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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年08月10日
私の中には割り切りみたいなものがあって、仕事とはどんな職業でも同じようなものだろうと。織物の仕事が日本に残るためには、しょうもない話だけどつくる人の価値観が変わらないと難しいと思う。儲からないからやめるとからなら早めにやめておいたほうがよいと思うし、自分がこれで成り立たせて行くという覚悟みたいなものがないと、成熟して下降期に入っている織物業界では機を動かして行くことは難しいだろう。最後正しい布をつくれて、売れてナンボの世界でしかなく、農家が自分で種を植えて育ててそれを売ってお金をもらうのと同じことというのが、織物の仕事の基本だと思う。

繊維の世界ではみんながやめて行くのは、国内の需要が海外でつくられた生地や繊維製品で補われてしまっているから。日本の需要の5%程度しか、国内の生地に対しての需要はない、かつては20社あったのが、1社になってしまうのが普通で、数社のこるとしたら、生産規模はそれぞれの会社が何分の1となるのが普通。需要がそれだけしかなくなってしまっているのだから。繊維の業界も何十年のプロばかりだろうけど、何十年の経験のあるものでも食べて行けない世界。同じ道を目指しても食べても無理で最低限同じ程度の力は備えてスタート地点に立って、新しいものづくりを考えて行くしかないのである。

伝統工芸士でも食べて行けないといわれるのも分かるし、食べて行けないといわれる職人ほどの力もなければ食べて行けない。先進国で繊維の世界にいるなら単能工的な職人を越えていないと食べて行くことも難しいだろうと思う。といっても、できる人の真似をしてできるようになるだけのことなのだが、それが先進国では職域みたいなものがあってなかなか難しい。インドなどではカースト制度のようなものがあって宗教的に職域が区切られているが、先進国でもなぜか似通ったところがあって職域にこだわる人が多い、行政の縦割りみたいな感覚だろうけど、そんなのは内だけの世界で外では通用しない。SPAのような別に考え方からすると特殊でもない形態が、日本国内の繊維業界のしがらみの壁を全部越え、新しい繊維業界を構築してしまう。

割り切って地道に目の前のことをやっていればそれほど悪くないのに、やっても無駄と何もしないでいては落ちて行くのも仕方が無いし救いようが無いのであると、自分に言い聞かせる。自分でいろいろやっていると他の人に見えないいろんなことが見えてくるし、情報なんかもいろいろと集まってくるものである。

2018年08月09日
家具屋の父親はあっさりと娘に経営を譲ったがボクシングの会長は地位にすがった。自分自身が常に成り立たせることに苦労していればそれを他のものに譲り外から見守るはできた人間のすることだろう。あるスポーツの指導者が、ボランティアで教えていて、指導が厳しいからと親から文句をいわれてもう指導はしないことにしたという話もある。本気で考えている人というのはそんなものだろう。自分を犠牲にして他の人の子を厳しく指導して、厳しく出来ない親の代わりに育てているのに、それにまだ文句がでると、それは子供を指導する出なく、親を指導できなければ難しい問題で、子供の指導自体を諦める話になる。子供のためのスポーツなのに親が楽しむイベントみたいなところもあって、ボクシング界の縮図だよ。

指導して文句がでるようなら諦め、自分でやってみなさいでよいじゃないかと思う。それを年をとった連中が組織にはびこり自分たちが主役だ考え、自分たちの立場を優先して考えるようになると、終わりだろう。それは外から文句をいう子供の親と似ている。指導される側がいい加減ならいい加減な指導で丁度。指導される側が本気なら本気で指導でよいじゃないか。

昔、ある小学校にミシンを教えにいったときも、班に分かれてやったが、その班は女の子がミシンを準備して、準備が終わったとたん、遊んでいた男の子がそのミシンを取りあげる。本当なら、厳しく叱らないとならないけど、その学校の雰囲気が授業中遊んでいる子供を叱らない駄目なので、そこで叱ってもその学校の先生を叱らないといけない問題。その女の子は、チャイムが鳴ってからミシンで縫い始め、なんとか出来上がるように5分ほど私も必死になってやったけど。校長室に呼ばれて言われたのが、「ちゃんと時間は守ってもらわないと、子供たちがお腹を空かせて、父兄から苦情がくる」という指導を校長から受けた。

