昔の良い物が京都で中古といいながらも新品に見えるものが5000円くらいで着物の状態で何百種類もあふれて出回っていたりして、新しくつくってという方はよほどこだわりを持っておられる方だけだろう。成人式や嫁入り道具の一つに着物、喪服というのも残ってはいるが唯一くらいの機会になって、茶道、古典芸能を中心とした世界の方々が最たる需要だろう。

学校で手織りを勉強しても特殊な織物を創作するが生かせる職場というのはあまりなく、自分で作家デビューするか、普通の織物工場に勤めて普通の仕事をメインにして創作的な織物は別バラでするしかないだろう。創作的な織物といっても、普通の織物も同じだけど、売れたとしても良いと思う人がいたらどこかで安いものがつくられ出回るので、そう長続きはしないので、次から次に売れる創作的な織物を生み出せないと、大手が真似して海外に撒いて似たようなものを作らせると生産規模からして太刀打ちできない。そもそも需要が少ないニッチェなのにそれが更に小規模で終わってしまうケースがほとんど。

先の量産の話に戻るがちゃんとした力織機で試織しないで手軽な手織りで試織すると量産で大変な話になる。創作的なものづくりをしようが、ちゃんと力織機に掛けて手織りよりも大変だろうけど、ちゃんと動くところまで確信持ってから受注を受けたほうが良い。でないと、量産のときに量産を全部手織りするのに近い手間が掛かる。創作的なものづくりも自分が片付けられればよいけど、ほかに片付けてもらうような形のものはよろしくない。

先日の企業説明会でも、現場の仕事は現実的で創作的ではない旨の話を学生の方にはさせていただいた。本人がやる気があれば、仕事が終わってから創作的な活動はやればよいだろうし、そのくらいの気持ちがなければ創作的な織物は生み出せない。どんな織物でも簡単に作れる力というのは創作的な織物を作る力と共通する。普段のつまらなく見える仕事にしても織物の基礎だから、それが簡単にこなせないようなら難しい織物をやろうとしても他のだれに期待できるわけでもなく、自分が作らないといけないのだ。

もちろん、林与でも、林与オリジナルの生地を会社として企画するとかもある。その場合には、自分が作った生地を売る力も必要で、つくって自己満足で終わっては長続きしない。創作的な生地よりも普通の平織りの生地のほうが需要が多い売りやすいというあたりも、織物の道で食べて行くときには当たり前に理解していないといけない現実だろうとは私自身考えている。

たぶん、私一人ならもし手織りに移行しても食べて行けるだろうけども、他の人に手伝ってもらって人数が増えたときに手織りで食べて行くというのは難しい気がする。私にとっても普通の仕事をして手織り別腹でやるしかないと考える。学校なんかでも、整経や力織機とかレピア織機、タイイングマシーンなどの使い方をマスターできるようなコースがあればよいんだろうと思う。多くの織物工場でもそういうのができる人材を探しているから。整経にしても教えてもらったのは半日で、力織機もレピアも使っているうちに慣れで、タイイングマシンも基本は数時間教えてもらうだけであとは実践。織物工場でもタイイングマシンなんかはあまり使える人がいないけども、使えるか使えないかでかなりできることが違う。米沢とかでは繋ぎ屋さんがいて、織物工場を回って縦糸を繋ぐだけの作業を工賃仕事でしているという。中国では縦つなぎがなく、整経のビームを機にへ通しして機を乗せる感じで作業が流れていた。

タイイングマシンでつなげないようなものは手で繋ぐ、林与だと、10秒で1本の1時間に360本くらいが食べて行ける行けないのボーダーラインか。他の織機を動かしながらなら、1時間200本から300本でもよいだろう。
2019年02月14日
同世代の元気のよい親しくしていただいていた方で別の織物の会社に勤められていた方が、毎日仕事がなくて暇で夕方5時になるまでボーッとしているといわれていたので、いろんな設備があるなら覚えていろいろやってみたらよいのにという提案をした。数人でそれぞれが分担して作業しているので、他の作業を自分が覚えてやってみるということはしないと。でもそれじゃあ、その人たちが辞めたらその現場ができなくなるし、覚えてできるようになっていたほうがよいよとアドバイス。結局、その方は会社を去られたということを聞いて、残念だけど仕方のないことなのかもなあと思った。

アパレル業界というのは、今の好景気の流れの中でも不況的であったりする。アパレル業界が元気でないと繊維業界もよくないのだが、麻関連は比較的トレンドとされているので人気は根強く悪くはない。景気の波よりも、自分自身がいろいろなもの新しいものを生み出す力があれば食べて行くことは難しくはないと思う。でも、一つの作業だけではそのやったことが生きないことが多い。新しいものをつくるでも一つの要素よりも2つ3つの要素をいろんな工程で掛け合わせて問題を解決しながら、いい感じのものを生み出してゆくのが、真似ものが出てきにくいものづくり。

