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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年08月25日
密度の薄い生地を織るときには普通程度の調整で織れても、密度が暑いとなると打ち込みを入れないといけないので、それように調整を加える必要がある。織機のギアを変えるだけでは厚く折れないのである。織機の調整が同じで、糸の番手や織物の企画が同じでも、糸の伸度や強度の問題で、打ち切れなどが起こってうまく織れないこともある。糸の色によって、糸質が変わり、織り易い織りにくいがあったりするのである。麻はそんなものである。

だから、色によって、染料を変えたりすることもある。同じ反応染料でも濃色はどうしても、糸と染料が化学結合の度合いが高いので、糸がコーティングされたようになるので、糸が硬くなることになる。そうすると、糸の物性が変わってくる。同じリネンでも、無染色の糸と黒に染めた糸では物性に大きな違いが出てくる。

たとえば、ボーダー柄を作ったときに、白の部分は水を吸いやすく、黒の部分は水を吸いにくい、という問題があって、白の部分は縮み易いが、黒の部分は縮み難い。ピッチの小さなボーダーならそれほど大きな問題は起こらないけど、10cmのボーダーとかだと、生地幅が、変わってくることがある。それが100cmで5cm違うとかなると、黒の部分がサッカー調になってしまうなども起こる。

テキスタイルデザインというのは、それをコントロールするのもテキスタイルデザインのうちで、そのためには、染料を変えて黒も収縮するように持って行かないと、濃い色の配色はドロップすることになってしまうとか。そういう色による物性の違いの問題は頻繁に起こってしまう状態が良くある。それをどうコントロールするかもテキスタイルデザインの要素。量産型の海外メーカーに多い、問題の少ない薄い色だけに絞って生地提案をするとそういう問題は避けられるのかもしれないが、それがそのメーカーの生地の全体的な特色となってしまう。
2018年08月24日
先週、イメージサンプルとしてつくったキッチンクロスを加工と縫製を含め最後まで仕上げるということで、本格的に風合いの調整で、やわらかくすることに。キッチンクロスなのでなるべく薬剤の残留がないようにしたいので柔軟剤を使わずにやわらかい仕上げを目指す。

朝から作業スタート、昨日の夜から朝に掛けてやわらかく仕上げる手順を検討して、処理する生地に適切な、処理温度、処理時間、薬剤の濃度の組み合わせを決めた。そしてそれを実行して、どこまで柔らかくなるかテスト。最初の1回目で十分やわらかいところまで持って行けたので、これで確定。サンプルとして3枚作った。さらにやわらかくといわれるなら、全体の処理時間を長くするか、同じ工程をもう一度繰り返えすで対応可能だろう。

こういう自分自身の作業が、新しいものを生み出すには役立つことが多い。今は普通になったやわらかいリネンストールだが、それを生み出そうと思って10年以上前に、細番手のリネンをベースに、安全性の高いいろんな薬剤をメーカーに問い合わせ手に入れて、何百メートルの生地をテストに使い、生み出した。それが、世界的にやわらかいリネンストールが広がるきっかけとなった。自分がつくろうと思うものは自分が第一人者としてとことんやってみることが大事。
2018年08月23日
今日は、風が強い。台風20号の風と雨。台風は昔、日本では大風と書いた。でも、中国では台湾からくる風なので台風と書いた。それが日本に入ってきて台風となったということらしい。日本的には大風が正しいと思う。

家の近くにアンコ川という幅4mほどの川がある、この川も昔は集落の人は、大川と呼んでいた。集落の中にもっと小さな川が流れているので、それと区別して大川なんだろう。村から出ることのなかった昔の人にとっては大川という表現で十分なのだろうと思う。コンクリートで川は固められ、3mくらい下を流れているので、近くてもあまり親近感がないのである。小学生の5年か6年くらいのときには、毎日川に下りて遊んだものだが、当時下りて上がってこられたので、子供のころは遊び場として身近に感じていた。

昭和50年ころだろうか、圃場整備が行われて、田んぼが3反田と呼ばれる、100m×30mの田んぼに統一されて川も改修された。東円堂の村は、どの家も石垣などで囲われ50cmほど道よりは高い場所に入り口がある。私がまだ生まれていない頃、大川はよく氾濫して村の道が川になってしまう感じで、テレビで見る床下浸水のような水との戦いがあったのだろう。

