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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年04月28日
今日は、お天気がよく、外にいるだけでも気持ちがよい。林与のインスタに林与のワンピース画像をアップするために、近くのお寺に通じる山道でのテスト撮影。小柄なデザイナーが着用してモデルになっているけど、9号から13号くらいまでカバーできるゆったりなフリーサイズ。https://www.instagram.com/p/BiGtmiqHCJV/?taken-by=hayashiyo.weaving.lab

将来は林与のお好きな素材での展開を考えているが、現状は、本麻素材からの販売スタート。1着1着の受注生産で、お客様のサイズに合わせた若干のサイズ調整を加えるためにお時間は1ヶ月程度掛かる感じです。

2018年04月27日
結局、夜3時に寝て、5時起きで、まとめ資料の見直しで、補足資料の補填などして午後に大津に出向いて提出。一年のプロジェクトがひとまず終わるための提出が済みほっとする。あとは、デバッグじゃないけど、担当の方に確認いただいて問題のありそうな箇所を補う作業。一方で、もう3年目のプロジェクトは始まっていて、今年はラミー100%で、よりオリジナルに近い広幅絣織物の試作を目指す。

林与の近江上布アーカイブをご覧になられて、あの硬い感じが良いという方も半数近くはおられ、今年のプロジェクトがそういうご要望には応えられるのではないかと思う。林与というのは産地でも一番に横絣の織物では力をもっていて、戦後、林与の與一爺さんが近江上布絣を復興し、産地に和装の世界で新しいセンスをもたらす一方で、小千谷の業者さんが仕事がなくて困っておられるのを、與一爺さんが一肌脱いで織る仕事を出した。それが、産地だけでなく、小千谷の業者さんの、モダンな絣柄の生産のきっかけになっていたりする部分もある。小千谷縮が今日でも評判がよいのには與一爺さんと同様に、私自身も頑張る人が頑張る覚悟でやっておられるのだからと応援の気持ちでいる。今は仕事では関係がないが、そのときの業者さんから昔の苦労を分かち合った頃を懐かしむようなお手紙をいただいたり。食べても行くのが難しいのを人の心が動かされしょうもないこだわり捨てて仕事頑張ってと仕事をしてもらう。

野麦峠も悪い話に聞こえるが、食べるものもない貧農をほったらかしにする国や行政があって、そういう貧農に3年で家を建てることができるような今でもありえないほどの大判振る舞いと希望を与えたのが、今日の目から超ブラックとされる当時の産業。貧困のままを放置するしかない行政にとってはそういう業者は目の上のたんこぶ。一方で、官製の富岡製糸場は、世界に日本の近代化の美しさを見せるために、恵まれた良家の娘さんだけに好条件で働くチャンスを与え、まともな糸も出来ずに、民間に払い下げというのが、強きを助け弱きを挫く官製のホワイトな世界の現実。貧しいものががんばるを助けるなんて苦しみを分かち合えない人には無理な話。今の国の行政にしても財務省の職員がパワハラで自殺して遺書まで残して自殺の理由も明らかで、電通の自殺者以上の問題なのだが、国の労働に関する闇は深く人間が人が死んでも保身ばかりで心が痛まない。パワハラを苦に自殺に追い込むを国がやってて、国が企業を指導するのもパワハラというだけで、働くものを救おうというよりも行政の保身のために自殺に追い込む悲劇は多い。

今日は夕方に帝国繊維の香山さんがお越しくださり、昨日3時間しか寝ておられず眠いのに無理して長旅の合間に、私がいろいろとやりたいことに関して情報が欲しいことがあってその打開策を探るために知恵を貸していただく、ぎりぎりまで追いやっておられる感じで会社規模も違うし形態も違うが物事を成り立たせるというあたりは似たところなんだろうなあと思える。あと20年あとに同じことが私も続けていられるかどうか。
2018年04月26日
今日は助成金の1年の資料提出のためのまとめ作業。今年で6回目なので、使ったお金の証明書類などのまとめのポイントは分かっているので、それを全部そろえて閉じる作業。報告書は完結に実質的な活動内容部分は1枚程度。実際の活動の大事なのはものを買ったとかお金を払ったとかの部分じゃないけど、そういうところが監査の対象なので証拠書類で残す。

補助金でも、食品の新商品開発なら、卵一個買うのも領収書をとって、見積書はどうするの、請求書はどうするの、までちゃんとやっておられる業者さんもあるが、えらいものだなあと思う。私はそこまでは無理だし、正しいことなのだろうけど自分の補助金が絡んでいるから見積書、請求書、振込支払、領収書がないと駄目だとなると、大手チェーンの大工センターでも対応が難しい話になってくる。

補助金を使うからといって、私の場合、贅沢はしない。最低限の費用でやることは同じというのが理想。自分がやりたいことがあってそれに補助金を活用するかどうかというだけの話である。活用するためには補助金を審査する審査員の先生方が私のやりたいことに興味をもって賛同してもらえるかどうかに掛かってくる。私のやりたいことにしても、自分のお金儲けとかそういうレベルじゃなくって、仕事の中で夢のあるようなことをプロジェクト化して実現したいというものごと。まさに、夢のあるものづくりで皆様に共感してもらえるような普段の仕事ではできない自分自身がすごいなあと思えるような本質的なものづくりの実現。