私自身、部分的なものづくりよりも総合的なものづくりに興味を持っている。ものづくりだけでなく、つくったものを提案することにも。やることは一杯合っていつも忙しい、無理とそういう立場に自分を置き続けているからだろうけど、それでも時間あったら仕事をじっくりとしたいなあと思う。今も図案をつくったりしているけども、ほんと時間がなくってソフトの使い方もしっかり覚える間もなく結果を重視でドッタンパッタン。

新しいものができないからというのは守備範囲が狭いから、守備範囲を広げて行けば新しいものを作れる可能性は広がる。アパレルが不況なら、アパレル以外の小物や資材系、製品を展開すれば、縫製もやってみようとか。何十年もやっている人や会社が、他の領域に進出するのに抵抗があるというのが新卒の学生や新規の起業家にも負けてしまう辺り。量がまとまればプロに任せればよいのだ、でも、新しいものをやろうとするときに最初から専門のプロに任せると売れもしないものにつき合わされ見本倒れでは良好な関係を保つのは難しい。自分で試作して市場まである程度練っていけそうになったら量産で頼める形が良いだろう。サンプルの段階でもプロに任せて自由に変更とかできるのならそれもよい方法だろうし。

仕事がないまましないまま、成り立たない状況を長く続けてもそれはそれでよくない話でいつか終わりが来る話。できる仕事はできる限りやってみてそれでも駄目なら駄目だろうし、できることもやらないでやっても無駄だとか面倒だとかでは、現状を好転させてはいけないだろうし成長もせず、やるならやるで全力でやったらよいだろうと思う。どんどん限界が広がって行くものだから。実際に自分がやっているからそれが大事なんじゃないかと思う。新しいサンプル一つでもアイデアをいうのは自由で簡単でもそれを形にするにはお金も時間も掛かるし、それを自分がやるとその費用を回収するだけでなく、商売として正しく成り立たせるところまで考えることができるものだと思う。
2019年02月13日
タイトルのいろんなことをやったほうが得だと思うというのは、仕事なんかをやらないほうに逃げているといつの間にかできない人間になってしまっているということ。それが最初の1回をやらないと次に同じシチュエーションになったときにやるのかというと同じことでやらないだろうから、最初の1回にやってみることが凄く大事だと思う。仕事に就いたときから、私に仕事を教えてくれた方は働き者の方だったので他の人がやらないことをカバーしておられ会社の現場の仕事が回っていたと思う。

その方でも一つの作業を中心にされていて、織る作業はできなかった。織る作業ができないのは、たぶん、織る作業だけの人がいるから。織る作業だけの人というのは織ろうとすると、駄目駄目、やるから触るなという感じが多い。工場長をやってた私のおじさんもタバコがやまらない人で、末期は仕事の半分以上の時間、外でタバコを吸ってみたいな状態で、私がしかたなく自分で織機を修理したときにすごく私を叱ったりもしたし、織機のキズが直っていないのでちゃんと織機を見てほしいというと、いやなら明日から一人でやったらいいとかいうし。出機の方も、2ヶ月経っても見本を織れるところまで準備しても織ってくれないとかで織ったら、次の日に、勝手に触るないやなら自分で織れと電話があった。織物をつくるというのが何十年やっている人からしてもぜんぜん無理な状況が産地には普通にある。

私が仕事する気持ちが大事だというのはそういう経験からかもしれないが、仕事があっても仕事のチャンスがあってもやろうとしないではうまく行くはずもあるまい。何十年やってる人がまったく外の世界がみえていない。そういうのを割り切って、何十年の経験者でも仕事を理解するは難しいと悟って、自分自信が仕事を進めてゆくスタイルに変えていった。そういうのがものづくりよりも人間関係の問題。仕事に対する気持ちが違うとその溝は埋まり難いので衝突ばかりが起こるから離れる形で割り切ったほうがよいだろう。糸を巻くおじいさんは、自分で女工さんを抱えられていたので仕事できるありがたみというものを良く分かっておられ、80近いが今も仕事をお願いしている。

良い時代にはいろんな仕事意欲の人が混在していても成り立つが、今は百貨店には手ごろな値段で色とりどりのものがすでに並んでいる。日本でやるからには自分でよい仕事を生み出さないといけない一人ひとりの生み出す力が要求される時代。仕事意欲の高い人でないと小さな織物工場の中でものごとをこなして行くことは難しいだろう。60歳の人でも普通にやっている仕事なので、決して一つ一つの作業が難しいわけではないが、時代が異なると違う感覚と意欲が必要となってくる。その感覚や意欲は時代の流れに逆行しているかもしれないが、時代の流れに乗って織物が消え行くより、時代の流れに逆らってでも織物を織り続けるとかでもよいんじゃないかと思ってる。
2019年02月12日
私は織物の会社をやっているけども、織物をつくることが中心だけどそれ以外にも作業は多岐に渡る。ほかでは手に入らないと思えば自分で糸を見つけてきて糸を輸入することもあるし、生地も海外に輸出するのも商社でやるのと同じようなことだし、展示会のブースなんかも自前で装飾する。林与の冊子も自作で、ちょっと出来が甘いけど、業者に頼むと業者仕様の無味乾燥感が漂い、スタイリッシュではあるけど好きじゃない。