校長先生が、すべてを耐えてミシンを準備して文句もいわない女の子未満なのだ。学校といえども、そういう女の子がいないと授業もうまく回らない状況。校長じゃなく教頭先生が、女の子が準備しているときに来て、この子のお家は立派に教育をされていてという話があって、女性の教頭は分かっている人だなあと思ったが、この小学校がというよりも、社会も実際には、この小学校を縮図にしたようなところが多いので、せめて、子供たちが育つときにだけでもまともな環境を提供するのが大事ではないのかと思う。それを文句言いの親たちが台無しにしてしまう。

私も校長に文句をいうことはしない。真意を伝えてもこの校長にとっては自分の立場のほうが大事な人だろうから、反論もしない。校長室で何度も、「すいませんでした」と謝罪するだけ。私にとっては、校長に頭を下げても、その女の子を応援するほうが大事だし、私自身、まったくの善意で行っているので台無しにするのも駄目なことだろう。

最初に戻るが、家具屋の父親は新しい会社を立ち上げて娘に譲った会社を辞めた人を雇用しているとか。娘は金融とかコンサルティングに強いのだが、選んだのが身売り、自分じゃなく他の人に立ち直らせてもらうという話?娘に会社譲って、リストラされた社員まで雇って娘の片付け、立派な父親だと思うが、これもよい親の教育の一つだろう。同じようなことが京都の頒布カバン屋さんでもあったけど、その名前に奢って本質を忘れ儲けを考えると、それを買ってくれるお客様というのは本気な方が多いので看板商法は見捨てられてしまう。喧嘩売るのが看板商法側ということが多い。本来、ものづくり企業は、ものづくりに専念するべきなのだが、ものづくりばかりで情報発信しないと外の世界には伝わらないことも多く、私自身もこんな独りよがりな発信をしている。
2018年08月08日
今日はリネンのキッチンクロスの巻き取りで一苦労。糊の加減と重りの加減で、ゆるく荒巻されてしまったために巻取りで食い込む現象。半分の量をボツにして半分を救う。総先染のキッチンクロスは、染の少ないキッチンクロスとは違って糊付が必須となるので、想定していないこととして起きた。初め一バンド巻いたときに、ゆるく巻けていると不吉な予感がしていたが、巻き取れないほどに大きな問題となるとは悲しい話である。

巻取りで半分をボツにせずに突っ走っていたら巻き取り幅がどんどんと狭くなって全部ボツになってしまっていただろう。ベストが駄目なときにはセカンドベストで、半分を後でやり直す形で納期など少しでも詰める。こういう風に糸が通常と違うときには織でも苦労をする可能性がある。感覚的には糸が糊が付いて少しぱさぱさしてしなやかさがない状態で高密度に織れるのか試してみるしかない。世間はもうすぐお盆、お盆の間に問題を解決して遅れている仕事、また、自分のやろうとしている染の案件など、普段バタバタしすぎているのでじっくりとできればと思う。

少し変わったものをつくろうとすると奥が深すぎていろんな壁にぶつかるものである。そういうときには時間を使って、あーでもない、こーでもないを超えて形にしてゆく。今までの経験でも、麻でアパレル向けのものをつくるときに、一番困るのが最後の物性検査が通らないこと。定番の企画でなければ、滑脱や収縮など試作のときに検討しておかないと、普通の生地でもサンプル時と本生産では数値がまったく異なることも多い。同じ生地を投入してもサンプルと本生産で物性が異なる。加工の問題なのだろうが、その加工工場の問題がなるべく起きにくい様に、また、起きた場合でも問題が解決するように生地規格を収束させておかないと難しい。

学生のアートな世界はファンシーなものがテキスタイルデザインとして好まれるが、プロの世界は地味なものがテキスタイルデザインとして好まれ、物性面など見えない部分をしっかりとコントロールしておかないとまったく使えない生地で終わってしまう。地元で経験をもって独自の作風でテキスタイルをデザインされていた方でもその物性面で問題があって良いブランドさんだからお金はもらえたものの使われることなくアパレル向けのテキスタイルの仕事はやめようと思われやめられたと話しておられた。相手が違えば、自分が何ヶ月も仕事して何も悪いことしていなくても何百万円の損害の話になる。