アイリッシュリネンのプロジェクトや近江上布柄広幅絣など、世代を超えて評価されるようなものを作り上げ、それをご覧いただいて日本の繊維業界が他とは違うという切り込みを見ていただけたらなあと、自分自身がこの業界にいてこんなことができたらあったらすごいなあをやらずにおわらせずやってみて形にしてみてもらうまで、計画に落とし込んで実行に挑む。

やるといっても一人二人の力が重要で、集まったからできるというものもあるだろうけど、生産も含むと毎回の生産が超えた世界の連続で、基本一人二人の覚悟を決めたものがその世界を育んで守って行く。技術や技法を教えてもらってマスターとかより、自分自身で作り上げ、実行するためには人の覚悟が必要という要素の大きな世界。時代流れや、需要供給や生産の環境や設備、他を超えた人の力の組み合わせ、皆様からいただける期待など、すべてが掛け合わさってようやく成功となる。

こういう補助金のまとめとは別に、近江上布柄広幅絣プロジェクトも3年目が終わったら自分で3年をまとめて冊子をつくって、私が思う日本の布の力を世界に発信できるようなプロジェクトとして現状に甘んじることなく高い意識をもって仕事には接して行きたいと常に思うのである。
2018年04月25日
麻の世界も、シルクの世界も高級品は絣に織られた。糸から手で績んだり紡いだりした昔の布つくり。プリントと比べると何十倍も手間が掛かる世界で、糸の中まで染料が浸透しているので、裏も表も同じ柄で、着古したらリバーシブルに仕立て直して絣で織られたものは一生ものとして愛される。

近江上布は平織りが基本で、その理由は絣に織るからだろう。京都の西陣織などは染めた横糸をジャガードで浮かせて柄を出す。基本2枚のソウコウ枠を上下させて織るのが近江上布絣の基本に比べ、西陣織はジャガード。対照的である。

上布と呼ばれるものは平織の絣が多い。近江上布の絵がすりは、林与の歴史からすると、初代の與次右衛門じいさんの頃に、赤苧大絣で一等賞をもらっているので、林与はそれなりに絵絣では強かったのだろう。その一等賞をもらったのがどんな柄なのかわからないが、たぶん型染だったのだろう。二代目の與一じいさんは、残した数千点の近江上布アーカイブをみると、60年ほど前のものに思えないほどに、今にも多くのアパレルデザイナーの方々に感動を与えるクオリティ。「外に出すべからず」の言葉を守り?半世紀ほど封印されてきたので、産地でもその世界を知る人は多くない。10年前に先代がなくなったときに、倉庫の押入れの奥から10数箱に分かれて、それぞれの箱にびっしり詰まった見本切。

つくれなくなるものだから、大事にしまってあって、必然なのか偶然なのか失われることなく、私に引き継がれた。昔のものづくりを伝えるために表に出したが、この2年ほど再現の動きにたどり着いた。しかも、アパレル用途を想定して広幅絣に織り上げる。何十年ぶりの大雪に包まれ寒さを堪え2週間ほとんど寝ずに型紙捺染に苦しんだ昨年の正月。仏になりそうなほどに型紙を彫りまくった。

型紙捺染には力があるのは、なんとなくわかる。仏像を彫るように型を彫る。子供のころに版画を彫ったのを思い出す。手が柄を生み出すから、シルクスクリーンとは違う趣になるのだろう。
2018年04月24日
相手を信用するという言葉があるけど。お金を貸すことを信用という。物を売って後で代金を貰うとか、先に仕事して後でお金を貰うとかも信用である。お金を騙し取られないと信用する部分が「信用」なのだろう。この信用が、そもそも通貨の成り立ちである。通貨というのは借用書が世の中に流通しているようなもので、ただ単にお金を印刷するだけではお金は生まれず、誰かがお金を借りることで市場にお金が流通することになる。

手元にお金がなくても将来払うからということで買ってもらってものが動けばそれは商売ができたということになるが、約束の代金の回収時期になってお金が払えないというケース。手形決済が多い繊維業界ではよくあると今まで聞いていた話だが、私自身は今まで一度も経験したことがなかったが催促をしても代金の回収が難しいケースに初めて遭遇している。

金融のプロの人たちは、代金を支払わない業者の存在は当たり前に考えていて、そこで成り立つのが商社という存在だったりする。ものを業者に直接売らずに、商社経由で販売する。代金は商社から支払いがあり、商社はものをかった商社のマージンを乗せて業者から将来のある時点で代金を回収する。

国際的な話だと、中国のリネン紡績メーカーがイタリアの企業に糸を販売して代金が支払われないケースが頻発したとか。日本企業だったらまずありえないだろうけど、イタリアの企業だとそれをやって会社を畳むところもあるあたりがイタリアなんだろうけど。日本というのは、世界で一番、代々続いている企業が多い。それって商売の成功という意味では、一番すごいことじゃないのかと思うけど。戦後は代々続いていた企業、経済発展の後、商店街のお店とかが消えて行く流れが確実になった。

マイナスな商売でも商売をやってること自体が、ゼロよりもよい状態なんだという認識がないと。マイナスな商売が社会全体のプラスを支えている部分があるんだけども、ゼロを求めると社会全体がゼロになってしまう。働く意味ってそこで、みんなが働いていると社会全体はプラスになってゆく可能性はある。