京都の鴨川なんかは観光客向けに整備されて素敵な川にみえるが、素敵じゃない川でも大事な役目をしているというところ。これを歩けるように浅くしたりしたら大失敗のもとなのである。いろんな過去の苦労があって現在の形というものも多い。東日本大震災での津波、何百年かに一回地震による津波で飲み込まれる。富士山も今は活動があまりみえないが、活火山で、何百年かに一回は大爆発する。人の力の無力さを感じるほどに自然の力は大きい。

勘一じいさんの家の道のそばに高さ1mを越えるゆりが10本ほど咲いていたが道のほうにこんにちはしてしまって全部ほど折れてしまった。自然というものは無情ではあるが、それがすべてを解決するほどの力をもっていることも多い。
2018年08月22日
織物に加工が必要であるということは繊維業界の方にもあまり知られていない。大手の生地商社の方でも織るだけで織物が出来上がると思っておられる方が多い。林与のリネンガーゼストール生機は、織っただけの状態で加工はしていないので、ハリがあって、横糸がまっすぐ走っている状態である。水に通すことで、横糸がアップアンドダウンして、生地幅が入る。通常、整理工場さんに加工に出すと縦を引っ張って加工になるので、幅は15%くらい縮む。フリーテンションで加工すると縦も縮むので、縦横ともに10%くらいが縮む想定である。

天然繊維の織物というのは、基本的には使い込んで行くと詰まって行く。長さや幅が縮んで行く傾向にある。樹脂なんかを使わないと糸が水を吸って膨張し縮む、それを干してプレスして伸ばすが、だんだんと縮んで行く傾向はある。綿のシャツなども、何回も洗うとクビ周りなど2cmから3cm縮むもので、最後は首周りが苦しくなってくる。特に襟周りは縫製が折れたりして密度が高いので縮みやすい。リネンだと首周りはゆったり目につくったほうが安心ではある。

今日は加工工場では新しい担当の方、加工内容の詳細を問い合わせると的確に返答もらえ加工を出すものとしては加工指図で迷いがない。問題が起こったときに加工内容などが分からないとどうしようもないことがある。用途によって薬剤など使用できないものがあったりもする。指図するときにそういうことを考えて指図しないと一般的な加工では通らないこともある。的確に情報が分かる加工内容のほうが織物を企画する上で大事だったりする。
2018年08月21日
今日は、織機のビームに使うウェイトを2個手に入れた。一つ15kgほどで、本来はトラクタ用のウェイト。織物用のウェイトが、4kgとか、7kgなので、テンションをあげる必要のある織物には、ビームに50kgくらいの重さを掛けるのに使う。 近くの農業関係の方がネットに出しておられで見つけた。車で5分のところの方だったので取りに行った。その後、くら寿司で晩ごはん、ハマチがとても美味しかった。ワサビ通なので、回転寿司の中では、くら寿司のワサビが一番良いと思うが、数年前のほうがワサビが美味しかったように感じる。時代の流れか。 びっくらぽんが当たったが、この景品が本当にどうでもよいもの。化け物のふち子さん。当たりなのかハズレなのか分からない。この景品でもプラスチックのパーツが8個ほど使って組み立ててある。中国製とあるが、これを組み立てる仕事は相当苦痛ではないかと思う。
2018年08月20日
仮想通貨というのはすごく話題になるけども実際に取引されて相場を決定している量というのはそれほどでもない。希少性が高いから高値で取引されているということだろう。昔、テレホンカードが出た頃に希少価値から高値で取引されたりしたのと似ている。いつの時代にもそういう流行のものはある。本当に通貨として価値があるなら、流動性が高くないといけないのだが、たとえば、自分がいくらの値段で売りたいと思っても、それに応じる相手がいないと、現在相場がいくらだといわれても実際には、自分の仮想通貨は使えないのである。

これは、日本で円が通貨としての流動性がありものの値段も円建てで一定だが。日本でドルは通貨としては流動性が低い、また為替の影響でドル建だとものの値段は変わってしまう。日本でもこの商品は100仮想通貨で買えますとかなら、仮想通貨が通貨としての流動性は高いだろう。けど、仮想通貨というのはゲームセンターのメダルのようなものをゲームセンター外で取引するようなものだ。ゲームをする人にとってはそれでゲームができるので価値があるけども、ゲームをしない人にとっては価値がないものである。