黒ひとつでも、本当に濃く黒を染めると色落ちはしやすい、ちょっとグレーかなあくらいの黒だと色落ちはしにくい。どっちを選ぶか、林与はどうしても、色を大事にしたいので堅牢度は悪くても本当に濃い黒を選ぶ。まあ、それがトラブルの種になることも多いけど、分かってやっている部分もある。
2018年08月07日
今日は、京都に納品で、北山の三谷さんの会社に。そのあと、久しぶりに高校時代に住んでいた京都の岩倉を訪れた。変わったといってもそれなりに昔の面影で、みどろが池もまだ不気味なままあったし。修学院のあたりは叡電の踏切など、高校時代に何で街中を電車が走っているのみたいな風景に驚いたことが蘇ってくる。京都はやっぱりすべてが小ぶりで、一人の人が占有できるスペースも限られていて織物の生産なんかは街中ではもう無理な話だろう。その点、林与は田舎に住んでいながら、仕事では自由度も高いので恵まれているなあと思う。京都は学生時代に京都に7年住んでいたので懐かしさはあっても憧れはない。

京都で使われていた麻織物というのは近江上布だったといわれている。日本の金看板の京都の夏の着物が近江の織物であったという一面、一方で、日本の麻織物の本場、近江湖東地域で織られる麻織物というのは本当に限られてしまっていて、林与にしても小さな会社なのでつくれる量も限られている。日本の麻織物の歴史をつくってきた本場でやっているのだから、自分的には、日本の麻織物業界の中で、経験面などでは林与は一番恵まれている立場だろうと思うし、自分自身の力で新しいものを生み出してゆける環境も持っている。

帰りは、途中越えのルートで滋賀に戻る。琵琶湖大橋手前で眠くなりすぎて駐車場で3時間ほど仮眠、あったかな一日で、平日なのに行楽気分。外に出て太陽に当たることが少ないから。そのあと琵琶湖の湖岸を走って、戻るともう夜。一仕事終わった状況で、今日はゆっくりと休み、明日からの仕事に備える。
2018年08月06日
今日は、与謝野より原田さんがカーテン生地を探しに着てくださった。与謝野村に町おこしで引越しされて今は自分で起業し実現されている。起業して自分で食べていくというのは他で働くことの何倍も難しいことだろうと思う。自分で何から何までやってゆかないといけないから。私自身も小さな会社なので同じようなものなので良く分かる。

私自身、昨日も徹夜モード。通常なら並行してやっておかないといけない作業なのだが、整経と機を立ち上げる作業などを含んでいるので納期のある1回勝負の仕事、間違いがあると駄目なので、他の仕事が落ち着いてから一気に進める。普通の働く人の10倍くらいの力がなければ織物工場は続いて行かないものだと思う。織物にしても普通の仕事なのだがそれがなかなかみんな難しいのである。ものづくりの場合、自分の問題ではなくても問題は起こってくるから。たとえば、織機が調子が悪くなると織物がうまく織れない。キズができたまま織って、織機が悪い自分は悪くない、というところで終わってしまう人だと仕事はしないほうがよく、そういう人を仕事の中で変えること難しい。変えられれば感嘆なのだが変えられないから難しい。

自分が自分で仕事するでなく、他で働く人の感覚というのはそういうものであろう。だから、自分で独立して食べて行くは外で働くことの何倍も難しいのであろう。自分でやるということは、自分で進めて、正しく実行して正しい答えを出して行かないといけなから難しいのである。

2018年07月30日
昔の織物のほうが今よりも素敵で日本が繊維大国であった背景には、1ドルが360円だったとか、1ドルが中国元2元であったのが一番の理由で、海外で作られたものが、べらぼうに高く、国内では国内で作ったものしか流れ難かった。

今は、円はドルに対しては3倍、中国元に対しては9倍の価値を持つ。日本で作ったものは他国では高級品で手が出しにくい。一方、国内の繊維製品市場の95%が海外製品。国内でも国産品は高級品ゾーン。

繊維製品を扱う業者も国内で作ったものより、海外で作ったもののほうが、利益を産み出しやすく、海外仕入れ型のアパレルほど、経営の数字も良好だったりする。もの作り自体においても、日本向けにたくさんものを生産し普通に成り立つ海外メーカーのほうが新しいデザインや商品も企画しやすい。