大学のミクロ経済とマクロ経済でも、学ばないことだが、ミクロ経済的にもマクロ経済的にも働かない状態がプラス効果ということはありえないが、なぜか、政治や経済学者は、マイナスに目をむけ、ゼロ目指してしまう動きがある。プラスがマイナスから生まれているというところに気がつかないといけないんじゃないのかなあと思う。1つの100プラスのところが100の1マイナスを生み出してしまうということ。100のプラスを生み出すところが、他にプラスを撒けるのかというと、プラスばかりを掻き集めて、マイナスを撒くのがありがちな勝ち組パターン。

私は例外も知っているが、それは一つの会社規模だと難しく、会社を支えているような担当者レベルの個の器量なのだろうと思う。繊維以外の分野だけど、大きな会社に家族経営規模のような暖かみで接して下さる方がいて繊維の業界もそういう形の統合ならありなのかもと思う。
2018年04月23日
自分でやるとできることが増えるのではなくて減る可能性が高いがいろいろと深くできるという要素がある。いろんなことをやりたいなら外を飛び歩けば、それを実現してくれる現場に出会うことができるだろう。自分でやると壁にぶつかるが外に頼んだら越えられない壁も自分で乗り越えることができるのがミソ。自分ができずに外がその壁を乗り越えられるなら外に頼むのも一つの手だろう。

先日もお客様が起こしになられて、企画は具体的でつくるものも固まっているが、それを形にして行くことが難しい側面もあって、林与との出会いにつながったのではないかと思われるお話。デザインや企画は自由なのだが、最後形にするのが難しいことが多いのがテキスタイル。技術的な難しさじゃなくて、すごく簡単なものでも、試作の必要性や想定するロットや価格なども考えると、背負えないコストとなることになる。頭で考えるのと形にするのとではまったく異なる作業であることが見えてくる。

コストが合わないときには自分でやってみると自分の時間を使うことで満足なものにたどり着くことが多い。これが基本なのだがこれができるデザイナーや企画の人はほとんどいないのが現実で、コストの面も含めると実現が難しい企画が生まれてくることがほとんど。企画と生産のミスマッチが前提としてあって、企画する人が自分の企画で何人かの生活を支えて行く覚悟がないと企画として成り立たない企画。

ご飯を食べるようにものを生み出してゆかないと食べて行けないのであるが、簡単なものもつくれなくなっているのが現場の現実で、これを助ける力が必要である。助ける人のほうが本職よりも力がないと解決できないことも多い。織物の企画を現実的な規格に落とし込むことができる人間が織物工場の中にいるのかというと総合的な能力が必要なのでそれをできる人は毎回する苦労を背負い込んでいるのじゃないかと思う。

私も、この20年ほどにつくった織物の規格は、経本数、使った糸、打ち込み、など再現に必要な知識は、会社として記録するだけでなく、記憶していることがほとんどでこの布はなんですかと聞かれたら、糸や製造工程を話すことができる。自分が過去に作った生地を見たらそれが再現できるというのが基本でそれが基本の一度経験した力。覚えているからお金がもらえるわけでもないけど、一度やった仕事くらい覚えていないと、ゼロから新しい布をつくる話なんてつくれるかもしれないが満足なものがつくれる確立は低い。

自分がテキスタイルをデザインするときは、自分の基本からのものづくり。他の方が企画したテキスタイルを受けるときには、それを具体的な規格に落とし込んでいく、テキスタイルデザインではなく織物へ規格化作業、この作業をするときに、納期やコスト以外に、あとのもろもろの作業を想定して規格化する。

糸を買って染の指図、来た糸を割って、整経、パンチカードに穴を開けて、縦糸をつないで、横糸、織り出し。織機の調整、キバタ補修、加工出し、加工上りの検反、出荷。それに伴う、糸の在庫調べ、糸量計算、糸の染の指図書、整経記録、紋紙データ、整経機、タイイングマシーン、パンチングマシーン、織機の調整、製織作業、加工指図、出荷梱包、納品書、請求書、振込みなど事務作業も伴う。一つの先染めの布をつくるのにそれだけの作業。それがいくつも並行して動かす。

テキスタイルデザインも含めて一つの作業を、短時間でクリアして行かないとご飯を食べるようには布は生まれてこないのである。私が人がたくさん集まってテキスタイルを議論するのは無用とか、勉強するとかは無用と思うのはそこで、実際にやってみれば自分が頭でっかちに話していて目の前の一つの作業もギブアップでは、誰が作るのの話。現実も分からない状態の議論とか勉強とかは、現場で動けない人を増やすばかりで良いものも生まれてこない。良い布を生むためには目の前の作業に人の力を注ぎ込むことが大事でそれをできる人が必要。自分自身が働いて解決みたいのは、皆に、嫌われる話だろうけどなあ。ちゃんと働けばそれほど悪い業界でもないのにと思うが、なかなか普通の正しい布を一つつくるも難しいのが今日の現場。高度なもの手がけたらパンクするだけのこと。企画においては、自分の中でできることを実際にやって広げて行く、それが一番だろう。
2018年04月22日
今日はとても暖かい夏のような日、仕事に追われていて工場に出荷のときを除いては24時間缶詰。長丁場なので仕事のスピードはスローモードで、急ぎの1台を動かしながら、調子の悪い織機を調整したり、シャトル織機の管に糸を巻いて準備したりする。