だいたいは誰かに任せたほうが時間も手間も省けてよいといわれるけど、織物を作る作業に比べるとそういう作業は簡単なことだったりする。自分でやると自分の表現がそのままできるというのが良いところで、他の人の制約が無いあたりがよい。単純な話、1文字でも間違って入稿したら後戻りできないとか。他人に頼むとできることもできなくなることが多いし、他の人に頼んで他の人が動いてやってくれれば良いけども、他の人にやってもらうためにすべての資料を用意するとかしていると、自分の動いている部分のほうが多すぎてのパターンも多い。

また、織物も色柄扱うデザイン的な仕事なので、パンフとかも自分でデザインして作れるくらいでないと駄目なんじゃないかと思えるところがある。器用さのあるところが私の特徴で、案外そこに救われていることは多い。生地の世界で織物屋さんじゃないけど、器用だなあと思える方の一人が、京都の棉生テキスタイルの馬渕さん。柿渋とか、プリントとか、超軟水とか、いろんなネタをもっておられて、キューピーのプリント生地を柿渋にして茶色に染まったシュールなキューピーのハギレを見たときには目指すところは違うのかもしれないが、クリエイティビティでは負けてしまったのではなかろうかと。

3年まで絶対にできないと思っていたおじいさんの頃の近江上布を絣で広幅で再現することも目処がついてきて、だいたいのことは気持ち持ってやればできるじゃないかと自分でやってみることにしている。十分な設備があればもっと簡単なのだろうけども、贅沢を言わずに出来る範囲で成り立たせてその後で設備を考えればよいと思う。誰もがやっていないことをやらないと本当に新しいものはできないのだから、正しい答えというのは自分がやってうまくできたらそれが正しい答えでしかない。試行錯誤の中でうまく行く方法を見つけ出してその道の一番の専門家になることが大事。やってみて駄目だったらなぜ駄目だったのかを考え問題点を解決できる、別の方法を考えるしかない。自分で失敗なんかも経験すると正しい方法がなぜ正しい方法なのか分かるし。
2019年02月11日
昨日の合同会社説明会で大阪から上田安子服飾専門学校の学生の方がパリコレ向けに自分がデザインした林与のリネンで作った洋服を来て見せに来てくれたこと。その洋服もパリの展示会で売れたという。

普通、学校の課題としてやってて終わるだけでなく、自分で作った洋服を見せるために夜行バスにのって友達と二人で東京まで来てくれた。なにかものごとをやるときに気持ちが大事で、林与に自分の作った洋服を見せるために自分のお金を時間を使って東京まで会いに来てくれるとか。林与の仕事に対する意気込みみたいなものと似ているところがあってサプライズで嬉しい話。

林与に見学に来た学生さんたちが現場や林与の話を聞いて引いてしまわれているんじゃないかと心配するところもありましたがちょっと安心です。これから日本の繊維業界を盛り上げて行くのは、実際に動ける一人一人の力だろうと思うので、ワンパクでもいいたくましく育って欲しい丸大ハム。
2019年02月10日
今日は日帰りで糸編主催の合同企業説明会に参加させてもらいました、林与が新しい働き手を探すためで、ガッツのある方の出会いを求めて。

糸編の宮浦さんとは仲良くしてもらっていて、他の出展の地域の方や企業さんとも仲良くなれました。どこも同じように人材の募集には力を入れられていて、すごく魅力的な環境を用意して受け入れを考えておられる。

林与の環境というのは普通とは違う気合いで乗りきって行く世界なのですが、そういうのも主催の方が受け入れてくださり、林与は本気で仕事するにはよい会社だと応援くださいました。奥田染工の奥田社長も学生には林与がお薦めということで可愛い子には旅をさせよの親心でしょうか、ありがたい応援です。

就職活動中の学生の皆さんともお話しできましたし、嬉しいこともありました。糸編の身内筋の方との面談というより懇談もありで、最後の方は、日本の織物の歴史を話している辺りで終了の時間となり、新幹線で戻りました。

普通以上の体力、気力、根気の必要な仕事ですが、なれれば60歳70歳のお婆さんたちがやっている世界なのですが若い人たちに出来ないことはないですが、目の前の仕事を確実にこなして行く覚悟がないと苦痛でしかないだろうなあと思えます。

繊維関連産業全般的の企業が集まった募集なので、織物以外の職種の希望のかたも会場にはたくさんおられました。織物というのは注文を受けて作ることが多いので、注文する側のアパレルさんや問屋さんの感覚とは異なって自分が受けて作っていく側なのです。テキスタイルメーカーというと自分で生地を開発することもありますが、多くの場合は、お客様の要望を生地にして行く作業で責任感の世界です。