生地にしても、中国に展示会にいくと何千社が、一社あたり何千種類の布を並べている。そんななかで、林与のような小さな会社の場合、自分のやっていることの特色を濃く見せられるかどうか。ひとつの布を作るにもどれだけ自分が力を注げるか。作る人の力がすべてで、それを外にもとめるでなく、自分たちでこなして行く。

織物はデザインだけじゃなくエンジニアリングの部分も実用性を考えると大事で、糸から織物を織り上げるまでの作業、
2018年07月24日
工場の中に蚊がいるので、蚊取り線香を2つ焚く。今は安くて大きな香取線香があるので心強い。蚊取り線香にしても、昔ほどは使われなくなっているので進化しないと売れないのだろう。2缶1200円ほどで、そこそこ広い工場だがひと夏いけそうな気がする。

今日は、ポリプロピレンというのは染まりにくい素材なのだが、それを赤く染めることを試そうと染料を買ってみる。分からんけど、やってみないと分からないことは多い。たぶん、うまく出来るだろうと予想。駄目なら違う方法を考えればよいが、分からないままにしておくというのはよろしくない。思い立ったが吉日。

どんどんと自分がやったらうまく行くだろうと思うことはやってみることが大事だと思う。それも他の人に頼むでなく、できる限り自分でやることが出来なかったときにも次の解決方法につながる。

2018年07月23日
今日は日本中が暑い日、だが、外は風が吹いているのでそれほど暑さは感じない。でも、工場の中は風も吹かず、1Fはやや涼しいが、2Fはここ数日は作業していないが、屋根の下なので夏の天気の良い日は相当暑い。脱水症状にならないように十分な水分を取って作業。

1週間ほど前も、阪急うめだ本店10階でのイベントの会期中。暑さを忘れてほとんど1週間ぶっ通しの作業。予定していたことが予定通りいかない背景には、いろんな要因がある。織物をつくるには、糸を割って、整経作業、繋ぐ作業、横糸のカードをつくる作業、織り出し、織る作業。すべてがうまく行かないといけないのだが、一つ一つの作業が、すんなりといけば問題ないが壁にぶつかると、答えが見つからないときも多い。

かといって、答えを見つけられないとそれは仕事としては成り立たないので、プロならば答えを見つけられないといけない。作業が分からないとかは論外だったりする。すべての作業を理解したうえで問題にぶつかり、それを超えて行く。作業を理解するといっても、毎回のことで、最初の1回目から理解できない状態で放っておいて、いつか理解できるとかは無理な話。毎回毎回、自分自身との戦いの部分を乗り越えないと、ものづくりの仕事は前に進まない。

小幅を織っていたシャトル3号台で、綾織を始めたら、問題が発覚。ドビーの2枚目3枚目が調子が悪い。原因を究明するために、ドビーを分解し始める。ドビーの鋳物が割れていて、これを直すのは難しい。16枚のドビーで、8枚分のソウコウ枠がついているだけなので、後ろに送ることで対応する。5枚目から8枚目を綾組織、9枚目10枚目で耳の平組織、15枚目と16枚目でヒガエを取る形。正しいに近い形に直すなら、ドビーの中のシリンダを外して、壊れた2枚目3枚目の部品を使わない13番目14番目に移すとかすればよいのだろうけど、それをやると、ドビーを織機から一度下ろして修理する必要があり大掛かりすぎる。原因は判ったので、その状態を理解してキズを背負った織機をどう使いこなすか。

ソウコウを後ろに動かすとソウコウの高さが高すぎて、シャトルの飛びが悪く、シャトルを挟みそうな雰囲気。ソウコウ枠を下げて、シャトルの飛びを安定させる。シャトルを挟みそうな原因を見誤って、シャトルを叩くのを強くしたりとか他のところを調整してしまうと織機がガタガタになる。正しい原因は一つ、それを見極め正しく調整を加えないとアウト。
2018年07月22日
昨日の夜は、一人、工場で織機を調整する。私自身、職人といわれることがあるけども工場でゆっくり修理している時間もない。昨日の夜というのはめずらしくゆっくりと織機を調整できた。動きが気に入らなかったレピア織機を理想の状態に持ってゆく、縦糸の張りなんかをゆっくりと確認しながら微調整を加えて行く。