まあ、布の世界で言うと、何もきていない裸の王様が、見える人には見える布だと高い価値を感じるのに似ているだろう。価値をあると感じるのか感じないのかは、実態のないもので、人の考えが価値があるないを決定する。
2018年08月17日
何年ぶりかに地元の繊維関連の社長さんにお会いした。10年ほど前は、頻繁にお仕事をお願いしていたのだが、海外にありがちなもろもろの事情で流れが変わり、好評であったのだが生産が縮小することになったため、もう5年ほどお会いできていなかったと思う。

他の方のお話ではここ数年お忙しくされていたようで、手間のかかる仕事を地道にされてきたことが、他でどこもできなくなったことを吸収して始められたりとか、仕事を模索してこられたことが結果として、仕事がなく困っておられる会社がおおいなか、忙しい状況を作り上げられて来たのだろうと思える。

仕事があるといっても地道な仕事なので、冬の生産期にたくさん注文が入ればお正月も抜きになってしまうだろうし、普通とは違うから仕事があるのだろうと思う。仕事の基本姿勢が常にあられるのは、働くから仕事があるを実践されているからだろう。

一方で、別の織物会社さんが廃業された話。色々と特色を持ったものをされていて、織機は出され織りはやめられていたが、外注でいろんなことをされていた会社さん。外注を使って織物を作られていた。ブランドの別注の生地などを受けて作られていたが、社長もお年になられたこともあり良いタイミングで終わりを迎えられた形だろう。産地から特色のあるもの作りが消えて行くのは寂しいことである。
2018年08月16日
織る人が上手かどうかは、織った布を織機から下ろして検反するのを、当たり前にできるかどうかで大体分かる。下手な人は問題だらけで織ってほったらかしで、反物を下ろして検反しない。反物を下ろして検反すればどれだけ問題が多いかも分かるのに、反物を織機から下ろすことすら面倒なタイプは、織物を織ることは問題だらけで難しい。
2018年08月14日
阿波おどりがもめているけど。祭りというのは自主的な行事で、気持ちもない人間が絡むと、主役が変わったりする。

町のソフトボール大会。町の説明会で、参加者から決勝まで行くと1ヶ月の間、日曜日すべてチームが参加できる予定でないと参加できないのかという質問に、町の担当は、決勝まで参加できないチームは参加しないでくださいと答えた。

質問者は子供会行事等も入っている日曜日があったりしてと説明しているのに、町のソフトボールの担当者は、めんどうなのか、運営力がないのか、上から目線で勘違いしてしまっているのか、決勝まで参加できる予定のないチームは参加しないでくださいと。

主役は主催じゃなく、参加する各チームなんじゃないのか。町がソフトボールするからといって、メンバー集めるのも大変なんだよ。小さな町の行政の人間でもそんなこともわからない。自由参加をイメージしているにだろうけど、田舎でそれはない。村ごとに1チーム人を集めるのは至難の技、ましてや、1ヶ月のすべての日曜日チームを結成できるなんて考えるのは不可能だろう。

阿波おどりの件も、なぜ、何億もの赤字が生まれるのかで、参加者が給料もらってるわけでもなく。善意で参加して地域を盛り上げようとしているのに、それを食い物にしているにはだれかという問題。
2018年08月13日
土曜日の晩に仕事していると、盆踊りの音が聞こえてきた。盆踊りというのも、子供たちの地蔵盆と同じ感覚で良いと思う。行政的な無味乾燥な行事になるより、自分達が準備して仕切ってやる行事で良いと思う。

盆踊りの思い出に大学生になった年とその次の年が、運営の年。大学の頃、京都の祇園祭や大阪の天神祭りには憧れても、小さな頃に楽しんだ地元の行事からは気持ちが薄れているものである。

あんまり乗り気でなく参加した盆踊りの準備。一才上のやんちゃ系に憧れているオサム君が会長で、いったときにすごく準備に来たみんなをウェルカムで、自分が一番面倒な役目を背負って、自分の都合で適当に参加している他のものに強制することもなく、協力を求める姿勢でものごとをこなして行く。

見てて人間がはるかに大人なんだわ。車に乗りたくって仕方ない年頃で中古のセリカを20万で手にいれて、ガソリン代がないので他の家の車から抜いてやってるとか。といっても、専業農家を引き継いで10代で憧れじゃないだろう現実を受け止めた人生観。学生なんかよりもはるかに人ができている。