夜、調子よく織れていたのに、朝になると織るのが難しい。もしや、やはり、母親が工場の扉を開けたままにしている。これが原因で、工場の中の空気が乾いて縦糸切れが起こりやすくなる。細番手の場合には、織れるか織れないかの微妙な辺りで織っているので、工場の扉一つで織りやすさが変わってくる。もしかすると錯覚かもしれないが、工場の扉は閉めておくというのがジンクスである。
2018年04月21日
今日は、午前中に兵庫県からお客様で、オリジナル生地をつくりたいというお話で、柄も色も決まっているので仕事としてはやりやすいのであるが、その方の生地のご用途を考えると最終的にベストなものづくりはご自身が布を作られることではないのかと思えたりして、いろいろとお話。私自身ができることは何なのかということもお会いしてお話を聞いて再考する。リネンがお好きだということでいろいろなお店のリネンも試されているのだが、出来上がった布を喜んでもらえるようには力を出したい。

夜から月曜日の朝9時の加工出しに向けて、夕方から工場に入って2日徹夜モードでの仕事に入る。昼間8時から5時を1日分とすると夜5時から朝の8時までは2日分。昼間というのは他の人の準備やフォローで過ぎて行く夕方からやっと仕事が始まる気分になる。仕事で力を出すのもスポーツで力を出すのも同じレベルのことで、力を出し切ったあとには疲れていてもスポーツの後のようなすがすがしさがある。
2018年04月20日
私も50歳になろうとしているが、学生のときよりも新しいことに自分自身の手を使って挑戦をしやすい環境を考えている。珍しい部類に入る。たとえば、自動車消耗品の交換、タイヤやバッテリー、タイミングベルト、オイルの交換も自分でする人と他の人に頼む人がいると思う。私自身は、初めて車を持ったときから、そういう大したことない交換作業は自分で時間があればやろうとする。プロがやっても自分がやっても同じこと。きっかけとなったのは、アメリカでボルボの中古を買って、そのパワステホースが、買ってすぐに破裂して液漏れで、そのパワステホースの交換をホストファーザーが自分たちで交換できると助けてくれたこと。実際にはエアコンのホースを利用して圧に耐えられず失敗に終わってディーラーに持っていって修理したが、そういう経験に誘導してくれる環境に触れることができたことが大きい。

その後も、ジャガーXJSというスポーツカータイプの中古を買って、これがまた、所有していた半分以上の時間修理工場にあったとかも、今となってはよい経験。マドンナの歌にもあるが、早く走るファンシーな車は長持ちしないという典型で、ボルボは古くてボロボロでも日常の足になったが、V12のレーシングカーのエンジンを積んだというのは厄介そのもので、乗っていて感動はあるのだがメンテも大変すぎる。ボンネットを開けると美しいV12エンジンがメンテを邪魔する仕様、リッター数キロ、ほんと見て楽しむための車である。そういうところでファンシーなものには騙されない価値観が身についたのだろうか質実堅牢なものを好む。

コンピュータ関係でも若い頃に自作PCというのをパーツを買って安く作り上げたりした。これもメーカー製の出来上がりPCと比べると問題は多く、部品にも安いもの高いものがあって、安いものは安いなりに理由があって安いということ。このことは、麻糸を仕入れるときにも値段の安いものには飛びつかないという仕事のスタイルにつながっている。一方で、いろんな糸を試してみるということにもつながっていて、自分が麻糸の良し悪しを判断するという立場であり、一般の定評ではなく、自分の経験に基づいた勝ち判断が一番ということ。これは私に限ったことではなくて自分自身で価値判断をするということの大切さにつながっている。

大きなコンピュータ工場で働いたことも、世界最先端の製造工程を経験できたこと。その中でまったく逆のスタイルが大事だと思ったことがいっぱいあった。普通の人でも安定して量産ができるようにすべてレベルを落としてものづくりをしている気がした。高度なものづくりには思えなかったのである。コンピュータプログラミングの会社でも短い経験だったが、学歴や年齢なんか意味がなく、仕事では実力が大事で、当時29歳だったが自分の実力のなさを感じたりもした。一方で、プログラミングの知識は無意味で、それを応用して活用することが大事だと悟ったこと。

仕事をしていても、ものごとに対する判断が異なることが多い。それがあるからやっていける。ほかの人の判断と同じ判断しかできなくなったら、衰退する産業では続けることすら難しいだろう。手足となって動いてくれる人がいればすごく強い会社なのだが、なかなかその手足となって動いてくれる人を見つけることが難しいのである。実際、手足、体を動かすことを面倒がって、口や頭が達者な人の比率が今の繊維産業では多くなりすぎているように思える。ものづくりにおいて能力が高い人というのは実際にものを形にでき問題なく量産できる人。企画というのはまさに絵に描いた餅で、実際の餅を作って、それを売ってお金をもらって食べて行くのが餅屋の仕事みたいのが仕事の基本。
2018年04月19日
私自身は、時を経たものというのは価値が生まれると思う。それは概観や希少性だけでなく、そのものがそこにあった理由があるだろうから。デザイナーの女の子が古い家を住まいにしているが、戦前のものがいくつも残っている。そういうものはどこかの古道具屋で見つけてきたものではなく、そこにあったものでそこにあるから特別の価値が生まれるのである。