2年前に移設したシャトル織機も動きが不安定だったので、安定して動くように微調整を加えて、縦糸も横糸も問題なく、横糸を交換するだけの状態に持ってゆく。現場経験が長いことと能力とは比例しないことが多い。面倒くさがる人というのは小さなことを気にしないので問題を多く生み出してしまう。

たとえば、糸を繋ぐときにすべての糸を一本も間違えずに繋ぐとか、繋ぎ間違えたら繋ぎ間違えたでそれを把握しているかどうかとか。どうしようもないのが、まっすぐに糸が走っていないと織りにくくてキズになりやすいのに、それも理解しないで、どこが問題なのみたいな人は何十年やっている人にでも多い。

海外の織物でその問題が少ないのは、縦糸を繋がずに、機に毎回縦糸を通して、機とビームを丸ごと乗せかえるから、案外、海外のものづくりというのは安定しているのだろうと思う。タイイングマシーンも使わず、よく出来ているなあとおもうけど、一回の生産量が異なると異なる手法が良いこともある。

林与の工場の中には30台くらいの織機があるけど、全部を動かすことはまずなく、ほとんどが違う規格の機が掛かっていて、見本、本生産で、1年が過ぎてしまうことがほとんど。機の乗せ替えを極力減らして、織りながら糸を繋げるようにして、少人数での生産効率を確保する。全部の織機を動かそうとしない、多様性のあるものづくりに特化した珍しいといえば珍しい形。
2018年07月20日
今日は、倉敷の縫製工場に急ぎの生地を納品に向かう。途中、新名神を走ったのだが、山の中の道、走っている車のほとんどがトラック。山の中の道をヒタスラ、倉敷に向かって走る。ワープしたい。もう一つ問題は、カーナビのデータが古くて新名神がないので、道のないところを走っている。携帯のナビのほうがいつも最新で信頼できるというのもおかしな話。

倉敷について迷うかと思いきや、案外すんなりと目的の住所にたどり着いて、生地をお渡しして失礼させていただこうとするも、お茶を一杯いかがですということでお邪魔させていた。岡山というのは、繊維でもデニムの世界をもっており、創作的なものづくりが根付いていて、味の世界を理解でき、作り上げることができる方々がおられる。結局、頭の中でものづくりはできてもそれを形にできる人というのは何枚も上でそういう人がいないと成り立たないのが日本のものづくりの部分。サラリーマン化した工場ではそれは難しく、やはり気を持った人がやっている小さな工場だから人の要素が差を生み出す。産地は異なるのだが、デニム素材を代表とするカジュアル素材や縫製、一方で、メンズの高級ブランドの縫製にも対応できるノウハウがあるのが岡山や大阪の枚方だといわれる。技術があるようにおもう大きな工場の中に職人はおらず、小さな家族経営的なところが日本のものづくりを支えている感がある。

手間隙かかるものが日本の大きな会社や工場で出来るのかというと、それは無理な世界。大きな工場というのはどうしても生産性が重視なので、一つ一つの商品を人の感性で手がけるは無理だと思う。私自身が今回の納品した生地にしても、丸々2日、すなわち48時間。あれば私だったら一人の作業で、普通の人なら6日分なのでできるだろうと思っていたけど、結局、丸々4日かかって、ほかに2日分ほどの他の人の力も必要で、普通の織物工場だと一ヶ月の半分くらいの力を使うことになる。一つの織物の見本に普通だと織物工場の一ヶ月の半分の力が必要なことになる。

普通の会社だと難しい話だし、それを受けて縫製してくださる方々にしても規模は小さくても大きな会社を動かす覚悟と同じ要素をもっておられるから。私が思うのは自分がやればよい、どこまでできるか、自分がやらないで成り立たない話。結局は個人の力がすべてじゃないかというのは日本のものづくりの世界でそれをやれないと仕事を受けることも出来ない。ので、担うことすらも無理。素材の世界では相当に厳しい世界で、自分が作れるのかどうか、だけのこと。他に求めるでなく、自分で生み出してゆく力がなくなりつつあるのが日本のものづくり。生み出せる人の力を感じた一日。
2018年07月11日
阪急うめだ本店10Fのスークにて、テキスタイルマルシェ開催中です。松尾捺染さん、IPテキスタイルさん、カツミ産業さん、林与の4社の出展です。林与は今回はいつもの2倍くらいの生地を持ち込んでおります。