セリカの横に乗っけてくれて、私が楽しめるような田舎の話をしてくれる。学生のようなツンとしたものがなく、自分が他の人に場を用意できるような同世代がいるのに驚いた。暑いなか、作業した後、皆でファミレスいってみんなで1000円ちょっとのセットメニューで、ちょっと贅沢を祭りのお金で食べて、分け隔てなく振る舞う。祭り使うお金だったが、そういう楽しみにも使われ、私的につかいこまれることもなく、節度もあった。

強制もみせずに楽しく参加できるように場を作っておられた。そんなオサム君だったが、私が確か大学の4回生にとき、居眠り運転のトラックに赤信号で止まっているところにを追突されて20代前半でなくなってしまわれた。

やんちゃしてた子が、家業の農業をついで不平も言わないとか不思議だったが、頭じゃない人間関係の世界は、やんちゃだった子のほうが仲間も多いんだろうなあと思った。
2018年08月10日
私の中には割り切りみたいなものがあって、仕事とはどんな職業でも同じようなものだろうと。織物の仕事が日本に残るためには、しょうもない話だけどつくる人の価値観が変わらないと難しいと思う。儲からないからやめるとからなら早めにやめておいたほうがよいと思うし、自分がこれで成り立たせて行くという覚悟みたいなものがないと、成熟して下降期に入っている織物業界では機を動かして行くことは難しいだろう。最後正しい布をつくれて、売れてナンボの世界でしかなく、農家が自分で種を植えて育ててそれを売ってお金をもらうのと同じことというのが、織物の仕事の基本だと思う。

繊維の世界ではみんながやめて行くのは、国内の需要が海外でつくられた生地や繊維製品で補われてしまっているから。日本の需要の5%程度しか、国内の生地に対しての需要はない、かつては20社あったのが、1社になってしまうのが普通で、数社のこるとしたら、生産規模はそれぞれの会社が何分の1となるのが普通。需要がそれだけしかなくなってしまっているのだから。繊維の業界も何十年のプロばかりだろうけど、何十年の経験のあるものでも食べて行けない世界。同じ道を目指しても食べても無理で最低限同じ程度の力は備えてスタート地点に立って、新しいものづくりを考えて行くしかないのである。

伝統工芸士でも食べて行けないといわれるのも分かるし、食べて行けないといわれる職人ほどの力もなければ食べて行けない。先進国で繊維の世界にいるなら単能工的な職人を越えていないと食べて行くことも難しいだろうと思う。といっても、できる人の真似をしてできるようになるだけのことなのだが、それが先進国では職域みたいなものがあってなかなか難しい。インドなどではカースト制度のようなものがあって宗教的に職域が区切られているが、先進国でもなぜか似通ったところがあって職域にこだわる人が多い、行政の縦割りみたいな感覚だろうけど、そんなのは内だけの世界で外では通用しない。SPAのような別に考え方からすると特殊でもない形態が、日本国内の繊維業界のしがらみの壁を全部越え、新しい繊維業界を構築してしまう。

割り切って地道に目の前のことをやっていればそれほど悪くないのに、やっても無駄と何もしないでいては落ちて行くのも仕方が無いし救いようが無いのであると、自分に言い聞かせる。自分でいろいろやっていると他の人に見えないいろんなことが見えてくるし、情報なんかもいろいろと集まってくるものである。

2018年08月09日
家具屋の父親はあっさりと娘に経営を譲ったがボクシングの会長は地位にすがった。自分自身が常に成り立たせることに苦労していればそれを他のものに譲り外から見守るはできた人間のすることだろう。あるスポーツの指導者が、ボランティアで教えていて、指導が厳しいからと親から文句をいわれてもう指導はしないことにしたという話もある。本気で考えている人というのはそんなものだろう。自分を犠牲にして他の人の子を厳しく指導して、厳しく出来ない親の代わりに育てているのに、それにまだ文句がでると、それは子供を指導する出なく、親を指導できなければ難しい問題で、子供の指導自体を諦める話になる。子供のためのスポーツなのに親が楽しむイベントみたいなところもあって、ボクシング界の縮図だよ。

指導して文句がでるようなら諦め、自分でやってみなさいでよいじゃないかと思う。それを年をとった連中が組織にはびこり自分たちが主役だ考え、自分たちの立場を優先して考えるようになると、終わりだろう。それは外から文句をいう子供の親と似ている。指導される側がいい加減ならいい加減な指導で丁度。指導される側が本気なら本気で指導でよいじゃないか。