林与の事務所の階段のところに、壺があるのだが、その壺は価値のあるようなものでもなく、ひび割れも入っているようだが、それは林与の家の蔵にあったもので、だからこそ私がそれを残しているところに価値がある。同じく、林与の近江上布の見本切も、林与に残っているから一番価値があるのだろうと思う。そしてその世界を林与の中で再現しようとしているから、他の人がやる以上に特別の価値があるんじゃないかと思うのだ。
2018年04月18日
日本の麻の業界って、もう狭くなりすぎていて、頼むとしたらこことあそこくらいしかないという話になることが多い。3番目、4番目だと残れないほどに、需要は減っている。一つは糊付加工。和歌山の会社の社長が亡くなられて、あの親切にいつも電話で対応くださって責任持って仕事してくださってたお方で、そういう対応をできる方というのは業界でも希少な存在である。

一度、糊材を変えられて、超高級な麻糸と染めたのが整経もして織れなかったことがあった。正直に糊材を変えられたことをおっしゃられて、正直な方だなあと、一切請求もせずに、新しく糸を買って染め直してやり直して、2回目は問題なくできた。よかれと思って糊材を変えられたのだろう。長い仕事の付き合いの中で、1回くらいは大きな失敗も自分で吸収しないとなあと乗り越えた。100%に近く、よい仕事をしてくださる方だったので失敗があっても責める気にはなれない仕事ぶり。もし苦労することがあっても苦労を分かち合いたい方である。

そういう方が亡くなられると、技術はあっても、人が変わると同じことができなくなることは多い。同じ仕事を同じようにやっても、人が違うと同じじゃないというのが生き残った仕事の世界。今、後継者不足の問題が日本中のものづくり産業を襲っているけども、よくいわれるのが、利益が上がっているのに後継者がおられずとか。それはそういう方がやっておられるから商売が続いていたわけで、他のものが利益目的で継承してもすぐにポシャるだろう。

商売なんてものは、やり方じゃなくてやる人によって変わるもの。同じ成果のあがらないことでも何年も続けてやっていれば時が解決し成功につながることもある。逆で、時の運で成功すると、勘違いして商売の基本を見失うこともある。基本に忠実に仕事に専念されてきた方の仕事というのは、洗練されていてなかなか継承できるものではない。普通の人とは、考え方から違うから。
2018年04月17日
今日は午後に、与謝野町から6名が工場見学。林与の織機よりもたぶん与謝野の織機のほうが新しく高度なことができるんじゃないのかと思うが、林与には林与のスタイルがあって、人は少ないけど織機はたくさんあって、いろいろとできることを増やす。リネンでこんな織物も、あんな織物も作りたいを効率よく実現する。

麻織物に関してはそんなにコテコテの企画がもてはやされるわけでもなく、普通程度の生地がちゃんと作れる力が大事なのだが、今はなかなかその力が存在しなくなっているのだと思う。ライフスタイルや仕事に対する考え方が変わると、普通のものすらが正しく作れなくなってきているのが産地の抱える問題だろう。

丹後の産地はまだまだ機屋や職人さんがたくさん残っておられるという印象があるのだが、それは家内工業的で、経営者自身が作っておられるからだろうか。たぶん、同じ商品が流れている機屋さんも多いのかもしれない。整経機の荒巻ドラムが大きいという話をきいたことからも想像する。和装の小幅織物は定番が流れていることが多く品質勝負の世界なのだろうか。キズ一箇所で反物がアウトな話も和装の世界の厳しさ。

皆さん、20代、30代の方々で、私が50歳近くで。どんな話ができるのかというと、織機とか技術の話よりも、麻織物の仕事を続けるために、どうやって修羅場を乗り越えてきたかみたいな話。織物工場として織るだけでなく、糸、染や加工、製品まで、いろいろ関係してみた。機屋でありながら、いろんな経験ができたのでそこらが強みか。背中に星を2つ持つ男の話までしてしまった。
2018年04月15日
19歳の警官が41歳の警官を拳銃で射殺した事件で、車庫入れに失敗して罵倒されたことが原因らしいという説がある。射殺の部分を除けば、会社で新入社員が車庫入れで会社の車壊して上司が新入社員を罵倒したら、これは行政指導の対象になるだろう。41歳の警官が一般的に正しくみえるような指導をしても、行政的指導からすると、職場という環境では、19歳の警官が正しいことになる。41歳の警官がどうでもよい人だったら、保険で解決するから大丈夫だよ、といえたかもしれない。いい加減な人じゃなかったから罵倒したのだろう。

射殺するほどだから、罵倒されて腹が立つばかりで反省とか自分の起こした問題の大きさ理解が難しかったのだろうかというより、好青年で今まで罵倒もされたことがなければ罵倒され人生の終わりを感じ、むちゃくちゃな行動に出たのではないか。あとの行動がむしゃくちゃすぎて、50万円引き出したり、パトカーで逃走とか周りが見えて過ぎず、支離滅裂感が漂う。