今日、初日は、スタッフのものが立ちました。リネンの藍染のストールなども販売しております。林与は会社での仕事が詰まってしまっているので、それを前に進めるために会社で留守番です。ご近所でご不幸ができてしまい、本来ならお手伝いしないといけないのですが、母親に代わりに出てもらい、遅れている作業を進める。経つなぎなど準備作業を中心に行いました。

滋賀県には天然繊維の産地が3産地あって、長浜の絹、高島の綿、湖東地域の麻の3つですが、滋賀県の工業センターが、3産地の素材にインクジェットプリントして浴衣をつくられるのですが、その麻の素材を弊社で織ることになり織っています。横糸に80番手の強撚糸を使ったものは、なかなか手ごわくて、吟味が必要という判断。2種類の糸を2本交互に織るタイプは、横糸の感知があまりうまく行かず、織機が横糸切れしていないのに止まってしまう問題と、幅の広い織機で織っているのであまった糸を連れ込んでしまう問題。着物1着分を織るだけなので時間を掛けて織ればなんとかなりそうな問題。

2018年07月10日
今日は明日からのスークなテキスタイルマルシェのための準備で、夕方から大阪。1週間ぶりの阪急うめだ本店でのイベント。今回は、場所が広めでありがたくできるかぎりいろんな生地を持ち込む。準備予定時刻の7時丁度に会場準備に入って、いつも遅れることの多い林与が時間通りで皆さんびっくりで私も普通に準備時間に着けてびっくり。

時間丁度に到着するために、車に飛び乗ったために。ほとんど手ぶらの状態で、必要なものはポケットに。電車に乗ってもバタバタと準備をして急いだので、暑くて暑くて、おーいお茶の濃い目をゴクリゴクリ。携帯電話はポケットだが充電が足りず、外付けの充電バッテリーは車の中に置き忘れる。

今回は、広々としたレイアウトで、逆に商品が足りないのではないかと心配するくらい。松尾捺染さんのご夫妻がきれいなレイアウトで早々と準備を終えられて、IPさんのお二人と一緒にレイアウトを考える。

私自身、会社の中の仕事が詰まってしまっており、準備は出たものの、明日からはスタッフのものに立ってもらう予定で、アポイントが14日に会社でということになって、後は最後の片付けにいくのが私の役割になりそう。今回は、14日から16日が三連休ということもあって、沢山のお客様に来てもらえますようにと、祈ります。いつものテキスタイルマルシェよりも沢山の生地をもっていきましたので、皆さんみに来てください。
2018年07月05日
今日は学生時代の友人と昼過ぎに京都で合流して5年ぶりくらいの再会。大学時代の親友なので久しぶりにあっても変わってない感じもする。京都駅の近くのレストランで飲み放題をしてから、イタリアンレストランで電車の時間まで雑談。今日は雨がすごくって電車が遅れ気味で、本格的な雨。帰ってから仕事の続きをする。
2018年06月30日
今日は、テキスタイルマルシェの店頭は、たくさんのお客様がお越しくださり、たくさん生地もお買い上げいただきありがとうございました。スタッフが店頭に立って大忙しだったようです。白い生地や黒い生地へのご要望も多かったみたいで、白い生地と黒い生地の在庫が少なくなってしまっており、持ち込めた量が足りなかったようです。

私は今日は工場で作業、つくる仕事のほうもいろいろなご要望をいただいており、それを前に進めていくのが一番仕事の大事な部分で、販売よりも作る部分に時間が掛かってしまうのが悩みの種でもある。まだ、私は仕事するときに全力モードに入れ年を取るごとにできることも広がって行くが、普通の織物工場では当たった担当の仕事を覚えそれだけを基本の仕事としてずっと仕事しつづけるという織物工場が多い。慣れる事で意識せずに仕事ができるようになる。それこそが職人のメカニズムなのであるが、それが当たり前になると苦労のないところで仕事を流してしてしまうので、新しいものをつくるとか、手が空いたときや急ぎのときに自分の担当以外のことをするとかが、なかなか難しい。