そういうお客様の要望される布を産み出せる力は地力みたいなもので、自分が布を自分のアイデアで作る時の基礎力となるので、そういう仕事をこなせるのも実力のうちだと思うのです。
2019年02月06日
仕事できる人と仕事できない人の差は、一つ作業をしてもらうと分かることが多い。今までもいろんな方が織物をしたいと来てくださったけども、課題ひとつ乗り越えられない人も多く、そういう人というのは最初の1日の仕事が成り立たない。10年以上昔、進路指導の先生が生徒さんといっしょに来てくれて、就職のための工場見学で、縦繋ぎを見せて体験してもらおうと丁寧に教えるが、その学生さんはできないと諦める。先生も、最初できないのは当たり前よね、という感じ。

教育ってなんなんだろうと思う瞬間。丁寧に教えようとしている途中で諦めてしまう。先生もそれに同調してしまう。100人に教えて、99人ができて、できなかった最初の1人。先生もついていてできないが当たり前で終わってしまう。先生もいっしょになって縦繋ぎを覚えてできるようにならないと駄目なのだけど先生が覚えようとしていない。先生が他人事で聞いている。先生からして、他人事で社会性がないのであろう、目の前に学生のために一生懸命教えようとしている人がいるのに。

大手の企業の現場の仕事で、動くのも早足でないといけないから、あそこは駄目な会社だと生徒の前で言ってたり。働く時間も待遇良い会社なんだから別に普通とくらべて悪いこともないのに、先生が先生で怠けたこと考えているから生徒までも駄目にしてしまう。その先生でも、私の感覚からすれば自分に優しく人に厳しいタイプに思えた。良い待遇を人に求めているのに出来ないのが当たり前みたいな、まわりがそういう人の片づけをしないといけない。学校が当たり前に大人社会に受け入れられるように教育しないなら、企業が先生の代わりにその人を教育することになる。甘く育てることは責任逃れで簡単だけど、本人のことを思って厳しく育てることはぶつかることもあって難しい。甘く育てたら育てたなりに、先生が将来、その生徒を雇ってあげるか、自分の給料を上げて食べさせてあげればよいのだろうけどそんな覚悟もないい。その子を支える覚悟のないひとが育ててしまってる。

コンビニでバイトもしているというのでりっぱだねえと私は感心もするが、先生が、お正月も休めないし、福利厚生もないからと。先生がアルバイトながらせっかくちゃんと働いている職場のことを悪く言ってしまわれている。誰もが先生のように休みもたくさんあってじゃない現実も教えないと、その生徒の実力を考えたり、現実の厳しさを教えないと。学生のアルバイト以下の感覚で待遇のよい就職先を探そうとしても先生それは受け入れ先は少なくなるのも当たり前。生徒さんがというより進路指導の先生が駄目な話。
2019年01月26日
今日は雪模様の中、週末を利用して、西脇からマナちゃんが来てくれて工場の中で整経の作業。夕方ひと段落のあと、糸を巻いてくれるおじいさんのところに糸を取りに行く。その帰り、雪の中、雪でスリップして道から脱輪して水路にタイヤが落ちかけの軽バンが前方に。声を掛けると佐川ドライバーの方が一人で困っておられ、3人で完全に脱輪してしまわないように手伝って軽バンはドライバーがゆっくりと運転して道に無事に戻ることができた。プロのドライバーでもスリップなので雪のときの運転は慎重に気をつけないとという思いが増した。

マナちゃんの家も機屋さんで特殊な広幅のカラミジャガード織機が残っているという話で、日本でも数少ない希少な環境が残っているというか、残しておられるというので、今は動いていないということなのだけどそういうものを大事に残していつか動くとすごいなあと思う。機械技術というのは昔のほうが凄いなあと思えるところがある。
2019年01月18日
自動車保険の更新に自動車メーカーのオートディーラーに行った。私の保険のことよりも気になったのが、他のテーブルでカーナビのデータ更新をされたいお客さんの話。個人情報同意書にサインが必要ということでサインなのだが、その同意書には、カーナビのデータ更新でカーナビが壊れてもお客さんの責任ですよというのに同意しろという内容で、お客さんもこれには当たり前に怒っておられた。そんなむちゃくちゃなものに同意しないと更新もしてもらえないのかという話。

カーナビメーカーも更新プログラムがカーナビを壊したり不具合をもたらす可能性もあるというのを知っているから、そういう対応なのだろうけど、そもそもまともにデータ更新できないようなカーナビで、リコールしないといけないようなカーナビがついてしまっているという話になる。お金は欲しく更新サービスを提供しているけど責任からは逃げる逃げる。

お金払って更新して実際にカーナビが壊れたらどうするの?カーナビ買い換えろということなのか。たちの悪い業者そのものの考え方が基本になってしまってては、買うときにそういう説明すらも必要になってくる。純正のカーナビが更新で壊れても当たり前の品質のものというのも、カーナビよりも無料のネットのナビのほうが更新も必要すらなく上の品質。はずれを引かされたということにつながりかねない。