昔、ある小学校にミシンを教えにいったときも、班に分かれてやったが、その班は女の子がミシンを準備して、準備が終わったとたん、遊んでいた男の子がそのミシンを取りあげる。本当なら、厳しく叱らないとならないけど、その学校の雰囲気が授業中遊んでいる子供を叱らない駄目なので、そこで叱ってもその学校の先生を叱らないといけない問題。その女の子は、チャイムが鳴ってからミシンで縫い始め、なんとか出来上がるように5分ほど私も必死になってやったけど。校長室に呼ばれて言われたのが、「ちゃんと時間は守ってもらわないと、子供たちがお腹を空かせて、父兄から苦情がくる」という指導を校長から受けた。

校長先生が、すべてを耐えてミシンを準備して文句もいわない女の子未満なのだ。学校といえども、そういう女の子がいないと授業もうまく回らない状況。校長じゃなく教頭先生が、女の子が準備しているときに来て、この子のお家は立派に教育をされていてという話があって、女性の教頭は分かっている人だなあと思ったが、この小学校がというよりも、社会も実際には、この小学校を縮図にしたようなところが多いので、せめて、子供たちが育つときにだけでもまともな環境を提供するのが大事ではないのかと思う。それを文句言いの親たちが台無しにしてしまう。

私も校長に文句をいうことはしない。真意を伝えてもこの校長にとっては自分の立場のほうが大事な人だろうから、反論もしない。校長室で何度も、「すいませんでした」と謝罪するだけ。私にとっては、校長に頭を下げても、その女の子を応援するほうが大事だし、私自身、まったくの善意で行っているので台無しにするのも駄目なことだろう。

最初に戻るが、家具屋の父親は新しい会社を立ち上げて娘に譲った会社を辞めた人を雇用しているとか。娘は金融とかコンサルティングに強いのだが、選んだのが身売り、自分じゃなく他の人に立ち直らせてもらうという話?娘に会社譲って、リストラされた社員まで雇って娘の片付け、立派な父親だと思うが、これもよい親の教育の一つだろう。同じようなことが京都の頒布カバン屋さんでもあったけど、その名前に奢って本質を忘れ儲けを考えると、それを買ってくれるお客様というのは本気な方が多いので看板商法は見捨てられてしまう。喧嘩売るのが看板商法側ということが多い。本来、ものづくり企業は、ものづくりに専念するべきなのだが、ものづくりばかりで情報発信しないと外の世界には伝わらないことも多く、私自身もこんな独りよがりな発信をしている。
2018年08月08日
今日はリネンのキッチンクロスの巻き取りで一苦労。糊の加減と重りの加減で、ゆるく荒巻されてしまったために巻取りで食い込む現象。半分の量をボツにして半分を救う。総先染のキッチンクロスは、染の少ないキッチンクロスとは違って糊付が必須となるので、想定していないこととして起きた。初め一バンド巻いたときに、ゆるく巻けていると不吉な予感がしていたが、巻き取れないほどに大きな問題となるとは悲しい話である。

巻取りで半分をボツにせずに突っ走っていたら巻き取り幅がどんどんと狭くなって全部ボツになってしまっていただろう。ベストが駄目なときにはセカンドベストで、半分を後でやり直す形で納期など少しでも詰める。こういう風に糸が通常と違うときには織でも苦労をする可能性がある。感覚的には糸が糊が付いて少しぱさぱさしてしなやかさがない状態で高密度に織れるのか試してみるしかない。世間はもうすぐお盆、お盆の間に問題を解決して遅れている仕事、また、自分のやろうとしている染の案件など、普段バタバタしすぎているのでじっくりとできればと思う。

少し変わったものをつくろうとすると奥が深すぎていろんな壁にぶつかるものである。そういうときには時間を使って、あーでもない、こーでもないを超えて形にしてゆく。今までの経験でも、麻でアパレル向けのものをつくるときに、一番困るのが最後の物性検査が通らないこと。定番の企画でなければ、滑脱や収縮など試作のときに検討しておかないと、普通の生地でもサンプル時と本生産では数値がまったく異なることも多い。同じ生地を投入してもサンプルと本生産で物性が異なる。加工の問題なのだろうが、その加工工場の問題がなるべく起きにくい様に、また、起きた場合でも問題が解決するように生地規格を収束させておかないと難しい。