すべてが用意されている学生状態から、車庫入れ事故のような生の経験の厳しさが乗り越えられなく、自暴自棄で今回の事件につながったのではないだろうか。国会での非を咎められるとトップのエリートが書き換えしてと一人自殺に追い込んだのと犯行に及んだ経緯と罪の意識もない犯罪という点では似ている気がする。パトカー車庫入れ失敗をもみ消してあげるくらいの構造でないと今回のような事件が起こりうるほどに、問題を素直に受け止める力というのはなくなっているんじゃあないのかと思える。なぜ罵倒されたかの理由も報道で上がってこないあたりも、事件とは別に行政構造の問題を感じさせる。

一般企業で殺人事件起だったら犯人が罵倒されたからやったというなら、なぜ罵倒されたかの理由までも報道されるはずなのだ。今回の場合、犯人がその理由を隠している気がしないがそこらが最初に書いた政指導の対象となる要素を含んでいてそれを公表できない状態というのがあるのかなあと。人が一人死んで真相の究明よりも組織の保身のほうが大事とかも普通に大きな組織や行政の組織ではありがちだったりするので、今後このような事件が起きないためにも現場指導などにおいてもいろんな矛盾要素は取り去らないとならないと思える。誉める教習所がもてはやされるが事故が起こってへっちゃらではダメだろう。

昔、神社の祭りで、神輿に乗ったやんちゃな子を人間関係の遠い年長のものが降りろと注意したところ、やんちゃな子が二人で話をつけると人のいないところで年長のものを殴ってしまって死亡事故になったことがある。たぶん、知り合い同士だったらこんなことにはならなかっただろう。守られて育った場合には、自分が強いと思った強いものには絶対の服従があったりするが、その反動で、浅い人間関係を軽く考えて強い人間関係が自分を守ってくれると勘違いしたりして見下したり暴走したりすることも多い。

ダメなことはダメで注意できる環境が現場にないと後で大きな問題になるのは、ダメでも注意できないような子供を育んでしまう家庭や社会環境があろうかと思う。子供と自分しか見えず外を軽く考えるような子供や大人を作ってしまうと軌道修正は、赤の他人がそれを覚悟して業務として責任被って行わないとならない。41歳の警官も被害者的な悲惨な事故だが逆に19歳の警官が拳銃自殺したなら加害者となる。社会に規律がなくなってしまって加害者も被害者になるも同じことやっても結果次第で紙一重、問題が起これば重箱の隅をつつくようなことばかりで、人間の暖かい目を持たないと地道にやってるものでも結果次第で力関係で犯罪者に追い込まれる。

普通で普通の幸せをつかめていたのが、外に世界に出て行くとダメ出しされる。理想と現実、正しいと思っている自分が否定され、変われないからそれを拒む回路が働いてしまう。警察官という理想と、警察官としての現実の最低限も受け入れられないギャップ。素直さがないと指導すら逆効果。プロセスでは解決できない問題もある。
2018年04月14日
手回しの6錘のガラ紡機を譲ってもらえた。その裏にはそれをつくられた方がなくなられたということがあり、私もその方に何度かお会いしてすごい人間のできた方だなあと感銘を受けていた。病気が進行していて長くないとはお聞きしていたが、知り合って2年ほどでいろいろと他の人のためにプロの仕事以上のことを献身的にされていた。そういう方というのは地域社会にとって貴重な存在であろうと思う。

その方が楽しそうに手作りされたガラ紡機のお話をされていて、もし使われることがないなら一度譲ってもらえないか尋ねておいてほしいといったのを、亡くなられ倉庫を片付けられるということで、頼んだ方が私が頼んだことを覚えていてくださって私のところに届いた。うれしい話なのではあるけど、活用方法としては、その方も社会貢献されていたので、このガラ紡機を地元のイベントなどで実演してそういう方が居られたことなども話したい。子供たちが機械技術に興味をもったり仕事や手作りの楽しさを感じてもらえるのに活用できないだろうか。

衰退する繊維業の振興のために引退後の時間を惜しみなく使われ、残してくださった手作りのガラ紡機、その活用の方法を繊維産業の貢献のために考えてみたい。作られた方の思いを組んで、私が独占するでなく、日本の繊維を盛り上げるのにいろいろな場所で役立って欲しいと思う。ためしに回してみるとウレタンベルトが緩んでいるくらいで簡単な調整で問題なく動くと思える。
2018年04月09日
昨日の夜は、2度3度で冷え込んだ。工場の中で朝まで過ごして朝加工出し長いラウンドが終わった。午後は来客があって、帰られてから、ビールを少し飲んで1時間ほど寝て、工場で糸を割ったりの作業。その後、夜に長浜のDENの北山さんとDENさんから独立されたharinoanaの尾崎さんがこられて、洋服に使われる布をセレクト。久しぶりにお会いするけども、お元気そうでお互いの近況報告などなど、花粉症には注意である。

50近くで、一晩二晩徹夜とか、学生時代から変わっていないなあと思うところ。私が勉強なんてやろうと思えばいつでもできる。仕事も同じで、憧れじゃなく実際の仕事をこなして行けばよいだけだがみんなそれができない。仕事をこなして行くうちに見えてくることも多い。まず、やらないと。頭で考えていてもやってみてうまくいかないも多い、なら、頭で考えているだけとかはほんとダメで、実際に前に進めていくとか追いつくとかが大事。その前に、自分が前に進めて行こうとか追いつく気持ちがなければ、世間が自分を助けてくれることを期待しても無理な話。