メーカーでカーナビを作っている人にしても、働く時間も人も制約を受けて対応が難しく、まともに動かすためだけにつくりあげたカーナビ、更新なんてすれば、うまく動かなくなる可能性は高いのである。お金を払って壊れる可能性すらあるサービスを受ける無責任な対応されるくらいなら、新しいものを買ったほうがよいという話になってしまう。

自動運転もカーナビを使うのだけど、カーナビ自体が、更新は必須うだろうけどまともに動くことも保証がないものだから危険すぎるだろう。
2019年01月02日
問題がないのに織機が止まる問題。こういうときに織機や機械の故障なのかそれとも調整の問題なのかを考えると、織機や機械の問題ではなく、適切な調節が行われていないから、織機が問題を感知して止まるのだろうということがほとんど。今回も、あまり関係のない違う調整不足の所を正しく調整を掛けてみる。すると止まる問題が消えた。織機は正しく感知して止まっていただけのこと。

普通の織物を織っているときにはこういう問題は見えてこないけど、ぎりぎりの織物を織っているとこういう問題に遭遇してしまう。理論的には織れないといけないのだけど、理論的に織れる限界近くの織物の場合には、できる限りただっし調整が必要。私が一見して正しくなく気持ち悪いなあと感じていた、何十年も調整をされていない個所を正しく触っていくことになる。

そういう調整のできていないと思われる個所にしても、調整してみた結果そのような調整の位置が現実的なこともあったりするので、実際に織ってみて正しく織れるという結果が大事なのであって、正しく動いているものを理論だけで正しい調整を掛けると不具合が出てくることがあって、ほかの部分の調整に広がりすぎることもあるので、気持ち悪いなあと感じながらも調整を掛けない我慢も必要だったりする。これホント大事。

一部だけをみてそこを直すと全体がうまく行っていたものが行かなくなることも多い。理論ではわかっていても理論通りにいかないのが現実で、その中で答えを出してゆかないと行けないことも多いのである。大きな会社だと理論通りにすべて行くように外が問題を吸収することが多いが、林与みたいな小さな会社は、そういうケースでは外の会社で問題を吸収し解決するのが仕事みたいなところかなあと思う。
2019年01月01日
あけましておめでとうございます。

今年のお正月は例年よりも暖かく、工場の中で作業をしていても寒さをそれほど感じないのでありがたい。それでも25日ころから降っていた雪は外に残っている。年末には調子よく動いていた1台の織機が年を越し、今日の終わりから不調、経糸も横糸も切れていないのに止まる。光感フィーラーの問題かと思い、基盤を交換したりするものの改善しない。

織機が問題がないのに止まるということなので、無理やり動かすと動くのだけど、問題があるときにも無理やり動かしてしまうので、キズが出てしまう。判断が難しく、これは一度本格的に原因の究明が必要な問題。
2018年12月31日
シャトルの管を立てる管立てが、12本が一列になっていて巻いた管が狭すぎて入りにくいので、10本×10本の管立てを作ることにした。一つだけ作っても便利じゃないので、管が1000本以上はあるので、100本立てられる管立てを何個かは作りたいなあと思ってコメリに行く。コンパネを1枚買って32cm×32cmで10枚カットしてもらって10cmほどの釘を一袋4kg買ってボール版で100個4mmで穴を開けて、釘の先端をカットしてから打ち込んで、ひっくり返して、一枚裏に板を当てて四隅を小さな釘で底から打って、32cm角の剣山みたいなのができあがり、いい感じ。

早速、使ってみると。使い勝手が非常に良く、管に糸をシャトルにギリギリ入るくらいに目一杯に巻いて作業効率を上げる。1列10本にしたことで、数を数えやすく残りの数も数えやすくなるので、コントロールがしやすくなる。こういうことがしたかったをこの年末に実現。けども、こういうことは2の次のことでこういう経営改善ばっかりしても意味が無いとは思う。またこういう経営者の作業現場の効率化というのは、作業しているものが自分で生み出してゆかないと、単純作業化されてゆくだけなので複雑な考え方などできなくなるというマイナス側面ももっているだろうと思う。簡単なことだけしかできないとか、用意してもらわないと出来ない人が増えることにつながるので、口頭で伝えてそれを作業している人が書き取って自分で考えて仕事を効率よく組み立てるようなプロセスも長期的に考えると大事であろう。

織物の縦の糸が切れる問題も原因が分かって対策を考える。たまたま別の用途に使う予定だった櫛を沢山買っておいたのが大活躍で、この1ヶ月くらい私を悩ませていた縦糸切れの問題は解決。これが解決するのと解決しないのとでは大違いで織れば織るほど問題が増える状態から、ほぼ、横糸がなくなったら交換するだけの状態でキズの数も1反で数箇所に。
2018年12月30日
年末年始に織らないといけない状況で台数を減らして速度を落として付随作業も並行して行う。また、防音対策として少しでも音を抑えられるように吸音材と遮音シートをコンパネに貼って窓の内側に取り付けた。付随作業も多くあって、1月中に終わらないといけないものが8案件くらいが動いているのでどこまで並行して進められるか。今日は一日中作業、外は年末年始で止まっているので、ゆっくりと作業に集中できてありがたい。