学生のアートな世界はファンシーなものがテキスタイルデザインとして好まれるが、プロの世界は地味なものがテキスタイルデザインとして好まれ、物性面など見えない部分をしっかりとコントロールしておかないとまったく使えない生地で終わってしまう。地元で経験をもって独自の作風でテキスタイルをデザインされていた方でもその物性面で問題があって良いブランドさんだからお金はもらえたものの使われることなくアパレル向けのテキスタイルの仕事はやめようと思われやめられたと話しておられた。相手が違えば、自分が何ヶ月も仕事して何も悪いことしていなくても何百万円の損害の話になる。

黒ひとつでも、本当に濃く黒を染めると色落ちはしやすい、ちょっとグレーかなあくらいの黒だと色落ちはしにくい。どっちを選ぶか、林与はどうしても、色を大事にしたいので堅牢度は悪くても本当に濃い黒を選ぶ。まあ、それがトラブルの種になることも多いけど、分かってやっている部分もある。
2018年08月07日
今日は、京都に納品で、北山の三谷さんの会社に。そのあと、久しぶりに高校時代に住んでいた京都の岩倉を訪れた。変わったといってもそれなりに昔の面影で、みどろが池もまだ不気味なままあったし。修学院のあたりは叡電の踏切など、高校時代に何で街中を電車が走っているのみたいな風景に驚いたことが蘇ってくる。京都はやっぱりすべてが小ぶりで、一人の人が占有できるスペースも限られていて織物の生産なんかは街中ではもう無理な話だろう。その点、林与は田舎に住んでいながら、仕事では自由度も高いので恵まれているなあと思う。京都は学生時代に京都に7年住んでいたので懐かしさはあっても憧れはない。

京都で使われていた麻織物というのは近江上布だったといわれている。日本の金看板の京都の夏の着物が近江の織物であったという一面、一方で、日本の麻織物の本場、近江湖東地域で織られる麻織物というのは本当に限られてしまっていて、林与にしても小さな会社なのでつくれる量も限られている。日本の麻織物の歴史をつくってきた本場でやっているのだから、自分的には、日本の麻織物業界の中で、経験面などでは林与は一番恵まれている立場だろうと思うし、自分自身の力で新しいものを生み出してゆける環境も持っている。

帰りは、途中越えのルートで滋賀に戻る。琵琶湖大橋手前で眠くなりすぎて駐車場で3時間ほど仮眠、あったかな一日で、平日なのに行楽気分。外に出て太陽に当たることが少ないから。そのあと琵琶湖の湖岸を走って、戻るともう夜。一仕事終わった状況で、今日はゆっくりと休み、明日からの仕事に備える。
2018年08月06日
今日は、与謝野より原田さんがカーテン生地を探しに着てくださった。与謝野村に町おこしで引越しされて今は自分で起業し実現されている。起業して自分で食べていくというのは他で働くことの何倍も難しいことだろうと思う。自分で何から何までやってゆかないといけないから。私自身も小さな会社なので同じようなものなので良く分かる。

私自身、昨日も徹夜モード。通常なら並行してやっておかないといけない作業なのだが、整経と機を立ち上げる作業などを含んでいるので納期のある1回勝負の仕事、間違いがあると駄目なので、他の仕事が落ち着いてから一気に進める。普通の働く人の10倍くらいの力がなければ織物工場は続いて行かないものだと思う。織物にしても普通の仕事なのだがそれがなかなかみんな難しいのである。ものづくりの場合、自分の問題ではなくても問題は起こってくるから。たとえば、織機が調子が悪くなると織物がうまく織れない。キズができたまま織って、織機が悪い自分は悪くない、というところで終わってしまう人だと仕事はしないほうがよく、そういう人を仕事の中で変えること難しい。変えられれば感嘆なのだが変えられないから難しい。

自分が自分で仕事するでなく、他で働く人の感覚というのはそういうものであろう。だから、自分で独立して食べて行くは外で働くことの何倍も難しいのであろう。自分でやるということは、自分で進めて、正しく実行して正しい答えを出して行かないといけなから難しいのである。

2018年07月30日
昔の織物のほうが今よりも素敵で日本が繊維大国であった背景には、1ドルが360円だったとか、1ドルが中国元2元であったのが一番の理由で、海外で作られたものが、べらぼうに高く、国内では国内で作ったものしか流れ難かった。

今は、円はドルに対しては3倍、中国元に対しては9倍の価値を持つ。日本で作ったものは他国では高級品で手が出しにくい。一方、国内の繊維製品市場の95%が海外製品。国内でも国産品は高級品ゾーン。