若い方が、織機を入れて自分で動かして行かれる話しを聞いて、今までは人に頼っていろんなことができただろうけど、これからは自分が作業する力がないと何も生まれてこない結果になる。本当のものづくりの何が難しいのかを知るチャンスだろうと思う。自分で頭で考えたことがそのとおり自分が実行できるかというと、理想だけで終わることが多い。織機を手に入れるはそれほど難しくない話で、それを動かして正しいものを作って行くことは別次元に難しい話で、頭でお金を稼いだところから、もっと頭を使って体も使って時間も使うのでお金も稼ぐのが難しいポジションにつくことになる。

人から依頼されたものを飲み込んで形にするというのは、自分でデザインしてものをつくるよりも高度な仕事だろうと思う。私が本業以外で、外の工場に仕事を頼んでお金を払っても思っているものとは違うことが多く売れるレベルのものが出来上がることというのは3回に1回くらい、軒並みなものしか手に入れることができない。自分の思っているとか売れるレベルのものを実現してくれる他人は自分以上の実力の持ち主なのであると思う。
2018年04月07日
今日は午後から京都で大型の捺染枠の引きとり、中古の枠なのだが自分で新しいのを作るよりも近い大きさの代用できるものを試してみるのが一番、自分の頭の中の理想が正しいのかどうかを判断できてよい。仕事を前に進めるための準備的な作業、相手も譲ってくださる値段で満足いただけるので、これも三方善しの一つ。強制的なリサイクルなんていうのはまだ使えるものの価値をマイナスにしてしまう、使い捨て文化の延長に過ぎない。

私がみんなが要らないものにでも価値を感じるのも仕事だけではなく自分の価値観があるところ。ものづくりの会社で致命的なのは、ものの良し悪しすらも自分で判断できずに儲かるか儲からないかでよいもの悪いものの判断するタイプ。良いものは売る人がその価値を感じていないと売ることも難しいのは当たり前だろうといえる。

京都も南のほうは、工業地帯で染色関連の会社がたくさんある。市内に比べるとまだまだ作業するのに面積が確保できるのだろうが、滋賀県がものづくりがしやすいなあと思うのは、広々と作業ができるところ。京都というのは世界が憧れる世界のブランドなのだが、京都の夏の麻というのは祇園祭などの着物にしても近江上布であったといわれる。滋賀県の田舎の手作業が京都でも近江湖東産地の麻織物は一番に評価されていたのである。

しかし、世の中が画一化されると滋賀県の人と京都の人との人生観の違いなどがみられなくなる。特色失くして続けて行ければよいのだけども、田舎の産業というのは特色を保てなくなりつつある。人の価値観という要素が、近江湖東麻織物の衰退にも関係をしているだろうと思える。
2018年04月03日
シャトル織機経験者の方で、織物工場後継者の方あるいはその担い手を実習生(会社員の方は会社の同意書要)としてゴールデンウィークまで募集します。作業を通じて糸が織物に織りあがるまでの工程を現場指向での実習になります。条件は、ガッツのある方で、技術向上を目指したい方で、1週間以上、力織機経験者(シャトル織機経験者あるいは、レピア織機1年以上の経験者)。興味のあられる方は、待遇など詳細に関してはお問い合わせください。主に希望する作業内容に関して連絡ください、全般、整経、経繋ぎ、タイイングマシーン、製織作業。書類選考あり。今回、マックスで同時に2名までです。今回は、学生の方は基本的には対象ではありませんが、学業に支障がない担任の先生の同意書出せる方は応募可とします。
2018年04月02日
仕事の上では今日は実質年度初め、プラス、月末が週末で、年度末の作業も残っている。バタバタ。工場の中は、生産期のピークは過ぎたもののまだいただいている仕事が5月連休前までは手一杯。連休中に時間をみつけて広幅絣のプロジェクトこなして行けるか。

テキスタイルマルシェで2台の手機を持ち込む計画で、その準備も進めておかないと足りないものが、一台は筬。ぴったりの筬だと幅が狭いので、少しでも広い筬を作る予定。力織機のソウコウ枠とソウコウが余っているので、広い幅の手機をつくるのには流用ができそうで、思ったよりも、広幅絣のプロジェクトは道具が手に入りやすい。後は自分で大工仕事すれば、お金を使わず、しかも、自分なりの改良を加えた発展性のある、いろんな広い幅の手機をもつことができる。

なにか物事をするときに自分で生み出せる力がある、なしで、やりやすさが相当異なってくる。なにか機械を買ってとかじゃなくって、自分の背丈の範囲でいろいろと工夫して、自分が一番便利に使えるような道具で、自分のやりたいことを実現してゆく。それは、古いシャトル織機を正しく動くように調整や修理しながらの普段の織物の仕事の延長でしかない。他の仕事をしている間にそういう新しいことはどうやるか考えておいて、余力見つけて短時間で一気に実行。実行して失敗なら、別の案をまた他の仕事しながら考える。