私自身、じっくりと作業する時間がいつもないのでこういうときには落ち着いて便利な工作物などを作り上げる。一つの案件が太い糸なので、シャトルの管に巻くのが追いついていない。シャトルの管も400本ほどしかなく少なめなので、会社にあった形が異なるシャトルの管1000本以上あるのを使うことを考える。シャトルは予備に大きさは同じでも中の管の受け口の形状が合っていないものなどを手に入れておいたのでそれを活用することに。

シャトルの管を挿す金具を取り外して、光感フィーラー用の金具と取り替える。挟んでしまって壊れたシャトルから金具を外して、取り付けて丁度金具の先端が糸の通る穴の中央辺りにくるようにバイアスと金槌で金具を矯正。シャトルには光感フィーラー用の穴も空いていないのでボール盤で穴を開ける。

シャトルのテンサーのゴムが劣化しているので交換して出来上がり。シャトルを織機にセットして織ってみると、フィーラーが反応して織機が止まる。おかしい、管の光は漏れていないのに止まる。原因はあるはずなので、一休さん。シャトルから糸が出るところについているテンサーの形状が、貫通していてそこにテンサーをはめ込む形状なのでそこから光が通ってしまうからと原因が分かる。で、どうしたらよいのか、この穴をふさぐと糸が切れたときにテンサーを押し出してテンサーの中を糸を通すことができない。が、このシャトルのテンサーの穴を塞がないとシャトル織機は正しく動かない。

結局、塞ぐことに、あとは作業するものが器用に糸を通して解決すれば良いだけのこと。シャトルの管の長さが今までのものよりも少し長いので、糸を管に巻くシュワイターの調整も必要。長さには対応できたけど、巻く具合がもっと管の底のほうからまけないとシャトルの管の光感フィーラー用の穴が巻けた糸で塞がらない。塞がらないと駄目なのだ。シュワイターの調整も30分くらいで終わって、糸を管に巻く仕事は母親に頼むことに。母親に頼むと、巻き終わった管とこれから巻く管の交換がうまくいかないということで、もう一度シュワイターの調整。私にしても問題があるときに初めて触るだけのことで、誰かにしっかりと教えてもらったことというのはほとんどないままで、素人なのかもしれないが、目の前の問題を解決できれば、知識があっても解決できない玄人よりも意味があるとは思う。

このあとも、シャトルの管を差し込むくぼみが大きすぎて管を固定する溝から外れ管が回ってしまい光感フィーラーがうまく働かない問題、すでにほられた大きすぎるくぼみを埋めるなんてことはなかなか難しいのだが、ひらめきでやってみたことが正解でうまく行って。昔の管と予備に購入しておいたシャトルとそのほかの部品を寄せ集めてシャトル織機がうまく動くようになった。
2018年12月27日
冬場は湿度が下がり、乾燥するので麻は織りにくいとされるが、カラッと晴れた春から夏場も温度が上昇する局面では織物が織りにくい。これは乾燥すると毛羽が擦れ毛羽立ちが起こったり、糸の伸度が低下したりするからである。ロウ棒なんかは、毛羽立ちを抑えるのに効果があったりする。蒸気噴霧もそう。

伸度の問題では、縦糸が1本切れているのを直そうとして織機の後ろから切れた縦糸をソウコウを通し直そうとするだけで、左右の縦糸がぽろぽろと切れてしまうほどの状況もあったりする。本来、織れない糸なのである。それを織るためには織機の構造も大事で調整ではどうしようもない場合がある。

糊は強ければ毛羽立ちは抑えられやすいのであるが硬くなり伸度は低下する傾向にある。糊加減というのは大事。糊加減は、引っ張ったらプチンと音がして切れるくらいが良いのである。
2018年12月26日
自分の仕事でもピンチな局面はあったりするが、それは努力すれば打開策が見えてくるもので、全体的な方向性を調整するとかで、成り立つ道は見えてくるものだろうと思う。機屋というのは織物を織っているだけでなく、織物を提案したり企画したりもできるので、やろうと思えば仕事の幅が農業と同じですごく広いからだろうと思う。

織るだけに徹してしまうと他力本願的になりがちで、本業以外の一般的な投資とかにはぐらかされてしまうのだろうと思う。分業で成り立つ自営的な仕事をしている人が本業以外に手を出してこけるとか、商売が難しくなったときに大きくこけてしまうのはその辺りだろうと思う。投資的なものごとは儲かるなら本人がやって儲けるはずという、よくある話で、なんで自分がやって儲けないのという話。

同じ物事をするにしても、誰が何をいつどこでどんな風にやるかで、答えはまったく変ってくる。コブ取り爺さんとか、花咲爺さんの話が古典的なのだが、他の人が儲かった話を聞いて同じことをやっても人も違うしタイミングも違うから同じように成功するならそんなに簡単なことは無いのである。コンビニなんて全国どの店舗も同じ運営形態で基本場所だけが大事なのである。といいつつも、田舎だとコンビニも経営努力をしていて、工場地帯にトラックも沢山入れる大きな駐車場を持つ店舗をつくる、お昼は従業員が買いに来てくれるし、夜はトラックヤードとして提供することで深夜も売り上げが立つ。都市部のコンビニのように長時間駐車をとやかく言い出したら商売が成り立たなくなる。