繊維製品を扱う業者も国内で作ったものより、海外で作ったもののほうが、利益を産み出しやすく、海外仕入れ型のアパレルほど、経営の数字も良好だったりする。もの作り自体においても、日本向けにたくさんものを生産し普通に成り立つ海外メーカーのほうが新しいデザインや商品も企画しやすい。

生地にしても、中国に展示会にいくと何千社が、一社あたり何千種類の布を並べている。そんななかで、林与のような小さな会社の場合、自分のやっていることの特色を濃く見せられるかどうか。ひとつの布を作るにもどれだけ自分が力を注げるか。作る人の力がすべてで、それを外にもとめるでなく、自分たちでこなして行く。

織物はデザインだけじゃなくエンジニアリングの部分も実用性を考えると大事で、糸から織物を織り上げるまでの作業、
2018年07月24日
工場の中に蚊がいるので、蚊取り線香を2つ焚く。今は安くて大きな香取線香があるので心強い。蚊取り線香にしても、昔ほどは使われなくなっているので進化しないと売れないのだろう。2缶1200円ほどで、そこそこ広い工場だがひと夏いけそうな気がする。

今日は、ポリプロピレンというのは染まりにくい素材なのだが、それを赤く染めることを試そうと染料を買ってみる。分からんけど、やってみないと分からないことは多い。たぶん、うまく出来るだろうと予想。駄目なら違う方法を考えればよいが、分からないままにしておくというのはよろしくない。思い立ったが吉日。

どんどんと自分がやったらうまく行くだろうと思うことはやってみることが大事だと思う。それも他の人に頼むでなく、できる限り自分でやることが出来なかったときにも次の解決方法につながる。

2018年07月23日
今日は日本中が暑い日、だが、外は風が吹いているのでそれほど暑さは感じない。でも、工場の中は風も吹かず、1Fはやや涼しいが、2Fはここ数日は作業していないが、屋根の下なので夏の天気の良い日は相当暑い。脱水症状にならないように十分な水分を取って作業。

1週間ほど前も、阪急うめだ本店10階でのイベントの会期中。暑さを忘れてほとんど1週間ぶっ通しの作業。予定していたことが予定通りいかない背景には、いろんな要因がある。織物をつくるには、糸を割って、整経作業、繋ぐ作業、横糸のカードをつくる作業、織り出し、織る作業。すべてがうまく行かないといけないのだが、一つ一つの作業が、すんなりといけば問題ないが壁にぶつかると、答えが見つからないときも多い。

かといって、答えを見つけられないとそれは仕事としては成り立たないので、プロならば答えを見つけられないといけない。作業が分からないとかは論外だったりする。すべての作業を理解したうえで問題にぶつかり、それを超えて行く。作業を理解するといっても、毎回のことで、最初の1回目から理解できない状態で放っておいて、いつか理解できるとかは無理な話。毎回毎回、自分自身との戦いの部分を乗り越えないと、ものづくりの仕事は前に進まない。

小幅を織っていたシャトル3号台で、綾織を始めたら、問題が発覚。ドビーの2枚目3枚目が調子が悪い。原因を究明するために、ドビーを分解し始める。ドビーの鋳物が割れていて、これを直すのは難しい。16枚のドビーで、8枚分のソウコウ枠がついているだけなので、後ろに送ることで対応する。5枚目から8枚目を綾組織、9枚目10枚目で耳の平組織、15枚目と16枚目でヒガエを取る形。正しいに近い形に直すなら、ドビーの中のシリンダを外して、壊れた2枚目3枚目の部品を使わない13番目14番目に移すとかすればよいのだろうけど、それをやると、ドビーを織機から一度下ろして修理する必要があり大掛かりすぎる。原因は判ったので、その状態を理解してキズを背負った織機をどう使いこなすか。

ソウコウを後ろに動かすとソウコウの高さが高すぎて、シャトルの飛びが悪く、シャトルを挟みそうな雰囲気。ソウコウ枠を下げて、シャトルの飛びを安定させる。シャトルを挟みそうな原因を見誤って、シャトルを叩くのを強くしたりとか他のところを調整してしまうと織機がガタガタになる。正しい原因は一つ、それを見極め正しく調整を加えないとアウト。
2018年07月22日
昨日の夜は、一人、工場で織機を調整する。私自身、職人といわれることがあるけども工場でゆっくり修理している時間もない。昨日の夜というのはめずらしくゆっくりと織機を調整できた。動きが気に入らなかったレピア織機を理想の状態に持ってゆく、縦糸の張りなんかをゆっくりと確認しながら微調整を加えて行く。