手に入れたアルミ枠が捺染以外にも活躍しそうで多めに分けてもらってよかった。運が良いのだろう。一つ自分で作ろうとすると木材や小さな部品を購入して行くだけでも何万円と掛かり、強度の問題と重さの問題がある。だが、軽量の丈夫なアルミ枠の組み合わせで思っていた一つの機構が出来上がる。量産のためには、その機構がいくつも欲しいのだ。
2018年04月01日
今日は、名古屋に捺染のアルミ枠を取りに行く。いろんな絣柄の件はプリント工場にも過去には何件か相談をしたこともあるが難しいといわれた案件なので、自分でいろいろとテストして技術を固めてゆくしかない。昔の渋紙なんかも何万枚と残っているのがデータとして生きていくのはありがたい。

今日のアルミ枠も捺染の仕事をされていた方が手放されるものでプロが使っておられたしっかりとしたもので、そういうものが私のものづくりに生きてくるのは、私が仕事の仕事のスタイルの一つで、世の中にものがあふれているといってもそう自分が欲しいずばりのものがあるわけでもなく、本職としてやろうとすればそれなりに数も必要でやめれれて手放されるようなものを継承し活用する柔軟性は、普通の担い手以上に私自身は持っている。

趣味の人も本職の人もそれほど違いはないのかもしれないと思えるのは、趣味の人の知識が本職の人の知識を超えていることが多い。趣味の人は広範囲に自分で物事を学んで技術を習得しようとするが、本職の人はたとえば会社が準備して作業を与えるので何も考えずに行き当たりばったりで仕事に携わっていることが多かったりする。自分で目の前の仕事を前に進めてゆけるような人が必要なのだろうがそれは経験で培われるものじゃない人生観の問題だろうと思う。仕事でする以上、一回一回、最後の答えを出せないと続けることは難しいというのも事実。

今日、アルミ枠を譲ってくださる方も仕事を受けたら自分で全部やらないと外に出していてはなかなか成り立たなかったといっておられ、一人でも全部が解決できないと成り立たなくなった捺染の世界を感じることもできた。そういう人なにからなにまでこなしている方でも仕事が難しいのだから、できることをいろいろとやってみることは大事だろうと思う。
2018年03月31日
私が商売やものづくりの仕事で感じるのは自分が動かないと動いている人に追い越されてゆき、それに慣れるといくら昔すごかったといっても実際にできないばかりになり、ものごとをやろうとしたり立て直そうとする人の脚を引っ張ることが仕事になるどうしようもない状態に陥る。

先代も調子のよかった時代のあと織物の構造は分かっていても実際に自分が作業をできなかったのが一番の弱い要素で、ものづくり企業のトップとしては現場の人間以上に作業に対して忍耐も覚悟もなければ建て直しなんていうのはまったく難しいだろう。一つ一つの作業の正確さもなく物事を企画してもやればやるほど失うばかりの仕事になる。センスなんてのは前提条件で、そのセンスを形にするために本職らしいところがないと駄目。

本職らしいところがないとセンスが生きてこないことが多い。いわゆる頭で考えるのは実際は難しいというところ。実際は難しいところを当たり前に形にできる力みたいなものがないと、企画も無意味だし、センスも無意味な話になる。センスや企画なんてものはあって当たり前、それをどう形にするのかの部分がよい時代が終わると難しくなったというのが日本の繊維業界の衰退の本質だろうと思う。

大手のSPAが、海外で企画力やセンスを生かし、リネン100%のものを日本市場にぶつける中で、日本では、高いものは売れないから綿麻で値段を落としてという流れ、お客さんがブランドに高いお金を出す意味すらもブランドさん自身が否定してしまっては、大手SPAの初めてのリネンに負けてしまう現実。国内一流の大手アパレルメーカーにしても、素材のアドバイザーっぽい年配の方がおられてリネンの話をするがフラックスの原産地に関しての大きな誤解があってそのアパレルメーカーのリネン素材の一番の謳いが一番危ないだろうなあと感じたりもして、ものづくりの現場からこない企画というのは頭の中で広がる幻想で生まれてゆく。

ある伝統工芸のお店に行くとサンプルは一から職人が作ったもので、実際に販売しているのは輸入品ということがよくある。サンプルは価値があるのでその商品見本が欲しいといっても売ってくれない。産地まで出向いても販売されているものは産地さんじゃないのが当たり前なんで、卸を経てどこどこの産地で仕入れたとかは本当の産地のものでない確立がもっと高い。

結局、産地というのは自分がそこで作っているということなんだろうと思う。林与にこられた方で、林与の一番の特徴は何ですかという話で、「つづけてやってることだろうか」と魅力のない答えになることが多い。初めて会う方にその意味を理解してもらうのは難しいことだろうと思う。わたしも産地に入ってこられる若い方に自分で織ってやっていかれることを薦める。それが産地の本質だから、でも、なかなか織るという部分は織るだけでなく、織物を生産する環境の整備と織るまでの準備が大変だから会社規模でも織物を辞めてゆかれるのだから、産地に入ってこられる若い方がそれを背負えるかというと、自分の服が汚れるのに機械の下にもぐるも難しい話だろう。私はそれが当たり前にできるから追い越されないところにいられるだけのこと、できなくなったら終わりと思う。
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