そういうのを考えると織物の仕事も同じだろうなあと思う。自分に適した商売のスタイルを持つことが大事で、林与の場合には出来る限り自分でできることはやってみることで、仕事にも柔軟性を持たせピンチも乗り切れるようなスタイルが良いんだろうなあと思う。
2018年12月25日
投資というのは、ものづくりの基本だったりする。仕事を受ける前に仕事をする準備をしておくとか、仕事を受けて材料を買うとかいうのは投資行動なのである。株やFXというのは値上がりを期待して株価や金融商品が下がれば投資が失敗とみなされるので、ゼロサムな投資で、博打に似ている。本来の株の投資要素というのは配当を得る物であろう。

繊維関係というのも良い時代にはどっぷりと株なんかに浸かるもので、時代が悪くなるとその反動で悪い時代に本業以外の大きなマイナスを抱える。これが本当に厳しいところ。良い時代には本業も株なんかもうまく回るけど、悪い時代には、本業も株もうまく回らない。

繊維の大手の元気な商社も経営が順調だったのが何百億円のデリバティブの失敗でという話があった。経営が順調だったのはデリバティブがあったから、それが溶けたときには本業のほうも改善が必要となって大きな再編を強いられたりするものである。そうなって初めて、まともな仕事では1割2割の利益を上げるのがよいところというのが実感となるのである。裏でお金が2倍3倍になる要素が消え、お金を2倍3倍失う要素を抱えたときに、本業の1割の利益を上げる仕事に投資できるのかという問題、お金を動かせる規模も何十分の一になる苦痛でしかないだろう。

誰かが儲かれば誰かが失うゼロサムなものが裏で本業の何十倍の規模となり、本業がそれに浸かると。本業だけになったときに、本業も温くなりすぎていて普通の厳しさには耐えられないものである。繊維の仕事にしても海外だと子供ができる程度の仕事が多いのだが、なぜ子供が仕事させられ大人は何をしているのかというと井戸端会議だったりする。だから海外の織物は高度化しにくい要素を抱えている。

日本も現場が実際の仕事ではなく井戸端会議ばかりになると簡単なこともできなくなるし、実際の仕事するのは他の人みたいな感覚が増えると大したものは出来なくなる。自分自身が仕事して生み出してゆかないと人から取ることを考えては本質的ではないのは、本業以外で儲けようとする経営者と同じで続かなくなるものである。

経営者の考えが本業を大事に労働者も仕事を大事にするような体制だと一枚岩みたいなところがあるが、繊維関係でも、よくある状況が仕事が仕事が分からない面倒だとか、これしか出来ません、というような現場を抱えた会社になると先行きは暗いのが当たり前だろうと思うが、そういう雰囲気を出さないようにしてゆかないといけないのは、なかなか難しいことだろうなあと思う。

面倒そうな話で駆け引きばかりで、外と釣り合いが取れないほどの妥協をしてものをつくったところで、次はないのである。普通の仕事で投資しないといけないという感覚は、誰かが持っていないと何も生まれてこないことになる。何十年の経験者でも、織れるまで用意して何週間もほったらかしで、織ったら勝手にさわるな、いやなら自分でやれといわれ、自分で織機を入れ替えして乗り越えたり。ある問屋さんでも、自分を通してやってくれという話だったら、その問屋に嫌なら自分で売ったらよいと簡単にいわれて、それでよいのかと自分で生地を売り出したことで変な義理立てからも解けて、ややこしさもなくなる助かる話。

仕事があってもできないとか成り立たないの外部要因と内部要因をまず解消してゆくことが大事だなあと思う。覚悟して仕事に取り組める人でないと難しい、私が先代にしても母親にしても、目の前の仕事でもできるのに面倒がって逃げていたから、若い世代の仕事できんのと覚悟が変らんところがあったりするので、やるからには正しい姿勢を心がけているのはそこである。仕事を始めたときに教えてもらった一人の人がすごく仕事が上手な人で仕事の姿勢も前向きでそれが私の仕事の考え方を支えている。
2018年12月24日
年末年始というのは物販の商売にとっては稼ぎ時というのがあるだろう、製造業にとっては基本的には休む側。小さな機屋で、麻関連なら休んでいるどころではないので、私自身早くに覚悟を決めてこの10年ほどは年末年始も仕事をしている。

年末年始の思い出で3つ。1つは、京都の小さな染色工場をお金払って3日借り切って布を染めた思い出、3日駐車場に寝泊りして染をやったこと。2つは、弟が帰省したので弟が手伝ってくれてシャトル織機を設置したこと、弟は有能だなあと本当に思う。3つ目は、型染めを年末年始の2週間寝る以外試行錯誤でこってりとやったこと、これが近江上布柄を広幅で復活させるための染の基礎となった。