2年前に移設したシャトル織機も動きが不安定だったので、安定して動くように微調整を加えて、縦糸も横糸も問題なく、横糸を交換するだけの状態に持ってゆく。現場経験が長いことと能力とは比例しないことが多い。面倒くさがる人というのは小さなことを気にしないので問題を多く生み出してしまう。

たとえば、糸を繋ぐときにすべての糸を一本も間違えずに繋ぐとか、繋ぎ間違えたら繋ぎ間違えたでそれを把握しているかどうかとか。どうしようもないのが、まっすぐに糸が走っていないと織りにくくてキズになりやすいのに、それも理解しないで、どこが問題なのみたいな人は何十年やっている人にでも多い。

海外の織物でその問題が少ないのは、縦糸を繋がずに、機に毎回縦糸を通して、機とビームを丸ごと乗せかえるから、案外、海外のものづくりというのは安定しているのだろうと思う。タイイングマシーンも使わず、よく出来ているなあとおもうけど、一回の生産量が異なると異なる手法が良いこともある。

林与の工場の中には30台くらいの織機があるけど、全部を動かすことはまずなく、ほとんどが違う規格の機が掛かっていて、見本、本生産で、1年が過ぎてしまうことがほとんど。機の乗せ替えを極力減らして、織りながら糸を繋げるようにして、少人数での生産効率を確保する。全部の織機を動かそうとしない、多様性のあるものづくりに特化した珍しいといえば珍しい形。
2018年07月20日
今日は、倉敷の縫製工場に急ぎの生地を納品に向かう。途中、新名神を走ったのだが、山の中の道、走っている車のほとんどがトラック。山の中の道をヒタスラ、倉敷に向かって走る。ワープしたい。もう一つ問題は、カーナビのデータが古くて新名神がないので、道のないところを走っている。携帯のナビのほうがいつも最新で信頼できるというのもおかしな話。

倉敷について迷うかと思いきや、案外すんなりと目的の住所にたどり着いて、生地をお渡しして失礼させていただこうとするも、お茶を一杯いかがですということでお邪魔させていた。岡山というのは、繊維でもデニムの世界をもっており、創作的なものづくりが根付いていて、味の世界を理解でき、作り上げることができる方々がおられる。結局、頭の中でものづくりはできてもそれを形にできる人というのは何枚も上でそういう人がいないと成り立たないのが日本のものづくりの部分。サラリーマン化した工場ではそれは難しく、やはり気を持った人がやっている小さな工場だから人の要素が差を生み出す。産地は異なるのだが、デニム素材を代表とするカジュアル素材や縫製、一方で、メンズの高級ブランドの縫製にも対応できるノウハウがあるのが岡山や大阪の枚方だといわれる。技術があるようにおもう大きな工場の中に職人はおらず、小さな家族経営的なところが日本のものづくりを支えている感がある。

手間隙かかるものが日本の大きな会社や工場で出来るのかというと、それは無理な世界。大きな工場というのはどうしても生産性が重視なので、一つ一つの商品を人の感性で手がけるは無理だと思う。私自身が今回の納品した生地にしても、丸々2日、すなわち48時間。あれば私だったら一人の作業で、普通の人なら6日分なのでできるだろうと思っていたけど、結局、丸々4日かかって、ほかに2日分ほどの他の人の力も必要で、普通の織物工場だと一ヶ月の半分くらいの力を使うことになる。一つの織物の見本に普通だと織物工場の一ヶ月の半分の力が必要なことになる。

普通の会社だと難しい話だし、それを受けて縫製してくださる方々にしても規模は小さくても大きな会社を動かす覚悟と同じ要素をもっておられるから。私が思うのは自分がやればよい、どこまでできるか、自分がやらないで成り立たない話。結局は個人の力がすべてじゃないかというのは日本のものづくりの世界でそれをやれないと仕事を受けることも出来ない。ので、担うことすらも無理。素材の世界では相当に厳しい世界で、自分が作れるのかどうか、だけのこと。他に求めるでなく、自分で生み出してゆく力がなくなりつつあるのが日本のものづくり。生み出せる人の力を感じた一日。
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