生地を売るのが難しいと嘆いていないで売れる生地は何なのかを考えて作ってゆくとか、売り方を考えていくとか柔軟性をもっていろんなことをやっていくことが大事で、嘆いて何もしていないとか、仕方ないでは他の人たちに追い越されてゆくだけ。働いている自分たちが成果を上げて行かないとと思う。

テキスタイルマルシェで気が付いたのが、ほかの生地やさんでの生地というのがインクジェットでのプリント生地が多いというところ。かわいいモチーフのものが多い。テキスタイルデザイナーがコンピュータで絵を描いてインクジェットの技術で紙にプリントするのと近い感覚で、それを生地にできるような時代になった。
2018年06月29日
2日間、かなり無理をして、今日はテキスタイルマルシェはスタッフのものに立ってもらって、私は久しぶりの体休めと工場の中の仕事。50近くで徹夜続きは厳しいのだが、なかなか現場の仕事も、やりかたは分かっても面倒だからできないということが多いのがありがちなパターン。時間の掛かる部分の仕事が私に残っていることが多い。

テキスタイルマルシェ3日目はお客さんに沢山来てもらえたようで、私が担当した最初の2日よりも売り上げがよかった。忙しかったようである。生地も良く売れたそう。
2018年06月28日
今日はテキスタイルマルシェ2日目、お昼すぎから店頭に立つ。

インドネシアのバティック染の展示会が9Fのうめだギャラリーで開催されている。海外の方が、大江さんのシルクに興味をもたれ沢山お買い上げ、インバウンドだろうかと思っていたら、バティック染めの作家さんたちで、タイシルクを普段は使っておられるそうで、日本のシルク素材をバティック染めに使おうとされ購入されたようだ。

棉生さんと一緒に、バティックの世界を見に行った。伝統工芸的な色合いで、緻密さや手が込んでいるのを感じる。日本の着物なども展示されていて、林与がいまやっている近江上布柄の広幅絣も、こういう場所で展示とか販売を目指せればと思う。100種類くらいつくったらチャンスがめぐってくる気がする。

今日は、この数日の疲れがどっと出て、能登川駅まで帰ってきて、駐車場の車の中で3時間ほど寝て家に戻った。両足首が凝ってしまって、電車の中のイスに座っているのも苦痛とか。東京の夜行バスで寝た以外はほどほとんど寝ていなかったので、眠る必要があるのだろう。明日は私は会社に残り、作業することにした。

2018年06月27日
今朝は、ぎりぎりまでテキスタイルマルシェの準備をして午前9時に売り場に到着。他の出展者の方が手伝ってくださってなんとか、準備ギリギリ開店に間に合う。東京から昨日の夜帰って、一人でなんとか準備できるところまでやって出発。留守にする現場の準備もしないといけない。現場を助けながら外のことをやっていくというのはどれだけ時間があっても足りない話になる。

どこの会社も同じような状況なのかもしれないと思うのが、テキスタイルマルシェが成り立つのも自分たちでそういうイベントをやっていこうという人がいるからというところでしかない。逆に、会社が大きくなるとテキスタイルマルシェのようなイベントには参加するのが難しくなるのではないかと思うこともある。テキスタイルマルシェは自分で作ったものを売るために準備して自分で売って行けるような理想的なチャンスで、テキスタイル以外に小物を売ることもでき試行錯誤できる自由度も高い。

実際のものを見てもらう場所としては一番くらいによい百貨店の売り場で自分の作ったものを販売できる。そういうチャンスがあるのだから、それに掛けてみないで他のチャンスを探しても仕方ない。今回は、リネンガーゼストールを藍染にしたストールをワゴンに並べてみて、勉強になったことがある。藍染ならすべて同じに評価してもらえるのかというと非常に大事なポイントがあるということ。

今後の藍染するときの参考になった。
2018年06月26日
今日はジェトロの商談会。夜行バスで東京に向かい、豊洲のアパレルさんのところでお昼過ぎまで滞在させてもらう。今扱っておられる商品などをみて、どういうものづくりが許容範囲に収まるのかとか、求められている生地を頭の中で整理する。築地市場の移転問題で豊洲という場所に興味をもっていたが、地下鉄の駅で、半分以上の方が降りられるほどに、活気がある。人が動く場所でないと成り立つような活動は生まれてきにくい。