予定していなかった大きな問題が発生したからということがある。京都の染色工場を借り切らないといけなくなったのも、見本を手伝ってくれた方と連絡が取れなくなって自分で本生産をしないといけなくなったから。2つ目も、どうしても織れないのが3つもあって、その3つを織るのにシャトル織機の調整で数ヶ月使うも断念。移設したシャトル織機を設置してその3つが織れた幸運につながる。3つ目は、補助金も得て、手描きがうまく行かず、本格的な型染に切り替えることで乗り越えた。

他にも年末年始の仕事にはいろんな思い出があって、通常の生産だけでなく特別なことをやっていることも多い。みんなが憧れるのが特別な仕事なんだろうと思うけども、そういう特別な仕事というのはどうしても時間が掛かるので、本業とは別のところで解決したりができないと成り立たすことも難しい。そうでなければ普通のことしかできない機屋に終わり、働く人が毎年、年を取って仕事がどんどん難しくなる中、残ることも難しいだろう。

これは機屋だけのことでなく、京都の染色工場なんかの事例をみても、やっていることは数日やればマスターできることで、それで一生食べていくというのも競争も激しく難しい話だろうなあと思えたりはする。普段仕事をしていると余裕の時間なんてないので、高度なことをしようとするとどうしても外の休んでいる年末年始なんかが一番良いタイミング。いろんな面で苦労はしながらも、自分はツキがあるなあと思う。
2018年12月23日
江戸時代には、高級であるとされた青苧が、全国規模で大麻で代用され上布産地でも大麻が主流となってきた。この流れには逆らえず、近江上布の原料の供給元であった能登の原料も青苧から大麻化したようである。近江においても江戸時代後期の能登川地域の上布はすべて大麻とされているのもそれが所以であろう。越後や近江は江戸時代を通じて東北の良質な青苧を近江は近江商人の手で運び入れ青苧の上布をつくり続けていたのである。ほかに赤苧織物というのが青苧織物よりも上とされ、近江、越後、宮古などの上布の産地では赤苧織物は記録に残っている。今の時代に赤苧織物を再現することは容易ではない。

戦後も、上布の産地が麻織物の生産を続けられたのは、上布の産地が大麻と苧麻の両方を生産していたからだろうと考えられる。大麻だけを生産していた産地は生産を続けられなくなって、戦後は大麻栽培が禁止されたことにより、戦前に大麻織物を生産していた地域も、戦後は麻織物の産地としては消えてゆくことになった。

なぜ、青苧織物が大麻織物よりも高級とされたかというのは、青苧織物のほうがシルクのような細く繊細な織物が織れ光沢感もあるからであろう。また、上布が高級品とされるのはプリントではなく絣に織られるというところで、上布の産地に共通した特徴であろう。日本人の布への共通した価値観が感じられる。

なぜそのような高級な布への共通の価値観があったのかと考えると、それは昔はほとんどの人が織物の製造に携わっていたからということがあると思う。なぜ、近江が地麻を使わずに東北で績まれた苧麻糸を使っていたのかも、分からない気もしないではない、近江商人の存在により日本で一番品質の高い糸が手に入ることになった。原料からしても細い糸を績むには、寒い地域の東北の原料のほうが上で、雪に閉ざされる時間も長かったからであろうと思われる。
2018年12月18日
最初にパソコンが出始めたころというのは、ゲームなんかもいろいろと作られていて、今の携帯ブームみたいなものだったと思える。私自身が思うのは、みんなが使うソフトウェアというのが、ワード、エクセル、とか、あと専門職のひとたちは、フォトショップやイラストレーターとか。ソフト自体よりも、データの共有が重要視されて、英語が国際語であるのと同じく、世界中で言語は別としても同じデータを共有できるというあたりが重要だったりする。

ウェブなんかもHTMLという言語で書かれていて、その言語に従ってつくるか、その言語を生成するソフトでデザインしてウェブにアップすれば、そのページは世界中で見られる。ツールを使いこなせれば、出版社と同じようなことができることになる。SNSなんかもその類であろう。また、郵便なんかもEメールに置き換わってきた。銀行に行かなくてもネットバンクとか、買い物もウェブでとか。

もう、お店に行ってもあまり在庫がないとかが多くなってきて、ネットのほうが豊富に在庫もあって、自分の知りたい情報も店員に聞くよりも手に入るということが多くなっている。今日も、SDカードのメモリのことでメーカーに電話で直接問い合わせたが、店員に聞いてもお店に無いものは無いで終わることも多いのである。聞いた店員さんがたまたま詳しい人だとよいけども、普通の人も沢山働いているので同じ質問でも聞く人によって答えは変わってくるのである。

私も作っている側なので、生地に関する細かな質問なんかは私以外のほかのものが分からないことが多い。聞いている人も分からないかもしれないが、つくっている人たちのほとんどの人が分かっていないのだから、それを売る人が正しい知識を持っているということは現実的ではないだろう。
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