今、型紙のデータをつくるのにイラストレイターの機能を使おうと考えているのだが、できるのかどうかわからず、イラストレイターが得意なスタッフの方がおられたので、私のやりたいことがイラストレイターでできるのかどうかをその場で教えてもらって思わぬ収穫をいただいた。自分で作業することが自分の仕事が進むこととつながってくるので、壁にぶつかったときにはとりあえずアクションを起こして超えていかないととおもっているのが、今回も人脈の助けで思いがけず前に進んだ。ありがたい話である。

ジェトロの商談会は3時半過ぎから欧米の4社が来日される。前田源商店さんやカゲヤマさん、宮下織物さん、福田織物さんなど、いつも親しくしていただいている会社さんも近い時間帯でご挨拶などさせていただけた。宮下さんとお話していて、宮下さんのところの本業は織物ではなく神社ということやはり織物の歴史と日本の歴史とはつながっている。すごいなあと思うのは技術をもった織物が続いているところ。新しい取り組みもいろいろとされていて、今のアパレルにも評価をもって受け入れられるものづくりをされている。

ジャガードなんか、本数も多く、データをつくるのもされているということでそのものづくりの手間はよく分かる。データつくりなんかも自分ででき問題の修正なんかも自分でできるから強いのだろうと思うのだ。私も型紙のデータつくりなどとことん強くならんとと思う。福田さんのところは娘さんと新しい女性の方がおられて楽しそうな感じで、会社の中にも現場で5人も男の人がいるということで、びっくり。強いわけだなあと。だれもが織れるようにというのをおっしゃっていた。社長が老眼で現場の人が社長が織ると問題が起こるからと笑い話だったが、若い人たちが現場を担っておられ理想的な現場を持っておられる。

帰りは新幹線で帰り、夜中前に帰宅、明日から阪急うめだでのテキスタイルマルシェ。朝まで作業と準備して、久しぶりの百貨店の店頭。いい流れになるとうれしいのだが。明日27日は私が終日立つ予定です。お時間のあられる方は、お立ち寄りくださいませ。
2018年06月21日
今日は、神戸に納品があって、その後、大阪に中古の大型のスキャナを引き取りに行った。近江上布のアーカイブの画像や昔の型紙のデータ保存して、活用できるようにするための大型のスキャナ。近江上布の柄は何千種類とあるので高速にスキャンできるのが良いと思って、大型タイプでは一番くらいに早い現行機種の上位モデルの中古。ドライバーなども手に入れやすい。

実際に業務用の機種というのは販売される個体数が少ないのでパーソナル向けよりも問題が多く、中古を手に入れても情報も少なく、自分で解決していかないといけないことが多い。昔の渋紙の大きさは60cmX50cmくらいなので、パーソナルなA3スキャナでは無理で、A2でも厳しく、A1、A2のスキャナが必要。

最初は、スキャナよりもデジカメのほうが便利じゃないのかと考えたが、レンズによる歪を補正するのが手間といえば手間。スキャナの場合には、補正が基本不要なだけでなく、実物大に取れることも用途的には便利な部分である。
2018年06月18日
今日は、地元のテレビ局の撮影。入社1年のスタッフ斎藤が、シャトル織機を動かしたりインタビューに答えたり、手タレやったり、傘モデルやったり、一方、ギクシャクで取り直しばかりの林与。撮影を通じてこの10年ほどでやってきたことが思い出された。

10年前にスタートしたアイリッシュリネンプロジェクト。当時は織れるか織れないか、織れただけで大成功だと思っていた、1970年代初めに購入した140番手のビンテージアイリッシュリネン糸。織り上げた布は隙のない完璧に思える美しさ、やわらかさ、しなやかさ、そして光沢感。まさにアイリッシュリネンらしい。

追い求めたものが初年度で出来上がり、2年目、3年目と進化させていった。同時に現行の最細番手の150番手を織るプロジェクトもスタート。そちらも成功をして150番手を通常の技法を磨くことでアパレル向けに織れる技術基盤を確立できた。ビンテージの140番手と現行の150番手では、明らかに、ビンテージの140番手のほうが糸が均一で強い。

ビンテージの140番手は基本、リネンハンカチ専用だが、シャツ、インナー向け、ドレス向けにも高価ではあるが生産はしている。


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